ある時間の断片ー22〜24歳の日記

2004年11月03日(水) 1310, 23歳の日記−3 ー卒業式の思い出ー大学の卒業式の写真が数枚残っているが、その前後の事や詳細の記憶は殆ど無かった。 ところが、この日記で当日の記憶が鮮明に蘇ってきた。最終の学校の卒業は、人生の大きな境い目である その記念…

2004年11月02日(火) 1309, 23歳の日記 −2 ー社員教育が終了して、現場初日の日記である。当時の澄んだ視点と、不安一杯の気持がそのまま出ている。 それと、冷静に見ているところが面白い。 当時は、高度成長期の真っ盛り。大卒の新入社員を確実に確保する…

566、 2002年10月31日(木) 1968年9月22日 ーセミナーハウス二日目ー8時10分前に起床、同室者はまだ二人とも寝ている。 朝食後、セミナー開始。 ーケーススタデー 討論開始、いい加減なことをいって恥ずかしい! もっと深く考える必要があった。ほ…

562, ある時間の断片ー7 2002年10月27日(日) 1968年 9月21日9時起床。11時に図書館に行く。13時にコモンルームでゼミのフルメンバー16名が集合する。 そして八王子のセミナーハウスへ。 近年できたセミナー専用のコテージ付のセミナーハウス…

561, ある時間の断片ー6 −2002年10月26日(土) 1968年 9月18日 8時10分前に起床、すぐに学校に行く。夏休みあけ後久しぶりだ。 事務管理を聴講後、石川、奥野など5人と池袋の駅近くの喫茶ウイーンで話をする。 それぞれが自分の道や将来を模索してい…

560, ある時間の断片 −5 2002年10月25日(金) 1968年ー9月15日朝7時半に起床、食事の後に東京の寮に帰る支度をする。 裏の家で姉の正子さんと、帰省中の3番目の姉の優子さんと、甥の宗彦ームーチャンと写真を撮る。 12時5分発の第三佐渡に乗る。いや…

2004年10月23日(土) 1299, 「23歳の日記」 事務所の移転で、部屋の整理をしていて、一冊の見た事のある小さな鍵付のノートが出てきた。 開いてみると日記帳である。「22歳の日記」の続編である。その続編があるとは、思ってもいなかった。 おそらく、「22歳…

2003年10月11日(土) 920, ある時間の断面ー41 11月18日 1968年・11時起床 15時過ぎまで試験の勉強をする。その後、試験のため大学へ行く。試験終了後、学食で酒向と偶然会う。川崎君と三人で「嵯峨」で一杯飲み、その後パブ「エリート」へ行く。 …

2003年10月09日(木) ある時間の断片ー39 11月13日 水曜日 1968年 8時起床。9時に友愛バザーの手伝いで文京区役所に行くが、実際は10時であった。 一時間近くを散歩をして時間を潰す。売り始めたが、さっぱり売れない。 仕方がないので寮の駒村を呼…

[178] 忘れられない店ー4(金沢) ー平家ー鉄板焼き 2001/10/08金沢にいた時期によく行った店である。もう30年も前の話である。 4〜5年前に行った時まだっその店があったが、しかし個性的な親父は死んで しまっていた。その店のかみさんがそのままいた…

2003年10月08日(水) ある時間の断片ー38 ー11月11日 1968年 昼過ぎに佐藤のところに行くと「多恵ちゃん」から、電話で大妻祭に招待される。毎日忙しいことだ。 これもアマリ気が乗らずに、佐藤のお供で行ったようなものだ。講堂で「森山良子のリサイタ…

2003年10月07日(火) ある時間の断片 1968年11時9日 ・10時起床。 瓜生のところで、30分お茶を飲む。その後、洗面をして、今度は佐藤の部屋でコーヒーを飲む。 そこで、大妻女子大祭に行くからこないかと誘われ、尾形と佐藤と3人で行く。 知って…

2005年10月07日(金) 1648.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・7 7・うちの商法ー2宗親 こちとら月に一度は、その産地に行ってさセリに一緒出たりさして、いろいろやっているのが解らないんだ。 それと築地に一日おきに行くの。マグロの部分買いもしてい…

2003年10月06日(月) ある時間の断片ー35.36 11月8日 −前半・7時50分起床。 人事管理の授業に出席。 今回こそ試験と思っていたが違った。 授業終了後、朝飯と昼飯を兼ねて食事。11時にゼミで、それぞれの車で石川島播磨造船所に向かう。 一時過ぎに到…

2003年10月05日(日) ある時間の断片ー34 11月7日 −1968年・10時半起床。12時に池袋に出発。掲示板をみていると川崎と出会う。 「ヤタロー」で食事。その後、「価格理論」の授業を聴講。12月5日に試験とか。 産業関係論が11月21日に試験…

2003年10月04日(土) ある時間の断片ー33 11月6日 ー1968年 ・10時起床。 風邪で頭が痛かったが、少し良くなってきた。12時、佐藤君のところでお茶を飲む。その後本を読む。 夕方、飯を炊き、刺身を二人前買ってきて食事をする。 風邪を回復する…

2005年09月30日(金) 1641, 37年前の自分へ返信ー2卒業間じかの22歳の自分が、37年後の自分から手紙を貰った夢をみた設定で書いた手紙はどんなものか。 貰ったとしたら、夢の中としても面白いだろう。「ソフィーの世界」の物語のようだが。 インナーチルドレ…

2005年09月26日(月) 1637, 37年前の私への手紙−1ー22歳の日記を読み返してみて、当時の自分に手紙を書いてみたくなった。 37年前の自分は、 自分のアイデンティテーであるが、全くの赤の他人にも思える。だから手紙が書けるのだろう。ー37年前の私への手紙…

2005年07月20日(水) 1569, わたしの酒中日記−15 ー倉敷の夜ー 1977年8月某日仕入れで、岡山と広島の福山に行った帰りに倉敷アイビースクエアガーデン・ホテルに来ている。 赤煉瓦に蔦のからまる紡績工場を、文化施設のある複合ホテルに改築してある。 広い…

2007年07月19日(木) 2298, とどまりたまへ旅人よ わきめをふらで急ぎ行く 君の行衛(ゆくえ)はいづこぞや 琴花酒(ことはなさけ)のあるものを とどまりたまへ旅人よ ーー 藤村の、この言葉を若いときの自分を振り返って、投げかけてやりたい言葉である。 …

2005年07月13日(水) 1562, わたしの酒中日記−14 ー岐阜の夜−2 1976年 7月某日夜行で岐阜に来て、今日は丸一日市内を駈けずりまわる。肉体的には、緊張しているせいか疲れはない。 日曜日の店の売れ具合をみて、一度帰宅のあと3時間ばかり休んで、夜行列車…

2005年07月12日(火) 1561, わたしの酒中日記 −13 ー岐阜−1 1975年 9月末日初めての仕入れで岐阜に来ている。高校の二年の時に父の仕入れの鞄持ちで来たことがある。 あのときの感覚を頼りに生まれての初めての仕入れである。 まずは、東京の現金問屋街で…

2003年07月03日(木) 820,ある時間の断片ー27 ・10月28日 1968年 午前10時に起床。 深井と『オリンピックの開会式』の実況を見る。 13時に深井の家に出発、15時まで彼の家にいる。 その後、江ノ島に行く。 第三京浜を彼のスカイラインGTでとば…

2005年06月25日(土) 1544, 私の酒中日記−10 金沢ー6 ー1972年3月某日武蔵店の店次長と最近飲むようになった。 店長の愚痴をよく言うが、私が口が堅いことを見抜いているからだ。 これで二人目の店次長だが、二人とも現在の店長の悪口を平気で言う。 何時…

2005年06月22日(水) 1541, わたしの酒中日記−9 金沢ー5 ー1972年5月某日先日、東京の東京女子医大に父を見舞う。 その数日前に一番上の姉の正子さんから電話があり、 「父が癌で手術することになった。しかし悪性で長くて一年」という。 看護をしていた母…

2003年06月17日(火) 804, 50歳の頃ー2ー50歳といえば1996年、平成8年である。今から見れば、まだ景気の先行きに明るさがあった。 ・村山から橋本に首相が変わり。 ・狂牛病の0−157が社会的な大問題になっていた。 ・携帯電話やパソコン・インタ…

2003年06月16日(月) 803、50歳の頃ー1 −60歳までの人生 曽野綾子の本で『人生の良いところは60歳まで』という文章があった。丁度私が50歳の時であった。 50歳で、母親を見送り(亡くなり)人生の損益分岐点を超えたという思いがあった。 あとの人…

2005年06月15日(水) 1534, わたしの酒中日記−8 ーミニ能登旅行 1972年4月某日今朝、急に思いたって観光バスで「能登一周コース」を、まわってきた。 50人乗りのバスに、乗客が12~3人位。車内がゆったりしていたこともあり、楽しい一日であった。金沢駅から…

2005年06月11日(土) 1530, わたしの酒中日記−6 金沢ー4 ー1972年3月末日大学時代の友人の島村君が訪ねてくる。年賀葉書に金沢にいると書いたためだ。 何か金沢というと、東京では憧れがあるようだ。会社の同期の桜井君が訪ねてきた。 寮には社外の宿泊禁止…

2005年06月08日(水) 1527, わたしの酒中日記−5 金沢ー3 ー1972年3月某日とにかく部外者の目でみると、金沢は特異の街である。 加賀百万石の数百年の重みが詰まっている。それが酒場に集約しているから、 あちこちと探して歩くだけの価値が充分にある。 そ…