562, ある時間の断片ー7

  • 2002年10月27日(日)

1968年 9月21日

9時起床。11時に図書館に行く。13時にコモンルームでゼミのフルメンバー16名が集合する。
そして八王子のセミナーハウスへ。 近年できたセミナー専用のコテージ付のセミナーハウスだ。
思っていたより敷地が広く建物が近代的なのに驚く。 メインの建物が逆三角形で、異様な感じだ。
宿泊は二人で一部屋のツウィンだ。それぞれのコテージが違うデザインで何か異界に入ったようだ。
空には飛行機が飛び交いまるで欧州にいるようだ。
夜から早速議論をはじめる。 課題は「遊び」だ。「見返りのない、何の目的のない遊びこそが遊びだ」
「創造の為に、その背景としてそれは必要でないか」私の言ったのは「4つの1つとしての位置付けの遊び
ー「愛、創造、知性、そして遊び」であった。何かポイントが外れているようだった。
 終了後、レストランで石川とゼミの一年後輩の大島君と飲んでいると、武澤先生がこられる。
  その後夜半の12時半に寝る。
ー感想ー
日記を書き写していて、当時の日々がありありと思い出されてきた。
背景にベトナム戦争、大学紛争、そして高度成長期の真っ最中でもあった。歌も二度とこういう時期は
来ないというほど名曲が生まれていた。 その背景を持って誰もが緊張と希望に揺れていた。
夏休みは卒論の流通革命論を書く為に一ヶ月、大阪のメリヤス問屋に行ってきた。
その後新潟県の六日町の「雲頓庵」という禅寺に一ヶ月にも行っていた。そして自宅に帰った後の日記である。

学生時代の十数年間の総括の時期であり、また新しい世界への旅たちの直前であった。
この卒業の直前一年は人生で一番良かったときかも知れない。色いろの人との邂逅と喧嘩と別れの時期でもあった。
寝ずに人生について話し合ったのが記録として日記に残っていた。 そういう意味で大学時代に恵まれていた、
当時はその事に気が付いてなかった。寮に、ゼミに、教授に、クラブに、友人に恵まれていた。
赤面する場面は当然カットして写している。 大学で学んだ事は、本を読む事、他人の話を聞きとること、議論をする事、
自分の壁を取り去る事、何事も勇敢にチャレンジする事、戦略的思考をする事など数えればきりがない。
人生で一番良かった時期といえば、やはり大学生活であった。馬小屋のような汚い寮であったが、いや長屋であった。
 ー友人の間でもこの寮が凄いと話題になっていたー
父が5月に来て、翌月から仕送りを2倍にしてくれた、あまりの凄さに同情したのだ。でも楽しい生活であった。
友人が吹き付けるようによって来た。一人になれないのが悩みでもあった。
あの孤独の都会生活で最後には友人が吹き付けるように集まったのは、本当に良い青春の思い出の財産だ。

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