ある時間の断片ー22〜24歳の日記

閑話小題 ~晩年というには、あと二年ですか!

* 思いのままに 「一日一日が早く経つ」は日頃の実感している言葉だが、この加速が年々ついてきている。お先が近い感じとは、こんな感覚か。日々、「遠くが近くなりにけれ」である。行蔵が、その人である。問題は、どんな品かである。 リタイア後の日常を「…

* 今日は御盆二日目 先日から御盆のため民族大移動が国内外に向け始まった。13日は早朝、三つの寺、夜は菩提寺に二度目の墓参り。 盆暮れは日本特有の恒例の里帰りも良い風習である。不景気で世相が暗くなるほど、こういう行事は大事にされる。 しかし家…

学生時代に衝撃を受けた授業といえば幾つかある。その中で当時、ドラッガーの訳者で経営学の野田一夫教授の言葉である。 HP内検索で調べてみたところ10年近く前に、この随想日記で取り上げていた。 ≪ 2002/02/28 20歳の頃ーある教授との出会い−2 野田一夫…

学生時代に30日間、一緒に欧州旅行した男が、何ゆえに麻布で撮影会社の社長になったのか?非常に興味があった。 その話を一昨日に会って聞いたが、チョットしたドラマ仕立て。 撮影会社といえばカメラマンとモデルやタレント、 そしてスタジオが舞台になる…

* 新潟市の自殺率が政令指定都市でトップ 先日、新潟市が去年の自殺率が政令指定都市の中で新潟市がトップと発表された。 10万人あたり30・4人という。ということは80万人として240人が自殺で亡くなっていることになる。3日に2人になる。 県とし…

40年前に奥野君と何を話したのかを知りたくなって、「分類のコーナー」の中の検索で『奥野君』を入れたら、 その当時の文章が出てきた。 これは一度書き込んでしまえば、直ぐに出てくるから便利である。 この3000の随想日記は私の人工頭脳?のストックの役割…

昨日届いた、この手紙を公開してよいものかどうか一日かけて考えた上で判断をした。 私の40年ぶりの問いかけに充分に答えてくれた内容で、これだけ心がこもった手紙を貰うのは初めて。 ‘学生時代の卒業間近に真剣に対話した延長線上だからである’。 それとキ…

* 卒業40周年記念に参加してみた人間模様。 1〜2年次の教養課程の同級生では、TVでよく見かける服部学園の服部幸應と、大阪学院大学の白井総長が面白い存在。 ・服部幸應は実名が染谷で、当時は存在感が殆どなかったが、常に財布に10万円を入れてい…

2002年03月01日(金) 346, 20歳の頃ーある教授との出会いー3 武澤信一教授 人事管理ゼミ私の人生で最大の師は大学の恩師武澤先生である。もう亡くなられて7年になる。 イメージはキザな気取り屋で、底知れぬ教養人です。話しているだけでコンプレックスの塊…

2002年02月28日(木) 345,20歳の頃 -ある教授との出会い−2 野田一夫教授経済・経営系の人なら、この人の名を知っているはずだ。ドラッガーの訳者だからだ。 忘れられない授業がある。確か3年の時の6月の初旬あたりである。 講座は「経営学」である。その時…

2002年02月25日(月) 342、20歳の頃ーある教授との出会い-1この頃何を考えていたか、誰でもこの頃は大きなターニングポイントの時期であった。 土がたっぷり付いていた田舎の青年が、それを必死に振り払い「自分に目覚め始めよう」としていた時期であったよ…

002年02月23日(土) 340,ある時間の断片ー3 1968年9月2日 六日町 雲頓庵朝6時に目が覚める。6時半に顔をあらい掃除をする。 食事の後、「流通革命」を後半100頁を読み終える。 そして昼飯。小千谷の根本医院の長男がやってくる。二浪とか「つらい…

2004年02月20日(金) 1052, アンドロマック学生時代に見た唯一の演劇である。そして、知人がその演出をした事もあって真剣に見た記憶がある。 内容を殆ど憶えてなかったので、早速インターネットの検索で調べてみた。そして、その時の内容が蘇ってきた。 ギリ…

2002年02月19日(火) 336,ある時間の断面−2 −1968年8月31日日記帳より今日雲頓庵(禅寺)に来る。卒論の勉強の為だが、予想どうりのところだ。 早速座禅をくんでみる。 足が痛くなり無我の境地にさほど遠い。しかし現在の自分が求めていたもののヒントを与え…

2002年02月17日(日) 334,私の読書法やはり速読法が中心だ。それも「要点集中主義」だ。 その典型が図書館で可能な限り(10冊)借りてきて、居間の「私の居場所」の横に積んでおく。 食事やパソコンをイジッテッル合間にチョイ読みをする。 通勤で行き帰り読…

2002年02月16日(土) 333、20歳の頃 −1立花隆の「二十歳のころ」が面白そうなのでネットで買い寄せた。 本屋で立ち読みをしていたが、実際に買い読み始めるとこれが面白い! 立花隆と東大の立花ゼミ生が「各界著名人や無名の人の20歳のころの事」をまとめた…

2月15日 1969年

昨夜のことで、本当に自分が嫌になる。いい加減な自分に嫌悪感を感じる。 あとは、思い残すことなく社会に出よう。学生時代は終わったのだ。 ーこれからの予定として 2月17日に先生のところに最後の挨拶 2月19日にゼミの工場見学11時〜18時 その後…

2004年02月15日(日) 1047、「22歳の日記」の終わりに今日で学生時代の日記が終わっていた。何時から何時までという日付の無いフリーの日記帳なのだが、 丁度よいタイミングで最後のページで、最終日の今日だけレポート用紙が貼り付けてあった。 いま一冊の日…

2月14日 金曜日 1969年10時起床。 17時に、池袋の松山寿司で行われるゼミの「我々の追い出しコンパ」に出席をする。 和やかな時間を過ごすが、石川と雲行きが怪しくなった。同期の田島も出席をしていた。 卒論を出せなかったのでやめたといっていたが…

2月13日 1969年 11時に学校にいく。兼古と昨日の件で先生と話した内容を話す。 彼とは1〜2年の時親しかったが、このところは何か気持が通じなかったが、 何か以前の感覚になっていた。兼古とも、これが最後の話になるだろう。 一度だけの人生で、本当によい…

2月12日 1969年 武澤先生に会ってもらって話を聞いてもらう。もしかしてと思い、自主留年の可能性も言ってみた。 しかし、あくまでも学生時代の郷愁に浸っているだけではないかとのこと。 自己納得だけで、客観的ではないと言われた。むしろ社会に出て、自分…

2月10日 1969年 昨夜のショックで、助手の横浜さんと会って話をする。自分の底の浅さを赤裸々に話すが、 普段は厳しい事をいう人が優しいのだ。誰もが持っている底を曝け出したことに理解をしたのだろう。 たまたま会った深井にも話すが彼も同じ反応だ。 こ…

2008年02月10日(日) 2503, 閑話小題 *長岡の呑み助から見た夜の世界 毎週のように不景気の実態の話をしているが、地方経済の衰弱ぶりは生々しい。 一昨夜は、中学の同期の女性のスナックに入ったら、今月で27年間の店を閉店するとか。 スナックの中では名前…

2月10日 1969年 昨夜のショックで、助手の横浜さんと会って話をする。自分の底の浅さを赤裸々に話すが、 普段は厳しい事をいう人が優しいのだ。誰もが持っている底を曝け出したことに理解をしたのだろう。 たまたま会った深井にも話すが彼も同じ反応だ。 こ…

2008年02月10日(日) 2503, 閑話小題 *長岡の呑み助から見た夜の世界 毎週のように不景気の実態の話をしているが、地方経済の衰弱ぶりは生々しい。 一昨夜は、中学の同期の女性のスナックに入ったら、今月で27年間の店を閉店するとか。 スナックの中では名前…

2月09日 1969年 昨夜も一昨夜もショックが続く。留年をして、もう一度やり直そうかと言う気持ちが出る。 といって今更躊躇するのはオカシイのではないか。 高木も留年という。 客観的に耐えられないとしても、一応卒論を書き終えたことは間違いない。 いろい…

2月8日 1969年小林が寮に約束どおりに訪ねてくる。彼と話しているうちに、若さとエネルギーの新鮮さに 感化されてしまった。私の卒論を見せると、構成のいい加減さをつかれる。昨日日以上にショック。 一年がかりに書いた卒論も基礎と基本のいい加減さを見透…

2月7日 1969年 9時起床。 10時に食事。 その後、登校後に人事管理の試験であった。 まあまあのでき、よくて優、悪くても良だろう。試験の後、川崎と兼古と価格理論の教授の西山教授 のところに行くが不在であった。アメリカの、グリーンスパン教授と親…

2月5日 1969年11時に「価格理論」の試験であった。あれだけ必死の勉強をしたが、満足がいかなかった。 帰りは、川崎と一緒だった。帰寮後は、今日の試験のショックでやる気が起きない。 いや、昨日のこともあるか。産関論の試験勉強をする。あまり熱…

2月4日 火曜日 1969年朝8時半、母屋から電話で起こされる。誰だろうかと、思ってでると中条さんだ。 アルバイトで知り合った人だ。石原慎太郎と美濃部の都知事選挙で、数日間宣伝カーでマイクを ガナッタ連れであった。数日間、そのアルバイトからの…