2月7日 1969年
9時起床。 10時に食事。 その後、登校後に人事管理の試験であった。
まあまあのでき、よくて優、悪くても良だろう。試験の後、川崎と兼古と価格理論の教授の西山教授
のところに行くが不在であった。アメリカの、グリーンスパン教授と親交がある人だ。
その後、三人でボーリングに行く。150点、私としては上出来であった。その後、帰寮。
19時半から、私の追い出しコンパだ。今までは送る立場であったが、今日はついに自分の番である。
蒲生と高橋をのぞいて全員が出席をしてくれた。少し白けた感もあったが、最後まで永田さん、市川さん、
間中、佐藤、尾形と残ってくれた。酔っていたが、市川さんに「私から全てを吸収しきってしまった」という。
まあ、そうだろう。最後に佐藤が泣いてくれたのは嬉しかった。それにしても、市川さんとは、この二年間は
週末は必ず食事に行っていたのに。如何したことか解らない。そんなものか、この男は。ショックであった。
一人一人、いろいろなカタチで別れていかなくてはならない時なのだ。
それにしても、市川さんの最後の言葉は何なんだったのか。
怒るより、むしろ呆れてしまったというのが本音である。
寮にそのまま居座る為の、デモンストレーションのつもりなのだろう。
 毎日毎日が、あまりに刺激が強すぎる!