2月15日 1969年

昨夜のことで、本当に自分が嫌になる。いい加減な自分に嫌悪感を感じる。
あとは、思い残すことなく社会に出よう。学生時代は終わったのだ。
ーこれからの予定として
2月17日に先生のところに最後の挨拶  2月19日にゼミの工場見学11時〜18時
その後、2日間長岡に帰る。2月26日にジャスコ入社式のため四日市に出発
3月2日まで、入社前教育
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 以上で半年続いた日記が終わっている。

その続きを書いていたかどうかは記憶がない。書いていたかどうかは五分五分である。
この一年後、カード型の分類日記を一年間書いた記憶がある。その一年後、全てを捨ててしまった。
本当は捨てなければよかった。この日記よりもっと激しいことが書いたあったようだ。
それだけ、その後の一年は激しい一年であった。心身ともボロボロになっていた。
大學を出て、十数年は誰もがそうだろうが、一生分の問題を吐き出し解決してきた。
三十代半ばからは楽だったのは、それまで精一杯生きたからだ。

それにしても、凄い?20代~30代を過ごしてきたものだ。他の人のことは解らないが、私は限界ギリギリだった。
読んでいて気づいていると思うが、やはり背景は恵まれていたのだ。時代に、両親に、そして先生に、友人に。
月並みの言い方になるが「ありがとうございます」という言葉の重みをつくづく感じる。今も、
当時も一番足りない気持である。「ありがとう」という言葉は、言い尽きないのが人生と振り返って実感する。
この時代の人達に「ありがとうございます」と手を合わせて、この青春日記を終了する。 
少なくとも書き写している間は当時にタイムスリップをしていた。
毎日続いた一時のタイムスリップも、今日で終わってしまった!あまり過去に住むのは良くない。

今年の9月からの同月同日の日記として、再び貼り付けるかどうかは、その時考えるが「もう見たくはない」
のが現在の気持ちだ。半年も経てば気持ちが変わる可能性があるが。当時のこの男の頭をなぜてやりたい。
そして「35年前よ、さようなら!」と、腕がちぎれるほど何時までも手を振りたい気持ちである。
 当時と同じように少し感傷的になってしまった!
「あたらしき 明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に うそは無けれど〜  啄木」
  
この日記帳の表紙にデザインとして書いてあった詩である。
日記帳の下欄には、啄木の詩や日記や書簡集が印刷をしてあった。しかし詩心は芽生えなかった!
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 明日からは、換わりに、次のシリーズとして、 このホームページの「お笑いのコーナー」の、
 ジョークと小話を貼り付ける。 少し品のないところもあるが! 100話以上ある。
 5月まで続く予定である。