学生時代に衝撃を受けた授業といえば幾つかある。その中で当時、ドラッガーの訳者で経営学の野田一夫教授の言葉である。
HP内検索で調べてみたところ10年近く前に、この随想日記で取り上げていた。
 ≪ 2002/02/28 20歳の頃ーある教授との出会い−2 野田一夫教授 ≫である。
野田教授の授業は厳しく、少しでも遅れてきたら入室禁止、途中の退座や、よそ見や、私語は絶対禁止。
授業は異常なほどの緊張感で進められていた。 その内容を再び大まかに書いてみる。
≪ 貴君らは選ばれて、ここにいる。そして、社会に出て行けば指導者の立場になるために、ここで学んでいる。
 今日から食事をするときは、店の真ん中に座って堂々ととりたまえ。 間違っても、隅でとるな。君たちの学生生活は、指導者に
 なるための準備期間であることを忘れないこと。そのために可能な限り本を読みたまえ。あらゆる分野の本を読めるのは今しかない。
 ロマンローランの「ベートーベンの生涯」を直ぐに買って読みなさい。彼は多くの災難を乗り越えて、あれだけの素晴らしい曲を作った。
「運命」は、音楽家でありながら、難聴の病に冒された時の絶望を音楽にしたもの。「苦難を突き抜け、歓喜に」「良く、かつ高貴に
 行動するものは、その事実によってだけでも困難に耐えることができる」などの言葉がある。 絶望を通り抜たからこそ、あの曲が
 出来上がったのだ。 君たちは恵まれている。しかし、それに甘んじていてはならない。「社会という緑の原野が君たちを待っている!」
 だから、学生である現在、灰色の世界(学問の世界)で、多くを学ばねばならない。≫
この感動的な教えを聞いて将来に明るい陽ざしを感じたのは初めての経験。それも高度成長期の最中である。その日以来ドラッガーの書を
必死に読み始めることになった。自分の強みを見つけ、自分の資源を集中すること。マーケッテングを優先すること。紳士的であること。 
他にもアメリカの経営書を多く読むことになった。 その何もかもが面白く、理詰めで、乾いた干乾びていた脳に吸収されていった。
教養課程の二年までは、日本の作家の書を中心に読んでいた。 が、それでも絶対量が少ないことに気づいた。 高校時代まで、
殆ど教養書を読むことがなかったツケが回ってきたことに気づくことになった。
 何で。このことを思い出したかというと、当時が一つの節目だったからである。そして現在、次の節目に至ったためである。
「灰色の世界から緑の原野へ、そして、原野を通り越して、大草原に出たのが、現時点」である。 アフリカの猿は原野の木の上から、
草原に進出し、二足歩行を始めた、という説がある。 そう考えると、第二、第三の人生こそ、やっと人間らしい生活が我われを
待っていると考えられる。 周囲は、既にエネルギーを使い果たし、抜け殻しか残ってないような人が三分の二??。
それも人生だが、緑の原野にいた蛇の代わりに、草原にはライオンもハイエナも豹がいる。振り返ってみて、学生時代に多く視点を得た。
緑の原野では、さらに多くのものを得た。そして、現在、草原に入った。 そこで生き抜くためには、ただ一つ、考えなければならない。
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3508, ユダヤ人の頭脳活性法 ー2
2010年11月02日(火)
 「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
*インテリジェンスとはー点と点を結ぶ能力 
  ーまずはP/28から
≪ インテリジェンス=考えるとは、そもそも何か? 考えるとは、点と点を結ぶ行為をいう。考える力は、
そもそも言葉や概念、知識などの量とは関係ありません。まず考えるためには物事をありのままに見る行為から始まる。
知識をたくさん持っているのに、考える力がない人が大勢いる。知識と考える力との間には直接の関係はないのです。
最近ではインテリジェンスということばを「情報」と訳したりもしています。だがインテリジェンスは情報ではありません。
Intelligenceというのは、もともと[Inteー重なり、、際(きわ)」「legere(結ぶ)」という
二つのラテン語が合成された言葉です。きわときわを結ぶ、物事と物事を結合するという意味です。
スパイは、点と点の情報を結んで、線の情報を推理し、他の線と線の情報を結んで、面の情報を組み立てます。
そういう断片的情報をつないで、総合的な情報に組み立て、物事を総合的に判断する能力が知性なのです。
そして、この点と点を結ぶ行為こそが「考える」という行為です。 ≫
▼ インテリジェンスとは元もと軍事用語で、スパイが諜報で得た情報から線、面へ推論する能力。
 線と線を的確につなげるには、様ザマな能力が必要になる。そのために、まず「五感」を鍛えなくてはならない。
点と点から線を推論し、他の線と組み合わせて面を推論、その面を幾つか重ねて立方体を推論していく過程を考えること、
というと、分かりやすい。この著で、ラビ・レオポルド・スティンは「インテリジェンスの人というのは、
まずオープンマインドで、しかも積極的に記憶して、そして常に体験してみる人のことだ」と指摘している。
それは、点、線、面、立方体へと考えを進めていくことになる。その視点で、もう一度、自分も含めて周囲を振り返ると、
インテリジェンス人は稀のようだ。せいぜい点と点を結んで線にして、それで止めている。 佐藤優の本を読むと、
点と点から線を、線と線から面、面と面から立方体へと推論を組み立てている思考に驚かされる。
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3133、現代の結婚事情
 2009年11月02日(月) 
 この世知辛い世の中で、男も女も結婚相手を見つけることは大変である。
私の世代の男は、少し下の年代が団塊の世代のためイメージとして男女比が2対3で恵まれていた。
それにしては??。 最近の結婚の大変さには同情する。 世の中の男の格差の問題もある。 
以前は三高といって高学歴、高収入、高身長(ちなみに三低は低趣味、低収入、低学歴)だったが、今では
・女性からすると
 3低 =低姿勢(レディーファースト)、低依存(束縛しない)、低リスク(リスクの低い職業・公務員など)。
 3C =コンファタブル(快適)、コミニケーティブ(理解しやすい)、コンポレーティブ(協力的)
・男性からみると、4K =可愛い、賢い、家庭的、軽い(痩せている) という。
 収入問題などで、ますます晩婚化になっているが、歳を重ねると、プライドだけが高くなり、
 自分の品との段差が開いていくから、始末が悪い。
人生を振り返ると、両親、連れ添い、そして仕事の相性で、8割方が決まる。
その中で、結婚は私生活の大部分を占めるから大問題。 姉の一人が「結婚は大事業」と実感を込めて言っていたが、
その通りである。 最後は、性格の問題になるが・・・ 一生を添い遂げるのも芸のうちである。 
神様は最も合わない相手を結婚相手に選ばせるように人間をつくり上げてきたという。 
それにしても面白い罠を人間に与えるもの。 人生とはレッスンというより修行である。特に結婚は荒修行!
 ――
結婚といえば、^カリール・ジブラン「結婚」ーの詩が良いー
 師よ、結婚とは何でしょう。
師はおっしゃいました。 君たちの魂は一緒に生まれたのですから、いつまでも一緒にいることでしょう。
死の白い翼が君達の生涯を離れ離れに散らせてしまってもやはり一緒におりましょう。そうです。君達は神の沈黙の記憶の中でさえ
一緒にいることでしょう。けれども君達の「一緒」の間には隙間がなければいけません。
君達の間を天国の風が踊って吹きぬけなければいけません。お互いに愛し合いなさい。でも愛のきずなをつくってはいけません。
君達の魂の岸辺と岸辺の間には、波のうねる海があるようにしておきなさい。
お互いの杯を満たしなさい。けれども一つの杯で飲んではなりません。お互いに君達のパンを分かち合いなさい。 
でも同じ塊のパンに一緒に口をつけてはいけません。一緒に歌い踊りよろこびなさい。でもお互いは別々の人なのです。
リュートの沢山な弦は同じ音楽をかなで出しますが、皆一本一本、別の弦です。君達の心を与え合いなさい。 
でもお互いの手の中に包みこまれてはいけません。生命の手だけしか、君達の心を包みとることは出来ないからです。
一緒にお立ちなさい。でもあまり近くにくっついて立ってはなりません。寺院の柱は皆離れて立っていますし、樫の木やいと杉は
お互いの木蔭の中では大きくならないものなのです。
 ―カリール・ジブラン『預言者』(佐久間彪訳、至光社1984年)より―
{「我われ夫婦の間には浅くて広い河がある」と常日ごろ実感しているが、これで良かったということ?]
                        夫婦間というより人間関係の基本でもある。
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2768, 半歩遅れの読書術 −2
 2008年11月02日(日)
 【 出久根達郎 】
  彼の記述にある「井上流 本の読み方十箇条」が面白い。 井上ひさしの『本の運命』に、紹介されているが、
  ここでは二つしか紹介されてなかったのでネットの検索で調べた。 以下のとおりである。
   ーー
一、「オッと思ったら赤鉛筆」。ーこれは万人が実行している。
二、「索引は自分で作る」。ー大切な言葉や事柄に関する索引を本の扉や見返しに つけておくとよい、という。
   思いつかなかったが早速、実行することにする。
三、「本は手が記憶する」。ー「書き抜き帳」を一冊作ってそこに何でも書き込ん でいく。
   大事なのは手で写すこと。そうすると手が自然と記憶する。
四、「本はゆっくり読むと、速く読める」。ーどんな本でも最初は丁寧に、登場人物の名前や関係を、抑えながら読むといく。
   そうすると書 いている人の癖が分かって、その後が読みやすくなり、結果的に速く読める。
五、「目次を睨むべし」。 ー目次は全体の構造の見当がつく。
六、「大きな事典はバラバラにしよう」。 ー分厚い事典は持ち運びが便利なようにバラバラにする。
七、「栞は一本とは限らない」。ー井上ひさしは本を買うとまず、タコ紐の栞を三本ほど貼りつける。
八、「個人全集まとめ読み」。ー個人全集を集中して全部読むと、著者の言葉遣いや書き癖などが分かっておもしろい。
九、「ツンドクにも効用がある」。ー本との運命を大事にする。本は「買おう」と思ったときに買っておく、これが鉄則。
   そして机の横にでも置いておくと、不思議なことに本の方から「読め 読め、読め読め」と言ってくる場合がある。
十、「戯曲は配役をして楽しむ」。ー戯曲を楽しむためには自分でキャスティング すると良い。
   ーー
  以上だが、これとは別に「本は撫でてやると、所蔵者にささやいてくれる」という。成程、その辺は合点がいく。
 そのためには、図書館で借りて、これは!と思ったら迷わず買うことだ。
 出久根によると、井上やすしはかって、日本で発行される書物と雑誌を、一冊残らず買い求めていたという。
 200冊か100冊か、全部毎日買い求めたというから、たいていではない。 井上は本を買うとまず暇そうな喫茶店に入り、
 一冊20分くらいかけて目次を見 たり、ところどころ読んだり、栞(後述参照)を貼りつけたりするという。
 そしてこれを「僕と本との新婚旅行」(98頁)と呼ぶ。こうして一回撫で回すと、本が彼に向かって話しかけてくる。 
 「この間、目次見たでしょ」とか、「そのことは私の中に書いてありますよ」、と。
 結局、そうこう考えると、テクニックというより絶対量をこなすほどの愛情がなければ!ということだ。
 出久根は、この文章の終わりに作家の福永武彦の名言で閉めている。
【人に人徳あれば本もまたこれに従う】 読書だけでなく、全てに言えることだろうが。
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 2007年11月02日(金)
  2404, 久世塾                     ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ
   図書館で面白い本を見つけた。
   電子書店の紹介文をコピーしておきますが、これを読んだだけで如何に面白い内容か理解できるだろう。
   12回で24万円の講座に120人も集まり、一年にわたって開催されたもので、一人一人の講師がまた多彩である。
   それを一冊に纏めてあるから凄い本になって当然である。この一冊でシナリオライターの世界を深く垣間見ることが出来る。
   そこには色いろな人間観や、哲学、道理が深く含まれている。 シナリオライター塾というより、人間塾といった方が
   よいぐらい深い人間洞察が含まれている本である。シナリオライターは、時代の人間の本質の深いところを、
   面白おかしく提示しなければならない。 現場は血みどろにならなくては感動が生まれるわけがない。 
   一人一人の講師の話が生々しく言葉が深い。 さっそく、アマゾンの中古本を発注した。
  ーー
 久世光彦/著 大石静/著 内館牧子/著 竹山洋/著 
  (以下字数制限の関係でカット09年11月2日)
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2006年11月02日(木)
2039, 猫撃退法    1∧11∧    (ΦωΦ) ニャ〜ン
隣に「猫のブリーダー」が引っ越してきて5〜6年経つ。 
それ以来、我家の庭やベランダが近所の猫の集会所になっている。水をかけたり石を投げても、全く効果が無い。
ブリーダーが知人の同級生ということもあり、露骨に文句も言えない。 そういう人には知恵があり、
近所の陰口屋に上手く取り入ってしまう強かさがある。 そこでインターネットで猫撃退法を調べてみた。
「ペットボトルやコヒーかすなどの猫よけ策のほとんどは殆んど効果なく、センサーで鳴るブザーやスプレーなども
一時的な効果しかない。目先の一時的なものは直に『猫にも見透かされる』」というのがHPに書いてある大たいの結論である。
  (以下字数制限の関係でカット10年11月2日)    サイニャン (・x・)
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2005年11月02日(水)
1674, うそつき−2
面白そうな所を書き写してみた。 何げない言葉の中に鋭い深い意味が入っている。
 私の評論も入れてみた。
 ・人は自分にうそをつくために他人にうそをつく。
  (評)−他人に巧妙にうそを仕掛けるために、まず自分にまず巧妙にうそをつく。
    もう亡くなったが、身近の人の実演を見たことがあるが、迫真の演技だった。
    のっけから騙そうと筋書きを書いて、そのとおり演じ、その演技に自分が酔いしれてしまう。
    そうでもしなければ金を騙し取ることはできないが。これは他人を騙すために自分をまず騙すケースか?
 ・人は自負心を保つために自分にうそをつく。
  (評)ーこれもどこでもあるうそである。特に女のそれは凄い。
 ・人間は、自分のいうことを自分で『信じている』ときに、より効果的なうそをつく。
  (評−効果的なうそを言うために、信じるまで自分に言い聞かせている人間を何度見た。
 ・うそをつく人間とつかれる人間の両者が共謀して事実を歪曲する。
  (評)−会社の責任の擦りあいなど典型だろう。
 ・うその基本的技法は相手の聞きたがっていることを語ることである。
  (評)−なら女性などには、うそを言い続けなくてはなるまい。 また、それが一番よいのだろう。
 ・人が真実のなかに求めているのは『いいニュース』だけ。
  正真正銘の真実を聞かされて我慢できる人間はそうはいないものである。
  (評)−そうか、自分は真実をいいすぎて嫌われているのか。
 ・うそを語る特権なしには、文学をはじめとして芸術の世界は存在しない。
 ・自分にうそをつくのが下手な人は、うつ病になりやすい。
  (評)ー鬱病者は、自分に正直すぎるんだ。寝る前に今日は楽しかった!と、100回自分にうそ?を言えば良いのに!
 ・人間の語る身の上話などというものは、いかに筋が通り、一見もっともらしいように思われるものでも、
  その人の過去の歴史的事実など重要でない。
  (評)−渡りのホステスなど、聞いていて??
 ・人はうそをつく能力は高いが、うそを見破る能力は低い。
  (評)−私の場合は、逆のようだ? 採用面接で、ほぼ騙されている!?
 ・警官、税関検査官などのうそを見破る能力は、一般人となんら変わらない。
  (評)−ただ場数を踏んでいる!
 ・権力を求める政治家には自己愛的な人が多く、その人格特性がうそを助長する。
  (評)−庶民も、騙されることを望んでいるから始末が悪い。
 ・病的なうそつきは、脳の機能不全と関連のあることが多い。
 ・うそが非道徳的とされているのは、権力構造の維持に役立つからである。
   (以下字数制限の関係でカット10年11月2日)
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2004年11月02日(火)
 1309, 23歳の日記 −2
社員教育が終了して、現場初日の日記である。
当時の澄んだ視点と、不安一杯の気持がそのまま出ている。 それと、冷静に見ているところが面白い。
当時は、高度成長期の真っ盛り。大卒の新入社員を確実に確保する為、一ヶ月前の3月1日に新人教育に入っていた。
卒業式の休暇はもらえたが、その辺のことも日記に書いてあった。 遥か彼方の記憶へタイムマシーンにのって、
当時に、よみ返ったような気分である。全てが新鮮で、毎日がドキドキ・ワクワクの連続であった。
しかし激務と変化の連続で、限界を遥かに超えていたようだ。とにかく気持を書きのこすという事は、何か深い意味がある。
 ー1969年3月5日ー
現在、四日市市内の駅裏から歩いて10分位の男子寮にいる。同室は、「魚職人の寡黙の男の人」と、
同志社卒の一年アメリカに遊学してきた大人しそうな堀田という人」だ。この人とは、いやに気が合う。 
虚無的な、それでいて一言一言が哲学的な味のある男である。一人でワインを買ってきて、フランスパンを
食べている。何かホッとした。今朝は、8時に起床をして、寮での食事後、会社へ出発。初仕事である。
始めは主任会議に出席して紹介される。その後、全社員の前で辞令を交付される。自分でも驚くほど緊張をしてしまった。
午前中は、本店店長の説明がある。午後は、管理係長の説明、その後の15時半より実施訓練。全神経を使ったためか、
疲れてミスを重ねる。直接の上司の松又さんという人は温厚で面倒見が良い。初めから良い人に当たり幸運だ。 
しかし、それに甘えないこと。湯の山の研修にしても、昨晩にしても最低の失敗をしてしまった。
何か自信が無いのか背伸びをしているようだ。関大出の倉谷という同期に帰りの喫茶店で批難される。
「お前は、硬く考えすぎだ、そしてコチンコチンだ」と。 まあそうだろう。 敵を作らないことだ
・・・・・・・
2003年11月02日(日)
942, ドウデモいいことだが!
ー昨夜「長島ジャパン代表」と「王プロ野球選抜」の対戦をみながら書いた文章であるー
 TVで「長島ジャパン代表」と「王プロ野球選抜」の対戦を放映している。もちろんプロ選抜は二流どころだ。
それでも王選抜が八百長をしない限り勝つのは当然である。金で超一流を集めて、監督としては?の長島が選定したチーム。
真剣勝負から遠ざかっていた感覚と勘で勝つわけがない。まあ、お祭りだから仕方がないが。
東尾が解説で「日本選抜がつよいに決まっている」といっているが、そのことをまさか解説ではいえないだろう。
 二流でも監督の質と今の状況をみても、王のチームが勝つに決まっている。
結果論を言っているのではないことを証明する為にこの文章を「引き出しのコーナー」に貼り付けておく。
今「プロ野球選抜」が逆転をしてしまった。「日本野球の文化を守る為に闘う」といか長島がコメントをしていたが、
何を言っているのかこの人、自分でも解ってない。「日本野球を駄目にしたのが、貴方と読売の渡辺恒夫だろう」
これではアジア予選で終わってしまう可能性がある! 皮肉でなく本当だ。いまの自民党と同じである。
 負けた場合を考えて、日本のプロ野球が完全に否定されないことを考えて、長島をたてたのだろうが。
「まあ長島なら仕方がないか」でごまかせるためだ。ドウデモいいことだが!   20時35分
・・・・・・・・・
568,ペイオフー断末魔

  • 2002年11月02日(土)

現在竹中大臣と銀行の国家管理」?を主張している元大蔵官僚の木村剛氏の書いた話題の小説の「ペイオフ」がシビアである。
一連の大蔵官僚と政治家の実体が辛らつに書いてある。 まだ半分しか読んでないが、 この小説はすでに2年前に書かれた
「通貨が堕落する時」という単行本の文庫版だ。  多くに人に見てもらうために早めに文庫版にしたという。
この二年の時間を経った今、更に悪化して小説の内容の同じように壊滅に?向かっている。
それでも政治家と金融関係者は自分の権益を守ろうとしている姿は末期の現象そのものである。
もう手遅れかもしれない。あの地銀の不思議な一連の動きが解ってきた。実情は隠れた不良資産の在庫が多く残っている。 
それを処理する為に取れるところから阿修羅のように引き剥がさざるを得ないのだ。それと金融監督庁が大蔵省ー財務省から
独立して銀行に手心を加えなくなった事もある。なるほどと1人合点がいった。これから辛らつな貸しはがしが露骨になる。
それと倒産ラッシュが吹きまくるが仕方がないこと。どうにもならない時代だ、悲観でない。あのゼネコンが次々と潰れるのだ。
株価100円以下の企業はどれが先にいくかの世界だ。そうすると銀行の幾つかが国家管理になる事は必定。
政変が起こるが、といって受け皿はもっと悪くなる。それを繰り返しながらハードランデングしていく。
気の小さい国民性か、アメリカにより精神の中枢をやられた戦後日本のつけがここで清算の時期にきた。
情けないと他人事にいっていられなくなってきた。 このレベルが日本なのだろう。
「皆で渡れば怖くない!ここは地獄の三丁目、よいよい」とジョークも飛ばしたなる。
是非「ペイオフ」を読んでみる事を薦める。 もう本屋に平積みをしてあるはずだ。
一日一日舵取りをしていくのが今の日本の姿だ。日本的社会主義者の大元の末期としてみると面白い。
 ・・・・・・
[213] ーゲゼルシャフトゲマインシャフト
 ー 2001年11月02日(金)ー
ゲゼルシャフトー会社とか公務員の契約社会・組織をいう。
ゲマインシャフトー血族とか趣味とかの同好家の集団・仲間をいう。
 これが解ってないと同属会社などの弊害が出てくる。 その中間の中途半端な組織ができてしまう。
中間のケースも勿論あるだろうが、その場合は「ゲゼルシャフトを基礎においたゲマインシャフトか、
ゲマインシャフトを基礎においたゲゼルシャフトなのか」明確にしておかないといけない。
 これを明確にしておくと、社会組織の構造の一端が見えてくる。大組織でも、鹿島建設など同属会社も例外的にあることはある。
ゲゼルシャフトの会社に、サークル的なそれ(ゲマインシャフト)を求めている二代目や甘い経営者を時たま見るが、
恐らくこの知識がないのだろう。 学生の時に得た知識を述べているにすぎないが、組織論の基本でもある。
カナダの観光地で若い人の働き手は、学生アルバイトだ。 カナダは親の務めは大学の入学まで。
あとは首相の息子であろうが、働きながら卒業するそうだ。それも社会契約だ。少し違うか?