昨日届いた、この手紙を公開してよいものかどうか一日かけて考えた上で判断をした。
私の40年ぶりの問いかけに充分に答えてくれた内容で、これだけ心がこもった手紙を貰うのは初めて。 
‘学生時代の卒業間近に真剣に対話した延長線上だからである’。 それとキャリアとしての転勤生活で
鍛えられた人生の極みの経験してきたから感応したのだろう。 学生時代の友人との対話というより、
高潔な精神と魂の対話をさせて貰ったような気持ちである。 私にとって一期一会の対話になった。 
 それだけ良い学生時代を過ごしてきた証明にもなる。  
  ーー
* 奥野君からの手紙
  
お懐かしい堀井さんのお便りを頂戴し学生時代の記憶が一気に甦りました、
 本当にお久しぶりでございます。合気道の道場、同志社学習院への合同稽古、
合宿打上げ時の泥酔・不味い学食・ご自宅に泊めていただいての佐渡旅行等々
四十年前の皆さんのお顔と行状のあれこれが懐かしく浮かんで来ました。
 堀井さんは当時から将来は事業家の道を目指して行くのだろうなと私なりに思っていました。
どうして?と問われれば・同僚に比べて社会経済の出来事への関心が強かったとお答えします。
その方向に真直ぐに進まれたのですね。しかも大成功されて本当にすばらしいですね。
プログも拝見させていただき堀井さんの人生の一端を垣間見ました。暖かな生活が伝わってきました。
 その後の小生ですが資生堂に入社し最初の赴任地名古屋をスダートし所沢、福岡、東京、札幌、仙台、
名古屋、広島、東京、仙台と転勤族の暮らしを送り、56歳時に早期退職をして現在地に居を構えました。
最終の役職は支店の責任者でした。50歳台に入ると親しかった先輩、同僚、後輩等が次々と鬼籍に
入られるようになりその方々の浬繋のお顔を拝む都度、 一度の人生を思うように生きられましたか、
満足されていますか という思考が強くなってきました。 
仕事は化粧品の製造、販売業務なので二十歳前後の若い女性が多く気持は若く、楽しく送れた自負しています、
が人生の残り時間があとわずかになってきたと感じ始めると、時が無性に愛おしくなり、
100%の自分の自由時間をはやく手に入れ、日ごろより感じていた、生物として本来の姿、
自然の中で自然と共に暮らそうと決めた次第です。
 日常生活は太平洋の日の出をワンちゃんと一緒に拝み作った野菜を食し蔵王連峰に沈む夕陽に
1日の健康を感謝する毎日です。
 趣味は海釣りとゴルフです。自宅のすぐ目の前が海です。阿武隈川下流域にて魚影が濃く、
黒鯛、サヨリ、ヒラメ、カレイ、海タナゴ、アイナメ、スズキ、ハゼ、イシモチ、アナゴ等々を
釣ってきては命をいただく感謝をしながら食しています。季節とともに変わり行く波と風と海水の濃淡をみて
釣り時をきめます。時の刻みが止まっているように思える一時です。
ゴルフはシーズン30-40回といったところです。自己目標が年1回以上30台のスコアーをだすということでやってます。
ちなみに今季は5月に38が出て満足しています。
 家族状況ですが29歳の時妻を娶り子供は息子が一人です。 妻は若かりし時準ミス瀬戸で容姿は
それなりだったのですが6年前に○○○○を発症し・・・。
最新治療を受診しているのですが自己免疫疾患の為大変厄介な病気です。 現在私のサポートが少々必要な状態です。
 そんな事情で立教会や同窓会といった宿泊のともなう集いは参加を断念しています。
息子は堀井さんの八と同じように名を新八(しんばち)といいます。 
丸の内の○○生命国際投資部で海外債権の売買業務に携わっています。平均睡眠時間は4・5時間との事です。
親より出来がよかったのはカミサンの弟が岐阜大の教授をやっているのでそのようなDNAをすこしばかり
ひきついでくれたのかなとおもってしまう親馬鹿です。
ざっとした近況ですが一献傾けながら積もる話をしたいと思いつつ先の事情でそれもかなわず拙文とあいなりました。
状況が好転したらぜひお会いしたいですね。  堀井さんとご家族のご健康をお祈りいたします。
              7月28日       奥野和男
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* 奥野君への手紙        
                                2009年07月22日 
                   (今日、本人の手元に届く)
 学卒40周年記念に参加をしてクラスの名簿に貴君の名前をみて懐かしく、手紙を書いています。 
卒業前の半年間(S43・9〜44・2)日記をつけており、それを20数年前に倉庫の隅から見つけ出しました。 
書いたことすら忘れていたので、タイムマシーンで当時に戻ったような気持ちで読み返しました。 
8年前に始めた私のHPの中央の下にある分類のブログに書き写してあります。
ブログに同月同日に毎日載せたものです。 従って、毎年半年は、当時の日記を毎日読み返しています。
その時に、貴君が、あの馬小屋のような寮に卒業間近かに訪ねてきて、これから社会に出るにあたって
多くを語ったことや、佐渡に広瀬君などとご一緒したことを思い出しています。 
 先日の会では石川譲治君や、服部学園の園長の染谷(服部)、川村、福田君などの顔が見受けられました。 
その前日に銀座に合気道の面々が集まり、一杯やりました。 三崎、木矢、伴、鈴木(加藤)、高杉です。 
三崎さんは10年前まで、新潟に16年近く転勤できていて、2〜3ヶ月に一度のわりで古町などで酒を飲んでいました。 
 ところで私は、その後
ジャスコに一年在社後に、
産業能率大学に途中編入をし、
・その後金沢の「いとはん」(その後ジャスコに吸収)に一年半在社、
・千葉の郊外に貸しビルをつくり、その中に居酒屋の養老の滝のFC店と、やはりFC店の焼きたてのベーカーリーを
 二年間従事(その当時に結婚)
・家の事情で実家の事業(衣料量販店と衣料専門店)を5年間従事をし、
・34歳から新潟駅前でビジネスホテルを30年近く経営をしています。
 2001年の9・11のテロと、去年の9・15の金融恐慌以来、苦戦をしていますが、何とかやっています。
  どちらかというと、創業屋的な人生だったと思います。 
 30歳前半までに問題を吐き出し、後半は、それまでの勢いで何とか辿り着いたというところです。
 ところで、貴君の住所をグーグルアースに入れてみたら、仙台空港の南10キロほどの漁港のようなところで驚いています。
資生堂に入社して、都会にドップリと浸かっているかと思いきや、その正反対の場所で。 
実際のところ、東京のアスファルトジャングルなどより、遥かに良いことは、新潟飛行場の周辺をみれば分かります。 
それだけでも良い人生を過ごしてきた貴君の姿が目に浮かびます。(それぞれに価値観があるでしょうが) 
何かチャンスがあったら、会うのも面白いでしょうね。 それでは、お元気で。 
あの日語り合った、延長の気持ちで思いのまま書いてみました。     堀井八郎  

 追文)8年前より、ブログを開いています。 暇のおり覗いてください。検索に堀井八郎を入れると出てきます。
    当時の写真や、先日のクラブや、同級の二次会の写真があります。 
    分類には当時の私の日記があります。  〜 22・23・24歳の日記のコーナー〜

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2675, 東西が逆転を始めた! だと
2008年08月01日(金)

  十年前、いや数年前まで、「東西逆転」という言葉など思いもよらなかった。
  この随想日記で書いたことがあるが、重心は地球を周る。「モンゴル、トルコ、欧州、
  そして現在はアメリカのエネルギーが、次は中国、インドになる」と。
  紆余曲折があろうとも、その流れになりそうである。アメリカの大統領の、あの男と、
  その背後のユダヤの諸々の事情、そう「9・11事件」で、事態は根こそぎ動き始めたのである。
  情報化もあるが。  アジアには地球の半分の人口が存在している。
  その中国と、インド、そしてロシア(シベリア)に重心が移動始めたのである。
  これで俄然、娑婆が面白くなってはきたが、そのハザマにある日本は
  人口減という均衡縮小で対応するしかないのか? それもいいだう。
 〜〜〜〜
「東西逆転―アジア・30億人の資本主義者たち」ークライド・プレストウィッツ著
  ー背表紙裏ー
 2009年9月20日、東京・霞ケ関。その日、日本はドルの公式保有高がついに二兆ドルに達し、
 政府は保有外資をユーロなど複数通貨に分散することを決定した。中国政府もこれに同調し、
 OPECは通貨バスケットによる石油価格に移行、ドルの大暴落が瞬く間に世界を席巻する
 ―躍進する中国・インドの陰で、囁かれるアメリカ衰退のシナリオ。
 三〇億人のキャピタリストを擁するアジアではいま、何が起こっているのか?そして西側諸国は、
 今後も繁栄を享受できるのだろうか?グローバリゼーションの第三の波をうけ、
 東西逆転が現実のものとなりつつある今、世界経済の新たなビジョンが求められている。
 はたして日本は、ドルと心中するのか、あるいはアジアのスイスとなるべきなのか―。
  〜〜〜
「ドルの価値が半分になったら、日本はどうするのかな」
「それはつまり、日本の持っているドル資産が半減するだけでなく、アメリカの軍事力が縮小し
米軍が日本周辺を守ることもできなくなるということだ」と今後6、7年以内にドルの暴落を含む
国際経済危機が起こる可能性について刺激的に語っている。
 第二の革命ともいえるインターネットや宅配サービスの普及で時差や距離はもはや障害ではなくなった。
インターネットがあれば、デジタル化できるもの全てが2秒で世界中のどこへでも送られる。
現在高給をもらっている日本や欧米のサラリーマンはどうやって競争するのか。
そのうち、インドや中国と「東西逆転」が起こり低収入・低スキルの仕事しか西側がありつけなくなる可能性もある。 
「ドルが半分の価値」になる危機を、二年前のこの本で問題定義しているが、現在では何時暴落してもおかしくない!
確かにアメリカ経済は消費を中心にした成長構造になっている。
 クレジットカードは簡単に発行され、住宅ローン金利の課税は免除、輸入品にオープンな市場であり、
金融政策で需要を喚起して成長を促す政策など,その他あらゆる枠組みが消費を奨励するよう方向付けされている。
その結果アメリカ人の個人貯蓄はゼロであり、既に世界の貯蓄のうち約80%を使っているアメリカは、
高い金利で外国から金を借りている。もちろん、貯蓄自体に限界があるためこの状態が永遠に続くことは不可能だ。
しかし負債の蓄積はアメリカだけでなく世界の経済成長への脅威となるだろう。
  中国や日本が資金を貸してくれる以上、この状態を続ければいいではないかという声も多い。
確かにアメリカは国際通貨であるドルを印刷する国として特異な立場だ。世界のほとんどのモノは
ドルで値段がつけられておりアメリカはそれを買うためにドルを印刷すればいい。
そして他の国は何かを売ってドルを得なければならない。世界の国々がドルでの支払いを受け入れ、
それをドル資産に再投資する限りアメリカはどれだけ貿易赤字財政赤字を垂れ流してもいいのだ。
 他国までもが、アメリカは財政を均衡させる必要性がないと感じていることに、氏は懸念を抱く。
アメリカを見てみれば、貯蓄や投資やモノ作りをしなくても、他国からモノを買ったり金を貸してもらえるのだ。
また他国から見れば、為替レートを管理してドルを強く保ち、自国の輸出値段を安く保てば、
更に貯蓄を増やし過剰な投資もできる。なぜなら余剰に製造したものはアメリカ市場へ売ればいいから。
但し氏は、この世界経済成長スキームに限界がきている、という。
 〜〜後記〜〜
この本の結論としての最終項でl非常に興味ふかいことを提案している。
NFTA、日本、インド、中国、EUと多極的な世界になるだろうし、日本はカナダ、アメリカ、カナダの枠組みのNFTA
の経済圏に入るか、協調を強くすべきだと。NFTAを統一したドル圏とすべきだと。現在の日米の経済に関する
相互の不信感をぬぐう協定をしっかりすれば色々な問題は解決するのではないかと? 
欧州のような国が実現しているのだから・・ 考えたことが無かったが、中国に飲み込まれるより、
アメリカと独立を保ちつつ、経済圏としてカナダ、メキシコと同じ立場を保てれば、一考に値するのかもしれない。

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2007年08月01日(水)
2311, カント ー世界の限界は経験可能か?−1  (*´・ω・)ノはよー  
    『カントー世界の限界を経験することは可能かー」熊野純彦
                                   ー読書日記ー
 カントは難しい。ここでも何回か書いてきたが・・・
トルストイをして「何度読んでみても、サッパリ解らない」と言わせしめるほどである。
「それまでの哲学をカントで哲学を収れんし、その後の哲学は、カントから始まる」と言われている。
亀のようでも良いから少しずつでも理解してやろうと5年ほど前に決意。ことあるごとに、
噛み砕いてあるカントの本や、各種の哲学書の中のカントの章を読んでいるが、それでもサッパリ解らない。

私が、カントの属性(クル病とか、生活の規則正しさとか・・)でなく、哲学のエッセンスで解りえたのは、
・合理主義を経験主義を統合したこと
・「し・な・の」と憶え、『人は何処まで‘知り’えるのか』『人は‘何を成すべき’か』
  『何処まで‘望みえる’のか』  という人間の根本を追及していた。
・カントを説明する上で、ある哲学書が一枚の絵を紹介していた。
 −雨上がりの草原に小さな二人の姉妹がいて、マンドリンのような楽器を盲目の一人が弾いている。
 その逆側の娘が盲目の娘の肩越しに、雨上がりの草原の虹の景色をみているー
 この絵は、雨上がりの草原で若草の匂いの中、好きな楽器を弾いているが、
 眼がみえないため、虹と草原の美しさを知ることができない。
 人間は、その機能の範囲でしか対象を認識できない!ということである。
 世界の限界を経験しても、その限界を超えることは出来ないということだ。
・現象は、それぞれカラーのサングラスをかけてしか見えないし、その色に限定されるということである。
 −−−等々である
  以上の簡単なことを知るのに、悪い脳で必死に取り組んだ結果である。
 
 先日借りてきた『カントー世界の限界を経験することは可能かー」熊野純彦著ーNHK出版ーが、
シンプルにカントのエッセンスを抜き出してあった。110頁ほどの本だが、視覚的にスウ~ッと入っていける?
読んでいると、何か何面体かの球状鏡に色いろな意味が照り返しているような気持ちになる内容である。
一度借りてきたことがあったが殆ど読まないで返してしまった。今回が、もう一つカントを理解するうえで、
丁度良いタイミングなのだろう。 それとノロマながら、先ほどのことを、さらに一歩解りかけてきた。

 次回から、少し手間がかかるが、私の知的レベルに下げて、
 這いずりながらも意味を掘り下げてみたい。その為に、中古本だが注文をして読み始めた。
 何度も何度も繰り返し書き込みを入れないと、とうてい歯が立たない。
 哲学は、脳の中枢の情報えり分けや、吸収の根幹に関わるので、避けて通ることはできない。 
 考えること、それが哲学である。 そして考えること、それが人間としての姿だからだ。
 「なに考えてんだ?自分は!」「なに考えてるんだ?あなたは!」と、何時も自分に、
  他人に問いかけているわりに考えるということを考えてない。そして、晩期になって、
 「自分は何をしてきたのだろうか?」と、悶絶をする。もう始めている? 本当にご苦労様です。
                ホナナァ☆ |・∀・`@)ノ|Ю  
 ・・・・・・・・・
 2006年08月01日(火)
  1946, 満水の阿賀野川河口でカヌーに乗る−2

            Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
その日(7月29日)の夜、松下さんと長岡市の駅近くの「一心堂」というスナックで飲んだ。
そこで、
阿賀野川の河口で帆付きのカヌーで向う岸に渡ってきた」と、酔っ払いの自慢話。
ところが、マスターとスタッフが、そこをよく知っていて、 
「大きな川の河口は恐ろしいところで、あそこではエンジン付きの舟以外は誰も乗らない。
知らないだけで、とんでもないこと。何も知らない子供が、寝ている虎の背中に乗って遊んでいるようなもの。
少しでも川の流れが変化したら、どうなったことか・・・」と、呆れていた。
翌日、会社で近くに住む人に話たところ、もっと厳しい指摘。
「あそこは海の波と川の波がぶつかり合っていて、いつどういう波が来るか分らないところ。
 毎年何人か死んでいる。そのため誰も泳ぐ人もいない危険地帯。
 この豪雨の翌日にカヌー遊びなど危険とかいう問題ではない。」
流木が多く流れていて危なそうだと思ったが。誰も泳いだり、ボートなどに乗ってないはずである。
松下さんは海が主流で川では乗らないといっていた。さらに大きな川や、その河口も初めてと言っていた。
知らぬが仏だったのか。 たまたま、そのような幸運なTPOSを遭遇したのか。
 カヌーも経験すればするほど深い世界であり、のめり込んでしまうという。
一人でカヌーを持って海・川に行き、組み立て、そこで遊び、また解体して車に積み込み、
一人で帰ってくるのが良いという。 こういう趣味を持っているのは羨ましい限りである。
おまけに、河口湖に別荘を持っていて、そこでカヌー遊びなど・・・
人は人、我は我だが・・・  こういう人の趣味などで羨ましいと思った時、
自分の趣味を持っていると余裕を持てるからよい・・・
 「趣味は、その人をそのまま現す」というが、そのとおりである。
  永年かけて一人で自分の世界を作り上げていくプロセスを楽しむもの・・人がとやかくいう世界とは別物。
*(ところで、一心堂というスナック開業70年という店。 私の母とマスターの母が同級生。
  その上、私の兄とマスターも同級生ときている。こういう老舗が地方都市には多いが、最近どんどん廃業している。
  このテーマと関係ないが)
                 バイヾ( ̄ー ̄ヾ))))