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2005年06月22日(水)
1541, わたしの酒中日記−9
金沢ー5 ー1972年5月某日
先日、東京の東京女子医大に父を見舞う。 その数日前に一番上の姉の正子さんから電話があり、
「父が癌で手術することになった。しかし悪性で長くて一年」という。
看護をしていた母の話だと、10時間以上の大手術だったそうだ。執刀が、あの有名な中山先生だと聞いた。
この会社も数ヵ月後に辞めて、「千葉の千城台の土地」で、何か事業を始めることになるだろう。
(一昨年、産能大学時代に新聞で売り出し広告を見つけて応募。
抽選で当たった千葉土地供給公社の商業地の一角の土地。 父に投資に良いと買わせた土地である。
三年以内に建物を建設する条件付きで、再来年そこで事業を始める含みがあった)
それより、父があと一年で亡くなるとは!信じられない思いである。父は私の最大の後ろ盾の人だ。
金沢に帰ってきて、同じ店にいる同期の井上と酒を飲む。兼六園公園の裏手にある洋風のパブだ。
昼は喫茶店、夜はパブになる店で、何度か来たことのある店だ。
なんともセンスが良い情緒のある店。 彼が学生時代から通った店である。
井上は金沢大学を出た寡黙の男で、会社では一番気心がしれている。
昨年暮れ大学時代の同級生と結婚式を挙げた。もちろん出席したが、今村という姓から井上に変わった。
どういう訳か気が合う男だが、私が辞めるということで少し動揺したようだ。いや、動揺したのは私の方か?
おそらく、近々に会社を辞めて独立の準備に入ることになる。いざ金沢を去ると思うと心残りがする。
が、といって限界でもあったことも事実である。 早々に荷物を送り返さなければ。
昨日は習いにいっている「茶道」の先生に、金沢を去る旨の話をする。
「独立をするなら相棒が必要なはず!」と、女の先生は執拗に聞いてくる。
「金沢では、女性に近づかないことにしていたが、良い人がいたらお願いします!」
と冗談で言うと、チラリと何時も来ている女性を見る。
美人だが、こういう席では色気を考えては続かないので意識はしてなかった。
が、改めてみると背が高いが私のタイプの美人である。
こんな美人なら、もう少し意識をしておけばよかったが。 その後・・・???
もう一人、違う日に来る美人がいたが・・か?あと数回では、時間がたりない。
愛は決断だが。何も知らない人に決断も何もないか。 急ごしらえは無理だ。
金沢では、際どいことはなかったが? これまでも何回か決断出来なかったのは、愛でないということだ。
結婚相手を真剣に考えている余裕はなかったのが事実だ。 会社の人は今ひとつだし??
??部長の娘に引き合わされたが、あまり好きなタイプではなかった。まだ機が熟してなかったのだろう。
学生時代、多くの女性に接する機会が多くあった為に、常に冷静?になれたのだろう。
それと「束縛されるのが死ぬほど嫌な性格」もある。
また、「自分の姉達よりも相手の基準を落とせない意地」もある。 友人は人生の伴侶を気楽に決めるが、
傍でみていて「本当にそれで良いの?」と、思ってしまう!人が多い。
一生付き合う人を簡単に決めてよいのだろうか?それを麻痺させるために恋愛感情を神は創られたのだろうが。
それにしても何度も書くが、金沢は美人が多い。
父があと一年で亡くなるとは信じられない。家が複雑なので、亡くなった後が大変になる。
どう人生が展開していくか全く見当がつかない。 とにかく頭は真っ白である。
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