仏文学者の鹿島茂毎日新聞の文化欄に、
 「株化暴落ー最悪は次の最悪の前兆ー1929年の再来か」と題して書いていた。
経済学者でもなく金融関係者でもない文学者が書くと、‘凄いこと’を文学調にアッサリと書き上げる。
1929年の金融恐慌では株価の下げは波状的に、最悪は次の最悪の前兆として押し寄せ、それが三年に及んでいる。
結果として株価は八分の一になってしまった。 それよりフロント係の 「窓ですか、ベッドですか?」は、絶妙。
「窓ですか、バスタブに睡眠薬、丈夫な紐の、ドチラですか?」は、当方で実際に・・・・?
  −−−
【 「この数日は、大暴落の期間中でまちがいなく最も陰欝な日々であった。組織的な買い支えはとうに姿を消し、
 この頃には組織的な気休め発言も放棄されている。となれば、せいぜい皮肉なユーモアにでも紛らわすしかない。
  (中略)ダウンタウンのホテルのフロント係は、ベッドをご利用ですか、それとも窓ですか、と客に尋ねたそうな」
                             (ジョン・K・ガルブレイス『大暴落1929』日経) 】
 この九月二九日に日本を発ってパリに到着したら、テレビも新聞も米下院で公的資金投入法案が否決されたため
ウォール街で記録的な大暴落というニュースで持ちきりだった。・・・・
さて、長らく世界中の人が恐れていた「起こるべきこと」がついに「起こってしまった」。 
今回のウォール街大暴落が一九二九年に似ているのか、それとも一九八七年のブラックマンデーに似ているのかと問われたら、
私は間違いなく前者だと答えるろう。
なぜなら、暴落は市場の自動的調節などではく、雇用不安という死に至る病の兆候を示しているからである。
一九二九年の悪夢は確実に現実化し、一九三〇の大恐慌を再び到来させるにちがいない。 
 
以下、ガルプレイスの本を参考にして、今回の大暴落に続くであろう展開を占ってみよう。
後にブラック・サーズデーと呼ばれることになる一九二九年一〇月二四日の木曜日、大暴落は前場に始まった。
十一時には市場はすさまじい狼狽売り一色となり、追い証を払えなくなった人の担保株は売り払われた。
十一時半には、完全なパニックとなった。しかしあまり知られてないが、ブラック・サーズデーは後場では回復しているのである。
昼休みの間にJP・モルガンの事務所で大手銀行家たちの会合が開かれ、株の買い支えを決定したというニュースが伝わったため、
相場は猛スピードで回復し、結局、タイムズ平均の終わり値は一ニドル下げに止まった。 金曜、土曜と相場は安定した動きを
見せたので、投資家は一安心した。悪夢は終わったかに思われた。 だが、終わってなどいなかったのである。
 一〇月二八日月曜日、相場」は記録的な下げ幅を示した指数が、火曜日には最悪の様相を呈し始めた。
出来高はブラック・サーズデーを大きく上回り、前日の月曜日に匹敵した。
市場はいずれの日にも劣らぬ強い不安感と先行き不透明感で覆われた。
 街には銀行家グループは買い支えどころか大口の売り注文を出しているという噂が流れたが、これは後に事実だったと判明。
ここから数週間、椙易は薄商いの中、突如暴落するというパターンを繰り返し、十一月の中旬にようやく
下げとまったかのように見えた。タイムズ乎周は九月の最高値四五ニドルから半値の二二四ドルに下落したが、
これを底値にゆるやかな反転を示したからだ。株式暴落が実体経済にまで影響しだしたことに気づいたフーバi大統領は
無関心な態度をかなぐり捨て、「考え得るあらゆる方策」を用いる決意を固めた。、
 だが、歴史はここがフィナーレではなかったことを教えている。一九三〇年の三月に回復したかに見えた相場は
四月に入るともう立ち直る力を失っていた。下落は三二年六月まで続いた。本当に底打ちしたときには、大暴落当時の最安値
二二四ドルが懐かしく感じられるほどになっていた。三二年七月八日のタイムズ平均は五八ドルだったのである。

 というわけで、最後はガルブレイスの次の言葉で締めることにしよう。
「一九二九年の大暴落の際立った特徴は、最悪の事態がじつは最悪でなく、さらに悪化し続けたことである。
 今日こそこれで終わりだと思われたことが、次の日には、あれは始まりに過ぎなかったのだとわかるのだった。
苦しみを深め、引き延ばし、できるだけ大勢を残酷な運命から逃れられないようにする仕掛けというものがあるとしたら、
あれほど巧妙な仕掛けはあるまい」この悪夢を日本人はバプル崩壊で経験したはずなのに、教訓とはならなかったようである。
 −−
 大統領選挙の終了直後、前回のG7のサミットが一月前に開催したばかりなのに緊急に開催されるということは、
想像を超えた異常事態に陥っていることだけは確か。世界中の銀行を一時的に閉鎖するのか、米国が債務不履行を宣言するか、
などの思い切った措置が行われる可能性も考えておかなければ・・・・。 

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2007年10月23日(火)
2394, 恥はかかせろ、いじめはなくすな −2

 戸塚宏も、何人かの人を死なせて6年間刑務所の中で過ごしてきた男である。
もちろん死なせた自責の念も常に自分の良心の呵責もあるだろう。
そして檻の中で、教育とは何か身体を張って考えたはずである。だから、これだけのことが言えるのである。
早くいえば、終戦時に日本を骨抜きにしようと、腰抜け憲法アメリカが押し付けた。
そして、今日までそれを大事に大事にしてきた。国民の去勢化である。そして、その完成が、あの「ゆとり教育」である。
その結果が現在の、公立の小中学校の先生と生徒の様である。 さらにニートとかいう完成品である。 
そして人生を投げてしまった奇妙な人たちである。彼は教育の最終目的は、子供たちを『独立』させることだという。 
だから独立にいいものは善で、悪いものは悪。ハッキリさせている。だから体罰は善。いじめも善。 
褒めるより叱るが善に決まっている断言する。学校にカウンセラーなどトンデモナイものを導入した。
 これ自体がおかしいという。
 −戸塚の文を抜粋しながら考えてみる。
 ーーーーー
体罰もいじめも善である*

   恥ありて且つ格(ただ)し  恥を知るは勇に近し
 前者は論語で、後者は中庸の一説である。恥をかくことが人間を進歩させることを昔の人はちゃん、とわかっている。 
それなのに先生は叱らない。みんなの前で叱るようなことはまずしない。 公衆の面前でやれば、それだけ恥は大きく、
相手の進歩に役立つ。 それがわかっていない。 体罰もいじめも善である
 体罰というのも、相手の進歩を目的にするものである。だから体罰も善だ。もちろん世の中には目的を考えずに
体罰をする人もいる。ヒステリーを起こして、無茶な罰をして怪我をさせたりすることがある。
そういう人は自分のためにやっている。強くならなかった人がそういうことをする。
ヒステリーになるのは、自分の中で情報が満杯になってその処理ができない人だ。弱いから、相手のことを考えられない。
だが本来、体罰はそれを受ける子供の利益になるようにするものなのだ。
 いじめだって同じことだ。いじめも善なる目的を持っている。相手のためにいじめる。弱いものを強くしようとしているのだ。
ヨットスクールでは、いじめはいいことだと断言している。ただし、いじめ方次第とも言っている。正しいいじめというのがある。
それは、相手の行動についていじめることだ。 走るのが遅いとかヨットの扱いが下手くそだとか皆でやる仕事で足手まといだとか、
わがままだとか。そういう相手の行動について言う。 そうすると、その行動が直ったときに、いじめは収まる。
行動が正しくなったとき、いじめは終わる。そこから抜け出す出口があるのだ。
 社会で問題になっているのは、存在を否定するいじめだ。 これには終わりがないし、出口もない。
ストレス発散のためや、金を取ったり、パシリをやらせたり。 自分のためにする。それはいじめる奴が弱いからだ。
力を正しく使っていない。そういういじめはもちろん悪い。 だが、それとは違う正しいいじめがあるのだ。
 精神を進歩させるには何を行えばいいのかがまったくわかっていない。
それはそもそも精神がどういうものか理解していないからだ。戦後の民主主義教育では精神は限りなく自由で尊重されるべきもの、
というような認識でしかない。 理性もそうだが、これは西洋合理主義から考えもなしに取り入れた借り物である。
 少し前にテレビで売春している中学生が出てきたのを見たことがある。
彼女は開き直って、誰にも迷惑をかけてないじゃない、それって私の権利じゃないの、と言っていた。
 理性や自由尊重の教育がこういう子供を生み出したのだ。これに対し、番組の出演者の誰一人として言い返せなかった。
大人も子供もこのザマだ。みんな理性も自由も権利もその意味を知らない。権利を日本語として考えているから分からない。
権利は訳語で、英語ならright。rightは正しいって意味。 権利には正しいという意味が付されている。
だいたい、江戸末期に西周が作った誤訳だ。 権利というのは、能動的な力だが、rightのほうは、正しいから他から干渉されない、
あなたが四の五の言うな、といった受動的な意味合いだ。 だから売春する権利なんてないのだ。
 自由だってそうだ。正しいことをする自由しかない。そもそも人間に初めから理性が備わっているわけがないのだ。
初めから理性があるというのは西洋だけだ。それは神が人間を作ったからだ。 神が作った人間だから、
生まれたときから完成している。当然、生まれながらに理性がある。そしてそれは西洋の合理主義につながる。
でもそれは日本にはなじまない。それに基づいて教育してしまつたから、この有様なのである。
 −−−−
解)獲得した真の民主主義ではなく、与えられたシステムの弊害である。
その後改良に改良を重ねてとは思えない。それが、この有様になっている。
情報革命の大断層も見たが、それに加え戦後民主主義のプラスとマイナスも人生の中でシッカリと見せてもらった。

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2006年10月23日(月)
2029, 中越地震から今日で二年
       (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!

中越地震から今日で丸二年になる。今では私の周辺では「中越地震」の話題をする人は一人もいない。
もう一年以上、地震の話をしたことは無い。大きな地震の確率は他の地域より少なくなったし、世界の刺激的ニュースが、
身近な出来事など忘れさせてしまう。臍が曲がっているためか、当時、その事態を楽しんでいる自分に呆れていた。
数百メートルの小学校には夜になると殆んど避難。一月ぐらいは自宅周辺の殆んどの家には灯りがついていなかったし、
毎日のように余震が続いていた。その最中余震が起こる度に家内と震度当てをしていた。
地震発生の一週間後に、新潟に行こうと車で出たところ20分もしないうちに、高速道路に入る直前で震度5の余震が発生、
そのまま引き返してきた。 さらに、その数日後に新幹線で通勤途上に震度4の地震にもあった。
でも、ああまたか〜位にしか感じなかった。秘境旅行を三十数回行っていて神経が麻痺しているのだろう。
また仕事がホテル業ということもあり、緊急事態になるほど冷静さが要求されるためか?
「この程度で騒ぎすぎ」と独り呟いていたのも事実である。

夜半に余震が連日あったが、家の倒壊の心配がないので冷静でいれたが、古い家の人で、危ない経験の少ない人の不安感は
遥かに大きいかったのだろう。 隣の家から女の子のひきつけの悲鳴が聞こえてきた。
わが家の被害が比較的に少なかったが、隣同士でも被害は全く違う。また2キロ先の山の麓の住宅地は悲惨な状態であった。
その一月もしないうちに、自宅の裏にある空家に被災民の一家が引っ越してきた。
(あと一週間の今月一杯で、新築の家へ引っ越していくが・・) 下見に来たときに立ち会ったが、その前年に大雨の洪水と
たて続きの被災で、肩を落とした一家の姿は気の毒で正視できなかった。 300m先の長岡高校のグランドで、
被災民を山古志村からヘリコプターで数ヶ月にわたり運んでいたが、何か現実からほど遠い出来事のようであった。
山古志村の被災者の3割はもう地元には住みたくないと、街中に留まることを希望しているというが、何か解るような気がする。
因縁を取り払えば7〜8割の人が帰りたくないのだろう。二年前の随想日記、数日後から連載してあるので、これを見たついでに
二年前の同月同日の日記を眺めてください。
                      (。^0^。)ノサイナラ!

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 2004年10月23日(土)
1299, 「23歳の日記」

 事務所の移転で、部屋の整理をしていて、一冊の見た事のある小さな鍵付のノートが出てきた。
開いてみると日記帳である。「22歳の日記」の続編である。その続編があるとは、思ってもいなかった。
おそらく、「22歳の日記」とセットで、何処かにしまっていたのだろう。
 もっとも、入社したてで激務のせいか、8ヶ月で17日分しか書いてなかった。
−3月5日から11月初旬の間であるー
かなり刺激的な内容もあって、肉体的にも精神的にも極限状態が手に取るように解かる。読んでいて戸惑ってしまっている。
三重県四日市から、神戸に転勤するまでの心の軌跡や、具体的な日々の有様が、そのまま書いてあった。
 小さな会社が三社合併をした年で、その交流の1弾として方々に転勤させられていた。今から考えてみても、
異常な日常の連続であった。まあ良い体験をしたのだろうが、当時の流通は今でいう3K そのものであった。
 流通革命の旗手と上手く煽てられて、合併の最前線の駒に使われていた。 一番立場の強い会社に入社したため、
惨めな目には会わなかったが、それでも、一日一日が変化の激しい体験の連続であった。まあ、それは40歳近くまで続いたが。
 研修が終わり、現場に配属された初日の事や、卒業式に出席する為に一度東京に帰ってきた2日間のこと。
(当時は卒業前の3月1日に仮入社するところがあった)悩んで、学生時代に通った禅寺に行ったことや、神戸の日々のことなど、
その時々の気持ちが書いてあった。
 スーパーの店頭での「瀬戸物の叩き売り」は、映画に出てくる「男はつらいよ」の寅さんの口上とほぼ同じである。
当時の関西のスーパーの肉屋や魚屋の職人には・・?それだけでない、スーパーの店員なんぞは下の下という風潮があった。
何が流通革命の旗手かと、ただただ驚きであった。 汚い寮に住んでいたとはいえ、学生時代のアカデミーな世界とは一変、
地獄の底に突き落とされたというのが、その時の偽ざる実感であった。もし、この文章を読み返さなかったら無意識で、
当時の記憶の消去を頑なにしていただろう。それだけあまり思い出したくない日々であった。誰もが入社したての頃はそうだろうが。
 書き残すということは非常に長い目でみても有益なことである。「猿人類と人間の差は魂を持っているかどうかの差である。
魂とは、言葉を持つことによって得ることが出来る。」という猿人類学者の言葉を、このような日記を読み返すと実感する。
言葉で書き残してなければ、当時の心の叫びは残ってない。おりおり、配属の日の日記とか、卒業式の光景、そして神戸の日々とか、
禅寺の一日を書き写してみるつもりだ。 ただし五日間のみにする。あまり当時を直視したくない。
心情を書き残すということは魂を書き残すことと実感する。 今このような日記を書けといっても書くことは出来ない。
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S5709事業百訓 
 ー1982年7月9日記(社内報)より
 何かの偶然で私自身全く貴重な経験をしてみた。 修業という事で、三重県のA社に勤め、考えるところがあり再び学校へ入り、
その後石川県のB社に再就職をし、その後独立したのですが、私がB社を去った3年後、A社がB社を吸収合併をしてしまった。
別に系列下にあったわけでもなく全くの偶然の一致であった。 私自身修業という事で入ったのですが、戦略・戦術という面での
社長の決定的違いを一兵卒の立場よりケース・スタディという面で、非常に勉強させてもらった。
  ー以下は字数の関係でカットー2007年10月23日
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2003年10月23日(木)
932, ある旅行代理店の廃業

 ツアー大好き人間として、旅行代理店遍歴を多くしてきた。
初めは日本旅行を母が使っていた因縁と、他の代理店の情報不足の為にブランドに頼りざるをえなかった。
ところが、民間の安い代理店「新日本トラベル」をつかった姉が「値段の割りに良かった」という話を聞いて、
スペインのツアーに参加してみた。 その添乗員が非常に良かったことも含めて、今までの常識を根底から崩された。
日本旅行」は、そのブランドを使っているが、旧国鉄感覚の「お客をお客と思ってない」体質という事に逆に気づいた。
「JTB」と「日本旅行」を使うのはとんでもない間違いである! 親方日の丸が体質から抜けてないのだ。
それは実際、身銭を切る客が一番早く気がつく。ところで昨夜、、家に帰ってきたら「世界旅行社」から
廃業のお知らせの葉書が来ていた。 文面をそのまま書き写してみる。
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 廃業のお知らせ   
前略  当社の業務につきましては常々格別のご愛顧をうけたまわり厚くお礼申し上げます。
当社は創業以来、動物、自然、遺跡をテーマにユニークな旅行企画を提供すべく鋭意努力をしてまいりました。
近年テロ等海外情勢の悪化により旅行業務が低迷する中、なんかと切り抜けて参りましたのも皆様のお陰と深く感謝しております。
しかしながら誠に勝手ではございますが、平成15年10月20日をもちまして旅行業務を終了させて頂くことになりました。
長い間、世界ツーリストをご愛顧頂きまして本当にありがとうございました。
皆様の益々のご発展をお祈りいたしまして失礼させて頂きます。 草々  世界ツーリスト株式会社 代表取締役 浅見真弘
 ・・・・・  
この代理店は「ベネゼイラのテーブルマウンテンとエンゼルフォール」のツアー」と、「タンザニア」と、「ケニアのヌーの河渡り」 
 に使った。 また会社でも2回使った。パンフレットが送ってきた時に家内がよく潰れないでやっていると心配をしていた。
 最近は、阪急旅行社や近畿ツーリストなど大手が手をつけてなかった秘境系の分野に本格的に乗り出してきた。
その上に、アフリカはイスラム教が強い文化圏、どうしても9・11のテロ以来一般客はさけるようになってきた。
どちらにしても時間の問題であったのだろう。専門店としては「ワールド旅行社」や「ユーラシア旅行社」とか、
「旅のデザイン旅行社」などがあるが、どうしても値段が高い。今は「秘境地区への直行便」が流行になってきている。
乗り換えなしで、値段が2~3割安い秘境系のツアーだ。お客は殺到するのも当然だ。 チェーン理論でいう企画発注書の特別商品で、
価値の創造商品だ。私も今年に入り、アラスカとアイスランドと直行便で立て続けに参加をした。 大手の代理店しか企画が出来ない。 
その価値を十分感じ取った。 これでは弱小の代理店は消滅するのが当然である。 何かもの悲しい感じがする。

・・・・・・

558, 仕事と性格形成

  • 2002年10月23日(水)

知らないうちに人間の考え方は、自分が実際に携わっている仕事に影響されているのを最近強く感じる。
私のような大商圏を相手にする仕事の場合、どうしても小商圏を相手に仕事をする人との考え方が正反対になる。
気が合う相手は大商圏の仕事や、大手相手の事業をしている人だ。 小商圏といえば、お互いの目を気にして「世間様」
を第一にしなくてはならない。お付き合いとかの人間関係の中から情報やビジネスチャンスを捉える事が重要となる。
大商圏を相手にしていると、逆にそれが邪魔になることが多い。
近目と遠目のちがいである。遠視になってしまい近くのことが見えなくなる、逆に小商圏は近視的視点になってしまう。
この違いの乖離が最近特に大きくなってきている。最近それを指摘されるが、といって今更変えようとも思わない、
また指摘する人は小商圏相手の仕事をしている人だ。 もっともそのことすら理解できない人だ。
数年前から間隔をおいているが、そうすると大部分の人になってしまう。
最小限の人とのいきちがいは仕方がないと割り切っている。 銀行も政府系や都銀との付き合いに傾く。
人間関係もどうしても地元でない人が多くなる。地元の人と一切付き合わないで済むから、地元では異様に思われているだろう。
大商圏的生き方として当然の事と受け止めている。特に父親はこの傾向が強かったモデルがいるから更にそれで良いと思ってしまう。
気が付いたら一人というと頑固爺の末路だろうが、その辺の変身は早い。 ある中国出身の作家がいっていた。
「地元で商売をするな、因縁がらみで何も見えなくなる。 他所なら全く関係なく、ビジネスとして割り切れるから。」
全くそのとおりである、ブラックジョーク以下の現象がビジネスで日常になってしまう。 地方の景気が最近悪いのは、
これに近い原因である事はいうまでもない。 情報化でグローバルの時代になってきた為だ。
これからの時代ますます大商圏的生き方の流れになる。 手前勝手か??

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[195] 宗教戦争ー6−  2001/10/23
 -イスラム原理主義とはー
   ユダヤ教キリスト教イスラム教の違い

原理過激派はイスラム教を母体としたカルト教と思えば簡単である。
ややこしいのがイスラムが母体という事である。 モハメッドは一人考えた!
「何故アラブ人に偉大なる神がないのか、預言者がいないからだ。
そうだそれを考えている自分が預言者になればいい」と考えたのだろう。
まずは「コーラン」をユダヤ教の「タルムード」の代わりと考えた。そんなもの、宗教とは。

宗教学者ひろさちあ氏が月刊誌に、ユダヤ教キリスト教イスラム教の違いを解りやすく書いていた。
ユダヤ教は・・・・「旧約聖書」プラス「タルムード」
キリスト教は・・・「旧約聖書」プラス「新約聖書
イスラム教は・・・・旧約聖書プラス「コーラン
まずベースが旧約聖書である。  三宗教のうち、
・父親的な立場がユダヤ教、その父親から長男のキリスト教が誕生、次男のイスラム教が誕生した。
ユダヤ教では、ーアブラハムが神ヤーヴェと契約を結んだ。
 その契約は、人間のほうからは、あなた以外の神と絶対に拝みませんと誓い、その契約にもとずいて
 神は人間にあれこれと命令する。その命令が律法だ。 したがってユダヤ教は本質的にー契約宗教です。
キリスト教のイエスは「神は我々を愛しているのだ。だから神の奴隷になる必要がない。 
 我々は自由人だ」と大胆な主張しました。 律法に縛られる必要がないと。本質的にー自由宗教です。
マホメットはーキリスト教安息日を守りません。そういう自由に対しそれはおかしい律法に忠実であるべしと
 アラブ人向けにつくった。自由を謳歌して神と律法から離れた長男のキリスト教に対し、もう一度原理に戻ろうと主張した。 
 本質的にー原理主義です。 イスラム教にー神の(アラーの)ために戦う「ジハード」と言う概念がある。
もともとモハメッドが異教徒と闘うことー聖戦ーによって確立されたもの。
後世の信徒もそれにならってつねに異教徒と闘い続け、その教えを世界に広げることを求められた。
その聖典のハデイースは聖戦について、
・たとえ一日でもアラーの道の戦い身を投ずることは、この世とそこにあるものよりより良い
・天国に入ることになる人は、たとえこの地上に何をもっていようと、現世に帰ることを望まないが、だだ殉教者だけは別で、
 彼は神から与えられる恩寵を知っているため、現世に戻り,更に10回も殺される事を切に願うのだ
熱心なイスラム教徒は、そのまま本気で信じているのだ。 要するに殉教;は生より望ましいと思っているのだ。 
それが過激派になったのだ。実際はジハードは日常生活の中で「コーラン」をの原理を全世界に定着することである。
過激派はそれを暴力でと解釈した。

つれづれに

イメージ 1

http://www.asahi.com/national/update/1021/TKY200810210122.html

自宅から歩いて5分ほどの小学校に猪が侵入して話題になった。
過って一度も市内で猪騒ぎは聞いたことがなかった。
温暖化で長野県、富山県の限界分布が広がったとか。
50センチ以上雪が積もる越後では、あまり猪とか熊の出没の話はない。
それにしても5分ほどのところとは驚きで、温暖化と関係しているとは。

株が昨日から、また下がり始めた。あわや8000円を割るところだったが。
ユーロも123円まで下がったというから驚き。
3ケ月前は169円まで上げていたのが嘘のようだ。輸出国は大打撃だろう。
一切投機・投資はしないことにしていたが、非常事態の「金」ということで金を買ったが、
あれよあれよと10日で2割も下げた。 三割までは覚悟していたが、まあ仕方がない。
上がっても下がっても売らないから、同じことだが。

それにしても毎日毎日が不穏な金融危機が続く。
「最悪は次の最悪の前兆でしかない、今日こそこれで終わりだと思われたことが、
次の日には、あれは始まりに過ぎなかったのだとわかる」これが、当分続くのである。