2007年10月23日(火)
2394, 恥はかかせろ、いじめはなくすな −2

 戸塚宏も、何人かの人を死なせて6年間刑務所の中で過ごしてきた男である。
もちろん死なせた自責の念も常に自分の良心の呵責もあるだろう。
そして檻の中で、教育とは何か身体を張って考えたはずである。だから、これだけのことが言えるのである。
早くいえば、終戦時に日本を骨抜きにしようと、腰抜け憲法アメリカが押し付けた。
そして、今日までそれを大事に大事にしてきた。国民の去勢化である。そして、その完成が、あの「ゆとり教育」である。
その結果が現在の、公立の小中学校の先生と生徒の様である。 さらにニートとかいう完成品である。 
そして人生を投げてしまった奇妙な人たちである。彼は教育の最終目的は、子供たちを『独立』させることだという。 
だから独立にいいものは善で、悪いものは悪。ハッキリさせている。だから体罰は善。いじめも善。 
褒めるより叱るが善に決まっている断言する。学校にカウンセラーなどトンデモナイものを導入した。
 これ自体がおかしいという。
 −戸塚の文を抜粋しながら考えてみる。
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体罰もいじめも善である*

   恥ありて且つ格(ただ)し  恥を知るは勇に近し
 前者は論語で、後者は中庸の一説である。恥をかくことが人間を進歩させることを昔の人はちゃん、とわかっている。 
それなのに先生は叱らない。みんなの前で叱るようなことはまずしない。 公衆の面前でやれば、それだけ恥は大きく、
相手の進歩に役立つ。 それがわかっていない。 体罰もいじめも善である
 体罰というのも、相手の進歩を目的にするものである。だから体罰も善だ。もちろん世の中には目的を考えずに
体罰をする人もいる。ヒステリーを起こして、無茶な罰をして怪我をさせたりすることがある。
そういう人は自分のためにやっている。強くならなかった人がそういうことをする。
ヒステリーになるのは、自分の中で情報が満杯になってその処理ができない人だ。弱いから、相手のことを考えられない。
だが本来、体罰はそれを受ける子供の利益になるようにするものなのだ。
 いじめだって同じことだ。いじめも善なる目的を持っている。相手のためにいじめる。弱いものを強くしようとしているのだ。
ヨットスクールでは、いじめはいいことだと断言している。ただし、いじめ方次第とも言っている。正しいいじめというのがある。
それは、相手の行動についていじめることだ。 走るのが遅いとかヨットの扱いが下手くそだとか皆でやる仕事で足手まといだとか、
わがままだとか。そういう相手の行動について言う。 そうすると、その行動が直ったときに、いじめは収まる。
行動が正しくなったとき、いじめは終わる。そこから抜け出す出口があるのだ。
 社会で問題になっているのは、存在を否定するいじめだ。 これには終わりがないし、出口もない。
ストレス発散のためや、金を取ったり、パシリをやらせたり。 自分のためにする。それはいじめる奴が弱いからだ。
力を正しく使っていない。そういういじめはもちろん悪い。 だが、それとは違う正しいいじめがあるのだ。
 精神を進歩させるには何を行えばいいのかがまったくわかっていない。
それはそもそも精神がどういうものか理解していないからだ。戦後の民主主義教育では精神は限りなく自由で尊重されるべきもの、
というような認識でしかない。 理性もそうだが、これは西洋合理主義から考えもなしに取り入れた借り物である。
 少し前にテレビで売春している中学生が出てきたのを見たことがある。
彼女は開き直って、誰にも迷惑をかけてないじゃない、それって私の権利じゃないの、と言っていた。
 理性や自由尊重の教育がこういう子供を生み出したのだ。これに対し、番組の出演者の誰一人として言い返せなかった。
大人も子供もこのザマだ。みんな理性も自由も権利もその意味を知らない。権利を日本語として考えているから分からない。
権利は訳語で、英語ならright。rightは正しいって意味。 権利には正しいという意味が付されている。
だいたい、江戸末期に西周が作った誤訳だ。 権利というのは、能動的な力だが、rightのほうは、正しいから他から干渉されない、
あなたが四の五の言うな、といった受動的な意味合いだ。 だから売春する権利なんてないのだ。
 自由だってそうだ。正しいことをする自由しかない。そもそも人間に初めから理性が備わっているわけがないのだ。
初めから理性があるというのは西洋だけだ。それは神が人間を作ったからだ。 神が作った人間だから、
生まれたときから完成している。当然、生まれながらに理性がある。そしてそれは西洋の合理主義につながる。
でもそれは日本にはなじまない。それに基づいて教育してしまつたから、この有様なのである。
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解)獲得した真の民主主義ではなく、与えられたシステムの弊害である。
その後改良に改良を重ねてとは思えない。それが、この有様になっている。
情報革命の大断層も見たが、それに加え戦後民主主義のプラスとマイナスも人生の中でシッカリと見せてもらった。

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