■
[195] 宗教戦争ー6− 2001/10/23
-イスラム原理主義とはー
ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の違い
原理過激派はイスラム教を母体としたカルト教と思えば簡単である。
ややこしいのがイスラムが母体という事である。 モハメッドは一人考えた!
「何故アラブ人に偉大なる神がないのか、預言者がいないからだ。
そうだそれを考えている自分が預言者になればいい」と考えたのだろう。
まずは「コーラン」をユダヤ教の「タルムード」の代わりと考えた。そんなもの、宗教とは。
宗教学者ひろさちあ氏が月刊誌に、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の違いを解りやすく書いていた。
ユダヤ教は・・・・「旧約聖書」プラス「タルムード」
キリスト教は・・・「旧約聖書」プラス「新約聖書」
イスラム教は・・・・旧約聖書プラス「コーラン」
まずベースが旧約聖書である。 三宗教のうち、
・父親的な立場がユダヤ教、その父親から長男のキリスト教が誕生、次男のイスラム教が誕生した。
・ユダヤ教では、ーアブラハムが神ヤーヴェと契約を結んだ。
その契約は、人間のほうからは、あなた以外の神と絶対に拝みませんと誓い、その契約にもとずいて
神は人間にあれこれと命令する。その命令が律法だ。 したがってユダヤ教は本質的にー契約宗教です。
・キリスト教のイエスは「神は我々を愛しているのだ。だから神の奴隷になる必要がない。
我々は自由人だ」と大胆な主張しました。 律法に縛られる必要がないと。本質的にー自由宗教です。
・マホメットはーキリスト教は安息日を守りません。そういう自由に対しそれはおかしい律法に忠実であるべしと
アラブ人向けにつくった。自由を謳歌して神と律法から離れた長男のキリスト教に対し、もう一度原理に戻ろうと主張した。
本質的にー原理主義です。 イスラム教にー神の(アラーの)ために戦う「ジハード」と言う概念がある。
もともとモハメッドが異教徒と闘うことー聖戦ーによって確立されたもの。
後世の信徒もそれにならってつねに異教徒と闘い続け、その教えを世界に広げることを求められた。
その聖典のハデイースは聖戦について、
・たとえ一日でもアラーの道の戦い身を投ずることは、この世とそこにあるものよりより良い
・天国に入ることになる人は、たとえこの地上に何をもっていようと、現世に帰ることを望まないが、だだ殉教者だけは別で、
彼は神から与えられる恩寵を知っているため、現世に戻り,更に10回も殺される事を切に願うのだ
熱心なイスラム教徒は、そのまま本気で信じているのだ。 要するに殉教;は生より望ましいと思っているのだ。
それが過激派になったのだ。実際はジハードは日常生活の中で「コーラン」をの原理を全世界に定着することである。
過激派はそれを暴力でと解釈した。