閑話小題 ~読書日記『日本人のすごい名言』 ―①

 

   * そう、名言は使うものなのです。
 図書館で見つけ、借りてきた本だが、なかなか含蓄の名言を解りやすく
論じている。名言とは何度か声に出して読み、覚え、日常生活で使っていく、
引用したり、判断基準としつつ行動したりして、使うのです。そうする中で、
名言は心を支えるものになっていく。
ネット上にも多くの解説が理解を手助けをしてくれる。
 ――
≪ 【たとえば、こんな名言たち】
● 心が折れそうなとき
 なまけ者になりなさい。:水木しげる
 どうしようもないわたしが歩いている :種田山頭火
 ―
● 背中を押してほしいとき
 前へ。    :北島忠治
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ :茨木のり子
 ―
● 成長したいと願ったとき
 活用なき学問は無学に等し :福沢諭吉
いろいろむつかしい議論もありませうが、
私が一身にかけて御引受けします  :西郷隆盛
 ―
● 人付き合いに悩んだとき
 一期に一度の参会の様に、亭主をしつして威づべきとなり。
                  (一期一会) :千利休
 丸くとも 一角あれや 人心 あまりまろきは ころびやすきぞ 
                   :江戸時代のことわざ
 ―
●道に迷ったとき
 自分自身でおありなさい。  :中原中也
けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。 :宮沢賢治
 ――
これでいいのだ」、「いじわるされるたびにしんせつにしてやったらどうだろう」、
「みんなちがって、みんないい」etc.

自分の中に名言を持つことで、その言葉を言った人の精神と自分の精神が
つながり、過去から現在、そして未来へと続く精神の系譜のようなものができ、
心を支えてくれる一生の宝物になるのです。何やら毎日、書きづ続けているが、
そこに現われているのが、底抜けの根性ばかり。≪お前なんぞは、生れて
来なければ良かったのに!> が、内なる空虚な洞窟に鳴り響いている。

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7189,閑話小題 ~人生総括の時節に -4(0歳~9歳) 
 

 

 

2020年11月19日(木)

 

 

 

閑話小題 ~人生総括の時節に -4(0歳~9歳)

   * 世界を4Fのミニ・ビルに凝縮したような!
◉ 1Fが店舗、
 2Fが事務所と荷捌き場と男子社員のベッド…、
 3fが台所と風呂場と二間続きの和室と、子供部屋(通称、三角の部屋)。
 4fが従業員部屋と、サイズ直し部屋と、倉庫と、女子従業員部屋。
これ以上の合理的なない造りだった。 子供心に、刺激的な人間模様が何とも
言えない味わいがあった。 そこに兄3人と、従業員と、猿と、猫と、犬が
加わっていた。それだけで、様々な物語が自然発生的に生じてくる。数軒先に
警察本署があり、女子従業員狙いに、若い警官の出入りが多かった。
これ等を小説に線上に紡ぎ直せば、「芥川賞」、「直木賞」の受賞がある程…? 
戦中、戦後の価値観の激変は、兄、姉達に直撃していた。特に商家の各家庭では
問題が山積み。互いの噂話が複雑に変容し、それはそれは! 
 
 太平洋戦争の敗戦から新たな民主国家への節目で、何やら明るい先が見え隠れ
をしていた時節。…普通は、3~4才というが!何故か記憶が生後半年~1歳位
からある。産まれた家のことが、薄っすらと残っている。百日咳に罹り半年が
山だったと、後で父から聞いた。 半年後、‘輪タク’で大手通りまでに戻った
記憶が鮮明にある。 愛嬌のあるニコニコした赤ちゃんだったとか。
 …「これが、まあ、ここまで憎々しくなるものか!」と、言い続けられれば、
まあ、それが万人なら、仕方がない! 四つ角の2Fの木造を、完成まで1年程。
公会堂(現在の『アオーレ』)まで移動して仮店舗に…。 毎日のように父親に
連れられ、工事現場にワクワクしながら通っていた。公会堂と、その横にある
遊園地と、祠がある小さな裏山が遊び場。父親が42、母親が38歳の時の子供。
多産の犬コロのような生活環境だった… その内に、幼稚園、小、中、高校へと
進学していった。 …何が面白かったかといえば、背景の商家の現象。
店内ラジオが常に流れていて、美空ひばりの曲目と、歌が流れていた。

 その中で、長兄と次兄と、父親の対立から、家庭内では、問題が生じて、
それは惨憺たる事態に! その中で母親が重症化した欝病に、鬼のような、
形相に… その療養にと、駅裏に住居が移っていった。 ここまでが、
人生の一ラウンドである。 この状態を過ごして、何でまた、20歳の時節に、
創業人生を目指すと決意したのか、自分でも理解できない。ドン・キホーテ
ような人生には、敗戦の最中に「両親の再生を供に経験をした背景」があった。
その中で、直ぐ上の兄の姿が消えていた。母方の家に養子として出された。
母親が倒れ、家庭内は阿修羅のごとき有り様の中で…  戻ってきた兄の虐め
の激しさは、それはそれは! 何やら、学生時代に、酒に酔って、一晩中、
泣いていたのを想起された出来事だった。そうこう当時を想いだし、ねじ曲った
当時の糸を直線的にのばすと、様々なことが再考できる。
 何ゆえに、これ程、恵まれたチャンスを与えられたか!面白かったかが!

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6823,閑話小題 ~下越周辺、とりわけ新潟駅周辺は ー2 
2019年11月19日(火)
    * 現場を離れると見えてくること
 そこは板前、ホスト、ホステス、ヤクザ、半グレ、そして一夜の快楽を
求める酔客が入乱れる夜の世界。様々な人生が、そこに展開する。それでも
何ごともなく30年も営業を続けていたのだから、腹が坐るのも当然。
 いま思いあたるだけでも、10年前の駅南タクシー強殺事件。前県知事の
買春事件、幼女誘拐殺人事件、新発田の女性3人を狙った強姦事件。またかと
思うほど下ネタ事件が多い。昨年6月には、勾留質問中に新潟地裁から逃走し
約5分後に取り押さえられ、逃走未遂罪でも起訴されている事件などがある。
…地元の長岡など中越地区を含めると更に増える。地元が故に敏感かと思い
たいが、そうでもなさそうだ。
「パレットの法則」=ビジネスやマーケティングで広く利用されている
「80:20の法則」や「2:8の法則」と呼ばれ、元は経済学者が発見した法則。
「駅周辺の繁華街の20%の地区で、犯罪の80%が発生している」ということ?
新潟駅前女性刺殺事件… 「オンライン」で知り合ったというから、痴情の
縺れより、女性が刺されながら「御免なさい!」と言っていたことから、
ネットゲームの敗者が掛け金を払わず逃げていた?… 闇の世界は深い!
 ―
    * 織田の訴追の会見って、あれ何?
 初めから終わりまで、ポカンとして聞いていた。世間知らずも程がある。
スケートは、個人競技の典型。そこは、コーチの能力次第で、個々の力量が
決まる世界。幼児の頃から、特別な環境に隔離され、無菌状態のボクちゃんが、
突然、監督に抜擢され、日本を代表するコーチの上に立てば、浮游は当然。
何が一千万の損害請求かと… 弁護士も最たる個人競技、いや個人業務。
その二人が、海千山千の記者の前で、その世間知らずを露呈した会見。
 一流選手の競争相手は、世界のトップレベルの選手。そこに、一般常識を
持込めば、当然、勝つことは出来ない。「一千万の根拠は? 何ゆえに彼方
だけ一千万を請求するのか?」と記者に突っ込まれ、弁護士共々、タジタジ
する姿はコミック的であり、かつお気の毒。 私など「悪魔の○○」にな…
 
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6459,読書日記 ~『孤独の発明』 
2018年11月19日(月)
           <『孤独の発明』または言語の政治学 三浦雅士著>
   * 孤独の発明
 ‘孤独’に関して深く洞察してある内容。20歳に創業を決意して65歳まで、
ある意味で、孤独業をしてきたようだ。 終わってしまえば、
<折角の人生、勿体ないじゃないか!>が半分。
<御蔭で面白可笑しく充実していた!>が半分、あい半ばである。
17年半にわたり書き続けてきた、このブログからして、孤独業である。折角の
人生というフィールドで、ネット上に何か刻印して残したいと続けている。 
独白であり、近未来の自分や、近しい人に語り掛けるように、書いている。
早朝の6時前に完成した一文と、17年の生々しい過去文を鳥瞰しながら自己
対話をしていることになる。 過去も、過去の文章も、母親のようでもある。
懐かしく、優しく、厳しく、行蔵と、限界を、眼前に突き出される。

《 私とは繰み込まれた他者のことであり、その場合の他者とは、何よりも
 まずもっとも身近な他者、養い親とりわけ母にほかならない。
母がまず子の身になったその母の身になった子が、私という現象なのである。
言語はこの現初的な入れ子構造――から始まったのであり、そうである以上、
入れ子構造いわゆるリカーションをその性質の第一とするのは当然のことだ。
したがって、相手の身になることが出来るようになった瞬間、人はこの入れ子
構造が永遠に続きうるということを――母、その母、その母の母、つまり、
自己の背後には無数の死者がいるということ――を会得してしまっているはず。
現実にはしかし、この会得は、ただ、私という現象が、死から離れた視点、
第三の視点なしには成立しえないという事態に代替されてしまっている』。
 孤独が寂しさを伴うところに、「出自」が暗示されていった孤独は、母の
懐から生まれるのである。
 …相手の身になる能力は捕食するものと、されるものもの、追うものと、
追われるものの身にならなければ逃げきれない――、その能力は、この二つの
視点を入れ替え可能にする蝶番のような視線、すなわち、さらに上からの
俯瞰する第三の視点を想定しなければならない。この第三の視点が私という
実質――人間的意識の実質――なのだ。空中に浮遊する第三の視点は身体を
含まない。だからこそ、私には私の死が理解できないのである。死が不条理に
思われる理由だ。この第三の視点と、現に行動している行為主体との関係が、
内的対話、内面に他ならない。行動主体は現場に属し、俯瞰する眼は永遠に属す。
すなわち身体と精神である。…  》

▼ 毎朝、ブログを書上げた直後に、仏前で2~3分の祈りをした後、
 ポタリングに出かける。その時、仏前の両親の写真をみた直後に、祖父、
祖母、亡くなった兄、姉の顔を想いうかべながら、安らかにお休み下さいと
念じている。自己の背後にある無数の祖先の存在こそ、永遠の具体的イメージ
になる。それに加えて、秘・異郷先での、大自然や、文化、文明との邂逅も、
然り。第三の視点こそ、永遠の魂の存在を暗示してくれる。 座禅、瞑想、
飛行機内の黙想にしろ、孤独の果てに行きつく永遠が浮び上ってくる。
 浮遊する自己の‘発見’? どこを彷徨ってきたのだろう、私の魂は!
「行きつくところ… 言語の政治(祭りごと)ですか?」

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5362,うらやましい死に方 ~死の前に一人でお遍路へ
2015年11月19日(木)
            ーうらやましい死に方ー五木寛之[編]
 妹に対する姉の愛情が行間から溢れ出ている内容で涙を誘う。
 人の一生は、世界と同じく深くて広い。生きてきたように人は死んでいく。
   * 死の前に一人でお遍路へ   日引美江子(京都府宮津市52歳)
≪ 四人姉妹の末子K子(四六)は、七タの夜ホスピスで亡くなりました。
 死の間際「私達姉妹で良かったね」と声をかけると「有難う。さよなら」と
右手をちょっと上げて答え、それが最後の言葉となりました。ペルーが好きで
インカの遺跡を上空から眺めた時の感動をよく語っていましたので、枢の中を
ひまわりの花むぎわらだびで埋めつくし麦藁帽子と好きだった煙草を入れ茶毘に
付しました。その日の夏空はどこまでも青く澄み"コンドルは飛んでゆく"の曲と
共に妹の魂が天空に吸い込まれていくように感じました。
妹は大学院を出た後渡米、文化人類学で博士号を取得、帰国後は年老いた
父親との二人暮し、大学の講師や翻訳をしながら自由に世界中を闊歩し生き生きと
暮していました。妹なりの切り口で見たこと感じたことを面白おかしく話して
聞かせてくれ、私共もそのような妹を見ているのが楽しく好きでした。しりめ
そんな妹からある日突然「私は癌」と告げられオロオロしている私共を後目に
手術・抗癌剤放射線治療と続き、その後仕事に復帰、以前と変わらぬ活動的な
日々を送っていました。よもや再発との気配は感じられませんでした。
ところがその又二年後のある日突然、「実は術後すぐ再発していた、自分なりに
調べ考えたすえ、治療はせずに自然に生きられるだ星きようとその時決めた。
いよいよその時が来たから私は今からホスピスに入る」と淡々というのです。
・・(略) 死の五ヶ月前、四国八十八ヶ所を一人巡り、高野山にも参って
いるのです。遍路体験を‘日本版ホスピス’と言い「踊る阿呆に見る阿呆、
同じ阿呆なら踊らな損々というのはすごい真理だと思う。途中行き倒れても
向かう先はお寺だから安心、次の札所までという目標があって自然の中を歩いて
いる方が寝ているより健康的なのは確かです。病人だから歩けないと思うのは
思い違いである場合も多いと思う。生きている限り寝ていてもエネルギーは
使います。とにかくお遍路さんは最高です」と友人にメールを送っています。
 そんな話を聞いても私は再発し死期が迫っているとは考えず、不断の好奇
心旺盛な妹の行動と思っていました。気付いてやれなかったことが悔やまれて
なりません。知ったところでどうしようもなかったでしょうが、明るい言動
とは裏腹に一人悩み苦しんだ夜もあったろうと思うと未だに涙がこぼれます。
でも最後まで誰にも知らせず胸の内にしまい生き続けたことが、妹なりに
学んだ哲学を、自分の生き方の中で実践したということなのでしょう。
最後の三週間は妹と一緒にホスピスで暮しました。冗談は言っても心の内を
語ることはありませんでした。ホスピスでの手厚い介護のお蔭もあり、妹は
とても穏やかで‘有難う’‘ごめんね’‘おいしい'と言うだけでした。
私は七タ様の短冊にこの言葉を書いて吊しました。我妹ながら、あっぱれ!≫
 ―
▼「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々というのはすごい真理
 だと思う」は、人生を通して実感した真理だからこそ響きが伝わってくる。
エライヤッチャ エライヤッチャ ヨイヨイヨイヨイ」の エライヤッチャは
「大変なことだが平気だぞ」といった複雑な意味が 込められているという。
一人では出来ないことが娑婆には多い。踊るか、見るか? 集団で狂乱して
踊るのも、日常から外れる方法。人生、それぞれが独り阿波踊りでもある!

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4265, この非常事態に、万一の備えがあるの? -2
2012年11月19日(月) 
 私の場合、記憶が1歳の頃からある。そして両親の商売の一喜一憂が、
そのまま普段の生活に直に伝わっていた。終戦直後で、新しい事業を両親が
模索していた時期のため、今から振り返ると、何ともいえない張り詰めた
緊張感があった。「どこどこが倒産した」「店を出したが、少し良くなると
天狗になり夜逃げをした」などが、日常会話。それもあってか、自分が瀬戸際
に直面した時に、不謹慎だが、デジャブというか、その自分を冷笑し楽しんで
いる視線があった。現在も一部それがある。それらの幼児体験もあり、万一の
備えを無意識に次々と重ねていた。悪化と同時に、自動的に手順をつのが自然
の道理。30年間(事前の準備期間を入れたら45年間になるが)、創業から
整理までの起承転結の一サイクルの経験をしてみて、手じまいも、事業の最大
のイベント。 最悪に見えた経験も、奇妙な感情が支配していた。
あと講釈だから、言えるのだろうが。15年以上かけ準備をし立ち上げた
事業を、その衰退を見届け、自分の手で潰すのも事業経営の一環であり、
後悔も無念の感情も残らないのも道理。で、この本体の経済崩壊の大津波
地方では既に到来の感がする。大方は茹で蛙状態で、知ってか知らぬふり? 
年末の選挙前後辺りにクラッシュの可能性の仮説はたてておくべきだ。
年越しの可能性もあるが、遅かれ早かれ恐慌は起きる。日本で、この2千年
の間に4回の東日本で震度8クラスの大地震があった後、10年以内に、
いずれも首都圏で直下型地震が連動して起こっていた。 西日本では18年
以内にM8クラス以上の巨大地震が起きている。経済の7割が集中している
太平洋ベルト地帯が破壊されてしまうのである。恐ろしいが日本には失われた
20年で経済が壊滅的状態。そこに少子化もあり、分かっていても、資金が
追いつかないのが、現実である。それと世界的恐慌と、デフレの問題がある。
ある日突然、何かの切っ掛けで、世界は機能不全に陥ってしまう危険がある。
そうすると、弱い国に矛先が向かう。その弱い国が、日本となる危険が
非常に強いのである。バフェットが、一度売り抜けた金を再び大量購入。 
イスラエルが、先手をうってガザ地域で戦争を仕掛けている。
イランへの攻撃が始まるか? 
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6094,閑話小題 ~「かあちゃん、怖い!」
2017年11月19日(日)
   * かあちゃん、怖い!
団塊の世代が定年をむかえ、全国中の家庭内で大変な事態になっている?
私などは事態が事態だけに、その段差が大きい。抵当物件の自宅を、家内が
「安いから私が買う」の意思表示で、考えることなくアッサリと認めた結果、
夫婦の力関係が大きく家内に傾き、ここに<家庭内格差の問題>が発生。
何かを頼むと眼を剥き、逆に頼み事は命令口調。まさに「かあちゃん、怖い!」。 
この位で丁度よいのだろうが。 としても、哀しき70代にあいなってしまった。
パソコンコーナーのある仏間と、TVのある寝室に押しこまれ、鬱憤はネット上
のボヤキしかない。まだ家が広いためが最小で済んでいるが、娑婆
経験の少ない家内は力の手加減を知らないため傷口に容赦なく口撃をしてくる。
・先日、松居一代が、亭主の船越英一郎との離婚騒ぎでTVを賑していた。
この松居女史も挫折経験が少ないみたい。理想的夫婦にも、一つ仮面を外すすと、
こんなもの。まだ、私には一匹狼の要素があるから、閑静?し耐えているが。
有名人の離婚の愛憎劇といえば、高嶋政伸元夫婦の離婚劇。大昔では、三船敏郎
夫婦モノと、娘の「三船美佳」と、高橋ジョージ・モノも酷かった。
離婚経験をした男を何人か知っているが、その心情は複雑かつ深く傷ついている。
女性も、然り。まず生活の困窮は、それはそれは! ホームレスに近い。事前の
想像との段差と、将来の不安は並大抵でないようだ。まあ「かあちゃん、怖い!」
で、世の常に従い耐えるしかない。男の場合、「タガメ」に一生に亘り、収入と
全エネルギーを吸取られ、汚れ雑巾のようにポイ捨て… 産業廃棄物が、今度は
家庭廃棄物になる。‘かあちゃん、怖い!誰か助けて~」の悲鳴が全国辻裏うら、
鳴り響いている? とうちゃんに、保険をタップリかけ、塩分と脂肪分過剰の
食事をさせた合法的?何もあるが… 殺意などの心の闇は、決して表面化しない。
登ぼり坂、下り坂、そして「ま坂」が世にはある。 『後妻業の女』の映画が
面白かったが、それより怖いのが『本妻業の女』。真面目腐って面白味のない
亭主なら、殺したくもなる? 大丈夫かいな… 専業主婦は家庭内正社員。
夫は、40年期限付き出稼ぎ労働者。誰も、己を助ける人はいない。だから、独り
遊びの習慣を持てッというの… 独りカラオケが流行るわけだ! 早朝、チャリ
でバイパス下のトンネルで老人が独りで演歌を歌っているのに出くわすが、
その度に、何とも切ない感がする。歌って憂さを晴らせる場があるだけマシか。
 連日のぼやきの御静聴と拍手?、本当に有難うございます。
・・・・・・
4997,暴走する世間 -11
2014年11月19日(水)
      「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹(著)
  * 「格差」拡大による「そねみ・ねたみ」の肥大化
 建前が平等の社会にあって、格差が拡大すると、自分より上に対する
「そねみ・ねたみ」が拡大する。 逆に下に対して、陰湿な苛めなど差別を
するのが人間の性。それが世間様というもの。その互いに発する毒の共同幻想
で実は本人たちの脳がやられる。問題は自覚できないこと。ーその辺りからー  
≪ つまり自分と同じ」だと思っていたお隣さんが、ある日突然ベンツを買った
 とすれば、それは自分と「同じ」 ではなくなる。ビミョーな「格差」が
生まれたときに、他人にジト-ッと嫉妬する独特の心理が生まれる。 
この日本人特有の嫉妬について、正高信男さんは以下のようにいう。
【 いかに時代が変わろうと、日本人は基本的に非常に嫉妬深い。いじめも、
 モンスーン気候の風土と正比例するように、ジメジメしている。だから、
自分よりも注目されている人間に対しては、いくら口先で褒めても、内心は
ムカツク要素を秘めている。昔でいえぽ、胸くそ悪いとでもいうのか。
単に不愉快ではすまない。 いつまでも梅雨が上がらないようなしつこい
陰湿さがある。嫉妬心も消えない。(『他人を許せないサル』)】
 ・・(略)自分は自分、他人は他人という個人主義ではないから、自分が
他人に比べて損をしていないか、得をしているかがいつも気になって仕方ない。
横並び一直線で暮らしていた時代は成功した者とそうでない者のデコボコの
差がほとんどないから、嫉妬の質も深刻ではなかったかもしれない。 が、
現代のように勝ち組、負け組の区別がはっぎりして、所得格差も以前より
ひどくなり、社会システムがより欧米化されると反応は過敏になってくる。】