つれづれに

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http://www.youtube.com/watch?v=pslzMze9rNk

 昨夜は、恒例の飲み会。どこも金曜日にしては客の入りが悪い。
ただ一軒だけ入っていたが、値段が安いのを支払いで分った。
年金生活者の店というが、なるほどである。


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1443, 孤独について-4
2005年03月16日(水)

「孤独であるためのレッスン」
NHKブックスー諸富 祥彦 (著)を図書館で借りてきた読んだ。

過去に4回、随想日記に「孤独について」書いてきた。
この本はより掘り下げた`孤独であるためのレッスン'が主テーマである。
今流の言葉でいうと、「孤独力のつけ方」が大筋である。

「孤独力」には、
・消極的な意味では、自分が他人の目に左右されずに生きる能力。
・積極的な意味の「孤独力」は、自分自身と深く対話することの出来る能力。
 深さの次元が、ここでは問題になる。
 この「孤独力」が、楽しく生きるための大きな要素になる。

孤独はすばらしい。
孤独こそが人が人として生きる王道だと、孤独を賞賛し、
そして孤独を全うするには、
「自分を超えた地点から自分をながめるもうひとつの目を意識して
その目を通じて自分をながめることができること」という。
{年二回の海外旅行は、その目を養うために行っている}といってもよい。

また、
「人は孤独なときだけ、精神の深みへ降りていける。
そして、本来の自己を探し当てることができる」と。

さらに、
「本来の自己を探し当てた人だけが、真に他者との出会いができる」と。
(逆に言うと、真の自己を見つけ出していない人は真の出会いができない、
ということ)子狐を嫌うのは真の自己の何かも知らない輩だからだ。

だから、
「寂しいからといって、ただ単に人と群れていたら、真の自分は見つけられない。
無理に人に合わせていたら、自分を見失ってしまう。群れない自由な孤独人たれ」と。

「ひとりだと感じているあなた。
人の中にはいりこめないと思っているあなた。
わずらわしい人間関係から、逃れたいけど、できないと思っているあなた。
孤独になることを恐れないで。 
ひとりになって、本当に自分のやりたいことは何か、見つけ出して。..」と。
この本が語りかけてくる。

 この中の<孤独であるための8つの条件>がよい。

1:「分かり合えない人とは、分かり合えないままでいい」と認める勇気を持て。

2:人間関係についての「歪んだ思い込み」やこだわりに気づけ。

3:自分の人生で「本当に大切な何か」を見つけよ。

4:「自分はまもなく死ぬ」という厳然たる事実を見つめよ。

5:「たった一つの人生という作品」をどう作るか、絶えず空想しながら生きよ。

6:ソーシャルスキルを身につけよ。 他人の話を聴き、他人を認めよ。

7:「この人だけは私を見捨てない。どこかで見守っていてくれている。」
  そう思える人を見つめよ。

8:自分だけは自分の味方であれ。「自分を見守る眼差し」を自分の中に育め。

人との距離感を適度に保つため、
むやみやたらと人に近づかないように、
相手との距離を保つためと考えた方が良いが。

P-172の文章が孤独について、わかりやすい要約になっている。

ー私はこれまで、こう述べてきました。
孤独を恐れるな。
孤独は、人生の普遍的な本質であり、人間であることの真実なのだから、
孤独であることを自ら積極的に引き受けよ。
 
 人はみな、ひとりで生きていく。
この真実を深く引き受けたものだけが、自分自身と対話し、より深い心の知恵を
聴きながら、生きていくことが出来る。
自己との対話を絶えず積み重ねることでしか手に入れることのできない精神の厚みを、
増すことができる。

 つまり、孤独な人間だけが、自分自身と対話し、自己と出会うことができる。
また、そのようにして、自分自身と出会い、自分の声を聴くことのできる孤独の
人間同士だけが、深く出会うことができる。

 お互いのつながりや共通点を確認し、他者を排除することで自分の寂しさ不安を
打ち消すような表面的なつながり、もたれあいでなく、お互いの違いを前提とし、
どうしようもない解りあえなさを認め合う中で、それでも少しでもわかり合い、
響きあうような深い心と心の交流を持つことができる。
つまり、孤独な人間同士だけが、心の深いレベルで対話をし、交わり、出会うことができる。

 孤独を癒すことができるのは、人とのつながりではない。
孤独を癒すことができる、ただ、一つの道。
それは、孤独から抜け出すことでなく、
より深く、より深く、その孤独を深めていくことだ。
 
 もし、孤独を癒すことのできる人間関係がありうるとすれば、それは、
その関係の中で、お互いがより深く孤独に徹していけるような人間関係、
その関係の中で、お互いがますます深くますます深くひとりになり、
自分自身になりきることができるような人間関係しか、ありえないであろう。
 
 ーーー
この詩は孤独を恐れている心を
励ましてくれる。

【詩】ゲシュタルトの祈り

わたしはわたしのことをやり、あなたはあなたのことをやる。

私はあなたの期待に応えるために、この世にいるわけではない。

あなたは私の期待に応えるために、この世にいるわけではない。

あなたはあなた。 わたしはわたし。

もし偶然にお互いが出会えれば、それは素晴らしいこと。

もし出会わなければ、それはそれで仕方がないこと。


フレデリック・パールズ作 (ゲシュタルト療法の創始者

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「14歳からの哲学ー
  ー考えるための教科書ーー」
           池田晶子著  
この本の孤独についての箇所を引用してみる。

「自分の孤独に耐えられない人が、
その孤独に耐えられないために求めるような友だちは、
やっぱり本当の友だち、本当の友情じゃないんだ。
本当の友情というのは、
自分の孤独に耐えられる者同士の間でなければ、
生まれるものでは決してないんだ。
なぜだと思う?
自分の孤独に耐えられるということは、
自分で自分を認めることができる、
自分を愛することができるということからだ。
孤独を愛することができるということは、
自分を愛することができるということなんだ。」

「孤独というものはいいものだ。友情もいいけど、
孤独というのも本当にいいものなんだ。
今は孤独というとイヤなもの、
逃避か引きこもりとしか思われていないけれども、
それはその人が自分を愛する仕方を知らないからなんだ。
自分を愛する、つまり自分で自分を味わう仕方を覚えると、
その面白さは、つまらない友だちといることなんかより、
はるかに面白い。
人生の大事なことについて心ゆくまで考えることができるからだ。」

ー以上だが、これを書いていた気がついたことだが、
私の創作した「三つの部屋」のイメージは、
正に大いなる孤独の中に入る手軽な方法になる。
夜半目が覚めたとき一人で、三つの部屋に入って色いろな対話をしたり、
宇宙外に出て、この宇宙を見ているイメージは、大いなる孤独、
それも自分という殻から抜け出た世界になる。

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2003/08/04
孤独について -3

『人は人、我は我、されど仲良く』と武者小路実篤がいっていたが、
それこそそれぞれの「独」を認め、かつ自分の「独」を大事にする言葉である。
『和して同ぜず』も母校の長岡高校の校是であるが、意味がほぼ同じだ。

 孤独を特に感じるのは、一人旅であろう。
若い人のバックパッカーの聖書になっている沢木耕太郎の『深夜特急
という小説に、「独り言をブツブツ言いながら一人、旅をしていた」と書いてあった。
サルトルのいう「即自」と「対自」の会話である。
青年期によく国内だが一人旅をした。
一人旅に出なくては精神のバランスが崩れてしまいそうであった。
帰ってくると何か大きなものによって満たされる感じがよかった。
旅行の最中は寂しいということは全く無かった。
誰かと対話をしていたのだろう。
旅は孤独のプラス面が一番よく出る異次元の世界に浸れる。
いま振りかってみて、「旅日記を克明につけておけばよかったのに」と悔やまれる。

「孤独」というキーワードで検索をしていたら、
脳性麻痺の青年のホームページが出てきた。
「孤独などと軽がるしく使うな!」とどやされたようだった。
口が聞けない人や、盲目の人の孤独感は想像すら出来ない。
私の強みは「孤独に強い」と思っていたが、とんでもないことと思い知った。
「孤独は人を殺さないが、絶望は人を殺す」
という言葉をアンドレ・マルローがいっているが、
孤独の中の絶望に潰されてしまうのが問題なのだ。
その時こそ愛読書が一番自分を癒してくれる。
大いなる孤独ー作家の心ーとの出会いが本を通じて可能になる。
孤独であればあるほどその邂逅が大きくなる。

 いま一つの孤独で考えさせられるのが老人の孤独であろう。
結婚後、母と同居をしている時にトラブルが何回かあったときに、
母が「独り暮らしの孤独の知人がいっぱいいる。
彼等はどんなにトラブルがあっても、子供から離れてはならないと
シミジミ言っている。我慢をしなくては」とポツリと言った事があった。
知人に数人家庭内離婚者がいる。
ほとんどが浮気から出ているケースだ。
それでも離婚をして一人暮らしよりましの為だろうか。
一番嫌いなのは、孤独と孤立の違いも解らない輩だ。
群れたがる内なる羊である。

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2003/07/16
孤独について -2

 以前も書いたが(あとでコピーしておきます)、再び孤独について書く。 
 経営者は孤独でなくてはならないとか、孤独であるという。
特に創業は孤独に徹しないと、甘さが生まれてくる。
山の中の孤独というより、街の中の孤独である。
街の中の孤独とは自分と他者の間にラインを引くことである。
お互いの距離をおくことである。

ある本に孤独を「六独」6つに分解して、説明をしていた。
1 独想
2 独学
3 独行
4 独遊
5 独創
6 独楽

 これが出来るようになるには強い意志が必要だ。
創業を何回か経験をすると深い孤独の経験をする。
独り着想と構想をねり、その為の情報を集め、分析をして決断、たった独りで
嘲笑のなか行動開始、途中からゲーム化をして遊びまで高め、創りあげる。
そしてその起承転結を楽しむ。
しかし実際はつらい孤独業である。つらさと楽しみは裏表であることを知る。
二代目が失敗をするのは、この孤独に耐えられないためである。

 孤独に耐えるためには、宗教が必要である。
日本人が平気で自分は無宗教と答えるが、グローバルでみるとんでもないことだ。
欧米では自分が気違いだと言っているに近いことになる。
スモールS (多神教)の集まりを宗教観を前提で答えていることを、自覚して
いない為である。
                   ーつづく