* 拍手の意味   
          〈折々のことば:569 鷲田清一2016年11月5日〉
 2週間前の朝日新聞の一面コラムで、「拍手の意味」をテーマにしていた。
拍手といえば、対象への、例えば演奏会の演者に対する感激・感動に対する
感謝などに使う。そこには、一般感情を超えた共感、共振を手を叩くことで、
共同で表現する行為になる。1人で拍手するのは、特殊のケースを除けばない。
多くが感動の対象に与える賞賛と感謝の念。 拍手は、片手を背中に見立て、
良くやったと片手で叩くことを簡略した行為を意味するという。
 敬礼の語源は、鎧の顔の部分を、開いて相手に挨拶をしていたのが、
鎧をつけない時でも、形式的にしていたのが、軍隊作法として残った形式。 
  〜そのミニ・コラムより
≪ 拍手は、明らかに空っぽの抱擁に、空っぽの叩く動作が加わったもの
   とみることができる (デズモンド・モリス)
 抱いて背中を叩くのは、ヒトのみならずサルにも見られる行動らしい。
それは「すべてはうまくいっている」「おまえはうまくやった」という慰めや
激励や称賛の信号なのだと、動物行動学者は言う。そして競技や演奏会での拍手。
離れているのでじかに抱けないから、代わりに片手に相手の背中の役をさせ、
もう一方の手でそれを叩くのだと。  〜「ふれあい」(石川弘義訳)から。≫
▼ ベランダのインコが、ガラス戸越しに触れあいを求めてピッピと呼びかける。
 振返ると同時に、たった一つの芸の「枝回転」をたて続けてする。
多い時で50回の記録がある。今では10回がせいぜい。その時、笑顔でヨシヨシと
声をかけながら、家内共々、拍手で応える。餌が欲しい時、寂しい時、席を立つ
とき、鳴声で呼掛けて、回転芸で自分の意思を伝えようとする。人が拍手を
する時は、ほぼ笑っている。握手も似ている。これは一対一で、親交を示す行為。
それと、手中に何も危害を加えるものは有りませんよというサインでもある。
拍手は、握手の替りに、それぞれがしている行為でもある。大統領などが、群衆
の前の挨拶で、両手を組んで親愛の情を表現するのも、片手は皆さん、片手は私
と見立てた行為。秘境の絶景に出会った瞬間、心の中で、「万歳!」と叫ぶのは、
感動に感謝が加わった極みの感情。賞賛をされるのは難いが、気軽なミニ・賞賛
なら幾らでも可能。 その、気楽なミニ賞賛が出来るかどうか? とすると、
我家のインコは、なかなかツボを心得ている。

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5362,うらやましい死に方 〜死の前に一人でお遍路へ
2015年11月19日(木)
            ーうらやましい死に方ー五木寛之[編]
 妹に対する姉の愛情が行間から溢れ出ている内容で涙を誘う。
 人の一生は、世界と同じく深くて広い。生きてきたように人は死んでいく。
   * 死の前に一人でお遍路へ   日引美江子(京都府宮津市52歳)
≪ 四人姉妹の末子K子(四六)は、七タの夜ホスピスで亡くなりました。
 死の間際「私達姉妹で良かったね」と声をかけると「有難う。さよなら」と
右手をちょっと上げて答え、それが最後の言葉となりました。ペルーが好きで
インカの遺跡を上空から眺めた時の感動をよく語っていましたので、枢の中を
ひまわりの花むぎわらだびで埋めつくし麦藁帽子と好きだった煙草を入れ茶毘に
付しました。その日の夏空はどこまでも青く澄み"コンドルは飛んでゆく"の曲と
共に妹の魂が天空に吸い込まれていくように感じました。
妹は大学院を出た後渡米、文化人類学で博士号を取得、帰国後は年老いた
父親との二人暮し、大学の講師や翻訳をしながら自由に世界中を闊歩し生き生きと
暮していました。妹なりの切り口で見たこと感じたことを面白おかしく話して
聞かせてくれ、私共もそのような妹を見ているのが楽しく好きでした。しりめ
そんな妹からある日突然「私は癌」と告げられオロオロしている私共を後目に
手術・抗癌剤放射線治療と続き、その後仕事に復帰、以前と変わらぬ活動的な
日々を送っていました。よもや再発との気配は感じられませんでした。
ところがその又二年後のある日突然、「実は術後すぐ再発していた、自分なりに
調べ考えたすえ、治療はせずに自然に生きられるだ星きようとその時決めた。
いよいよその時が来たから私は今からホスピスに入る」と淡々というのです。
・・(略) 死の五ヶ月前、四国八十八ヶ所を一人巡り、高野山にも参って
いるのです。遍路体験を‘日本版ホスピス’と言い「踊る阿呆に見る阿呆、
同じ阿呆なら踊らな損々というのはすごい真理だと思う。途中行き倒れても
向かう先はお寺だから安心、次の札所までという目標があって自然の中を歩いて
いる方が寝ているより健康的なのは確かです。病人だから歩けないと思うのは
思い違いである場合も多いと思う。生きている限り寝ていてもエネルギーは
使います。とにかくお遍路さんは最高です」と友人にメールを送っています。
 そんな話を聞いても私は再発し死期が迫っているとは考えず、不断の好奇
心旺盛な妹の行動と思っていました。気付いてやれなかったことが悔やまれて
なりません。知ったところでどうしようもなかったでしょうが、明るい言動
とは裏腹に一人悩み苦しんだ夜もあったろうと思うと未だに涙がこぼれます。
でも最後まで誰にも知らせず胸の内にしまい生き続けたことが、妹なりに
学んだ哲学を、自分の生き方の中で実践したということなのでしょう。
最後の三週間は妹と一緒にホスピスで暮しました。冗談は言っても心の内を
語ることはありませんでした。ホスピスでの手厚い介護のお蔭もあり、妹は
とても穏やかで‘有難う’‘ごめんね’‘おいしい'と言うだけでした。
私は七タ様の短冊にこの言葉を書いて吊しました。我妹ながら、あっぱれ! ≫
▼「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々というのはすごい真理
 だと思う」は、人生を通して実感した真理だからこそ響きが伝わってくる。
エライヤッチャ エライヤッチャ ヨイヨイヨイヨイ」の エライヤッチャは
「大変なことだが平気だぞ」といった複雑な意味が 込められているという。
一人では出来ないことが娑婆には多い。踊るか、見るか? 集団で狂乱して
踊るのも、日常から外れる方法。人生、それぞれが独り阿波踊りでもある!
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4997,暴走する世間 −11
2014年11月19日(水)
      「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹(著)
   * 「格差」拡大による「そねみ・ねたみ」の肥大化
 建前が平等の社会にあって、格差が拡大すると、自分より上に対する
「そねみ・ねたみ」が拡大する。 逆に下に対して、陰湿な苛めなど差別を
するのが人間の性。それが世間様というもの。その互いに発する毒の共同幻想
で実は本人たちの脳がやられる。問題は自覚できないこと。ーその辺りからー                       
≪ つまり自分と同じ」だと思っていたお隣さんが、ある日突然ベンツを買った
 とすれば、それは自分と「同じ」 ではなくなる。ビミョーな「格差」が
生まれたときに、他人にジト−ッと嫉妬する独特の心理が生まれる。 
この日本人特有の嫉妬について、正高信男さんは以下のようにいう。
【 いかに時代が変わろうと、日本人は基本的に非常に嫉妬深い。いじめも、
 モンスーン気候の風土と正比例するように、ジメジメしている。だから、
自分よりも注目されている人間に対しては、いくら口先で褒めても、内心は
ムカツク要素を秘めている。昔でいえぽ、胸くそ悪いとでもいうのか。
単に不愉快ではすまない。 いつまでも梅雨が上がらないようなしつこい
陰湿さがある。嫉妬心も消えない。(『他人を許せないサル』)】
 ・・(略)自分は自分、他人は他人という個人主義ではないから、自分が
他人に比べて損をしていないか、得をしているかがいつも気になって仕方ない。
横並び一直線で暮らしていた時代は成功した者とそうでない者のデコボコの
差がほとんどないから、嫉妬の質も深刻ではなかったかもしれない。 が、
現代のように勝ち組、負け組の区別がはっぎりして、所得格差も以前より
ひどくなり、社会システムがより欧米化されると反応は過敏になってくる。】
▼ 地方では勝組は少ないが、大都会は中国などの勝組の観光客も相まって、
 歴然とした格差が現前している。それが面白い!と言えるのは、余裕のある
立場の人たち。そこは一度沈んだら、二度と立上がれない世界。他人事では
ないが・・ 日本は国家として明らかに負組になってきた。 その結果、国内
には、ジメジメした空気が漂い、今まで無かったような殺人事件が多発する。
そして、それを揶揄して楽しむ歪な空気が漂う。そこに欧米のような個人主義
ないが故に生じる共同幻想で集団で脳をやられる。 江戸末期の
「ええじゃないか!」の馬鹿踊りが形を変えて出てきたのが、
東京オリンピック』である。 この共同幻想を楽しみながら、
最期の宴を国家とともに終るのもオツナモノか。
・・・・・・
4630, 閑話小題 ー相棒 〜国民的刑事ものシリーズ ー2
2013年11月19日(火)   
   * 相棒 ー愛人と共謀の夫殺し 
 昨日の『相棒』は、二回完結型の後半もの。概略は
《 有名女優が、内縁の夫の作家を愛人のマネジャーと共謀して撃ち殺す。
 強盗の仕業にするが、右京が追い詰める。ところが調べているうちに、
内縁の夫は女優の実の父であることが判明。子供の頃に両親が離婚。 
亡くなった母親が残したアルバムから、半年前に知るが、父は、そのことを
知った上に、女優と内縁の関係になっていた。そのことに同情したマネジャー
と共謀し・・ しかし、そこには二人の純愛があった。 逮捕をされる時、
マネジャーが相棒二人に、結婚届けを託すラストシーンが、涙を誘う。》
話は、これからである。 ああ終わったか、とチャネルを回そうとすると、
TV局も、視聴者心理をしってか、冒頭から、ニュースの触りを持ってきて、
引きとめようとする。ところが、冒頭のニュースが、似ている裁判の内容。
「裁判で、被告が突然、自分は主犯でなく、殺害した被害者の奥さんと共謀して
やった」と主張、その奥さんは、証言で「ストーカーの被告が勝手につくった
物語」と、両者の言い分が対立、と報じていた。被告の証言で、
「以前、奥さんから、本人がつけている香水をもらった」と、それを提出した
のに対し、奥さんは、・・まあ、テレビドラマそのもの。偶然としてもTV局
は、してやったりのタイミング。奥さんらしき人の写真が流されていたが、
被告も、奥さんも普通の感じ。今週のマスコミは、この問題で大騒ぎだろう。
『相棒』の話題、軽いので、テーマとして迷ったが、こうなると、良かった
ことになる!それにしても、視聴者の多くは、主犯は?二人共言い張れば通る?
   * 何もする必要が無いのが、御隠居生活
 思いのほか、御隠居生活に馴染んでいるが、準備期間を含めた事業人生から
解放された気楽さがある。大きな成功を必死に求めていた自分が、可愛らしく
思えるのが御隠居の視線である。以前も書いたが、家内が不思議そうに、
「毎日、単調な生活で刺激も無いようだし、つまらなくない?」と聞いてきた。 
その答えは、「実際に、事業をしていると、寝ても覚めても極度の緊張状態。
それは良いこともあるし、嫌なこともある。現在も、同じこと。これはこれで、
淡々として良いし、逆に詰らないこともある。どっちも同じこと」が、
偽わざる気持ち。滑り台に例えると、早朝が一番上で、就寝が一番下。
寝起きに、この随想日記の添削をして、アップ。30分の瞑想、ポタリング
と続く。そして朝食とり、八時またぎでTVを見て、風呂に入り、九時半から
パソコンと読書に二時間、費やす。そして、・・と、淡々と何時ものとおりの
習慣を繰り返す。重要度からすると、徐々に下がっていくから、楽といえば楽。
午後からは、スポージム、読書、ドラマの視聴といった流しになる。
面倒なら飛ばせば良い。どれもこれも誰に頼まれた訳でない。森の生活では、
少し不安だったサバンナも、慣れてしまえば、これはこれ。
50年近い、読書習慣が支えである。
・・・・・・
4265, この非常事態に、万一の備えがあるの? −2
2012年11月19日(月) 
 私の場合、記憶が1歳の頃からある。そして両親の商売の一喜一憂が、
そのまま普段の生活に直に伝わっていた。終戦直後で、新しい事業を両親が
模索していた時期のため、今から振り返ると、何ともいえない張り詰めた
緊張感があった。「どこどこが倒産した」「店を出したが、少し良くなると
天狗になり夜逃げをした」などが、日常会話。それもあってか、自分が瀬戸際
に直面した時に、不謹慎だが、デジャブというか、その自分を冷笑し楽しんで
いる視線があった。現在も一部それがある。それらの幼児体験もあり、万一の
備えを無意識に次々と重ねていた。悪化と同時に、自動的に手順をつのが自然
の道理。30年間(事前の準備期間を入れたら45年間になるが)、創業から
整理までの起承転結の一サイクルの経験をしてみて、手じまいも、事業の最大
のイベント。 最悪に見えた経験も、奇妙な感情が支配していた。
あと講釈だから、言えるのだろうが。15年以上かけ準備をし立ち上げた
事業を、その衰退を見届け、自分の手で潰すのも事業経営の一環であり、
後悔も無念の感情も残らないのも道理。で、この本体の経済崩壊の大津波
地方では既に到来の感がする。大方は茹で蛙状態で、知ってか知らぬふり? 
年末の選挙前後辺りにクラッシュの可能性の仮説はたてておくべきだ。
年越しの可能性もあるが、遅かれ早かれ恐慌は起きる。日本で、この2千年
の間に4回の東日本で震度8クラスの大地震があった後、10年以内に、
いずれも首都圏で直下型地震が連動して起こっていた。 西日本では18年
以内にM8クラス以上の巨大地震が起きている。経済の7割が集中している
太平洋ベルト地帯が破壊されてしまうのである。恐ろしいが日本には失われた
20年で経済が壊滅的状態。そこに少子化もあり、分かっていても、資金が
追いつかないのが、現実である。それと世界的恐慌と、デフレの問題がある。
ある日突然、何かの切っ掛けで、世界は機能不全に陥ってしまう危険がある。
そうすると、弱い国に矛先が向かう。その弱い国が、日本となる危険が
非常に強いのである。バフェットが、一度売り抜けた金を再び大量購入。 
イスラエルが、先手をうってガザ地域で戦争を仕掛けている。
イランへの攻撃が始まるか? 
 ・・・・・・
3890, ギリシャ/イタリアの次は・・
2011年11月19日(土)
 ギリシャが何とか目先の命を繋いだが、これも解決したわけでなく問題の
先送り。その直後に、待ってましたとイタリアがマナ板に上がり、IMF
管理下に置かれて徹底的な国家の合理化が図られる。イタリアには一度
就職をすると簡単に人員整理が出来ない法律がある。イタリア人は、それを
逆用して働かないで給与を貰う体質が染み付いている。グローバル化の世界
では競争力がなくなり破綻するのは当然。IMFの厳しい合理化にイタリア
気質が耐えられるか?というと、非常に難しい。ギリシャ、イタリア、
スペイン、ポルトガルという一時代を築き上げた国が次々と国家破綻の
瀬戸際になっている。
 リーマンショックがキッカケで、世界の多くの国が積年の矛盾が噴出し、
一挙に激変の様相になっている。それに対して指導者は、その対策が全く立た
ない事態で、その場限りの対処しか考えられないのが現状。あとは何時何処で
火を吹き出すか。1999年からG7にロシアを加えた蔵相会議が開催されてきたが、
リーマンショックを契機に世界の主な国の12ヶ国を加えたG20が年に
1〜2度のペースで開催され、その対策が検討されている。
そこで何とか恐慌を食い止めているが、それも秒読みになってきた。
イタリアに続いてスペインの国債利回りが7パーになろうとしている。
ここもIMFの管理国になるのだろうか。 ギリシャ危機の9月のギリシャ
国債のりまわりが136パーセントというから驚き。現在の32パーも、危機
ラインを遥かに超えている。日本だったら1千兆の利回りだから、329兆円
の利回りになる。国家収入の10倍になる。そのギリシャと程度が同じで、
数年後には、似た状態になるとしたら、ここで叫び続けていることは、まだ
楽観的範疇。 例の国の国債の利回を見て、呆然。近未来が見えている。
 <10年もの国債の利回>   ぷかぷか煙草を吸いながら川辺で車に
寄って引き潮を見ていた東北大震災の被害者の姿が目に浮かぶ。
・ ギリシャ    32.29%      
・ ポルトガル   11.52%
・ アイルランド   8.22%
・ イタリア     7.28%         
・ スペイン     6.43%   
たまたま、この数年来の同月同日に予告編?を書いていた。
・・・・・・・
3525, 死に至る地球経済
2010年11月19日(金)
  [死に至る地球経済」浜矩子 著
ー内容紹介ー
 ギリシャ危機に端を発するソブリンリスクを抱えたEUや、人民元の動向
が注目される中国など混迷が続く世界経済。長期低迷を続ける日本経済も、
デフレ、資源価格の高騰、財政危機というトリプルショックを迎えている。
今、進むべき道はどこにあるのか。グローバル経済の新しいあり方を
視野に入れ、現状を分析し未来を模索する。
(第1章)では、G20サミットの苦悩にみる政策主導型成長の限界を論じ、
   「成長に優しい財政再建を目指すこと」の困難さについて述べている。
(第2章)ソブリン・ショック=国家破綻の脅威についてで、グローバル時代の
   恐慌は、いったん始れば国家財政で押さえ込むスケールを遥かに越え
   広がり、セスキュー隊員を遭難させ、その隊員の遭難が更に恐慌を深める
(第3章)終焉近い基軸通貨体制 ートリフィンのいわゆる「流動性ジレンマ」
   論を踏まえての基軸通貨システムへの代替論の提示)、どうしても
   「地域通貨」に一つの解答を見出したくなるという
(第4章)ポスト・リーマンのグローバル金融の模索、ー再暴走か、
   大縮減かの瀬戸際に立つ緊迫状態
(第5章)中国は果たして救世主になれるか? 世界経済における中国の
   存在意義とそれが生み出す諸問題、経済活動は、成長と競争と分配を
   三辺とする三角形。中国は、はなはだ歪で成長だけの一輪車。
(第6章)そしてわが日本はどうすべきか。総中流に向けて忙しく働き、
   皆が豊かになっていく時代の状況は変わってしまった。「下流社会
   という言葉も出ている中、誰もやらないことをやるのが政策の仕事。
▼ 著者は、辛口の経済学者として著書、雑誌で度々みかけ、その論調も痛快。
 エピローグで、ここで再び世界を不安感が覆いはじめていると警告。
その不安を呼び覚ましている言葉を二つあげている。その一つが「財政破綻」。
二つめが「二番底」という。財政破綻は、国家破綻を意味している。
その二の「二番底」は「死に至る危機」が襲う恐ろしいこと。これは当初から
あったが、目先の緊急措置で当面の間、乗り切ったに過ぎず、根本問題の
先送りをしただけ。その先送りの問題が、再び立ち上がっている。
「国家財政破綻」これが、恐ろしいのである。欧州では、理想的なEUが
発足されたが、さっそく、この金融恐慌で、その脆さが出てしまった。
先行き、真っ暗で、世界恐慌への引き金を引きそうな事態に。