閑話小題 ~『ダーク・ストレス』

 

   * 『ブライトストレス』と、『ダーク・ストレス』
 ストレスには『ブライトストレス』と、『ダーク・ストレス』がある。
ブライトストレスを成長や幸せにも貢献する重要なものだと指摘。
ストレスは私たちを大きく成長させてくれます。
私たちの脳や身体のシステムにストレス反応が備わっているのは、成長を
促すためともいえます。害しかなく意味のないものであるのなら、とうに
進化過程で淘汰されています。
 
 一方、メリットはなく、病気すらもたらしうるストレスもあり、それを
ダークストレスといいます。 例えば、上司と日ごろから折り合いが悪く、
そのことを気に病んでしまっている場合。 だからといって上司を変えたり、
簡単に会社を辞めるわけにもいかないストレスが慢性化してしまうと、
それはダークストレスといえるでしょう。

 私も20,30歳代にストレス過剰で、40代半ばに倒れた経験がある。その時、
熟考して出てきたのが、年に数回、家内と『秘・異郷ツアー』に参加すること。
これはストレスになるが、反面『ダーク・ストレス』を解消してくれる
『ブライトストレス』であることに気づく。一度ごとにバッサという感じに
消えていった。 現在は一日単位は、ドラマや、ショート・ストリーの映像・
YouTubeで…、(現在は転倒で中止をしたが、早朝のミニ・チャリを10数年は
続けてストレスを解消していた)
 私たちの病の7割はストレスが起因しているといわれる。
尤もノン・ストレスが、最大のストレスだが、地方にはノン・ストレス症候群が
多くみられる。刺激が無いため、周囲の粗探しが起源となっているようだ。

 このコロナ禍で、家庭内ストレスの問題が浮び上っている。
比較的『ブライト・ストレス』が、『ダーク・ストレス』に染まりつつある。
家庭内居住が圧倒的増加した上での、蟠りは並大抵ではない。10年以上の
軋轢の鬱憤は…

・・・・・・
7187,閑話小題 ~人生総括の時節に -3 
2020年11月17日(火)
   * 0歳から9歳までの想い出  =A=
◉ 毎日、毎日、よくぞネタが尽きないものと我ながら驚くこと暫し!
今日も、昨日も然り! まずは『閑話小題 ~人生総括の時節に ―3』から
白地のテーマ欄に書込むことから始める。そして、サブテーマ<* ○○○○>
を書き足す。まずは、最初から真ともな文章がすらすら、思い浮かぶわかでなし。
自然な何気ない言葉ほど、読返す度に書き直した言葉。 ああ、モノ書きは、
この繰返しをしてきたのではと、気づくこと暫し。
 8人の兄・姉の末っ子で、実家が商家であったことを含めて、0~9歳までは、
刺激の強い環境で育った。終戦直後の戦災の中で、両親を含めて、一日一日を
家族全員が必死に生きていた。当時はそれが当り前… それは年齢に関係なく、
明日明後日が如何なるかの危機感があった。毎日が刺激が強くて、何もかもが、
新鮮なことばかり! まず保育園で親しくなった友人の実家は、商家が多くて、
生活感が強く滲んでいた。 焼き鳥屋、居酒屋、衣料品店、化粧品屋等々… 
 親の留守にコッソリと店の2Fにある、生活部屋が、何とも味わいがあった。
保育園に一年、小学校に6年間、中、高校に6年間、都合13年が地元長岡の生活圏。
両親、兄姉と、お客の顔色を窺い遊んでいた日々。書き残しておくべき材料が
山ほどあり、その記憶の山から断片を取りだして、このように線上に書いている。
真っ直ぐに書き残すことは思いの外に難しい。
 この随想日記を書き始めて、あと数ヶ月で20年になる。よくぞ続いたものよと
自分で感心をするが、これも慣れ。ある意味で、長岡の生き証人でもある。
私が地元の人との距離をおくかと言うと、子供の頃から、知っていた濃厚な
人間関係を知り過ぎていて、その固定観念から距離を置くことが、出発時点。
子供心に、その世間話にワクワクした経験があるため! 各家庭の身元調査、
下ネタなどが、イヤガウエニモ入ってくる。上京して一歩地元から離れれば、
その下らない世間話のヘドロの臭いに気づかされる。

・・・・・・・
6821,閑話小題 ~ソクラテスの名言集 
2019年11月17日(日)

 これまで、哲学の入門書を何冊か、ここでテーマにしてきた。
入門書といえば、ソクラテスプラトンアリストテレスから入る。
この3人の言葉は、何度も味わっても新鮮である。 特にソクラテス
無知の知」は心が洗われる。 若い哲学者のソクラテスの切口は、
その人により違っている。ところで、格言集を書いてなかったようだ… 
 
 ~そこで、『ソクラテス 格言』で検索すると~

≪ できれば、人より賢くなりなさい。
 でも、それを人に知らせてはいけません。

書物を読むということは、 他人が辛苦してなしとげたことを、
容易に自分に取り入れて自己改善する最良の方法である。

行動し経験しなさい。
 人間の美徳はその行いによって おのずと増えていきます。

それぞれが抱える不幸を持ち寄って皆で平等に分けたら、どうなると
思いますか? ほぼまちがいなく全員が最初に持ってきた不幸の方がいい
と言って、帰っていくことでしょう。

深く考えない人生は、生きるに値しない。

自身が無知であることに気づいた人間は、自身が無知であることに
気づかない人間よりも はるかに賢いのである。

心の底からの悪人など、この世に存在しません。

生きるために食べなさい。
食べるために生きるようになってはいけません。

良き友よりにまさる財産などありはしない。

富を持っているだけでは称賛には値しない。
その富をどう使うかが一番大事なのだ。

世界を動かしたいと願うなら、
まずは自分自身が動きなさい。

自分を売って、正義を買う者。
それが、指導者というものだ。

幼にしては、謙遜でありなさい。
弱にしては、温和でありなさい。
壮にしては、公正でありなさい。
老いては、慎重でありなさい。

あなたに対して褒め言葉しか言わない人間は信頼するに値しない。
間違いを指摘してくれる人こそ信頼に値する人物である。

 ――
▼ <深く考えない人生は、生きるに値しない。> の言葉を、
 さて<どう考えるか?> どのみち、微細な塵の存在なればこそ、
限界まで考え続けるべしか、<バカな考え、休むに似たり> と、
日々、安逸に、他人の顔色を窺い生きるか。

・・・・・・
3888, 第二の人生は、「自由の刑罰?」
2011年11月17日(木)
 サルトルが「人間は自由の刑に処せられている」と述べた。
自由は人間の求めるところだが、突然の倒産や、会社に不満を持って辞め、
いざ自由の身になると何も出来ない自分に直面して戸惑うのが人間の常。
 私も然。初めて会社勤めで、その過酷の仕事に疲れはて、再び大学に入り
直したが、もう社会的には傷物。その後、事業を始めるには、まだ能力不足で、
再度、金沢にある会社に入り直し鍛え直した時の苦しさは筆舌に出来ないほど。 
何とか踏みとどまっていたが、逆に、その立場の視線で社会を見ると、多くが
見えてくると気づく。結果からみて、それは予定挫折への自己配転であった。
でも真の楽しみは、それなるが故に、魂の底から湧きあがってくるもの。
自由は厳しい!。「なるほどサルトルのいう自由は不自由!とは、このことか」
と骨の髄まで思い知った。結局は自分の思いは、想いでしかない。
 その経験を人生の前半に何度か味わってきたため、今回の事態では、こんな
ものかと冷静にいることが出来ている。それよりも65歳の現在、人生を振り
返ると、40年近く自分で事業を起こし、独立独歩であったことが、如何に
恵まれていたか。自由を自分のものにして、判断をし、その結果をプラスも
マイナスも直接感受出来たことは、最大の人生の収穫。自由の不自由を克服し、
不自由の苦悶の褒美として、自由の使いこなしが出来たことほど、幸せなこと
はない。サルトル実存主義者だが、人間の本質は「投企=取捨選択しながら
未来に向けて自己を投げ入れ人生を切り開く」存在であるとし、実存が存在に
先立つとしている。しかし老年になると、その未来が少なく感じ、人生を切り
開く前に絶望が先立つから困ったもの。自由と平等と博愛の社会は理想だが、
こと個々人になると非常に難しい課題。「自由の刑罰」の獄死か、獄内で、
うち拉がれている人の山? それが世間という世界である。

・・・・・・
5725,技術的特異点 ~③
2016年11月17日(木)
           『人工超知能が人類を超える』台場時生・著
   * 生物的進化のゴールは「手、口、頭の獲得!」
 ここで、<生物的進化のゴールは「手、口、頭の獲得!」>という。
現時点の具体的ゴールの一つが、スマートフォンと、ネットを如何に
使いこなすかにある。情報機器と、ネットシステムのとどまることのない
進化に日々に驚いているが、これが最近、加速を始めているようである。
  ~その辺りを要約すると~
特異点問題を考える際に重要なことは、人工知能開発だけに的を絞って議論
するのではなく、人類や生物の進化といったより大きな観点から議論を行うこと。
例えば「人類700万年の進化史から見たときに、技術的特異点にはどのような
意味があるのか?」、「人類の生きる意味は何なのか?」、さらに
「私たちは人類の最終的な未来に何を求めるか?」といったような哲学的
かつ根源的な議論にまで立ち返る必要があります。
 そこで、宇宙の始まりから現在に至るまでの進化の過程を振り返り、
その中で「生物進化におけるゴールとは何か?」について考える。
本書で、「手、口、頭」を獲得が生物進化における一つのゴールとみなす。
・外界を操作できる「手」を獲得することで道具を操り、
・多彩な音を出せる「口」を獲得することで言葉を話し、
・高い「知能」を獲得することで文明社会を築けるようになった段階で、
 生物学的な意味での進化はその役割を終えると考えます。
このゴールを迎えたといって生物的進化が止まってしまうわけではなく、
「生物的進化から次の進化へと移行するための切符を手にする」という意味で、
ここでゴールという。人類の祖先は、サルから新人(ホモ・サピエンス)へと
進化する過程で、これらの形質を獲得した。特に脳の容量が、猿人、原人、
旧人、新人となるにつれて徐々に肥大化していった。そして、最終的に、
その3つを揃えた人類が地球上で最初に文明のドアを叩くことが出来た。
ちなみに、3万年前まで生きていたネアンデルタール人が、新人のように高度
の言語を話せなかったという理由そのもので、絶滅してしまった。》
――
▼ この3つ能力が拡大した、止まることなく飛躍した人工超知能が、29年後の
特異点を過ぎると、その超能力は人知の知ることが出来なくなる。それゆえに、
「どのようにコントロールするか?」という哲学的問題になる。
この程度のレポートでも、私の能力からして、PCとネット環境がなければ、
15年間も書き続けることは不可能。公開で質の劣化を防ぎ、習慣化をすることで
何とか維持してきた。私にとって、外部脳化でもある。ところが、サーフィンを
していると、最新機器を使った、頭とセンスの遥かに良いブログを見つける度に、
深く溜息をついている。まだ、それに気づいているだけマシと自らを慰めている。
 私の現時点の生物的進化のゴールは、このブログの、「手、口、頭の獲得!」
・・・・・・
4995,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと ~①
2014年11月17日(月)
              ー私が語り伝えたかったこと~河合隼雄著ー 
  * 「三年寝姫」ばなな が過ごした‘さなぎ’の時期
 次の一節に考えさせられた。人生に無駄なし!である。
≪ 先日、テレビの番組で、作家のよしもとばななさんと対談をしました。
ずいぶんと面白い話を聞かせてもらったのですが、その中で、「三年寝太郎
ならぬ、「三年寝姫」という話がありました。「高校時代の三年間、私は寝て
通しました。教室の中でも、両手の上に頭をのせて寝てばかりでした」と、
よしもとさんが言われるのです。以前から私は、「思春期さなぎ説」を唱えて
います。毛虫が蝶になる前にさなぎの時期が必要なように、人間も、子ども
から大人になる前には、さなぎのように閉じこもり、内面的な変化を乗り
切っていくというもの。
この変化がさなぎの殻によって守られず外に向かって出ていくと、思春期の
破壊性を持った行動になるが、よしもとさんは、三年間、さなぎの時期を寝て
過ごしたわけです。そのことが、後の作家としての大きな成長に役だったことは
言うまでもないでしょう。それにしても、この間、よしもとさんが‘寝ること
を許していた’高校の先生方も、大したものです。もしそうでなかったら、
よしもとさんはきっと不登校生になっていたでしょう。ちなみに、よしもとさん
のお父さんは哲学者の吉本隆明さんですが、奥様ともども、ばななさんの意思
を尊重して、その三年間を黙って見守っていたそうです。間違ってもらっては
困るのですが、思春期の子どもは放っておけばよいと言いたいのではありません。
それは一番困ることです。その子の成長に関心は持っているけど、ある時期は
見守るだけにしておく、こういうことも大切だと言いたいのです。よしもとさん
の御両親にしても、高校の先生方にしても、その点が大したものだ思ったのです。
そもそも、見守るということは、その子に対して何かをするよりもはるかに
エネルギーがいることです。≫
 ―
▼ ここには多くの示唆がある。私にとって受験のための高校生活は思い出した
くもない時代。悪いことに鼻炎に悩まされ、机に向かうと頭が重くなるが、
山ほど記憶しなければならない教科がある。何とか卒業は出来たが、更に一年の
浪人生活を加えた『空白の4年間』。それもあって記憶から切り捨てていた。
 もし希望校に入っていれば別だったのだろう・・ しかし実は、この期間を
「さなぎの時期」として見直すと、多の側面が思い当たる。 私にとって一番
面白く恵まれていた時節は、学生時代を加えた20,30歳代。
その中で特に20代。その背景には、この4年間があったという見方もできる。
読書習慣で培われたベースがあるわけでなし、何か夢中になったこともなし、
ただ、お受験の重圧の中、ただボ~ッとしていた暗い日々! 
これが実は「思春期さなぎ説」の切り口で捉えると・・ 成るほど! 
この年齢で気づくことが、あまりに多い。振り返ると、「してしまった後悔より、
しなかった後悔」の方が、遥かに悔いが残っている。 しかし、「さなぎ」の
時節を改め肯定すると、新鮮な切口になる。そのまま一生ボ~と過ごす人も
いるが、どうだろう? それは、蝶か蛾によるのか。フランスでは、蝶と蛾は
同じというが・・ 以前、ここで取上げた『ぼんやりの時間』辰濃 和男(著)に、
「ぼんやり」と響き合う5つの「一文字」がある。  
1、「闇」―蛍と星とダークマター  2、「独」―独りでいること   
3、「閑」―逆茂木に囲まれて   4、「怠」―「1日4時間労働」の夢  
5、「懶」―心の余白  ー彼女は、この世界に浸かっていたのである。

・・・・・・
6457,映画観賞 ~『ボヘミアン・ラプソディ』 
2018年11月17日(土)
   * 2~3年に一度の感動でした!
 この年齢で、まさかロック会場に呑込まれてしまうとは、自分でも驚いて
しまった。 ハリウッド映画で面白そうなのが見当たらず、邦画と思ったが、時に
普段、見ることのないロックバンドの世界を垣間見ることもありと判断をして見ること
にしたが、何と、この異質の世界が面白い。最後の場面が、20世紀最大の伝説
のライブを特撮で再現していたが、この熱狂が感動もの。これが話題の4DXの
シアターで放映されるというから、こっそりと行ってみたいと思うほど。
 数万人が埋め尽くしたラグビー場の会場の客と一体化した歌の数々が圧巻。
ゲイと、麻薬、酒、ロック漬の異様な世界の薄気味悪さが、面白さを増していた。
最期はエイズで亡くなるが、遠くない死を前にした、渾身の歌が数万人の会場を
一つにする迫力があった。  ~映画サイトのブログより~
 
≪ 世界的人気ロックバンド「クイーン」のボーカルで、1991年に45歳の若さ
 でこの世を去ったフレディ・マーキュリーを描いた伝記ドラマ。クイーンの
現メンバーであるブライアン・メイロジャー・テイラーが音楽総指揮を手がけ、
劇中の楽曲には主にフレディ自身の歌声を使用。「ボヘミアン・ラプソディ
「ウィ・ウィル・ロック・ユー」といった名曲誕生の瞬間や、
20世紀最大のチャリティコンサート「ライブ・エイド」での圧巻のパフォーマンス
といった音楽史に残る伝説の数々を再現するとともに、華やかな活躍の裏にあった
知られざる物語を描き出していく。「ナイト ミュージアム」のラミ・マレック
フレディを熱演し、フレディの恋人メアリー・オースティンを
「シング・ストリート 未来へのうた」のルーシー・ボーイントンが演じる。
監督は「X-MEN」シリーズのブライアン・シンガー。≫
 
  ―感想―より
《 見るものの心に永遠に刻まれるであろう“特別な1本”が公開される。
 世界中のだれもが知るスーパーバンド「クイーン」のボーカル、フレディ・
マーキュリーの半生を映画化した「ボヘミアン・ラブソディ」(11月9日公開)。
天性の歌声を持つ青年が、どのようにしてスターへと上り詰めて行ったのか。
栄光に隠された“苦悩”と“挫折”、その果てに到達した“救い”を限りなく
エモーショナルに描いた本作に、名だたる映画のプロたちも号泣&絶賛の嵐!》
《 カラオケバーから漏れてくる外国人の大合唱。
 人もまばらな早朝の空港、...イヤホンで聴きながら熱唱する外国人。
どのシーンでも人々を陶酔させているのはQueen の曲だった。
その様子を外から見ていた気持ちは、すっかり陶酔する側に変わってしまった。
孤独から生まれた全身全霊の歌の前には、理屈抜きの感動しかなかった。》
《 頂点に立つ人の孤独
 子ども騙しのモンキービジネス…かつて音楽業界を、そう謳いあげた
バンドマンがいました。そんな業界に、心惹かれしまうから、不思議です。
 家族の映画だそうです。だから、ケンカもする。家出だってしちゃう。
ただ、本気で怒っても、許し合える。嫌いになっても、お互いを大切に思う。
ビジネスじゃない。DNA だけが家族じゃない。そんな映画。万引き家族とは、
随分違うけど。 さて問題です。業界のてっぺん極めた代償に、失うものは?。
多くの人が集まる程、少くなるものは何?とあるタレントさんが言ってます。
てっぺん極めたら、降りて来ないと。出来ないと、遭難だよ、とね。
 戻るべき処、戻るべき家族を、一度は見失ったフレディ。劣等感と闘い
続けたフレディ。彼が冒頭で、パキ野郎呼ばわりされたのが、ショック。
そんな彼の闘いの証が、あのステージなんですね。
 私のフレデイ像が、どんどん、パッと、豹変です。胸毛から声を出す、
風変わりなおじさんは、もういません。魂削って、自分の居場所を探し続けた、
求道者だったんですね。 》
――
▼ 館内の同年輩の人たちが多いのは、当時のロックファンだろうか。
 ライブを再現した場面の後、エンディングの実写映像が流れていたが、
誰ひとり席を立つ人がいない。感動で席を立てなったのか?。
 ところで、幾つか映画評を書いていたことを思いだして、分類コーナーの
『読書日記・映画鑑賞日記』のコーナーをみてビックリ。丹念に、90点以上
を評価した映画の評論を書いていた。 成るほど、数ウチャ当たるで、
ミニ感動をしていたことになる。TVでみたのは、ほぼ書かないから、結構、
刺激的日々を過ごしていることが分かる。シネマ館、自宅のTVの映画で、
感動・感激を数多くしていることになる。秘・異郷ツアーの旅先や、美術館、
博物館で数知れず感動体験の積み重ねから、『感動・感激力』が知らずと身
についていたようである。二年に一本として、この数年、年に50回平均は
通っているので、100分の1にあたる。是非、ご鑑賞を勧め!  評価:95点。

閑話小題 ~『ダーク・ストレス』

   * 『ブライトストレス』と、『ダーク・ストレス』
 ストレスには『ブライトストレス』と、『ダーク・ストレス』がある。
ブライトストレスを成長や幸せにも貢献する重要なものだと指摘。
ストレスは私たちを大きく成長させてくれます。
私たちの脳や身体のシステムにストレス反応が備わっているのは、成長を
促すためともいえます。害しかなく意味のないものであるのなら、とうに
進化過程で淘汰されています。
 
 一方、メリットはなく、病気すらもたらしうるストレスもあり、それを
ダークストレスといいます。 例えば、上司と日ごろから折り合いが悪く、
そのことを気に病んでしまっている場合。 だからといって上司を変えたり、
簡単に会社を辞めるわけにもいかないストレスが慢性化してしまうと、
それはダークストレスといえるでしょう。

 私も20,30歳代にストレス過剰で、40代半ばに倒れた経験がある。その時、
熟考して出てきたのが、年に数回、家内と『秘・異郷ツアー』に参加すること。
これはストレスになるが、反面『ダーク・ストレス』を解消してくれる
『ブライトストレス』であることに気づく。一度ごとにバッサという感じに
消えていった。 現在は一日単位は、ドラマや、ショート・ストリーの映像・
YouTubeで…、(現在は転倒で中止をしたが、早朝のミニ・チャリを10数年は
続けてストレスを解消していた)
 私たちの病の7割はストレスが起因しているといわれる。
尤もノン・ストレスが、最大のストレスだが、地方にはノン・ストレス症候群が
多くみられる。刺激が無いため、周囲の粗探しが起源となっているようだ。

 このコロナ禍で、家庭内ストレスの問題が浮び上っている。
比較的『ブライト・ストレス』が、『ダーク・ストレス』に染まりつつある。
家庭内居住が圧倒的増加した上での、蟠りは並大抵ではない。10年以上の
軋轢の鬱憤は…

・・・・・・
7187,閑話小題 ~人生総括の時節に -3 
2020年11月17日(火)
   * 0歳から9歳までの想い出  =A=
◉ 毎日、毎日、よくぞネタが尽きないものと我ながら驚くこと暫し!
今日も、昨日も然り! まずは『閑話小題 ~人生総括の時節に ―3』から
白地のテーマ欄に書込むことから始める。そして、サブテーマ<* ○○○○>
を書き足す。まずは、最初から真ともな文章がすらすら、思い浮かぶわかでなし。
自然な何気ない言葉ほど、読返す度に書き直した言葉。 ああ、モノ書きは、
この繰返しをしてきたのではと、気づくこと暫し。
 8人の兄・姉の末っ子で、実家が商家であったことを含めて、0~9歳までは、
刺激の強い環境で育った。終戦直後の戦災の中で、両親を含めて、一日一日を
家族全員が必死に生きていた。当時はそれが当り前… それは年齢に関係なく、
明日明後日が如何なるかの危機感があった。毎日が刺激が強くて、何もかもが、
新鮮なことばかり! まず保育園で親しくなった友人の実家は、商家が多くて、
生活感が強く滲んでいた。 焼き鳥屋、居酒屋、衣料品店、化粧品屋等々… 
 親の留守にコッソリと店の2Fにある、生活部屋が、何とも味わいがあった。
保育園に一年、小学校に6年間、中、高校に6年間、都合13年が地元長岡の生活圏。
両親、兄姉と、お客の顔色を窺い遊んでいた日々。書き残しておくべき材料が
山ほどあり、その記憶の山から断片を取りだして、このように線上に書いている。
真っ直ぐに書き残すことは思いの外に難しい。
 この随想日記を書き始めて、あと数ヶ月で20年になる。よくぞ続いたものよと
自分で感心をするが、これも慣れ。ある意味で、長岡の生き証人でもある。
私が地元の人との距離をおくかと言うと、子供の頃から、知っていた濃厚な
人間関係を知り過ぎていて、その固定観念から距離を置くことが、出発時点。
子供心に、その世間話にワクワクした経験があるため! 各家庭の身元調査、
下ネタなどが、イヤガウエニモ入ってくる。上京して一歩地元から離れれば、
その下らない世間話のヘドロの臭いに気づかされる。

・・・・・・・
6821,閑話小題 ~ソクラテスの名言集 
2019年11月17日(日)

 これまで、哲学の入門書を何冊か、ここでテーマにしてきた。
入門書といえば、ソクラテスプラトンアリストテレスから入る。
この3人の言葉は、何度も味わっても新鮮である。 特にソクラテス
無知の知」は心が洗われる。 若い哲学者のソクラテスの切口は、
その人により違っている。ところで、格言集を書いてなかったようだ… 
 
 ~そこで、『ソクラテス 格言』で検索すると~

≪ できれば、人より賢くなりなさい。
 でも、それを人に知らせてはいけません。

書物を読むということは、 他人が辛苦してなしとげたことを、
容易に自分に取り入れて自己改善する最良の方法である。

行動し経験しなさい。
 人間の美徳はその行いによって おのずと増えていきます。

それぞれが抱える不幸を持ち寄って皆で平等に分けたら、どうなると
思いますか? ほぼまちがいなく全員が最初に持ってきた不幸の方がいい
と言って、帰っていくことでしょう。

深く考えない人生は、生きるに値しない。

自身が無知であることに気づいた人間は、自身が無知であることに
気づかない人間よりも はるかに賢いのである。

心の底からの悪人など、この世に存在しません。

生きるために食べなさい。
食べるために生きるようになってはいけません。

良き友よりにまさる財産などありはしない。

富を持っているだけでは称賛には値しない。
その富をどう使うかが一番大事なのだ。

世界を動かしたいと願うなら、
まずは自分自身が動きなさい。

自分を売って、正義を買う者。
それが、指導者というものだ。

幼にしては、謙遜でありなさい。
弱にしては、温和でありなさい。
壮にしては、公正でありなさい。
老いては、慎重でありなさい。

あなたに対して褒め言葉しか言わない人間は信頼するに値しない。
間違いを指摘してくれる人こそ信頼に値する人物である。

 ――
▼ <深く考えない人生は、生きるに値しない。> の言葉を、
 さて<どう考えるか?> どのみち、微細な塵の存在なればこそ、
限界まで考え続けるべしか、<バカな考え、休むに似たり> と、
日々、安逸に、他人の顔色を窺い生きるか。

・・・・・・
3888, 第二の人生は、「自由の刑罰?」
2011年11月17日(木)
 サルトルが「人間は自由の刑に処せられている」と述べた。
自由は人間の求めるところだが、突然の倒産や、会社に不満を持って辞め、
いざ自由の身になると何も出来ない自分に直面して戸惑うのが人間の常。
 私も然。初めて会社勤めで、その過酷の仕事に疲れはて、再び大学に入り
直したが、もう社会的には傷物。その後、事業を始めるには、まだ能力不足で、
再度、金沢にある会社に入り直し鍛え直した時の苦しさは筆舌に出来ないほど。 
何とか踏みとどまっていたが、逆に、その立場の視線で社会を見ると、多くが
見えてくると気づく。結果からみて、それは予定挫折への自己配転であった。
でも真の楽しみは、それなるが故に、魂の底から湧きあがってくるもの。
自由は厳しい!。「なるほどサルトルのいう自由は不自由!とは、このことか」
と骨の髄まで思い知った。結局は自分の思いは、想いでしかない。
 その経験を人生の前半に何度か味わってきたため、今回の事態では、こんな
ものかと冷静にいることが出来ている。それよりも65歳の現在、人生を振り
返ると、40年近く自分で事業を起こし、独立独歩であったことが、如何に
恵まれていたか。自由を自分のものにして、判断をし、その結果をプラスも
マイナスも直接感受出来たことは、最大の人生の収穫。自由の不自由を克服し、
不自由の苦悶の褒美として、自由の使いこなしが出来たことほど、幸せなこと
はない。サルトル実存主義者だが、人間の本質は「投企=取捨選択しながら
未来に向けて自己を投げ入れ人生を切り開く」存在であるとし、実存が存在に
先立つとしている。しかし老年になると、その未来が少なく感じ、人生を切り
開く前に絶望が先立つから困ったもの。自由と平等と博愛の社会は理想だが、
こと個々人になると非常に難しい課題。「自由の刑罰」の獄死か、獄内で、
うち拉がれている人の山? それが世間という世界である。

・・・・・・
5725,技術的特異点 ~③
2016年11月17日(木)
           『人工超知能が人類を超える』台場時生・著
   * 生物的進化のゴールは「手、口、頭の獲得!」
 ここで、<生物的進化のゴールは「手、口、頭の獲得!」>という。
現時点の具体的ゴールの一つが、スマートフォンと、ネットを如何に
使いこなすかにある。情報機器と、ネットシステムのとどまることのない
進化に日々に驚いているが、これが最近、加速を始めているようである。
  ~その辺りを要約すると~
特異点問題を考える際に重要なことは、人工知能開発だけに的を絞って議論
するのではなく、人類や生物の進化といったより大きな観点から議論を行うこと。
例えば「人類700万年の進化史から見たときに、技術的特異点にはどのような
意味があるのか?」、「人類の生きる意味は何なのか?」、さらに
「私たちは人類の最終的な未来に何を求めるか?」といったような哲学的
かつ根源的な議論にまで立ち返る必要があります。
 そこで、宇宙の始まりから現在に至るまでの進化の過程を振り返り、
その中で「生物進化におけるゴールとは何か?」について考える。
本書で、「手、口、頭」を獲得が生物進化における一つのゴールとみなす。
・外界を操作できる「手」を獲得することで道具を操り、
・多彩な音を出せる「口」を獲得することで言葉を話し、
・高い「知能」を獲得することで文明社会を築けるようになった段階で、
 生物学的な意味での進化はその役割を終えると考えます。
このゴールを迎えたといって生物的進化が止まってしまうわけではなく、
「生物的進化から次の進化へと移行するための切符を手にする」という意味で、
ここでゴールという。人類の祖先は、サルから新人(ホモ・サピエンス)へと
進化する過程で、これらの形質を獲得した。特に脳の容量が、猿人、原人、
旧人、新人となるにつれて徐々に肥大化していった。そして、最終的に、
その3つを揃えた人類が地球上で最初に文明のドアを叩くことが出来た。
ちなみに、3万年前まで生きていたネアンデルタール人が、新人のように高度
の言語を話せなかったという理由そのもので、絶滅してしまった。》
――
▼ この3つ能力が拡大した、止まることなく飛躍した人工超知能が、29年後の
特異点を過ぎると、その超能力は人知の知ることが出来なくなる。それゆえに、
「どのようにコントロールするか?」という哲学的問題になる。
この程度のレポートでも、私の能力からして、PCとネット環境がなければ、
15年間も書き続けることは不可能。公開で質の劣化を防ぎ、習慣化をすることで
何とか維持してきた。私にとって、外部脳化でもある。ところが、サーフィンを
していると、最新機器を使った、頭とセンスの遥かに良いブログを見つける度に、
深く溜息をついている。まだ、それに気づいているだけマシと自らを慰めている。
 私の現時点の生物的進化のゴールは、このブログの、「手、口、頭の獲得!」
・・・・・・
4995,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと ~①
2014年11月17日(月)
              ー私が語り伝えたかったこと~河合隼雄著ー 
  * 「三年寝姫」ばなな が過ごした‘さなぎ’の時期
 次の一節に考えさせられた。人生に無駄なし!である。
≪ 先日、テレビの番組で、作家のよしもとばななさんと対談をしました。
ずいぶんと面白い話を聞かせてもらったのですが、その中で、「三年寝太郎
ならぬ、「三年寝姫」という話がありました。「高校時代の三年間、私は寝て
通しました。教室の中でも、両手の上に頭をのせて寝てばかりでした」と、
よしもとさんが言われるのです。以前から私は、「思春期さなぎ説」を唱えて
います。毛虫が蝶になる前にさなぎの時期が必要なように、人間も、子ども
から大人になる前には、さなぎのように閉じこもり、内面的な変化を乗り
切っていくというもの。
この変化がさなぎの殻によって守られず外に向かって出ていくと、思春期の
破壊性を持った行動になるが、よしもとさんは、三年間、さなぎの時期を寝て
過ごしたわけです。そのことが、後の作家としての大きな成長に役だったことは
言うまでもないでしょう。それにしても、この間、よしもとさんが‘寝ること
を許していた’高校の先生方も、大したものです。もしそうでなかったら、
よしもとさんはきっと不登校生になっていたでしょう。ちなみに、よしもとさん
のお父さんは哲学者の吉本隆明さんですが、奥様ともども、ばななさんの意思
を尊重して、その三年間を黙って見守っていたそうです。間違ってもらっては
困るのですが、思春期の子どもは放っておけばよいと言いたいのではありません。
それは一番困ることです。その子の成長に関心は持っているけど、ある時期は
見守るだけにしておく、こういうことも大切だと言いたいのです。よしもとさん
の御両親にしても、高校の先生方にしても、その点が大したものだ思ったのです。
そもそも、見守るということは、その子に対して何かをするよりもはるかに
エネルギーがいることです。≫
 ―
▼ ここには多くの示唆がある。私にとって受験のための高校生活は思い出した
くもない時代。悪いことに鼻炎に悩まされ、机に向かうと頭が重くなるが、
山ほど記憶しなければならない教科がある。何とか卒業は出来たが、更に一年の
浪人生活を加えた『空白の4年間』。それもあって記憶から切り捨てていた。
 もし希望校に入っていれば別だったのだろう・・ しかし実は、この期間を
「さなぎの時期」として見直すと、多の側面が思い当たる。 私にとって一番
面白く恵まれていた時節は、学生時代を加えた20,30歳代。
その中で特に20代。その背景には、この4年間があったという見方もできる。
読書習慣で培われたベースがあるわけでなし、何か夢中になったこともなし、
ただ、お受験の重圧の中、ただボ~ッとしていた暗い日々! 
これが実は「思春期さなぎ説」の切り口で捉えると・・ 成るほど! 
この年齢で気づくことが、あまりに多い。振り返ると、「してしまった後悔より、
しなかった後悔」の方が、遥かに悔いが残っている。 しかし、「さなぎ」の
時節を改め肯定すると、新鮮な切口になる。そのまま一生ボ~と過ごす人も
いるが、どうだろう? それは、蝶か蛾によるのか。フランスでは、蝶と蛾は
同じというが・・ 以前、ここで取上げた『ぼんやりの時間』辰濃 和男(著)に、
「ぼんやり」と響き合う5つの「一文字」がある。  
1、「闇」―蛍と星とダークマター  2、「独」―独りでいること   
3、「閑」―逆茂木に囲まれて   4、「怠」―「1日4時間労働」の夢  
5、「懶」―心の余白  ー彼女は、この世界に浸かっていたのである。

・・・・・・
6457,映画観賞 ~『ボヘミアン・ラプソディ』 
2018年11月17日(土)
   * 2~3年に一度の感動でした!
 この年齢で、まさかロック会場に呑込まれてしまうとは、自分でも驚いて
しまった。 ハリウッド映画で面白そうなのが見当たらず、邦画と思ったが、時に
普段、見ることのないロックバンドの世界を垣間見ることもありと判断をして見ること
にしたが、何と、この異質の世界が面白い。最後の場面が、20世紀最大の伝説
のライブを特撮で再現していたが、この熱狂が感動もの。これが話題の4DXの
シアターで放映されるというから、こっそりと行ってみたいと思うほど。
 数万人が埋め尽くしたラグビー場の会場の客と一体化した歌の数々が圧巻。
ゲイと、麻薬、酒、ロック漬の異様な世界の薄気味悪さが、面白さを増していた。
最期はエイズで亡くなるが、遠くない死を前にした、渾身の歌が数万人の会場を
一つにする迫力があった。  ~映画サイトのブログより~
 
≪ 世界的人気ロックバンド「クイーン」のボーカルで、1991年に45歳の若さ
 でこの世を去ったフレディ・マーキュリーを描いた伝記ドラマ。クイーンの
現メンバーであるブライアン・メイロジャー・テイラーが音楽総指揮を手がけ、
劇中の楽曲には主にフレディ自身の歌声を使用。「ボヘミアン・ラプソディ
「ウィ・ウィル・ロック・ユー」といった名曲誕生の瞬間や、
20世紀最大のチャリティコンサート「ライブ・エイド」での圧巻のパフォーマンス
といった音楽史に残る伝説の数々を再現するとともに、華やかな活躍の裏にあった
知られざる物語を描き出していく。「ナイト ミュージアム」のラミ・マレック
フレディを熱演し、フレディの恋人メアリー・オースティンを
「シング・ストリート 未来へのうた」のルーシー・ボーイントンが演じる。
監督は「X-MEN」シリーズのブライアン・シンガー。≫
 
  ―感想―より
《 見るものの心に永遠に刻まれるであろう“特別な1本”が公開される。
 世界中のだれもが知るスーパーバンド「クイーン」のボーカル、フレディ・
マーキュリーの半生を映画化した「ボヘミアン・ラブソディ」(11月9日公開)。
天性の歌声を持つ青年が、どのようにしてスターへと上り詰めて行ったのか。
栄光に隠された“苦悩”と“挫折”、その果てに到達した“救い”を限りなく
エモーショナルに描いた本作に、名だたる映画のプロたちも号泣&絶賛の嵐!》
《 カラオケバーから漏れてくる外国人の大合唱。
 人もまばらな早朝の空港、...イヤホンで聴きながら熱唱する外国人。
どのシーンでも人々を陶酔させているのはQueen の曲だった。
その様子を外から見ていた気持ちは、すっかり陶酔する側に変わってしまった。
孤独から生まれた全身全霊の歌の前には、理屈抜きの感動しかなかった。》
《 頂点に立つ人の孤独
 子ども騙しのモンキービジネス…かつて音楽業界を、そう謳いあげた
バンドマンがいました。そんな業界に、心惹かれしまうから、不思議です。
 家族の映画だそうです。だから、ケンカもする。家出だってしちゃう。
ただ、本気で怒っても、許し合える。嫌いになっても、お互いを大切に思う。
ビジネスじゃない。DNA だけが家族じゃない。そんな映画。万引き家族とは、
随分違うけど。 さて問題です。業界のてっぺん極めた代償に、失うものは?。
多くの人が集まる程、少くなるものは何?とあるタレントさんが言ってます。
てっぺん極めたら、降りて来ないと。出来ないと、遭難だよ、とね。
 戻るべき処、戻るべき家族を、一度は見失ったフレディ。劣等感と闘い
続けたフレディ。彼が冒頭で、パキ野郎呼ばわりされたのが、ショック。
そんな彼の闘いの証が、あのステージなんですね。
 私のフレデイ像が、どんどん、パッと、豹変です。胸毛から声を出す、
風変わりなおじさんは、もういません。魂削って、自分の居場所を探し続けた、
求道者だったんですね。 》
――
▼ 館内の同年輩の人たちが多いのは、当時のロックファンだろうか。
 ライブを再現した場面の後、エンディングの実写映像が流れていたが、
誰ひとり席を立つ人がいない。感動で席を立てなったのか?。
 ところで、幾つか映画評を書いていたことを思いだして、分類コーナーの
『読書日記・映画鑑賞日記』のコーナーをみてビックリ。丹念に、90点以上
を評価した映画の評論を書いていた。 成るほど、数ウチャ当たるで、
ミニ感動をしていたことになる。TVでみたのは、ほぼ書かないから、結構、
刺激的日々を過ごしていることが分かる。シネマ館、自宅のTVの映画で、
感動・感激を数多くしていることになる。秘・異郷ツアーの旅先や、美術館、
博物館で数知れず感動体験の積み重ねから、『感動・感激力』が知らずと身
についていたようである。二年に一本として、この数年、年に50回平均は
通っているので、100分の1にあたる。是非、ご鑑賞を勧め!  評価:95点。

閑話小題 ~『ダーク・ストレス』

   * 『ブライトストレス』と、『ダーク・ストレス』
 ストレスには『ブライトストレス』と、『ダーク・ストレス』がある。
ブライトストレスを成長や幸せにも貢献する重要なものだと指摘。
ストレスは私たちを大きく成長させてくれます。
私たちの脳や身体のシステムにストレス反応が備わっているのは、成長を
促すためともいえます。害しかなく意味のないものであるのなら、とうに
進化過程で淘汰されています。
 
 一方、メリットはなく、病気すらもたらしうるストレスもあり、それを
ダークストレスといいます。 例えば、上司と日ごろから折り合いが悪く、
そのことを気に病んでしまっている場合。 だからといって上司を変えたり、
簡単に会社を辞めるわけにもいかないストレスが慢性化してしまうと、
それはダークストレスといえるでしょう。

 私も20,30歳代にストレス過剰で、40代半ばに倒れた経験がある。その時、
熟考して出てきたのが、年に数回、家内と『秘・異郷ツアー』に参加すること。
これはストレスになるが、反面『ダーク・ストレス』を解消してくれる
『ブライトストレス』であることに気づく。一度ごとにバッサという感じに
消えていった。 現在は一日単位は、ドラマや、ショート・ストリーの映像・
YouTubeで…、(現在は転倒で中止をしたが、早朝のミニ・チャリを10数年は
続けてストレスを解消していた)
 私たちの病の7割はストレスが起因しているといわれる。
尤もノン・ストレスが、最大のストレスだが、地方にはノン・ストレス症候群が
多くみられる。刺激が無いため、周囲の粗探しが起源となっているようだ。

 このコロナ禍で、家庭内ストレスの問題が浮び上っている。
比較的『ブライト・ストレス』が、『ダーク・ストレス』に染まりつつある。
家庭内居住が圧倒的増加した上での、蟠りは並大抵ではない。10年以上の
軋轢の鬱憤は…

・・・・・・
7187,閑話小題 ~人生総括の時節に -3 
2020年11月17日(火)
   * 0歳から9歳までの想い出  =A=
◉ 毎日、毎日、よくぞネタが尽きないものと我ながら驚くこと暫し!
今日も、昨日も然り! まずは『閑話小題 ~人生総括の時節に ―3』から
白地のテーマ欄に書込むことから始める。そして、サブテーマ<* ○○○○>
を書き足す。まずは、最初から真ともな文章がすらすら、思い浮かぶわかでなし。
自然な何気ない言葉ほど、読返す度に書き直した言葉。 ああ、モノ書きは、
この繰返しをしてきたのではと、気づくこと暫し。
 8人の兄・姉の末っ子で、実家が商家であったことを含めて、0~9歳までは、
刺激の強い環境で育った。終戦直後の戦災の中で、両親を含めて、一日一日を
家族全員が必死に生きていた。当時はそれが当り前… それは年齢に関係なく、
明日明後日が如何なるかの危機感があった。毎日が刺激が強くて、何もかもが、
新鮮なことばかり! まず保育園で親しくなった友人の実家は、商家が多くて、
生活感が強く滲んでいた。 焼き鳥屋、居酒屋、衣料品店、化粧品屋等々… 
 親の留守にコッソリと店の2Fにある、生活部屋が、何とも味わいがあった。
保育園に一年、小学校に6年間、中、高校に6年間、都合13年が地元長岡の生活圏。
両親、兄姉と、お客の顔色を窺い遊んでいた日々。書き残しておくべき材料が
山ほどあり、その記憶の山から断片を取りだして、このように線上に書いている。
真っ直ぐに書き残すことは思いの外に難しい。
 この随想日記を書き始めて、あと数ヶ月で20年になる。よくぞ続いたものよと
自分で感心をするが、これも慣れ。ある意味で、長岡の生き証人でもある。
私が地元の人との距離をおくかと言うと、子供の頃から、知っていた濃厚な
人間関係を知り過ぎていて、その固定観念から距離を置くことが、出発時点。
子供心に、その世間話にワクワクした経験があるため! 各家庭の身元調査、
下ネタなどが、イヤガウエニモ入ってくる。上京して一歩地元から離れれば、
その下らない世間話のヘドロの臭いに気づかされる。

・・・・・・・
6821,閑話小題 ~ソクラテスの名言集 
2019年11月17日(日)

 これまで、哲学の入門書を何冊か、ここでテーマにしてきた。
入門書といえば、ソクラテスプラトンアリストテレスから入る。
この3人の言葉は、何度も味わっても新鮮である。 特にソクラテス
無知の知」は心が洗われる。 若い哲学者のソクラテスの切口は、
その人により違っている。ところで、格言集を書いてなかったようだ… 
 
 ~そこで、『ソクラテス 格言』で検索すると~

≪ できれば、人より賢くなりなさい。
 でも、それを人に知らせてはいけません。

書物を読むということは、 他人が辛苦してなしとげたことを、
容易に自分に取り入れて自己改善する最良の方法である。

行動し経験しなさい。
 人間の美徳はその行いによって おのずと増えていきます。

それぞれが抱える不幸を持ち寄って皆で平等に分けたら、どうなると
思いますか? ほぼまちがいなく全員が最初に持ってきた不幸の方がいい
と言って、帰っていくことでしょう。

深く考えない人生は、生きるに値しない。

自身が無知であることに気づいた人間は、自身が無知であることに
気づかない人間よりも はるかに賢いのである。

心の底からの悪人など、この世に存在しません。

生きるために食べなさい。
食べるために生きるようになってはいけません。

良き友よりにまさる財産などありはしない。

富を持っているだけでは称賛には値しない。
その富をどう使うかが一番大事なのだ。

世界を動かしたいと願うなら、
まずは自分自身が動きなさい。

自分を売って、正義を買う者。
それが、指導者というものだ。

幼にしては、謙遜でありなさい。
弱にしては、温和でありなさい。
壮にしては、公正でありなさい。
老いては、慎重でありなさい。

あなたに対して褒め言葉しか言わない人間は信頼するに値しない。
間違いを指摘してくれる人こそ信頼に値する人物である。

 ――
▼ <深く考えない人生は、生きるに値しない。> の言葉を、
 さて<どう考えるか?> どのみち、微細な塵の存在なればこそ、
限界まで考え続けるべしか、<バカな考え、休むに似たり> と、
日々、安逸に、他人の顔色を窺い生きるか。

・・・・・・
3888, 第二の人生は、「自由の刑罰?」
2011年11月17日(木)
 サルトルが「人間は自由の刑に処せられている」と述べた。
自由は人間の求めるところだが、突然の倒産や、会社に不満を持って辞め、
いざ自由の身になると何も出来ない自分に直面して戸惑うのが人間の常。
 私も然。初めて会社勤めで、その過酷の仕事に疲れはて、再び大学に入り
直したが、もう社会的には傷物。その後、事業を始めるには、まだ能力不足で、
再度、金沢にある会社に入り直し鍛え直した時の苦しさは筆舌に出来ないほど。 
何とか踏みとどまっていたが、逆に、その立場の視線で社会を見ると、多くが
見えてくると気づく。結果からみて、それは予定挫折への自己配転であった。
でも真の楽しみは、それなるが故に、魂の底から湧きあがってくるもの。
自由は厳しい!。「なるほどサルトルのいう自由は不自由!とは、このことか」
と骨の髄まで思い知った。結局は自分の思いは、想いでしかない。
 その経験を人生の前半に何度か味わってきたため、今回の事態では、こんな
ものかと冷静にいることが出来ている。それよりも65歳の現在、人生を振り
返ると、40年近く自分で事業を起こし、独立独歩であったことが、如何に
恵まれていたか。自由を自分のものにして、判断をし、その結果をプラスも
マイナスも直接感受出来たことは、最大の人生の収穫。自由の不自由を克服し、
不自由の苦悶の褒美として、自由の使いこなしが出来たことほど、幸せなこと
はない。サルトル実存主義者だが、人間の本質は「投企=取捨選択しながら
未来に向けて自己を投げ入れ人生を切り開く」存在であるとし、実存が存在に
先立つとしている。しかし老年になると、その未来が少なく感じ、人生を切り
開く前に絶望が先立つから困ったもの。自由と平等と博愛の社会は理想だが、
こと個々人になると非常に難しい課題。「自由の刑罰」の獄死か、獄内で、
うち拉がれている人の山? それが世間という世界である。

・・・・・・
5725,技術的特異点 ~③
2016年11月17日(木)
           『人工超知能が人類を超える』台場時生・著
   * 生物的進化のゴールは「手、口、頭の獲得!」
 ここで、<生物的進化のゴールは「手、口、頭の獲得!」>という。
現時点の具体的ゴールの一つが、スマートフォンと、ネットを如何に
使いこなすかにある。情報機器と、ネットシステムのとどまることのない
進化に日々に驚いているが、これが最近、加速を始めているようである。
  ~その辺りを要約すると~
特異点問題を考える際に重要なことは、人工知能開発だけに的を絞って議論
するのではなく、人類や生物の進化といったより大きな観点から議論を行うこと。
例えば「人類700万年の進化史から見たときに、技術的特異点にはどのような
意味があるのか?」、「人類の生きる意味は何なのか?」、さらに
「私たちは人類の最終的な未来に何を求めるか?」といったような哲学的
かつ根源的な議論にまで立ち返る必要があります。
 そこで、宇宙の始まりから現在に至るまでの進化の過程を振り返り、
その中で「生物進化におけるゴールとは何か?」について考える。
本書で、「手、口、頭」を獲得が生物進化における一つのゴールとみなす。
・外界を操作できる「手」を獲得することで道具を操り、
・多彩な音を出せる「口」を獲得することで言葉を話し、
・高い「知能」を獲得することで文明社会を築けるようになった段階で、
 生物学的な意味での進化はその役割を終えると考えます。
このゴールを迎えたといって生物的進化が止まってしまうわけではなく、
「生物的進化から次の進化へと移行するための切符を手にする」という意味で、
ここでゴールという。人類の祖先は、サルから新人(ホモ・サピエンス)へと
進化する過程で、これらの形質を獲得した。特に脳の容量が、猿人、原人、
旧人、新人となるにつれて徐々に肥大化していった。そして、最終的に、
その3つを揃えた人類が地球上で最初に文明のドアを叩くことが出来た。
ちなみに、3万年前まで生きていたネアンデルタール人が、新人のように高度
の言語を話せなかったという理由そのもので、絶滅してしまった。》
――
▼ この3つ能力が拡大した、止まることなく飛躍した人工超知能が、29年後の
特異点を過ぎると、その超能力は人知の知ることが出来なくなる。それゆえに、
「どのようにコントロールするか?」という哲学的問題になる。
この程度のレポートでも、私の能力からして、PCとネット環境がなければ、
15年間も書き続けることは不可能。公開で質の劣化を防ぎ、習慣化をすることで
何とか維持してきた。私にとって、外部脳化でもある。ところが、サーフィンを
していると、最新機器を使った、頭とセンスの遥かに良いブログを見つける度に、
深く溜息をついている。まだ、それに気づいているだけマシと自らを慰めている。
 私の現時点の生物的進化のゴールは、このブログの、「手、口、頭の獲得!」
・・・・・・
4995,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと ~①
2014年11月17日(月)
              ー私が語り伝えたかったこと~河合隼雄著ー 
  * 「三年寝姫」ばなな が過ごした‘さなぎ’の時期
 次の一節に考えさせられた。人生に無駄なし!である。
≪ 先日、テレビの番組で、作家のよしもとばななさんと対談をしました。
ずいぶんと面白い話を聞かせてもらったのですが、その中で、「三年寝太郎
ならぬ、「三年寝姫」という話がありました。「高校時代の三年間、私は寝て
通しました。教室の中でも、両手の上に頭をのせて寝てばかりでした」と、
よしもとさんが言われるのです。以前から私は、「思春期さなぎ説」を唱えて
います。毛虫が蝶になる前にさなぎの時期が必要なように、人間も、子ども
から大人になる前には、さなぎのように閉じこもり、内面的な変化を乗り
切っていくというもの。
この変化がさなぎの殻によって守られず外に向かって出ていくと、思春期の
破壊性を持った行動になるが、よしもとさんは、三年間、さなぎの時期を寝て
過ごしたわけです。そのことが、後の作家としての大きな成長に役だったことは
言うまでもないでしょう。それにしても、この間、よしもとさんが‘寝ること
を許していた’高校の先生方も、大したものです。もしそうでなかったら、
よしもとさんはきっと不登校生になっていたでしょう。ちなみに、よしもとさん
のお父さんは哲学者の吉本隆明さんですが、奥様ともども、ばななさんの意思
を尊重して、その三年間を黙って見守っていたそうです。間違ってもらっては
困るのですが、思春期の子どもは放っておけばよいと言いたいのではありません。
それは一番困ることです。その子の成長に関心は持っているけど、ある時期は
見守るだけにしておく、こういうことも大切だと言いたいのです。よしもとさん
の御両親にしても、高校の先生方にしても、その点が大したものだ思ったのです。
そもそも、見守るということは、その子に対して何かをするよりもはるかに
エネルギーがいることです。≫
 ―
▼ ここには多くの示唆がある。私にとって受験のための高校生活は思い出した
くもない時代。悪いことに鼻炎に悩まされ、机に向かうと頭が重くなるが、
山ほど記憶しなければならない教科がある。何とか卒業は出来たが、更に一年の
浪人生活を加えた『空白の4年間』。それもあって記憶から切り捨てていた。
 もし希望校に入っていれば別だったのだろう・・ しかし実は、この期間を
「さなぎの時期」として見直すと、多の側面が思い当たる。 私にとって一番
面白く恵まれていた時節は、学生時代を加えた20,30歳代。
その中で特に20代。その背景には、この4年間があったという見方もできる。
読書習慣で培われたベースがあるわけでなし、何か夢中になったこともなし、
ただ、お受験の重圧の中、ただボ~ッとしていた暗い日々! 
これが実は「思春期さなぎ説」の切り口で捉えると・・ 成るほど! 
この年齢で気づくことが、あまりに多い。振り返ると、「してしまった後悔より、
しなかった後悔」の方が、遥かに悔いが残っている。 しかし、「さなぎ」の
時節を改め肯定すると、新鮮な切口になる。そのまま一生ボ~と過ごす人も
いるが、どうだろう? それは、蝶か蛾によるのか。フランスでは、蝶と蛾は
同じというが・・ 以前、ここで取上げた『ぼんやりの時間』辰濃 和男(著)に、
「ぼんやり」と響き合う5つの「一文字」がある。  
1、「闇」―蛍と星とダークマター  2、「独」―独りでいること   
3、「閑」―逆茂木に囲まれて   4、「怠」―「1日4時間労働」の夢  
5、「懶」―心の余白  ー彼女は、この世界に浸かっていたのである。

・・・・・・
6457,映画観賞 ~『ボヘミアン・ラプソディ』 
2018年11月17日(土)
   * 2~3年に一度の感動でした!
 この年齢で、まさかロック会場に呑込まれてしまうとは、自分でも驚いて
しまった。 ハリウッド映画で面白そうなのが見当たらず、邦画と思ったが、時に
普段、見ることのないロックバンドの世界を垣間見ることもありと判断をして見ること
にしたが、何と、この異質の世界が面白い。最後の場面が、20世紀最大の伝説
のライブを特撮で再現していたが、この熱狂が感動もの。これが話題の4DXの
シアターで放映されるというから、こっそりと行ってみたいと思うほど。
 数万人が埋め尽くしたラグビー場の会場の客と一体化した歌の数々が圧巻。
ゲイと、麻薬、酒、ロック漬の異様な世界の薄気味悪さが、面白さを増していた。
最期はエイズで亡くなるが、遠くない死を前にした、渾身の歌が数万人の会場を
一つにする迫力があった。  ~映画サイトのブログより~
 
≪ 世界的人気ロックバンド「クイーン」のボーカルで、1991年に45歳の若さ
 でこの世を去ったフレディ・マーキュリーを描いた伝記ドラマ。クイーンの
現メンバーであるブライアン・メイロジャー・テイラーが音楽総指揮を手がけ、
劇中の楽曲には主にフレディ自身の歌声を使用。「ボヘミアン・ラプソディ
「ウィ・ウィル・ロック・ユー」といった名曲誕生の瞬間や、
20世紀最大のチャリティコンサート「ライブ・エイド」での圧巻のパフォーマンス
といった音楽史に残る伝説の数々を再現するとともに、華やかな活躍の裏にあった
知られざる物語を描き出していく。「ナイト ミュージアム」のラミ・マレック
フレディを熱演し、フレディの恋人メアリー・オースティンを
「シング・ストリート 未来へのうた」のルーシー・ボーイントンが演じる。
監督は「X-MEN」シリーズのブライアン・シンガー。≫
 
  ―感想―より
《 見るものの心に永遠に刻まれるであろう“特別な1本”が公開される。
 世界中のだれもが知るスーパーバンド「クイーン」のボーカル、フレディ・
マーキュリーの半生を映画化した「ボヘミアン・ラブソディ」(11月9日公開)。
天性の歌声を持つ青年が、どのようにしてスターへと上り詰めて行ったのか。
栄光に隠された“苦悩”と“挫折”、その果てに到達した“救い”を限りなく
エモーショナルに描いた本作に、名だたる映画のプロたちも号泣&絶賛の嵐!》
《 カラオケバーから漏れてくる外国人の大合唱。
 人もまばらな早朝の空港、...イヤホンで聴きながら熱唱する外国人。
どのシーンでも人々を陶酔させているのはQueen の曲だった。
その様子を外から見ていた気持ちは、すっかり陶酔する側に変わってしまった。
孤独から生まれた全身全霊の歌の前には、理屈抜きの感動しかなかった。》
《 頂点に立つ人の孤独
 子ども騙しのモンキービジネス…かつて音楽業界を、そう謳いあげた
バンドマンがいました。そんな業界に、心惹かれしまうから、不思議です。
 家族の映画だそうです。だから、ケンカもする。家出だってしちゃう。
ただ、本気で怒っても、許し合える。嫌いになっても、お互いを大切に思う。
ビジネスじゃない。DNA だけが家族じゃない。そんな映画。万引き家族とは、
随分違うけど。 さて問題です。業界のてっぺん極めた代償に、失うものは?。
多くの人が集まる程、少くなるものは何?とあるタレントさんが言ってます。
てっぺん極めたら、降りて来ないと。出来ないと、遭難だよ、とね。
 戻るべき処、戻るべき家族を、一度は見失ったフレディ。劣等感と闘い
続けたフレディ。彼が冒頭で、パキ野郎呼ばわりされたのが、ショック。
そんな彼の闘いの証が、あのステージなんですね。
 私のフレデイ像が、どんどん、パッと、豹変です。胸毛から声を出す、
風変わりなおじさんは、もういません。魂削って、自分の居場所を探し続けた、
求道者だったんですね。 》
――
▼ 館内の同年輩の人たちが多いのは、当時のロックファンだろうか。
 ライブを再現した場面の後、エンディングの実写映像が流れていたが、
誰ひとり席を立つ人がいない。感動で席を立てなったのか?。
 ところで、幾つか映画評を書いていたことを思いだして、分類コーナーの
『読書日記・映画鑑賞日記』のコーナーをみてビックリ。丹念に、90点以上
を評価した映画の評論を書いていた。 成るほど、数ウチャ当たるで、
ミニ感動をしていたことになる。TVでみたのは、ほぼ書かないから、結構、
刺激的日々を過ごしていることが分かる。シネマ館、自宅のTVの映画で、
感動・感激を数多くしていることになる。秘・異郷ツアーの旅先や、美術館、
博物館で数知れず感動体験の積み重ねから、『感動・感激力』が知らずと身
についていたようである。二年に一本として、この数年、年に50回平均は

通っているので…