* 2〜3年に一度の感動でした!
 この年齢で、まさかロック会場に呑込まれてしまうとは、自分でも驚いて
しまった。 ハリウッド映画で面白そうなところが見当たらず、邦画と思ったが、時に普段、
見ることのないロックバンドの世界を垣間見ることもありと判断をしたが、何と、
この異質の世界が面白い。最後の場面が、20世紀最大の伝説のライブを特撮で
再現していたが、この熱狂が感動もの。これが話題の4DXのシアターで放映
されるというから、こっそりと行ってみたいと思うほど。
 数万人が埋め尽くしたラグビー場の会場の客と一体化した歌の数々が圧巻。
ゲイと、麻薬、酒、ロック漬の異様な世界の薄気味悪さが、面白さを増していた。
最期はエイズで亡くなるが、遠くない死を前にした、渾身の歌が数万人の会場を
一つにする迫力があった。  〜映画サイトのブログより〜
 
≪ 世界的人気ロックバンド「クイーン」のボーカルで、1991年に45歳の若さ
 でこの世を去ったフレディ・マーキュリーを描いた伝記ドラマ。クイーンの
現メンバーであるブライアン・メイロジャー・テイラーが音楽総指揮を手がけ、
劇中の楽曲には主にフレディ自身の歌声を使用。「ボヘミアン・ラプソディ
「ウィ・ウィル・ロック・ユー」といった名曲誕生の瞬間や、
20世紀最大のチャリティコンサート「ライブ・エイド」での圧巻のパフォーマンス
といった音楽史に残る伝説の数々を再現するとともに、華やかな活躍の裏にあった
知られざる物語を描き出していく。「ナイト ミュージアム」のラミ・マレック
フレディを熱演し、フレディの恋人メアリー・オースティンを
「シング・ストリート 未来へのうた」のルーシー・ボーイントンが演じる。
監督は「X-MEN」シリーズのブライアン・シンガー。≫
 
  ―感想―より
《 見るものの心に永遠に刻まれるであろう“特別な1本”が公開される。
 世界中のだれもが知るスーパーバンド「クイーン」のボーカル、フレディ・
マーキュリーの半生を映画化した「ボヘミアン・ラブソディ」(11月9日公開)。
天性の歌声を持つ青年が、どのようにしてスターへと上り詰めて行ったのか。
栄光に隠された“苦悩”と“挫折”、その果てに到達した“救い”を限りなく
エモーショナルに描いた本作に、名だたる映画のプロたちも号泣&絶賛の嵐!》
《 カラオケバーから漏れてくる外国人の大合唱。
 人もまばらな早朝の空港、...イヤホンで聴きながら熱唱する外国人。
どのシーンでも人々を陶酔させているのはQueen の曲だった。
その様子を外から見ていた気持ちは、すっかり陶酔する側に変わってしまった。
孤独から生まれた全身全霊の歌の前には、理屈抜きの感動しかなかった。》
《 頂点に立つ人の孤独
 子ども騙しのモンキービジネス…かつて音楽業界を、そう謳いあげた
バンドマンがいました。そんな業界に、心惹かれしまうから、不思議です。
 家族の映画だそうです。だから、ケンカもする。家出だってしちゃう。
ただ、本気で怒っても、許し合える。嫌いになっても、お互いを大切に思う。
ビジネスじゃない。DNA だけが家族じゃない。そんな映画。万引き家族とは、
随分違うけど。 さて問題です。業界のてっぺん極めた代償に、失うものは?。
多くの人が集まる程、少くなるものは何?とあるタレントさんが言ってます。
てっぺん極めたら、降りて来ないと。出来ないと、遭難だよ、とね。
 戻るべき処、戻るべき家族を、一度は見失ったフレディ。劣等感と闘い
続けたフレディ。彼が冒頭で、パキ野郎呼ばわりされたのが、ショック。
そんな彼の闘いの証が、あのステージなんですね。
 私のフレデイ像が、どんどん、パッと、豹変です。胸毛から声を出す、
風変わりなおじさんは、もういません。魂削って、自分の居場所を探し続けた、
求道者だったんですね。 》

――
▼ 館内の同年輩の人たちが多いのは、当時のロックファンだろうか。
 ライブを再現した場面の後、エンディングの実写映像が流れていたが、
誰ひとり席を立つ人がいない。感動で席を立てなったのか?。
 ところで、幾つか映画評を書いていたことを思いだして、分類コーナーの
『読書日記・映画鑑賞日記』のコーナーをみてビックリ。丹念に、90点以上
を評価した映画の評論を書いていた。 成るほど、数ウチャ当たるで、
ミニ感動をしていたことになる。TVでみたのは、ほぼ書かないから、結構、
刺激的日々を過ごしていることが分かる。シネマ館、自宅のTVの映画で、
感動・感激を数多くしていることになる。秘・異郷ツアーの旅先や、美術館、
博物館で数知れず感動体験の積み重ねから、『感動・感激力』が知らずと身
についていたようである。二年に一本として、この数年、年に50回平均は
通っているので、100分の1にあたる。是非、ご鑑賞を勧め!  評価:95点。

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3888, 第二の人生は、「自由の刑罰?」
2011年11月17日(木)
 サルトルが「人間は自由の刑に処せられている」と述べた。
自由は人間の求めるところだが、突然の倒産や、会社に不満を持って辞め、
いざ自由の身になると何も出来ない自分に直面して戸惑うのが人間の常。
私も初めて会社勤めで、その過酷の仕事に疲れはて、再び大学に入り直したが、
もう社会的には傷物。その後、事業を始めるには、まだ能力不足で、再度、
金沢にある会社に入り直し鍛え直した時の苦しさは筆舌に出来ないほど。 
 何とか踏みとどまっていたが、逆に、その立場の視線で社会を見ると、
多くが見えてくるもの。結果からみて、それは予定挫折であった。
自由は厳しいものである。「なるほどサルトルのいう、自由は不自由!とは、
このことか」と骨の髄まで思い知った。結局は自分の思いは、思いでしかない。
その経験を人生の前半に何度か味わってきたので、今回の事態では、こんな
ものかと冷静にいることが出来ている。それよりも65歳の現在、人生を
振り返ると、40年近く自分で事業を起こし、独立独歩であったことが、
如何に恵まれていたか。自由を自分のものにして、判断をし、その結果を
プラスもマイナスも直接感受出来たことは、最大の人生の収穫。自由の不自由
を克服し、不自由の苦悶の褒美として、自由の使いこなしが出来たことほど、
幸せなことはない。サルトル実存主義者だが、人間の本質は「投企=取捨選択
しながら未来に向けて自己を投げ入れ人生を切り開く」存在であるとし、
実存が存在に先立つとしている。しかし老年になると、その未来が少なく感じ、
人生を切り開く前に絶望が先立つから困ったもの。自由と平等と博愛の社会は
理想だが、こと個々人になると非常に難しい課題。「自由の刑罰」の獄死か、
獄内で、うち拉がれている人の山? それが世間という世界である。
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4995,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと 〜?
2014年11月17日(月)
              ー私が語り伝えたかったこと〜河合隼雄著ー 
  * 「三年寝姫」ばなな が過ごした‘さなぎ’の時期
 次の一節に考えさせられた。人生に無駄なし!である。
≪ 先日、テレビの番組で、作家のよしもとばななさんと対談をしました。
ずいぶんと面白い話を聞かせてもらったのですが、その中で、「三年寝太郎
ならぬ、「三年寝姫」という話がありました。「高校時代の三年間、私は寝て
通しました。教室の中でも、両手の上に頭をのせて寝てばかりでした」と、
よしもとさんが言われるのです。以前から私は、「思春期さなぎ説」を唱えて
います。毛虫が蝶になる前にさなぎの時期が必要なように、人間も、子ども
から大人になる前には、さなぎのように閉じこもり、内面的な変化を乗り
切っていくというもの。
この変化がさなぎの殻によって守られず外に向かって出ていくと、思春期の
破壊性を持った行動になるが、よしもとさんは、三年間、さなぎの時期を寝て
過ごしたわけです。そのことが、後の作家としての大きな成長に役だったことは
言うまでもないでしょう。それにしても、この間、よしもとさんが‘寝ること
を許していた’高校の先生方も、大したものです。もしそうでなかったら、
よしもとさんはきっと不登校生になっていたでしょう。ちなみに、よしもとさん
のお父さんは哲学者の吉本隆明さんですが、奥様ともども、ばななさんの意思
を尊重して、その三年間を黙って見守っていたそうです。間違ってもらっては
困るのですが、思春期の子どもは放っておけばよいと言いたいのではありません。
それは一番困ることです。その子の成長に関心は持っているけど、ある時期は
見守るだけにしておく、こういうことも大切だと言いたいのです。よしもとさん
の御両親にしても、高校の先生方にしても、その点が大したものだ思ったのです。
そもそも、見守るということは、その子に対して何かをするよりもはるかに
エネルギーがいることです。≫
▼ ここには多くの示唆がある。私にとって受験のための高校生活は思い出した
くもない時代。悪いことに鼻炎に悩まされ、机に向かうと頭が重くなるが、
山ほど記憶しなければならない教科がある。何とか卒業は出来たが、更に一年の
浪人生活を加えた『空白の4年間』。それもあって記憶から切り捨てていた。
 もし希望校に入っていれば別だったのだろう・・ しかし実は、この期間を
「さなぎの時期」として見直すと、多の側面が思い当たる。 私にとって一番
面白く恵まれていた時節は、学生時代を加えた20,30歳代。
その中で特に20代。その背景には、この4年間があったという見方もできる。
読書習慣で培われたベースがあるわけでなし、何か夢中になったこともなし、
ただ、お受験の重圧の中、ただボ〜ッとしていた暗い日々! 
これが実は「思春期さなぎ説」の切り口で捉えると・・ 成るほど! 
この年齢で気づくことが、あまりに多い。振り返ると、「してしまった後悔より、
しなかった後悔」の方が、遥かに悔いが残っている。 しかし、「さなぎ」の
時節を改め肯定すると、新鮮な切口になる。そのまま一生ボ〜と過ごす人も
いるが、どうだろう? それは、蝶か蛾によるのか。フランスでは、蝶と蛾は
同じというが・・ 以前、ここで取上げた『ぼんやりの時間』辰濃 和男(著)に、
「ぼんやり」と響き合う5つの「一文字」がある。  
1、「闇」―蛍と星とダークマター  2、「独」―独りでいること   
3、「閑」―逆茂木に囲まれて   4、「怠」―「1日4時間労働」の夢  
5、「懶」―心の余白  ー彼女は、この世界に浸かっていたのである。

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4628, 閑話小題 ー相棒 〜国民的刑事ものシリーズ
2013年11月17日(日)
   * 相棒 〜国民的刑事ものシリーズ
 一昨年の春以来、見始めたTV番組のが「相棒」で、平日の16時前からの
一時間のスケジュールに込んでいる。10年以上続いた刑事ものドラマの再放送。 
  ー概要をウィキペディアでみるとー
{ 優秀なキャリアでありながら、ある事件の影響で出世コースから外れ、
 警視庁内の窓際部署「特命係」に追いやられた警部・杉下右京(水谷豊)を
中心にした刑事ドラマ。いわゆるバディものであるが、相棒は3度変わっている。
1話ごとの基本的なプロットは、超人的推理力・洞察力を持つ右京が犯罪者を
理詰めで追い詰めていくというミステリ的なものだが、その一方、全体的な
ストーリーとしては『踊る大捜査線』が打ち出した警察組織内部のいざこざを
描く警察ドラマ路線を更に推し進めたものであり、警察組織のみならず、
官僚・政治家の権謀術数を描いている。2000年6月にテレビ朝日系・土曜日で、
単発ドラマとして放送され、2002年10月より連続ドラマとしてシリーズ放送}
▼ 団塊世代以上のリタイアー組を対象としての時間帯の再放送。その対象の
 一端に私も入ってしまった。 一年ほどして、家内に「これって、現代版の
水戸黄門でないか。トップ直通のルートを持った東大卒の歪んだ元エリートが、
最後は国家権力を振りかざし悪と対峙する勧善懲悪ものじゃないか」というと、
「今まで気づかなかったの?そんなのは、当初から言われていたこと」という。
12年も続いているので、過去分は、まだ2割も見てないが。 馬鹿馬鹿しいと
思いつつ、見ているが、内容は凝ったものが多い。刑事コロンボの逆の、
キザの東大卒の刑事が、相棒と様々な事件を解決する。その一つに、研なお子
が、明らかに美川憲一を思わせる役柄のタレントの犯人を演じたのが傑作。
再放送直後、家内が知人に、「あれ見た? 凄く面白かったわよ!」と、いう。
オバサマたちの多くが、見ているという。もう一つ、面白かったのは、岸恵子
がフランス帰りの「岸恵子」そのもののキャラを演じた犯人役のドラマも、
なかなかのもの。  
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5725,技術的特異点 〜?
2016年11月17日(木)
            『人工超知能が人類を超える』台場時生・著
  * 生物的進化のゴールは「手、口、頭の獲得!」
 ここで、<生物的進化のゴールは「手、口、頭の獲得!」>という。
現時点の具体的ゴールの一つが、スマートフォンと、ネットを如何に
使いこなすかにある。情報機器と、ネットシステムのとどまることのない
進化に日々に驚いているが、これが最近、加速を始めているようである。
  〜その辺りを要約すると〜
特異点問題を考える際に重要なことは、人工知能開発だけに的を絞って議論
するのではなく、人類や生物の進化といったより大きな観点から議論を行うこと。
例えば「人類700万年の進化史から見たときに、技術的特異点にはどのような
意味があるのか?」、「人類の生きる意味は何なのか?」、さらに
「私たちは人類の最終的な未来に何を求めるか?」といったような哲学的
かつ根源的な議論にまで立ち返る必要があります。
 そこで、宇宙の始まりから現在に至るまでの進化の過程を振り返り、
その中で「生物進化におけるゴールとは何か?」について考える。
本書で、「手、口、頭」を獲得が生物進化における一つのゴールとみなす。
・外界を操作できる「手」を獲得することで道具を操り、
・多彩な音を出せる「口」を獲得することで言葉を話し、
・高い「知能」を獲得することで文明社会を築けるようになった段階で、
 生物学的な意味での進化はその役割を終えると考えます。
このゴールを迎えたといって生物的進化が止まってしまうわけではなく、
「生物的進化から次の進化へと移行するための切符を手にする」という意味で、
ここでゴールという。人類の祖先は、サルから新人(ホモ・サピエンス)へと
進化する過程で、これらの形質を獲得した。特に脳の容量が、猿人、原人、
旧人、新人となるにつれて徐々に肥大化していった。そして、最終的に、
その3つを揃えた人類が地球上で最初に文明のドアを叩くことが出来た。
ちなみに、3万年前まで生きていたネアンデルタール人が、新人のように高度
の言語を話せなかったという理由そのもので、絶滅してしまった。》
――
▼ この3つ能力が拡大した、止まることなく飛躍した人工超知能が、29年後の
特異点を過ぎると、その超能力は人知の知ることが出来なくなる。それゆえに、
「どのようにコントロールするか?」という哲学的問題になる。
この程度のレポートでも、私の能力からして、PCとネット環境がなければ、
15年間も書き続けることは不可能。公開で質の劣化を防ぎ、習慣化をすることで
何とか維持してきた。私にとって、外部脳化でもある。ところが、サーフィンを
していると、最新機器を使った、頭とセンスの遥かに良いブログを見つける度に、
深く溜息をついている。まだ、それに気づいているだけマシと自らを慰めている。
 私の現時点の生物的進化のゴールは、このブログの、「手、口、頭の獲得!」
・・・・・
4263, しまった!  ー11
2012年11月17日(土)                      
 * 人生の財産  ー総括するとー1
 〜ー しまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン(著)
人の幸せについて研究してきた学者が同僚とともに、結論に達した。
《人生の資産はお金でなく時間である》と。人生の大きな転機に起こる大きな
まちがいに「時間の過ごしかたを変えない」ことがある。やろうと考えていた
新しいことでなく、人は、これまでと同じことをするのに時間を費やしてしまう。
人生を精巧に作り変えるには、決意と自制が求められるが、難しいのである。
人の幸せは、どこに住むかでなく、自由になる金があるなしでなく、時間を
どのように過ごすかにある。それを忘れて、思い切った割り切りをしない
ことが人生の最大の「まちがい」になる。この「失敗の心理」から自分の思い
あがりや、固定観念の殻に気づき、苦笑の連続であった。人間は、間違いを
犯す動物であり、それを前提にして、いかに間違いを減らすかである。 
それぞれに人間はバイアス(体系的偏見)がかかっている。それを知り、
自覚することは可能である。多くの知識の蓄積が教養だが、バイアスの自覚も、
その効用のひとつになる。 それぞれの人間のバイアスは面白いほどケッタイ
である。気がつかないから、本人にとって悲劇、他からみたら喜劇にみえる。
間違いを少なくするには「小さく考えること」。間違えは意外と身近な些細な
ことから生じていることに気づくこと。私たちの重大な決断も、考え抜いた末、
印象で勝手に決めつを避けているつもりだが、しかし結果は、大きく影響
されている。考えることを嫌い、こうなるはず、という直感に従ってしまう。
私たちは見ていて見えてないのである。知っていても理解してない。
そのことを、まずは自覚することから間違いを減らすしかない。それでも、
頑強なバイアスが脳の奥底に強固にこびりついて思考、行動を規制している。
節目に、それが現れ出てきて、大きな壁となる。ところで現在の状態に、
あまり不満はない。毎日の生活が自然のままだから。知りたいこと、楽しみが
絶えないこともある。失敗も成功も人生の内である。それも考えてみれば裏表、
一過性の現象でしかない。死んで三日もすれば、永遠の彼方に過ぎ去る。
・・・・・・
6092,閑話小題 〜白鵬の制限時間前の立合い
2017年11月17日(金)
   * こともあろうに
・昨日の栃煌山白鵬の取組で、こともあろうに白鵬が制限時間前に立合い、
張手をした。その日の解説が栃煌山の師匠。「時間前の立合いは、二人の呼吸が
あった場合はあるが、これは不可解」とコメント。 明らかに日馬富士に対する世論
への憤りをぶつけた横綱の立場を利用したパフォーマンス。視聴者の多くは
気づいたはず。乱打事件、報じられた内容と事実の誤差があるかもしれないが…
・「何で貴乃花親方が、ここまで迷いもなく頑なに、被害届を出したのか?」
< 朝青龍が追放された後、本場所に入場しよと来館したとき、入り口で親方が、
身体を張って入場拒否をした経緯がある。その数日後、モンゴルの大使館員を
連れて、入場してきたのには驚いたが。 優勝争いが日本人力士となると、
モンゴル人には、日本人贔屓への怒りが増すのも分からないでもない。
「日本出身力士」の 優勝が10年もなかった現実の中では贔屓も然もあらん… 
その怒りが、この事件の背景がある。>
・まさか本場所中の事情聴取とは、異例だが、白鵬の証言などで、事実が歪め
られる可能性を考えると、これは当然。 こうなれば、日馬富士は引退だろうが、
下っ端力士の怒りが、白鵬憎しの一点に向けられる可能性もある。もう往年の
力量は無くなっているため今場所の優勝は難しく? 同時進行のドラマ仕立だ。
・ここで昨日「日馬富士の引退など、もっての外!」と書いたが、撤回、引退
に追込まれる可能性が大になった。白鵬も無言を保つべきだったが、これでは、
本人の引退問題にも繫がってくる。本来、大相撲に外国人力士の入門容認が
正しかったのか?の原点に立ち戻って考える時期に来ているのでは。
 神事面ではバツ。興業では○。格闘技の面白さでは○。
・やはり特別扱いは止めておいた方がよい。暗黙の貸し借りが神事の特徴なら、
勝負の談合も、あって然るべき? 神楽、歌舞伎の要素が強い勝負事だから… 
貴乃花親方の頑な態度も「大人げないか? ヤクザの出入り調になってきた。
一般からすれば、面白いが、如何でもよい芸能スポーツのネタ話でしかない。
御隠居の身分で、ますます世俗に浸っていく自分が滑稽。 これが私ですか!
・としても、年齢もあるが、やはり <許してやって、頂戴!> になる。
先場所、3人の横綱の休場の中、前半戦の絶望的な中から、優勝に辿り着き、
横綱の体裁を保ったのだから。「あなたたちの時代は終わった!」などと、
言い放てば、当然、あの怒りも当然といえば当然。貴乃花の次期理事長も、
相討ちということで終わってしまった? 平成終わり頃の、相撲談義の一席!