2007年11月11日(日)
2413, 反転 ー闇社会の守護神と呼ばれて −1
                           (ォ'`ョゥ)
  この本を読んで俗にいう娑婆のことを多く学ぶことができた。
バブル当時まで、元の住友銀行が大阪検察の幹部との定期的な会を開いていたことは
周知の事実である。 これは検察が定年退職をして弁護士になる時に、銀行の取引先を
紹介してもらう見返りに、その銀行に対して逮捕者は出さない取り決めだという。
かなり強引な手法も検察がついているから好き放題できたと、この本にもあった。
やはり本当だったようだ。 地検も法務省の一機関でしかないということだ。
それにしても、恐ろしいことだ。 人間がいるところ仕方がないのか?ーその部分を抜粋してみる。

 「反転」 田中森一
ー地検特捜の恐ろしさー
 ーP、178〜179ー
平和相銀事件の本質は、岸組による恐喝事件だったはずだ。 それが銀行側の特別背任にすりかわった。
本来、被害者が加害者になったようなものだ。その事件が、住銀の首都圏侵攻に大きく貢献したのは間違いない。
結果的に、われわれ検事は、都心の店舗をタダ同然で住銀に買い取らせるために捜査をしたようにも見えた。
伊坂はすでに亡くなっているが、古巣の検察にこんな騙し討ちのようなことをやられて、死ぬに死に切れなかった
のではないだろうか。 この平和相銀事件を体験し、私は東京地検特捜部の恐ろしさを知った。
事件がどのようにしてつくられるか。いかに検察の思いどおりになるものか、と。
捜査に主観はつきものだが、それが最も顕著に表れるのが、東京地検特捜部である。
特捜部では、まず捜査に着手する前に、主要な被疑者や関係者を任意で何回か調べ、部長、
副部長、主任が事件の筋書きをつくる。そして、その筋書きを本省である法務省に送る。
東京の特捜事件は、その殆どが国会の質問事項になるため、本省は事前にその中身を把握しておく必要があるからだ。
特捜部と法務省の間でこのやりとりを経て、初めてその筋書きに基づいて捜査をはじめる。
むろんいくら事前に調べても、事件の真相は実際に捜査してみなければわからない。
実際に捜査をはじめてみると思いもしない事実が出てくるものだ。
だが、特捜部では、それを許さない。筋書きと実際の捜査とてくると、部長、副部長、主任の評価が地に堕ちるからである。
だから、筋書きどおりの捜査をやって事件を組み立てていくのである。
暑からタガをはめて・現実の捜査段階でタガと違う事実が出てきても、
それを伏せ、タガどおりの事件にしてしまう、平和相銀事件がまさにそれだった。
岸組の恐喝という予期せぬ事実が出ても、それを無視し、筋書きどおりの平和相銀幹部の特別背任で押しとおした。
こうして筋書きどおりに事件を組み立てていくためには、かなりの無理も生じる。
調書ひとつとるにも、個々の検事が自由に事情聴取できない。
筋書きと大幅に異なったり、筋書きを否定するような供述は調書に取れない。
調書には、作成段階で副部長や主任の手が入り、実際の供述とは違ったもの
になることも多い。だから・上司の意図に沿わない調書をつくっても、必ずボツにされる。
なにより、まずは筋書きありき。検事たちは尋問する際も、筋書きどおりの供述になるよう、
テクニックを弄して誘導していく。こんなことは大阪の特捜部では経験したことがなかった。
私も手練手管を弄して、自分の描いた筋書きに被疑者を強引に追い込んでいたが、
それはあくまで現場の捜査検事の見立てである。それが違うとなれば、いくらでも軌道修正してきた。
東京のように、尋問もしてない上役の検事が、事実関係について手を入れるなどありえない。
こうなると、もはや捜査ではない。よく検事調書は作文だといわれるが、こんなことをやっていたら、
そう批判されても仕方ないだろう。冤罪をでっち上げることにもなりかねない。
だから、私は東京地検特捜部にいても、このシステムには従わなかった。
 −−−−−
検察組織は、必要悪の国家権力で国民を裁くところである。
そこでの彼らの筋書き捜査の恐ろしさが生々しい。
                        ○´・ω・]ノヂャァネッ
・・・・・・・・・