* 56年前の坂之上小学校の同期会
 一昨日は、昭和33年卒の坂の上小学校の同期会。 会場は長岡の奥座敷といわる蓬平温泉の「よもやま館」。
前倒しの『古希』の祝いでもある。出席者が西澤先生をふくめて25名。 前回より数人少なかったが・・ 
18時から始まり、21時からは、近くの部屋に移動して二次会が開かれ、22時に日帰りの数人と、
送迎バスで長岡駅東口近くに無事帰ってきた。その間の4時間は、タイムマシーンが昭和33年に戻って、
大いに盛り上がった会であった。南は九州、広島、佐渡などから、この会に出席のため、わざわざ帰って
きた人たちがいた。小学、中学校の集まりは魂の故郷でもある。 10年に一回あるかなしかの会、やはり
出席をして良かった。私のクラスの担任の西澤先生は、来年の9月の27日で米寿というが、健康そのもの。
幾つかの小学校の校長を歴任し、長岡の教育長にもなられた人。奥さんを10年前に亡くされ、独り暮らし。
炊事、洗濯、掃除を全て一人でこなしている。近くに近くの川崎小学校の校長をしている長男が、住んでいるため、
一人暮らしの心配は無いという。そろそろ、ガタがきている私たちとは、出来が違うようだ。
 小学校、中学校、高校、大学の同級会も、今では同期会にぢしないと、人数が集まらなくなってきた。
これからは、その回毎に、一期一会になる。 今生の別れの想いが、それぞれ抱いた会だった。
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4573, 2050年の世界 ー7
2013年09月23日(月)       
         「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著)
 10年前にスマートフォンタブレットPCが、ここまで普及すると誰が想像できただろうか。 
まして40年先、10年先の端末や、アプリの進化の姿の予測など不可能である。せめて10年先の情報技術の
成果の一端を見てみたいもの。現在でも充分に満足しているが・・・現在、コンタクトを目の中に埋め込むのが
普及しているが、情報端末の埋め込みもあるだろう。それよりも、それぞれの持っている脳機能にパソコンが
連動するような機能も出てくる。
 * 「第十八章 情報技術はどこまで進歩するか」のまとめ ーより
 インターネットはきわめて短期間に社会を変容させた。生み出され処理されるデーター量は指数関数的な割で
 増えているので、経済、社会ともに今後の変化を加速する。
・今後の開発は、ハード的なスペックそのものよりも、人間の思考、発見、知識の共有を
 拡大するものに重点が置かれていく。
・技術そのものよりも、その使われ方に開発の重点は移っていく。
記憶媒体に記憶できる容量が、指数関数的に大きくなっている今、情報過多がわたしたちの時代のごく本質的な
 現象である。情報の蓄積量は世界経済の成長率の四倍、コンピェーターの演算能力は九倍の速さで増大している。
・電話会社を通じた国際電話の通話量は、一九九〇年以降年間一三パーセントの伸びで成長していたが、二〇〇五年を
 境にネット上で通話のやりとりができるスカイプの登場で減少に転じた。一九八○年代に民営化された電話会社が
 各国の通信市場を独占していたが、技術革新によってその地位はより相対化されていく。
マイクロチップの小型化と高性能化は、あらゆるものをネットワークコンピューター化するユビキタスネット
 ワークを推進する。
・ウェブ技術の革新によって以前は集めることのできなかったデータが集められるようになり、社会、経済ともに
 変容する。たとえば、すべての自動車がどの道路をどのように何時間かけて通ってきたかを捕捉できるソフトが
 完成すれば、保険算定、経費精算などに応用ができる。
・企業は上意下達型から、ウェブを使った知識共有型の組織に変わっていく。
アメリカの人口の四分の一に普及することを「大衆化」と定義すれば、それにかかる時間はどんどん
 短くなっている。電話は一八七六年に導入さ れて大衆化するまでに三五年かかった。 
 一九九一年のウェブの誕生からアメリカの人口の四分の一に普及するまでは、わずか七年を要しただけだった。
・とはいえ、コンピューターの情報量、情報処理力はまだ、生体の足元にも及ばない。二〇一〇年の時点の
 世界中のコンピューターをつなぎ、処理可能な命令数で演算能力を計測すると、人間の脳がおよそ五分間に
 発生させる神経インパルスの最大数ほどにしかならない。
▼ シネマなどのバーチャルの空間が情報技術で大きく変わっている。その魅力に惹かれて、毎週、シネマの
 バーチャル世界を訪れている。これも情報技術の進化の現象の一つ。TVも、スマホと連動する情報端末
(スマートTV)になりつつある。大衆と一部エリートの二極化は、ますます進み、その矛盾のため、
 世界が存続しているかどうか疑わしい。
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4198, 閑話小題 ーとある話
2012年09月23日(日)
    * ランチの席で漏れ聞こえてきた、とある話
 一昨日の長岡駅裏の居酒屋で、一人でランチを食べている時に聞こえてきた話。
 至近距離の六階にあるスポーツジムの帰りらしい6人連れの中年女性。 ある女性Aから・・・
A:「ねえ最近聞いた話だけど、都会のチョットした家には2千万も預金があるというけど、どうなの?」
B:「そんなに持っているの? うちなど遥かに及ばないわ!」
A:「Cさんは、ご主人がお医者さんだから、あるわよね?」
C:「そんなにあるわけないでしょ! 家のローンが残っていて、あれば、そっちに向けてるわよ!」
A:「Dさんはどう?」  少し考え込んでいた彼女
D:「それって一人あたりの金額のこと?」 その一言で、その場がシラーと白けてしまった。その強力なボケを
 かましてしまった本人、悪気はなかったようだが横で聞いていて、その場に飲み込まれてしまった。一年ほど前に、
 この随想日記で一世帯あたりの預金高について書いたが、平均預金残高1150万を何故か鮮明に記憶している。
    ーそこでHP内検索で改めて調べてみると・・
≪・一世帯平均平均1150万。人々の実感に近い中央値(答えた世帯の中間の値)は
  前年500万より80万円少ない420万円。
 ・一億以上の預金を持つ人は108万人(総世帯4700万ですから全体の2.3%)。ー40世帯に一世帯になる。
 ・都会サラリーマンの65歳の年金者の平均値は2500万の貯金を持ち、夫婦で月額30万円の年金収入があり、30%を
  預金にまわす。貯蓄残高が1年前に比べて「減った」世帯は40%で、「増えた」世帯(21%)の2倍近い。
 ・預金ゼロ世帯が何と28・6%と約3割近い。ローン残高を差し引いたら0の人を加えたら、過半数を超える。
  【 金融広報中央委員会が22日発表した2011年の「家計の金融行動に関する世論調査」による】 ≫
 ▼ 実家で親と同居し、それを引き継いだサラリーマン以外なら、子供を育てあげ家のローンを払い続ければ、
  貯金と借金で、差し引きゼロだろう。 平日にスポーツセンターに行き、ランチをするというだけで、収入が
  中の上以上クラス。更に言葉のニュアンスと服装からして、地方では上クラス。推測すると三人が預金が一千万
  辺りで、ボケをかました奥様は5千万以上。日替わりランチを食べながら耳を逆立て聞いている私は、
  シャーロック・ホームズきどりの馬鹿そのもの。ところで少ない私の知人の中で、数人は一億以上を持っている。
 (本人から聞いてみた) それが身体全体から滲み出ている。それ以上に、使い方が実に巧い。だから金の方から
  近づいてくる。 使い方は巧いが貯め方イマイチの人なら幾らでもいる。いや逆が多い?
  あれと何は使える時に使うもの!森林から出て世界を振り返ると違ってみえてくる。サバンナには味がある。  
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3833, 閑話小題
2011年09月23日(金)
   * 病上手の、死に下手
「病い上手に、死に下手」とは良くいったもの。 ただ長生きしても、それで良いのかどうか?
用が済んだら、さっさと消えるのも必要かもしれない。 そう言っていられるだけ、まだいいのか。
 ネット辞書で、【“よく病気をする人はなかなか死な ない”という諺で、江戸から大衆の間で言われてきた 】
病を乗り越え長生きしすぎると「死に損ない」と陰口を言われる。 それぞれの人に、それぞれの死に時がある、
「病上手」のかわりに、「生き上手の、死に下手」に置き換える場合もある。前の「長生きの死に損ない」という
意味と同時に、「人生を上手く生きてきた人ほど死に際は良くない」ということ。身近の人の死に際は須らく
苦悶の末に亡くなっていく。これも人生のうち。 銀座のクラブのママのブログに「遊び上手の本気下手」があった。 
なるほど!言いえて妙。逆に「本気上手の、遊びベタ」と捻って考えてみると、その方が頷ける?。
「料理上手の、床上手」もあるが、これはチョット違う。
   * パソコン・ゲーム
 iPadの有料のゲームソフトを先日からネットでダウンロードして使っている。 無料のものは多く試みたが
有料のものは少し違う。その一つがカーレース。 車の運転席に座って走る設定だが、iPadそのものがハンドルに
なってフロントからみえる道路を疾走する。左右に傾けると左右にハンドルが回る。 設定をしておくと、
ある程度の運転をフォローもしてくれる。(大事故にならない設定)終了後にカメラで運転した車をリプレーした
映像を写し出してくれ奇妙な気持ちになってしまう。より面白いものは幾らでもあるはず・・・ 
フリー(無料)のカーレースは元々、後ろ上から運転をしている車をハンドルとアクセルとブレーキでコントロール
これも面白い。他にも幾つかフリーのゲームを使っている。とにかく始めたら止められないで2時間3時間など
直ぐに経つ。ゲームに熱中している子供をみて、心の底で羨ましくさえあった。しかし周囲を見渡して
パソコン・ゲームに熱中している知人は皆無。 ネット世界には、まだ半歩しか足を踏み入れてないが、
底知れぬ面白い渦がトグロを巻いている。 やはり節目は必要。 空即是色である。
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3468. 閑話小題
2010年09月23日(木)
  * 検察の特捜主任検事を逮捕
 検察不信に関して何度か書いてきたが、ついに特捜主任検事が逮捕された。ウヤムヤに葬りされなかったことが
不思議なぐらい。押収資料を改ざんしたというから、何を言わんかである。強引に逮捕され起訴された何人かの
手記を読んだことがある。彼らは自分で筋書きをつくり、その物語どおりの材料を強引に集め起訴をする。
そこには検察の手前かってな理屈が罷り通るというのが共通項である。 その一端が、今回の事件に現われている。
これまで、国家権力を使い好き勝手に事件を捻じ曲げた所業が多くあったとが窺える。検察上層部に上るほど、
出世のための手練手管の手法を持った輩になるから想像を絶する世界?? 今回、逮捕された検事もまさか自分が
逮捕されるとは夢にだに思ってなかっただろう。 これまで手記を書いてきた被害者?が、雑誌などで、多くの
コメントや手記を出すことになる。検察もたまったものでない。情報化で国家権力を持った者でも、以前のように
抑えることが出来なくなってきたのである。 手記からすると暴力装置を持った官僚、それが検察、末端が警察。
    * 尖閣漁船衝突問題について
  ー産経新聞産経抄が面白い。まずは、その内容からー
 【 加瀬英明氏と「元中国人」石平氏との対談集『ここまで違う日本と中国』を読むと「目から鱗」の話ばかりだ。
  例えば「公」を大切にする日本と「私」しかない中国だ。お二人は「論語」にある
 「父親が羊を盗む話」をあげ説明する。
 ▼ある人が孔子に「友人は正直者で、父親が隣の人の羊を盗んだことを知ると、父親を告発しました」と語る。
  すると孔子は怒る。「何よりも、孝が大事だ。父親がどんなに悪いことをやっても、外に言ってはいけない」。
  石平氏は「孔子は公を無視している」という。
 ▼これに対し中国とは別の儒教を作り上げた日本人は「孝」よりも「公」に尽くす「忠」を重視してきたそうだ。
  何事か起きると、日本人が「相手に悪い」と思うのに対し中国人は「相手が悪い」と思う。
  明らかに「公」と「私」の精神の違いだろう。
 ▼そう考えると、沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件での中国側の対応はよくわかる。現場が日本領海で
  あるとか、国際社会の秩序に従うとかいった「公」の気持ちはさらさらない。ただ自国の船を守り、
  日本への恨みを晴らす「私」の基準で騒ぎ、日本を恫喝しているのである。
 ▼その漁船衝突事件で、こんどは日本の大学生ら約1千人の上海訪問まで延期になった。
  温家宝首相の招待で予定されていたが、中国側が「今はふさわしくない」と断ってきたのだそうだ。
  報復のつもりだろう。楽しみにしていた若者たちには気の毒だ。
 ▼容易に理解し合えそうもない精神構造の違いを覆い隠して交流してみても、あまり意味があるとは思えない。
  事件を通じ違いを知ったとすれば、その方が真の友好につながる。断られたことを感謝してもいいぐらいだ。】
  ―以上だが、中国頼みの日本は、アメリカと中国の狭間にたって翻弄され、結局は資産とノウハウを奪い
  去られる運命か。「第二次世界大戦で、日本が中国でしてきた所業を、今度は日本にして何が悪い」
  という論も成立する。中国とアメリカの間の「独り紙相撲の日本」という様相をおびてきた。 
  ・・・・・・・・
3093,久々にジョーク −1
2009年09月23日(水)
 一時期にジョークに興味を持って100以上を収集した。どれもこれも面白いものばかり。
ところが、ある時期から、これはという面白いものが無くなってしまった。ハッキリいうと、ジョークは
聞くほうに、それなりの素養が無いと笑いが生じない。周囲には、その捻りの妙の可笑しさが解る人は極少?で、
何時の間にか、酒席でも話すのを止めてしまった。先日、借りた「続・ジョーク世界一」に、面白いものがあった。
下ネタの、聖(ひじり)ものと、老婆もの。最後の一言で落とすのが、ブラックものの面白さである。 
それにしても久々にニヤリとした。
  * 神の思し召し
 医師と密会していた女性、やがて妊娠することに。困り果てた二人はいろいろ対策を考えたが、名案が浮かばない。
出産がどんどん近づいてくる。丁度そのころ、一人の神父が腸の手術をするため入院してきた。医師はひらめいた。
「神父の手術を終えたところで、赤ん坊が誕生したと言って神父に押しつけよう」医師に計画を打ち明けられたが、
女性は懐疑的だった。「それしか道はないんだ。やってみよう」 医師は女性の出産と神父の手術を同時におこない、
神父に向かって言った。「神父さま、こう言っても信じられないでしょうけど・・・」
「何だったね、何があったんだね?」問い返す神父に耳元に「神父様のお腹に赤ちゃんが宿ってました。
幸い赤ちゃんは元気です」「そんなバカな。ありえない」「そのありえないことが起きたんです。
わたしがこの手で取り上げたんですから、間違いありません」「奇跡だ!」「ええ、奇跡です」 奇跡の言葉に
弱い神父は`すべては神の思し召し′と、結果を受け入れ、赤ん坊を連れて修道院へ戻った。
それから十五年経ったある日、神父は息子を呼んで語り始めた。「おまえも十五歳になったんだから、わたしは
真実を語らなければならない。実は・・わたしは、おまえの父親ではなく…」「何なんですか?」「母親なんだ」
驚いた少年は問い返した。「じゃあ、お父さんは誰なんですか?」「これは絶対に内緒だぞ。おまえの父さんは
となり町のあの大きな教会の司教さま・・・」 (字数制限のためカット 2012年9月23日)
・・・・・・・
2728,  議論に絶対負けない法 −3
 2008年09月23日(火)
  議論に絶対負けない法」−3   ー読書日記
物語になるまで、筋書きに対する準備に徹する、それも楽しんでやれるかどうかである。
以下は、この本の一番好きな部分である。成功のノウハウが、この部分に全て含まれている!と、
いってよいほど。この天才的な弁護士が百戦百勝している最大の秘訣である。
好きこそ、ものの上手けれというが、何事も好きになり、その準備を楽しまなければならない。
  Pー195
  *私が百戦百勝している最大の秘訣
 準備!そこから魔法がはじまる! だが私がそう言うと、若い弁護士は当てが外れたような顔をする。
彼らは労働と呼ばれる退屈なものを迂回できるような、楽な方法を知りたいのだ。
本当の準備は労働などではないと彼らに説明できればいいのだが…。準備とは、創造する喜びだ。 
  (字数制限のためカット 2011年9月23日)
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2007年09月23日(日)
2364, 哲学とは何か、考えてみようか?
          Good☆Morning (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
池田晶子から、再び中島義道に戻るのも良いだろう。脳の筋肉を使わないと独りよがりの理屈の捏ね回しに
なってしまう。色いろな本を手がかりに、自分で脳の筋肉を使うしかない。その手っ取り早いのが哲学。
それも、同じことを同じように、何度も繰り返しながら、一人ブツブツと独り言を呟きながら・・・
私の場合特に、自分の経験を照らし合わせて理解することが多い。何ごとも初めは心と頭を空にして
(空即是色から始めないと)新しいことは出来ない。解ったふりとか、それまでの些細な知識や経験は、
全て邪魔になる。それが創造である。 哲学は何ごとも一度横において、原点を見つめることである。
 「狂人三歩手前」 ー中島義道
ー夏には哲学がよく似合うー  P-51
メルローーポンティは言う。「真の哲学とは世界を見ることを学びなおすことである」脳髄の中はクルクル
思考が回っている。この「私」とは何者なのか?太陽が眩しい「いま」という時、それは何なのか?太陽から
私の身体までのこの空間とは何なのか?このごろとくに考えること。それは、「見えるもの」は「見えないもの」
に支えられて初めて見えるということだ。他人の心も見えない…膨大な数の「見えないもの」に支えられて、
特定の風景がいま眼前に広がっている。ここにメルローポンティとカントを繋ぐ線があるのではないか。
カントの言う「経験を可能にする条件」とは、「見えるもの」を見えるようにする「見えないもの」なのだ。
フムフムいいそ、いいそ…。哲学者とは夏の海岸でも、こういうことを絶えず考えている変な奴。
メルローポンテイは次のようにも言う。「哲学者とは、目覚めそして話す人間のことである」(『眼と精神』)。
「目覚めている」とは、絶えず周囲世界を見ているということである。そして「話す」とは、それを絶えず
言語化しているということ。この条件さえ満たせば、誰でも哲学者になれる。というより、すでに哲学者。
いや・もう一つの条件を加えておこう。 (以下、字数の関係でカット2013年9月23日)
・・・・・・・
2006年09月23日(土)
1999, 「私」のための現代思想  −3   (。^0^。)ノ オッ (*^○^*) ハ〜 ヨウ
 第一章 「私」を縛るものは何か ー
  ー《価値》についてー
<価値>とは、何が良いか何が悪いかという時の価値基準をいう。
 良い・悪いの規範のことを「道徳」という。  (以下、字数の関係でカット2008年9月23日)
・・・・・・・
2005年09月23日(金)
 1634, 創造性とは何かー 日野敬三 対談集
今西錦司との対談「創造とは何か」も深い。もう23年前の対談で二人とも故人になっているが、
生々しい肉声がそのまま伝わってくる。自らを謙虚にして自然の声を聞く姿勢が、創造の原点であるが、
個性に対して「自己」と「自我」の相対の中から、その意味を導き出しているのも、鋭い指摘である。
 (以下、字数の関係でカット2009年9月23日)
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2004年09月23日(木)
 1269, 否定的想念の恐怖
人間の脳には磁力があり、否定的想念を持てば否定的情報とその類の人間が集まり、
反対に肯定的想念を持てば、肯定的情報とその類の人間が集まる。私の経験でいうと、否定的想念のほうが
肯定的想念より磁力は圧倒的に強い。 (以下、字数の関係でカット2008年9月23日)
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2003年09月23日(火)
 902, 「守護霊との対話 」
 母が晩年よく「私には守護霊がいて、一生を通して、いつも守っていてくれたような気がする」
といっていた。   (字数制限のためカット 2010年9月23日)
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2002年09月23日(月) 貧すれば鈍する
 私の周辺に不幸を絵に書いたような人が数人いる。「何をしてもうまくいかない人」である。 
 (以下、字数の関係でカット2008年9月23日)