* 衣料品の季節物は投機商品
 秋物の後は、冬物、春物、夏物と一日一日が全く新しい経験。新シーズンの商品に出会うのは、一周りする一年間は、
何もかも初めて。セーターを例にとると、その素材はウール100%とアクリルがあり、その混毛もある。その裏を見ると、
生産メーカーや、素材などが表示してあることすら知らない。それを地元問屋の専務から一つずつ教授して貰う日々。
ひたすら、その場、その場で憶えていくしかない。しかし、過去の勤務先では、毎日が、高速配転という名の現場教育で、
連日が未知との出合いは経験済み。キャリアとは、各部所への配転で、多くの仕事をこなした職歴を持った総合職。 
仕事を身体で憶えるには、現場配転しかない。20歳の頃、「父のような創業者を目指す」と決意したとき、それは、
新規事業を立上げるキャリアを身につけるため、留まることない自己配転の人生を選択したことで、常に、その圧を
自分にかけ続けることになった。 新潟駅前のビジネスホテル事業シリーズが、この結果に終わったのは、10年目か、
少なくとも15年目で、その事業から身を引くか、違う事業に転身出しなかったため! その善し悪しは別として、創業を
繰返す人生を、社会の出発点の構想が、ここでブレていた。 雪国の壁の中、茹で蛙になってしまい、バブル崩壊
ネット社会の到来がもたらす激変を読めなかった。 「まさか、ここまでの激変が?」では、事業者は許されない!こと。
最後の結果は、時代の激変だけが原因でなく、私の時代感覚の鈍さであり、「元は私、そのまま、結構」と、諦めがつく。
 話は戻る。現場に飛び込んでみて、季節物衣料が投機商品ということを、直ぐに思い知った。一年を、春夏秋冬に分け、
それぞれを、導入、最盛、見切り期に、1ヶ月に分ける。とすると、季節ものは月単位の、思いきった判断が求められる。
それが商品毎に違うため、年中、切った、貼ったの、投機商品の只中に身を置くことになる。ヤクザなら「切った(殺傷)、
張った(博打)」。衣料品なら、正札の「切った(値下)、はった(正札上に値下値を貼ると、売れ筋に商品を集中)」
になる。これには、経験と、直感と、場数が必要になる。義兄にすれば、私が、出来よう筈がないと確信するのも分かる。
しかし幸運も重なり、店として一シーズンを大当てをすると、その勢いが次に続く。 逆に外れると、逆に回転する。
これに、エネルギーが加味され、結果がそのまま露呈する。生まれ育った10年間の生活環境と、創業を決意しての
10年間の自己配転の全てが、極限の中で、プラスに働いていた。

・・・・・・
4481, 静かなる大恐慌 ー1
2013年06月23日(日)
          「静かなる大恐慌 」柴山 桂太 (著)
 リーマンショック以降、現在も静かに大恐慌は続いていると何度も述べているが、マスコミはテーマにしない。
タブーかどうか分からないが? 地方もあってか周囲の状況は惨憺たるもの。私の年代がリタイアの時節もあるが、
私を含めて過半数以上が直撃を受けている。ただ、あまり表立って話題にしないというより、明日は我身で黙るしかない。
 その現状そのままを、ズバリ書いてある本があった。100年近く前の恐慌と二つの世界大戦を、現在の状況と重ね合わせ、
世界も日本も、静かだが既に世界恐慌に入っていると分析している。
   ー まずは、プロローグより ー
《 世界は「静かなる大恐慌」に突入した。危機的なのは経済だけではない。
 国際政治は一九二九年の世界大恐慌をはさんだ、ふたつの世界大戦の時代と同じコースを歩み始めた。
グローバル化が必然的に招く、社会の不安定化と経済の脆弱化。それによって国内でも世代間、産業間、都市対地方
などの対立が激化している。この不安定性に耐えうるシステムは、通説とは逆に「大きな政府」の復活しかない。
この歴史の趨勢に我々は逆らうことができないのだ。グローバル化の行きづまり、そして「脱グローバル化」への
急反転というショックを日本はいかに生き抜くかを問うている。》
  ーその幾つかを抜粋してみたー
☆ 20世紀を代表する歴史学者、フェルナン・ブローデルは「資本主義は、それが国家と一体化するとき、それが国家で
 あるときにのみ、栄えると(『歴史入門』)で述べた。この含意するところは大きい。資本主義というシステムは、一見、
 アナーキーなものに見えるが、実は「国家」なしでは機能し得ない。それを「国家資本主義」という言葉で言い表せば、
 「自由資本主義とはいえ、一皮剥けば国家資本主義的な側面をかなりもっている」(p.95)
☆ 100年前も現代と同じくらいグローバル化(金融は除く)が進んでいた。資本主義は人々の欲望の塊が原動力。
 それを野放しにすれば必ず反動という自然の調整で大恐慌が生まれる。それが、1929年の大恐慌と、2回の大戦争
 現在の世界経済を1920年代の世界大恐慌になぞらえ、その類似性を説明していく。20世紀初頭の第一次グローバル化と、
 その結果とも言える二度の大戦と大恐慌。そして、並行して進む脱グローバル化への揺り戻し。
 今は、その後1970年代のブレトンウッズ体制の崩壊から続く第二次グローバル化の中にあると説く。
☆ グローバル化と民主主義と国家主権の3つは全部が成立することは不可能で、このうちどれか2つしか同時に成立しない。
 グローバル化と民主主義が成立すれば、EUのように国家が抑えられ、グローバル化と国家主権が強くなれば、日米のように
 国内の貧富の格差が大きくなる。日本は、グローバル化を抑えた国家主権と民主化を重点とした政策が必要。
▼ グローバル化が100年前もあって、その反動で恐慌が起こっていた。そして、現在も、酷似しているという。
 現在のネットが、当時としては電話の普及に当たるとする。現在は、20ヶ国が一同に介して、恐慌が表立つのを
 抑えているが、現実は既に恐慌が静かに進んでいるというのは正しい。特に日本は、その先頭に立っている。
 著者は、日本にとって、3つの内、国家主義と民主主義に重点を置くべきというが、国家主義グローバル化しか
 選択の余地はないのではと考えざるを得ない。アメリカの属国しか生きれない体質になっているからだ。
 恐慌は、それほど生易しくはない。10年後もしないうちに、東北大震災が消し飛ぶほどの何か、
 例えれば、1923年の関東大震災に対する世界恐慌と太平洋戦争のような。    −つづく
・・・・・・
4107, 哲学で自分をつくる ー5 (デカルト
2012年6月23日(土)
 第二章 まだ自分をさがしているの?  ーデカルト ―� 
  * 我狂う、ゆえに我なし!        「哲学で自分をつくるー 19人の哲学者の方法 」瀧本 往人 (著)
 デカルトの「方法序説」の『省察』で、狂気についての指摘が考えさせられた。
≪「思う」もしくは「我思う」主体が狂気を携えていることはありえない、としている。「Aという定理は間違っている」
ということを新たな「Bという定理」から指摘することはできるが、「私は狂っている」ということを「狂っている主体」が
言うことはできない。もし言うとすると、それは「正しい」ことを言っているのであって、狂っていないことになる。
私は先ほど狂っていたが、今は正常です、と言うことも基本的にはできない。そうすると錯覚や夢とは次元が異なるもの
としてデカルトは狂気を提示していることになる。 そうであるがゆえに、「私が考えるということは、狂ってない人間」
の特権と化すのである。 ・・つまり、「我思う、ゆえに我在り」を成立させることによって、「我狂う」場合は「我狂う」
という言明もできないし、「我在り」も成立しないと言っているに等しいのである。狂気は「懐疑する主体」によって
最初から排除されているわけである。≫
≪・・・デカルトは、本当に確かなものはこの世にあるのだろうかと考え、考え尽くした上で、疑えないものなぞない、
 という結論に至った。この世に何も頼れるものがないとは、きっと途方に暮れただろう。しかし彼はこの問いをさらに
突ぎ詰める。そして、まぎれもなく確かなものを発見した。それは、「すべてを疑った」、そのこと自体は確かだ、
ということである。つまリ、疑い尽くした「我」が「在る」ということだけは、動かしがたい「真実」であるということ。
懐疑の果ての確信。考えれば考えるほど、「自分」以外に確かなものはない。だからあなたのように、「自分らしさ」や
「本当の自分」を探るということは、至極当然のことであって、そこにリアリティを感じるのは自然なことだ。
ここまではよい。しかし、ここからが大問題だ。あなたは、いつか「本当の自分」を見つけることができると思っている。
だが、それは本当に可能なのだろうか。 もしかすると、前章でふれたソクラテスが導念した「自分の魂を磨くこと」とは、
今でいう「私らしさ」の追求ではないのか。そう思う人がいるかもしれない。だが、ソクラテスが目指したのは
【魂の鍛錬】であって、「私らしさ」ではなかった。彼には「私」とか「主体」いうものの考え方がなかった。
ソクラテス」はいたが「私」ではなかった。 この「私」を発見したのは、今から四百年前、日本でいえば
江戸時代初期に生きたデカルトによってである。では、デカルトこそ「私探し」の元祖なのだろうか。
実はこれも正しいとは言えない。デカルトの目的に、世の中に確実なことがあるのかを見極めることであった。
探していたのは確実性であり、「真理」である。その真理が実は、「私」を拠点としていたのである。
確実なものとして「私」は登場してくるのであって、探さねばならないものではなかったのだ。 ≫
▼ <「私は狂っている」ということを「狂っている主体」が言うことはできない。> は、「嘘つきのパラドックス
 に似ている。エピメニデスという哲学者が「クレタ人は嘘つき だ」と言った、話である。困ったことにエピメニデス
自身がクレタ島の出身。だとするとクレタ人が嘘付きだというのならエピメニデスも嘘つきなのだろうか。だとすると
クレタ人は嘘つきだ」という言葉自体も嘘なのだろうか。だとするとクレタ人は嘘つきではないのだろうか。
ではエピメニデスの言ったことは正しいのだろうか?ではクレタ人は嘘つきなのだろうか? という哲学問答である。
人生を振り返ると、「私は狂っていた、ゆえに私の人生、ないがごとき」が、実は人生の実相と思い悩んでいる。
狂っていたなずと、狂っていれば言えない。悩みなど、そんなもの!ちっぽけな人生、何を悩む? 
しかし振り返れば狂っているとしか思えない。 これは私だけではなく万人にいえるが・・・
  ・・・・・・・
3741, パチンコ店が何故、廃止にならないのか ?
2011年06月23日(木)
 指摘されて気づいたことだが、日本でのパチンコの容認である。その存在を誰も不思議に思わない日本の戦後体質と世論。
この疑問に至ったのは、新聞広告で「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」若宮 健 (著)  を知り、アマゾンで概要を
読んで、驚き同調したため。この国は、政界、警察、広告、メディアがパチンコ業界と癒着?関係になっている実態がある。
  ーまずは、アマゾンの著者からの内容紹介ー
 パチンコによる被害が叫ばれて久しい。依存症でサラ金闇金の借金まみれになった末に家庭崩壊、自殺という例は
跡を絶たず、炎暑下の赤ちゃんの車中置き去り死亡事故も相変わらずである。著者は長年、パチンコ依存症の問題を
取材してきたが、2006年暮れ、旅行した韓国で、パチンコが全廃され、すべての店舗が姿を消しているのを目にした。
ところが驚いたことは、日本に帰ってきて新聞雑誌をみても、そのことを報じている新聞は皆無で、
そのことを知っている識者も誰もいなかったことである。(字数制限のためカット 2012年6月23日)
  ・・・・・・・
3376, 生涯に直面する四つの不条理
2010年06月23日(水) 
 「生き方の不平等」 白波瀬佐和子著
* 生き方は個人の選択だが、そもそも最初から立つ位置が異なるー
 毎日新聞の書評で読んで、ネットで詳細を調べたが、考えさせられる内容である。
  ー 以下はネットで調べた概要 ー
 著者は、人の一生を四つの段階に分け、それぞれの中心問題をとりあげている。
一、どんな家に生れるか。人は人生のはじめに大きな不条理を背負っている。これは厳然たる事実である。
 市場主義者は機会の均等を前提として社会のあり方を考える。だが現実は、その出発点が不平等なのである。
 子供の幸せは親の幸せ。せめて子供だけにはましな暮らしをさせたいと、親は教育に力を注いだもの。
 世代を超えた人生の帳尻の合わせ方である。 高度経済成長期には熱心な教育ブームが広がって、1970年代の
 出産率は2.13で、夫婦に子供二人が典型的な家庭であった。総中流生活といわれたものの、実はじわじわと階層化が
 進行していた。日本の母子家庭の貧困率は2/3ときわめて高い者たちが直面する不条理である。
二、次は、若者たちが直面する不条理。 社会に出るときの背景に恵まれたかどうかである。
 青少年から大人へ、学校から社会へ、扶養される者から職業人へ、人生への新しいステージへの移行期が恵まれているかどうか。 
 そこに、例えば九〇年代のような長期不況がぶつかると、正規雇用者になれない人がふえる。深刻なのはそれが長く、
 時に一生その人につきまとうことである。それが、たまたまの負け組、たまたまの勝ち組をつくっていく。
 著者はこの「たまたま」の中に、自己責任を強調した小泉的発想を批判する。
三、三番目の働く場の不条理は、男女の差が中心である。 高度経済成長の時代には生活の場を女性が一手に引き受けて、
 生産の場を稼ぎ主の男性が担うという役割分担論でやってきた。 不況時代でも性的役割分担は本質的に変わっていない。
 女性には子育ての時期に労働参加率が低下するM字型労働参加曲線が特徴的である。男女の働き方が欧米に較べ大きく
 異なっているのは、労働市場が男女で分断され、女性の賃金と昇進機会が制約されてていること、家庭と職場を結ぶ
 社会的支援が不十分である事があげられる。就労形態で見ると女性は事務、男性は生産とはっきりした差異があることである。 
 医師は男性、看護師は女性が多いという風に断絶している。
四、最後に高齢者たちの不平等である。 高齢期は経済的のみならず、社会的な蓄えがものをいう人生の終盤期であり、
 蓄積された不平等がより顕著に現れる時期。「お一人様の老後」で述べられているように、ひとりで生活する高齢者は
 同居する家族がいない分、深刻な貧困リスクに向き合わなければならない。そのためには周到な老後設計が求められる。 
 高齢者の所得格差が大きいのは、他の国に較べて高齢者の就労率が高いからである。 OECDの平均は12%ほどなのに、
 日本の高齢者就労率は20%を超えている。欧米では悠々自適の(年金)生活を謳歌するが、日本では年金だけで生活できないので
 老後の心配から、いつまでも働くのである。 過去30年の高齢者がいる世帯の変化を見ると、3世代世帯数が60%から20%へと
 急速に減少し、反面高齢者のみの世帯数が15%から45%へ増加した。単独世帯や夫婦のみの世帯も10%から25%に増えている。
 大世帯という集団が解体していることが如実に示される。そこに不平等が生まれてくる。
 ▼ 人生を振り返ると、ここまでは恵まれていたようだ。 老後のセフティ・ネットをつくってあるし、
 老後の不安は最小にしてあるが、この恐慌である。それら全てを破壊される可能性がある。 つくづく思うのは、恵まれた
 両親の元に生まれた幸運、そして青年期に高度成長期に当たったこと。成年・壮年期は世界二位の経済大国であったこと。 
 老後は、それほど為残したこともないし・・・。しかし40代半ばから下の人は、時代背景が悪い。その段差が世代間格差か。
  ・・・・・・・・
 3001、ハロー効果
2009年06月23日(火)
「世界は感情で動く」 ー4                読書日記
行動経済学からみる脳のトラップー
 * ハロー効果の意味とは?
ーネットの百科事典『ウィキペディア』によると、
【 ハロー効果とは心理的効果の一つ。 ある対象を評価をするときに顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価が歪められる
現象のこと。認知バイアス(偏見)の一種である。一般にポジティブな方向への歪みを指すことが多いが、ネガティブな方向への
ハロー効果も存在する。ハローとは、「後光が差す」というときの後光、聖像の光背や光輪のことで、後光効果、光背効果とも呼ばれる。 
例として、ある人が難関大学卒であった場合、その人が学力においてだけでなく、人格的にも優れてると思い込んでしまうケースがある。
また、有名人やタレントを通じたCMや広告がその商品やサービスを実際に使ったりしたことがないにもかかわらず良いイメージを与える。
それによって購入意欲を刺激したり、購入したりする。 経験則として古くから気づかれていた現象であるが、
実証的な研究は心理学者のソーンダイクによるものとされている。】
▼ 世の中は「ハロー効果」だらけといっても良い。スターや大相撲の横綱が、その典型。周囲を弟子に囲まれ、これから大一番に
向かう時など熱気が冬の冷気と相まってオーラのようにとり囲むことがあるという。といって、それと品格とは違う問題。馬鹿な大男に
「品格が良さそうに振舞え」というだけのこと。ハロー効果は何時の間に自惚れもたらす。目隠しをしてペプシとコカコーラを飲むと、
7割はペプシが美味いと答えるという。宣伝による洗脳効果の「スカッと爽やかコカコーラ」が刷り込まれていて、味まで変わってくる。
そうそう、日本の代議士が、典型である。立候補の時のイメージ作戦。彼らは当選するために理想的人物を演じるのである。 
そして、そのギャップがスキャンダルとして、白日にさらけ出された時に段差に唖然とする。
世の中、元もと集団幻想であり、個々は、他幻想に、自己幻想でしかないのだから、ハロー効果を狙うのは当然のこと。
そうこう見ると、人生を何をアクセク生きてきたのか、馬鹿馬鹿しくなってきている日々であります。
‘ 達磨さん こちら向かんせ 世の中は 月雪花に 酒と三味線 ’ で、良いんじゃないかい。 で、少しアル中気味!
 後記) 足利免罪事件、あれは初期のDNA鑑定がハロー効果になり、誰も疑わなかったことによる。
・・・・・・・・
2637, ロードサービス、初体験!
2008年06月23日(月)            ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっは!
  ー半ドアでバッテリーが上がるー
昨日、車を乗ろうとしたら車が半ドア。そしてエンジンを入れようとしたところ反応がない。
バッテリーが上がっていた。二週間、車に乗らないので気がつかなかった。そこで、その対応策として。 
・まずは兄に電話をしたら、前日に義姉が車の事故で大破。もう使えない状態という。前なら行きつけのガソリンスタンドの電話を
して来てもらうが、こういうご時勢、一円でも安いガソリンスタンドを、そのつど見つけて行っているので、気楽に頼めない。 
 (字数制限のためカット 2012年6月23日)          
・・・・・・
2007年06月23日(土)
2272, 漢字は、一字で、詩やねん   (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ ヨ♯
 ー 榊莫山 の名言ー
漢字は、一字で、詩やねん。字というものは、そもそも絵画的でっしゃろ。山、川、木、森、すでに、字そのものに、
絵と言葉の合体がある。室生犀星がな、どんな人でも死が訪れる頃には、ええ字が書ける、と言うてます。
それに、中途半端に風流そうに見せた字より、読む人のことを考えて、丁寧にわかりやすく書いてある字のほうが、
なんぼか感じがええもんですよ。 真っすぐ前ばかり見とっても、 何も見えてこんで。 ...
▼「漢字は、一字で、詩やねん。字というものは、そもそも絵画的でっしゃろ。・・・」 いい言葉である!
 「人の名前は、それだけで、その人の一生の物語」という言葉を思い出したが、この言葉を重ねると何とも言いえて妙である。 
 その物語のテーマという名前を両親が愛と願いを込めてつけて、ストーリーは本人が一生をかけて演じるもの!
 「人の名は、それだけで、詩やねん。」という言葉が成立するが、これも含蓄がある。
 墓の横の姓名と年月日をみると、つくづく消えし過去の物語を感じるのは、そのせいだろう。
 一人一人物語と深い経験を持っている。
そうすると、私の場合ー 堀井八郎ー一生をかけて八つの井戸を掘る男!
私の場合、小さなビルを増築も含め八つ造った?それとも、八つの大きな出来事に出会った?
八は中国でお金のことというが、金がついてまわったという実感はない!理屈はどうにでもつく、ということか!
・・・・・・・・
2006年06月23日(金)
1907, エピソードで読む西洋哲学史ー2
   。・∀・)ノ゙オハヨウ!           ー読書日記       
 (字数制限のためカット 2010年6月23日)
・・・・・・・
2005年06月23日(木)
 1542, バージン島にオフショア会社設立?
一昨日、取引先の保険会社の社長が、「面白い人を連れて行くから会ってくれないか」という電話が入った。
(字数制限のためカット 2011年6月23日)
・・・・・・・・
2004年06月23日(水)
 1177, 「物語の主人公になる方法」ー読書日記
人生は一冊の小説のようなものというが、図書館でいつも見ているコーナーに新たに新刊本が追加されてあった。
(字数制限のためカット 2010年6月23日)
・・・・・・・
2003年06月23日(月)
 810, 「ありがとう」の言葉ー5
 最近は殆んど見られなくなったが石油スタンドが完全自由化になる以前は、まだ石油の価格が暗黙のうちに規制されていた。
 (字数の関係でカット09年06月23日)
・・・・・・・・・・
2002年06月23日(日)
446,喧嘩のコツ
・まずは先手必勝、なんでもそうだが ? 王手・飛車より、先手が怖い
・相打ちを狙う。 ー但し、相手よりより力を込め、弱点を狙う
 自分が傷つくことを恐れて腰が引ける、やるなら相打ち
(字数の関係でカット13年06月23日)