つれづれに

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 今日のYoutube

 お彼岸だ。そして、明日は母親の命日になる。
この連休は、家で、相撲に野球にラグビーに、そして
TV映画をみて、運動はポタリング(自転車散歩)ですごした。
スポーツジムに行くつもりだったが、結局は行かずじまい。
連休は一度は外食に行くが、これもなし。 ジムに行くかわりに、
スポーツ観戦をTVでしていたことになる。

 特に、ラグビーで日本が南アフリカに大接戦の上で、勝ったのが印象的。
それにしても、奇跡も奇跡である。ラグビーに番狂わせはない、といわれる
中で、勝ったのだから・・・ 日本開催ののラグビー・ワールドカップに、
これほどの添え花はない。


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3093,久々にジョーク -1
2009年09月23日(水)
 一時期にジョークに興味を持って100以上を収集した。どれもこれも
面白いものばかり。ところが、ある時期から、これはという面白いものが
無くなってしまった。ハッキリいうと、ジョークは聞くほうに、それなりの
素養が無いと笑いが生じない。周囲には、その捻りの妙の可笑しさが解る人
は極少?で、何時の間にか、酒席でも話すのを止めてしまった。
先日、借りた「続・ジョーク世界一」に、面白いものがあった。下ネタの、
聖(ひじり)ものと、老婆もの。最後の一言で落とすのが、ブラックものの
面白さである。それにしても久々にニヤリ。
  * 神の思し召し
 医師と密会していた女性、やがて妊娠することに。困り果てた二人は
いろいろ対策を考えたが、名案が浮かばない。出産がどんどん近づいてくる。
丁度そのころ、一人の神父が腸の手術をするため入院してきた。
医師はひらめいた。 「神父の手術を終えたところで、赤ん坊が誕生したと
言って神父に押しつけよう」医師に計画を打ち明けられたが、女性は懐疑的。
「それしか道はないんだ。やってみよう」 医師は女性の出産と神父の手術を
同時におこない、神父に向かって言った。「神父さま、こう言っても信じ
られないでしょうけど・・・」「何だったね、何があったんだね?」
問い返す神父に耳元に「神父様のお腹に赤ちゃんが宿ってました。
幸い赤ちゃんは元気です」「そんなバカな。ありえない」
「そのありえないことが起きたんです。わたしがこの手で取り上げたんです
から、間違いありません」「奇跡だ!」「ええ、奇跡です」 
奇跡の言葉に弱い神父は`すべては神の思し召し′と、結果を受け入れ、
赤ん坊を連れて修道院へ戻った。それから十五年経ったある日、神父は
息子を呼んで語り始めた。「おまえも十五歳になったんだから、わたしは
真実を語らなければならない。実は・・わたしは、おまえの父親ではなく…」
「何なんですか?」「母親なんだ」驚いた少年は問い返した。
「じゃあ、お父さんは誰なんですか?」「これは絶対に内緒だぞ。
おまえの父さんはとなり町のあの大きな教会の司教さま・・・」  
(字数制限のためカット 2012年9月23日)

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2728,  議論に絶対負けない法 -3
 2008年09月23日(火)
  議論に絶対負けない法」-3   ー読書日記
物語になるまで、筋書きに対する準備に徹する、それも楽しんでやれるか
どうかである。以下は、この本の一番好きな部分である。成功のノウハウが、
この部分に全て含まれている!と、いってよいほど。この天才的な弁護士が
百戦百勝している最大の秘訣である。好きこそ、ものの上手けれというが、
何事も好きになり、その準備を楽しまなければならない。 Pー195
  *私が百戦百勝している最大の秘訣
準備!そこから魔法がはじまる! だが私がそう言うと、若い弁護士は当てが
外れたような顔をする。彼らは労働と呼ばれる退屈なものを迂回できるような、
楽な方法を知りたいのだ。本当の準備は労働などではないと彼らに説明
できればいいのだが…。準備とは、創造する喜びだ。 
  (字数制限のためカット 2011年9月23日)
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2007年09月23日(日)
2364, 哲学とは何か、考えてみようか?
       Good☆Morning (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァ♪
池田晶子から、再び中島義道に戻るのも良いだろう。脳の筋肉を使わないと
独りよがりの理屈の捏ね回しになってしまう。色いろな本を手がかりに、自分
で脳の筋肉を使うしかない。その手っ取り早いのが哲学。
それも、同じことを同じように、何度も繰り返しながら、一人ブツブツと
独り言を呟きながら・・・ 私の場合特に、自分の経験を照らし合わせて理解
することが多い。何ごとも初めは心と頭を空にして(空即是色から始めないと)
新しいことは出来ない。解ったふりとか、それまでの些細な知識や経験は、
全て邪魔になる。それが創造である。 哲学は何ごとも一度横において、
原点を見つめることである。
             「狂人三歩手前」 ー中島義道
ー夏には哲学がよく似合うー  P-51
メルローーポンティは言う。「真の哲学とは世界を見ることを学びなおすこと
である」脳髄の中はクルクル思考が回っている。この「私」とは何者なのか?
太陽が眩しい「いま」という時、それは何なのか?太陽から私の身体までの
この空間とは何なのか?このごろとくに考えること。それは、「見えるもの」
は「見えないもの」に支えられて初めて見えるということだ。他人の心も
見えない…膨大な数の「見えないもの」に支えられて、特定の風景がいま眼前
に広がっている。ここにメルローポンティとカントを繋ぐ線があるのではないか。
カントの言う「経験を可能にする条件」とは、「見えるもの」を見えるようにする
「見えないもの」なのだ。フムフムいいそ、いいそ…。哲学者とは夏の海岸でも、
こういうことを絶えず考えている変な奴。メルローポンテイは次のようにも言う。
「哲学者とは、目覚めそして話す人間のことである」(『眼と精神』)。
「目覚めている」とは、絶えず周囲世界を見ているということである。
そして「話す」とは、それを絶えず言語化しているということ。この条件さえ
満たせば、誰でも哲学者になれる。というより、すでに哲学者。
いや・もう一つの条件を加えておこう。(字数の関係でカット2013年9月23日)