* 旧社員の入替と、パート化
 数ヶ月で冬物を大成功させ、その勢いで、翌年の春、夏物まで勢いよく商品が回転した。
しかし、次の秋物が、2期目に入ったにも関らず不調に終わって、その影響で、次の冬物の不調につながった。
一シーズン失敗すると、あとの2期に大きく影響を及ぼす恐さを肌身で知る。 その時、何であれシーズン単位の
成功が、翌シーズンの成果の絶対条件!そのため仕入の成功と、良質な知識と情報が営業成績を左右することを知った。
「利は元(仕入れ・情報)にあり」である。 仕入れには、『10、4、2、1の原理』がある。
導入期に10の商品を幅広に展開。最盛期は、そこから売れ筋を4を、次に2、最後は1に集中させていく。
見切り時期には、導入期と最盛期の売残り品に、メーカ処分品が加えて格安で処分。
 それを円滑にするには、担当者の仕入、販売、在庫調整の即断が可能な権限を現場に落とさなければならない。
スーパーの生鮮食品と同じで、売りきって何ぼである。それは、月単位か一日単位か、の違いだけ。
そこで数値責任を明確にした部門別管理が必要となる。最初の一年間は、日々、そのため互いの対話が続いていた。
熱くなる反面、冷静な客観性が求められる。そこには、商品、数値、担当、顧客を鳥瞰する目線が必要になる。 
だから、難しいといえば非常に難しい。その道10年、20年の経験の前任が、未経験者な私には絶対無理!
と断言するのは当然のこと。その中で、数ヶ月で、以前より客足が増えたのには、彼らも驚いたはず。
店は繁盛して何ぼの生き物。 ところが、数ヶ月もしないうちに、残留の社員が次々と辞めはじめた。 
全く素人の私が仕入れた商品に呆れ、新しい伝票システム、マニュアル、日報、朝礼など、次々と変る中、過って
辞めていった社員達の中傷があった。辞めていった穴埋めに、パート・アルバイトでカバーするしかなかったが、
皮肉なことに、それがプラスになっていた。 新規のパートで応募してくるのは、結婚をして、子供が小中学生に
なり手が離れ始めた、過っての販売経験者が主。筋金入りで、生活費の補填という目的を持っていて、去っていく
人達より遥かに良質。新しいマニュアルや、部門別管理の徹底は、入替わった人が即日、戦力にする仕組みでもある。
新システムは、人件費などの経費などの激減効果になっていた。その頃、石油ショックの影響もあって、就職事情が
大きく変わり、翌年の新卒に上質の人材が多く含まれていた。 新システムに直ぐに馴染んだ彼らが、1〜2年で、
即戦力になっていた。 事業人生を決心して10年間で得た経験と知識が、瀬戸際の中で、完全燃焼をしていた。
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4484, 怒らないって本当は恐い!
2013年06月26日(水)
                 『怒りの作法』小川仁志 著
 生家が大家族で商売をしていたこともあり、自分の感情を顕わにすることは絶対タブーの中で育った。
それもあって『情念の話術』ーヒトラーの魔力 ー を学生時代に読んだ時、私の常識と全く逆の内容に驚いた。
この本でナチスの大衆誘導の手法を教えていた。「大衆は女子供のようなもの。喜怒哀楽を込めた情念で煽って
集団催眠にかける手法。右手を胸につけ右上にあげる。演説で大声を振り上げ怒りの感情を大衆に訴え扇動する。
それらの手法を日常の話術や、行動のエネルギーの源泉にせよ。喜怒哀楽をエンジンとみたてフル回転し行動の
アクセルにせよ」というのだから・・ 当時の私にとって、これは性格を変えてしまうほどのインパクト。
私が怒りっぽくなったのは、これ。これを人知れずノウハウにしたら、突然狂ったと思われる。
 喜怒哀楽の中で一番疎んじられている怒りこそ日本人に欠けている。(仏教の影響もある)
これを、コミニケーションの扉を開くための道具とすべしというのも納得できる。コミニケで怒りの訴える強度が
一番高い。 もし人種差別の場合、笑って抗議しても、泣いて抗議しても、怒りほどのインパクトはない。
問題は、その表現の仕方である。これが『怒りの作法』の中で貫かれている主旨である。 怒りこそ感情の主。
逆に人間関係を一瞬に破壊してしまう薬にも毒になるしろもの。 そこに作法が必要になる。
 ここで、アリストテレスの「怒りは、しばしば道徳と勇気の武器なり」という言葉を紹介している。
《 それはまさに「正しく怒る」ことである。「怒らないこと」でなく、「正しく怒ること」が大事ということ。
 アリストテレスの「中庸」という思想を見ると、このことがわかる。中庸とは最も望ましい状態のこと。
怒りに対する「穏和」を意味する。つまり、然るべき事柄に対し、然るべき人に、然るべき仕方で、然るべき時に、
然るべき間だけ怒る。これが賞賛すべき怒り方であって、こうした怒り方の出来る人を穏和の人という。 
怒ることは、必ずしも悪いことではない。しかし、現代人は怒ることを出来るだけ避けようとする。
もっと怒るべきなのに。(p3)》
 以前は、今に比べれば、穏和に怒ってくれる人が多かった。でも、現代は違う。怒りを抑えることが
良いとされ、それが沈殿してしまう。そして爆発し全てが破壊する。 怒らないって、本当は恐いのである。
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4110は、私が "日本の自殺"ー10完全な本を作った
2012年6月26日(火)
 「極端な平等主義を自殺のイデオロギー」とするなら、情報化が正に平等意識をもたらす働きをする。
日本の民主主義は戦い勝ち取ったのでないため、公平と平等の見境がつかないのが実情。社会主義は、
理念として極端に求めた結果、集団自殺の道をまっしぐらに歩む結果となった。社会主義圏の崩壊である。
競争による優勝劣敗のシステムは組み込まれていなけらば進歩は無くなってしまい、その結果として悪貨が
良貨を駆逐することになる。その辺の没落の歴史は、正直に歴史の中に現れ出ている。 
   * 自殺のイデオロギー     
 ー次の部分は、現時点の惨状を予測した「自殺のイデオロギー」である。
【 諸文明の没落の歴史を辿っていくと、我々は没落の過程で必ずといってよいほど不可避的に発生してくる
文明の「自殺のイデオロギー」とでも呼ぶべきものに遭遇する。それは文明の「種」により、また時代によって
さまざまな形をとってはいるが、それらに一貫して共通するものは極端な平等主義のイデオロギーである。
この平等主義のイデオロギーは、共同体を解体、社会秩序を崩壊させ、大衆社会化状況を生み出しつつ全社会を
恐るべき力で風化し、砂漠化していくのである。 まずわれわれは、戦後「民主教育」のなかにひそむ
「自殺のイデオロギー」を平等主義の観点から吟味することにしよう。日教組イデオロギーに代表される戦後
「民主教育」は、差別反対、人間平等の名の元に、実は画一主義と均質化を教育の世界にもたらした。
 生徒の成績表に「オール3」をつけたり、「オール5」をつけたりする教師や、成績をつけるという行為自体が
人間差別につらなるとして学籍簿への記入を拒否した「民主的」教師たちの行動は、ある意味、戦後「民主化教育」
イデオロギーを最も単純な形で表現したもの。「オール3」教師や「オール5」教師は、臆面もなくこう言って
のけたものだ。「人間は全て平等である。 出来の悪い生徒ができるのは社会に責任があり、社会が悪いからで
子供には何の責任もない。子供は皆同じように努力したのだから、全部同じ点をつけるのが正義である」と。
 人間の能力は決して規格品のロボットのように平等にできているものではない。人間はその顔形と同じように
まさしく千差万別の多様な才能、資質を持っており、それこそが、人間社会の素晴らしい魅力と活力を生み出して
いるのである。最も人間的な教育とは、このそれぞれの子供が持っている多様な個性を思う存分伸ばしてやる
ことを大前提としなければならないはずである。・・・ 】
▼ アメリカによって与えられた日本憲法と、民主主義の矛盾が、現在の日本の自滅の原因になっている。
 フランス革命が掲げた自由、平等、友愛の近代市民主義の諸原理で、自由を優先にすれば平等が無視されるし、
平等を優先にすれば自由を制約せざるをえなくなる。「日本の自殺」は、潔癖といえるまでの平等主義が
もたらしたもの。エリート教育を差別として否定する。これでは優秀な子供の才能の発育が抑えられてしまう。
結果がどうであれ、自主独立で生きてきて良かった! 子供たちだけでなく、社会そのものが極端な平等主義、
平凡主義に毒されていた。その社会常識より己の主観を育て、それで判断することが毒されない道だった。
  ・・・・・・・
3744, 閑話小題
2011年06月26日(日)
  ◆ 長寿の秘訣 ー�
 NHKが放送していた「長寿の秘訣について」を、以前書いた。しかし、何か疑問が残ったのは、
「飢餓状態の方が良いのなら、アフリカや中東などの慢性?飢餓国家の平均年齢が高いはずでは?」である。
問題は少な目ということである。考えてみたら、充分に餌を与えられた実験用の猿はメタボ気味で7分目の方は、
溌剌としていたのは、その3割減だったからである。本当の飢餓状態では、当然ながら早死にする。 
以前、モロッコの片田舎で80歳位の老人に年齢を聞いたら、40歳という。 聞き違いかと聞き直したところ、
「生活が貧しく、まともな食事が出来ないので、この年齢で、老いた風貌になってしまった」と、
泣き出しそうに話していた。腹7分目ならよいが、栄養失調は良くないのである。
  ◆ エアロビックス ー�
 昨日は、スポーツジムで、エアロビックスの「ZUNBA」に初参加したみた。40坪位のスタジオに
100人以上が集まり、要は、「洋風の阿波踊り」。中高年も含め、奇声を発してジュリアナ東京?のタコ踊りを、
エアロビックスの場をかりてドンチャン騒ぎをするのである。変わった衣装を着た男のインストラクターに乗せられ、
その「追いかけ」7〜8人の若い? 女性たちが先導する中、場は最高潮に盛り上がる。 カーテンで真っ暗な
中で電気が点滅する中、若い女性から主婦、そして中高年まで、狂ったように踊って?いや、エアロビをしている。 
隣の人とブツカリそうな密度の中でストレスを晴らすように。・・これは健全な欲求不満解消のランチキ騒ぎ。
まあ、考えたもので、健全といえば健全。熱気に呆気にとられ 一番後ろで壁フラワー・・・・ 
健全な共同発狂の場も、ニーズなのだろう。 新興宗教は、そのへんのニーズを知り尽くしている。 
昔、踊る宗教というのがあった。とにかく三回参加をしてから判断?と思ったが、これは無理だ。 
今度、独りカラオケでも行ってくるか。 
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3379, 改めて、現時点を考えてみると
2010年06月26日(土)
  現在の恐慌的様相は、ただ事ではないのは今さらだが、歴史的にみて如何いうことだろか、改めて整理してみる。
 これは百年に一度、いや二百五十年、それとも五百年に一度の歴史的大転換期。 
・世界史的にみれば、五百年前にコロンブスアメリカ大陸を発見し、欧州がアメリカ大陸に進出をし、
 自分たちの文明を世界に押しつけた時代からの延長の終焉とみるか、
・二百五十年前に英国から始った近代資本主義が行き詰まりとみるか、
・80年前にアメリカで発生した大恐慌以来の、第二次の大恐慌とみるか、
・37年前にニクソンがドルの金兌換制度を止め、紙切れを無制限に刷りまくった結果の行き詰まりとみるか、
・20年前のソ連・東欧の崩壊の帰結と見るべきか、 
9・11リーマンショックの結果と見るべきか、  等々の見方がある。
 その6つの潮流が重なっているとみるべきだが、そう考えると、この経済と社会の変調は簡単に収まる代物ではない。
ここにきてネット社会という情報化が世界中に波及、一部の特権階級が独占していた情報を誰もが入手可能になった。
アトムという原子の世界から、ビットの世界へ重心が移動を始めた。 ビットはコピーが可能であり無料化を促す。
それが進化を止まらなくしている。 21世紀の視点からみれば、恐慌は今だ体制を占めている20世紀的体制の
本格的破壊である。 哲学的にみればポスト・モダン主義が現象として姿を現してきたことになる。
 日本にとっては、
・65年前の第二次世界大戦の敗戦、・140年前の明治維新、・1467年の戦国・応仁の乱 以来の大変革期にあたる。
 目に見えないが、日本炎上とみればよい。この年齢で大激動を目の当たり出来たことが幸運か不運か? 結局、
アメリカの属国で、完全骨抜きにされてしまった日本が「現時点の日本」である。その去勢された姿を象徴するのが、
社民党の主張であり、自民党の残存保守勢力の姿。 北朝鮮の金一族がアメリカ、支配層が自民党と高級官僚と
自認している輩、とみれば分かりやすい。 一時期は、国民全体が恩恵にあずかったこともあったが、これからは・・・
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3004,そう考えない人はどうかしている
2009年06月26日(金)
 「世界は感情で動く」 ー5         読書日記
 ー 行動経済学からみる脳のトラップー
21章 「そう考えない人はどうかしている−フォールス・コンセンサス効果」
  まずはーフォールス・コンセンサス効果ーとは、
【 自分と他者の間に共有されている「合意性(コンセンサス)」を過度に見積もる認知的バイアスをいう。
  つまり、人はある状況における自分の判断や行動は一般的なものであり、適切であるとみているので、
  他者も普通なら自分と同じように判断し、行動すると考えるのである。そして、もしそれを逸脱した
 他者に出会うと、 その他者が特別なのか、あるいは変わった存在だとみなしてしまう。】
 このトラップも陥りやすい思い込みである。 自分の考えが周囲の皆の考えと同じものであることは、
ごく当たり前のことであると思い、そのことに疑いを持つようなことはしない。 しかし一たびその前提が崩れ、
「自分と違う」人が現れると、その人に何か欠陥があるのではというレッテルをはり、自らの「常識」に固執するようになる。 
その辺の町内に居るオバちゃん達の噂話が典型。世間の目線で少しの差異を見つけ出して非難する「あれ」である。
これは世界一般のことだが。しかし「あれ」と同じ思考形態をしている自分を見逃している。考えてみると我われの
思考形態は、それに縛られていることに気づかされる。思い込みの強すぎる私など、全くの偏見の塊と自認する。
おかしな新興宗教に教祖様が羊タイプの人を集めて洗脳するに、教義を「そう考えない人はどうかしている」まで叩き込む。
自分の偏見を定説と喚きたてていた変な教祖様が話題になったことがあった。これを自分に向けると、良くいうと信念。  
悪くいうと独断・偏狭になってしまう。松下教も、紙一重の社内では似たようなようなもの。 共同幻想もハサミも
使いようということ。それもこれも、人間は何時の間にか偏見の塊になっている。で、その偏見で、偏見を解釈している
のだから、ますます、歪んでいくのである。 まあ、それが自分という壁を作っているとすると、私は何?この随想日記も、
「私の偏見日記」ということになる。他人の偏見は鮮明に見えて、自分のそれは見えないから、唯我独尊になる。
まあ、それが人間か〜。 (後記 その視線で下の文章を読んでみると、なるほど!「偏見日記」である。
下手に説得力があるから面白いのだろうが、偏見も自覚が必要ということ)
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2640, ブランド品 ー2
 2008年06月26日(木)
ブランドものに、何故も女性や若者は執着するのだろうか。哲学者にとっても社会学者にとっても、
これは面白い対象である。もともとブランドが一般の人に言われだしたのは1960年代という。それまでは
嗜好品としてマニアへの専門メーカーでしかなかった。それがブランドといわれて世界中に知れ渡ったのは
40〜50年前からでしかない。特に日本人が、その旅行ブームで貢献したのである。
   (字数制限のためカット 2011年6月26日)
 ―――
2001/12/19 261,ブランド品 ー1
 2001年12月06日(木)
ブランド品の定義ー
1、アフリカの土人の酋長と一族が身に着けたがるもの。それも不釣合いのノーコーデネート。 
 一品豪華主義の典型
2、それなりの金持ちが、社会的体裁の為に飾り立てる小道具。
  (字数制限のためカット 2010年6月26日)
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2007年06月26日(火)
2275, 希望格差        (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 本屋に「希望格差」という本があったので、概要を知りたいと「検索」をした。
会社を安易に辞めていく若い人を見ていて、「この方々は下流格差を自ら希望の人たちでは?」
と思っていたので、彼らの下流志向のことを書いていると思っていた。 しかし、その意味は
・将来に希望を持って取り組める人たちと、
・将来に希望を持てない人たち、 との格差であった。 
そうすると、当社は将来に希望を持てないと思われたのだろうか?
 (以下は字数の関係でカット2008年06月26日)
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2006年06月26日(月)
1910, スペイン画家・堀越千秋?       
    「スペインうやむや日記」?1   読書日記
 先日、図書館で何げなく手にした本が「スペインうやむや日記」 ?堀越千秋集英社 であった。
文章は、10年以上前のものだが、現地に長年住んでなくては書けないことばかり。
さっそく著者が最近出版したばかりの『スペイン七千夜一夜』ー集英社文庫ーをネットで取り寄せた。
(まだ読んでないが・・・)
画家のためか、言葉の一言一言が深く胸に突き刺さる。読んでいると飾らない著者の言葉が、
「自分より自分自身の存在が彼のなかにある」というような錯覚になってしまう。それと文章の書き方を教わった。
結局は人は自問自答をしている。とくに随想日記は独り言で良いはず。著者に、こう言われているようだ。
「何を改まってないで、もっと自分に語りかけるように書きなよ!ブツブツとさ。だいたい頭の中で
繰り返している言葉からして何だよ。 そうつまらないよ。言葉を変えなよ。ヘラヘラしてさ。
いいじゃない、それで。アンタなら、そう書いても誰も何とも思わないよ。」そこで単純だから、
素直に少し文体を変ることにした。直ぐに元に戻ってしまうかどうか、楽しみ。もどるだろう。
ただ、短文に、簡単な言葉にはなるだろうな?・・ 「うやむや日記」の =第一章 スペインの黒い雨=から、
スペインの世界の引き込まれてしまう!まずは、ご覧あれ!これで何も感じなかったら、脳が少し鈍感に
なっている、と思ってもよい?
 ーー 
私は画家である。従って、ものの美醜や、もののうまいまずいなどに通じており、さぞ大酒飲みで貧乏であろう、
と人は皆思うらしいが、そうではない。ARTというものは、ものの美醜の彼方にあり、ましてやもののうまいまずいなどは
とっくの昔に解脱しており、酒はオホホと笑ってたしなむ程度、マットレスのクッションは札束、というのが私の実情。
が、そんなことを吹聴していたのでは、六日間着たままのシャツが「着こなし」に見えなくなってしまうし、高級料亭に
お招ばれされるべきところを「実はおいしいギョーザ屋があるんですよ」となってしまうし、貧乏な友達には
たかられてしまうであろう。   (以下は字数の関係でカット2009年06月26日) (*^ワ^*)i バイ
・・・・・・・
2005年06月26日(日)
1545, エホバの証人ー1
誰もが年に数回は、街角などで二人連れで本をかざして立っている姿や、自宅への訪問伝道で、
彼らの姿をみているはず。といって、「エホバの証人」で知っていることといえば、献血拒否で時々新聞に
載る位のことである。  (以下は字数の関係でカット2008年06月26日)
・・・・・・・・
2004年06月26日(土)
 1180, 秘境・異郷ツアーレッスン ー2
このツアーで出会う人が素晴らしい?私の過去に出会った人の中でも「特A」?の人と出会えることである。
  (字数制限のためカット 2013年6月26日)
・・・・・・・・・・
2003年06月26日(木)
 813, 日暮里界隈
一度、日暮里に行きたい思っていたが、念願かなって知人に夜の日暮里を案内してもらった。
谷中銀座と日暮里駅の中間を少し入り込んだところに、時代から取り残されたような場末の飲食街があった。
 (字数制限のためカット 2013年6月26日)
・・・・・・・・・
2002年06月26日(水)
 449,吉村作治ーピラミッドは王様の墓ではない!ー2
「歴史」ー岩波文庫
に書いてあるが、紀元前ギリシャヘロドトスがピラミッドを見たときに、近くにいた老いた神官が
「これは何か?」の問いに「王の墓ではないか」と答えたという。 
  (字数制限のためカット 2013年6月26日)
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2001年06月26日(火)
 [64] おまいり
毎日の散歩のユーターンの地蔵様に祈っている言葉がある。もう4〜5年続けている。
「あの世のお父さんお母さん、運さん(長兄)進さん(次兄)誠さん(次次兄)、祖父さん祖母さん、
親戚の人たち、ご先祖様、そして総ての霊が安らかお眠りください。仏様有難うございます。
そしてご苦労様です。お父さんお母さん有難うございます。
 (字数制限のためカット 2013年6月26日)