つれづれに

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 今日のYoutube

 「面白いサッカーやってる ほかの国」というのが、朝日川柳にあった。
日本が、負けてしまえば言うが、ランキング世界47位が、ワールドサッカーの
32ヶ国の中で、予選を勝ち抜くのは至難の業。 前回は、たまたまで、二度は
続かないというのが、一番の解説になるだろう。 
 これで、他国の面白いサッカーを、思い切って楽しむことができる。
大部分の人は、そのことを知っていても、黙っているから、負けても、失望度は低い。  
 何気なく、書いた、ニホンザルチンパンジーのサルの例えは我ながら、面白い?
欧米がチンパンジーなら、アフリカは、ゴリラ? ラテンは、毛長サル? 


・・・・・・・
1910, スペイン画家・堀越千秋-2
2006年06月26日(月)
    
 「スペインうやむや日記」-1        読書日記

先日、図書館で何げなく手にした本が
「スペインうやむや日記」-堀越千秋集英社 であった。
 文章は、10年以上前のものだが、
現地に長年住んでなくては書けないことばかりである。
さっそく著者が最近出版したばかりの『スペイン七千夜一夜』ー集英社文庫ーを
ネットで取り寄せた。(まだ読んでないが・・・)
画家のためか、言葉の一言一言が深く胸に突き刺さる。
読んでいると飾らない著者の言葉が、「自分より自分自身の存在が彼のなかにある」
というような錯覚になってしまう。それと、文章の書き方を教わった。
結局は人は自問自答をしているのである。とくに随想日記は独り言で良いはずだ。
 著者に、こう言われているようだ。「何を改まってないで、もっと自分に
語りかけるように書きなよ!ブツブツとさ。だいたい頭の中で繰り返している
言葉からして何だよ。そうつまらないよ。 言葉を変えなよ。ヘラヘラしてさ。
いいじゃない、それで。アンタなら、そう書いても誰も何とも思わないよ。」
 そこで単純だから、素直に少し文体を変えることにした。
直ぐに元に戻ってしまうかどうか、楽しみ。もどるだろう。
ただ、短文に、簡単な言葉にはなるだろうな~・・
「うやむや日記」の
=第一章 スペインの黒い雨=
から、スペインの世界の引き込まれてしまう!
 まずは、ご覧あれ!これで何も感じなかったら、
脳が少し鈍感になっている、と思ってもよい?
ーー
 私は画家である。従って、ものの美醜や、もののうまいまずいなどに通じており、
さぞ大酒飲みで貧乏であろう、と人は皆思うらしいが、そうではない。
 ARTというものは、ものの美醜の彼方にあり、ましてやもののうまいまずいなどは
とっくの昔に解脱しており、酒はオホホと笑ってたしなむ程度、マットレス
クッションは札束、というのが私の実情である。
が、そんなことを吹聴していたのでは、六日間着たままのシャツが「着こなし」
に見えなくなってしまうし、高級料亭にお招ばれされるべきところを
「実はおいしいギョーザ屋があるんですよ」となってしまうし、貧乏な友達には
たかられてしまうであろう。
 それでも、長いスペイン暮しで、いやおうなくワインやシェリー酒は
飲みつづけているから、金曜日だけが安ワインの日、という普通の
ジャパニーズよりはワインの味は分かるかもしれない。だから、たまに日本での
お招ばれでフランス料理なんぞをゴチになったりすると、先方がせっかく張り込んで
シャブリだのボルドーだのと開けてくれても、こっちは値段を知らぬものだから、
平気で正直に首を傾げて「うーむ」などと言ってしまう。
あとできくところによると、そういうものはまあレストランにもよるが一万円以上するらしい。
 そんな高価なものを口に含んで「うーむ」と唸る当方が、さぞかしワイン通にみえるのは、
東京の金曜日の安ワインファンにはやむをえまい。でもまずいんだから仕方ないよ。 
 そもそもフランスのワインなんぞというものが、どういうクワセモノであるかは、先頃
一九九五年のシラク大統領の南太平洋における核実験再開をみても察しがつこうではないか。
いや何も私は、このごろになってそんなことを言っているのじゃない。
シラクがパリ市長だったころから、右翼的で尊大で野心的で人種差別主義者的なこの男の顔が
私は大嫌いだった。この手のツラは、スペインにもちらほら、いやこのごろはぞろぞろいる。
特に一九九二年のバルセロナ・オリンピック以後。
 スペインは今(一九九五年)、銀行家や警視総監や政府首脳を含む一大汚職にまみれており、
そやつら、亡国的売国的利己的な連中の顔が、スペインの湿った裏庭パリにもいた。
それがシラクである。
 誰だい、芸術の国フランス、なんて言い出したのは。
フランスというのは、まず第一に謀略と偽善の国、ですぜ。
そんなこと、イギリス人もドイツ人もスペイン人もイタリア人も、
そしてフランス人自身だって、よーく知ってる。知らないのは、お人好しの日本人だけだ。
 お忘れかもしれないが、日本は、シラクの南太平洋の核実験再開に抗議する国会決議の文中に
「許されざる」という文句を入れるとか入れないとか、結局入れないことにして、つまり穏便に
ことを済ませたつもり。これじゃ絶対にフランスになめられるってことが、少なくともテレビに
出て来た国会議員らの一人も懸念していないところをみると、わかっていないらしい。
 そう、フランス人って、キスもうまいけど、人をなめるのもうまいんだよ。 ・・・略
そもそも、フランスのワインというのは、スペインから良質で安いワインを沢山輸入して、
それと自国のを混ぜてブレンドしているって知ってた?
(イタリア製ヴァージン・オリーブ油だって、スペイン産のをびんに詰め替えているにすぎない)
頭脳を全開にして、心を安らかにして、スペインのワインを口に含んでごらんなさい。
フランスワインなんて忘れちゃうから。そりゃあたくしでもイタリアへ行けばイタリアワインを飲む。
 でも、本当においしい肉を食うとき、あるいはラ・マンチャのチーズだけを肴に夜更けに
一人飲むとき、心から欲しいのは、スペインの赤ワインだ。
 銘柄? そんなもん何百もあるけど、どれだっておいしいよ。フランス物はもともと
まずいからいろいろ言うのよ。 町の酒屋にずらり並んだビンの中から、まあ五百円以上の
ものだったら、あなたが東京のレストランで一万五千円も出したフランスの茶渋みたいなワインやら、
「さっぱりしてる」水っぽいワインなんかとは比較にならぬほど芳醇である。 ・・・略
数日後、マドリッドに雨が降った。プラド美術館の前庭に立派な芝が植わっている。
雨のあとそこを通った友人が、芝が全部枯れているよ!と教えてくれた。
数日後、その友人が、枯れた芝はもう除けられて新しいのに替えられたよ、と教えてくれた。
そのあと、また雨が降ったら、また芝が枯れてしまって、また植え替えられた、と。
 古都トレドに住む友人も変なことを言う。雨が降ったら、木の新芽がみな枯れてしまった。
やがてまた芽は吹いたけれど、そのあとまた雨が降ったらまた枯れてしまった。
それを何度か繰り返した、と。これはみな、あのチェルノブイリというソ連原子力発電所
事故の影響らしい。それからしばらく経ったある日、私の住むアパートの下の入り口に、
マドリード市役所の名で張り紙があった。曰く、「これから新夏になります。生野菜は
腐りやすいので、なるべく食べないようにしましょう。またもし食べる時は三分以上洗いましょう」
おかしなことをいうな~、と思った。ここは、不幸はあんたの勝手、のスペインなのだ。
 その年以降、放射能は生物の間を巡って、むしろ濃くなっているという説もある。
せめて、あの、芝や新芽を枯らした死の灰入りのワインは、私やめておきたい。
あるとき、しかし、私はよその家に招かれて、うやうやしく空けられ86年物のリハオの赤を
うっかり飲んでしまった。 恐ろしいことに、そのワインは美味かった。
本の雑誌で、ワイン研究家と称する人が86年のボルドーを勧めている記事さえ見た。
もはやヨーロッパでは、チェルノブイリ放射能づけだ。
近所の人の多くはガンだ。日本に帰ってくると、沢山の知人がガンだ。なぜだ?
 日本も、この影響は『遠いから軽微』だそうじゃないか。 嘘だ。
世界はそんなに遠くない。ピレネーの上空からアルプスが見える。
アルプスからウラル山脈が見える。ウラルからヒマラヤや富士山が見える。
科学者や政治家には見えなくても、ビンボーエカキあたくしには見える。ただし、見えるだけだが。
ーーー
以上だが、日本海に位置している当地などは、黒い雨の放射能入りの米と野菜を
タップリと食しているはずだ。それに柏崎原発のカクテルときているから、  
 どうしよう~!!
今さら、遅い。生きているだけ有難いと思わなくては!
やはり柏崎の原発はいただけない!
放射能の飲まされ代金が少しだが貰えるようだが!
               (*^ワ^*)i バイ
               
・・・・・・
2005年06月26日(日)
1545, エホバの証人ー1
 誰もが年に数回は、街角などで二人連れで本をかざして立っている姿や、
自宅への訪問伝道で、彼らの姿をみているはずだ。といって、「エホバの証人
で知っていることといえば、献血拒否で時々新聞に載る位のことである。
学生時代の友人が入ったが、みるみるうちに異様な男に変容していった。
(しかし、自力で脱会してきたが)中学校の同級生が自宅に訪問伝道にきたり、
前の会社の元部下が街角に立っている姿をみたりしていた。
貰ったパンフレットなどは馬鹿馬鹿しいのでみたことがなかった。
街角に立っていた元部下に偶然、10年ぶりに会った時の話。
「抜けることができるのか?」と聞いたら、「もう無理でしょうね!」と答えた。
「あれだけ本を読んでおけと言ったのに!読まなかったのだろう。
だから洗脳されて抜けだせないんだ!自業自得さ。」と冷たく言ってしまったが、
それはそれで仕方がないのか。基礎教養が少ないと、こういうものを盲信してしまうのだ。
ある本に彼らの概要が解りやすく書いてあった。成る程、こういうことーシステムー
だったのかと、納得できるものだった。典型的なカルト?の異常集団である。
しかし、教徒を盲信させる教えや、洗脳システムは凄いとしか言いようがない。
ーこの教団の要点をまとめてみた。
エホバの証人は19世紀半ばにチャールズ・ラッセルによって始められた
アメリカ生まれのキリスト教の一派である。
その頃のアメリカは、合理主義や無神論が興隆した時代であった。
その時代に彼は、真実とは何かを考えて、
最後に得た結論は『聖書』の中にこそ真実がある、というものであった。
1879年、聖書研究会の仲間と「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」
という雑誌を創刊し、文書伝道に着手した。家から家への訪問伝道と多くの聴衆を
集める講演会が中心であった。だが、正当性を主張するあまり、他宗派を攻撃。
その結果、大きな反感を買うことになった。彼らはそれを「真実を語るものが
受ける試練である」と言い、逆に結束を固める手段とした。
エホバの証人の教義は、新・旧両聖書をもとに説かれている。
現在の世界を「犯罪、暴力、戦争、汚染等によって苦痛に満ちている」とし、
その手先になっているのが他宗派の聖職者、資本家、政治家、等々だと説明。
だが、その支配もまもなく終わる。まもなく「ハルマゲドンの大戦」が始まるからだ。
ーこの戦いはキリストを総司令官とする神の軍団と、ー悪魔を総司令官とする
悪の軍団の戦いである。その戦いには、もちろん神の軍団が勝つ。
悪魔の軍団に加担した人々は、
「酒舟のなかでぶどうのように打ち砕かれる」か「生きたまま硫黄で燃える
火の湖に投げ込まれる」という。この戦いの最中に信者たちは、ただ神(エホバ)
の証人として戦いの成り行きを見ていればよい。
-これからエホバの証人という名が付いたー
そして、戦いが終わると最初のエデンの園のように美しく生まれ変わった地球で、
キリストとともに千年の素晴らしい生活ができる。
また、千年が過ぎると、神の最終審判があり、それに合格すると永遠の命が与えられる。
なるほど、このイメージを特殊集団の中で洗脳されれば、抜けることは不可能になってしまう。
私など、最終審判で地獄に落とされてしまうか?漫画、劇画の世界の思えるが、
共同体での安心感と最終審判のあたりが大きく信者の心を揺さぶるのだろう!
                      - つづく
・・・・・・
2004年06月26日(土)
1180, 秘境・異郷ツアーレッスン -2

このツアーで出会う人が素晴らしい?
私の過去に出会った人の中でも「特A」?の人と出会えることである。
それも、濃厚な空間で共通の趣味ということもあって互いの気持ちを開く。
金を出してまで南米やアフリカやインド・パキスタンなどのシルクロードに危険を
冒してまでくるのだから、よほど好きか、そこに何かすばらしい体験がまっている
のを知っている人である。
旅行をし尽くしたか、大きな人生の忘れ物を捜しにやってくるか、何らかの理由で
その地域に興味がある人か、人生の癒しを求めに来ている人である。
また写真や絵や小説の題材を探している人とか様々である。
職業は役人、先生、商店主、会社役員、主婦、等々いろいろある。
年齢は中高年が多いが、若い人も少なくない。
その人たちと同じ目的で濃厚な時間と空間を供にする。
そこでは普段聞けない面白い話や人生を垣間見ることができる。
一回の旅行で、本や周辺の人では絶対に聞けない濃厚な話が聞ける。
遠藤周作の小説「遠い河」のような、それぞれのおもい人生を背負った人の集団と
赤裸々な日々を過ごすことにもなる。もう二度と会わないから、本音の話になる。
そこでは、それぞれの旅行経験の情報交換の場になる。
旅行回数と情報の質は、ほぼ正比例をする。
旅行をしていて気がついたことは大まかに
自然派と遺跡派と欧州派
・アフリカ派とインド派と南米派と中国派に分類することができる。
                       ーつづく
・・・・・・
2003年06月26日(木)
813, 日暮里界隈

一度、日暮里に行きたい思っていたが、念願かなって知人に夜の日暮里を
案内してもらった。谷中銀座と日暮里駅の中間を少し入り込んだところに、
時代から取り残されたような場末の飲食街があった。
それが何ともレトロ調で映画のセットの中に入ってしまったよう感覚である。
知人の会社の東京事務所があったため、よく通ったという店があった。
沖縄出身の60歳位の女将がやっている7~8人位しか入れない沖縄料理の小さい店。
店の名前は『あさと』といって、本人の名字の安里をそのままつけていた。
石垣島出身で、具志堅用高もわざわざ訪ねてきたという。何とも沖縄料理がおいしい。
豆腐よう、ほしぶどう、ゴーヤーの炒め物、そして泡盛が絶品であった。
そういえばこの数ヶ月、泡盛を晩酌で飲んでいる。スーパーで売っているが、ブレンド
された泡盛がいやにおいしい。店の中の全員がお互いの話を旧知のように話し合える感じがよい。
それこそ若い人は皆無という雰囲気がまたよいのだ。
たまたま若い女性が一人入ってきて飲んでいた。
話しかけると「2~3日うちに石垣島に亭主と行く」とのことで、
女将に知り合いの店を紹介してもらっていた。
何か楽しくなって、下の息子を呼びだして一緒に呑むことになった。
本人も目をクリクリさせて、「今時、凄いところがあるものだ!」と驚いていた。
その後にもう一軒、谷中銀座の中にある居酒屋にいったが、
ここも印象深い店であった。大きいメンチカツが何とも美味しい!

・・・・・
2002年06月26日(水)
449,吉村作治ーピラミッドは王様の墓ではない!ー2

「歴史」ー岩波文庫
に書いてあるが、紀元前ギリシャヘロドトスがピラミッドを見たときに、
近くにいた老いた神官が「これは何か?」の問いに「王の墓ではないか」
と答えたという。ただそれをヘロドトスが歴史書に書いただけで、
数千年それが信じられてきただけだという。
最近になってピラミッドを造った人達の街が見つかった。
墓や出勤簿が出てきたという。
それまでは奴隷が造ったと信じられてきた。
出勤簿には欠勤の理由が書き込まれていたという。
二日酔い、兄の結婚式等々。

発掘で事実がまったく変わってしまう。

日本では中ぐらいの川が3000本あるという。
エジプトはナイル川一本だけ。

しかしエジプトの農耕地は日本の面積分が今もあるという。

ピラミッドは公共事業という説がある。
それも無用の長物だから意味があるという。
収穫の50?が王様、25?が地主、25?が農民が取った。
する仕事がない時に王様が25?をその公共事業のために放出したという。
一回だけ200年かけて4,500年前に運河を作った、しかしそれが王様の利益と
判ると二度とそれをやらなくなった。その後神殿造りに変わっていった。
今地球上で61億人中45億の人間が神がいると信じているという。
当時のエジプトで神について以下のように考えた
・一番良いのは、神などいる訳がないと理解した上でいた方がよいという考え
・二番目に良いのは、神が本当いると信じること
・三番目は神はいないと思うこと
・最低なのは神がいてもいなくてもどうでもよいと思うこと
{これが今回一番面白い内容であったー現代人とあまり変わってない}
日本は古い国と思っているのは日本が世界を知らないだけでしかない。
新しい国だ。AC3世紀にはもうエジプトは終わっていた。
エジプト中には83のピラミッドがあるという。
ほかに50はあるといわれているが、まだ発掘されてない。
王様にも最大5個のピラミッドを持つ者や、ゼロのものもいる。
今は3年に一個の割合で発見されている。
最終出るまでに後200年かかるといわれている。

・・・・・・・・
2001年06月26日(火)
[64] おまいり

毎日の散歩のユーターンの地蔵様に祈っている言葉がある。もう4~5年続けている。
「あの世のお父さんお母さん、運さん(長兄)進さん(次兄)誠さん(次次兄)、
祖父さん祖母さん、親戚の人たち、ご先祖様、そして総ての霊が安らかお眠りください。
仏様有難うございます。そしてご苦労様です。お父さんお母さん有難うございます。
そしてこの世の総ての人達がより良くありますように。
特に大変な人こそより良くありますように。
かさねてお父さんお母さん有難うございます。
今日一日精一杯活きます。そして笑って暮らします。」

大変な人は、今周辺で大きい問題に突き当たっている人の具体名をあげる。
これを続けているせいか、精神のバランスが崩れることはない。