<「あの世」と「この世」をつなぐ お別れの作法 >矢作直樹(著)
   * お別れの作法
 引続き、死に関するテーマの本になる。『死』は、はまると面白い。
窓口は広く、底が深い、人類の永遠のテーマであるからだ。「死後の生」を
信じてないが、なくては困る。言語脳を持った人間は、イメージを持つことが
可能になった。その一つが死後の世界。死後の世界もまた妄想だが。それを
集団で強固に持てば、その世界の有無に関わらず、共同幻想として一個人を
取込んでしまう。その最たるのが一神教。 世の中には、人知を超えた不思議
がある。だから、面白いのである。
  〜まずは、アマゾンの内容紹介
≪「死後の生」があるからこそ、逝く人にも、送る人にも、なすべき大事な
ことがある。医師として大勢の死に逝く場面に立ち会い、ときに他界の存在を
かいま見て理解した、生と死の意義。死は終わりでない。新しい生命への
旅立ちである。旅立つ魂を見送る臨床医の温かいまなざしの書。
 ―――
誰もに必ずいつか訪れるその日を、どう迎えるか。あなた自身が死を意識
するようになった時、あるいは、あなたの大切な人の死を、意識せざるを
得なくなった時、そして、大切な人を亡くしてしまったあなたにも、
知っておいてほしいことがあります。
 ―――
「死後の生」があるからこそ、 逝く人にも、送る人にも、なすべき
大事なことがあります。医師として大勢の死に逝く場面に立ち会い、
時に他界(あの世)の存在をかいま見て理解した、生と死の意義。
 ―――
30年以上、医師として常に死と向き合う現場に身を置き、常識を超える
幾多の現実を体験して理解した、魂や「あの世」の存在の可能性と、それを
理解したからこその、「お別れ」に関する逝く側、送る側それぞれの、
なすべき大事なことを紹介します。人に「死後の生」が存在することが
理解できると、あなたの生きる、今、この瞬間の捉え方が変わります。
お別れは、亡くなった方を弔う儀式であると同時に、あの世への感謝の
気持ちを表現する場であり、さらには生きている私たちが新しい明日を
始めるための区切りなのだと感じます。
 ―――
魂の不滅を理解すると、「意味のない人生などない」ことがわかり、
死に臨む態度が変わります。私は医師として、大勢の死の場面に立ち
会ってきましたが、今まさにこの世にお別れを告げようとしている人は、
まるで何かを見つけたような、ちょっと驚いたような表情に変化する方が
少なからずいらっしゃいました。
何かを見て、顔をほころばせたように思えた方もいらっしゃいます。
そんな表情を長年目にしていくうちに、死が幸福であるとは言わないまでも、
死ぬことが一概に不幸なことだとは思わなくなりました……。 》
―――
▼ 余命告知をされると違うのだろうが、そのの恐怖感が、歳を重ねる度に
少なくなっている。死に関する知識の積重ねもあるのだろう。男性の平均
寿命の80歳までは生きたい?が、あと4〜6年か? それで、充分?満足。
魂の不滅というより、遺伝子が、何処で周りまわって生延びていくことを、
輪廻転生と仮説をたてると、何故か納得する。プッツンで一度、チャラ!
そして、新たな両親から分霊を頂き、触媒を通し新たな自分をつくっていく。
一度、チャラになることを何故に恐れるのか、その知識が少ないためだ。

・・・・・・
5216,借金人間 製造工場
2015年06月26日(金)
       『借金人間 製造工場―“負債"の政治経済学』
                 マウリツィオ・ラッツァラート (著)
  * 借金苦は権利書と共に、サラバ!
 公立、私立大学の6割が奨学金を受けていて、平均300万。旅たち時点で、
既に借金人間である。日本の国債が1千兆円、一人当たり750万の借金を
負わされている。社会全体がローンとクレジットに覆われ、国家予算全体が
国債で半分が賄われている。国家も、社会も、個人も借金人間の塊だ。
 ーアマゾンの案内が、ミニ概要になっている。
≪ “負債"が世界を支配している!  私たちは、借金しているのではない。
金融資本主義によって、借金させられている! 欧州で話題のベストセラー!
現在、国家の“負債"も、個人の“借金"も、世界的に急増しつづけており、
国家財政にとっても、私たちの人生にとっても、最大の脅威となっている。
 では、なぜ“負債/借金"は、それほどまでに増大しつづけるのか?
書は、今ヨーロッパで注目される社会学者・哲学者が、経済学から、ニーチェ
ドゥルーズ/ガタリフーコーの哲学までも駆使しながら、“借金/負債"とは
何かを、古代ギリシャから現代までの歴史をさかのぼり考察し、現在では、
グローバル資本主義による個人・社会への支配装置として機能していることを
明らかにした、欧州で話題のベストセラーである。本書は、現在、最も世界的な
注目を集めている問題をあつかっている。とくに興味深いのは、それを表層的な
経済問題の議論を超えて、ダイナミックに歴史的に考察を深めていることである。
 哲学者にして社会学者でもある著者にとって、社会的なもののパラダイムは、
象徴的交換ではなくて、“債権者/負債者"の関係にほかならない。
「各個人を、借金を背負った経済的主体に変えること」―これが、我々が現在
生きている経済システムである。 “借金人間"こそが“経済的人間"の新たな
相貌、と著者は喝破する。“借金人間"である我々は、
・住居を得る権利を持っているのではなく、住宅ローンの権利を持っているだけ。
・教育を得る権利を持っているのではなく、学歴を得るために奨学金を組む
 権利を持っているだけ。
・現在の経済システムにとって、負債(借金)は、社会的コントロールの願っても
 ない道具である。それは“人々の未来を所有する"ことを可能にするからである。
 つまり“人々の予測不可能な行動"をあらかじめ封じ込めることができる。
・そして、“借金は返済するべきだという倫理を製造すること"の背後に、
 “罪悪感の製造"を見る。
著者は、マルクスニーチェフーコードゥルーズ/ガタリなどを援用しながら
考察を深める。最も刺激的なのは、現在、われわれは、負債と永遠に手を切る
ことができないというところだろう。これは、著者のテーゼの中で最も注目すべき
指摘であるが、人類の歴史において“負債(借金)"とは、太古の社会では“有限"
なものであったが、近代化の過程で“無限"なものへと移行し、さらに金融資本
主義の誕生によって、けっして完済することのない“借金人間"が創り上げられて
いったというものである。こうして我々は、借金を背負い返済しつづける
“現代のシジフォス=☆"となったのである。    ――『ル・モンド』評
 ☆ 【シジフォスとは、ギリシャ神話で、狡猾 な コリントスの王。
  ゼウスの怒りにふれ、死後、地獄に落とされて大石を山頂まで 押し
 上げる罰を受けたが、大石はあと一息のところで必ず転げ落ちたという。】≫
▼ 消費社会において、常に2割増の過剰消費の欲望が掻き立てられる仕組みに
 なっていて、そこにローンという落し穴が組み込まれ、蟻地獄に陥っていく。
私の事業が装置産業のため、長期ローンの恐ろしさも知らず、結果は、このザマ。
ホテル4棟のオーナーではなく、最大時に23億の借金の土地屋敷の権利書を
持っていただけ。で、整理をして、初めてそのことに気づく。しかし、
「ただ権利書と相殺しただけ」も事実。だから、これで良かった!が実感で、
何も命を奪われることもない。 経験しなければ、この道理を実感できない!
・・・・・・
4851,「事業人生を決心して45年」の語り直しー21
2014年06月26日(木)
 * 旧社員の入替と、パート化
 数ヶ月で冬物を大成功させ、その勢いで翌年の春、夏物まで勢いよく商品が
回転した。しかし、次の秋物が、2期目に入ったにも関らず不調に終わって、
その影響で、次の冬物の不調につながった。一シーズン失敗すると、あとの2期に
大きく影響を及ぼす恐さを肌身で知る。その時、何であれシーズン単位の成功が、
翌シーズンの成果の絶対条件!そのため仕入の成功と、良質な知識と情報が
営業成績を左右することを知った。「利は元(仕入れ・情報)にあり」である。 
仕入れには、『10、4、2、1の原理』がある。導入期に10の商品を幅広に
展開。最盛期は、それを売れ筋を4を、次に2、最後は1に集中させていく。
見切り時期には、導入期と最盛期の売残り品に、メーカ処分品を加えて格安で処分。
それを円滑にするには、担当者の仕入、販売、在庫調整の即断が可能な権限を現場
に落とさなければならない。スーパーの生鮮食品と同じで、売りきって何ぼである。
それは、月単位か一日単位か、の違いだけ。そこで数値責任を明確にした部門別
管理が必要となる。最初の一年間は、日々、そのため互いの対話が続いていた。
熱くなる反面、冷静な客観性が求められる。そこには、商品、数値、担当、顧客
を鳥瞰する目線が必要になる。 だから、難しいといえば非常に難しい。
その道10年、20年の経験の前任が、未経験者な私には絶対無理!と断言する
のは当然のこと。その中で、数ヶ月で、以前より客足が増えたのには、彼らも
驚いたはず。店は繁盛して何ぼの生き物。 ところが、数ヶ月もしないうちに、
残留の社員が次々と辞めはじめた。全く素人の私が仕入れた商品に呆れ、新しい
伝票システム、マニュアル、日報、朝礼など、次々と変る中、過って辞めていった
社員達の中傷があった。辞めていった穴埋めに、パート・アルバイトでカバー
するしかなかったが、皮肉なことに、それがプラスになっていた。新規のパートで
応募してくるのは、結婚をして、子供が小中学生になり手が離れ始めた、過って
の販売経験者が主。筋金入りで、生活費の補填という目的を持っていて、去って
いく人達より遥かに良質。新しいマニュアルや、部門別管理の徹底は、入替わった
人が即日、戦力にする仕組みでもある。新システムは、人件費などの経費などの
激減効果になっていた。その頃、石油ショックの影響もあって、就職事情が大きく
変わり、翌年の新卒に上質の人材が多く含まれていた。 新システムに直ぐに
馴染んだ彼らが、1〜2年で、即戦力になっていた。事業人生を決心して
10年間で得た経験と知識が、瀬戸際の中で、完全燃焼をしていた。
・・・・・・
4484, 怒らないって本当は恐い!
2013年06月26日(水)
               『怒りの作法』小川仁志 著
 生家が大家族で商売をしていたこともあり、自分の感情を顕わにすることは
絶対タブーの中で育った。それもあって『情念の話術』ーヒトラーの魔力 ーを
学生時代に読んだ時、私の常識と全く逆の内容に驚いた。この本でナチスの大衆
誘導の手法を教えていた。「大衆は女子供のようなもの。喜怒哀楽を込めた情念
で煽って集団催眠にかける手法。右手を胸につけ右上にあげる。演説で大声を
振り上げ怒りの感情を大衆に訴え扇動する。それらの手法を日常の話術や、行動
のエネルギーの源泉にせよ。喜怒哀楽をエンジンとみたてフル回転し行動の
アクセルにせよ」というのだから・・ 当時の私にとって、これは性格を変えて
しまうほどのインパクト。私が怒りっぽくなったのは、これ。これを人知れず
ノウハウにしたら、突然狂ったと思われる。喜怒哀楽の中で一番疎んじられている
怒りこそ日本人に欠けている。(仏教の影響もある)これを、コミニケーション
の扉を開くための道具とすべしというのも納得できる。コミニケで怒りの訴える
強度が一番高い。 もし人種差別の場合、笑って抗議しても、泣いて抗議しても、
怒りほどのインパクトはない。問題は、その表現の仕方である。
これが『怒りの作法』の中で貫かれている主旨である。 怒りこそ感情の主。
逆に人間関係を一瞬に破壊してしまう薬にも毒になるしろもの。 
そこに作法が必要になる。ここで、アリストテレスの「怒りは、
しばしば道徳と勇気の武器なり」という言葉を紹介している。
《 それはまさに「正しく怒る」ことである。「怒らないこと」でなく、
 「正しく怒ること」が大事ということ。アリストテレスの「中庸」という
思想を見ると、このことがわかる。中庸とは最も望ましい状態のこと。
怒りに対する「穏和」を意味する。つまり、然るべき事柄に対し、然るべき人に、
然るべき仕方で、然るべき時に、然るべき間だけ怒る。これが賞賛すべき怒り方
であって、こうした怒り方の出来る人を穏和の人という。怒ることは、必ずしも
悪いことではない。しかし、現代人は怒ることを出来るだけ避けようとする。
もっと怒るべきなのに。(p3)》
 以前は、今に比べれば、穏和に怒ってくれる人が多かった。でも現代は違う。
怒りを抑えることが良いとされ、それが沈殿してしまう。
そして爆発し全てが破壊する。 怒らないって、本当は恐い。
・・・・・・
4110は、私が "日本の自殺"ー10完全な本を作った
2012年6月26日(火)
 「極端な平等主義を自殺のイデオロギー」とするなら、情報化が正に平等意識
をもたらす働きをする。日本の民主主義は戦い勝ち取ったのでないため、公平と
平等の見境がつかないのが実情。社会主義は、理念として極端に求めた結果、
集団自殺の道をまっしぐらに歩む結果となった。社会主義圏の崩壊である。
競争による優勝劣敗のシステムは組み込まれていなけらば進歩は無くなって
しまい、その結果として悪貨が良貨を駆逐することになる。
その辺の没落の歴史は、正直に歴史の中に現れ出ている。 
   * 自殺のイデオロギー     
 ー次の部分は、現時点の惨状を予測した「自殺のイデオロギー」である。
【 諸文明の没落の歴史を辿っていくと、我々は没落の過程で必ずといってよい
 ほど不可避的に発生してくる文明の「自殺のイデオロギー」とでも呼ぶべき
ものに遭遇する。それは文明の「種」により、また時代によってさまざまな形を
とってはいるが、それらに一貫して共通するものは極端な平等主義のイデオロギー
この平等主義のイデオロギーは、共同体を解体、社会秩序を崩壊させ、大衆社会
状況を生み出しつつ全社会を恐るべき力で風化し、砂漠化していくのである。
まずわれわれは、戦後「民主教育」のなかにひそむ「自殺のイデオロギー」を
平等主義の観点から吟味することにしよう。日教組イデオロギーに代表される
戦後「民主教育」は、差別反対、人間平等の名の元に、実は画一主義と均質化を
教育の世界にもたらした。 生徒の成績表に「オール3」をつけたり、
「オール5」をつけたりする教師や、成績をつけるという行為自体が人間差別
につらなるとして学籍簿への記入を拒否した「民主的」教師たちの行動は、
ある意味、戦後「民主化教育」のイデオロギーを最も単純な形で表現したもの。
「オール3」教師や「オール5」教師は、臆面もなくこう言ってのけたものだ。
「人間は全て平等である。 出来の悪い生徒ができるのは社会に責任があり、
社会が悪いからで子供には何の責任もない。子供は皆同じように努力したのだ
から、全部同じ点をつけるのが正義である」と。人間の能力は決して規格品の
ロボットのように平等にできているものではない。人間はその顔形と同じ
ようにまさしく千差万別の多様な才能、資質を持っており、それこそが、
人間社会の素晴らしい魅力と活力を生み出しているのである。最も人間的
な教育とは、このそれぞれの子供が持っている多様な個性を思う存分
伸ばしてやることを大前提としなければならないはずである。・・・ 】
▼ アメリカによって与えられた日本憲法と、民主主義の矛盾が、現在の日本
 の自滅の原因になっている。 フランス革命が掲げた自由、平等、友愛の近代
市民主義の諸原理で、自由を優先にすれば平等が無視されるし、平等を優先に
すれば自由を制約せざるをえなくなる。「日本の自殺」は、潔癖といえるまでの
平等主義がもたらしたもの。エリート教育を差別として否定する。これでは優秀
な子供の才能の発育が抑えられてしまう。結果がどうであれ、自主独立で生きて
きて良かった! 子供たちだけでなく、社会そのものが極端な平等主義、平凡
主義に毒されていた。その社会常識より己の主観を育て、
それで判断することが毒されない道だった。
  ・・・・・・・
3744, 閑話小題
2011年06月26日(日)
  ◆ 長寿の秘訣 ー�
 NHKが放送していた「長寿の秘訣について」を、以前書いた。
しかし、何か疑問が残ったのは、「飢餓状態の方が良いのなら、アフリカ
や中東などの慢性?飢餓国家の平均年齢が高いはずでは?」である。
問題は少な目ということである。考えてみたら、充分に餌を与えられた
実験用の猿はメタボ気味で7分目の方は、溌剌としていたのは、その3割減
だったからである。本当の飢餓状態では、当然ながら早死にする。 
以前、モロッコの片田舎で80歳位の老人に年齢を聞いたら、40歳という。 
聞き違いかと聞き直したところ、「生活が貧しく、まともな食事が出来ないので、
この年齢で、老いた風貌になってしまった」と、泣き出しそうに話していた。
腹7分目ならよいが、栄養失調は良くないのである。
  ◆ エアロビックス ー�
 昨日は、スポーツジムで、エアロビの「ZUNBA」に初参加したみた。
40坪位のスタジオに100人以上が集まり、要は、「洋風の阿波踊り」。
中高年も含め、奇声を発してジュリアナ東京?のタコ踊りを、エアロビックス
の場をかりてドンチャン騒ぎをするのである。変わった衣装を着た男の
インストラクターに乗せられ、その「追いかけ」7〜8人の若い? 
女性たちが先導する中、場は最高潮に盛り上がる。 カーテンで真っ暗な
中で電気が点滅する中、若い女性から主婦、そして中高年まで、狂ったように
踊って?いや、エアロビをしている。 隣の人とブツカリそうな密度の中で
ストレスを晴らすように。・・これは健全な欲求不満解消のランチキ騒ぎ。
まあ、考えたもので、健全といえば健全。熱気に呆気にとられ 一番後ろで
壁フラワー・・・ 健全な共同発狂の場も、ニーズなのだろう。 新興宗教は、
そのへんのニーズを知り尽くしている。昔、踊る宗教というのがあった。
とにかく三回参加をしてから判断?と思ったが、これは無理だ。 
今度、独りカラオケでも行ってくるか。 
 ・・・・・・・・
3379, 改めて、現時点を考えてみると
2010年06月26日(土)
  現在の恐慌的様相は、ただ事ではないのは今さらだが、歴史的にみて
 如何いうことだろか、改めて整理してみる。これは百年に一度、いや
 二百五十年、それとも五百年に一度の歴史的大転換期。 
・世界史的にみれば、五百年前にコロンブスアメリカ大陸を発見し、
 欧州がアメリカ大陸に進出をし、自分たちの文明を世界に押しつけた
 時代からの延長の終焉とみるか、
・二百五十年前に英国から始った近代資本主義が行き詰まりとみるか、
・80年前にアメリカで発生した大恐慌以来の、第二次の大恐慌とみるか、
・37年前にニクソンがドルの金兌換制度を止め、紙切れを無制限に
 刷りまくった結果の行き詰まりとみるか、
・20年前のソ連・東欧の崩壊の帰結と見るべきか、 
9・11リーマンショックの結果と見るべきか、等々の見方がある。
 その6つの潮流が重なっているとみるべきだが、そう考えると、
この経済と社会の変調は簡単に収まる代物ではない。ここにきてネット社会
という情報化が世界中に波及、一部の特権階級が独占していた情報を誰もが
入手可能になった。アトムという原子の世界から、ビットの世界へ重心が移動
を始めた。 ビットはコピーが可能であり無料化を促す。それが進化を
止まらなくしている。 21世紀の視点からみれば、恐慌は今だ体制を占めて
いる20世紀的体制の本格的破壊である。哲学的にみればポスト・モダン主義
が現象として姿を現してきたことになる。 日本にとっては、
・65年前の第二次世界大戦の敗戦、・140年前の明治維新
・1467年の戦国・応仁の乱 以来の大変革期にあたる。
 目に見えないが、日本炎上とみればよい。この年齢で大激動を目の当たり
出来たことが幸運か不運か? 結局、アメリカの属国で、完全骨抜きにされて
しまった日本が「現時点の日本」である。その去勢された姿を象徴するのが、
社民党の主張であり、自民党の残存保守勢力の姿。北朝鮮の金一族がアメリカ、
支配層が自民党と高級官僚と自認している輩、とみれば分かりやすい。 
一時期は、国民全体が恩恵にあずかったこともあったが、これからは・・・
 ・・・・・・・・・
3004,そう考えない人はどうかしている
2009年06月26日(金)
 「世界は感情で動く」 ー5         読書日記
 ー 行動経済学からみる脳のトラップー
21章 「そう考えない人はどうかしている−フォールス・コンセンサス効果」
  まずはーフォールス・コンセンサス効果ーとは、
【 自分と他者の間に共有されている「合意性(コンセンサス)」を過度に
 見積もる認知的バイアスをいう。つまり、人はある状況における自分の判断や
行動は一般的なものであり、適切であるとみているので、他者も普通なら自分と
同じように判断し、行動すると考えるのである。そして、もし逸脱した他者に
出会うと、 その他者が特別なのか、あるいは変わった存在とみなしてしまう。】
 このトラップも陥りやすい思い込みである。 自分の考えが周囲の皆の考えと
同じものであることは、ごく当たり前のことであると思い、そのことに疑いを
持つようなことはしない。 しかし一たびその前提が崩れ、「自分と違う」人が
現れると、その人に何か欠陥があるのではというレッテルをはり、自らの「常識」
固執するようになる。その辺の町内に居るオバちゃん達の噂話が典型。
世間の目線で少しの差異を見つけ出して非難する「あれ」である。
これは世界一般のことだが。しかし「あれ」と同じ思考形態をしている自分を
見逃している。考えてみると我われの思考形態は、それに縛られていることに
気づかされる。思い込みの強すぎる私など、全くの偏見の塊と自認する。
おかしな新興宗教に教祖様が羊タイプの人を集めて洗脳するに、教義を
「そう考えない人はどうかしている」まで叩き込む。自分の偏見を定説と喚き
たてていた変な教祖様が話題になったことがあった。これを自分に向けると、
良くいうと信念。 悪くいうと独断・偏狭になってしまう。松下教も、紙一重
社内では似たようなようなもの。 共同幻想もハサミも使いようということ。
それもこれも、人間は何時の間にか偏見の塊になっている。で、その偏見で、
偏見を解釈しているのだから、ますます、歪んでいくのである。まあ、それが
自分という壁を作っているとすると、私は何?この随想日記も、「私の偏見日記」
ということになる。他人の偏見は鮮明に見えて、自分のそれは見えないから、
唯我独尊になる。まあ、それが人間か〜。 (後記 その視線で下の文章を
読んでみると、なるほど!「偏見日記」である。
下手に説得力があるから面白いのだろうが、偏見も自覚が必要ということ)