つれづれに

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 今日は、ネットが繋がらず、悪戦苦闘の結果、机上のパソコンは何とか
繋がり10時過ぎにアップ。 居間のiPadはまだ無理。半年に一回は、起こる…
その中で、チャリ散歩で信濃川一周はしっかり、こなしてきた。

 昨日、ユニクロでズボンを購入したが、家内から聞いていた
セルフのレジを近くの女店員の指導に従い、無事終了。その後、裾上げを…
四角い穴に商品を入れると、その情報を、読み込むもの。小札を翳すとかは
しないから、気楽といえば気楽。そのレシートを持って直しのコーナーへ。
映画館のセルフレジ並みの気楽さで清算が済む。




・・・・・・

4110, 予言の書「日本の自殺」 ー10
2012年06月26日(火)
 「極端な平等主義を自殺のイデオロギー」とするなら、情報化が正に平等意識をもたらす働きをする。
日本の民主主義は戦い勝ち取ったのでないため、公平と平等の見境がつかないのが実情。社会主義は、
理念として極端に求めた結果、集団自殺の道をまっしぐらに歩む結果となった。社会主義圏の崩壊である。
競争による優勝劣敗のシステムは組み込まれていなけらば進歩は無くなってしまい、その結果として
悪貨が良貨を駆逐することになる。その辺の没落の歴史は、正直に歴史の中に現れ出ている。 
   * 自殺のイデオロギー     
 ー次の部分は、現時点の惨状を予測した「自殺のイデオロギー」である。
【 諸文明の没落の歴史を辿っていくと、我々は没落の過程で必ずといってよいほど不可避的に発生して
くる文明の「自殺のイデオロギー」とでも呼ぶべきものに遭遇する。それは文明の「種」により、また
時代によってさまざまな形をとってはいるが、それらに一貫して共通するものは極端な平等主義の
イデオロギーである。この平等主義のイデオロギーは、共同体を解体、社会秩序を崩壊させ、大衆
社会化状況を生み出しつつ全社会を恐るべき力で風化し、砂漠化していくのである。
 まずわれわれは、戦後「民主教育」のなかにひそむ「自殺のイデオロギー」を平等主義の観点から
吟味することにしよう。日教組イデオロギーに代表される戦後「民主教育」は、差別反対、人間平等
の名の元に、実は画一主義と均質化を教育の世界にもたらした。生徒の成績表に「オール3」をつけたり、
「オール5」をつけたりする教師や、成績をつけるという行為自体が人間差別につらなるとして学籍簿
への記入を拒否した「民主的」教師たちの行動は、ある意味、戦後「民主化教育」のイデオロギー
最も単純な形で表現したもの。「オール3」教師や「オール5」教師は、臆面もなくこう言ってのけたもの。
「人間は全て平等である。 出来の悪い生徒ができるのは社会に責任があり、社会が悪いからで子供には
何の責任もない。子供は皆同じように努力したのだから、全部同じ点をつけるのが正義である」と。
 人間の能力は決して規格品のロボットのように平等にできているものではない。人間はその顔形と
同じようにまさしく千差万別の多様な才能、資質を持っており、それこそが、人間社会の素晴らしい
魅力と活力とを生み出しているのである。最も人間的な教育とは、このそれぞれの子供が
持っている多様な個性を思う存分伸ばしてやることを大前提としなければならないはずである。・・・】
▼ アメリカによって与えられた日本憲法と、民主主義の矛盾が、現在の日本の自滅の原因になっている。
 フランス革命が掲げた自由、平等、友愛の近代市民主義の諸原理で、自由を優先にすれば平等が無視
されるし、平等を優先にすれば自由を制約せざるをえなくなる。「日本の自殺」は、潔癖といえるまでの
平等主義がもたらしたもの。エリート教育を差別として否定する。これでは優秀な子供の才能の発育が
抑えられてしまう。結果がどうであれ、自主独立で生きてきて良かった! 子供たちだけでなく、
 社会そのものが極端な平等主義、平凡主義に毒されていた。その社会常識より己の主観を育て、
それで判断することが毒されない道だった。
  ・・・・・・・
3744, 閑話小題
2011年06月26日(日)
  ◆ 長寿の秘訣 ー②
 NHKが放送していた「長寿の秘訣について」を、以前書いた。しかし、何か疑問が残ったのは、
「飢餓状態の方が良いのなら、アフリカや中東などの慢性?飢餓国家の平均年齢が高いはずでは?」。
問題は少な目ということである。考えてみたら、充分に餌を与えられた実験用の猿はメタボ気味で、
7分目の方は、溌剌としていたのは、その3割減だったからである。本当の飢餓状態では、当然ながら
早死にする。 以前、モロッコの片田舎で80歳位の老人に年齢を聞いたら、40歳という。聞き違い
かと聞き直したところ、「生活が貧しく、まともな食事が出来ないので、この年齢で、老いた風貌に
なってしまった」と、泣き出しそうに話していた。腹7分目ならよいが、栄養失調は良くないのである。
  ◆ エアロビックス ー②
 昨日は、スポーツジムで、エアロビックスの「ZUNBA」に初参加したみた。40坪位のスタジオに
100人以上が集まり、要は、「洋風の阿波踊り」。 中高年も含め、奇声を発してジュリアナ東京
のタコ踊りを、エアロビックスの場をかりてドンチャン騒ぎをするのである。 変わった衣装を着た男
のインストラクターに乗せられ、その「追いかけ」7~8人の若い? 女性たちが先導する中、場は
最高潮に盛り上がる。 カーテンで真っ暗な中で電気が点滅する中、若い女性から主婦、そして中高年まで、
狂ったように踊って?、いや、エアロビックスをしている。 隣の人とブツカリそうな密度の中でストレス
を晴らすように。・・・・ これは健全な欲求不満解消のランチキ騒ぎ。まあ、考えたもので、健全と
いえば健全。熱気に呆気にとられ 一番後ろで壁フラワー・・・・ 健全な共同発狂の場も、ニーズ。 
新興宗教は、そのへんのニーズを知り尽くしている。 昔、踊る宗教というのがあった。とにかく
三回参加をしてから判断?と思ったが、これは無理だ。 今度、独りカラオケでも行ってくるか。 
 ・・・・・・・・
3379, 改めて、現時点を考えてみると
2010年06月26日(土)
  現在の恐慌的様相は、ただ事ではないのは今さらだが、歴史的にみて如何いうことだろか、改めて
 整理してみる。 これは百年に一度、いや二百五十年、それとも五百年に一度の歴史的大転換期。 
・世界史的にみれば、五百年前にコロンブスアメリカ大陸を発見し、欧州がアメリカ大陸に進出をし、
 自分たちの文明を世界に押しつけた時代からの延長の終焉とみるか、
・二百五十年前に英国から始った近代資本主義が行き詰まりとみるか、
・80年前にアメリカで発生した大恐慌以来の、第二次の大恐慌とみるか、
・37年前にニクソンがドルの金兌換制度を止め、紙切れを無制限に刷りまくった結果の行き詰まり
 とみるか、
・20年前のソ連・東欧の崩壊の帰結と見るべきか、 
9・11リーマンショックの結果と見るべきか、  等々の見方がある。
 その6つの潮流が重なっているとみるべきだが、そう考えると、この経済と社会の変調は簡単に収まる
代物ではない。ここにきてネット社会という情報化が世界中に波及、一部の特権階級が独占していた情報
を誰もが入手可能になった。アトムという原子の世界から、ビットの世界へ重心が移動を始めた。
ビットはコピーが可能であり無料化を促す。それが進化を止まらなくしている。 21世紀の視点から
みれば、恐慌は今だ体制を占めている20世紀的体制の本格的破壊である。 哲学的にみればポスト・
モダン主義が現象として姿を現してきたことになる。
 日本にとっては、
・65年前の第二次世界大戦の敗戦、・140年前の明治維新、・1467年の戦国・応仁の乱 
 以来の大変革期にあたる。目に見えないが、日本炎上とみればよい。この年齢で大激動を目の当たり
 出来たことが幸運か不運か? 結局、アメリカの属国で、完全骨抜きにされてしまった日本が
 「現時点の日本」である。その去勢された姿を象徴するのが、社民党の主張であり、自民党の残存
 保守勢力の姿。 北朝鮮の金一族がアメリカ、支配層が自民党と高級官僚と自認している輩、と
 みれば分かりやすい。 一時期は、国民全体が恩恵にあずかったこともあったが、これからは・・・
 ・・・・・・・・・
3004,そう考えない人はどうかしている
2009年06月26日(金)
 「世界は感情で動く」 ー5         読書日記
 ー 行動経済学からみる脳のトラップー
21章 「そう考えない人はどうかしている-フォールス・コンセンサス効果」
  まずはーフォールス・コンセンサス効果ーとは、
【 自分と他者の間に共有されている「合意性(コンセンサス)」を過度に見積もる認知的バイアスをいう。
  つまり、人はある状況における自分の判断や行動は一般的なものであり、適切であるとみているので、
  他者も普通なら自分と同じように判断し、行動すると考えるのである。そして、もしそれを逸脱した
 他者に出会うと、 その他者が特別なのか、あるいは変わった存在だとみなしてしまう。】
 このトラップも陥りやすい思い込みである。 自分の考えが周囲の皆の考えと同じものであることは、
ごく当たり前のことであると思い、そのことに疑いを持つようなことはしない。 しかし一たびその前提が崩れ、
「自分と違う」人が現れると、その人に何か欠陥があるのではというレッテルをはり、自らの「常識」に固執
するようになる。その辺の町内に居るオバちゃん達の噂話が典型。世間の目線で少しの差異を見つけ出して
非難する「あれ」である。これは世界一般のことだが。しかし「あれ」と同じ思考形態をしている自分を
見逃している。考えてみると我われの思考形態は、それに縛られていることに気づかされる。思い込みの
強すぎる私など、全くの偏見の塊と自認する。おかしな新興宗教に教祖様が羊タイプの人を集めて洗脳するに、
教義を「そう考えない人はどうかしている」まで叩き込む。自分の偏見を定説と喚きたてていた変な教祖様が
話題になったことがあった。これを自分に向けると、良くいうと信念。悪くいうと独断・偏狭になってしまう。
松下教も、紙一重の社内では似たようなようなもの。 共同幻想もハサミも使いようということ。それも
これも、人間は何時の間にか偏見の塊になっている。で、その偏見で、偏見を解釈しているのだから、
ますます、歪んでいくのである。それが自分という壁を作っているとすると、私は何?この随想日記も、
「私の偏見日記」ということになる。他人の偏見は鮮明に見えて、自分のそれは見えないから、唯我独尊
になる。まあ、それが人間か~。
  (後記 その視線で下の文章を読んでみると、なるほど!「偏見日記」である。
      下手に説得力があるから面白いのだろうが、偏見も自覚が必要ということ)
 ・・・・・・・・・・
2640, ブランド品 ー2
 2008年06月26日(木)
ブランドものに、何故も女性や若者は執着するのだろうか。哲学者にとっても社会学者にとっても、
これは面白い対象である。もともとブランドが一般の人に言われだしたのは1960年代という。それまでは
嗜好品としてマニアへの専門メーカーでしかなかった。それがブランドといわれて世界中に知れ渡ったのは
40~50年前からでしかない。特に日本人が、その旅行ブームで貢献したのである。
   (字数制限のためカット 2011年6月26日)
 ―――
2001/12/19 261,ブランド品 ー1
 2001年12月06日(木)
ブランド品の定義ー
1、アフリカの土人の酋長と一族が身に着けたがるもの。それも不釣合いのノーコーデネート。 
 一品豪華主義の典型
2、それなりの金持ちが、社会的体裁の為に飾り立てる小道具。
  (字数制限のためカット 2010年6月26日)
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2007年06月26日(火)
2275, 希望格差        (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 本屋に「希望格差」という本があったので、概要を知りたいと「検索」をした。
会社を安易に辞めていく若い人を見ていて、「この方々は下流格差を自ら希望の人たちでは?」
と思っていたので、彼らの下流志向のことを書いていると思っていた。 しかし、その意味は
・将来に希望を持って取り組める人たちと、
・将来に希望を持てない人たち、 との格差であった。 そうすると、当
 社は将来に希望を持てないと思われたのだろうか?
 (以下は字数の関係でカット2008年06月26日)
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2006年06月26日(月)
1910, スペイン画家・堀越千秋?       
    「スペインうやむや日記」?1   読書日記
 先日、図書館で何げなく手にした本が「スペインうやむや日記」 ?堀越千秋集英社 であった。
文章は、10年以上前のものだが、現地に長年住んでなくては書けないことばかり。
さっそく著者が最近出版したばかりの『スペイン七千夜一夜』ー集英社文庫ーをネットで取り寄せた。
(まだ読んでないが・・・)
画家のためか、言葉の一言一言が深く胸に突き刺さる。読んでいると飾らない著者の言葉が、
「自分より自分自身の存在が彼のなかにある」というような錯覚になってしまう。それと文章の書き方
を教わった。結局は人は自問自答をしている。とくに随想日記は独り言で良いはず。 著者に、こう
言われているようだ。「何を改まってないで、もっと自分に語りかけるように書きなよ!ブツブツとさ。
だいたい頭の中で繰り返している言葉からして何だよ。 そうつまらないよ。言葉を変えなよ。
ヘラヘラしてさ。いいじゃない、それで。アンタなら、そう書いても誰も何とも思わないよ。」
そこで単純だから、素直に少し文体を変ることにした。直ぐに元に戻ってしまうかどうか、楽しみ。
もどるだろう。ただ、短文に、簡単な言葉にはなるだろうな?・・ 「うやむや日記」の 
=第一章 スペインの黒い雨=から、スペインの世界の引き込まれてしまう!まずは、ご覧あれ!
これで何も感じなかったら、脳が少し鈍感になっている、と思ってもよい?
 ーー 
私は画家である。従って、ものの美醜や、もののうまいまずいなどに通じており、さぞ大酒飲みで
貧乏であろう、と人は皆思うらしいが、そうではない。ARTというものは、ものの美醜の彼方にあり、
ましてやもののうまいまずいなどはとっくの昔に解脱しており、酒はオホホと笑ってたしなむ程度、
マットレスのクッションは札束、というのが私の実情。が、そんなことを吹聴していたのでは、六日間
着たままのシャツが「着こなし」に見えなくなってしまうし、高級料亭にお招ばれされるべきところを
「実はおいしいギョーザ屋があるんですよ」となってしまうし、貧乏な友達にはたかられてしまう。 
  (以下は字数の関係でカット2009年06月26日)         (*^ワ^*)i バイ
・・・・・・・
2005年06月26日(日)
1545, エホバの証人ー1
誰もが年に数回は、街角などで二人連れで本をかざして立っている姿や、自宅への訪問伝道で、彼らの姿
をみているはず。といって、「エホバの証人」で知っていることといえば、献血拒否で時々新聞に載る
位のことである。
  (以下は字数の関係でカット2008年06月26日)
・・・・・・・・
2004年06月26日(土)
 1180, 秘境・異郷ツアーレッスン ー2
このツアーで出会う人が素晴らしい?私の過去に出会った人の中でも「特A」?の人と出会えることである。
それも、濃厚な空間で共通の趣味ということもあって互いの気持ちを開く。金を出してまで南米やアフリカや
インド・パキスタンなどのシルクロードに危険を冒してまでくるのだから、よほど好きか、そこに何か
すばらしい体験がまっているのを知っている人である。旅行をし尽くしたか、大きな人生の忘れ物を捜しに
やってくるか、何らかの理由でその地域に興味がある人か、人生の癒しを求めに来ている人。また写真や絵や
小説の題材を探している人とか様々である。職業は役人、先生、商店主、会社役員、主婦、等々いろいろある。
年齢は中高年が多いが、若い人も少なくない。その人たちと同じ目的で濃厚な時間と空間を供にする。
そこでは普段聞けない面白い話や人生を垣間見ることができる。一回の旅行で、本や周辺の人では絶対に
聞けない濃厚な話が聞ける。遠藤周作の小説「遠い河」のような、それぞれのおもい人生を背負った人の
集団と赤裸々な日々を過ごすことにもなる。もう二度と会わないから、本音の話になる。
そこでは、それぞれの旅行経験の情報交換の場になる。旅行回数と情報の質は、ほぼ正比例をする。
旅行をしていて気がついたことは大まかに
自然派と遺跡派と欧州派
・アフリカ派とインド派と南米派と中国派 に分類することができる。       ーつづく
・・・・・・・・・・
2003年06月26日(木)
 813, 日暮里界隈
一度、日暮里に行きたい思っていたが、念願かなって知人に夜の日暮里を案内してもらった。
谷中銀座と日暮里駅の中間を少し入り込んだところに、時代から取り残されたような場末の飲食街があった。
それが何ともレトロ調で映画のセットの中に入ってしまったよう感覚である。知人の会社の東京事務所が
あったため、よく通ったという店があった。沖縄出身の60歳位の女将がやっている7~8人位しか
入れない沖縄料理の小さい店であった。店の名前は『あさと』といって、本人の名字の安里をそのまま
つけていた。石垣島出身で具志堅用高もわざわざ訪ねてきたという。
 (字数制限のためカット 2010年6月26日)
・・・・・・・・・
2002年06月26日(水)
 449,吉村作治ーピラミッドは王様の墓ではない!ー2
「歴史」ー岩波文庫
に書いてあるが、紀元前ギリシャヘロドトスがピラミッドを見たときに、近くにいた老いた神官が
「これは何か?」の問いに「王の墓ではないか」と答えたという。ただそれをヘロドトスが歴史書
書いただけで数千年それが信じられてきただけだという。最近になってピラミッドを造った人達の街が
見つかった。墓や出勤簿が出てきたという。それまでは奴隷が造ったと信じられてきた。出勤簿には欠勤
の理由が書き込まれていたという。二日酔い、兄の結婚式等々。発掘で事実がまったく変わってしまう。
日本では中ぐらいの川が3000本あるという。エジプトはナイル川一本だけ。しかしエジプトの農耕地は
日本の面積分が今もあるという。ピラミッドは公共事業という説がある。それも無用の長物だから意味
があるという。収穫の50?が王様、25?が地主、25?が農民が取った。する仕事がない時に王様が
25?をその公共事業のために放出したという。一回だけ200年かけて4,500年前に運河を作った、
しかしそれが王様の利益と判ると二度とそれをやらなくなった。その後神殿造りに変わっていった。
今地球上で61億人中45億の人間が神がいると信じているという。当時のエジプトで神について以下の
ように考えた
・一番良いのは、神などいる訳がないと理解した上でいた方がよいという考え
・二番目に良いのは、神が本当いると信じること
・三番目は神はいないと思うこと
・最低なのは神がいてもいなくてもどうでもよいと思うこと{これが今回一番面白い内容であった
ー現代人と変わってない}
日本は古い国と思っているのは日本が世界を知らないだけでしかない。新しい国だ。AC3世紀にはもう
エジプトは終わっていた。エジプト中には83のピラミッドがあるという。ほかに50はあるといわれて
いるが、まだ発掘されてない。王様にも最大5個のピラミッドを持つ者や、ゼロのものもいる。今は3年に
一個の割合で発見されている。最終出るまでに後200年かかるといわれている。
・・・・・・・・
2001年06月26日(火)
 [64] おまいり
毎日の散歩のユーターンの地蔵様に祈っている言葉がある。もう4~5年続けている。
「あの世のお父さんお母さん、運さん(長兄)進さん(次兄)誠さん(次次兄)、祖父さん祖母さん、
親戚の人たち、ご先祖様、そして総ての霊が安らかお眠りください。仏様有難うございます。そして
ご苦労様です。お父さんお母さん有難うございます。そしてこの世の総ての人達がより良くありますように。
特に大変な人こそより良くありますように。かさねてお父さんお母さん有難うございます。今日一日精一杯
活きます。そして笑って暮らします。」 大変な人は、周辺で大きい問題に突き当たっている人の具体名
をあげる。これを続けているせいか、精神のバランスが崩れることはない。