面接や新入社員の導入教育の時には、河合隼雄と同様、
「中心をはずさないで、無心になって対象の人と相接する」しかない。
そうすることが心だけでなく、心の中心点の奥の魂がクロスをするような感覚になる。
そこまでしないと、相手のことが理解できないのである。 美人とか、センスや、頭の良さなど関係ないのである。
河合は当たり前のことを素人向けとして、解りやすい事例を出しただけ。
相手の中心点だけを見ると、逆に性格とか、片親とかの属性が浮きだって見えてくる。
そこまでいくには、経験を重ねるしかない。それにしても、色いろな心の病があるものだ。
「 こころと脳の対話 」 河合隼雄 茂木健一郎
第三回 魂を救う対話
*相手の「魂」だけを見つめる
P−160
茂木 「中心をはずさない」って、僕、すごく大事なことのような気がしてきたんです。というのは、『五輪書』には、
たしか、相手のどこかに注意を置いてはいけない、というようなことが書いてあるんですね。やっぱり同じ感じですか。
河合 同じです。それからね、これは僕が人にほめられた最高の賛辞というか、
「うれしくてしょうがないからあちこちでしゃべっているんですけれどね、どないうてほめてくれたかというとね……。
その人は、「離人症性障害」っていう、大変なノイローゼなんです。現実感覚がなくなるんですね。
こういう場所にいても、みなさんが生きている人間に見えなかったり、それからこういうふうに手を振っても、
本当に自分が手を動かしているのかわからない。すっこい苦しいけど、誰もわかってくれない。
自殺する人も多いんですけれど。でも外見はふつうで、ちょっと見てもわからない。
そういう離人症になられた人が、自分が現実感覚がないのをなんとかしたいと思うから、人と接近するわけね。
その人、きれいな女の人やったから、恋人がいっぱいできて、また、いっぺんに二人も三人もつくったらしいから、
恋人同士が殴り合いしたり、劇的なことが周りでいっぱい起こっているんだけれど、その人は全然、劇の外にいるわけです。
そうでしょう、現実を生きてないわけだから。 その入が、あちこちのセラピストのところに行ってみても、
どうしてもうまくいかない。何入かのあとで、私のところにこられた。 私のところにこられて、治るまで五年ぐらい
かかったんですよね。「本当にありがとうございます」とお礼をいわれたときの言葉がおもしろいんですよ。
「いちばん初め・先生に会ったときに、この先生で自分は治ると思った」
「どうしてですか」 「いままでの先生と全然違った」 「どう違った?」
「私が部屋に入ってきたとき、先生は、私の顔にも服装にも、全然関心を示されなかった」
というのは、ものすごく美人ですから。服もきれいなのを着ておられるんだけれど、その服も見てないし、顔も見てない。
おそらく、二日後に道で会っても絶対わからないだろうと思うぐらい、なにも見ておられなかった、と。
「ああ、そうですか」「それだけじゃありません。先生は私の話の内容に、全然、注意しておられませんでした」(笑)
「僕、何をしてましたか」 「何をしておられたかというのは、すごくむずかしいんだけれども、あえていうなら、
もし人間に『魂』というものがあるとしたら、そこだけ見ておられました……」
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解)魂、とは何かを、ここで大きなヒントを感じ取ることが出来る。 心、こころ、魂。 産まれ、生き、死ぬ。
そして死んだ後も、何かしら続いていく生存中のエネルギーの痕跡が‘魂’ということ。
《ナショナルというブランドに松下幸之助の魂が入っているとか・・・》それも、これも宇宙の藻屑だが。
二十数年前に、ある本で<正中心一点無>という言葉を知った。 中心を外さない、と同じ意味だろう。
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