つれづれに

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今日のYoutube

 韓国大統領、何か怪しからぬ? で、失職か。
マスコミも隣国の国民感情を思いはかって、怪しからぬの内容に
踏み込めないところが?? 普通の子女が、元大統領の娘というだけで、
選挙で選ばれるのだから、問題が大いにある。
 韓国大統領の末期は、ほとんど、汚職と、スキャンダルがらみ。
突き詰めると、国家としての民度の問題もある?

 早々辞めて、総選挙がいいだろう。
アメリカ大統領選挙でも、やはり「女の大統領は駄目?」という流れが
できなければよいが・・・ どの道、日本はトバッチリを受けるのでは?


・・・・・・
・・・・・・
3132, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー6
2009年11月01日(日)
      「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)   
                               ー読書日記
 * 理性主義の恐怖 p-99
科学の発展や、大航海以来の欧州世界の拡大で、それまで宗教が欧州人に一つの統一的説明を
与えていた世界が崩れていく。そこで登場したのが「理性」という理念である。これが「神」の
代わりになった。1789年のフランス革命では、「理性」が至高の価値として掲げられ「神の死」
が宣言された。「唯一の神の信仰」が「唯一の神としての理性への信仰」にすり替わった。
そうすると、理性からはずれるものが出てくる。それが子供であり、未開人であり、精神病者
である。近代は理性というものを発見し、そこから逆噴射する形で、子供、未開人、精神病者
を発見したのである。その三者の共通点は理性の欠落である。子供には理性を持つように教育
をしなかればならない、未開人には、教え導かなければならないということで、植民地主義
正当化され、精神病者は回復するまで隔離されるようになった。フランス革命ロシア革命も、
理性によって理想社会を作ることができるという考えから起こった。反計画経済の大御所の
ハイエクは、社会主義共産主義は、社会は人間の理性で設計できるという思想だが、
それは「致命的な思いあがり」だと。 共産主義というのが理性の理想的社会だとすると、
これに反対するヤツはみんな殺されなけばならないことになってしまう。で、中国やソ連
カンボジアで大虐殺が生まれてきたのである。社会主義がなぜに間違えていたかと言うと、
経済が下部構造になっていて、それを計画経済でやっている。あれは要するに意識が全てを
決定するということ。 ところが基本的に経済の流動的動きは無意識が決めている。
 ーー
 この辺を考えると、知性、理性的にあろうとしてきた現代人の方向そのものを根底的に
考え直さなければことになる。最近、年齢のためか根底から今までの生きかたに対して疑念
を感じるようになっている。 毛沢東は何を国民にしたのだろう。スターリン毛沢東も、
理想社会を目指して数千万人も虐殺をしてきたのである。また、アメリカも、この金融恐慌
を引き起こしたのも、理性主義の行き着いた先であった。時代は丁度良く欧州大陸から
アメリカ大陸へ重心を移していたのが、今世紀はアジアに移行する。アジア的な
考え方が見直されなければならないが、動乱を通してか、それともソフトにいくのか? 

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2767, こころと脳の対話 -3
2008年11月01日(土)

 面接や新入社員教育の時には、河合隼雄と同様、
「中心をはずさないで、無心になって対象の人と相接する」しかない。そうする
ことで、心だけでなく、心の中心点の奥の魂同士がクロスをすることができる。
そこまでしないと、相手のことが理解できないのである。 美人とか、センスや、
頭の良さなど属性になるのである。河合は当たり前のことを素人向けとして、
解りやすい事例を出しただけ。相手の中心点だけを見ると、逆に性格とか、片親
とかの属性が浮きだって見えてくる。そこまでいくには、経験を重ねるしかない。  
それにしても、色いろな心の病があるものだ。
 「 こころと脳の対話 」 河合隼雄 茂木健一郎
    第三回 魂を救う対話 
  *相手の「魂」だけを見つめる
 P-160 
茂木 「中心をはずさない」って、僕、すごく大事なことのような気がしてきたん
   です。というのは、『五輪書』には、たしか、相手のどこかに注意を置いては
   いけない、というようなことが書いてあるんですね。やっぱり同じ感じですか。
河合  同じです。それからね、これは僕が人にほめられた最高の賛辞というか、
   「うれしくてしょうがないからあちこちでしゃべっているんですけれどね、
   どないうてほめてくれたかというとね……。その人は、「離人症性障害」って
   いう、大変なノイローゼなんです。現実感覚がなくなるんですね。
   こういう場所にいても、みなさんが生きている人間に見えなかったり、
   それからこういうふうに手を振っても、本当に自分が手を動かしているのか
   わからない。すっこい苦しいけど、誰もわかってくれない。自殺する人も
   多いんですけれど。でも外見はふつうで、ちょっと見てもわからない。
   そういう離人症になられた人が、自分が現実感覚がないのをなんとかしたい
   と思うから、人と接近するわけね。その人、きれいな女の人やったから、
   恋人がいっぱいできて、また、いっぺんに二人も三人もつくったらしいから、
   恋人同士が殴り合いしたり、劇的なことが周りでいっぱい起こっているんだ
   けれど、その人は全然、劇の外にいるわけです。そうでしょう、現実を生きて
   ないわけだから。 その入が、あちこちのセラピストのところに行ってみても、
   どうしてもうまくいかない。何入かのあとで、私のところにこられた。 
   私のところにこられて、治るまで五年ぐらいかかったんですよね。「本当に
   ありがとうございます」とお礼をいわれたときの言葉がおもしろいんですよ。
   「いちばん初め・先生に会ったときに、この先生で自分は治ると思った」
   「どうしてですか」 「いままでの先生と全然違った」 「どう違った?」
   「私が部屋に入ってきたとき、先生は、私の顔にも服装にも、全然関心を
    示されなかった」というのは、ものすごく美人ですから。服もきれいな
   のを着ておられるんだけれど、その服も見てないし、顔も見てない。
   おそらく、二日後に道で会っても絶対わからないだろうと思うぐらい、
   なにも見ておられなかった、と。「ああ、そうですか」「それだけじゃ
   ありません。先生は私の話の内容に、全然、注意しておられませんでした」(笑)
   「僕、何をしてましたか」 「何をしておられたかというのは、すごく
   むずかしいんだけれども、あえていうなら、もし人間に『魂』というものが
   あるとしたら、そこだけ見ておられました……」
   ----
   解) 魂、とは何かを、ここで大きなヒントを感じ取ることが出来る。 
    心、こころ、魂。 産まれ、生き、死ぬ。そして死んだ後も、何かしら
   続いていく生存中のエネルギーの痕跡が‘魂’ということ。 
 《ナショナルというブランドに松下幸之助の魂が入っているとか・・・》
  それも、これも宇宙の藻屑だが。二十数年前に、ある本で
  <正中心一点無>という言葉を知った。中心を外さない、と同じ意味。

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2007年11月01日(木)
2403, 恩送り
             (゚▽゚*)♪  ('-'*)オハヨ♪
 ある本に「恩送り」という言葉があった。よい言葉である。もともと江戸時代に
あった言葉で儒教的、仏教的な味わいがある。それが明治以降西欧的な考え方が入り、
死語になってしまった。親が子供にしてやったことは、子供もまた順繰りに子孫代々
受け継いでいくもの。それが血統であり家系として引き継がれていくものである。
最近は「家」そのものが崩壊傾向にあり、個人に重きを置くようになったが、
それでも個人として「恩送り」を必要ということである。最近「Web 2・0」で、
情報公開が大きな流れになっているが、これも類似したものである。
  ー電子辞書のウキィペディアによるとー
「恩送り」をとは、自分が誰かから受けた親切・善意・思いやりなどを、与えて
くれた人へ直接返すかわりに、別の、必要としている人達に送る事である。又、
それにより善意が社会を巡り、様々な善き連鎖が社会全体へと広がってゆく事も指す。
これに似た言葉として、「恩返し」があるが、それは字の通り恩を受けた人に直接
に恩を返すことが、これだと二人の閉鎖的な関係で終わるが、「恩送り」という
考え方・実践ならば、返す相手が限定されていないので、親切を送り出す相手や、
親切の内容は、自在に無理なく選ぶ事が出来る。従って比較的短い期間・時間の間に、
具体的に親切をこの世に"現実化"させる事が出来る。 人々が「恩返し」にこだわらず
「恩送り」も選択肢とする事で、社会全体としては、"現実化" し "流通" する親切の
量が、圧倒的に多くなるのである。これは1人1人の視点でも、日常的に自分が
出会う親切の量が増える事を意味する。

井上ひさしNHKの番組『井上ひさし福祉都市を語る~イタリア・ボローニャ
共生社会』において以下のような主旨の事を語っている。
ー 江戸時代に、「ご恩送り」という言葉がありました。
ご恩返しは、贈り物を送ったり返したりで、関係は2人しかないわけです。
ご恩送りは、誰かから親切を受けたら、これを親切を受けた誰かに返すのではなくて、
他の人に渡していくんですね。そうすると、江戸に100万人いるとしますよね。
1日に一度ぐらいは親切を受けることはありますよね、一瞬のうちに江戸の町に
100万の恩というものがバーッといくわけです。 それをお互いに回すわけですよね。
 ・・・(中略)最近ではある程度の年齢の人たちだけでなく、学生などにも
このような考え方が広がってきている。特に旅好きの青年、ボランティア活動に熱心な
青年などには顕著にこのような考え方を持ち、日々実践している者も多々見られる。ー
 ---
-以上だが、それでは「恩」とは、どういう意味なのだろうか? 漢和辞典を引くと
  (1)めぐみ・なさけ・いつくしみ・あわれ・ありがたく思う
  (2)「心」と「因」を合わせたもの。因とは、わけ・もと・おこり。
  (3)恩は心をよせること。人に対していたむ心。
  (4)大は人で、人が囲いの中にいることによって、安心していられる。
  (5)人がふとんに寝ている形で、安心・やすらぎの意。
  要約すると「人に対して慈しみの心を持つこと」である。 
 そうすると「恩送り」とは、それぞれが慈しみの心を持てば、互いに安らぐ
ことが出来るということになる。私の場合、特に両親から大きな恩を受けたが、
それを如何に自分の子供に「恩送り」をするかが今後の大きな課題。 れ合いが
入るから難しい問題もある。生きている限り何らかのカタチで社会から恩を受けている。
だから、できる範囲のチャンスには可能な限り「恩送り」をするように務めればよい。
しかし恩送りをした相手に期待はしないことだ。したと同時に、その価値は激減する。 
                      ホンジャ バイ!(゚▽゚*)ノ~~
・・・・・・・・
2006年11月01日(水)
2038, 躁鬱病について -6   オッ(*^○^*)ハ~ヨウサン!
 「夫はうつ、妻はがん」
    ―夫婦で苦境を踏み越えて ー ?  小川 宏 著

この本で有名人で「うつ病」から脱出した人や、亡くなってしまった人を何人かあげて
いる。脚本家の倉本聰、俳優の木の実ナナ高島忠夫、気象士の倉嶋厚などである。
皇太子妃の「適応障害」も、専門家の話によると「うつ病」という。
世界を股にかけたキャリアの女外交官が小さな籠に入れられ、男児が生まれない重圧の中で、
ノイローゼになるのは当然のこと・・倉本聰とラジオの対談で病気の話を聞く機会があった。
それによると20歳代から欝を繰り返し、さらに二十数年前、北海道の富良野に居を移して
からは、毎日のように自殺を考えていたという。 その地に適応するまでの苦闘が思い知れる。
自殺で亡くなった人は、桂枝雀ポール牧嵐寛寿郎などがいる。精神科医の大原健士郎氏
との対談で、
「小川さん、自殺未遂者が息を吹き返した時の第一声の言葉かわかりますか?」と訊ねられて、
「多分生きていて良かったと言うんじゃないですか?」の答えに、 先生曰く、「そういう人
はわずかで・・・ほとんどの人は、助けて!といいます。」自ら命を断とうとした人が、助けて!
とは矛盾しているが、先生は「誰でも命への執着があるので、そういう言葉を発するのです」という。
最近のアメリカの研究では、成人の糖尿患者のうち20?が「うつ病」になると報告されている。
日本では糖尿患者は普通の人の三倍の確率になる統計がある。またガン患者の25?も「うつ病
になるというから、気が滅入る状態になった時は、気分の転換が必要、生真面目もほどほどに!