2007年11月01日(木)
2403, 恩送り
             (゚▽゚*)♪  ('-'*)オハヨ♪
 ある本に「恩送り」という言葉があった。よい言葉である。もともと江戸時代にあった言葉で儒教的、仏教的な味わいがある。
 それが明治以降西欧的な考え方が入り、死語になってしまった。親が子供にしてやったことは、子供もまた順繰りに子
 孫代々受け継いでいくもの。それが血統であり家系として引き継がれていくものである。最近は「家」そのものが崩壊傾向にあり、
 個人に重きを置くようになったが、それでも個人として「恩送り」を必要ということである。
  最近「Web 2・0」で、情報公開が大きな流れになっているが、これも類似したものである。

  ー電子辞書のウキィペディアによるとー

「恩送り」をとは、自分が誰かから受けた親切・善意・思いやりなどを、与えてくれた人へ直接返すかわりに、別の、
必要としている人達に送る事である。又、それにより善意が社会を巡り、様々な善き連鎖が社会全体へと広がってゆく事も指す。
これに似た言葉として、「恩返し」があるが、それは字の通り恩を受けた人に直接に恩を返すことが、
これだと二人の閉鎖的な関係で終わるが、「恩送り」という考え方・実践ならば、返す相手が限定されていないので、
親切を送り出す相手や、親切の内容は、自在に無理なく選ぶ事が出来る。従って比較的短い期間・時間の間に、
具体的に親切をこの世に"現実化"させる事が出来る。 人々が「恩返し」にこだわらず「恩送り」も選択肢とする事で、
社会全体としては、"現実化" し "流通" する親切の量が、圧倒的に多くなるのである。
これは1人1人の視点でも、日常的に自分が出会う親切の量が増える事を意味する。

井上ひさしNHKの番組『井上ひさし福祉都市を語る〜イタリア・ボローニャの共生社会』において
 以下のような主旨の事を語っている。
ー 江戸時代に、「ご恩送り」という言葉がありました。
ご恩返しは、贈り物を送ったり返したりで、関係は2人しかないわけです。
ご恩送りは、誰かから親切を受けたら、これを親切を受けた誰かに返すのではなくて、
他の人に渡していくんですね。そうすると、江戸に100万人いるとしますよね。
1日に一度ぐらいは親切を受けることはありますよね、一瞬のうちに江戸の町に100万の恩
というものがバーッといくわけです。 それをお互いに回すわけですよね。
 ・・・(中略)最近ではある程度の年齢の人たちだけでなく、学生などにも
このような考え方が広がってきている。特に旅好きの青年、ボランティア活動に熱心な
青年などには顕著にこのような考え方を持ち、日々実践している者も多々見られる。ー
 −−−
  −以上だが、それでは「恩」とは、どういう意味なのだろうか? 漢和辞典を引くと
  (1)めぐみ・なさけ・いつくしみ・あわれ・ありがたく思う
  (2)「心」と「因」を合わせたもの。因とは、わけ・もと・おこり。
  (3)恩は心をよせること。人に対していたむ心。
  (4)大は人で、人が囲いの中にいることによって、安心していられる。
  (5)人がふとんに寝ている形で、安心・やすらぎの意。
  要約すると「人に対して慈しみの心を持つこと」である。 
 そうすると「恩送り」とは、それぞれが慈しみの心を持てば、互いに安らぐことが出来るということになる。
 私の場合、特に両親から大きな恩を受けたが、それを如何に自分の子供に「恩送り」をするかが今後の大きな課題。 
 連れ合いが入るから難しい問題もある。 生きている限り何らかのカタチで社会から恩を受けている。
 だから、できる範囲のチャンスには可能な限り「恩送り」をするように務めればよい。
 しかし恩送りをした相手に期待はしないことだ。 したと同時に、その価値は激減する。 
                      ホンジャ バイ!(゚▽゚*)ノ~~
・・・・・・・・