* まずは、話すより書け
 数ヶ月前になるが、小学校の同期会が近隣の温泉宿で行われた。86歳の担任の西澤先生も出席され、
会の始まる前に別室の先生に挨拶にいき20分ほど話をさせてもらった。以前、新潟で一晩、御一緒して古町に
飲みにいったことがあった。その時に、社内報に書きつらねた『事業百訓』のコピーを差上げたが、その話から、
『今ではブログに13年以上、毎日欠かさず文章を書き続けて、身近な30人〜40人位が読者になっています。
慣れてくると、これが面白くなって、毎日2〜3時間はかけてます』と話すと、『そうですね、話すより書けと
言いますよね。書けば、一度、内容を整理できるうえに、考えますから・・』と答えられた。
 ところで、高校、大学の合格時に、お祝いの葉書を頂戴した。そして三年前?も慰めの葉書を頂いていた。
先生は筆書の達筆家。そのため、悪筆の私には、それがプレッシャーになり、その返事に悪戦苦闘。
大学のゼミの武澤先生も、何度も、手紙を頂いた。話すより、書けである。入院した人に一番良いのが葉書の便り
というが・・ 書く癖をつけると、論理的になって、相手の話の骨格が把握できるようになる。読書と、手紙を
多く書いている人は、そうでない人に比べ、話す内容が格段の差が出てくる。逆に、一寸した世間話に、気楽に
答えられなくなり、結果として、硬い印象を与えてしまう。性格もあるが・・ 頭に浮かんだ言葉を、一度、
書き出してみると、更に、考えが出てくる。話すことで、次々と、新たに考えるタイプもいるが・・
早朝、この文章の加筆、修正をしていると、意識内での自己対話をしている感覚になる。それと、誰かに向かい
問いかけをしているような・・ それが内省、内観にもなっている。大自然に、一流芸術に触れ、驚き、感激し、
感動し、それを言葉にし、自己対話をし、誰かに話す、そして書き出し、残す。この一連が人生を豊かにする。 
・・・・・・
4612, 君は1万円札を破れるか? ー2
2013年11月01日(金)
            ー君は1万円札を破れるか? ー 苫米地英人 (著)
   * 世間を覆う「不安」の正体 ーお金の本質は「情報」であるー 
《 今の世の中、「先行きの不安」を感じている人が、大変多いようです。2010年に、次の世論調査の結果が発表。
世界の国内総生産の75%を占める先進23ヶ国の人々を対象に「将来について安心を感じるか、不安を感じるか」
という質問をしたところ。将来が「安心」と回答した人が23ヶ国中最低の86%もの人が「不安」と回答えたそうです。
ちなみに,「安心」と回答した割合が高かった国のトップはインド(79%)、中国(78%)、オーストラリア(73%)
でした。 なるほど、インドや中国は今後、飛躍的な経済成長が見込まれていますし、オーストラリアは先進国の
中にあって、健全な財政状況が続いています。それに比べて日本はと考えたときに、将来に不安を覚える人が多いこと。
・・恐怖というのは、その対象がハッキリしているものをいいます。その対象によって、自身にどんな危険が
もたらされるのかという認識が生じます。その危険に対して、なんらかの対処をしなければという反応を伴う精神
状態が「恐怖」です。 たとえば、山道を歩いていてへピに出くわしたときに感じるのは「不安」ではなく「恐怖」。
「かまれたら、危ないかもしれない」と危険を認識して、一目散に逃げるなり、危険を回避するための行動を
取ろうとします。それに対しして不安とは、その対象がはっきりしないもの。
精神医学でいう不安症とは、具体的に恐れる対象や根拠がないにもかがわらず、「何かいやなこと、恐ろしいことが
起こるかもしれない・・」といった悪い未来を漠然と予測し、不安にとらわれる病気。日本国民の大半が、この不安感に
取りつかれている。「会社の業績が不振で減給された。いずれリストラされるのでは……」「企業が次つぎ倒産し、
求人がへり仕事に就けなくない…」「年金や国保などの社会保障制度も維持できなくなることはわかりきっている…」
など不安を感じる理由が挙がってくる。けれど、「不況」や「財政破綻」などの問題に対して、「どのように
危険なのか」を正確に判断し、「どうすれば対処できるか」といったことにまで考えをめぐらせている人は、あまり
多くないでしょう。 大半の人は、テレビのニュースや新聞、雑誌などでそれらの言葉を見かけるたびに、ただ漠然と
「何か困ったことが起こり、その弊害が自分の身にも及ぶのではないか」と不安を煽られているだけでないでしょうか。 
その不安の正体を突き詰めれぱ、「お金に関する不安」です。世の中の先行きが恩わしくない方向に向かつていて、
そのために自分が充分なお金を得られなくなり、生活が苦しくなる・・そんな不安に多くの人がさいなやまされて
いるわけです。 最初に結論を言っておきます。現代のお金は、単なる「情報」に過ぎない。
「これには、これだけの価値がありますよ」と主張する情報です。これもまた「信用」という情報のみです。 
多くの人は、日ごろ目にしている紙幣や硬貨のことをお金と思っているかもしれません。紙幣や硬貨には物理的な
実体がありますが、実は、それはお金の実質ではありません。仮の姿だといってもいい。お金の本質により近いのは、
みなさんの預金通帳に記帳されている「数字」です。こういうと、「実際にお金があるから。通帳に数字が書き
込まれているんでしょう」と思われるかもしれません。通帳に起蔵されている残高をいつでも引き出すことができる。
それはただ、お金が出人りしている記録だろう、と。実は、そうではない。数字のほうが本質で、紙幣やコイン
はそれを目に見えるようにして、やりとりできるための道具。ただの紙っぺらであり、金属片に適ぎないのです。》
▼ 準備期間を含めた45年間の創業と事業人生、このカラクリを真に分かっていただろうか。 
 2001年の9・11テロから急激に地方経済が悪化していった辺りから、バブル崩壊の上に、更に大きな並みが
押し寄せてきている。9・11テロも、やらせ?・・そして、リーマンショックと、3・11災害と、世界規模の地震津波
経済震災と、自然震災が世界と日本を襲った。お金の正体は情報というなら、情報機器の革命的進化が、世界を根こそぎ
変えている。それが、経済震災でリーマンショック、政治的には北アフリカ、中東の政変であり、欧米経済の衰退である。
そして、静かに進行している世界恐慌
・・・・・・
4237, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー10
2012年11月01日(木)                       
  * 卓球をピンポンと呼ぶのはなぜか        ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より   
 卓球は英語で「テーブルテ二ス」という。1880年代、イギリスのテ二ス愛好家たちによって考案されたスポーツだ。
じつはテーブルテニスというのはあとでついた名前で、もともとはイギリスでもアメリカでも「ピンポン」と呼ばれた。
ピンポンの語源は、当時使われていた中空の革張りラケットで球を打つと「ピン」という音が出て、球がテーブルに
当たると、「ボン」と聞こえるところからきている。この名称が卓球協会の名称として正式に採用され、イギリスと
アメリカでは「ピンポン協会」が設立された。ところが、このピンポンという名称はすでにイギリスで商標登録されて
いることが、あとになって判明。スポーツ用品メーカーが家族で遊べる玩具として発売していた卓球セットの商品名を、
「ピンポン」として登録していたのだ。そこで、トラブルを避けるため、イギリスのピンポン協会は解体された。
今でも卓球をピンポンと呼ぶのは、当時の名残なのである。
   * 土壇場は斬首刑の土もリ
 ドタキャンとかいう、土壇場の意味は、字の通り「土を盛って築いた壇の場所」。江戸時代の死刑に、この土壇場に
罪人を横たわらせて斬首刑を執行したため、土壇場は「斬首刑の刑場」を意味していた。土壇場に上げられた罪人は、
手足を拘束され、どうにもならない状態で処刑を迎えた。ここから土壇場は、どうにもならない事態をさすようになった。
▼ 土壇場で死に直面した時のの恐怖は、言語に絶するだろう。そういえば、ユーチューブで、フセインが絞首刑に
 なるまでの映像があった。吉田松陰も恐怖で転げまわったとか。ところで、バンジージャンプの飛込み台の恐怖の
どん底の凍りついた瞬間を思い出した! 数分前から恐怖で呼吸困難、頭の中は真っ白!「こんなはずでなかった!」
という言葉。躊躇するほど恐怖が倍増してくる。ワッーという感じで飛び込んだが・・  高層ビルから投身自殺を
しようとして、2Fで何かに引っかかり九死に一生を得た人のインタビューをTVで見たことがあるが、その直前まで
意識があり、鮮明に落下していく光景が見えていたという。ロシアン・ルーレットも、こんな感じだろう。
快感のところもあるようだが。
・・・・・・
3872, 一人旅
2011年11月01日(火)                       
 一人旅を過去に何度かしたことがある。北海道と九州に、それぞれ10日間ほどと、大学を出て四日市に勤務を
したときに、紀州の尾鷲に一泊したこともあった。 金沢で修行していた時には、観光バスの日帰りコースで能登半島
行ってきた。23歳から26歳の4年間、精神的な体力が出来たころである。一人旅には、それに似合った時節がある。
27歳で結婚し、事業の立ち上げを始める直前。振りかえってみると、その時節しかタイミングがなかったのである。
一人旅をすべき時節に、すべき事をしていたことになる。
 一人旅は思い立ったら、駅の旅行センターで、「一週間ほど北海道の一人旅をしたい」といえば、窓口の担当者が、
そのルートを一緒に組んでくれ、列車と宿の手配をしてくれる。そして、そのルートに従えばよい。一度、列車に踏み
込めば、不安とか、孤独感はなくなる。 若さもあり、一人旅そのものに酔っている部分もあった。 当時の記憶が
少ないのは、目先が変化変化の連続で、刺激の強い日々だったからである。 現在、一人旅というと、面倒という
思いが先にたつ。しかし今から思うと北海道も、九州も思いで深い。人生を振り返ると、それぞれの時節の思い出が
あるが、特に旅行の思い出は大きい。北海道は、青森から青函連絡船に乗り、函館、札幌、釧路、網走、旭川、函館と
周遊した。北海道の旅も、一歩踏み出すと気ままだった。結婚してから10年間は家内と国内旅行ガ中心だった。 
事業と家庭中心で、海外旅行に切り替えたのは15年経ってから。卒業記念に海外への一人旅が流行りだしたのは、
私が卒業をして数年してから。しかし当時の私の精神的体力では、海外の一人旅は無理。私の知人ではオーストリア
二人、イタリアに一人、留学をした。それと幼稚園から高校まで同窓で、慶応大学教授になった直後に亡くなった男が、
学生時代に欧州を数ヶ月一人旅をしたといっていた。 そう、新潟県活性化案を一緒につくった松下さんも、一年間、
彼方此方のアメリカの大学を聴講してまわったとか。 感受性の強いうちに世界を見ると見ないとでは大違い。
それも一人旅で・・ 幕末から明治維新にかけ、外国に行った人と、行かなかった人と、その後の活躍が違っている。 
明治政府の高官になって、新しい政府つくりの邁進したのは、前者が多い。一人旅は変わっていく景色を見ながら、
独りブツブツ呟きながら思いにふけるもの。
 ・・・・・・
3507, ユダヤ人の頭脳活性法
2010年11月01日(月)
              「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
 図書館で借りてきて目を通したが、なかなかである。ピアノとか、吹奏をやる人は勉強の成績がよい人が多い。
それは長年の間、繰り返し集中し、続けないと身に付かない。教科書を理解し、暗記するなど、それに比べれば、
取るに足らないから成績も良くなると思っていたが・・・ ユダヤだけでなく、優秀な人間?の特性、頭脳活性法が
書かれている。
  * アマゾンの ー内容紹介ーより
 マルクスフロイトアインシュタインドラッカースピルバーグ…… 彼らはみなユダヤ人。
もちろんユダヤ人全てが優秀なわけでは無いが、優秀な人間が多いのも事実。それには何か理由があるのだろうか―。
 実はそのヒントは彼らのささいな日常にあった! 五感を目一杯に使い、日々を楽しく過ごすユダヤ人たちの文化。
子どものころから全身を使って本を読み、聖典の名言を吸収していく。そして創造することのみに自分の価値を見出す。
そんな生活の積み重ねによってユダヤ人の発想力が生まれるのだ。 そんなユダヤの世界からヒントを得た、
頭脳活性のための様々なトレーニング方法。ほんの少しの工夫でユダヤ人のすごい発想力が手に入る! ユダヤ本と
いうと、怪しさのようなものを感じてしまうが、この本には、それがない。ヘブライ大学卒業後、企業コンサルタント
など、学者ではなく「実学」の世界で生きてきた著者自らの人生観を通して、ユダヤ箴言、格言などから学ぶべき
ことを的確に表現している。
 〜「まえがき」より〜
ユダヤ人だから特別に優秀である」と強調するつもりはありません。 それは人種の優劣をつけることであり、
私の本意ではありません。けれども、彼らから学ぶべき点が大いにあることも事実。 確かに、世界にこれだけ
有能なユダヤ人がいるということは、どこか秘密があるに違いない。 そう思ってこの本を読むと、彼らが勤勉で
自らを高めるために努力を惜しまない、ということが見えてくる。 そして「何かに感動する素直な心」こそ
ユダヤ人共通の特性!と。
 *ユダヤの格言やユダヤ人の名言として   ・人の目は前にある。後ろにはない。
  ・考えるのをやめることは、私にとって生きるのをやめることだ。
  ・話す前に、あなたの言葉を選べ。……etc
  ―
 基本は「五感を研ぎすます」こと。 見る、聴く、触れる…そういった感覚を養うことで、人間は心の豊かさを
手に入れ、頭脳も活性化していくのだ、と。心の豊かさが持てれば「何かに感動する素直な心」になれる。
彼らはユダヤ教の基本構造として選民意識を持ち、それを実行していくことである。そこに、生まれつきの天才的
頭脳が重なれば優秀な人材が輩出するのは当然。金融世界で支配しているユダヤ人も、こういう背景があると知ると、
納得がいく。アラブ人やインド人が、彼らに敵うわかがない。 
 ・・・・・・・・
3132, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー6
 2009年11月01日(日)
 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)     ー読書日記
   近代イデオロギーの罪
 * 理性主義の恐怖 p−99
科学の発展や、大航海以来の欧州世界の拡大で、それまで宗教が欧州人に一つの統一的説明を与えていた世界が
崩れていく。そこで登場したのが「理性」という理念である。これが「神」の代わりになった。1789年のフランス
革命では、「理性」が至高の価値として掲げられ「神の死」が宣言された。「唯一の神の信仰」が「唯一の神としての
理性への信仰」にすり替わった。そうすると、理性からはずれるものが出てくる。それが子供であり、未開人であり、
精神病者である。近代は理性というものを発見し、そこから逆噴射する形で、子供、未開人、精神病者を発見した。
その三者の共通点は理性の欠落である。子供には理性を持つように教育をしなかればならない、未開人には、教え
導かなければならないということで、植民地主義が正当化され、精神病者は回復するまで隔離されるようになった。 
 フランス革命ロシア革命も、理性によって理想社会を作ることができるという考えから起こった。
反計画経済の大御所のハイエクは、社会主義共産主義は、社会は人間の理性で設計できるという思想だが、
それは「致命的な思いあがり」だと。 共産主義というのが理性の理想的社会だとすると、これに反対するヤツは
みんな殺されなけばならないことになってしまう。で、中国やソ連カンボジアで大虐殺が生まれてきたのである。
社会主義がなぜに間違えていたかと言うと、経済が下部構造になっていて、それを計画経済でやっている。
あれは要するに意識が全てを決定するということ。 ところが基本的に経済の流動的動きは無意識が決めている。
 ーー
 この辺を考えると、知性、理性的にあろうとしてきた現代人の方向そのものを根底的に考え直さなければ。
最近、年齢のためか根底から今までの生きかたに対して疑念を感じるようになっている。毛沢東は何を国民に
したのだろう。スターリン毛沢東も、理想社会を目指して数千万人も虐殺をしてきたのである。
また、アメリカも、この金融恐慌を引き起こしたのも、理性主義の行き着いた先であった。 
時代は丁度良く欧州大陸からアメリカ大陸へ重心を移していたのが、今世紀はアジアに移行する。
アジア的な考え方が見直されなければならないが、動乱を通してか、それともソフトにいくのか? 
・・・・・・・・・
2767, こころと脳の対話 −3
2008年11月01日(土)
 面接や新入社員教育の時には、河合隼雄と同様、「中心をはずさないで、無心になって対象の人と相接する」
しかない。そうすることで、心だけでなく、心の中心点の奥の魂同士がクロスをすることができる。
そこまでしないと、相手のことが理解できないのである。 美人とか、センスや、頭の良さなど属性になるのである。
河合は当たり前のことを素人向けとして、解りやすい事例を出しただけ。相手の中心点だけを見ると、逆に性格とか、
片親とかの属性が浮きだって見えてくる。そこまでいくには、経験を重ねるしかない。それにしても、色いろな
心の病があるものだ。         「 こころと脳の対話 」 河合隼雄 茂木健一郎
    第三回 魂を救う対話 
  *相手の「魂」だけを見つめる
 P−160 
茂木 「中心をはずさない」って、僕、すごく大事なことのような気がしてきたんです。というのは、『五輪書』には、
   たしか、相手のどこかに注意を置いてはいけない、というようなことが書いてあるんですね。やっぱり同じ感じですか。
河合  同じです。それからね、これは僕が人にほめられた最高の賛辞というか、
   「うれしくてしょうがないからあちこちでしゃべっているんですけれどね、どないうてほめてくれたかというとね……。
   その人は、「離人症性障害」っていう、大変なノイローゼなんです。現実感覚がなくなるんですね。
   こういう場所にいても、みなさんが生きている人間に見えなかったり、それからこういうふうに手を振っても、
   本当に自分が手を動かしているのかわからない。すっこい苦しいけど、誰もわかってくれない。
   自殺する人も多いんですけれど。でも外見はふつうで、ちょっと見てもわからない。
   そういう離人症になられた人が、自分が現実感覚がないのをなんとかしたいと思うから、人と接近するわけね。
   その人、きれいな女の人やったから、恋人がいっぱいできて、また、いっぺんに二人も三人もつくったらしいから、
   恋人同士が殴り合いしたり、劇的なことが周りでいっぱい起こっているんだけれど、その人は全然、劇の外にいるわけです。
   そうでしょう、現実を生きてないわけだから。 その入が、あちこちのセラピストのところに行ってみても、
   どうしてもうまくいかない。何入かのあとで、私のところにこられた。 私のところにこられて、治るまで五年ぐらい
   かかったんですよね。「本当にありがとうございます」とお礼をいわれたときの言葉がおもしろいんですよ。
   「いちばん初め・先生に会ったときに、この先生で自分は治ると思った」
   「どうしてですか」 「いままでの先生と全然違った」 「どう違った?」
   「私が部屋に入ってきたとき、先生は、私の顔にも服装にも、全然関心を示されなかった」
   というのは、ものすごく美人ですから。服もきれいなのを着ておられるんだけれど、その服も見てないし、顔も見てない。
   (以下、字数制限のためカット10年11月01日)