つれづれに

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 昨夜は、大学の同級会。今では同期会になるつつあるが…
前期高齢者も後半に入って、終活の時節。まあ、誰も、そう甘くない
現実が立ち塞がっている。 とにかく、明るいのが特徴。

 乗り遅れて最終列車で帰宅し、就寝したのが0時半。
それでも6時前の起床をして、パソコン前に座るのが習慣化のなせる業。




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5375、武器としての決断思考 ー①
2015年12月02日(水)
        ー武器としての決断思考~ 瀧本 哲史 (著)ー
 図書館で見つけた本で、京大の医学部で場違い?の『起業論』を教えている
内容に興味を引かれ借りてきた。医師の世界も、将来的に、そう甘くはない。
30年近く前に新潟で立ち上げた「木鶏クラブ」の会が、今も二ヶ月に一度、
開かれている。そのの例会に、年末か、年始に参加しているが、去年、
新大医学部の20歳の学生で、考えるところがあって、一年の休学をとって、
白紙で将来を考えたいという青年が、来ていた。『思い切った判断だね!』
と褒めると、『教養課程で、一年の休学は東大医学部の学生の一部で
受継がれてきたのを聞き、考えるところがあり真似ただけ!』という。
この「武器としての決断思考」が、そういう人たちのバイブル?かどうかは
不明だが、私が人生を通し、学んできた要点を、軽く一冊に凝縮してある。 
『青年は荒野を目指せ!』である。でないと、溝沼の腐った一員になっていく。
 人生からみたら、「事前の一策は、事後の百策に勝る」の、具体例。
「事前に学んでおくべき人生戦略本」で、さすが、東大、京大医学部。
20歳の白紙の状態の決断は人生を大きく左右する。~アマゾンの内容紹介より
《 東大×京大×マッキンゼー式・決断の技術!
 本書は、著者がいま、京都大学で二十歳前後の学生に教えている
「意志決定の授業」を一冊に凝縮したもの。今後、カオスの時代を生きていく
若い世代にいちばん必要なのは、意思決定の方法を学ぶことであり、決断力を
身につけることです。もう過去のやり方は通用しないし、人生のレールみたい
なものもなくなってしまいました。「答え」は誰も教えてはくれません。
 となれば、自分の人生は、自分で考えて、自分で決めていくしかないのです。
仕事をどうするか、家庭をどうするか、人生をどうするか? この本で私と
一緒に「自分で答えを出すための思考法」を学んでいきましょう。
きっと、あなたの人生を変える授業になるはずです。》
  ~カスタマーレビューより~
《 筆者は、東大→マッキンゼー→京大准教授というエリート。
人生において、自分で考え、行動ができる事の重要性を説き、その秘訣を
伝授するとの趣旨。出版社である星海社新書という会社は、「戦う事を選んだ
次世代の仲間たちに、武器としての教養を配る事」を目的として謳っています。
私は、本屋で初めて見つけた本を買って読む事は、めったにないのですが、
思わず買いました。 内容はと申しますと、ガイダンスまでは期待通りで、
これからの厳しい世界を生き抜いていくには、知識・判断力・行動力・修正力
をバランスよく身につけるべき! と実例を交えながら、うなずきの連続。
ただし、本章に入ってからは、ほとんどがディベートの基礎講座。
(大雑把に言うと)ロジカルに物事を考え、常に(正解ではなく)最善解を
導いて、行動を起そう。状況が変化すれば、適宜修正をしていこう。それが
決断思考であり、自分の頭で考えて、自分で決めて行くという事!という内容。
日ごろから、ある程度、まともに物事を考えている人からすると、
同意こそすれ、目から鱗とまではいかないでしょうか。》
▼ ーはじめにーの「武器としての教養」を身につけろーが、この書の要約。
 学生時代の教養課程から専門課程で、何を目指すかを課題を無い頭を絞って
考えて結論を出したが、正に、著者の、この要約を地でいっていたようだった。
50年前の当時は、「坂の上の雲」を目指す高度成長時代の真只中。で、結果は、
バブル崩壊への転換を甘くみて、この結果? しかし、面白く、充実していた。
 で、現在は低成長時代の真逆の環境。だからこそ、ゲリラとして、それぞれが
実学としての武器としての教養が必要になる。 既に時代は氷河期に入った。 
 その中で、久々に? 面白い戦略本に出会った。来週、この会の忘年会に
出席予定だが、この青年、来ているかどうか?   ーつづく


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3903, 精神力ーその偉大な力  ー4
2011年12月02日(金)

 この年齢で昔読んだ本を読み返し、書評を書いていること自体が奇妙である。
精神論というと、現代では怪しげに思ってしまうが、
それを信念と置き換えて考えると、違ってくる。人は、それぞれの信念に従って生きている。
問題は、それを前向きの思考にするかどうかである。世の大部分が、後ろ向き人である中で、よほど強固な
ベースがないと大勢に流されてしまう。そこで、一歩二歩離れるか、孤独の時間を確保して自分の信念を
守らなければならない。 信念という言葉には語り尽くせないほど奥行がある。
  * 信じることの魔術
 信念を変えることで体験の世界が変わります。信念は本人の精神の一つのあり方です。大生命の力を
信じなさい。大生命を見ることが出来ないし、信念も見えないが、それを通して行うことは見えます。
確証を見ることは出来るのです。信じることを前向きなことに使うことこそ鍵がある。
  * 人生の四つの基本
・ 第一は、大生命力すなわち【神】の善さ、完全さ、信頼性、敏感さなどに積極的信念を置くことです。
 知性的で善良な愛の生命力が、あなたをこの世に送ったのです。大生命力は悪いのではなく善いということ
 に気づくべきです。
・ 最二に、自分が偉大な【人間】であることに気づくべきである。神性を持つ持つ大生命力が人間として
 個性化して、人格化して人間というものが出来たと認めるべきである。自分を下等と思えば下等に行動し、
 他人もあなたを下等と思うでしょう。しかし、自分が大生命の化身と気づけば、その能力が、あなたの
 自由になるのです。
・ 第三に、運不運という、あらゆる信仰を捨てて、大生命力の【法則】に従って行動すべきです。大生命力の
 流れの中に、みずから新たな原因を注入し、自分のために新しい思想を受け入れ、新しい体験を持つことを
 信じるべきです。
・ 第四に、人格の【不死】を信じなければならない。他界しても自分は生きていると信じなさい。
 これは実用的です。そう信じて行動すると、目の前の難問が何時か解決すべきことでなく、今すぐに解決
 すべきことになる。この四つの基本的なこと―神、人、法則、不死―に、積極的な信念を置けば、何に
 対しても否定的な信念を持つことがなくなります。
▼ 基本の一つの【法則】と中村天風の説と、ほぼ同じ。 積極一貫こそ、人間を宇宙の進化に従って生き、
 発展する術。積極的な前向きな信念に一つまとまり塊になって一つの方向に歩くことこそ、人間の健全な姿。
 精神力=信念を自分の帆にして人生に吹く風を利用し堅実に前に進めばよい。 当時これらの精神論が
 極限の中での道標となり心を支えていた。 現在は哲学?
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3538, メビウスと、自・他
2010年12月02日(木)
  * 他人とは何か
 池田晶子の「自分の内側と、その対比としての他人」についての考察がよい。
 「14歳からの哲学」の『他人とは何か』で、以下のように述べている。
【「自分が存在しない」ということは「ない」ということも、先に気がついたことだったね。だから、
 やっぱりすべては存在するんだ。存在しないということはなくて、世界も他人も存在するんだ。すべてが
 自分として存在するんだ。なぜなら、自分でないものが存在するということはないからだ。「他人」なん
 てものは存在しないと最初に言ったのは、この意味だ。 他人の存在を認めないとか、世界には自分しか 
 存在しないとか、そんな子供じみたこと話をしているんじゃない。これは本当に深くて、本当に難しい話。
 これも、ここだけの話だけど、このレベルの議論についてこれるのは、本当に少数だから、君は、そういう
 大人を目指せばよい。 ・・・・  大きい自分に小さい他人同士がつながっているからだ。大きい自分
 のう~んと深いとろまで到達しているような人、たとえばお釈迦様とかキリストとか、そういう人なら、
 他入の痛みも他人の心も、自分の痛み自分の心として、きっと一瞬でわかってしまうに違いない。
 「メビウスの輪」を知ってるね。内側を辿って行ったら、そこは外側だったというあれだ。
 君は、「自分の内側」と言った時、体や心の内側のことを思うね。でも、その内側が、外側の自然法則に
 よって動いているのなら、その内側って、じつは外側のことじゃないだろうか。内って、外なんじゃない
 だろうか。「自分の内」「自分の外」なんて、よく考えれば、決して言うことはできないことなんだ。
 なぜなら、すべてである自分には、内も外もないからだ。
 じゃあ「自分の外に存在する他人」という言い方で、人は何を言っていることになるのだろうか。】
  ~~
「心の内側を辿ると、そこは外だった」は言いえて妙である。すべてが自分として存在すということを、
メビウスの輪から考えると、分かりやすい。世界の秘境や異郷に行った先は、自分の内になり、そして
外にもなる。行けばこそである。そして、それぞれの延長が、それぞれ続いている。記憶がメビウス
輪になり、それが大きくなリ続けている。帰ってきてからでも、そこの旅番組やネットを見たりしながら、
その旅行の延長線上に加わるからだ。家内が度々言うが、「行かなければ、他の番組を見ている」のである。
自分が存在してなければ、地球など知りえない。 死んでしまえば、地球が消滅したと同じことになる。
その己の存在にとって、他者も自分もないのである。
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3163, 金本位制度が復活?
2009年12月02日(水)
 昨日、日経新聞を何気なくみていたら、以下のような記事があった。
  * 中国政府高官「金保有、10年以内に1万トン」ドル安で買い増し論
 30日付の中国紙、中国青年報によると、国務院(政府)国有重点大型企業監事会の季暁南主席は2兆ドル
を超す外貨準備の運用について「金の保有量を3~5年以内に6000トン、8~10年以内に1万トンまで増やす
べきだ」と指摘した。現在の保有量は約1000トンで、1万トンへの買い増しは実現可能か微妙だが、ドル安
が続くなかで政府内で金の買い増し論が勢いを増しつつあるもようだ。 中国の外貨準備高は9月末時点で
2兆2726億ドル。うち約7割をドル資産で運用し、金の比率は2%弱にとどまる。最近のドル安を受け、
政府内では外貨準備の運用をドル以外に振り向けるべきだとの議論が再燃しており、なかでも金は
「安全資産」として評価が高まっているとみられる。
 ワールド・ゴールド・カウンシルによると、金の保有量(今年9月時点)は米国が8134トンで世界一。
ドイツの3408トン、イタリアの2452トンが続く。季主席は外貨準備運用の直接の担当ではないが、
今回の発言は政府内の多数意見を反映しているとの見方が多い。(北京=高橋哲史) (11月30日 19:45)
 ――
 以上だが、最近になって、米国の金本位論が再燃し始めているようだ。  
   (字数制限のためカット 2011年12月日)
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2798.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・7
2008年12月02日(火)
 ー失敗を恐れるな!
「自分のカでは どうにも ならないことは、心配するな」 という言葉、今度の恐慌で、
 心配の極みで読んでみて、ホッとした道理である。 まあ、仕方ないことは仕方がない。
【第6の法則】
  失敗を恐れるな。 しようともせずに 逃してしまうチャンスことこそ恐れるに値するのだ。
  ~~~
「人間ができる 唯一の独創的な行為こそ、間違えることなのである」     ービリー・ジ。エル
「人には正しいことだけでなく、間違ったことをする権利もあることに気づいたとき、子供は大人になる」
                                      ートマス・ザス
「意味のある努力は、やってみる前には 簡単には見えない。だが、実際にやってみて結果が良ければ、
 その時点から振り返ってみると、簡単であったように 思い返せるものである」ーエドワード・テラー
「自分のカでは どうにも ならないことは、心配するな」        ユダヤ人の友人のコトバ
「金をなくしても、何も失わない。 誇りをなくせば、多くを失う。勇気をなくせば、すべてを失う」
                                  ーユダヤ人の友人の言葉
「自分を破壊する 一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる」     ーニーチェ
「過去というものには、 常に馬鹿馬鹿しさが つきまとう」      ーマックス・ビアボーム
「人生では、時には愚か者を 演じなければならない 時がある」     東欧ユダヤ社会の諺
「夢も悪夢もみたけれどへ 夢があったからこそ、 悪夢を乗り越えられたのた」  ージョナス・ソーク
「そもそも人間という存在は、ものごとを完壁には理解することができない生き物である。
 このことに気づくと、間違えることは恥ずかしくなくなる。 恥じるべきは、過ちの修正を怠ったとき」      
                                       ージョージ・ソロス
悲観主義は、ユダヤ人が決して 手にすることができない 高級品なのです」  ーゴルダ・メイヤー
「たくさんの失敗を 重ねてみて、 はじめて真実の全体像に 出会えるのだ」 ージークムント・フロイト
「経験は、素晴らしい学校だ。 ただ、授業料が高いのが タマに傷だが」   ーヘンリッヒ・ハイネ
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2007年12月02日(日)
 2433, お茶ひき        (●っー3。○)・・・ハッ!(●`・v・´)オハヨサン♪
最近、長岡・殿町の小さな居酒屋とかスナックに行くと、不景気な話ばかりである。先週は二度も
「お茶をひいた」という話など決して珍しくない。歳のせいもあるが、最近はスナックで飲んでも
前ほど面白くなくなってきた。酒のツマミでも買って、家でTVを見ていた方がよほど刺激的である。
  (字数制限のためカット 09年12月2日)
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2006年12月02日(土)
2069, 書画骨董の話 -1               才八∋ウ_〆(∀`●) 
 戦後になって転業するまで、実家が何代か続いた骨董屋であった。そのため転業後も父は書画骨董を
趣味にしていて、常に居間には書画骨董があった。私が父の40歳を過ぎてからの子供のため、暇を
みつけては散歩代わりに、骨董店に何度も連れられていった記憶がある。門前の小僧の何とかで、真贋を
見分ける眼がついたようだ。さらに、海外旅行で有名な美術館に行く度に世界の名画を数知れず見てきた。
そのためだろう、書画骨董の真贋の鑑識眼がついてしまったようだ。贋物に騙され、それを糧に眼を肥した
プロには足元に及ばないが・・ TVの「お宝鑑定にでてくる真贋は、ある程度はわかる。(誰も解るか?)
書画骨董を自分で買ってまで欲しいと思わないのは、どういう理由か? 逆に人は何で自分の手元において
おかなくてはならないのか不思議でさえある。そんなもの、自分の倉庫や居間に置いておく必要はない、
美術館に置いて公開すべきである。死にかけて初めて、そのことに気づく耄碌が大部分だが。それが趣味
なら、他者の言うことではないが。名の残っている人の書画は、波動というか何ともいえない雰囲気が
漂っている。それと品格というか気品である。絶妙のバランスである。これは自然の中に多くみられる
から自然の中にこそバランスが存在している。そのバランスを表現するには、それなりの技法があるはず。
それを知りたいと思っていたら、ある本で偶然見つけた。中国の山水画の六技法である。
波動を出している本体の構造をつくりあげる技法とは・・・
 ーーー
以下はインターネットで調べた「画の六法」である。
1、気韻生動 ‐ 初期においては気と韻律、動勢と生命感ある絵画か。物質が保有する詳細から来る
  気韻を正確に掴み取って、その特色を描けるに到るか。実在物との正誤を欠かずに。かつ、自身の
  気韻もそこに同調するかどうかも重要になる。自身の気韻と、描画対象の気韻。
2、骨法用筆 ‐ 物の正確な形(骨法)は正確に取れている、技巧ある筆運びか。己が骨子が如くして大事
  に扱い、己が骨知る生活が如く、筆を良く知る。己が筆が如く用いる事で、筆や自身を大切に生活出来る。
3、応物象形 ‐ 媒質の形状個性を、いかんなく象徴化し、応用できるか。媒質に応じた象徴を塑写す。
  物質の詳細にまでいかんなく応え描にて象を描き成す。媒材詳細に正確に適応し、
  かつ緻密で正確な状態に更に実在性を加えた状態での象徴たらしめる。
4、髄類賦彩‐ 精髄究めるべくした具体性とかね合わせる。
5、経営位置 ‐ 構図は正確で、意味のある位置取りか。描くにおいては描画対象に対して意義を成し、
  自らの位置掴み取るにおいては描画に最も適した媒材や自身の位置取りであるか。
6、伝模移写 ‐ 模写力はある。以上は南斎の「謝赫」が、その著作『古画品録』の序において説いたもの。
 その第1、の「気韻生動 きいんせいどう」を「謝赫」が絵画の最高理想とした。
 ーまあ、そのままでは難しいから解りやすくいうと、
 1、「気韻生動」とは、直感的に感じとらせる、名伏しがたい迫ってくる躍動である。
   自分の気合いと韻律を、エネルギーを込めて対象物への投入すること。
 2、その絵には、しっかりした基礎となるデザインがある、それが「骨法用筆」。
 3、その対象を的確に描写しなくてはならない、それが「応用象形」。
 4、それに色づけをするのが、「髄類賦彩」である。
 5、さらに構図をきちんとまとめる「経営位置」。
 6、こうした技術を身につけるため、古人の名画に数多く接して、
   その作品に忠実に模写する修行をするのが「伝摸移写」である。
 (字数制限のためカット 2011年12月日)
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2005年12月02日(金)
 1704, 家訓づくりのすすめ -1  
「今さら家訓でもないだろう」と思いつつ、図書館から借りてきて読んでみたら、これが面白い。
個人の心得としても、そのまま通じる。近年、世間を騒がせているモラルの低下や犯罪の増加、
ニートやフリーターの大量出現も、家族のあり方と無縁でない。目の前で説教をしても、
今どきの子供は聞かないが、家訓として書いて貼っておけば必ずみるものだ?
                (;`・ω・)ノ ---===≡≡≡【えぇ?!マジ?】
著者は、この時代の家庭の危機を救う方策として「家訓づくり」を提唱している。
350の家訓サンプル付で、家訓を作る時の注意事項も具体的でよい。
 家訓とは、その家の中心人物が、一族や家臣のために自分の体験に基づいた教訓である。
 しかし、その言葉の多くは、現在の個人に対しての戒めにもなる。 
第二章「家訓の歴史」と「名家の家訓」がよい。
有名なものとして、徳川家康伊達政宗・岩崎家の家訓・遺訓は何度か目にした事があるが、
記録として今後目を通したいので写してみた。              φ(。。*)
 -徳川家康の家訓ー
一、人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し、必ず急ぐべからず。
一、不自由を常と思えば不足なし
一、心望み起こらば、困窮したる時を思ひ出すべし
一、堪忍は無事長久の基
一、怒りは敵と思え
一、物好きは末に歎くことありと知れ
一、勝つことばかり知りて負くることを知らねば、害その身に至る
一、唯だ己を責めて人を責むるな
一、何事も及ばざるは過ぎたるに勝れり           〆(´m`) ムフッ
ーーー
何度かわが家の家訓を書いたことがある。家訓というより、常々両親が言っていたことを
まとめたものだ。
・保証人になるな
・金の貸し借りは絶対にするな
・お金を決して粗末に扱わないこと お金を前にすると、人間は変身をす  ¬_¬)ちらっ   
・借金は極力しないこと   (`´ゞ
・親しき仲にも礼儀あり、誰とも同じ距離を保つべし
・私生活は、奇麗にしておくべし  特に男女間に関しては、家庭内に持ち込まないこと
・生活は質素倹約を基本とすべし
・政治には最小限の接点にすること
まあ、明治時代の人は大体こんな考え方が8~9割であっただろう。
これを土台に『わが家の家訓』を制作中だ。これをやりだしたら、面白くて面白くて!     
  φ(._. )カキカキ 3(-ω-。)クシャクシャ (。-ω-)ノ⌒゜□ ポイ 〆(。。)
夫婦で共同作業をしておけば離婚の確率は低くなるだろうに?        (^_^)/~~
・・・・・・・・・
2004年12月02日(木)
 1339, 「酒乱になる人、ならない人」  ー 読書日記 -1
男なら一生のうちに何度か酒で失敗したことがあるはずだ。私も酒大好き人間として、何度
失敗したことか。大失敗をしても、数年もしないうちにまた酒の失敗を繰り返す。一番の敵を、
平気で口から脳に送りこむのであるから人間は馬鹿の生きものだ。酒で家庭を壊し、職場を追われ、
最愛の人にも愛想をつかれる。
 (字数制限のためカット 09年12月2日)
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 2003年12月02日(火)
972, ナレッジマネジメントー3
 ー「ベンチマーキング」と「ベストプラクティス」
 ナレッジマネジメントといえば、その手法として「ベンチマーキング」と
「ベストプラクティス」が頭に浮かぶ。
・ベストプラクティスとはー自社に比べて、優れた業務方法のことをいう。 
 他業種のよりすぐれた業務手法に多くのヒントがある。
・ベンチマーキングとは,ーベストプラクティスに学ぶ経営変革手法のことをいう。
‘解りやすく’いえば、「他業種のベストのモデルを見つけて、徹底的に真似ることである。」
‘難しく’いえば「系統的且つ継続的な測定プロセス。ある組織が業績を改善する為に役立つ情報を得る
ために、組織のビジネスプロセスを継続的に測定し、世界のビジネスリーダーと比較するプロセス」
 業界の内外を問わずベストなものとの比較を行うことによってギャップを埋め、現状を改善する有効な
方法である。
前向きなプラス志向の経営手法といってよい。
    ー以下は字数の関係でカット (2007年12月02日)
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598,八ちゃんの時代ー2
 2002年12月02日(月)
少年期までは今考えても、かなり刺激的な環境で育った。生後3ヵ月後に、長岡の東神田から大手通に帰って
きた記憶がある。もしかしたら父親の話の刷り込みかもしれないが。子宮の中の記憶のある人もいるとか。
お手伝いの背中におぶさっていたのも這い這いも憶えている。歩かされた時に面倒くさいと思った事も。
商売の真っ只中で育ったせいか、今も人ごみが好きである。スーパーや飲食店に行くのが異常に好きなのは
三つ子の魂百までだ。競合店がオープンすると偵察に行った、5歳の頃である。家族全員が毎日の売り上げに
一喜一憂をしていた。もう50年以上も昔のこと。今考えると当時は金色に輝いていた。
生きるのに必至の両親の姿がそのまま伝わってきていた。素晴らしい時を両親と共有できたのだ。兄二人の
死とその5~10年後の母の心筋梗塞の死線があった。これで母は死ぬんだと思った、しかし生き延びた!
2歳の頃に実家で更に新しい事業を始めた。その記憶が生々しい。ビル建設の完成まで住んでいた木造の家
の下に丸太を入れ、近くの公会堂の前の広場まで移動した。 完成するまでそこで店を開いていた。
建物の完成した引越しの日々が生々しい。コンクリトーと生壁の匂いと混乱の凄みを。
あの時代は皆が必死であった。
  1階は店,           2階が倉庫兼事務所、
  3階が自宅兼店の食堂と風呂、 4階が従業員の宿舎兼後方であった。
 毎日が戦争のような日々であった。