* 何か切ない下ネタ話
 改めて読むと、どれもこれも含蓄がある。遊びに要素「打つ、買う、飲む」で、
3つ同時は、人生行路の中で金も体力が持たなくなるため、一つに絞られるのが
自然の原理。特に女遊びの下ネタが何とも人間味のある味わい深いのが多い。
スナックやバーカウンター、居酒屋の女将とママは、如何に巧妙な下ネタで、
笑わす技術と持上げ方が人気を左右する。万人、一皮剥けば、助平で、威張たい
性質を持っている。 「ヤリマンは 清純派のフリをする」は、成るほど?
「ヤリマンは美人に多い」のは、需要が多いからですか。 口達者ではないが、
手先達者と、突刺すような一言が、効果があるというが… 

   〜ネット上の「下ネタ格言」より
「女の人は助平な人にはやらせるけど不潔な人には絶対やらせない」
「服装のどこかに崩れたところのある人が声をかけやすい」(プロのナンパ師)
「そもそも女ってSEXよりも恋がしたいのね」
「男には舌という武器がある。舌を使えばいつまでも現役」
「(イタリア男性にとって驚愕と恐怖の違いとは)驚愕は直後の二回戦ができなく
 なったとき、恐怖は一回戦ですら思うようにならないときの気持ち」
「変態というのは正常な人がやろうと思ってもできるものじゃない。
 変態というのは習慣ですから」
「音楽と下ネタは、自然と耳に聞こえてくる」
「見た目はヤクザ、中身は小4
 口から出る言葉すべてが下ネタ
 現代によみがえった相田みつを
「不倫は文化。手淫日課
「大学とチンコは、入るまでが難しい」
「約束とパンストは破るためにある。」
「遠い親戚より 近くのピンサロ。」
「親らしいことはしてやれないが、いやらしいことは何でもしてあげられる。」
「よく考えてみて。エッチした後で好きになるって可能性はないかな?」
――
<うちの姉ちゃんがスーパーでバイトしてた時の話
果物つんでる姉ちゃんにカコイイ兄ちゃんが近寄ってきて ささやくように
「ねえ、次の休みいつ?」
 姉ちゃんしどろもどろになりながら
「バッバイトしてんのは土日だけですっ」
 すると兄ちゃん3秒ほど考え込んだ後 口調を正して申し訳なさそうに
「すいません、お店の定休日を聞いてるんですが」>
 〜
<親父から「早く孫の顔が見たい」と言われたからズボンとパンツを脱ぎ、
 息子をぶらぶらさせながら裏声で「オジイチャン!」と言ったら殴られた>
〜〜
▼ そこで、いま、即興で考えてみた…
<母親から「早く孫の顔が見たい」と言われたから、スカート脱いで、
 娘を出して裏声で「オバアチャン〜!」と言ったら、唖然としたあと、
大声で泣かれた! 冗談が通らない相手と解ってはいたけどね〜!
以来、弟も、両親も、急に冷たくなってしまった! やりすぎた私! >
――
2018/10/17
読書日記 〜冴えたジョークは人生における立派な教養である
           『バーカウンターは人生の勉強机である』島地勝彦著 
   * 下ネタ・ジョークならシマジ
 あとに、開高とのジョーク対談の幾つかを
< 靴のジョークを一つ。
 ・ピカピカの革靴を買ったアントニオは、まるで魔法の革靴を履いたように
女にもてた。今夜はローザを誘って深夜のドライブに出かけた。Hな気分になった
彼は、ローザに素っ裸になるように促し、ことを始めたため、天にも昇る気分に
なり、運転を誤り、道端の木に衝突。ローザは外に放り出されたが、無傷。
アントニオは無事だったが、運転席に閉じこめられた。その先には丁度、ガソリン
スタンドがあった。彼はピカピカな片方の靴をかろうじて脱いで、ローザの大事
なところを隠して助けをもとめてくれと頼んだ。 ローザは片方の靴を股間を隠し
ガソリンスタンドに走った。『すみません。彼が出てこれなくなったのです』と
恥ずかしそうに言うと、店員のオッサンは驚きながら、股間の靴をみて言った。
『そこまで入ったら、俺には無理だな… 』 

・海で遭難して10年、無人島にいた男。ある日、彼は水平線の彼方に小さな点を
見つけた。その救命イカダの乗っていたのはウェットスーツの金髪美女。
『あなた、この島で何年も煙草を吸っていないの?』
『10年だよ』と男。女はポケットから煙草を取りだして与えた。
次に彼女は『シングルモルツを飲まないで何年経つの?』。『10年だよ』
男は「美味い!」と叫んだ。
今度はジッパーに手をかけ、妖艶な微笑みを浮かべて問いかけた。
『男の本当の愉しみを忘れて何年経つの?』 男は歓喜の表情を浮かべ叫んだ。
『まさか… 、そこにゴルフクラブを入れてきたのか?』

・女が行きづりの男と一夜明かすことになった。
コトが終わったあと、女が男をバカにする口調で言った。
『あなたのセックスはお粗末だわ』 男は憤慨して言った。
『なんだと! 20秒でおれのことが分かるわけがないだろう』

▼ ジョークだけは、通じない人には「茹でてない乾麺に醤油をかけて、
 そのまま差し出された」ようなもの。会話の楽しみには、ジョークの舞台と、
登場人物のイメージを、互いに差し出し、受け取る感性が必要となる。
内的素養は、長年かけておかないとカラカラの萎びた感性になってしまう。

――――
2666, 結論で読む人生論 ー2
2008年07月23日(水)       
 「結論で読む人生論 ―トルストイから江原啓之まで」勢古 浩爾 (著)
                            
   * ー三十年ぶりの、今東光の毒舌ー
 順不順でなるが
{第6章 人生の価値、人生の意味ーなにはなくともこの糞坊主ー今東光
が面白い。 久しぶりに今東光の毒舌にお目にかかった。亡くなって30年
近くも経つだろう。
  ーまず、その部分ー
【 人生なんて、そんなにむずかしいものか。じつにさまざまな考えがあって少々、
食傷気味である。もしかしたら、人生論が人生をむずかしくしているのではないか。
たしかに人生には山があり谷がある。悲喜こもごもである。
だが結局、生まれて、生きて、ただ死ぬだけのことではないか。どう生きるかは、
それぞれの計らいでいいではないか。ここまで見てきたさまざまな人生論はあまり
にも近寄りがたいし、荒唐無稽すぎるし、立派すぎる。もっとスカッとしたものは
ないのか、とお嘆きのあなた、これがあるのだ。その男が生存中は、なんだ
この濁声の坊主は、と多少の反感を持っていた。が、わたしはいまでは今東光
尊敬している。そう、今東光和尚である。聞いていただこう。
 *「正しい人生」とか「何とかの人生」なんてものはないよ。本人にとっての
人生しかないんでね。自分にとっての人生しかないんだ。おめえが十八なら、
「十八の人生」というものしかないよ。それしか、オレは言いようがないね。
(略)だから、自分にとっての人生で、自分が、これが正しいと思って闘って、
勝つか負けるか、これだけだよ、人生なんて。──『毒舌身の上相談』集英社文庫
 *「バカ正直だと損をする。もっとずるく悪賢く立ち回れ」なんてよく人が言う
けど、その言っている野郎が、ずるく悪賢く立ち回って成功しているかっていうと、
絶対にそうじゃねえんだな。 そんなのはダメなんで、真実火の玉になって人生を
渡っていって、社会にぶつかっていくんじゃなけりゃあダメだよ。人がよすぎて
結構じゃねえか。そんなタワ言ぬかすような野郎なんぞ相手にするな!─同書
 *「人生始めたばかりでスランプに落ちたら、死ぬまでスランプだぜ、馬鹿野郎!」
「おめえみてえな野郎は一生、女を本当に愛することができねえよ。女を捨てて
自慢してるような野郎は、人間の屑もいいところだ」
「そんな夢みたいなこと考えてねえで、てめえのキンタマのフクロのシワでも
のばしてた方がよっぽどましだぜ、この野郎!」。 ──『極道辻説法』集英社
 *二十三歳の学生が近所の中三の女学生の家に半年間、毎日毎日いたずら電話
をかけた。どうしても彼女に自分が好きだということを知ってもらいたい。
おれはどうしたらいい? 自首すべきだろうか、という質問に対する傑作回答
「自首するより死んだ方がいい。悪いことは言わん。死にな。23歳にもなって
そんな電話かけたりするバカなら自首するより死んだ方がいい。自首すりゃあ、
恥をかくからね。恥かくより死んだ方がいいよ。切に自殺をお勧めいたします。
                      ──『毒舌身の上相談』 】

後記)「死にな」がいい。「悪いことは言わん」「お勧めいたします」がいい。
 現在、これだけのことを言ったら「馬鹿たち」に袋叩きにあう。だから誰も、
こういうことはいえない。だから懐かしいのである。今東光が現在の若者、特に
負け組みといっている連中。
◎ 私が今東光に変わって言ったとしたら、こうなるだろう。
「この馬鹿野郎が!何が負け組みだ。そうしたのは御前自身だろう。
何が格差社会じゃい笑わすな。 手前に能がないのさえ自覚しないから、
   能がないままにしてきたのだろう。 知恵を使え知恵を。その程度のことは
幼児でも使っているじゃねえか、馬鹿野郎。知恵が無いとぬかすなら、足と手を
倍以上使え。御前に覚悟も知恵も無いことを自覚もしてねえで何が格差だよ。
いいじゃねか、格差も。もし、格差をつけられたと思っている連中、あんなもの
ゴミみたいなものじゃ。御前よりはマシぐらいだよ。そんなことより、知恵を
使え知恵を、この馬鹿が・・・」 てな具合になるか。    ーつづく

――――
2667, 結論で読む人生論 ー3
2008年07月24日(木)
 今東光の毒舌が、この本に次から次へと出てくる。今度、図書館に行って
この本を借りてくるつもりだが、これを読んでおけば充分? とにかく、面白い。
何で面白いか? 悩みなど言っていられるのは可愛いいだけ。自分を、くそ坊主
と割り切れば、「所詮は悩みなど欲と嘘の織り成す妄想」と割り切って、好き放題
いえる。自分を、くそ坊主と自覚できるかどうかが分かれ目になるが。
  −ー
≪ 「眠れないんだったら、眠らなけりゃあいいじゃねえか」
 「別のブスを探しな、おめえの顔に合ったよ」
「手のつけられねえほど愚鈍であるよ、てめえという男は!」
「てめえがみじめそのものなんだよ」
「生意気なこと言いやがって。親のスネ齧りのくせして、チンポだけ発達してやがる」
「バーカ。そんなこと、医者に聞けばいいじゃねえか。オレがわかるわけねえだろう」
「ぶっ殺してやりたいよ」
「何とぼけてんだよ、こん畜生は!? 何のために兄貴に生まれたんだ!?」
「けったくそ悪いガキだぜ、てめえも」
「バカか、てめえは」「張り倒すぞ、この野郎!」
「人生で一番大事なものは、あくまでも正直であり、誠実であり愛情であるんだ」
「愛のないような人間は人間のクズでな」「ひとりの女を不幸にするよりは、
 てめえが不幸になる方がいい」。

極めつけは、これ。
「おめえは一人のいい女を見つけたら、それにひれ伏すような謙虚な気持ちに
 なれ!そこから出発するんだ。恋だの愛だの言う前に、まず己を空しゅうして、
 謙虚になってひれ伏す。愛する人の前にひれ伏すという気持ちにならなければ、
 女を愛することもできないし、女にも愛されない」。 
「自分(人間)はどうして生きなければならないのだろうか?」の21歳学生の質問。
・利いた風なことをいう者には東光は容赦ない。
「バカとちがうか、こん畜生は? 生きているのに“生きる義務”もねえもんだ。 
 いやならとっとと死にゃあいいだろう。そんなこっていっぱし物を考えていると
 思ってるのはバカだよ。生きるのは何も義務でもないし、運命でもない。
 オレたちは命のあるだけ生きるだけのことだ。努力によって生きてるわけでも
 ありゃあしねえ。それでどうせ死ぬんだとか、あとには何も残らねえとか、
 そんなくだらねえことを若い身空で考えてよう。たしかに残らねえよ、おめえ
 みたいなバカ者は!その生きる義務とやらをさっさと放棄して死んじまえ! 
                          ──『極道辻説法』
・おなじように、「人生ってちっとも面白いと感じたことがない」に、
「つまらなかったらさっさと自殺していいんだと思う」十九歳の学生に。
「自殺より、最初に人生についていうと、全部の人間に聞いてみな、『おまえの
 人生、つまってるか?』って。みんな「つまらねえよ」って言うよ。そのつまら
 ない中で、どうしたらつまるか、つまり、つまるものを見出していく発見だ、
 この能力を養わなかったらどうにもならねえんだよ、人生は。どこへ行ってても
 つまるものを発見するという能力をまず養う。能力というより、そういう努力
 をするということだ。(略)それでもつまらなかったら、さっさと死んじまえ。
 オレは別にとめやせん。生きてる意味を放棄したんだから、勝手に死にゃあ
 いいさ。」 ──同書
最後に、「死んだらどこへ行くのか?」という十八歳の学生へ。 
「そんなことわかるかい!」。  ≫
 ーーー
これを読んでいると、悩むのが馬鹿馬鹿しくなる。言葉は何時までも残るという
のが解る。本当に言葉は大切だ。その中に感情と理性が入るからである。 
最後は人間性ということだ。

・・・・・・
3558, 「プレイボーイの人生相談 1966-2006」
2010年12月22日(水)
         「プレイボーイの人生相談 1966-2008)
 まずアマゾンの内容紹介から :真の教養人による人生相談の最高傑作!
古くは柴田錬三郎今東光開高健、最近では松本人志リリー・フランキー
など錚々たるメンバーによる、時代は変わっても決して色あせない珠玉の人生訓
や哲学を集めた記念碑的1冊!
ーー
いや、面白い本を図書館で見つけた。どのページをランダムに開いて読んでも、
ニヤリとさせられる。やはり、まず見るのは今東光である。べランメイ調で
甘っちょろい若者の悩みを切って捨てている。
  * つまるものを探せばいい
● 質問:
≪厭世主義つていうのか、オレは人生っててちっとも面白いと感じた
ことがないんだ。よく「自殺は敗北だ」なんていうけど、つまらない映画
だったらさっさと途中で出ていっても敗北でもなんでもないと同じで、人生
だってつまらなかったらさっさと自殺していいんだと思うけど、これでも
やっぱり「人生に負けた」ことになるんですかね。
 ー死ぬのは平気なんだけど負けるのは大嫌いな男より。≫
● 解答:
≪自殺より最初に人生についていうと、全部の人間に聞いてみな、
「おまえの人生、つまってるか?」って。みんな「つまらねえよ」って言うよ。
 そのつまらない中で、どうしたらつまるか、つまり、つまるものを見出して
 いく発見だ、この能力を養わなかったらどうにもならねえんだよ、人生は。
 どこへ行ってもつまるものを発見するという能力をまず養う。
 能力というより、そういう努力をするということだ。織田信長がある日、
 手をたたいて人を呼んだ。おそばの小姓が「ハイッ」と入ってきて、おじぎ
 して「ご用は?」「なんにもない。帰れ」。またポンポン……。
「ご用はっ?」、何人来てもみんな「帰れ」そして「帰れ」。そうしたら最後、
 森蘭丸が入ってきた。信長がじっと見てたら、すっと来て、おじぎをする前に、
 小さな糸くずが落ちているのに気づいた。それを指でつまんでから
「何のご用でございますか?」。「呼んだのは、その糸くずを拾わせるためじゃ」
 これで信長は、「蘭丸というやつは注意深い、偉いやつじゃ」というんで
 登用した。他のやつはみんな落第よ。信長ばかりじゃない。会社だって、
 学校だって上役、先輩も全部、やはりそういう人間を要求してるんだ。
 それ考えりゃあ、つまらない人生もつまるようにできる。オレも「坊主の世界
 はつまらん、つまらん」とも言ってるけど、つまるようにいつでもやってる
 から、忙しくて面白くてな、愉快でたまらんのだ。それでもつまらなかったら、
 さっさと死んでしまえばいい。オレは別にとめやせん。生きてる意味を自分で
 放棄したんだから、勝手に死にゃあいいさ。 ≫

▼ 独り遊びが出来れば、人生は面白いはず。その代表的なのが読書。 
 最近はTV、パソコン、屋外スポーツがある。