つれづれに

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 SJ通いの御蔭で、腰痛は成りを潜めているが、寒さもあってか、
あわゆい感じがする。一週間前から、早朝のチャリ散歩は、中止して
いるが、これもある? でも、何とか過ってのような痛みは出てこない。
 また、一年前から飲んでいる栄養剤の『セサミン』の効果もある。





・・・・・・

3904, 精神力ーその偉大な力  ー5
2011年12月03日(土)
  * 決意の力は魔力のよう
 何かをなすに、まず決意が最重要。決意が出来ないため、乱れた心や、
乱れた事態が身の回りに起こるのです。そのためには、熟慮を早々して
合理的前提から決意をすること。エマソンの言うとおり「人間は生命を受けた
宇宙の一片」である。人間は己にめざめ、己を自覚する宇宙の一片である。
その一片が、大生命力を表現したいのである。・・・
<人は、どんな事態にも正しい抜け道がある>
<どんな事態にも解決がある> そう信念として持ち、行動すればよい。
そのために、何が正しく、何が正しくないかを見極め、一度見極めたら、決意
をすることである。ソクラテスは「善き人に起きることは、常に善きことです」
「善き人には悪は来ない」と言い、ダビデ王は「正しき人は見捨てられない」
と言った。・・ もし私たちの知るよりも、いっそう高い水準の正直さと高潔
さを持って行動し、自分の側だけでなく、相手の側も考えるなら――そして
正しい決意や、積極的信念や、同情や、愛を経て、大生命力が善のみを渡して
くれると知るならば―その時は必ず正しい結果のみが続いて起ってくるもの。
  * 成功も失敗も、精神がつくる
 精神ー信念の、あの無限の素質を使うことができる唯一の場所は、私たちが
思考するところ。その思考の力は、マイナスに働く傾向が強い。そこで、自分を
深くみて、その奥の無限の素質や能力の泉を見い出せば、マイナスを乗り越える
ことが可能になる。そのためには、正しさを見極め決意すること。
マイナスの雑草を抜き取り、新しいタネを蒔かなければなりません。
▼ 迷いに迷っていたことが、最後の最後に決意した時に、それまでの迷いが
ス~ッと消え去っていく経験は誰も持っている。決意をしてしまえば、後は、
それまで障害と思っていた事態の解決のための手段を探す手順になっていく。
それでも、その見極めが甘く間違った方向に踏み出すことがある。その時、
結果が悪魔のように襲ってくる。それでも考え尽くした後で、自分の勘の命じる
決意の通り歩むしかない。決意の成否の重要さを知るほど、事前の調査など
準備の必要性が分かってくる。決意のためには考え尽くさねばならない。
そのことが重要になる。それでも失敗がある。

・・・・・・
3539, 価値観の中心の書き換え
2010年12月03日(金)
  * 人生の転機
 なかなか面白い人生に出会った。「価値観の中心の書き換え」の話である。こういうことに人生の
早い段階で気づいて、転進する人もいるのである。凡人には出来ないこと。父親の存在もあるのだろう。
多くの矛盾した気持ちもあったろうに・・・
【 ジョン・ウッドは大学院を出て九一年から七年間、マイクロソフト社で猛烈に働いた。
人が羨むような多額の報酬を得ていた。広くて快適な部屋、運転手つきの車、制限なしの出張旅費。
そんな男が初めての長い休暇をとりネパールにトレッキングにやってきた。偶然、ある村の小学校
を訪ね、図書館はあるものの本がまったくない現実を知った。ネパールの非識字率は七〇%である。
子どもたちは勉強したくても教材がない。ウッドは自由に本を読めた少年時代の自分を振り返って
身につまされ、先生と子どもたちに今度来るときは本を持ってきますね、と約束した。それが始まり。
 仕事に見合う報酬はもらっていたが、つねにプレッシャーとストレスがあふれていた。
「墓に入ったら好ぎなだけ眠れるから」と、自分に言い聞かせていた気もする。でも七年間ずっと、
ある疑問を感じてもいた。これが人生のすべてなのだろうかー働けぽ働くほど稼げるということだけが。
僕は企業戦士の特殊部隊として生ぎる道を選んだ。休暇はとりたいやつがとればいい。
本物の戦士は週末も働き、航空会社のマイレージを何万マイルも貯めて、拡大しつづけるマイクロ
ソフト大国で自分のミニ王国を築く。忙しいと文句を言うのは、会社の将来を考えていない証拠。
マイクロソフトでは出会えなかった天職』ジョン・ウッド・ランダム八ウス ウッドは友人たちに
本集めに協力してもらい山のようなメールを送った。徐々に本気になっていった。やりがいを覚える
ようにもなった。一年後、四四〇キロの重量の本を持って、ウッドは父とともにネパールに帰ってきた。
学校では歓迎式典が準備され、感謝の言葉と笑顔に迎えられた。 カトマンズの僧院で自問する。
鐘が鳴り、数秒間の沈黙が流れた。そして三〇人の修道僧が、のどを低く鳴らしてお経を唱えはじめた。 
暗がりのなかで数百本のろうそくが揺れている。僕の心のなかは、平穏どころか大混乱していた。
二つの強い力が正反対の方向に引っぱり合っていた。マイクロソフトは僕を昇進させ、二日後には
いつもの生活に戻らなけれぽならない。でも反対側では、僕にとっての優先順位が急激に変わりつつあった。
数百万人の子供が本を読めずにいるというのに、台湾で来月ウィンドウズが何本売れるかということが、
本当に重要なのだろうか。ネパールの子供一10人中7人は生涯読み書きができないというのに、香港の
電子商取引ビジネスで先手をとろうとか、中国の海賊版対策に力を入れようとか、そこでウヅドは
マイクロソフトを辞めて、この仕事に従事する決意をする。 ふつうではちょえられない決断である。
・・・これは価値観の中心に置かれたものの書き換えである。人によって価値観の中心に置かれたものは
さまざまである。その周縁にもいろいろな欲望が分散している。しかしウッドの価値観の中心が「成功」
から「奉仕」へ入れ替わったのだ。かつて不動の神として中心に鎮座していたものは周縁に吹き飛ぽされた
のである。ウッズはまったく新しい価値観、人生観、使命感のなかで生きはじめたのである。
人にはこういうことが起こりうるのだ。何百年前の欲望と基本的には大差ないという気がする。
現在の「成功者」たちの到達点は、死ぬまで金の心配をすることなく、遊んで暮らすことである。
現在でも事情は変わらない。小さい家を大きく広くし、車1台を10台にしてだけである。
2泊3日の小旅行を三〇泊三一日や半年間の海外旅行にしただけである。その差が大きいのだ、と
いおうというまいと、大差ない。満足度にも楽しさにも、大差はない。】ービジネス書大バカ辞典ーより
 ー以上だが、人生の転機を自ら見出しえた男の物語である。決して恰好が良いことではないが、本当に
喜んでくれる人達のため、捨て身で人生を投げ打つ覚悟は、並大抵ではない。逆にいえば、それだけ仕事の
プレッシャーも大きかったのだろう。それと、価値観の中心が、[成功」」から「奉仕」に変わったのである。 
それにつけても己の卑小さ!を教えられる。
 ・・・・・・・
3164,「物語」と「小説」
2009年12月03日(木)
  「物語」と「小説」の違いは?をネットで調べたら、
・「小説」は“文字によって記述された「物語」”と定義。「物語」は―古老が話す口伝や、
御伽噺などのなさまざまな形式などの“おはなし”。その違いは“その<おはなし>を伝達する
手法が、文字表現に限定されているか、されてないかにある。
・ 基本的には、物語は「出来事の連鎖」によって成り立つものを指す。 聞き手の
「それからどうした、それからどうした」という欲求をみたしていく性質を持っている。
一方、小説の概念は近代以降のもので、単に出来事の連鎖に止まらず、出来事と出来事の間に
相関的な意味のつながり(因果関係)が存在するように書かれたもの、といわれる。
  ーー
 以上だが、脚本家の山田太一は、その違いを
≪「誰かから聞いた課は忘れたが、『小説には人生があり、物語にはない』という定義が頭に
残っている」とある。「シンデレラ」や「白雪姫」が人生を語ってない、とはいえない。しかし、
物語は人生の細部の現実を語ってはいない。その代わり、ありそうもない話の楽しさがあるし、だから
こそ込められている寓意も、端的な人生の要約もある。一方、小説は「ありそうもない話」も、人生の
細かな本当を積み上げて「ありそうな話」にしてしまう装置である≫と述べている。我われは何らかの
カタチで自分の物語を持っている。それを文章にすると私小説になるが、とすると、山田太一の言うことは
微妙に違ってくる。 誰にもそれぞれの人生があるからだ。そして、そのストーリーは、聞く人を惹きつける。
10年前のことだが、80半ばの叔母が亡くなる少し前の法事の席で、《 私が一番悲しかったことは、戦時中に
一歳の赤ちゃんを死なせたこと。医院から死んだばかりの背負ったいる赤ちゃんの身体の温みが無くなって
いくのが分かるの。辛かったわ! 》
彼女の一番辛かったことを最後に物語りかったのだ。 その悲しみが、そのまま伝わってくるようだった。
小説家は、そういう事実を重ねて小説を構成していくから、虚構の世界に引き込まれるのである。
・・・・・・・・・
2799.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・8
 2008年12月03日(水)
【第7の法則】 何もしないことこそ、最大のリスクなのだ。
「みんな自分より賢いんだ。みんな自分より才能がある。みんな自分より背が高い。みんな私より髪の毛の色
が綺麗だわ。みんな私より可愛いわ。 みんな自分より運がいい。みんなコネをもっているけど自分にはない…
一番大切なことだが、自分の中でそんなささやきが聞こえてきても、聞いてはいけない。恐怖から生まれる弱ゆ
わしいささやきにすぎないのだから。'それよりも、愛情、他人に対する思いやり、そして他人と助けあう気持ち。 
そういうことを忘れずに、本当に自分が興味ある道を進んでいくのだ。自助努力という強い信念をいだいて。
ただし、成功と失敗を人生の尺度にはしないこと。そうすれば、本当の意味で誇りをもつつことができるように
なるはず。                       ニール・サイモン          
 (字数制限のためカット 2010年12月3日)
・・・・・・・・
2007年12月03日(月)
2434, 絞首刑 -1
 〔命の書〕「ビルマの日々」の中の一遍 『絞首刑』(G.オーウェル著)より         
死刑執行をリアルに書いてある本である。 そして執行する側の神経の麻痺、残酷さが恐ろしい。
行間から執行する側の微妙な心理が生々しい。何らかのカタチで「事実は永遠に残る」というのは肯かされる。
こういう瞬間こそ、「いま、ここ」の永遠性というのか。 オーウェルの、こういう切口は鋭く哲学的である。
どんな哲学者の「死についての考察」より余程、考えさせられる。 次々回は中島義道著「哲学の教科書」
の中の死刑直前の手紙を書き写してみる。 死の直前は、生の凝縮された時間になる。
  ーまずは、その部分を抜粋ー                 
 われわれは五ヤードはなれて待機していた。衛兵たちは円を作るようにして絞首台のまわりに立っている。
やがて縄を首に巻かれた囚人は、自分の神に向かって大声で叫びはじめた。「ラーム、ラーム、ラーム、ラーム!」
甲高くくりかえされるその声には、祈りとか助けを求める叫びのような切迫したおびえはなく、むしろ葬式の鐘
の音のように落ちついてリズミカルだった。この声を聞くと犬はクーンと鼻を鳴らした。まだ絞首台の上に
立っていた首吊り役が粉袋のような綿の小さな袋を取り出すと、囚人の顔に上からグイとかぶせた。
だがあの声は布袋をかぶされても、まだくりかえしくりかえししつこくつづいていた。「ラーム、ラーム、
ラーム、ラーム!」 首吊り役が下に降りて来てレパーを握り、待機した。何分もたったような気がした。
「ラーム、ラーム、ラーム!」という囚人のこもったような声は、一瞬もやむことなくしつこくつづいている。
所長はうつむいたまま、杖の先でゆっくり地面を突ついていた。囚人がきまった回数だけ数えるまで、待ってやる
つもりかも知れないー五十回か、百回か。全員が顔色を変えていた。インド人たちはひどいコーヒーのような
灰色の顔をしているし、銃剣にも一、二本震えているのがあった。われわれは絞首台の上の、縛りつけられ袋を
かぶせられた男を見ながら、じっとその叫びを聞いていた。一声でまた一秒、命が延びるのだ。誰もが同じこと
を考えていたー 
えい、早く殺しちまえ、すませろ、あの忌まわしい声を止めるんだ! とうぜん、所長は意を決した。 
彼はぐいと顔を上げて杖を一振りした。「チャーロー!」その叫びには獰猛な響きさえあった。 
ガタンと音がして、しんとなった。囚人の姿は消え、ローブが勝手に捩れ続けていた。わたしが手を放すと、
犬はまっすぐ絞首台の裏側へ駆けて行ったが、それきりそこに立ち止まって吠え、こんどは庭の隙までさがって
雑草の中にひそんだまま、おそるおそる首をのばしてわれわれの方を眺めた。われわれは囚人の死体を確認
するために絞首台のうしろにまわった。彼は爪先をまっすぐ下に向けて石のように息絶えたまま、ひどく
ゆっくりと回転していた。・・・・・
  (字数制限のためカット 2010年12月3日)
・・・・・・・・・
2006年12月03日(日)
2070, 書画骨董の話 -2          才八∋ウ_〆(∀`●) 
「画の六法」は絵画だけでなく、仏像や、壺、茶碗などにも当てはめることができる。
気韻生動の一番わかりやすいのが、人物画や鳥獣画である。特に 「目」 である。
爛々と輝いている眼に出会うことがある。獲物を狙っている鷹の眼光を発するような眼や、虎の眼である。
仏像の優しい慈愛に満ちた眼もよい。幽霊の眼も背筋が凍り付く深い眼差しもある。
眼に焦点を合わせてから全体をみるのも良いし、全体をみてから、眼をみるのもよいだろう。
活きた眼はなかなか画けるものではない。眼は唯一露出された内臓である。
「眼は口ほどにモノを言い」という諺がある。「人の心はみえる」とは、眼のことをいうのだろう。  
他に、中国画独特の遠近解釈「三遠」があり、中国画の画風の基盤になっている。
高遠(カユゥエン)  ‐ 空高く見上げろ (上空空間)
深遠(サンデュエン) ‐ 空間を奥深く見通せ(物体空間) 
平遠(ピンデュエン) ‐ 地の下面から、地平線まで見通せ(床面) である。
書画を見るとき、このような見方をすればよい。 茶碗の世界も奥深い!茶道に興味がないと、あまり縁がない
だろうが、一流品の茶器全体が醸しだす雰囲気は、人を虜にする。 素人でも自分で焼くところまでいってしまう
人もいる。書画骨董品には、その背景の深さ広さー宇宙を直感させる魅力がある。そして現実社会を忘れさせる。
一つの物体のなかに、過去の因縁が、エネルギーが凝縮されているからだ。その中味を解る人は解る。 
解らない人には、ただゴミでしかない。その人に、その作品を理解できるだけの素養がなければならない。
ゴミにしか見えないのは、あなたが(自分が)ゴミ程度の知識しかない! ということである。    
対象はみる人に話しかけているのである。わからない人は、その波動がわからないのである。 
ところで両親の残した書画骨董は、兄が全て兄が引き継いだが、ぜんぜん興味が無いのは如何いうことだろう?
美術館で世界の超一流品を見て感動していれば良いだけなのに、何で持たなければならないの?というのが実感。
そういえば、1週間ほど前に、新潟駅前の敦井美術館の「良寛展」で、「良寛」の書画をみてきたが、すばらしい。
あの教養どうして身につけたのだろうか? あの書の力強さ!そして品格!しばし見ながら立ちすくんでしまった。
来春なったら、五合庵にでも行ってこようか!
 ・良寛の歌・
◆「焚くほどは 風がもて来る落ち葉かな」 ◆「騰々として天真に任す」
◆「霞立つ長き春日を子供らと 手毬つきつつ今日もくらしつ」 ◆「裏を見せ 表も見せて散る紅葉」
◆「淡雪の中にたちたる 三千大千世界(みちあふち)またその中に 沫雪(あわゆき)ぞ降る」
              \(^▽^*)バイ! 
  ・・・・・・・・・
 2005年12月03日(土)
1705, 国際結婚が東京で 10パーセント!
 一昨日の読売新聞一面の『家族』-国際化時代のきずな・1ーの見出しに 
ー国際結婚が20組に1組ー と出ていた。
  (字数制限のためカット 2010年12月3日)
 ................ 
 2004年12月03日(金)
1340, 「酒乱になる人、ならない人」   -読書日記-2
 酒乱の一現象としてのブラックアウトのエピソードの記述の部分を抜粋してしてみる。
  まさに「事実は小説より奇なり」を地にいくものである。
ー抜粋ー
狐憑き」になったアルコール性幻覚症の話があります。伊豆の旅館の番頭をしていた人ですが、もともと大酒
飲みで仕事をしながらチョコチョコ酒を飲んでいたそうです。年も押し迫った大晦日の前日のことです。突然部屋の
中にキツネが見えたそうです。それも一匹でなく数匹もいて自分のまわりを飛ぶ跳ねていて、部屋の外に出て行った。
その番頭さんは何故かこのキツネに自分を呼んでいるように感じ、雪の中に出て行った。その後について追かけて
いくと、天城山の中腹の神社にいたそうだ。その灯篭の後ろから隠れて、おいでおいでをしているように見えたそうだ。
二つある灯篭の一つに行くと、今度はもう一方の灯篭からおいでおいでをしている。ふと気がつくと、キツネは
道路の向こうからおいでおいでをしている。番頭さんはどこまでもついていき、電車に乗ったらしいのですが、
その一週間後に川崎で見つかり、不審人物として警察に連れて行かれたそうだ。本人によればそのときもキツネを
追かけていたそうだ。このようにアルコール性幻覚症もひどいものになると一週間を超え期間、幻覚が続くことがある。
酒乱はやはり一種の病気と考えてよい。酒や麻薬は人工的に快感を人間に与える。何の苦労なしで快感を得るという
ことは、必ずその代償がくる。この快感が「依存症」という恐ろしい病気と裏腹になる。
ー以上であるが、考えてみたら、酒は一種の軽い麻薬である。それが体や脳に良くないわけがない。
 (字数制限の関係でカット09年12月3日)
・・・・・・・・・
2003年12月03日(水)
 973, 「永平寺
ー以下、字数の関係でカット(2007年12月03日)
ーーーー
2002年12月03日(火)
 599, 忘年会
開業の年から毎年行われている会社の名物が忘年会である。昨夜がその忘年会であった。社内中心の新年会も
あったが6^7年前からは行われてない。 とにかく盛り上がる。大体50人前後が出席する。若い女子社員を
先頭に一次会では座敷ゲームが行われる。そのゲームでとにかく酒を飲ませるのがミソの様だ。そこで最高潮になる。
今年のように大不況でも盛り上がりは最高潮だ。 お客さんがだいたい7割を占める、ほとんど人が営業か営業経験者
の為、遊び上手でうまく盛り上げてくれる。昨夜も最高潮に盛り上がった。毎年その日にボーナスを出すので、社員も
気持ちが盛り上がっている。とにかく若い人のエネルギーがよい。時代時代により色々な忘年会の思い出がある。
急性アルコールで入院した人もいる。この忘年会で初めて年末の到来を実感する。過去に書いた文章をコピー
しておきます。
ーー
0905  宴会好き!
  (字数制限の関係でカット09年12月3日)
ーーーーーーーー
[255] 税務捜査
 2001/12/03 07:51
二年まえの9月の初め頃突然税務署に踏み込まれた。基本として脱税はしない方針できた。
たまたまその年、広告塔の150万を看板として、20万以下にして分散し経費にして落としたのが指摘された。
200万近くもっていかれたが。皮肉なもので、たまたまその年、その一件だけ小手先を使ってしまった。
ある朝自宅に二人、事務所に二人、そして各ホテルに一人づつ合計8人が10時に踏み込んできた。
その瞬間私は刑事事件の‘被疑者’と同じ扱いである。 机の引き出しを全て開けられ、手帳もすべて押えられ
その内容を聞かれる。三日間会社に監禁状態!(夜はもちろん開放されるが)昼飯に食べに出ても何気なくつけられる。
その位しないと脱税は指摘できないだろうが、それなら「脱税をしなくては損だ」と思うくらい、疑ってかかる。
自宅も刑事と同じように、調べあげる。もし脱税をしていたら、絶対にごまかしは無理。
それより腹が立った。そこまでやる!というまで非人間扱いである。別に悪い事をしているわけでないのに、何故
そこまでと思う。感情が許さない。その日は酒を飲んで荒れ放題であった。それがなければ広告塔の件は、指摘され
ないで済んだ。たった一件のそれをフォローしていたと思うからだ。銀行の貸金庫はもちろん、取り引き銀行
全て行って調べ上げる。最後は間接的に褒められた。一つ指摘されたにかかわらず、他は全く潔癖だったからだ。
初めてついた会計士の言葉が納得のいく言葉であった。「節税はいい!但し脱税はやらないように。
結果として同じ事だ。脱税の方がむしろエネルギー使う。それならやらない方がいい」
それを信じてそのとうりの方針できたが、ここまでやるなら基本から考えてしまう。ところがその数ヶ月後に学生時代
の九州の友人が遊びに来た。飲食店を数店経営をしていて、税金を払った事がないという。こと税務署の話になると目の
色が変わるのだ。、逃亡者のような生活をしているという。恐れかつ怯えているのだ。それなら払うものを払えばと思った。
それにしても8人の税務署員に踏み込まれるくらいに見られたのか。信じられない。何事も経験だ!私の家内の叔父さん
国税の査察をしており、以前面白おかしくその話を聞いていたが、自分がね!というところだ。
ーーー
ある時間の断片ー1968年 12月3日
11時起床。
食事後、13時から2時間勉強をする。夕方風呂に行く。その後、同級の井上のところに電話をする。
パーティーが8日から15日に延期。清田さんに電話を約束どおりにする。「行く予定だった、15日は
行けない」とか。
 (字数制限のためカット 2010年12月3日)








2011年12月02日(金)





 この年齢で昔読んだ本を読み返し、書評を書いていること自体が奇妙である。精神論というと、現代では怪しげに思ってしまうが、
それを信念と置き換えて考えると、違ってくる。人は、それぞれの信念に従って生きている。問題は、それを前向きの思考にするか、
どうかである。世の大部分が、後ろ向き人である中で、よほど強固なベースがないと大勢に流されてしまう。そこで、一歩二歩
離れるか、孤独の時間を確保して自分の信念を守らなければならない。 信念という言葉には語り尽くせないほど奥行がある。
  * 信じることの魔術
 信念を変えることで体験の世界が変わります。信念は本人の精神の一つのあり方です。
大生命の力を信じなさい。大生命を見ることが出来ないし、信念も見えないが、それを通して行うことは見えます。
確証を見ることは出来るのです。信じることを前向きなことに使うことこそ鍵がある。
  * 人生の四つの基本
・ 第一は、大生命力すなわち【神】の善さ、完全さ、信頼性、敏感さなどに積極的信念を置くことです。
 知性的で善良な愛の生命力が、あなたをこの世に送ったのです。大生命力は悪いのではなく善いということに気づくべきです。
・ 最二に、自分が偉大な【人間】であることに気づくべきである。神性を持つ持つ大生命力が人間として個性化して、人格化して
 人間というものが出来たと認めるべきである。自分を下等と思えば下等に行動し、他人もあなたを下等と思うでしょう。
 しかし、自分が大生命の化身と気づけば、その能力が、あなたの自由になるのです。
・ 第三に、運不運という、あらゆる信仰を捨てて、大生命力の【法則】に従って行動すべきです。大生命力の流れの中に、
 みずから新たな原因を注入し、自分のために新しい思想を受け入れ、新しい体験を持つことを信じるべきです。
・ 第四に、人格の【不死】を信じなければならない。他界しても自分は生きていると信じなさい。これは実用的です。
 そう信じて行動すると、目の前の難問が何時か解決すべきことでなく、今すぐに解決すべきことになる。
 この四つの基本的なこと―神、人、法則、不死―に、積極的な信念を置けば、何に対しても否定的な信念を持つことがなくなります。
▼ 基本の一つの【法則】と中村天風の説と、ほぼ同じ。 積極一貫こそ、人間を宇宙の進化に従って生き、発展する術。
 積極的な前向きな信念に一つまとまり塊になって一つの方向に歩くことこそ、人間の健全な姿。精神力=信念を自分の帆にして
 人生に吹く風を利用し堅実に前に進めばよい。 当時これらの精神論が極限の中での道標となり心を支えていた。 現在は哲学?
 ・・・・・・・
3538, メビウスと、自・他
2010年12月02日(木)
  * 他人とは何か
 池田晶子の「自分の内側と、その対比としての他人」についての考察がよい。
 「14歳からの哲学」の『他人とは何か』で、以下のように述べている。
【「自分が存在しない」ということは「ない」ということも、先に気がついたことだったね。だから、やっぱりすべては存在するんだ。
 存在しないということはなくて、世界も他人も存在するんだ。 すべてが自分として存在するんだ。なぜなら、自分でないものが
 存在するということはないからだ。「他人」なんてものは存在しないと最初に言ったのは、この意味だ。 他人の存在を認めないとか、
 世界には自分しか 存在しないとか、そんな子供じみたこと話をしているんじゃない。これは本当に深くて、本当に難しい話なんだ。
 これも、ここだけの話だけど、このレベルの議論についてこれるのは、本当に少数だから、君は、そういう大人を目指せばよい。 
 ・・・・  大きい自分に小さい他人同士がつながっているからだ。 大きい自分のう~んと深いとろまで到達しているような人、
 たとえばお釈迦様とかキリストとか、そういう人なら、他入の痛みも他人の心も、自分の痛み自分の心として、きっと一瞬で
 わかってしまうに違いない。「メビウスの輪」を知ってるね。内側を辿って行ったら、そこは外側だったというあれだ。
 君は、「自分の内側」と言った時、体や心の内側のことを思うね。でも、その内側が、外側の自然法則によって動いているのなら、
 その内側って、じつは外側のことじゃないだろうか。内って、外なんじゃないだろうか。「自分の内」「自分の外」なんて、
 よく考えれば、決して言うことはできないことなんだ。なぜなら、すべてである自分には、内も外もないからだ。
 じゃあ「自分の外に存在する他人」という言い方で、人は何を言っていることになるのだろうか。】
  ~~
「心の内側を辿ると、そこは外だった」は言いえて妙である。すべてが自分として存在すということを、メビウスの輪から
考えると、分かりやすい。世界の秘境や異郷に行った先は、自分の内になり、そして外にもなる。行けばこそである。
そして、それぞれの延長が、それぞれ続いている。記憶がメビウスの輪になり、それが大きくなリ続けている。
帰ってきてからでも、そこの旅番組やネットを見たりしながら、その旅行の延長線上に加わるからだ。家内が度々言うが、
「行かなければ、他の番組を見ている」のである。自分が存在してなければ、地球など知りえない。 死んでしまえば、
地球が消滅したと同じことになる。その己の存在にとって、他者も自分もないのである。
・・・・・・・
3163, 金本位制度が復活?
2009年12月02日(水)
 昨日、日経新聞を何気なくみていたら、以下のような記事があった。
  * 中国政府高官「金保有、10年以内に1万トン」ドル安で買い増し論
 30日付の中国紙、中国青年報によると、国務院(政府)国有重点大型企業監事会の季暁南主席は2兆ドルを超す
外貨準備の運用について「金の保有量を3~5年以内に6000トン、8~10年以内に1万トンまで増やすべきだ」と指摘した。
現在の保有量は約1000トンで、1万トンへの買い増しは実現可能か微妙だが、ドル安が続くなかで政府内で金の買い増し論が
勢いを増しつつあるもようだ。 中国の外貨準備高は9月末時点で2兆2726億ドル。うち約7割をドル資産で運用し、
金の比率は2%弱にとどまる。最近のドル安を受け、政府内では外貨準備の運用をドル以外に振り向けるべきだとの議論が
再燃しており、なかでも金は「安全資産」として評価が高まっているとみられる。
 ワールド・ゴールド・カウンシルによると、金の保有量(今年9月時点)は米国が8134トンで世界一。
ドイツの3408トン、イタリアの2452トンが続く。季主席は外貨準備運用の直接の担当ではないが、
今回の発言は政府内の多数意見を反映しているとの見方が多い。(北京=高橋哲史) (11月30日 19:45)
 ――
 以上だが、最近になって、米国の金本位論が再燃し始めているようだ。  
   (字数制限のためカット 2011年12月日)
 ・・・・・・・・
2798.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・7
2008年12月02日(火)
 ー失敗を恐れるな!
「自分のカでは どうにも ならないことは、心配するな」 という言葉、今度の恐慌で、
 心配の極みで読んでみて、ホッとした道理である。 まあ、仕方ないことは仕方がない。
【第6の法則】
  失敗を恐れるな。 しようともせずに 逃してしまうチャンスことこそ恐れるに値するのだ。
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「人間ができる 唯一の独創的な行為こそ、間違えることなのである」     ービリー・ジ。エル
「人には正しいことだけでなく、間違ったことをする権利もあることに気づいたとき.、子供は大人になる」ートマス・ザス
「意味のある努力は、やってみる前には 簡単には見えない。だが、実際にやってみて結果が良ければ、
 その時点から振り返ってみると、簡単であったように 思い返せるものである」ーエドワード・テラー
「自分のカでは どうにも ならないことは、心配するな」        ユダヤ人の友人のコトバ
「金をなくしても、何も失わない。 誇りをなくせば、多くを失う。勇気をなくせば、すべてを失う」ーユダヤ人の友人の言葉
「自分を破壊する 一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる」     ーニーチェ
「過去というものには、 常に馬鹿馬鹿しさが つきまとう」      ーマックス・ビアボーム
「人生では、時には愚か者を 演じなければならない 時がある」     東欧ユダヤ社会の諺
「夢も悪夢もみたけれどへ 夢があったからこそ、 悪夢を乗り越えられたのた」  ージョナス・ソーク
「そもそも人間という存在は、ものごとを完壁には理解することができない生き物である。
 このことに気づくと、間違えることは恥ずかしくなくなる。 恥じるべきは、過ちの修正を怠ったときである」      
                                       ージョージ・ソロス
悲観主義は、ユダヤ人が決して 手にすることができない 高級品なのです」  ーゴルダ・メイヤー
「たくさんの失敗を 重ねてみて、 はじめて真実の全体像に 出会えるのだ」   ージークムント・フロイト
「経験は、素晴らしい学校だ。 ただ、授業料が高いのが タマに傷だが」     ーヘンリッヒ・ハイネ
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2007年12月02日(日)
 2433, お茶ひき        (●っー3。○)・・・ハッ!(●`・v・´)オハヨサン♪
最近、長岡・殿町の小さな居酒屋とかスナックに行くと、不景気な話ばかりである。
先週は二度も「お茶をひいた」という話など決して珍しくない。歳のせいもあるが、最近はスナックで飲んでも
前ほど面白くなくなってきた。酒のツマミでも買って、家でTVを見ていた方がよほど刺激的である。
  (字数制限のためカット 09年12月2日)
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2006年12月02日(土)
2069, 書画骨董の話 -1               才八∋ウ_〆(∀`●) 
 戦後になって転業するまで、実家が何代か続いた骨董屋であった。そのため転業後も父は書画骨董を趣味にしていて、
常に居間には書画骨董があった。私が父の40歳を過ぎてからの子供のため、暇をみつけては散歩代わりに、
骨董店に何度も連れられていった記憶がある。門前の小僧の何とかで、真贋を見分ける眼がついたようだ。
さらに、海外旅行で有名な美術館に行く度に世界の名画を数知れず見てきた。そのためだろう、書画骨董の真贋の鑑識眼
ついてしまったようだ。贋物に騙され、それを糧に眼を肥したプロには足元に及ばないが・・
TVの「お宝鑑定にでてくる真贋は、ある程度はわかる。(誰も解るか?)
書画骨董を自分で買ってまで欲しいと思わないのは、どういう理由か? 逆に人は何で自分の手元においておかなくては
ならないのか不思議でさえある。そんなもの、自分の倉庫や居間に置いておく必要はない、美術館に置いて公開すべきである。
死にかけて初めて、そのことに気づく耄碌が大部分だが。それが趣味なら、他者の言うことではないが。
名の残っている人の書画は、波動というか何ともいえない雰囲気が漂っている。それと品格というか気品である。
絶妙のバランスである。これは自然の中に多くみられるから自然の中にこそバランスが存在している。
そのバランスを表現するには、それなりの技法があるはず。それを知りたいと思っていたら、ある本で偶然見つけた。
中国の山水画の六技法である。波動を出している本体の構造をつくりあげる技法とは・・・
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以下はインターネットで調べた「画の六法」である。
1、気韻生動 ‐ 初期においては気と韻律、動勢と生命感ある絵画か。物質が保有する詳細から来る気韻を正確に掴み取って、
  その特色を描けるに到るか。実在物との正誤を欠かずに。かつ、自身の気韻もそこに同調するかどうかも重要になる。
  自身の気韻と、描画対象の気韻。
2、骨法用筆 ‐ 物の正確な形(骨法)は正確に取れている、技巧ある筆運びか。己が骨子が如くして大事に扱い、
  己が骨知る生活が如く、筆を良く知る。己が筆が如く用いる事で、筆や自身を大切に生活出来る。
3、応物象形 ‐ 媒質の形状個性を、いかんなく象徴化し、応用できるか。媒質に応じた象徴を塑写す。
  物質の詳細にまでいかんなく応え描にて象を描き成す。媒材詳細に正確に適応し、
  かつ緻密で正確な状態に更に実在性を加えた状態での象徴たらしめる。
4、髄類賦彩‐ 精髄究めるべくした具体性とかね合わせる。
5、経営位置 ‐ 構図は正確で、意味のある位置取りか。描くにおいては描画対象に対して意義を成し、
  自らの位置掴み取るにおいては描画に最も適した媒材や自身の位置取りであるか。
6、伝模移写 ‐ 模写力はある。 以上は南斎の「謝赫」が、その著作『古画品録』の序において説いたもの。
 その第1、の「気韻生動 きいんせいどう」を「謝赫」が絵画の最高理想とした。
 ーまあ、そのままでは難しいから解りやすくいうと、
 1、「気韻生動」とは、直感的に感じとらせる、名伏しがたい迫ってくる躍動である。
   自分の気合いと韻律を、エネルギーを込めて対象物への投入すること。
 2、その絵には、しっかりした基礎となるデザインがある、それが「骨法用筆」。
 3、その対象を的確に描写しなくてはならない、それが「応用象形」。
 4、それに色づけをするのが、「髄類賦彩」である。
 5、さらに構図をきちんとまとめる「経営位置」。
 6、こうした技術を身につけるため、古人の名画に数多く接して、
   その作品に忠実に模写する修行をするのが「伝摸移写」である。
 (字数制限のためカット 2011年12月日)
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2005年12月02日(金)
 1704, 家訓づくりのすすめ -1  
「今さら家訓でもないだろう」と思いつつ、図書館から借りてきて読んでみたら、これが面白い。
個人の心得としても、そのまま通じる。近年、世間を騒がせているモラルの低下や犯罪の増加、
ニートやフリーターの大量出現も、家族のあり方と無縁でない。目の前で説教をしても、
今どきの子供は聞かないが、家訓として書いて貼っておけば必ずみるものだ?
                (;`・ω・)ノ ---===≡≡≡【えぇ?!マジ?】
著者は、この時代の家庭の危機を救う方策として「家訓づくり」を提唱している。
350の家訓サンプル付で、家訓を作る時の注意事項も具体的でよい。
 家訓とは、その家の中心人物が、一族や家臣のために自分の体験に基づいた教訓である。
 しかし、その言葉の多くは、現在の個人に対しての戒めにもなる。 へ(~Д~*へ))))... ...((((
第二章「家訓の歴史」と「名家の家訓」がよい。
有名なものとして、徳川家康伊達政宗・岩崎家の家訓・遺訓は何度か目にした事があるが、
記録として今後目を通したいので写してみた。              φ(。。*)
 -徳川家康の家訓ー
一、人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し、必ず急ぐべからず。
一、不自由を常と思えば不足なし
一、心望み起こらば、困窮したる時を思ひ出すべし
一、堪忍は無事長久の基
一、怒りは敵と思え
一、物好きは末に歎くことありと知れ
一、勝つことばかり知りて負くることを知らねば、害その身に至る
一、唯だ己を責めて人を責むるな
一、何事も及ばざるは過ぎたるに勝れり           〆(´m`) ムフッ
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何度かわが家の家訓を書いたことがある。家訓というより、常々両親が言っていたことをまとめたものだ。
・保証人になるな
・金の貸し借りは絶対にするな
・お金を決して粗末に扱わないこと お金を前にすると、人間は変身をす  ¬_¬)ちらっ   
・借金は極力しないこと   (`´ゞ
・親しき仲にも礼儀あり、誰とも同じ距離を保つべし
・私生活は、奇麗にしておくべし  特に男女間に関しては、家庭内に持ち込まないこと
・生活は質素倹約を基本とすべし
・政治には最小限の接点にすること
まあ、明治時代の人は大体こんな考え方が8~9割であっただろう。
これを土台に『わが家の家訓』を制作中だ。これをやりだしたら、面白くて面白くて!     
  φ(._. )カキカキ 3(-ω-。)クシャクシャ (。-ω-)ノ⌒゜□ ポイ 〆(。。)
夫婦で共同作業をしておけば離婚の確率は低くなるだろうに?        (^_^)/~~
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2004年12月02日(木)
 1339, 「酒乱になる人、ならない人」  ー 読書日記 -1
男なら一生のうちに何度か酒で失敗したことがあるはずだ。私も酒大好き人間として、何度失敗したことか。
大失敗をしても、数年もしないうちにまた酒の失敗を繰り返す。一番の敵を、平気で口から脳に送りこむのであるから
人間は馬鹿の生きものだ。酒で家庭を壊し、職場を追われ、最愛の人にも愛想をつかれる。
 (字数制限のためカット 09年12月2日)
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 2003年12月02日(火)
972, ナレッジマネジメントー3
 ー「ベンチマーキング」と「ベストプラクティス」
 ナレッジマネジメントといえば、その手法として「ベンチマーキング」と「ベストプラクティス」が頭に浮かぶ。
 ・ベストプラクティスとはー自社に比べて、優れた業務方法のことをいう。 
  他業種のよりすぐれた業務手法に多くのヒントがある。
 ・ベンチマーキングとは,ーベストプラクティスに学ぶ経営変革手法のことをいう。
 ‘解りやすく’いえば、「他業種のベストのモデルを見つけて、徹底的に真似ることである。」
 ‘難しく’いえば「系統的且つ継続的な測定プロセス。ある組織が業績を改善する為に役立つ情報を得るために、
  組織のビジネスプロセスを継続的に測定し、世界のビジネスリーダーと比較するプロセス」
  業界の内外を問わずベストなものとの比較を行うことによってギャップを埋め、現状を改善する有効な方法である。
  前向きなプラス志向の経営手法といってよい。
    ー以下は字数の関係でカット (2007年12月02日)
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598,八ちゃんの時代ー2
 2002年12月02日(月)
少年期までは今考えても、かなり刺激的な環境で育った。生後3ヵ月後に、長岡の東神田から大手通に帰ってきた記憶がある。
もしかしたら父親の話の刷り込みかもしれないが。子宮の中の記憶のある人もいるとか。お手伝いの背中におぶさっていたのも
這い這いも憶えている。歩かされた時に面倒くさいと思った事も。商売の真っ只中で育ったせいか、今も人ごみが好きである。
スーパーや飲食店に行くのが異常に好きなのは三つ子の魂百までだ。競合店がオープンすると偵察に行った、5歳の頃である。
家族全員が毎日の売り上げに一喜一憂をしていた。もう50年以上も昔のこと。今考えると当時は金色に輝いていた。
生きるのに必至の両親の姿がそのまま伝わってきていた。素晴らしい時を両親と共有できたのだ。
兄二人の死とその5~10年後の母の心筋梗塞の死線があった。これで母は死ぬんだと思った、しかし生き延びた!
2歳の頃に実家で更に新しい事業を始めた。その記憶が生々しい。ビル建設の完成まで住んでいた木造の家の下に丸太を入れ、
近くの公会堂の前の広場まで移動した。 完成するまでそこで店を開いていた。
建物の完成した引越しの日々が生々しい。コンクリトーと生壁の匂いと混乱の凄みを。
あの時代は皆が必死であった。
  1階は店,           2階が倉庫兼事務所、
  3階が自宅兼店の食堂と風呂、 4階が従業員の宿舎兼後方であった。
 毎日が戦争のような日々であった。