つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 今日のYoutube

 半年ぶりに、歯石をとりに歯医者にいく。
ものの7~8分で終わったが、あと一回という。
暇そうなのに、一回で終えることが出来るのに?
 何か、以前のような賑わいがないみたいだが・・・
歯医者は、景気に大きく左右されるのだろう・・・

 今日の午後は、シネマ? 


・・・・・・
2416, 世界の「富」は、人口の2%が過半数以上所有だと
2007年11月14日(水)

                 才ノヽ∋―_φ(゚▽゚*)♪
 一月ほどの新聞記事だが、国連の研究機関が発表した調査によると
  ~世界の「富」は、人口の2%が半分以上所有~という。
 これを解りやすくまとめると
・世界の成人人口の2%が、家計全体の「富」の半分以上を所有。
・逆に貧しい方からみると、人口の50?が所有する富は1パーセント。
・最も豊かな層に属し、成人人口の1%に相当する人々が所有する富は、
 世界の4割に相当。 
 「上位1%」に居住している国別に分類すると、
 米国が最多の37%、日本は2番目に多い27%で、
 日米だけで上位1%の3分の2近くを占めていることになる。
・一人当たりの世界の富の平均が、2600ドル。
 日本は18万1000ドル、アメリカは14万4000ドル、
 中国は2600ドル、インドは1100ドルだった。
・富の分配の格差を示す「ジニ係数」も国別に算出。
 値が一に近づくほど格差が大きくなるが、世界の平均値が0.89に対して、
 アメリカは0.8に対して、日本は0.55で格差は比較的小さい。
 まだまだ、日本は健全にみえるが、この数年で大きく変わってきた。
  2000年の統計値を使ってまとめたもので、
  預貯金や不動産などの資産から負債を引いたものを「富」と定義したという。
 ーー
 以上が大方の数字だが、
20年近く前に中国に行ったときの一人当たりの格差が100倍だったが、
現在は50倍というから、中国は20年で2倍も豊かになったということだ。 
「世界の富の80%は、世界の20%の富裕層が所有している」というが、
日本は最後の余力を食べつくしながらも20%の立場を保っている。 
ところで先日の新聞発表で、国内の一億円以上の預金者は大よそ人口の一?という。
一家族三人として、30数軒に1軒の割合になるが、地方では到底考えられない数字である。
それでも知人を見ていると数人はいるが、まあ他人の懐具合は、如何でもよいか!
                ヾ(´_`○)ノ ノヾィ♪
・・・・・・・・
2006年11月14日(火)
2051, あたりまえなことばかり -7
            才八∋ウ_〆(∀`●) 

 幸福論も、あるところまでいくと、生死の問題に深く関わることになる。
しかし生死がわかるはずが無いことは、前に論じてきた。
観念としての幸福を、いくら説いてもラッキョウの皮を剥くようなもの。
といって、人生の中で「自分ほど不幸ものはいない」と、思ってしまうのが人間の性。
不幸という観念に捉われない為にも、孝・不幸は真正面から論じてみる必要がある。
前に読んだー「私」のための現代思想ーもそうだが、
過去の知識の総点検をしているような感覚である。
知っただけ、経験しただけ生きてきたことになる。
知識として知らないことがあまりにも多すぎた! これが現在の心境である。
ーー
「あたりまえなことばかり」
?・ 幸福はどこにあるのか ー ?

我われの幸福の観念は、生死についての観念に分かちかたく結びついている。
「死後」もしくは「来世」の観念の有無で、人の幸福感は劇的に変わるのである。
人類においては、「人生を、この世に限定しないほうが長かった」。
「私」という観念が、それと等しく漠としたものであったために、
彼らの幸福はもっと大きくて広い、何か天地自然のありようといったものに近かったようだ。
しかし、「科学主義的的死生観」が、われわれの観念のほとんどを規定している
現代のような時代では「私」が存在するのは一方的に前進する時間軸にごく限られる。
その限られた時間の枠内で、私はなんとか幸福にならなければならないのだから、
現代人の幸福は、常に脅迫的なのだ。

 何が脅迫的といっても、「私は幸福にならなければならない」というこの観念以上に、
脅迫的なものは無いだろう。人はなぜ幸福でなければならないのだろうか。
「幸福」という観念を持つと同時に人は不幸も所有する。
「幸福」は言語、「私」もまた言語、おそらくは、言語以前の何らかそのように、
とりあえずソット添えられていた名札のようなものが、言語以上の何かを指示すると
思い込んだ時、それらはその反対物をも指示することになった。
したがって「人は思うことによって幸福にも不幸にもなり得る」という言い方は、
その意味で正確である。思うのはその人でしかないからである。

一般的に人は、生きていることを幸福といい、死ぬことを不幸という。
しかし人は、その生きるために労働することに不平を言い、
生きるためには食べなければならないという。
しかし、本当に生きていること自体を幸福と思っていれば、
その生きるために労働することも幸福であるはずだ。
そうすると、生きていること自体は、あるいは不幸と思っているのかもしれない。
だとしたら、なぜ人はこれほど、死を厭い、避けようとして生きているのだろうか。
生きることが不幸なら、死ぬことは幸福であるはずである。
生存していること自体は、幸福なのだろうか不幸なのだろうか。

生死それ自体と、孝・不幸とは、実は全く関係ない。
生死という形式は、それ自体単純な事実だが、孝・不幸とは、
それに付与されるところの観念だからである。
したがって、生存していることによって発生する様々な肉体的苦痛も
身体の苦痛という事実の中では、不幸であるという観念ではない。
もしそれが不幸であるなら、それはその人が不幸という観念それに
付与しているに過ぎない。

身体の苦痛は、多く、人の心を不幸にする。苦痛は苦痛として明瞭にすぎる。
だからこそ、身体の苦痛は心の不幸ではないという単純な事実を知ることが、
われわれの幸福の新たの端緒となるのではなかろうか。
ーー
 何事もそうだが、身体の苦痛だけではない、目先の苦痛や悩みは
大きな流れの一つでしかない、直ぐに次の現象が洗い流してしまう泡である。
全てが地球への旅の経験でしかない。楽しみも哀しみも全て面白い経験である。 
それも至高の!何で、そんなことに拘っているの? 何で、そんな人と群れているの?
孤独、孤独、それがキーワード!
それがキチット出来てないから、否定でしか社会や世界に関われないの!
孤独をキチッと確立してないのが群れたがるから、ゴミの山になるんじゃない。    
                    (*^ワ^*)i バイバイ
・・・・・・・・・
2005年11月14日(月)
1686, 「ひとを嫌うということ」-2
    
 嫌いに対して、よくぞここまで書けるものと感心する。
 といって日常生きている上で、好き嫌いの感情はつきまとうものだ。
 だから、世の中が面白いものとして現前する。
 この本の印象的なところを抜粋した。
 ー「嫌い」の結晶化作用ー         `(`´)”
スタンダールは恋愛における2重の「結晶化作用」について論じている。(′O`)

・第一の結晶化作用とは次のもの。
 ザルツブルグの塩坑で寒さのために落葉した1本の小枝を廃坑の奥に投げ込んでやる。
 2,3ヶ月もして取出してみると、それは輝かしい結晶で覆われている。
 一番小さな枝、せいぜい山雀の足くらいの枝までが、
 まばゆいばかりに揺れて閃く無数のダイヤモンドで飾られているのだ。
 もとの小枝はもう認められない。
 私が結晶化作用と呼ぶものは、目に触れ耳に触れる一切のものから、
 愛する相手が新しい美点をもつことを発見する心の働きである。
 なんとなく気に食わなかった人があるとき当然「結晶化作用」により
 大嫌いになることは誰でも知っています。      )`ε´(  

・そして恋愛における第二の結晶化作用とは、
  相手が自分を愛していることの確信へと向かう結晶化作用であり、
 疑惑と確信との間を揺れ続ける「交互作用」です。
 恋する男は15分ごとに呟く。「そうだ、彼女は私を愛している」と。
 そして結晶化作用は一転して新たな魅力を発見することに向かう。
 と、ものすごい目をした疑惑が彼をとらえ、にわかに彼を引き止める。
  胸は呼吸を忘れる。彼は自問する。「だが、彼女は私を愛しているのだろうか」
 痛ましくもまた甘いこうした相互作用の最中で、哀れな恋人は痛感する、
 「やっぱり彼女は私に与えてくれるにちがいない、
  世界中で彼女だけが与えることのできる喜びを」と。
  どうも「嫌い」の場合はこうした交互作用はあまり一般的ではない。
                        キラ。゚(゚´Д`゚)゚━イ!!!
ー「嫌い」の8つの原因ー
  この8つの原因は、私なりによくよく考えたもので
   「嫌い」の原因を網羅していると自負できます。
    ほとんどのケースは1.が基盤となり,3,4へと移行してゆき、
    最終的には8.へと発展していって「嫌い」は完成される。
   「嫌い」の8つの原因   (#`皿´)<嫌嫌嫌嫌嫌!!
  (1)相手が自分の期待に応えてくれないこと
  (2)相手が現在あるいは将来自分に危害(損失)を加える恐れがあるこ
  (3)相手に対する嫉妬
  (4)相手に対する軽蔑
  (5)相手が自分を「軽蔑している」という感じがすること
  (6)相手が自分を「嫌っている」という感じがすること
  (7)相手に対する絶対的無関心
  (8)相手に対する生理的・観念的な拒絶反応
  --
  ー評
  「あまり人を嫌うと、その嫌った分だけ自分が汚れる」から、
 あるところまで嫌ったら、気持ちの中から消去してきた。
 消去するとは、意識的に頭に浮かばないようにする訓練をすればよい。
 いつの間にか、消えるから不思議なものだ。それより、側に寄らないことだ!
 それか、嫌悪まで持っていけばよい、そして消去すればよい。
 それが不可能なら、好きになればよい。そのために、美点凝視という言葉がある。
 嫌いということは、背後に好きがあるはずだ。           
 ゴッドファザーの映画のなかに、
    [敵を憎むな、計算が狂ってしまう]という名セリフがある。
    「嫌うな、エネルギーのロスになる」より、
    [嫌いな人のため祈りなさい]がよいか?  でも不自然?
    嫌いの人に使うエネルギーほどロスは他にない!     
                    (^┰^;)ゞbaibai
・・・・・・
2004年11月14日(日)
1321, 西武鉄道上場廃止
 ー時代の変遷の象徴

堤義明のオーナー会社・西武鉄道グループは、この不況下でも安定をした
会社と思われていた。それが突然、不正が発覚、株式が上場廃止という。
関連会社が西武鉄道の株を担保に借金をしている為、一挙に担保割れの事態になる。

日本の影のドンの一人といわれ、「総理大臣が誕生する度に3億円の祝儀を払い続けてきた」
と囁かれていた堤義明もついに逮捕?の可能性がでてきた。
世の中どう変わるか解らないものである。ーもっとも、コネにて一件落着の可能性があるが。

十年位前まで、西武株といえば5000~6000円はした。
最近は、株価と連動して1500円まで下がっていたが、この数年間は不動であった。
それが400円近くまで下がってしまった。
上場廃止は、10分の1まで下がるといわれるから150円まで下がる可能性もある。
西武鉄道クループそのものの存続も問われかねない事態になった?

一時は、西武流通グループの堤清二と、張り合っていた時代もあった。
その流通グループも解体され、清二も追放された。 今度は義明の番になった。
「エレベーターの待合を、お連れが一般客を制止して天皇・首相並の扱いで
乗り込んだ」「飛行場でビップ待遇の専門通路から乗り込んだ」とか、とかく噂は聞いていた。
今は、その彼も逮捕におびえている日々である。
もし、あの人の逮捕姿をみるとしたら、複雑な心境な人が多いだろう!
これも情報化、大衆民主主義化の一つだろう。
以前は黙認されていたことが、今では全く通らなくなったのだ。

・・・・・・・・
2003年11月14日(金)
954, 「意味」の意味を考える

 言葉や言語を考える時、重要な事として、すぐに「意味」が出てくる。
「人生の意味」とか、「意味がないよ」とか、「このことにどういう意味があるか」
とか、言葉と意味は一体である。考えるとは、言葉の羅列の繰り返しをしていると
いってよいが、それは羅列によって意味を幾とおりも置き返していることである。
といって「意味」の意味を考えると何が何だか解らなくなってしまう。
「意味」の意味を考えるとは、半分ジョークみたいな話だ。

 言語学者西江雅之氏の本に、「意味は『価値』である」に注目をした。
「意味がない!」などと1人で解ったような気になるのは、
「自分の価値観とは違う」とっていることでしかないのだ。
「人生の意味」も「人生の価値観を何処においておくか」の問題でしかないことになる。
 言語学者西江雅之の「『言葉』の課外授業」ー洋泉社
 という本の中(p78)に「意味」の意味を簡潔にまとめてあった。

・一つ目は「意味」とは「価値」である。
 世界のほとんどの言語では「意味」というのは、「価値」のことを言っている。
「あの人の話は意味深い」とか「あの人の話は意味がない」とか、「面白い」とか
「つまらない」とかは、受けての「価値判断」のあり方を「意味」と呼んでいるのだ。
・二つ目は、「意味」というのは、出された例の、別の表現への「置き換え」なんです。
 たとえば「『椅子』とは何か」と言ったら、「それは『人が座る道具』
 である」と。この置き換えが、ある種の「意味」になる。
「置き換え」の二番目は、別の言葉に置き換えると言うことです。
「‘desk’の意味は何だ」というと、辞書に「机」と書いてある。
「あ、意味がわかった。この単語の意味は‘机’なんだ」となるような、
 別の言葉への置き換えである。
・三つ目は、「世界の創り変え」である。
現状から出発して新たに見出そうとする意味である。
現状を否定して、いっそう本物を求めようという場合の、「求めるもの」と言ってよい。
日常生活で「意味を問う」などというのは、現状を疑い、現状を変革させることなんです。

 意味には「分析的」なものと、「連想的」なものがある。
「分析的」は欧州風科学で考えるもので、「連想的」は
「ひらめき」や「インスピュレーション」などの科学で扱わない部分である。

ー以上が抜粋であるー
・ 一つ目の ー「意味」とは「価値」であるーについて考えてみよう。
ある出来事を、結果として意味付けをしたがるが、それは「自分の価値観
に対して無意識的に押し込もうという働き」と見ると理解ができる。
そうすると、意味を考えることは価値を考えることなる。 そういう知識のない人が、
必死になって「意味づけの演説?」をしているのを聞いたことがある。
その時「この男、馬鹿じゃないか?」と聞いていて思ったことがある。
「結局は、自分の価値観、意味づけを言っているだけじゃないか」と聞いていた
ことを思い出して納得をした。まあ、同じことを自分もしているのだろうが。
・ 二つ目の「置き換え」は、少し解りづらい。
意味というのは、同じことを置き換えているに過ぎないというと解りやすい。
「deskは机だ」という言葉の置き換えがよい例だ。 もっとわかりやすい場面が、
夏休みにNHKの「子供ラジオ電話質問コーナー」がある。
こどもの単純な質問に窮した回答者が苦し紛れに、ただ言葉の置き換えで
説明をしてしまうことがある。「死ぬってどういうことですか?」という哲学者でも
答えられない問題を一言で片付けなくてはならない時に、言葉の置き換えで誤魔化すケースだ。
・ 三つ目は「世界の創りかえ」である。
良い意味でも悪い意味でも、宗教家が使う手法である。
経営も政治も、考えてみれば「世界の創りかえ」である。
その時、背後には大きな意味がなくてはならない。
その点では、「意味」や「価値」は最重要事項である。

「ところで、このホームページって何の意味があるの?」と問われたらと、考えてみた。
何回も書いているが、「公開の日記と魂の記録」といってよいが。

・・・・・・・
580,中国の陰と光
- 2002年11月14日(木)

昨日は三井住友銀行の講演会とパーテーがあった。
常務がパーテーでの挨拶がかなり深刻な内容であった。
ここまできたらハードランニングしかないし、後は自助努力しかないという。
初めて聞いたが三井住友銀行持ち株会社をつくって、
本体はそこに残し、後は子会社化していくといいう。
この数年間続くであろう暴風を前にした決起式みたいでもあった。

本題の講演は「現在の中国について」であった。
・「中国脅威論は的外れ」というのが結論であった。
 今開かれている中国共産党大会で、これから20年で経済規模を4倍にするという。
 もしそうしなくては中国の未来はないとまで言っている。
・その為には年率7?の生長を続けなくてはならない。しかし絶望的の数字である。
 もし発表された数字が成長7?なら虚偽の数字とみたらよい。
汚職、農村問題、私的企業の認可等の問題が山積みだという。

こういう問題が共産党の統治メカニズムを弱体化させていく。
孫文が「中国国民は砂のようなもの」と喩えた。
極端な個人主義を言いたかったのだろう。
その為に強烈な統治が必要で共産主義の統治は今までは
有効に働いたが、これからはその解体過程にあるのは納得できる。
中国内部でも地域間賃金格差は十数倍あり、これが8000万人の流浪の民をつくっている。
現在、中国の内部の矛盾が大きく内部に膨らみだしてる。あまり日本のマスコミでは
言われてないが今までなかったような情報が多いとか、暴動とかストなど。

いずれにしてもあまり過大評価をしない事だ。
今は光の部分しかみえてないが、背後の影が見すえなくては。
これが結論であった。
国内も世界も今まで経験したことのない時代に一歩踏み出したようだ。

・・・・・・・
[221] ただいま帰りました
- 2001年11月14日(水)

今朝、成田に7時半に帰ってきました。
午後は疲れか熟睡し、さっき起床しました。
明日から出社予定です。旅行記は改めて書くつもりですが、印象を書いてみます。
1、成田は意外とピリピリしたところはなく、少し警官が多いと感じでした。
  シーズンオフを含めガラガラでした。
2、ベトナムは思ったより、西欧かされていました。
3、やはりアフリカや中東やインド・パキスタンなどに行き続けたためか、
 刺激という面で今ひとつでした。
4、その中で、イロイロな見聞がありました。
5、ベトナムも観光や、輸出などでテロの影響が出ているようでした。
 疲れは殆ど残ってないようです。