ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著)
    * 人は誰も人並み以上と思うもの
 色いろな挫折体験から学んだことは、「自己能力の限界の設定」である。しかし、その設定さえも間違えてしまう。
それだけ、自分のことになると見えないのである。 若い女性の場合、これが極端に出る。若いだけで周囲が特別視するが、
それは束の間のこと。そこで若さを失うにつれ表面的な化粧や衣装で若く見せようとするが、その衣装と化粧代は膨大になる。
自分を人並み以上と思うのは、まだましで、特別な存在と信じて疑わないのが、あまりに多い。ーその辺りを抜粋し考えてみるー
 ≪ スポーツジムの会員は、自分が期待する回数の半分程度しか通っていない。大半は回数券の方が得なのに会員権を買っている。
 統計からみると、月会員の八割ほどが、利用ごとの支払いにしておいた方が得という。 何故そうかというと、
「要するに自信過剰。自分が出来ると思っていることと、実際に出来ることを混同している」のである。その原因の一つに、
ジムに行かない理由を、何かのせいにすることが多い。そのため、フィードバックが効かなっている自覚が無くなってしまう。
同じような結果が、兵隊の射撃の予測と結果に現れている。大方の兵隊は射撃がうまいと思っているが、実際に射撃をすると、
大きな差が現れる。75%が予測より下で、25%以上が、あまりに下手で不合格の成績に終わっていた。気象予報官についても、
経営者についても、同じである。奇妙なことに課題が難くなる職業ほど、自信過剰のレベルが下がるのではなく上がる傾向にある。
困難が過大になるほど、自信過剰がもっと高まるのだ。・・・どうして、このような自信過剰過多の幻想が出てくるのかというと、
情報の持つ魔力、というのが答えである。情報を読めば読むほど、知識が増えたと勘違いをする。だが、実際には、そうとは
限らないのである。それは見聞ではなく、自信が増しただけ。情報化過多の落とし穴が、そこにある・・・ ≫
 ▼ 自信過剰自体は問題がないが、現実の自分に出会ったときに歪みが出て、それが他人の弱点を見つめ攻撃に向かった場合、
  それは回りまわって自分に返ってくる。それが嫉妬や怒りに転化して怨恨になっていく。 だから不幸がついてまわる人には
  近づかない方がよい。あるいは自分が不調な時節には、孤高を守るべきである。 不幸タイプの人は、必ず、その正体を現し、
  恩をに仇にして返す。それを品性の低さというが、それが更に自らを貶めることに気づかない。「人並み以下の人ほど、
  自分を並以上、いや特別な存在」と思うもの。だから、お世辞が人間関係の円滑油になる。逆にいえば、恵まれてない人ほど
  注意し大事にしなくてはならないことになる。特に若い女性と青年と熟年には・・ そうすると自分を大事に扱わなければ。
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3885, 平等と公平
2011年11月14日(月)
 最近、平等と公平に対する議論を多く目にするが、その辺の哲学か理論があるはずと思っていた。
ところが、小川仁志著「人生をやり直す哲学」中で、ロールズの『正義論』が紹介されていた。
その概略というと、≪ ロールズは、ハーバード大の教授で、アリストテレス以来の政治哲学の復権を図った人物で、
その『正義論』は、その後の正義に関するあらゆる言説、あるいはリベラリズムの議論の機軸になったと言われている。
リベラリズムとは自由主義のことを言い、物事の価値の中立性をとなえる立場である。分かりやすく言うと、
「善に対して正の優先性」をとる立場である。 本来は平等など我われの世界には存在しない。全てが不平等である。
金持ちと貧乏人、才色兼備と、そうでない人など比較すれば全てが不平等に出来ている。情報化などで一強多弱が進むと、
その格差は社会的歪を生み出してくる。 そこで問題になるのが平等と公平の問題になってくる。それを克服するために
正議論が出てきている。 正義の二つの原理、すなわち「平等な自由の原理」と「機会均等」である。
◎ まず第一原理ー「平等な自由の原理」とは、<各人は基本的な自由に対する体系に対して平等の権利を持つべきで、
 この自由の体系は他者と両立しなければならない>という原理である。自由に関して誰も平等であるべき、ということ。
◎ 第二原理とは、「社会的、経済的不平等は次の二つの条件を満たしていなくてならない。(a)「社会の最も恵まれてない
 人の状況を改善すること」、(b)機会の公正な均等という条件の下で全員に開かれている公職や地位に伴うこと」の二つ。≫
 ▼ 競争条件の前提として、自由度と機会平等の権利を持たすべきということになる。資本主義も、社会主義も、家系の知力、
  資金力で、競争前提が全く違っているのが実情。それが、そのまま、社会的格差になっている。 中学校の同級生の、
  その後の人生を見ていると、その時の家庭の格差の拡大が、そ後の人生に見えている。(但し、何事も例外はある)
  ロールズの言わんとする趣旨は、道徳的議論、つまり善悪の「善」よりも、手続き的な正しさの「正」を優先させるところにある。
  それを守るために、これらの原理と、その都度の判断を比較して、公式そのものの妥当性をチェックすべきとしている。
  「平等は無理としても、公平であるべき」というが、しっかりした二つの原理の社会的前提がなければならない。
  現在、情報化で社会的不平等が露出されてデモが多発している。 これは「平等と公平」の問題を訴えているのである。
  そこで、この『正義論』が大きくクローズアップされている。 自由人平等と博愛の問題は、そう簡単でない。
  明治以降、日本が世界列強の一つになったのは、家柄より学力、学歴を最優先したからだ。 二つの原理が明確に当てはまる。
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3520, 電子書籍は、その後どうなった?
2010年11月14日(日)
 iPadで火がついた電子書籍は、その後、どうなったか?が、読売新聞で特集をしていた。
また一昨日の朝のNHKニュースでも取り上げていた。 5月末に発売されて半年で、トピックスとしても丁度良いタイミング。
私も秋口の11月頃と発売当初に考えていたが、各社メーカーが年内に出揃った後、比較してからにした。 
それとまだ電子ブック・ソフトの販売網も充実をしてない。 4年後にタブレット式パソコンが二億台も普及するという。 
戦士書籍だけでなく新聞、雑誌も、ブログ、ツイッターも、ここから見ることになる。 これまでの隠れネット難民も、
その使いやすさから使い出すだろうから、社会的には大きなインパクトを与える。例えの話だが、村上春樹が自分の小説を
ブログから直接販売も可能になる。 映像ではYoutubeが自分撮ったビデオを、直接投稿をしている。良い内容のものはネット上の
口コミや視聴ランキングの多さで、一瞬に世界を駆け巡るので、直ぐにスターになれる。 既に、ここから多くのスターが出ている。
 タブレット電子書籍専門のものと、他の機能が入っているタブラットと大別される。多機能のiPadは、半年で700万台売れた。
その使用場面が居間と外出先の電車やレストラン。多くのメーカーが、それぞれの機能の特徴を前面に出した機種の出現が楽しみである。
 思いもよらないソフトも出てくるだろう。既にアコーデオンの鍵盤を画面に映し出し、演奏できるものや、パソコンやiPhoeにある
自動車運転ソフトを使い、他の誰かとレースを競うものとか、カラオケ端末機能とか、数年後には、日常の当たり前の端末になる。
その反面、雑誌、新聞、書籍などが激減することになる。レコード店など駅前商店街が消滅していったように、新聞、雑誌、
地方TV局など多くが淘汰されていく。これもインターネットの渦の一つ。
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3145,高速道路千円の仕掛け人
 2009年11月14日(土)
学生時代のゼミの一年下の松下さんと、以前に「新潟を活性化するに如何したらよいかと大和総研に頼まれたが、
何か知恵がないか」と電話があったので、「 新幹線を新潟駅から飛行場近くまで延長して、東京駅から直接乗り込みの飛行場を
持った環日本海都市として売り込めばよい。その沿線には中国、ロシア、朝鮮の特区地区としてパスポートで出入りする地区をつくり、
工場などを誘致して、それで足りなければ、高齢者などの施設をつくって首都圏の補助機能をつくり、元もと天領だった特性を、
そのまま利用すればよい。現在、新潟駅再開発が動き出したので、その延長として本気にならないと、北陸新幹線が完成したおりに、
幹から枝葉の地区に取り残される。これが最後のチャンスと思うよ」と、軽く答えた。 ところが数日たってから、その話を新潟県
エライサンに直接話して欲しいということになり云々・・・話は長くなるので、これはこれで終いにするが、その松下さんが
道路経済学を一人で長年かけて学んできて、現在では、その道の権威者。「高速道路の千円」の大元の理論家である。 
更に無料化の流れを彼がつくったというから、尊敬に値する。その彼が、民主党が天下を取ったら自分の理論が政策に取り入れられ、
大きな役割を与えられると数年前に言っていたが、その時代がやってきたようだ。 先週に彼から、週刊エコノミストに大きく
取上げられたとそのコピーが同封されてきた。 早く言えば、「思い切った高速道路の値下げが、大きな経済効果をもたらす」
という、英国学者の理論を日本に紹介したもの。彼の著書「道路経済学」も、なかなか説得力がある。
「過剰な?高速道路を、世界一高い値段の料金を無料化をして、皆で使いましょう。大部分は、ほとんど
使ってないのだから」というのも一理ある。それを先読みして、コツコツ学んできたのだから・・・
 以下は、コピーの礼状である。
  ー松下文祥様ー
前略、 送っていただいた資料、さっそく拝見しました。高速道路の料金一律千円、松下さんの出版された本が出発点
 だったようですね。近くの岩室温泉や月岡温泉などのリゾートホテルが潤っていると知人から先日、聞いたばかりです。
 また、民主党が高速道路の無料化の方針も、やはり貴方の理論的裏づけがあるようですね。
 貴方の長年の地道な努力が、こういうカタチで花咲くのは同じゼミの出身者として誇りに思います。
 恐らく、戦略会議の一員にも推挙されているのでは? と思いますが・・ 
《以下、字数の関係でカット。2011年11月14日》
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2780, 世界同時不況 ー日本は甦えるか −1
 2008年11月14日(金)
 文藝春秋の12月号の特集「世界同時不況 日本は甦えるか 
               ー未曾有の経済危機の核心を七人のエキスパートがえぐる」を読んでみた。
  内容は、刺激的なことをオブラートに包んで語り合っているが、それでも大恐慌に突入したことを
  前提であるのが、興味深い。 もう堰は切れたのである。 面白そうなところを、書き出してみた。
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   高橋洋一榊原英資/竹森俊平渡辺喜美/水野和夫/田村秀男/宮崎哲弥の対談で、
  1、「失われた十年」再び来たる     2、株安・円高地獄の脱出策は?
  3、「アメリカ金融帝国」没落す     4、GMトヨタに買われる日 の、分野で議論をしていた。
    ー印象に残った部分を書き出してみる。
 ・欧米で合わせて320兆円を超える公的資金投入は、人類が始めて経験する未曾有な経験
 ・アメリカのウォール街が主導して世界のGDPの十数倍の金融商品を作り出し荒稼ぎしてきた、
  金融工学と称するシステムの破綻と、借金漬けの消費帝国アメリカの終焉。
 ・その結果、アメリカという国は二度と立ち上がれないほどのダメージを負った。
 ・アメリカの貧困層に住宅ローンを売りつけ、彼らを丸裸にしてしまった。
 ・フォードやGMの社債は、額面の25〜30%を割っており、もはやジャンク債の域である。
  GMは毎月1000億の損失を出している事態になっている。
 ・アメリカが4割の下落に対して、日本は5割の下落である。
  その理由は、日本の利益の源泉が北米の輸出で、利益の5割を占めている。大雑把にいうと、
  それで5割の減益だが、アメリカの金融セクターの占める割合は4割。だから日本のほうが株価の下落が大きい。
    (字数制限のためカット2010年11月14日)
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2007年11月14日(水)
2416, 世界の「富」は、人口の2%が過半数以上所有         才ノヽ∋―_φ(゜▽゜*)♪
一月ほどの新聞記事だが、国連の研究機関が発表した調査によると
  ー世界の「富」は、人口の2%が半分以上所有ーという。
 これを解りやすくまとめると
・世界の成人人口の2%が、家計全体の「富」の半分以上を所有。
・逆に貧しい方からみると、人口の50?が所有する富は1パーセント。
・最も豊かな層に属し、成人人口の1%に相当する人々が所有する富は、世界の4割に相当。 
 「上位1%」に居住している国別に分類すると、米国が最多の37%、日本は2番目に多い27%で、
 日米だけで上位1%の3分の2近くを占めていることになる。
・一人当たりの世界の富の平均が、2600ドル。日本は18万1000ドル、アメリカは14万4000ドル、中国は2600ドル、インドは1100ドル。
・富の分配の格差を示す「ジニ係数」も国別に算出。 値が一に近づくほど格差が大きくなるが、世界の平均値が0.89に対して、
 アメリカは0.8に対して、日本は0.55で格差は比較的小さい。まだまだ、日本は健全にみえるが、この数年で大きく変わってきた。
 2000年の統計値を使ってまとめたもので、預貯金や不動産などの資産から負債を引いたものを「富」と定義したという。
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 以上が大方の数字だが、20年近く前に中国に行ったときの一人当たりの格差が100倍だったが、現在は50倍というから、
中国は20年で2倍も豊かになったということだ。 「世界の富の80%は、世界の20%の富裕層が所有している」というが、
日本は最後の余力を食べつくしながらも20%の立場を保っている。 
ところで先日の新聞発表で、国内の一億円以上の預金者は大よそ人口の一?という。
一家族三人として、30数軒に1軒の割合になるが、地方では到底考えられない数字である。
それでも知人を見ていると数人はいるが、まあ他人の懐具合は、如何でもよいか!     ヾ(´_`○)ノ ノヾィ♪
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2006年11月14日(火)
2051, あたりまえなことばかり −7          才八∋ウ_〆(∀`●) 
  幸福論も、あるところまでいくと生死の問題に深く関わることになる。しかし生死がわかるはずが無いことは、前に論じてきた。
 観念としての幸福を、いくら説いてもラッキョウの皮を剥くようなもの。といって、人生の中で「自分ほど不幸ものはいない」と、
 思ってしまうのが人間の性。 不幸という観念に捉われない為にも、孝・不幸は真正面から論じてみる必要がある。
 前に読んだー「私」のための現代思想ーもそうだが、過去の知識の総点検をしているような感覚である。
 知っただけ、経験しただけ生きてきたことになる。知識として知らないことがあまりにも多すぎた!これが現在の心境である。
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「あたりまえなことばかり」
ー・ 幸福はどこにあるのか ー 
《以下、字数の関係でカット。2009年11月14日》
   バイバイ
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2005年11月14日(月)
1686, 「ひとを嫌うということ」−2
 嫌いに対して、よくぞここまで書けるものと感心する。といって日常生きている上で、好き嫌いの感情はつきまとうものだ。
 だから、世の中が面白いものとして現前する。 この本の印象的なところを抜粋した。
 ー「嫌い」の結晶化作用ー         `(`´)”
スタンダールは恋愛における2重の「結晶化作用」について論じている。(′O`)
・第一の結晶化作用とは次のもの。ザルツブルグの塩坑で寒さのために落葉した1本の小枝を廃坑の奥に投げ込んでやる。
 2,3ヶ月もして取出してみると、それは輝かしい結晶で覆われている。
 一番小さな枝、せいぜい山雀の足くらいの枝までが、まばゆいばかりに揺れて閃く無数のダイヤモンドで飾られているのだ。
 もとの小枝はもう認められない。 私が結晶化作用と呼ぶものは、目に触れ耳に触れる一切のものから、愛する相手が
 新しい美点をもつことを発見する心の働きである。
 なんとなく気に食わなかった人があるとき当然「結晶化作用」により大嫌いになることは誰でも知っています。
・そして恋愛における第二の結晶化作用とは、相手が自分を愛していることの確信へと向かう結晶化作用であり、
 疑惑と確信との間を揺れ続ける「交互作用」です。恋する男は15分ごとに呟く。「そうだ、彼女は私を愛している」と。
 そして結晶化作用は一転して新たな魅力を発見することに向かう。と、ものすごい目をした疑惑が彼をとらえ俄かに彼を引き止める。
 胸は呼吸を忘れる。彼は自問する。「だが、彼女は私を愛しているのだろうか」 痛ましくもまた甘いこうした相互作用の最中で、
 哀れな恋人は痛感する、「やっぱり彼女は私に与えてくれるにちがいない、世界中で彼女だけが与えることのできる喜びを」と。
 どうも「嫌い」の場合はこうした交互作用はあまり一般的ではない。          キラ(゜´Д`゜)゜━イ!!!
ー「嫌い」の8つの原因ー       《以下、字数の関係でカット。2008年11月14日》
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2004年11月14日(日)
1321, 西武鉄道上場廃止
 ー時代の変遷の象徴
堤義明のオーナー会社・西武鉄道グループは、この不況下でも安定をした会社と思われていた。それが突然、不正が発覚、
株式が上場廃止という。 関連会社が西武鉄道の株を担保に借金をしている為、一挙に担保割れの事態になる。
日本の影のドンの一人といわれ、「総理大臣が誕生する度に3億円の祝儀を払い続けてきた」と囁かれていた堤義明
ついに逮捕?の可能性がでてきた。 世の中どう変わるか解らないものである。ーもっともコネにて一件落着の可能性があるが。
《以下、字数の関係でカット。2011年11月14日》
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2003年11月14日(金)
954, 「意味」の意味を考える
 言葉や言語を考える時、重要な事として、すぐに「意味」が出てくる。
「人生の意味」とか、「意味がないよ」とか、「このことにどういう意味があるか」とか、言葉と意味は一体である。
 考えるとは、言葉の羅列の繰り返しをしているといってよいが、それは羅列によって意味を幾とおりも置き返している。
 といって「意味」の意味を考えると何が何だか解らなくなってしまう。「意味」の意味を考えるとは、半分ジョークみたいな話だ。
 言語学者西江雅之氏の本に、「意味は『価値』である」に注目をした。
「意味がない!」などと1人で解ったような気になるのは、「自分の価値観とは違う」とっていることでしかないのだ。
「人生の意味」も「人生の価値観を何処においておくか」の問題でしかないことになる。
 言語学者西江雅之の「『言葉』の課外授業」という本の中(p78)に「意味」の意味を簡潔にまとめてあった。
・一つ目は「意味」とは「価値」である。世界のほとんどの言語では「意味」というのは、「価値」のことを言っている。
「あの人の話は意味深い」とか「あの人の話は意味がない」とか、「面白い」とか
「つまらない」とかは、受けての「価値判断」のあり方を「意味」と呼んでいるのだ。
・二つ目は、「意味」というのは、出された例の、別の表現への「置き換え」なんです。
 たとえば「『椅子』とは何か」と言ったら「それは『人が座る道具』である」と。
 この置き換えが、ある種の「意味」になる。「置き換え」の二番目は、別の言葉に置き換えると言うことです。
                《以下、字数の関係でカット。2008年11月14日》
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580,中国の陰と光

  • 2002年11月14日(木)

昨日は三井住友銀行の講演会とパーテーがあった。常務がパーテーでの挨拶がかなり深刻な内容であった。
ここまできたらハードランニングしかないし、後は自助努力しかないという。
初めて聞いたが三井住友銀行持ち株会社をつくって、本体はそこに残し、後は子会社化していくといいう。
この数年間続くであろう暴風を前にした決起式みたいでもあった。本題の講演は「現在の中国について」であった。
・「中国脅威論は的外れ」というのが結論であった。 今開かれている中国共産党大会で、
 これから20年で経済規模を4倍にするという。もしそうしなくては中国の未来はないとまで言っている。
・その為には年率7?の生長を続けなくてはならない。しかし絶望的の数字である。
《以下、字数の関係でカット。2011年11月14日》
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[221] ただいま帰りました

  • 2001年11月14日(水)

今朝、成田に7時半に帰ってきました。 午後は疲れか熟睡し、さっき起床しました。
明日から出社予定です。旅行記は改めて書くつもりですが、印象を書いてみます。
1、成田は意外とピリピリしたところはなく、少し警官が多いと感じでした。
  シーズンオフを含めガラガラでした。
2、ベトナムは思ったより、西欧かされていました。
3、やはりアフリカや中東やインド・パキスタンなどに行き続けたためか、刺激という面で今ひとつでした。
4、その中で、イロイロな見聞がありました。
5、ベトナムも観光や、輸出などでテロの影響が出ているようでした。 疲れは殆ど残ってないようです。