つれづれに

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  今日のYouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Vo0Cazxj_yc&feature=related

 
 今日も歯医者である。これで三ヶ月になるか。 あと一本の治療で終わるが、三回はかかりそう。
 
  ー17:00 後記)
 歯医者で、何気なく地元紙をみると、高校の同級生の会社の倒産記事があった。
負債が2億というが、なかなかの人望のある人物で、私からみれば負債が遥かに少ないが、
少なからず衝撃的だ。 商売も手堅く、マサカである。 さっそく、同級生から電話があり、
近くでお茶を飲んだが、やはり衝撃的だという。 20数人の高校の同級会の中心メンバー3人が、
これで全滅になったと、彼いわく。 来年、私と二人が、同級会の幹事。 奇しくも、倒れた
二人が幹事とは、洒落にもならない。 しかし、これが地方の現実である。






今日の随想日記のカット分

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954, 「意味」の意味を考える
2003年11月14日(金)

 言葉や言語を考える時、重要な事として、すぐに「意味」が出てくる。
「人生の意味」とか、「意味がないよ」とか、「このことにどういう意味があるか」とか、
言葉と意味は一体である。考えるとは、言葉の羅列の繰り返しをしているといってよいが、
それは羅列によって意味を幾とおりも置き返していることである。
といって「意味」の意味を考えると何が何だか解らなくなってしまう。

「意味」の意味を考えるとは、半分ジョークみたいな話だ。 言語学者西江雅之氏の本に、
「意味は『価値』である」に注目をした。「意味がない!」などと1人で解ったような気になるのは、
「自分の価値観とは違う」とっていることでしかないのだ。
「人生の意味」も「人生の価値観を何処においておくか」の問題でしかない ことになる。

 言語学者西江雅之の「『言葉』の課外授業」ー洋泉社
 という本の中(p78)に「意味」の意味を簡潔にまとめてあった。

・一つ目は「意味」とは「価値」である。
 世界のほとんどの言語では「意味」というのは、「価値」のことを言っている。
「あの人の話は意味深い」とか「あの人の話は意味がない」とか、「面白い」とか
「つまらない」とかは、受けての「価値判断」のあり方を「意味」と呼んでいるのだ。

・二つ目は、「意味」というのは、出された例の、別の表現への「置き換え」なんです。
 たとえば「『椅子』とは何か」と言ったら、「それは『人が座る道具』 である」と。
この置き換えが、ある種の「意味」になる。「置き換え」の二番目は、別の言葉に
置き換えると言うことです。「‘desk’の意味は何だ」というと、辞書に「机」と書いてある。
「あ、意味がわかった。この単語の意味は‘机’なんだ」となるような別の言葉への置き換えである。

・三つ目は、「世界の創り変え」である。現状から出発して新たに見出そうとする意味である。
現状を否定して、いっそう本物を求めようという場合の、「求めるもの」と言ってよい。
日常生活で「意味を問う」などというのは、現状を疑い、現状を変革させることなんです。
 意味には「分析的」なものと、「連想的」なものがある。「分析的」は欧州風科学で考えるもので、
「連想的」は「ひらめき」や「インスピュレーション」などの科学で扱わない部分である。
   ー以上が抜粋である。
 一つ目の ー「意味」とは「価値」であるーについて考えてみよう。に対して無意識的に
押し込もうという働き」と見ると理解ができる。そうすると、意味を考えることは価値を考えることなる。
そういう知識のない人が、必死になって「意味づけの演説?」をしているのを聞いたことがある。
その時「この男、馬鹿じゃないか?」と聞いていて思ったことがある。
「結局は、自分の価値観、意味づけを言っているだけじゃないか」と聞いていた
ことを思い出して納得をした。まあ、同じことを自分もしているのだろうが。
 二つ目の「置き換え」は、少し解りづらい。意味というのは、同じことを置き換えているに
過ぎないというと解りやすい。「deskは机だ」という言葉の置き換えがよい例だ。
もっとわかりやすい場面が、夏休みにNHKの「子供ラジオ電話質問コーナー」がある。
こどもの単純な質問に窮した回答者が苦し紛れに、ただ言葉の置き換えで説明をしてしまうことがある。
「死ぬってどういうことですか?」という哲学者でも答えられない問題を一言で片付けなくては
ならない時に、言葉の置き換えで誤魔化すケースだ。
 三つ目は「世界の創りかえ」である。 良い意味でも悪い意味でも、宗教家が使う手法である。
経営も政治も、考えてみれば「世界の創りかえ」である。その時、背後には大きな意味が
なくてはならない。その点では、「意味」や「価値」は最重要事項である。
「ところで、このホームページって何の意味があるの?」と問われたらと、考えてみた。
何回も書いているが、「公開の日記と魂の記録」といってよいが。

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580,中国の陰と光
- 2002年11月14日(木)

昨日は三井住友銀行の講演会とパーテーがあった。常務がパーテーでの挨拶がかなり深刻な
内容であった。ここまできたらハードランニングしかないし、後は自助努力しかないという。
初めて聞いたが三井住友銀行持ち株会社をつくって、本体はそこに残し、後は子会社化して
いくといいう。この数年間続くであろう暴風を前にした決起式みたいでもあった。

本題の講演は「現在の中国について」であった。
・「中国脅威論は的外れ」というのが結論であった。
 今開かれている中国共産党大会で、これから20年で経済規模を4倍にするという。
 もしそうしなくては中国の未来はないとまで言っている。
・その為には年率7㌫の生長を続けなくてはならない。しかし絶望的の数字である。
 もし発表された数字が成長7㌫なら虚偽の数字とみたらよい。
汚職、農村問題、私的企業の認可等の問題が山積みだという。

こういう問題が共産党の統治メカニズムを弱体化させていく。孫文が「中国国民は
砂のようなもの」と喩えた。極端な個人主義を言いたかったのだろう。その為に強烈な統治が
必要で共産主義の統治は今までは有効に働いたが、これからはその解体過程にあるのは納得できる。

中国内部でも地域間賃金格差は十数倍あり、これが8000万人の流浪の民をつくっている。
現在、中国の内部の矛盾が大きく内部に膨らみだしてる。あまり日本のマスコミでは
言われてないが今までなかったような情報が多いとか、暴動とかストなど。

いずれにしてもあまり過大評価をしない事だ。今は光の部分しかみえてないが、背後の影が見すえなくては。
これが結論であった。国内も世界も今まで経験したことのない時代に一歩踏み出したようだ。


[221] ただいま!
- 2001年11月14日(水)
今朝、成田に7時半に帰ってきました。午後は疲れか熟睡し、さっき起床しました。
明日から出社予定です。旅行記は改めて書くつもりですが、印象を書いてみます。
1、成田は意外とピリピリしたところはなく、少し警官が多いと感じでした。
  シーズンオフを含めガラガラでした。
2、ベトナムは思ったより、西欧かされていました。
3、やはりアフリカや中東やインド・パキスタンなどに行き続けたためか、刺激という面で今ひとつでした。
4、その中で、イロイロな見聞がありました。
5、ベトナムも観光や、輸出などでテロの影響が出ているようでした。
 疲れは殆ど残ってないようです。