つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=OIMgpUJHuBQ

 今週は、雨系の天気予報。仕方がない。
隣家が完成、あとは晴れ間をみての引越しだろう。
昨日、明かりがついていたので、見ると、家族が楽しそうに居間にいた。
5~6歳の女児が、二人、人生で一番、良い時だろう。


・・・・・
1704, 家訓づくりのすすめ -1
2005年12月02日(金)
     
「今さら家訓でもないだろう」と思いつつ、図書館から借りてきて読んでみたら、これが面白い。
個人の心得としても、そのまま通じる。 近年、世間を騒がせているモラルの低下や犯罪の増加、
ニートやフリーターの大量出現も、家族のあり方と無縁でない。   
 目の前で説教をしても、今どきの子供は聞かないが、家訓として書いて貼っておけば必ずみるもの?
                (;`・ω・)ノ ---===≡≡≡【えぇ?!マジ?】
著者は、この時代の家庭の危機を救う方策として「家訓づくり」を提唱している。
 350の家訓サンプル付で、家訓を作る時の注意事項も具体的でよい。
家訓とは、その家の中心人物が、一族や家臣のために自分の体験に基づいた教訓である。
しかし、その言葉の多くは、現在の個人に対しての戒めにもなる。 へ(~Д~*へ))))... ...((((
 第二章「家訓の歴史」と「名家の家訓」がよい。
  有名なものとして、徳川家康伊達政宗・岩崎家の家訓・遺訓は何度か目にした事があるが、
 記録として今後目を通したいので写してみた。        φ(。。*)
 -徳川家康の家訓ー
 一、人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し、必ず急ぐべからず。
 一、不自由を常と思えば不足なし
 一、心望み起こらば、困窮したる時を思ひ出すべし
 一、堪忍は無事長久の基
 一、怒りは敵と思え
 一、物好きは末に歎くことありと知れ
 一、勝つことばかり知りて負くることを知らねば、害その身に至る
 一、唯だ己を責めて人を責むるな
 一、何事も及ばざるは過ぎたるに勝れり                 
                  〆(´m`) ムフッ
 ー伊達政宗の家訓ー
 一、仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる。
   礼に過ぐれば諂い(へつらい)となる。
   智に過ぐれば嘘を吐く。信に過ぐれば損をする。
 一、気ながく心おだやかにして、よろづに倹約を用い金銀を備ふべし。
   倹約の仕方は不自由なるを忍ぶにあり。この世に客来たと思へば何の苦しみもなし。
 一、朝夕の食事はうまからずとも褒めて食うべし。
   元来客の身になれば好き嫌いは申されまじ。
 一、今日行くをおくり、子孫兄弟によく挨拶して、
   娑婆の御暇(おいとま)申すがよい。

ー岩崎家の家訓ー      (v_v)
  (三菱財閥を創設した人)
 一、小事に齷齪(あくせく)するものは大事ならず。宜しく大事業を経営するの方針を執るべし。
 二、一度着手した事業は必ず成功を期せよ
 三、決して投機的の事業は企つるなかれ
 四、国家的観念を以って総ての事業に当たれ
 五、奉国至誠の赤心は寸時も忘るべからず
 六、勤倹身を持し、慈恵人を持つべし
 七、能く人柄技能を鑑別し、適材適所に用いよ
 八、部下を優遇し、事業上の利益は成るべく多く彼等に分与すべし
 九、創業は大胆に、守成には小心なれ
ーーー
何度かわが家の家訓を書いたことがある。
家訓というより、常々両親が言っていたことをまとめたものだ。
・保証人になるな  
・金の貸し借りは絶対にするな   
・お金を決して粗末に扱わないこと お金を前にすると、人間は変身をする    
・借金は極力しないこと ¬_¬)ちらっ                    (`´ゞ
・親しき仲にも礼儀あり、誰とも同じ距離を保つべし  
・私生活は、奇麗にしておくべし 特に男女間に関しては、家庭内に持ち込まないこと
・生活は質素倹約を基本とべし。 
・政治には最小限の接点にすること 
  まあ、明治時代の人は大体こんな考え方が8~9割であっただろう。
 これを土台に『わが家の家訓』を制作中だ。これをやりだしたら、面白くて面白くて!     
夫婦で共同作業をしておけば離婚の確率は低くなるだろうに?

・・・・・・・
2004年12月02日(木)
1339, 「酒乱になる人、ならない人」
              -読書日記 -1
男なら一生のうちに何度か酒で失敗したことがあるはずだ。
私も酒大好き人間として、何度失敗したことか。
大失敗をしても、数年もしないうちにまた酒の失敗を繰り返す。
一番の敵を、平気で口から脳に送りこむのであるから人間は馬鹿の生きものだ。
 酒で家庭を壊し、職場を追われ、最愛の人にも愛想をつかれる。
過去に多くの酒乱の人や、アルコール依存症の人を見てきた。
そして、私も一過性の酒乱になったこともある。
それでも、間違って朝起きたら女性と?ということは一度も無かったし、
暴力沙汰で留置場ということも無かった。 しかし、危ないことは数知れずである。
 アルコール依存症の手記を月刊誌で何度か読んだことがある。TVに本人が出てきて、
生々しいアルコール依存症の話を淡々としていた。三連休、4連休の休みに、大量の酒を
買い込んで三日間続けて、意識を失っている以外のみ続けるという。
信じられないような精神状態になるようだ。 身も心もボロボロになる。
私も色いろ試した結果、酒の自制のルールをつくった。
・一人酒を飲まない(一人で外にのみに行かない)
・外での2日続けての酒はさける
・週2日以上はさける
・23時以降には帰る
・一軒目では、酢の物、野菜サラダか漬物を初めのつまみにする
・飲んだ後の、食事ーラーメンなどーはさける
・不愉快な酒は絶対に飲まない 自棄酒や、嫌な飲み会や、気の合わない人の屯する店には行かない
・飲み会の場合は必ず酔い止めのドリンクを飲む
・家では 日本酒は飲まない(在庫をおかない)
 ノンアルコールビール(350ml)を一本と、 紹興酒(300ml)を一日の基準にする
・女性とは一々にならない
これを実行していても、年に一回は危ないことがある。
 ーブラックアウトー
飲んでいて、あるところから記憶が全く無くなることを「ブラックアウト」という。
 この言葉は、お医者さんの専門用語であるが、ブラックアウトの経験をするようになったら、
チョッと気をつけなくてはならないとか。私も十数年ほど前から、ブラックアウトの経験が何度か?
重症になると、数日間のブラックアウトが生じて本人はまるで、その期間のことは憶えていないという。
どこかの街でフット我にかえるが、飲んで正体を失ってしまってからの記憶が全くないという。
 留置場のお世話になってはいないが、これが、酒乱かどうかの大きな目安である。
二十数年前に、花見で飲みすぎて池の端で転がっていて、朝になって救急車で病院に運ばれたことがあったが。
それでも、その夜の泥酔のことは、ほぼ憶えていた。アルコール依存症と、酒乱は本来違う。
私の場合は、酒乱のケがあるというレベルだが。致命的な失敗はないが、それでも大きな失敗を
多く繰り返してきた。 この本のアルコール依存度テストでは、全く問題はなかった。歳も考えてか、
気をつけていることもあるが。
 同級会で、酒の失敗の話を聞くと飲んで暴れて留置場に泊まってきたなど、話はきりがない。
特に日本では、「酔っ払い」といって甘く見る傾向があるが。            
               
・・・・・・
2003年12月02日(火)
972, ナレッジマネジメントー3
ー「ベンチマーキング」と「ベストプラクティス」
ナレッジマネジメントといえば、その手法として「ベンチマーキング」と「ベストプラクティス」が頭に浮かぶ。
・ベストプラクティスとはー自社に比べて、優れた業務方法のことをいう。
 他業種のよりすぐれた業務手法に多くのヒントがある。
・ベンチマーキングとは, ーベストプラクティスに学ぶ経営変革手法のことをいう。
‘解りやすく’いえば、「他業種のベストのモデルを見つけて、徹底的に真似ることである。」
‘難しく’いえば「系統的且つ継続的な測定プロセス。ある組織が業績を改善する為に役立つ情報を
得るために、組織のビジネスプロセスを継続的に測定し、世界のビジネスリーダーと比較するプロセス」
業界の内外を問わずベストなものとの比較を行うことによってギャップを埋め、現状を改善する有効な方法である。
前向きなプラス志向の経営手法といってよい。
ーベンチマーキングの成功例では、ユニクロが、異業種のマクドナルドを徹底的にベンチマーキングを
したのが知られている。日本のコンサルティング会社のペガサスが徹底したアメリカの小売業を
ベンチマーキングをして、それを日本の零細小売業のダイエーヨーカ堂などに「ノウハウ販売と指導」
をしていた。ベストプラクテスの対象としては、その時期時期によりシアーズであったり、JCペニー、
Kマートであったりした。
 このように知識を中心にした、ナレッジマネジメントに徹した企業がますます力を発揮していくのは間違いない。
前回にナレッジといえば、「知識」というより「知恵」のほうの意味だと書いた。
「知恵とは何か」の、ある解釈をみると
 ー「知」の要素の一つである。
 知識をベースに、そこに個人が持つ独自のノウハウ、応用力を加えることに
よって価値創造に役立つ源泉になるもの。データー、情報、知識、などの客観情報に、
コツや経験といった主観的な情報を加えてでできた判断力、解決策をさすーとなっている。
私たち日本人は、知恵というと仏様の知恵を思い浮かべてしまう。
経験を加味をした霊感的意味合いにとってしまう。それも知恵といってよいだろう。
 ーー
参考資料-1
「図解 わかる!ナレッジマネジメント」高梨 智弘 (著) ダイヤモンド社
 目次
1 、ナレッジマネジメントとは何か?―なぜ「ナレッジマネジメント
  が重要視されているのか、まず全体を押さえておこう
2 、欧米や日本ではどれだけ根づいているか?
  ―欧米や日本企業でどれだけ実践されているか見ていこう
3 、ナレッジマネジメントに必要な人と組織とは?
  ―ナレッジマネジメントを成功に導く人材の条件を確認しておこう
4 、ナレッジマネジメントを実践するには?
  ―ナレッジを収集し、品質を維持し実践的に活用するにはどうすればいいか
  見ていこう
5 、ナレッジマネジメントを成功するための情報テクノロジーとは?
  ―企業環境やインフラ整備はどのようにすればいいか見ていこう
6 、社内外からナレッジをどう集めればいいか?
  ―社内外のベストプラクティスを集積するためのポイントを見ていこう
7 、ナレッジマネジメントシステムの導入方法は?
  ―日本総研の例を見ながらナレッジマネジメントシステムの構築と
  活用の方法を見よう
8 、先端事例に見るナレッジマネジメント成功の条件
  ―国内外の先進企業がどのように導入しているか見ていこう
参考資料-2
「ベンチマーキングとはなにか」高梨 智弘 (著)生産性出版
・・・・・・
 598,八ちゃんの時代ー2
 2002年12月02日(月)
少年期までは今考えても、かなり刺激的な環境で育った。
生後3ヵ月後に、長岡の東神田から大手通に帰ってきた記憶がある。
もしかしたら父親の話の刷り込みかもしれないが。子宮の中の記憶のある人もいるとか。
お手伝いの背中におぶさっていたのも這い這いも憶えている。歩かされた時に
面倒くさいと思った事も。商売の真っ只中で育ったせいか、今も人ごみが好きである。
スーパーや飲食店に行くのが異常に好きなのは、三つ子の魂百までだ。
競合店がオープンすると偵察に行った、5歳の頃である。
家族全員が毎日の売り上げに一喜一憂をしていた。 もう50年以上も昔のことだ。
今考えると当時は金色に輝いていたように思える。生きるのに必至の両親の姿が
そのまま伝わってきていた。 素晴らしい時を両親と共有できたのだ。
兄二人の死とその5~10年後の母の心筋梗塞の死線があった。
これで母は死ぬんだと思った、しかし生き延びた!
 2歳の頃に実家で更に新しい事業を始めた。 その記憶が生々しい。
ビル建設の完成まで住んでいた木造の家の下に丸太を入れ
近くの公会堂前の広場まで移動した。完成するまでそこで店を開いていた。
 建物の完成した引越しの日々が生々しい。コンクリトーと生壁の匂いと混乱の凄みを。
あの時代は皆が必死であった。
  1階は店,
  2階が倉庫兼事務所、
  3階が自宅兼店の食堂と風呂、
  4階が従業員の宿舎兼後方であった。
 毎日が戦争のような日々であった。
・・・・・・・ 
 [254] 愛の貧乏大作戦
 2001/12/02 13:44
  -土曜日の13時放映
「商売の上手くいってない料理店」を建て直す番組である。
その対極にある繁盛店に、その主人が修行に行ってその精神を叩きなおし、
繁盛のコツと技術を教え込む番組である。
ー上手くいってない理由の共通点がある。
1、全てでないが まずは夫婦仲が悪いか、あるいは片方が死んでいるか、
  離婚をしている、生活が壊れているのだ。
2、甘い、甘いから上手くいってない。プロの自覚がない。
  店を張って生きていく事の厳しさの自覚がない。
3、上手くいかない理由が解かってないから、横に商品の間口を広げていく。
  (アイテムの数を増やしていく)
  その為一品一品の力(商品力)が落ちていく。
4、仕事を楽しんでない。
商売にかかわらず、なんごとでもいえることだが上手くいくコツは「選択と集中」である。
その正反対をどんどんやってしまう。それを一週間の修行で叩きなおせる訳がない。
それをやってしまうから無理あるが、そこが面白い。大体が商売は上手くいかないのが
当たり前。上手くいくほうがオカシイ位に考えておいたほうがいい。
とりあえず一品をとりあえず教え込むのが理に合っている。
それとまずはギリギリのところに追い込む。甘い自分に直面させ、そしてそれを叩き壊す。
それと面白いのは、最高の職人と最低の職人の初めの掛け合いである。

・・・・・・
ある時間の断片
12月2日   1968年 
 夕方、米林が部屋に来る。南波さんと、蒲生のことは自分がつくったデマだという。
こんなものだろう。嘘をつくということに対して何とも思わない人種が多い。
この手合いの男だ。早稲田大にはこういう手合いが多いのは確かだ。
嘘をつくのはよいが、自分でそれによって混乱をするのがわからない。
べつに無視をすればよいが、色いろな人間がいるものである。
これが今の寮の流れなのだろう、人の気持ちは流れゆくものだ。