つれづれに

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   今日のYoutube


 1999年4月のイスラエルに行ったときに、エジプトのシナイ半島の、
シナイ山の麓のホテルに一泊し、午前一時に起きて登ったが、これが
神聖で良かった。  写真はネットのコピーだが。
モーゼがイスラム、キリスト、ユダヤ教の大元の神様を発見したシナイ山と、
モーゼの「燃える柴」がある聖カタリーナ修道院
 モーゼが、この山頂で、瞑想し、ラージXの神を発明!それが、ユダヤ教
キリスト教イスラム教の大神様。 聖書には「旧約」と「新約」の二つがあり、
アダムとイブの話やノアの箱船モーゼの十戒などの物語があるのが、旧約聖書
これに対して、イエス・キリストと弟子たちの話が書かれているのが、新約聖書
「約」とは「契約けいやく」で、神との約束のこと。
  旧約聖書でモーゼが、「出エジプト記」で、エジプトに捕らわれていた
イスラエルの民をひきいてエジプトから脱出し、長い流浪の末に彼らを
「約束の地」に導く物語。それまでに、彼はシナイ山に登って神から「十戒
(十条の戒めのことば)を授かりるが、これが「モーゼの十戒」。           
1、あなたには、わたしをおいてほかには神があってはならない
2、あなたはいかなる像も造ってはならない
3、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない
4、安息日を心に留め、これを聖別せよ
5、あなたの父母を敬え
6、殺してはならない
7、姦淫してはならない
8、盗んではならない
9、隣人に関して偽証してはならない
10、隣人の家を欲してはならない
 
 私もこのモーゼが通った道を通って、シナイ山に行った。
そのふもとにあるモーゼの「燃える柴」がある聖カタリーナ修道院
 夜半の一時に起こされ、たしか4時間かけて登山。日の出を
拝んだ。何事も経験で、鮮明に記憶している。 
 山頂の岩小さな寺院が、モーゼが瞑想した場所で、欧米文明の
聖地中の聖地で日の出を待った。現実離れをした真夜中の登山。
 何事も経験してみることだ。イスラエルは、面白い!



・・・・・・
3163, 金本位制度が復活?
2009年12月02日(水)

 昨日、日経新聞を何気なくみていたら、以下のような記事があった。
  * 中国政府高官「金保有、10年以内に1万トン」ドル安で買い増し論
 30日付の中国紙、中国青年報によると、国務院(政府)国有重点大型企業
監事会の季暁南主席は2兆ドルを超す外貨準備の運用について「金の保有量を
3~5年以内に6000トン、8~10年以内に1万トンまで増やすべきだ」と指摘した。
現在の保有量は約1000トンで、1万トンへの買い増しは実現可能か微妙だが、
ドル安が続くなかで政府内で金の買い増し論が勢いを増しつつあるもようだ。 
中国の外貨準備高は9月末時点で2兆2726億ドル。うち約7割をドル資産で運用し、
金の比率は2%弱にとどまる。最近のドル安を受け、政府内では外貨準備の運用を
ドル以外に振り向けるべきだとの議論が再燃しており、なかでも金は「安全資産」
として評価が高まっているとみられる。 ワールド・ゴールド・カウンシルに
よると、金の保有量(今年9月時点)は米国が8134トンで世界一。
ドイツの3408トン、イタリアの2452トンが続く。季主席は外貨準備運用の直接の
担当ではないが、今回の発言は政府内の多数意見を反映しているとの見方が多い。
(北京=高橋哲史) (11月30日 19:45)
 ――
 以上だが、最近になって、米国の金本位論が再燃し始めているようだ。
元もとあった論だが、こういう情勢で改めて見直されているとも受け取れる。
ニクソンが金本位を止めたが、それは一時凌ぎで、こういうドルの乱発後には、
金本位制度に逆に戻し、新ドルと兌換にすれば、下げきった金は暴騰する。 
紙切れのドルを無制限に刷って、ドルの価値が下がったと同時に、金本位制度に
逆戻りにすればよい」というアメリカにとっての秘策。
「逆ニクソンショック」で、再び世界の金融の主導権を握ろうというもの。 
戦後一貫して、日本の金保有に直接・間接的に介入してきた。そして、とどの
つまりは、アフガン・イラク戦争の戦費捻出でドルを無制限に発行、そのツケが
回ろうとしたときに、金本位制度にして新ドルに替えてしまうという魂胆である。
そこで急遽、中国は、金を3~5年で5倍、10年で10倍にしようと意図で、上記の
ような方針になったと受けとめられる。 その意味で、今年と来年は日本経済
の混乱をアメリカは画策してくるはず。ドル安も、その一つなのか。
日本は今もそうだが、金融恐慌の戦災の跡地に、さらに止めの爆弾を落とされている。
それも理解できないのが日本国民。この暮れから、不況の波は更に大きく日本を襲う。 
悲観的になって当然である。

 ・・・・・・・・
2798.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・7
2008年12月02日(火)
  ー失敗を恐れるな!
「自分のカでは どうにも ならないことは、心配するな」 という言葉、
今度の恐慌で、心配の極みで読んでみて、ホッとした道理である。 
~~
「人間ができる 唯一の独創的な行為こそ、間違えることなのである」ビリー・ジエル」
「人には正しいことだけでなく、間違ったことをする権利もあることに気づいたとき.、
子供は大人になる」ートマス・ザス
「意味のある努力は、 やってみる前には 簡単には見えない。
 だが、実際にやってみて結果が良ければ、その時点から振り返ってみると、
 簡単であったように 思い返せるものである」ーエドワード・テラー
「自分のカでは どうにも ならないことは、心配するな」ユダヤ人の友人のコトバ
「金をなくしても、何も失わない。 誇りをなくせば、多くを失う。勇気をなくせば、
 すべてを失う」ーユダヤ人の友人の言葉
「自分を破壊する 一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる」 ニーチェ
「過去というものには、 常に馬鹿馬鹿しさが つきまとう」マックス・ビアボーム
「人生では、時には愚か者を 演じなければならない 時がある」東欧ユダヤ社会の諺
「夢も悪夢もみたけれどへ 夢があったからこそ、 悪夢を乗り越えられたのた」  
                             ジョナス・ソーク
「そもそも人間という存在は、ものごとを完壁には理解することが できない生き物である。
 このことに気づくと、間違えることは恥ずかしくなくなる。恥じるべきは、過ちの修正を 
 怠ったときである」     ジョージ・ソロス
悲観主義は、ユダヤ人が決して 手にすることができない 高級品なのです」  
                               ゴルダ・メイヤー
 たくさんの失敗を 重ねてみて、 はじめて真実の全体像に 出会えるのだ」  
                            ジークムント・フロイト
「経験は、素晴らしい学校だ。 ただ、授業料が高いのが タマに傷だが」   
                             ヘンリッヒ・ハイネ

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2007年12月02日(日)
2433, お茶ひき
        (●っー3。○)・・・ハッ!(●`・v・´)オハヨサン♪
最近、長岡・殿町の小さな居酒屋とかスナックに行くと、不景気な話ばかりである。
先週は二度も「お茶をひいた」という話など決して珍しくない。歳のせいもあるが、
最近はスナックで飲んでも前ほど面白くなくなってきた。酒のツマミでも買って、
家でTVを見ていた方がよほど刺激的である。夜の飲食街の人たちは今さら他に
仕事の当てもなく耐えるしかない。そのせいか平均年齢がドンドン高くなっている。
もともと若い人は仲間内で遊ぶ!タクシーと、飲食の世界の人たちは、ますます
寒風に曝されるしかない。水商売とは、よく言ったものである。
そこで、検索で「お茶をひく」で調べたら、次のような内容が出てきた。
  --
 (字数制限のためカット 09年12月2日)
・・・・・・・・・・
2006年12月02日(土)
2069, 書画骨董の話 -1
                才八∋ウ_〆(∀`●) 
 戦後になって転業するまで、実家が何代か続いた骨董屋であった。
そのため転業後も父は書画骨董を趣味にしていて、常に居間には書画骨董があった。
私が父の40歳を過ぎてからの子供のため、暇をみつけては散歩代わりに、
骨董店に何度も連れられていった記憶がある。門前の小僧の何とかで、真贋を
見分ける眼がついたようだ。さらに、海外旅行で有名な美術館に行く度に世界の
名画を数知れず見てきた。そのためだろう、書画骨董の真贋の鑑識眼がついて
しまったようだ。贋物に騙され、それを糧に眼を肥したプロには足元に及ばないが・・
TVの「お宝鑑定にでてくる真贋は、ある程度はわかる。(誰も解るか?)
書画骨董を自分で買ってまで欲しいと思わないのは、どういう理由か? 
逆に人は何で自分の手元においておかなくてはならないのか不思議でさえある。
そんなもの、自分の倉庫や居間に置いておく必要はない、美術館に置いて公開
すべきである。死にかけて初めて、そのことに気づく耄碌が大部分だが。
それが趣味なら、他者の言うことではないが。名の残っている人の書画は、
波動というか何ともいえない雰囲気が漂っている。それと品格というか気品である。
絶妙のバランスである。これは自然の中に多くみられるから自然の中にこそ
バランスが存在している。そのバランスを表現するには、それなりの技法があるはず。
それを知りたいと思っていたら、ある本で偶然見つけた。中国の山水画の六技法。
波動を出している本体の構造をつくりあげる技法とは・・
 ーーー
以下はインターネットで調べた「画の六法」である。
1、気韻生動 ‐ 初期においては気と韻律、動勢と生命感ある絵画か。
  物質が保有する詳細から来る気韻を正確に掴み取って、その特色を描けるに
  到るか。実在物との正誤を欠かずに。かつ、自身の気韻もそこに同調するか
  どうかも重要になる。 自身の気韻と、描画対象の気韻。
2、骨法用筆 ‐ 物の正確な形(骨法)は正確に取れている、技巧ある筆運びか。
  己が骨子が如くして大事に扱い、己が骨知る生活が如く、筆を良く知る。
  己が筆が如く用いる事で、筆や自身を大切に生活出来る。
3、応物象形 ‐ 媒質の形状個性を、いかんなく象徴化し、応用できるか。
  媒質に応じた象徴を塑写す。物質の詳細にまでいかんなく応え描にて象を
  描き成す。媒材詳細に正確に適応し、かつ緻密で正確な状態に更に実在性を
  加えた状態での象徴たらしめる。
4、髄類賦彩‐ 精髄究めるべくした具体性とかね合わせる。
5、経営位置 ‐ 構図は正確で、意味のある位置取りか。描くにおいては描画対象
  に対して意義を成し、自らの位置掴み取るにおいては描画に最も適した媒材や
  自身の位置取りであるか。
6、伝模移写 ‐ 模写力はある。 以上は南斎の「謝赫」が、その著作
  『古画品録』の序において説いたもの。その第1、の「気韻生動」を
  「謝赫」が絵画の最高理想とした。
   --
 ーまあ、そのままでは難しいから解りやすくいうと、
 1、「気韻生動」とは、直感的に感じとらせる、名伏しがたい迫ってくる躍動。
   自分の気合いと韻律を、エネルギーを込めて対象物への投入すること。
 2、その絵には、しっかりした基礎となるデザインがある、それが「骨法用筆」。
 3、その対象を的確に描写しなくてはならない、それが「応用象形」。
 4、それに色づけをするのが、「髄類賦彩」である。
 5、さらに構図をきちんとまとめる「経営位置」。
 6、こうした技術を身につけるため、古人の名画に数多く接して、
   その作品に忠実に模写する修行をするのが「伝摸移写」である。
 骨法用筆以下の5法は,努力して会得することができるが,「気韻生動」は
 天与の才能と人格をそなえた人物のみが実現できるとして、その後の
 文人画の根本的思想となったという。
 ---
 こういうのが、解るようになってきたのは、やはり熟年になったからか~
                             つづく
・・・・・・・・
2005年12月02日(金)
1704, 家訓づくりのすすめ -1  

「今さら家訓でもないだろう」と思いつつ、図書館から借りてきて読んでみたら、
これが面白い。個人の心得としても、そのまま通じる。近年、世間を騒がせている
モラルの低下や犯罪の増加、ニートやフリーターの大量出現も、家族のあり方と
無縁でない。目の前で説教をしても、今どきの子供は聞かないが、家訓として
書いて貼っておけば必ずみるものだ?(;`・ω・)ノ ---===≡【えぇ?!マジ?】
著者は、この時代の家庭の危機を救う方策として「家訓づくり」を提唱している。
350の家訓サンプル付で、家訓を作る時の注意事項も具体的でよい。
 家訓とは、その家の中心人物が、一族や家臣のために自分の体験に基づいた教訓。
 しかし、その言葉の多くは、現在の個人に対しての戒めにもなる。 へ(~Д~*
第二章「家訓の歴史」と「名家の家訓」がよい。
有名なものとして、徳川家康伊達政宗・岩崎家の家訓・遺訓は何度か
目にした事があるが、記録として今後目を通したいので写してみた。              
 -徳川家康の家訓ー
一、人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し、必ず急ぐべからず。
一、不自由を常と思えば不足なし
一、心望み起こらば、困窮したる時を思ひ出すべし
一、堪忍は無事長久の基
一、怒りは敵と思え
一、物好きは末に歎くことありと知れ
一、勝つことばかり知りて負くることを知らねば、害その身に至る
一、唯だ己を責めて人を責むるな
一、何事も及ばざるは過ぎたるに勝れり     〆(´m`) ムフッ
ーーー
何度かわが家の家訓を書いたことがある。家訓というより、
常々両親が言っていたことをまとめたものだ。
・保証人になるな
・金の貸し借りは絶対にするな
・お金を決して粗末に扱わないこと お金を前にすると、人間は変身をす    
・借金は極力しないこと (`´ゞ
・親しき仲にも礼儀あり、誰とも同じ距離を保つべし
・私生活は、奇麗にしておくべし 男女間に関しては、家庭内に持ち込まない
・生活は質素倹約を基本とすべし
・政治には最小限の接点にすること
まあ、明治時代の人は大体こんな考え方が8~9割であっただろう。
これを土台に『わが家の家訓』を制作中だ。これをやりだしたら、
面白くて面白くて!  φ(._. )カキカキ 3(-ω-。)クシャクシャ
夫婦で共同作業をしておけば離婚の確率は低くなるだろうに?
                     (^_^)/~~
・・・・・・・・・
2004年12月02日(木)
1339, 「酒乱になる人、ならない人」
              -読書日記 -1
男なら一生のうちに何度か酒で失敗したことがあるはずだ。私も酒大好き人間
として、何度失敗したことか。大失敗をしても、数年もしないうちにまた酒の
失敗を繰り返す。一番の敵を、平気で口から脳に送りこむのであるから人間は
馬鹿の生きものだ。酒で家庭を壊し、職場を追われ、最愛の人にも愛想をつかれる。
過去に多くの酒乱の人や、アルコール依存症の人を見てきた。そして、私も一過性
の酒乱になったこともある。それでも、間違って朝起きたら女性と?ということは
一度も無かったし、暴力沙汰で留置場ということも無かった。しかし、危ないことは
数知れずである。アルコール依存症の手記を月刊誌で何度か読んだことがある。
TVに本人が出てきて、生々しいアルコール依存症の話を淡々としていた。三連休、
4連休の休みに、大量の酒を買い込んで三日間続けて、意識を失っている以外のみ
続けるという。信じられないような精神状態になるようだ。
身も心もボロボロになる。 私も色いろ試した結果、酒の自制のルールをつくった。
・一人酒を飲まない(一人で外にのみに行かない) 
・外での2日続けての酒はさける 
・週2日以上はさける ・23時以降には帰る 
・一軒目では、酢の物、野菜サラダか漬物を初めのつまみにする
・飲んだ後の、食事ーラーメンなどーはさける ・不愉快な酒は絶対に飲まない
 ー気の合わない人の屯する店には行かない
・飲み会の場合は必ず酔い止めのドリンクを飲む 
・家では 日本酒は飲まない(在庫をおかない)ノンアルコールビール
(350ml)を一本と、紹興酒(300ml)を一日の基準にする
・女性とは一々にならない
ーブラックアウトー
 飲んでいて、あるところから記憶が全く無くなることを「ブラックアウト」
 という。この言葉は、お医者さんの専門用語であるが、ブラックアウトの経験を
 するようになったら、チョッと気をつけなくてはならないとか。私も十数年ほど
 前から、ブラックアウトの経験が何度かあるようになった。重症になると、数日間
 のブラックアウトが生じて本人はまるで、その期間のことは憶えていないという。 
 どこかの街でフット我にかえるが、飲んで正体を失ってしまってからの記憶が
 全くないという。 留置場のお世話になってはいないが、これが、酒乱かどうか
 の大きな目安である。二十数年前に、花見で飲みすぎて池の端で転がっていて、
 朝になって救急車で病院に運ばれたことがあったが。それでも、その夜の泥酔の
 ことは、ほぼ憶えていた。 アルコール依存症と酒乱は本来違う。 
 私の場合は、酒乱のケがあるというレベルだが。致命的な失敗はないが、
 それでも大きな失敗を多く繰り返してきた。この本のアルコール依存度テスト
 では、全く問題はなかった。歳も考えてか、気をつけていることもあるが。
 同級会で、酒の失敗の話を聞くと飲んで暴れて留置場に泊まってきたなど話は
 きりがない。特に日本では、「酔っ払い」といって甘く見る傾向があるが。               
                             -つづく
 ・・・・・・・・
 2003年12月02日(火)
972, ナレッジマネジメントー3
 ー「ベンチマーキング」と「ベストプラクティス」
 
 ナレッジマネジメントといえば、その手法として「ベンチマーキング」と
 「ベストプラクティス」が頭に浮かぶ。
 ・ベストプラクティスとはー自社に比べて、優れた業務方法のことをいう。 
  他業種のよりすぐれた業務手法に多くのヒントがある。
 ・ベンチマーキングとは,ーベストプラクティスに学ぶ経営変革手法をいう。
 ‘解りやすく’いえば、「他業種のベストのモデルを見つけて、徹底的に
  真似ることである。」‘難しく’いえば「系統的且つ継続的な測定プロセス。
  ある組織が業績を改善する為に役立つ情報を得るために、組織のビジネス
  プロセスを継続的に測定し、世界のビジネスリーダーと比較するプロセス」
  業界の内外を問わずベストなものとの比較を行うことによってギャップを埋め、
  現状を改善する有効な方法である。前向きなプラス志向の経営手法といってよい。
    ー以下は字数の関係でカット(2007年12月02日)
 ・・・・・・・・・
 598,八ちゃんの時代ー2
 2002年12月02日(月)

少年期までは今考えても、かなり刺激的な環境で育った。生後3ヵ月後に、
長岡の東神田から大手通に帰ってきた記憶がある。もしかしたら父親の話の
刷り込みかもしれないが。子宮の中の記憶のある人もいるとか。お手伝いの
背中におぶさっていたのも這い這いも憶えている。歩かされた時に面倒くさい
と思った事も。商売の真っ只中で育ったせいか、今も人ごみが好きである。
スーパーや飲食店に行くのが異常に好きなのは三つ子の魂百までだ。
競合店がオープンすると偵察に行った、5歳の頃である。家族全員が毎日の
売り上げに一喜一憂をしていた。もう50年以上も昔のこと。今考えると当時
は金色に輝いていた。生きるのに必至の両親の姿がそのまま伝わってきていた。
素晴らしい時を両親と共有できたのだ。兄二人の死とその5~10年後の母の
心筋梗塞の死線があった。これで母は死ぬんだと思った、しかし生き延びた!
2歳の頃に実家で更に新しい事業を始めた。その記憶が生々しい。
ビル建設の完成まで住んでいた木造の家の下に丸太を入れ、近くの公会堂前
の広場まで移動した。 完成するまでそこで店を開いていた。
建物の完成した引越しの日々が生々しい。コンクリトーと生壁の匂いと
混乱の凄みを。あの時代は皆が必死であった。
  1階は店,           2階が倉庫兼事務所、
  3階が自宅兼店の食堂と風呂、 4階が従業員の宿舎兼後方であった。
 毎日が戦争のような日々であった。