著者自身の実験ドキュメンタリーにした面白い本である。冒頭の一節からして、読者を引き込んでいく。
外部記憶としてのデジカメ、パソコン、ネットが際限なく進化している現在、今さら内部記憶力が、何になる?と、
誰しもが思うこと。しかし、その脳も、殆ど使われてない。私のように、特に忘れやすいものにとって、惹かれる内容である。
  ー内容紹介ー
{ 古代ギリシャで知識人の必須のツールであった「記憶術」と、最先端の脳科学や一流のプロたちの技術習得の秘訣を学び、
 全米記憶力選手権で優勝するまでの1年を描いた全米ベストセラーの話題作。われわれ一般人でも、訓練すれば記憶の達人に
なれるのか? 記憶力はせいぜいで人並みであると自称する新進気鋭の科学ジャーナリストが、古代ギリシャの時代から知識人の
間で受け継がれてきた由緒正しい記憶術を武器に、1年で記憶力の全米チャンピオンに輝くまでを描いた実験ドキュメンタリー。
著者が体験した記憶力訓練の記録であり、また記憶力の競技会という奇妙な世界に生息する愛すべき変わり者たちの物語である。
古代から中世にかけて、知識人の必須の教養であった「記憶術」の歴史も語られる。脳と記憶についての科学的な考察もある。
記憶の魅力に取り憑かれた著者が、好奇心の赴くままに記憶の世界を縦横無尽に駆けめぐる。面白さと、知的興奮を与える1冊。}
     =まず冒頭の一節から=
《 紀元前5世紀の悲劇の宮殿。生き残ったのは彼だけだった。しばらくし人々がやってきて、瓦礫をかき分け、捜索を始めた。
 指輪でも履物でも何でもいい。そこに埋もれているのが自分の身内だと教えてくれるものが見つかることを祈って。
その少し前、古代ギリシャの詩人、ケオスのシモニデスは、テッサリアの名士、スコパス家の祝典で歌を披露していた。
歌を終えて席に着くと、使者が彼の肩をたたいた。2人の男が馬でやってきて、伝えたいことがあるので外で待っているという。
彼は再び立ち上がって、扉に向かった。外に出たまさにそのとき、宴会場の屋根がものすごい音を立てて崩れ落ち、大理石の
かけらと埃が舞い散った。今、彼は、がれきと死体の海の中に立ち尽くしていた。さっきまでにぎやかな笑い声が響いていた
空間には、ただ陰鬱な空気が立ち込めている。人々が必死になってがれきを掘り起こしていくが、瓦礫の中から引っ張り出された
死体はひどく損傷していて、誰のものとも見分けがつかない。誰がどの席に座っていたかわかる者もいないのだろう。
 シモニデスはあらゆる感覚を自分の周囲に集中させ、頭の中で時計を巻戻した。その時、記憶の概念を変える奇跡が起こった!
―大理石のかけらが積み上がって柱になり、その上の装飾部分も蘇った。石のかけらは食器に、がれきから突き出ていた木片は
テーブルになった。彼は客人の一人ひとりに目をやった。皆、悲劇が迫っているとは知らずに席に着いている。
一番前の席でスコバスが笑っている。彼の向かいには友人の詩人が座っていて、皿のソースをパンですくっている。
貴族の男性が気取った笑みを浮かべている。 窓を見やると、使いの者が、こちらに向かってやってくる。
何か重要な知らせがあるようだ――。シモニデスは目を開けた。そして、混乱する人々の手を取り、ゆっくりと
がれきの上に歩を進め、彼らの愛する人が座っていた場所へと案内した。これが、記憶術が誕生した伝説の瞬間である。 》
▼ 次回に、「シモニデスの記憶術」について書いてみるが、記憶にイメージを使うことも知らずに、この年齢まできた。
 試験などの記憶は、とにもかくにも何度も口に出して繰り返すか、紙に書いて、それを何度も読み返す程度であった。
12年前に、読書の要点とか、その時どきの思いを、ブログに書いて、時系列と、分類をすることを思い立った。
ブログが出始めの頃で、これは個人用のHPだった。それを公開することで、逆に客観性を持たせ、内容のレベルを落とせない?
ようにした。外部記憶装置をネットに公開したことになる。 だから、底の浅い自分が、そのまま表出するが、今さら!
と割り切ってしまえば、これはこれで自己実現になっている。              ーつづく
・・・・・・
4279, 閑話小題 ー中小企業420万社、円滑法適応は一割弱 
2012年12月03日(月)
  * 中小企業420万社、円滑法適応は一割弱
 先日の朝日新聞の記事に「中小企業支援 息切れ」という記事があった。 ーその概略はー
≪ 中小は来春の借金返済を先延ばしする「金融円滑法」の期限切れを向かえるが、景気が更に悪化するなか、倒産が増え、
 不良債権がふくらむ恐れが出てきた。全国の中小企業420万社のうち、円滑法の適応を受けているのは30〜40万社と
一割弱が適用をされたという。そのためか、08,09年に1万5千件を超えていた中小の倒産が、10、11年には一割減の
1万3千前後に、今年も似たような件数で終わりそうである。円滑法の狙いはリーマンショックによる急激な経済悪化を和らげ、
会社を立て直す機会を与えることだった。だが、改善は進まず、繰り延ばしをする会社が多く、依存症になっている状態。
一年の時限立法も、二度も延期されたが、来年も、この事態では更なる繰り延べもありうる。 ≫
 ▼ 私も、この金融円滑法で何とか生きつないだが、それでも売上減は激しく、ダウンした。 リーマンショックによる
  地方経済への打撃は、想像を絶するほど。 地方では三割の中小は、今日明日の資金繰りにおわれているのが実情。
 マスコミが、このまま打ち切りをした場合、その半分の20万社の倒産もありうるというのも、あながち暴論とは思えない。 
 一割としても3万社で、二倍になる。 さらに東北大震災が大きく消費マインドを冷やしてしまった。
 この記事で、思いのほか金融法の適用が企業の一割に満たないのと、倒産が一年に一%もないのに驚いた。
 装置産業ほど借金が無いのだろう。私の事業では装置産業のため一番、不景気に敏感な業種だったため、いち早く、
 影響を受けたことになった。 来春に延期しても、その翌年は消費税の増税があり、延期せざるを得なくなる。
 その前に大クラッシュが起き自壊する?から、延期も、断行も大して変わらない? この冬の寒さは特にこたえる!
・・・・・・
3904, 精神力ーその偉大な力  ー5
2011年12月03日(土)
  * 決意の力は魔力のよう
 何かをなすに、まず決意が最重要になる。決意が出来ないため、乱れた心や、乱れた事態が身の回りに起こるのです。
そのためには、熟慮を早々して合理的前提から決意をすること。エマソンの言うとおり「人間は生命を受けた宇宙の一片」である。
人間は己にめざめ、己を自覚する宇宙の一片である。その一片が、大生命力を表現したいのである。・・・<人は、どんな事態にも
正しい抜け道がある><どんな事態にも解決がある> そう信念として持ち、行動すればよい。そのためには、何が正しく、
何が正しくないかを見極め、一度見極めたら、決意をすることである。ソクラテスは「善き人に起きることは、常に善きことです」
「善き人には悪は来ない」と言い、ダビデ王は「正しき人は見捨てられない」と言った。・・ もし私たちの知るよりも、いっそう
高い水準の正直さと高潔さを持って行動し、自分の側だけでなく、相手の側も考えるなら――そして正しい決意や、積極的信念や、
同情や、愛を経て、大生命力が善のみを渡してくれると知るならば――その時は必ず正しい結果のみが続いて起こってくるものです。
  * 成功も失敗も、精神がつくる
 精神ー信念の、あの無限の素質を使うことができる唯一の場所は、私たちが思考するところである。その思考の力は、
マイナスに働く傾向が強い。そこで、自分を深くみて、その奥の無限の素質や能力の泉を見い出せば、マイナスを乗り越えることが
可能になる。そのためには、正しさを見極め決意すること。マイナスの雑草を抜き取り、新しいタネを蒔かなければなりません。
 ▼ 迷いに迷っていたことが、最後の最後に決意した時に、それまでの迷いがス〜ッと消え去っていく経験は誰も持っている。
  決意をしてしまえば、後は、それまで障害と思っていた事態の解決のための手段を探す手順になっていく。
  それでも、その見極めが甘く間違った方向に踏み出すことがある。その時、結果が悪魔のように襲ってくる。
  それでも考え尽くした後で、自分の勘の命じる決意の通り歩むしかない。決意の成否の重要さを知るほど、事前の調査など
  準備の必要性が分かってくる。決意のためには考え尽くさねばならない。そのことが重要になる。それでも失敗がある。
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3539, 価値観の中心の書き換え
2010年12月03日(金)
  * 人生の転機
 なかなか面白い人生に出会った。「価値観の中心の書き換え」の話である。こういうことに人生の早い段階で気づいて、
転進する人もいるのである。凡人には出来ないこと。父親の存在もあるのだろう。多くの矛盾した気持ちもあったろうに・・・
【 ジョン・ウッドは大学院を出て九一年から七年間、マイクロソフト社で猛烈に働いた。人が羨むような多額の報酬を得ていた。
広くて快適な部屋、運転手つきの車、制限なしの出張旅費。そんな男が初めての長い休暇をとりネパールにトレッキングにやってきた。
偶然、ある村の小学校を訪ね、図書館はあるものの本がまったくない現実を知った。ネパールの非識字率は七〇%である。
子どもたちは勉強したくても教材がない。ウッドは自由に本を読めた少年時代の自分を振り返って身につまされ、先生と子どもたちに
今度来るときは本を持ってきますね、と約束した。それが始まりだった。
 仕事に見合う報酬はもらっていたが、つねにプレッシャーとストレスがあふれていた。「墓に入ったら好ぎなだけ眠れるから」と、
自分に言い聞かせていた気もする。でも七年間ずっと、ある疑問を感じてもいた。これが人生のすべてなのだろうかー働けぽ働くほど
稼げるということだけが。 僕は企業戦士の特殊部隊として生ぎる道を選んだ。休暇はとりたいやつがとればいい。
本物の戦士は週末も働き、航空会社のマイレージを何万マイルも貯めて、拡大しつづけるマイクロソフト大国で自分のミニ王国を築く。
忙しいと文句を言うのは、会社の将来を考えていない証拠。『マイクロソフトでは出会えなかった天職』ジョン・ウッド・ランダム八ウス
 ウッドは友人たちに本集めに協力してもらい山のようなメールを送った。徐々に本気になっていった。やりがいを覚えるようにもなった。
一年後、四四〇キロの重量の本を持って、ウッドは父とともにネパールに帰ってきた。学校では歓迎式典が準備され、感謝の言葉と
笑顔に迎えられた。 カトマンズの僧院で自問する。鐘が鳴り、数秒間の沈黙が流れた。そして三〇人の修道僧が、のどを低く鳴らして
お経を唱えはじめた。 暗がりのなかで数百本のろうそくが揺れている。僕の心のなかは、平穏どころか大混乱していた。
二つの強い力が正反対の方向に引っぱり合っていた。マイクロソフトは僕を昇進させ、二日後にはいつもの生活に戻らなけれぽならない。
でも反対側では、僕にとっての優先順位が急激に変わりつつあった。数百万人の子供が本を読めずにいるというのに、台湾で来月
ウィンドウズが何本売れるかということが、本当に重要なのだろうか。ネパールの子供一10人中7人は生涯読み書きができないというのに、
香港の電子商取引ビジネスで先手をとろうとか、中国の海賊版対策に力を入れようとか、そこでウヅドはマイクロソフトを辞めて、
この仕事に従事する決意をする。 ふつうではちょえられない決断である。・・・これは価値観の中心に置かれたものの書き換えである。
人によって価値観の中心に置かれたものはさまざまである。その周縁にもいろいろな欲望が分散している。しかしウッドの価値観の中心が
「成功」から「奉仕」へ入れ替わったのだ。かつて不動の神として中心に鎮座していたものは周縁に吹き飛ぽされたのである。
(字数制限のためカット 2011年12月3日)
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3164,「物語」と「小説」
2009年12月03日(木)
  「物語」と「小説」の違いは?をネットで調べたら、
・「小説」は“文字によって記述された「物語」”と定義。「物語」は―古老が話す口伝や、御伽噺などのなさまざまな形式などの
“おはなし”。その違いは“その<おはなし>を伝達する手法が、文字表現に限定されているか、されてないかにある。
・ 基本的には、物語は「出来事の連鎖」によって成り立つものを指す。 
  聞き手の「それからどうした、それからどうした」という欲求をみたしていく性質を持っている。
  一方、小説の概念は近代以降のもので、単に出来事の連鎖に止まらず、出来事と出来事の間に
  相関的な意味のつながり(因果関係)が存在するように書かれたもの、といわれる。
  ーー
 以上だが、脚本家の山田太一は、その違いを
≪「誰かから聞いたかは忘れたが、『小説には人生があり、物語にはない』という定義が頭に残っている」とある。
「シンデレラ」や「白雪姫」が人生を語ってない、とはいえない。しかし、物語は人生の細部の現実を語ってはいない。
その代わり、ありそうもない話の楽しさがあるし、だからこそ込められている寓意も、端的な人生の要約もある。
一方、小説は「ありそうもない話」も、人生の細かな本当を積み上げて「ありそうな話」にしてしまう装置である≫と述べている。
我われは何らかのカタチで自分の物語を持っている。それを文章にすると私小説になるが、とすると、山田太一の言うことは微妙に
違ってくる。 誰にもそれぞれの人生があるからだ。そして、そのストーリーは、聞く人を惹きつける。 10年前のことだが、
80半ばの叔母が亡くなる少し前の法事の席で、《 私が一番悲しかったことは、戦時中に一歳の赤ちゃんを死なせたこと。
医院から死んだばかりの背負ったいる赤ちゃんの身体の温みが無くなっていくのが分かるの。辛かったわ! 》
彼女の一番辛かったことを最後に物語りかったのだ。 その悲しみが、そのまま伝わってくるようだった。
小説家は、そういう事実を重ねて小説を構成していくから、虚構の世界に引き込まれるのである。
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2799.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・8
 2008年12月03日(水)
【第7の法則】 何もしないことこそ、最大のリスクなのだ。
「みんな自分より賢いんだ。みんな自分より才能がある。みんな自分より背が高い。みんな私より髪の毛の色が綺麗だわ。
みんな私より可愛いわ。 みんな自分より運がいい。 みんなコネをもっているけど自分にはない…
一番大切なことだが、自分の中でそんなささやきが聞こえてきても、聞いてはいけない。恐怖から生まれる
弱よわしいささやきにすぎないのだから。'それよりも、愛情、他人に対する思いやり、そして他人と助けあう気持ち。 
そういうことを忘れずに、本当に自分が興味ある道を進んでいくのだ。自助努力という強い信念をいだいて。
ただし、成功と失敗を人生の尺度にはしないこと。そうすれば、本当の意味で誇りをもつつことができるようになるはずだ。
                                               ニール・サイモン          
 (字数制限のためカット 2010年12月3日)
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2007年12月03日(月)
2434, 絞首刑 −1
 〔命の書〕「ビルマの日々」の中の一遍 『絞首刑』(G.オーウェル著)より  (*´з`*)<ォハョウサω♪        
死刑執行をリアルに書いてある本である。 そして執行する側の神経の麻痺、残酷さが恐ろしい。
行間から執行する側の微妙な心理が生々しい。何らかのカタチで「事実は永遠に残る」というのは肯かされる。
こういう瞬間こそ、「いま、ここ」の永遠性というのか。 オーウェルの、こういう切口は鋭く哲学的である。
どんな哲学者の「死についての考察」より余程、考えさせられる。 次々回は中島義道著「哲学の教科書」
の中の死刑直前の手紙を書き写してみる。 死の直前は、生の凝縮された時間になる。
ーまずは、その部分を抜粋ー                 
 われわれは五ヤードはなれて待機していた。衛兵たちは円を作るようにして絞首台のまわりに立っている。
やがて縄を首に巻かれた囚人は、自分の神に向かって大声で叫びはじめた。 「ラーム、ラーム、ラーム、ラーム!」
甲高くくりかえされるその声には、祈りとか助けを求める叫びのような切迫したおびえはなく、むしろ葬式の鐘の音
のように落ちついてリズミカルだった。この声を聞くと犬はクーンと鼻を鳴らした。
まだ絞首台の上に立っていた首吊り役が粉袋のような綿の小さな袋を取り出すと、囚人の顔に上からグイとかぶせた。
だがあの声は布袋をかぶされても、まだくりかえしくりかえししつこくつづいていた。「ラーム、ラーム、
ラーム、ラーム!」 首吊り役が下に降りて来てレパーを握り、待機した。何分もたったような気がした。
「ラーム、ラーム、ラーム!」という囚人のこもったような声は、一瞬もやむことなくしつこくつづいている。
所長はうつむいたまま、杖の先でゆっくり地面を突ついていた。囚人がきまった回数だけ数えるまで、
待ってやるつもりかも知れないー五十回か、百回か。全員が顔色を変えていた。インド人たちはひどいコーヒーのような
灰色の顔をしているし、銃剣にも一、二本震えているのがあった。
  (字数制限のためカット 2010年12月3日)
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2006年12月03日(日)
2070, 書画骨董の話 −2          才八∋ウ_〆(∀`●) 
「画の六法」は絵画だけでなく、仏像や、壺、茶碗などにも当てはめることができる。
気韻生動の一番わかりやすいのが、人物画や鳥獣画である。特に 「目」 である。
爛々と輝いている眼に出会うことがある。獲物を狙っている鷹の眼光を発するような眼や、虎の眼である。
仏像の優しい慈愛に満ちた眼もよい。幽霊の眼も背筋が凍り付く深い眼差しもある。
眼に焦点を合わせてから全体をみるのも良いし、全体をみてから、眼をみるのもよいだろう。
活きた眼はなかなか画けるものではない。眼は唯一露出された内臓である。
「眼は口ほどにモノを言い」という諺がある。「人の心はみえる」とは、眼のことをいうのだろう。  
他に、中国画独特の遠近解釈「三遠」があり、中国画の画風の基盤になっている。
高遠(カユゥエン)  ‐ 空高く見上げろ (上空空間)
深遠(サンデュエン) ‐ 空間を奥深く見通せ(物体空間) 
平遠(ピンデュエン) ‐ 地の下面から、地平線まで見通せ(床面) である。
書画を見るとき、このような見方をすればよい。 茶碗の世界も奥深い!茶道に興味がないと、あまり縁がないだろうが、
一流品の茶器全体が醸しだす雰囲気は、人を虜にする。 素人でも自分で焼くところまでいってしまう人もいる。 
書画骨董品には、その背景の深さ広さー宇宙を直感させる魅力がある。そして現実社会を忘れさせてくれる。
一つの物体のなかに、過去の因縁が、エネルギーが凝縮されているからだ。その中味を解る人は解る。 解らない人には、
ただゴミでしかない。その人に、その作品を理解できるだけの素養がなければならない。
ゴミにしか見えないのは、あなたが(自分が)ゴミ程度の知識しかない! ということである。    
対象はみる人に話しかけているのである。わからない人は、その波動がわからないのである。(:゜д゜:)ハア? 
ところで両親の残した書画骨董は、兄が全て兄が引き継いだが、ぜんぜん興味が無いのは如何いうことだろう?
美術館で世界の超一流品を見て感動していれば良いだけなのに、何で持たなければならないの?というのが実感である。
そういえば、1週間ほど前に、新潟駅前の敦井美術館の「良寛展」で、「良寛」の書画をみてきたが、すばらしい。
あの教養どうして身につけたのだろうか? あの書の力強さ!そして品格!しばし見ながら立ちすくんでしまった。
来春なったら、五合庵にでも行ってこようか!
 ・良寛の歌・
◆「焚くほどは 風がもて来る落ち葉かな」 ◆「騰々として天真に任す」
◆「霞立つ長き春日を子供らと 手毬つきつつ今日もくらしつ」 ◆「裏を見せ 表も見せて散る紅葉」
◆「淡雪の中にたちたる 三千大千世界(みちあふち)またその中に 沫雪(あわゆき)ぞ降る」
              \(^▽^*)バイ! 
  ・・・・・・・・・
 2005年12月03日(土)
1705, 国際結婚が東京で 10パーセント!
 一昨日の読売新聞一面の『家族』−国際化時代のきずな・1ーの見出しに ー国際結婚が20組に1組ー と出ていた。
  (字数制限のためカット 2010年12月3日)
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 2004年12月03日(金)
1340, 「酒乱になる人、ならない人」   −読書日記−2
 酒乱の一現象としてのブラックアウトのエピソードの記述の部分を抜粋してしてみる。
  まさに「事実は小説より奇なり」を地にいくものである。
ー抜粋ー
狐憑き」になったアルコール性幻覚症の話があります。伊豆の旅館の番頭をしていた人ですが、もともと大酒飲みで仕事を
しながらチョコチョコ酒を飲んでいたそうです。年も押し迫った大晦日の前日のことです。突然部屋の中にキツネが見えたそうです。
それも一匹でなく数匹もいて自分のまわりを飛ぶ跳ねていて、部屋の外に出て行った。その番頭さんは何故かこのキツネに
自分を呼んでいるように感じ、雪の中に出て行った。その後について追かけていくと、天城山の中腹の神社にいたそうだ。
その灯篭の後ろから隠れて、おいでおいでをしているように見えたそうだ。二つある灯篭の一つに行くと、今度はもう一方の
灯篭からおいでおいでをしている。ふと気がつくと、キツネは道路の向こうからおいでおいでをしている。
 (字数制限の関係でカット09年12月3日)
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2003年12月03日(水)
 973, 「永平寺
ー以下、字数の関係でカット(2007年12月03日)