つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=70ihTTj7nVw

 11月中旬から下旬にかけて晩秋というのだろう。
そうすると12月が初冬か。一日一日冬に向かっていく。
二つの学校関係の忘年会は終わり、今週の土曜日は、大学の同級会。
東京なので、二年に一度にしようか迷ったが・・・ 新潟の忘年会と
交互にすることにした。で、今週末は、東京。 
 
 12年前の今日、同月同日。税務調査について書いていた。
咽喉ぼと過ぎれば熱さ忘れるだが。振り返れば、こんなもの。

[255] 税務捜査
 2001/12/03 07:51
二年まえの9月の初め頃突然税務署に踏み込まれた。基本として脱税はしない方針できた。
たまたまその年、広告塔の150万を看板として、20万以下にして分散して,経費にして
落としたのが指摘された。200万近くもっていかれたが。
皮肉なもので、たまたまその年、その一件だけ小手先を使ってしまった。
ある朝自宅に二人、事務所に二人、そして各ホテルに一人づつ合計8人が10時に踏み込んできた。
その瞬間私は刑事事件の‘被疑者’と同じ扱いである。机の引き出しを全て開けられ、
手帳もすべて押えられその内容を聞かれる。三日間会社に監禁状態!(夜はもちろん開放されるが)
昼飯に食べに出ても何気なくつけられる。その位しないと脱税は指摘できないだろうが、
それなら「脱税をしなくては損だ」と思うくらい、疑ってかかる。
自宅も刑事と同じように、調べあげる。もし脱税をしていたら、絶対にごまかしは無理。
それより腹が立った。そこまでやる!というまで非人間扱いである。
別に悪い事をしているわけでないのに、何故そこまでと思う。感情が許さない。
その日は酒を飲んで荒れ放題であった。それがなければ広告塔の件は、指摘されないで済んだ。
たった一件のそれをフォローしていたと思うからだ。銀行の貸金庫はもちろん、取り引き銀行全て
行って調べ上げる。最後は間接的に褒められた。一つ指摘されたにかかわらず、他は全く潔癖だったからだ。
初めてついた会計士の言葉が納得のいく言葉であった。「節税はいい!但し脱税はやらないように。
結果として同じ事だ。脱税の方がむしろエネルギー使う。それならやらない方がいい」
それを信じてそのとうりの方針できたが、ここまでやるなら基本から考えてしまう。
ところがその数ヶ月後に、学生時代の九州の友人が遊びに来た。飲食店を数店経営をしていて、
税金を払った事がないという。こと税務署の話になると目の色が変わるのだ。
逃亡者のような生活をしているという。恐れかつ怯えているのだ。それなら払うものを払えばと思った。
それにしても8人の税務署員に踏み込まれるくらいに見られたのか。信じられない。何事も経験だ!
私の家内の叔父さんが国税の査察をしており、以前面白おかしくその話を聞いていたが、
自分がね!というところだ。

・・・・・
1705, 国際結婚が東京で 10㌫!
2005年12月03日(土)
一昨日の読売新聞一面の『家族』-国際化時代のきずな・1ーの見出しに
 ー国際結婚が20組に1組ー と出ていた。       (o ・д・)ツ⌒□                   
    東京では何と10組に1組、大阪で12組に1組という。 【゚Д゚】ハァ?!
      25年前では全国平均100組に1組というから、
       わずか20年あまりで5倍に増えてしまったことになる。
                       マ(。Д゚; 三 ;゚Д゚)ジ!?                  
       外人男性を紹介する結婚情報会社もあるというから時代が変わったものだ。
     その反面、外国人女性が生活の安定を求めて日本人男性を探しているケースが多いという。          
   それにしても大都会で10組に1組とは、信じられない。(100組に1組なら、まだわかるが)      
  都会の傾向は、地方に波及するから全国平均もそれに近づいていくだろう。
 古い家族観を持った日本人男性より外国人に傾くのは解らないでもないが。
 イギリスの貴族と結婚したマークス寿子著の本を先日、図書館から借りて読んだが、
しっかりした自立を主張していて殆どの主張は納得はしたが。
    それでも国際結婚は特殊としか思えなかった。
~~■P o(´・∀・`)coffee time☆
    しかし、このまま国際結婚がすすむと、国という概念が希薄になる可能性があると
考えるのは、私の頭がまだ固いのだろう。
  地方にいるためか、その辺の事情はサッパリわからない。
 息子が、東南アジア系とか、白人、黒人を連れてきたら拒否反応が出るだろう。   
  嫁がスペイン人で、年に一度ぐらい嫁の実家に行くのも悪くはないか?
 ............

 2004年12月03日(金)
1340, 「酒乱になる人、ならない人」
-読書日記-2
酒乱の一現象としてのブラックアウトのエピソードの記述の部分を抜粋してしてみる。
まさに「事実は小説より奇なり」を地にいくものである。
ー抜粋
狐憑き」になったアルコール性幻覚症の話があります。伊豆の旅館の番頭をしていた人ですが、
もともと大酒飲みで仕事をしながらチョコチョコ酒を飲んでいたそうです。
年も押し迫った大晦日の前日のことです。突然部屋の中にキツネが見えたそうです。
それも一匹でなく数匹もいて自分のまわりを飛ぶ跳ねていて、そのうち部屋の外に出て行った。
その番頭さんは何故かこのキツネに自分を呼んでいるように感じ、雪の中に出て行ったそうです。
その後について追かけていくと、天城山の中腹の神社にいたそうだ。
その灯篭の後ろから隠れて、おいでおいでをしているように見えたそうだ。
二つある灯篭の一つに行くと、今度はもう一方の灯篭からおいでおいでをしている。
ふと気がつくと、キツネは道路の向こうからおいでおいでをしている。
番頭さんはどこまでもついていき、電車に乗ったらしいのですが、その一週間後に川崎で見つかり、
不審人物として警察に連れて行かれたそうだ。本人によればそのときもキツネを追かけていたそうだ。
このようにアルコール性幻覚症もひどいものになると一週間を超える期間、幻覚が続くことがある。
酒乱はやはり一種の病気と考えてよい。酒や麻薬は人工的に快感を人間に与える。
何の苦労なしで快感を得るということは、必ずその代償がくる。この快感が「依存症」という
恐ろしい病気と裏腹になる。私たちは苦労した時間が長いほど、目的を果たした時の快感が
大きいものです。こういう快感は、連続した快感を得るのは難しい一面がある。
ーー
ー以上であるが、考えてみたら、酒は一種の軽い麻薬である。それが体や脳に良くないわけがない。
それでも飲みたいなら、自分で限界を決めてルール化するしかない。気分の良い酒は確かに良いし、
人と人との垣根を取り払ってくれる。またストレスを解消もしてくれる。
僧侶が般若湯というように、酔えばこそ常識というブロックを外してくれ、思いもよらない
知恵も出てくることがある。しかし手軽な手段の快楽は必ず、その反動もあるものだ。
この本によると、イギリスや北欧では平日は飲まないが週末になると大酒を飲むパターンで、
イタリア、スペイン、フランスといったワイン国では食事時に飲むパターンだという。
どちらが酒乱になりやすいかというと、イギリス方式である。反面、毎日飲むフランスなどの
国は肝硬変が多い。驚くことに、ワイン国ではワインは、アルコールと思っていないという。
私も長年、食前酒のアルコールを試してきたが、行きついたところが中国5000年の知恵の
紹興酒」になった。飲むと直ぐに酔うことと、悪酔いをしない。翌日も胃腸の影響が少ない。
少し高くつくが。焼酎は、口と胃に残るからあまり家では飲まない。まあ、酒の話は尽きることはない。

・・・・・・
2003年12月03日(水)
973, 「永平寺
 先日、ハイビジョンで永平寺の特集の再放送をみた。永平寺といえば、過去に三回行った。
・初めは父と高校生の時に行った。高野山に行った時に立ち寄って一泊をした。
 場所は福井県にある。早朝の3時に起こされて、雑巾がけをしたことと、
 夜半のトイレが恐ろしかったことと、坊様が一堂に集まって朝の読経が印象的であった。
・二回目は、二回目の修行先の金沢の「いとはんー現北陸ジャスコ」の新入社員教育
泊り込みで座禅をさせられた時だ。 私にとって1~2日の座禅など何とも無いが、
初体験の人は厳しいということを初めて知った。
・三回目は、家内と関西旅行の途中でたちよった。
 永平寺は、道元が創った曹洞宗のお寺である。
 一歩寺に入ると、何ともいえない張り詰めた雰囲気の世界である。
 何の虚飾のない厳しい修行の世界を感じ取ることができる。
 今でも、数百年続いて毎日欠かさず、道元のいた部屋に三食の食事が運ばれる。
 一度も消したことのない灯火もあり、道元がいまだ生きているような世界を、思い知らされる。
 ーーーーーーー
 ・・以下は、あるホームページを纏めたものだ・・
ー 生死事大 無常迅速  光陰可惜  時不待人
せいしじだい むじょうじんそく こういんかしゃく じふたいじん と読む。
これは道元禅師の有名な文章です。
「命が無くなれば帰らず、時間も過ぎ去れば絶対に帰らない」という意味だ。
永平寺禅宗は、ご本尊は釈迦如来如来=神様)だけであり、教えの根底は中国の
少林寺のダルマ大師様の教えの通りに「自分で直せ、自分で判れ」の教えです。
それが、中国からの禅宗の根底なのです
「生死事大 無常迅速 光陰可惜 時不待人」が易学と酷似した所です。
・「生死事大」とは、「生きていなければ絶対にいけない」のお釈迦様の教えです。
・「無常迅速」とは、「いつも時は早く過ぎ去りますよ」という意味です。
・「光陰可惜」とは、「光は昼、陰は夜を意味し、昼も夜も惜しまずに生きよ」という意味なのです。
・「時不待人」とは、「時間というものは、人を決して待ってはくれませんよ」という意味なのです。
「無常迅速」と「光陰可惜」と 「時不待人」とは、三つがまったく同じ意味だ。
 人間の生れ持つ怠惰な気持や過度な怠けを戒めています。
 道元禅師は、このように同じことを三回も繰り返して戒めているが、
 もっともっと「大事」なことは「生死事大」という。
「とにかく元気で生きていなさい。命があってこそ道は開ける。諦めてはならない」ということが,
三回もの強い戒めの第一番に出てきている。そこが、易学とひじょうに「似た所」のことなのです。
 根底にはお釈迦様の「罪を憎んで、人を憎まず」のインドからの直通列車の仏教の教えです。
   
ーーーー
2002年12月03日(火)
599, 忘年会

開業の年から毎年行われている会社の名物が忘年会である。
昨夜がその忘年会であった。
社内中心の新年会もあったが6^7年前からは行われてない。
とにかく盛り上がる。大体50人前後が出席する。
若い女子社員を先頭に一次会では座敷ゲームが行われる。
そのゲームでとにかく酒を飲ませるのがミソの様だ。
そこで最高潮になる。今年のように大不況でも盛り上がりは最高潮だ。
お客さんがだいたい7割を占めるが、ほとんど人が営業か営業経験者の為、
遊び上手でうまく盛り上げてくれる。昨夜も最高潮に盛り上がった。
毎年その日にボーナスを出すので、社員も気持ちが盛り上がっている。
とにかく若い人のエネルギーがよい。時代時代により色々な忘年会の思い出がある。
急性アルコールで入院した人もいる。この忘年会で初めて年末の到来を実感する。
過去に書いた文章をコピーしておきます。
・・・・・・・・
H0905  宴会好き!
 創業来16年、当社の宴会が110回以上という。
私も宴会が好きな上に支配人がさらに好きというのがこの回数になったのだろう!
忘新年会、工事関係の祝賀会、海外旅行の出発、帰国、理由をつけてよく飲んだものだ。
もともと私の父が宴会好きであった。酒はあまり飲めなかったが、その雰囲気が好きで
年に2回ぐらい、無礼講で家族と従業員と取引先数人を集めて50~60人の会を開いていた。
これが私の4~5歳の時からで、親の目を盗んで日本酒を飲んでいた。
今考えてみても相当の盛り上がりで、これほど楽しい思い出はない位だった。
芸者や幇間や素人芸人を呼んで“粋”な会でもあった。丁度、父が私と同じ位の年齢で
親子がカタチを変え同じ事をくり返していると思うと“三つ子魂”何やらである。
当時の貧しい時代のハレとケのハレであったのであろう。
今でも忘れられない芸の一つがある。畳の上に一本の紐をおき、
その上をあたかもサ-カスの綱渡りのマネをする芸であった。
酔っているその姿が危なく面白おかしいのだ。その人も10年位前、痴呆で亡くなった。

ーーーーー
ある時間の断片ー1968年
12月3日
11時起床。
食事後、13時から2時間勉強をする。夕方風呂に行く。
その後、同級の井上のところに電話をする。パーティーが8日から15日に延期とか。
この時期は全員が大揺れの時だ。少なくとも人の揺れに惑わされないようしないと。
自分で立候補をしてきて、気を向けたあとに途中で気が変わるパターンになるだろう、
可愛いものだ。
女の世界は違う思惑があるのだろうが、深く考えないことだ。
最近はチグハグしたことが多い。色いろ過熱気味だ!あれもこれもは無理だ。