つれづれに

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 今日のYoutube
https://www.youtube.com/watch?v=EpnERlsfBFc

 天候は大荒れで、さすがスポーツジムは少な目。
ヤクザ映画のあたり役立った高倉健についで、菅原文太が亡くなった。
一時代の終わりということか。 

 今年も、あと僅かだが、大災害が無かっただけでも
良い年とみなければ。初孫が産まれ、あとは・・・

 御隠居生活に入って、三年半になるが、その生活に
馴染んでいる自分がいる。 ただ、12月~3月までが、
雪国のため、天候が悪く、好きな自転車乗りができない。
  
 今年も、個人の生活パターンは例年とおり同じ。
何か新しい習慣が増えたわけでなし・・・

 写真のようなホテルに泊まってみたいもの。
こんな感じで、ガラス窓からマッターホルンが見える
ホテルに泊まったことがあったが・・ 多くのホテルで、
そこが一番良かった?
 
 北スペインの巡礼ロードにあったレオンのパラドールホテルも、
重厚で良かった!パラドールといえば、スペインの国営ホテルで、
寺院や、お城をホテルにしたもの。その庭とか、ロビーには
圧倒された。
 

・・・・・・
2799.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・8
2008年12月03日(水)
? 何もしないことこそ、最大のリスクなのだ。
【第7の法則】
    何もしないことこそ、最大のリスクなのだ。

「みんな自分より賢いんだ。 みんな自分より才能がある・
みんな自分より背が高い。 みんな私より髪の毛の色が綺麗だわ。
みんな私より可愛いわ。 みんな自分より運がいい。 みんなコネをもっているけど
自分にはない・ 一番大切なことだが、自分の中でそんなささやきが聞こえてきても、
聞いてはいけない。恐怖から生まれる弱よわしいささやきにすぎないのだから。
'それよりも、愛情、他人に対する思いやり、そして他人と助けあう気持ち。 
そういうことを忘れずに、本当に自分が興味ある道を進んでいくのだ。
自助努力という強い信念をいだいて。ただし、成功と失敗を人生の尺度にはしないこと。
そうすれば、本当の意味で誇りをもつつことができるようになるはずだ。 ニール・サイモン                        

「ものごとや状況が、悪くなる、悪くなる、いつも言っていると、
よく当たる予言者になれるだろう。         アイザック・シンガー

「快適な空間にしがみつく自分をそこから押し出すのだ。
そして、頭の中でくすぶっていたアイディアを実践にうつしてみよう」 ジョン・コッター

「男らしさというのは、最初から与えられている資質ではない。 
自ら獲得するものである。正々堂々と小さな戦いを重ねて、勝利を味わってみて、
はじめて手にすることができるものなのだ」       ノーマン・メイラー
「知性というものは、年齢と共に自動的に身につけられるものではない。
何もせずに、年齢と共に手に入れられるものなど、何ひとつない。 
もっとも、例外として雛が挙げられるが」  アビゲイル・ヴァン・ビューレン
・・・・・・・・
2007年12月03日(月)
2434, 絞首刑 -1
        〔いのちの書〕「ビルマの日々」の中の一遍
            『絞首刑』(G.オーウェル著)より      
死刑執行をリアルに書いてある本である。 そして執行する側の神経の麻痺、
残酷さが恐ろしい。行間から執行する側の微妙な心理が生々しい。何らかのカタチで
「事実は永遠に残る」というのは肯かされる。こういう瞬間こそ、「いま、ここ」の
永遠性というのか。 オーウェルの、こういう切口は鋭く哲学的である。
どんな哲学者の「死についての考察」より余程、考えさせられる。 
次々回は中島義道著「哲学の教科書」の中の死刑直前の手紙を書き写してみる。 
死の直前は、生の凝縮された時間になる。
  
 ーまずは、その部分を抜粋ー                 
ーーーー
われわれは五ヤードはなれて待機していた。衛兵たちは円を作るようにして
絞首台のまわりに立っている。やがて縄を首に巻かれた囚人は、自分の神に向かって
大声で叫びはじめた。 「ラーム、ラーム、ラーム、ラーム!」
甲高くくりかえされるその声には、祈りとか助けを求める叫びのような切迫した
おびえはなく、むしろ葬式の鐘の音のように落ちついてリズミカルだった。
この声を聞くと犬はクーンと鼻を鳴らした。まだ絞首台の上に立っていた首吊り役
が粉袋のような綿の小さな袋を取り出すと、囚人の顔に上からグイとかぶせた。
だがあの声は布袋をかぶされても、まだくりかえしくりかえししつこくつづいていた。
「ラーム、ラーム、ラーム、ラーム!」 首吊り役が下に降りて来てレパーを握
待機した。何分もたったような気がした。「ラーム、ラーム、ラーム!」という
囚人のこもったような声は、一瞬もやむことなくしつこくつづいている。
所長はうつむいたまま、杖の先でゆっくり地面を突ついていた。
囚人がきまった回数だけ数えるまで、待ってやるつもりかも知れない
ー五十回か、百回か。全員が顔色を変えていた。

インド人たちはひどいコーヒーのような灰色の顔をしているし、銃剣にも一、二本
震えているのがあった。われわれは絞首台の上の、縛りつけられ袋をかぶせられた男を
見ながら、じっとその叫びを聞いていた。一声でまた一秒、命が延びるのだ。誰もが
同じことを考えていたー えい、早く殺しちまえ、すませろ、あの忌まわしい声を
止めるんだ! とうぜん、所長は意を決した。 彼はぐいと顔を上げて杖を一振りした。
「チャーロー!」その叫びには獰猛な響きさえあった。 ガタンと音がして、しんとなった。
囚人の姿は消え、ローブが勝手に捩れ続けていた。 わたしが手を放すと、犬はまっすぐ
絞首台の裏側へ駆けて行ったが、それきりそこに立ち止まって吠え、こんどは庭の隙まで
さがって雑草の中にひそんだまま、おそるおそる首をのばしてわれわれの方を眺めた。
われわれは囚人の死体を確認するために絞首台のうしろにまわった。
彼は爪先をまっすぐ下に向けて石のように息絶えたまま、ひどくゆっくりと回転していた。
・・・・・
犬はさっきの行為を恥じるようにこそこそと行列のあとを追った。
われわれは絞首台のある庭を離れると、刑の執行を待っている死刑囚の独房の前をとおり、
刑務所の中央にある広い庭へ出た。受刑者たちは、鉄のたががはまった竹の簾を手にした
衛兵たちに監視されながら、すでに朝食にありついていた。一人一人がブリキの小皿を
手にしてうずくまぞいる列の前を、パケツを持った二人の衛兵が米をすくってやりながら
まわって行く。絞首刑のあとでは、これはじつに家庭的な楽しい光景だった。
仕事を終えたわれわれは、すっかりほっとしていた。
歌いたいような、駆け出したいような気分で、思わず笑いがこみあげてきた。
  ーーーー         」                    つづく
                (*бωб*)/
・・・・・・・・・
2006年12月03日(日)
2070, 書画骨董の話 -2
        才八∋ウ_〆(∀`●) 
「画の六法」は絵画だけでなく、仏像や、壺、茶碗などにも当てはめることができる。
気韻生動の一番わかりやすいのが、人物画や鳥獣画である。特に 「目」 である。
爛々と輝いている眼に出会うことがある。獲物を狙っている鷹の眼光を発するような眼や、虎の眼である。
仏像の優しい慈愛に満ちた眼もよい。幽霊の眼も背筋が凍り付く深い眼差しもある。
眼に焦点を合わせてから全体をみるのも良いし、全体をみてから、眼をみるのもよいだろう。
活きた眼はなかなか画けるものではない。眼は唯一露出された内臓である。
眼は口ほどにモノを言い」という諺がある。「人の心はみえる」とは、眼のことをいうのだろう。
    
他に、中国画独特の遠近解釈「三遠」があり、中国画の画風の基盤になっている。
高遠(カユゥエン)  ‐ 空高く見上げろ (上空空間)
深遠(サンデュエン) ‐ 空間を奥深く見通せ(物体空間) 
平遠(ピンデュエン) ‐ 地の下面から、地平線まで見通せ(床面) である。
書画を見るとき、このような見方をすればよい。 
  
茶碗の世界も奥深い!茶道に興味がないと、あまり縁がないだろうが、一流品の茶器全体が
醸しだす雰囲気は、人を虜にする。 素人でも自分で焼くところまでいってしまう人もいる。
 
書画骨董品には、その背景の深さ広さー宇宙を直感させる魅力がある。そして現実社会を忘れさせてくれる。
一つの物体のなかに、過去の因縁が、エネルギーが凝縮されているからだ。
その中味を解る人は解る。 解らない人には、ただゴミでしかない。
その人に、その作品を理解できるだけの素養がなければならない。
ゴミにしか見えないのは、あなたが(自分が)ゴミ程度の知識しかない! ということである。    
対象はみる人に話しかけているのである。わからない人は、その波動がわからないのである。(:゜д゜:)ハア?
   
ところで両親の残した書画骨董は、兄が全て兄が引き継いだが、ぜんぜん興味が無いのは如何いうことだろう?
美術館で世界の超一流品を見て感動していれば良いだけなのに、何で持たなければならないの?というのが実感である。
 
そういえば、1週間ほど前に、新潟駅前の敦井美術館の「良寛展」で、「良寛」の書画をみてきたが、すばらしい。
あの教養どうして身につけたのだろうか? あの書の力強さ!そして品格!しばし見ながら立ちすくんでしまった。
 来春なったら、五合庵にでも行ってこようか!
 ・良寛の歌・
◆「焚くほどは 風がもて来る落ち葉かな」
◆「騰々として天真に任す」
◆「霞立つ長き春日を子供らと 手毬つきつつ今日もくらしつ」
◆「裏を見せ 表も見せて散る紅葉」
◆「淡雪の中にたちたる 三千大千世界(みちあふち)またその中に 沫雪(あわゆき)ぞ降る」
              \(^▽^*)バイ! 
  ・・・・・・・・・
 2005年12月03日(土)
1705, 国際結婚が東京で 10?!

 一昨日の読売新聞一面の『家族』-国際化時代のきずな・1ー
  の見出しに ー国際結婚が20組に1組ー と出ていた。      
   (o ・д・)ツ⌒□         号外!!号外!!
    
  東京では何と10組に1組、大阪で12組に1組という。【゜Д゜】ハァ?!
  25年前では全国平均100組に1組というから、わずか20年あまりで5倍に増えてしまったことになる。マ(。Д゜; 三 ;゜Д゜)ジ            
  外人男性を紹介する結婚情報会社もあるというから時代が変わったものだ。
 その反面、外国人女性が生活の安定を求めて日本人男性を探しているケースが多いという。
 それにしても大都会で10組に1組とは、信じられない。 (100組に1組なら、まだわかるが) へ(~Д~*へ)))) ...(((( 
 都会の傾向は、地方に波及するから全国平均もそれに近づいていくだろう。
 古い家族観を持った日本人男性より外国人に傾くのは解らないでもないが。
 イギリスの貴族と結婚したマークス寿子著の本を先日、図書館から借りて読んだが、
 しっかりした自立を主張していて殆どの主張は納得はしたが。
   それでも国際結婚は特殊としか思えなかった。 ~~■P o(´・∀・`)coffee time☆
 このまま国際結婚がすすむと、国という概念が希薄になる可能性があると考えるのは、私の頭がまだ固いのだろう。
 地方にいるためか、その辺の事情はサッパリわからない。
 息子が、東南アジア系とか、白人、黒人を連れてきたら拒否反応が出るだろう。   
(。-∀-)ニヒ!♪ まじヵょ >(゜∈゜*)!     ゜(゜ノ∀`゜)゜。アヒャヒャ
 嫁がスペイン人で、年に一度ぐらい嫁の実家に行くのも悪くはないか? (o^v^o)v
       kamisannには嫌だけれどね?                         
                 ヾ(^-^)ゞbai
 ................ 
 2004年12月03日(金)
1340, 「酒乱になる人、ならない人」
              -読書日記-2

酒乱の一現象としてのブラックアウトのエピソードの記述の部分を抜粋してしてみる。
まさに「事実は小説より奇なり」を地にいくものである。
ー抜粋
狐憑き」になったアルコール性幻覚症の話があります。
伊豆の旅館の番頭をしていた人ですが、もともと大酒飲みで
仕事をしながらチョコチョコ酒を飲んでいたそうです。

年も押し迫った大晦日の前日のことです。突然部屋の中にキツネが見えたそうです。
それも一匹でなく数匹もいて自分のまわりを飛ぶ跳ねていて、部屋の外に出て行った。
その番頭さんは何故かこのキツネに自分を呼んでいるように感じ、雪の中に出て行った。
その後について追かけていくと、天城山の中腹の神社にいたそうだ。
その灯篭の後ろから隠れて、おいでおいでをしているように見えたそうだ。
二つある灯篭の一つに行くと、今度はもう一方の灯篭からおいでおいでをしている。

ふと気がつくと、キツネは道路の向こうからおいでおいでをしている。
番頭さんはどこまでもついていき、電車に乗ったらしいのですが、その一週間後に川崎で見つかり、
不審人物として警察に連れて行かれたそうだ。本人によればそのときもキツネを追かけていたそうだ。
このようにアルコール性幻覚症もひどいものになると一週間を超える期間、幻覚が続くことがある。

酒乱はやはり一種の病気と考えてよい。酒や麻薬は人工的に快感を人間に与える。
何の苦労なしで快感を得るということは、必ずその代償がくる。
この快感が「依存症」という恐ろしい病気と裏腹になる。
私たちは苦労した時間が長いほど、目的を果たした時の快感が大きいものです。
こういう快感は、連続した快感を得るのは難しい一面がある。
ーー

ー以上であるが、
考えてみたら、酒は一種の軽い麻薬である。それが体や脳に良くないわけがない。
それでも飲みたいなら、自分で限界を決めてルール化するしかない。
気分の良い酒は確かに良いし、人と人との垣根を取り払ってくれる。またストレスを解消もしてくれる。
僧侶が般若湯というように、酔えばこそ常識というブロックを外してくれ、思いもよらない知恵も出てくることがある。
しかし手軽な手段の快楽は必ず、その反動もあるものだ。
 この本によると、 イギリスや北欧では平日は飲まないが週末になると大酒を飲むパターンで、
イタリア、スペイン、フランスといったワイン国では食事時に飲むパターンだという。
どちらが酒乱になりやすいかというと、イギリス方式である。反面、毎日飲むフランスなどの国は肝硬変が多い。
驚くことに、ワイン国ではワインは、アルコールと思っていないという。
 私も長年、食前酒のアルコールを試してきたが、行きついたところが中国5000年の知恵の「紹興酒」になった。
飲むと直ぐに酔うことと、悪酔いをしない。翌日も胃腸の影響が少ない。少し高くつくが。
焼酎は、口と胃に残るからあまり家では飲まない。 まあ、酒の話は尽きることはない。

・・・・・・・・・
2003年12月03日(水)
973, 「永平寺
ー以下、字数の関係でカット(2007年12月03日)
    ーーーー
2002年12月03日(火)
599, 忘年会

開業の年から毎年行われている会社の名物が忘年会である。昨夜がその忘年会であった。
社内中心の新年会もあったが6^7年前からは行われてない。 とにかく盛り上がる。
大体50人前後が出席する。若い女子社員を先頭に一次会では座敷ゲームが行われる。
そのゲームでとにかく酒を飲ませるのがミソの様だ。 そこで最高潮になる。
今年のように大不況でも盛り上がりは最高潮だ。 お客さんがだいたい7割を占めるが、
ほとんど人が営業か営業経験者の為、遊び上手でうまく盛り上げてくれる。
昨夜も最高潮に盛り上がった。毎年その日にボーナスを出すので、社員も気持ちが盛り上がっている。
とにかく若い人のエネルギーがよい。時代時代により色々な忘年会の思い出がある。
急性アルコールで入院した人もいる。 この忘年会で初めて年末の到来を実感する。

過去に書いた文章をコピーしておきます。
ーーーーーー
H0905  宴会好き!

 創業来16年、当社の宴会が110回以上という。
私も宴会が好きな上に支配人がさらに好きというのが、この回数になったのだろう!
忘新年会、工事関係の祝賀会、海外旅行の出発、帰国、理由をつけてよく飲んだものだ。

もともと私の父が宴会好きであった。酒はあまり飲めなかったが、その雰囲気が好きで年に2回ぐらい、
無礼講で家族と従業員と取引先数人を集めて50~60人の会を開いていた。
これが私の4~5歳の時からで、親の目を盗んで日本酒を飲んでいた。

今考えてみても相当の盛り上がりで、これほど楽しい思い出はない位だった。
芸者や幇間や素人芸人を呼んで“粋”な会でもあった。 丁度、父が私と同じ位の年齢で親子が
カタチを変え同じ事をくり返していると思うと“三つ子魂”何やらである。

当時の貧しい時代のハレとケのハレであったのであろう。 今でも忘れられない芸の一つがある。
畳の上に一本の紐をおき、その上をあたかもサ-カスの綱渡りのマネをする芸であった。
酔っているその姿が危なく面白おかしいのだ。その人も10年位前、痴呆で亡くなった。

ーーーーーーーー
[255] 税務捜査
 2001/12/03 07:51

二年まえの9月の初め頃突然税務署に踏み込まれた。基本として脱税はしない方針できた。
たまたまその年、広告塔の150万を看板として、20万以下にして分散し経費にして落としたのが指摘された。
200万近くもっていかれたが。皮肉なもので、たまたまその年、その一件だけ小手先を使ってしまった。
ある朝自宅に二人、事務所に二人、そして各ホテルに一人づつ合計8人が10時に踏み込んできた。
その瞬間私は刑事事件の‘被疑者’と同じ扱いである。 机の引き出しを全て開けられ、手帳もすべて押えられ
その内容を聞かれる。三日間会社に監禁状態!(夜はもちろん開放されるが)昼飯に食べに出ても何気なくつけられる。

その位しないと脱税は指摘できないだろうが、それなら「脱税をしなくては損だ」と思うくらい、疑ってかかる。
自宅も刑事と同じように、調べあげる。もし脱税をしていたら、絶対にごまかしは無理。
それより腹が立った。 そこまでやる!というまで非人間扱いである。

別に悪い事をしているわけでないのに、何故そこまでと思う。感情が許さない。その日は酒を飲んで荒れ放題であった。
それがなければ広告塔の件は、指摘されないで済んだ。たった一件のそれをフォローしていたと思うからだ。
銀行の貸金庫はもちろん、取り引き銀行全て行って調べ上げる。
最後は間接的に褒められた。一つ指摘されたにかかわらず、他は全く潔癖だったからだ。
初めてついた会計士の言葉が納得のいく言葉であった。「節税はいい!但し脱税はやらないように。
結果として同じ事だ。脱税の方がむしろエネルギー使う。それならやらない方がいい」

それを信じてそのとうりの方針できたが、ここまでやるなら基本から考えてしまう。
ところがその数ヶ月後に、学生時代の九州の友人が遊びに来た。
飲食店を数店経営をしていて、税金を払った事がないという。こと税務署
の話になると目の色が変わるのだ。、逃亡者のような生活をしているという。
恐れかつ怯えているのだ。それなら払うものを払えばと思った。

それにしても8人の税務署員に踏み込まれるくらいに見られたのか。
信じられない。何事も経験だ!私の家内の叔父さんが国税の査察をしており、以前面白おかしく
その話を聞いていたが、自分がね!というところだ。

ーーーーーーーーー
ある時間の断片ー1968年 12月3日
11時起床。
食事後、13時から2時間勉強をする。夕方風呂に行く。
その後、同級の井上のところに電話をする。パーティーが8日から15日に延期とか。
清田さんに電話を約束どおりにする。「行く予定だった、15日は行けない」とか。
気持が揺れているようだ。まあいいだろう。

石川と綾部嬢とのケースに似ている。色いろあるようだ。この時期は全員が大揺れの時だ。
少なくとも人の揺れに惑わされないようしないと。 自分で立候補をしてきて、
気を向けたあとに途中で気が変わるパターンになるだろう、可愛いものだ。
女の世界は違う思惑があるのだろうが、深く考えないことだ。
最近はチグハグしたことが多い。色いろ過熱気味だ!あれもこれもは無理だ。
これが今の寮の流れなのだろう、人の気持ちは流れゆくものだ。