* 人生の転機
 なかなか面白い人生に出会った。「価値観の中心の書き換え」の話である。こういうことに人生の早い段階で気づいて、
転進する人もいるのである。凡人には出来ないこと。父親の存在もあるのだろう。多くの矛盾した気持ちもあったろうに・・・
【 ジョン・ウッドは大学院を出て九一年から七年間、マイクロソフト社で猛烈に働いた。人が羨むような多額の報酬を得ていた。
広くて快適な部屋、運転手つきの車、制限なしの出張旅費。そんな男が初めての長い休暇をとりネパールにトレッキングにやってきた。
偶然、ある村の小学校を訪ね、図書館はあるものの本がまったくない現実を知った。ネパールの非識字率は七〇%である。
子どもたちは勉強したくても教材がない。ウッドは自由に本を読めた少年時代の自分を振り返って身につまされ、先生と子どもたちに
今度来るときは本を持ってきますね、と約束した。それが始まりだった。
 仕事に見合う報酬はもらっていたが、つねにプレッシャーとストレスがあふれていた。「墓に入ったら好ぎなだけ眠れるから」と、
自分に言い聞かせていた気もする。でも七年間ずっと、ある疑問を感じてもいた。これが人生のすべてなのだろうかー働けぽ働くほど
稼げるということだけが。僕は企業戦士の特殊部隊として生ぎる道を選んだ。休暇はとりたいやつがとればいい。
本物の戦士は週末も働き、航空会社のマイレージを何万マイルも貯めて、拡大しつづけるマイクロソフト大国で自分のミニ王国を築く。
忙しいと文句を言うのは、会社の将来を考えていない証拠。『マイクロソフトでは出会えなかった天職』ジョン・ウッド・ランダム八ウス
 ウッドは友人たちに本集めに協力してもらい山のようなメールを送った。徐々に本気になっていった。やりがいを覚えるようにもなった。
一年後、四四〇キロの重量の本を持って、ウッドは父とともにネパールに帰ってきた。学校では歓迎式典が準備され、感謝の言葉と
笑顔に迎えられた。 カトマンズの僧院で自問する。鐘が鳴り、数秒間の沈黙が流れた。そして三〇人の修道僧が、のどを低く鳴らして
お経を唱えはじめた。 暗がりのなかで数百本のろうそくが揺れている。僕の心のなかは、平穏どころか大混乱していた。
二つの強い力が正反対の方向に引っぱり合っていた。マイクロソフトは僕を昇進させ、二日後にはいつもの生活に戻らなけれぽならない。
でも反対側では、僕にとっての優先順位が急激に変わりつつあった。数百万人の子供が本を読めずにいるというのに、台湾で来月
ウィンドウズが何本売れるかということが、本当に重要なのだろうか。ネパールの子供一10人中7人は生涯読み書きができないというのに、
香港の電子商取引ビジネスで先手をとろうとか、中国の海賊版対策に力を入れようとか、そこでウヅドはマイクロソフトを辞めて、
この仕事に従事する決意をする。 ふつうではちょえられない決断である。・・・これは価値観の中心に置かれたものの書き換えである。
人によって価値観の中心に置かれたものはさまざまである。その周縁にもいろいろな欲望が分散している。しかしウッドの価値観の中心が
「成功」から「奉仕」へ入れ替わったのだ。かつて不動の神として中心に鎮座していたものは周縁に吹き飛ぽされたのである。
ウッズはまったく新しい価値観、人生観、使命感のなかで生きはじめたのである。人にはこういうことが起こりうるのだ。
何百年前の欲望と基本的には大差ないという気がする。現在の「成功者」たちの到達点は、死ぬまで金の心配をすることなく、
遊んで暮らすことである。現在でも事情は変わらない。小さい家を大きく広くし、車1台を10台にしてだけである。
2泊3日の小旅行を三〇泊三一日や半年間の海外旅行にしただけである。その差が大きいのだ、といおうというまいと、大差ない。
満足度にも楽しさにも、大差はない。】 ービジネス書大バカ辞典ーより
 ー以上だが、人生の転機を自ら見出しえた男の物語である。決して恰好が良いことではないが、本当に喜んでくれる人達のため、
 捨て身で人生を投げ打つ覚悟は、並大抵ではない。逆にいえば、それだけ仕事のプレッシャーも大きかったのだろう。
それと、価値観の中心が、[成功」」から「奉仕」に変わったのである。 それにつけても己の卑小さ!を教えられる。
 ・・・・・・・
3164,「物語」と「小説」
2009年12月03日(木)
  「物語」と「小説」の違いは?をネットで調べたら、
・「小説」は“文字によって記述された「物語」”と定義。「物語」は―古老が話す口伝や、御伽噺などのなさまざまな形式などの
“おはなし”。その違いは“その<おはなし>を伝達する手法が、文字表現に限定されているか、されてないかにある。
・ 基本的には、物語は「出来事の連鎖」によって成り立つものを指す。 
  聞き手の「それからどうした、それからどうした」という欲求をみたしていく性質を持っている。
  一方、小説の概念は近代以降のもので、単に出来事の連鎖に止まらず、出来事と出来事の間に
  相関的な意味のつながり(因果関係)が存在するように書かれたもの、といわれる。
  ーー
 以上だが、脚本家の山田太一は、その違いを
≪「誰かから聞いた課は忘れたが、『小説には人生があり、物語にはない』という定義が頭に残っている」とある。
「シンデレラ」や「白雪姫」が人生を語ってない、とはいえない。しかし、物語は人生の細部の現実を語ってはいない。
その代わり、ありそうもない話の楽しさがあるし、だからこそ込められている寓意も、端的な人生の要約もある。
一方、小説は「ありそうもない話」も、人生の細かな本当を積み上げて「ありそうな話」にしてしまう装置である≫と述べている。
我われは何らかのカタチで自分の物語を持っている。それを文章にすると私小説になるが、とすると、山田太一
言うことは微妙に違ってくる。 誰にもそれぞれの人生があるからだ。そして、そのストーリーは、聞く人を惹きつける。
10年前のことだが、80半ばの叔母が亡くなる少し前の法事の席で、《 私が一番悲しかったことは、戦時中に一歳の赤ちゃんを
死なせたこと。医院から死んだばかりの背負ったいる赤ちゃんの身体の温みが無くなっていくのが分かるの。辛かったわ! 》
彼女の一番辛かったことを最後に物語りかったのだ。 その悲しみが、そのまま伝わってくるようだった。
小説家は、そういう事実を重ねて小説を構成していくから、虚構の世界に引き込まれるのである。
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2799.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・8
 2008年12月03日(水)
【第7の法則】 何もしないことこそ、最大のリスクなのだ。
「みんな自分より賢いんだ。みんな自分より才能がある。みんな自分より背が高い。みんな私より髪の毛の色が綺麗だわ。
みんな私より可愛いわ。 みんな自分より運がいい。 みんなコネをもっているけど自分にはない…
一番大切なことだが、自分の中でそんなささやきが聞こえてきても、聞いてはいけない。恐怖から生まれる
弱よわしいささやきにすぎないのだから。'それよりも、愛情、他人に対する思いやり、そして他人と助けあう気持ち。 
そういうことを忘れずに、本当に自分が興味ある道を進んでいくのだ。自助努力という強い信念をいだいて。
ただし、成功と失敗を人生の尺度にはしないこと。そうすれば、本当の意味で誇りをもつつことができるようになるはずだ。
                                               ニール・サイモン          
「ものごとや状況が、悪くなる、悪くなる、いつも言っていると、よく当たる予言者になれるだろう。 アイザック・シンガー
「快適な空間にしがみつく自分をそこから押し出すのだ。そして、頭の中でくすぶっていたアイディアを実践にうつしてみよう」  
ジョン・コッター
「男らしさというのは、最初から与えられている資質ではない。 自ら獲得するものである。 
正々堂々と小さな戦いを重ねて、勝利を味わってみて、はじめて手にすることができるものなのだ」 ノーマン・メイラー
「知性というものは、年齢と共に自動的に身につけられるものではない。何もせずに、年齢と共に手に入れられるものなど、
何ひとつない。 もっとも、例外として雛が挙げられるが」                アビゲイル・ヴァン・ビューレン
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2007年12月03日(月)
2434, 絞首刑 −1
 〔命の書〕「ビルマの日々」の中の一遍 『絞首刑』(G.オーウェル著)より  (*´з`*)<ォハョウサω♪        
死刑執行をリアルに書いてある本である。 そして執行する側の神経の麻痺、残酷さが恐ろしい。
行間から執行する側の微妙な心理が生々しい。何らかのカタチで「事実は永遠に残る」というのは肯かされる。
こういう瞬間こそ、「いま、ここ」の永遠性というのか。 オーウェルの、こういう切口は鋭く哲学的である。
どんな哲学者の「死についての考察」より余程、考えさせられる。 次々回は中島義道著「哲学の教科書」
の中の死刑直前の手紙を書き写してみる。 死の直前は、生の凝縮された時間になる。
ーまずは、その部分を抜粋ー                 
 われわれは五ヤードはなれて待機していた。衛兵たちは円を作るようにして絞首台のまわりに立っている。
やがて縄を首に巻かれた囚人は、自分の神に向かって大声で叫びはじめた。 「ラーム、ラーム、ラーム、ラーム!」
甲高くくりかえされるその声には、祈りとか助けを求める叫びのような切迫したおびえはなく、むしろ葬式の鐘の音
のように落ちついてリズミカルだった。この声を聞くと犬はクーンと鼻を鳴らした。
まだ絞首台の上に立っていた首吊り役が粉袋のような綿の小さな袋を取り出すと、囚人の顔に上からグイとかぶせた。
だがあの声は布袋をかぶされても、まだくりかえしくりかえししつこくつづいていた。「ラーム、ラーム、
ラーム、ラーム!」 首吊り役が下に降りて来てレパーを握り、待機した。何分もたったような気がした。
「ラーム、ラーム、ラーム!」という囚人のこもったような声は、一瞬もやむことなくしつこくつづいている。
所長はうつむいたまま、杖の先でゆっくり地面を突ついていた。囚人がきまった回数だけ数えるまで、
待ってやるつもりかも知れないー五十回か、百回か。全員が顔色を変えていた。インド人たちはひどいコーヒーのような
灰色の顔をしているし、銃剣にも一、二本震えているのがあった。われわれは絞首台の上の、縛りつけられ袋をかぶせられた
男を見ながら、じっとその叫びを聞いていた。一声でまた一秒、命が延びるのだ。誰もが同じことを考えていたー 
えい、早く殺しちまえ、すませろ、あの忌まわしい声を止めるんだ! とうぜん、所長は意を決した。 
彼はぐいと顔を上げて杖を一振りした。「チャーロー!」その叫びには獰猛な響きさえあった。 
ガタンと音がして、しんとなった。囚人の姿は消え、ローブが勝手に捩れ続けていた。わたしが手を放すと、犬はまっすぐ
絞首台の裏側へ駆けて行ったが、それきりそこに立ち止まって吠え、こんどは庭の隙までさがって雑草の中にひそんだまま、
おそるおそる首をのばしてわれわれの方を眺めた。われわれは囚人の死体を確認するために絞首台のうしろにまわった。
彼は爪先をまっすぐ下に向けて石のように息絶えたまま、ひどくゆっくりと回転していた。・・・・・
犬はさっきの行為を恥じるようにこそこそと行列のあとを追った。われわれは絞首台のある庭を離れると、
刑の執行を待っている死刑囚の独房の前をとおり、刑務所の中央にある広い庭へ出た。受刑者たちは、鉄のたががはまって
竹の簾を手にした衛兵たちに監視されながら、すでに朝食にありついていた。一人一人がブリキの小皿を手にして
うずくまぞいる列の前を、パケツを持った二人の衛兵が米をすくってやりながらまわって行く。絞首刑のあとでは、
これはじつに家庭的な楽しい光景だった。仕事を終えたわれわれは、すっかりほっとしていた。
歌いたいような、駆け出したいような気分で、思わず笑いがこみあげてきた。
「  ーーーー  」                          (*бωб*)/
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2006年12月03日(日)
2070, 書画骨董の話 −2          才八∋ウ_〆(∀`●) 
「画の六法」は絵画だけでなく、仏像や、壺、茶碗などにも当てはめることができる。
気韻生動の一番わかりやすいのが、人物画や鳥獣画である。特に 「目」 である。
爛々と輝いている眼に出会うことがある。獲物を狙っている鷹の眼光を発するような眼や、虎の眼である。
仏像の優しい慈愛に満ちた眼もよい。幽霊の眼も背筋が凍り付く深い眼差しもある。
眼に焦点を合わせてから全体をみるのも良いし、全体をみてから、眼をみるのもよいだろう。
活きた眼はなかなか画けるものではない。眼は唯一露出された内臓である。
「眼は口ほどにモノを言い」という諺がある。「人の心はみえる」とは、眼のことをいうのだろう。  
他に、中国画独特の遠近解釈「三遠」があり、中国画の画風の基盤になっている。
高遠(カユゥエン)  ‐ 空高く見上げろ (上空空間)
深遠(サンデュエン) ‐ 空間を奥深く見通せ(物体空間) 
平遠(ピンデュエン) ‐ 地の下面から、地平線まで見通せ(床面) である。
書画を見るとき、このような見方をすればよい。 茶碗の世界も奥深い!茶道に興味がないと、あまり縁がないだろうが、
一流品の茶器全体が醸しだす雰囲気は、人を虜にする。 素人でも自分で焼くところまでいってしまう人もいる。 
書画骨董品には、その背景の深さ広さー宇宙を直感させる魅力がある。そして現実社会を忘れさせてくれる。
一つの物体のなかに、過去の因縁が、エネルギーが凝縮されているからだ。その中味を解る人は解る。 解らない人には、
ただゴミでしかない。その人に、その作品を理解できるだけの素養がなければならない。
ゴミにしか見えないのは、あなたが(自分が)ゴミ程度の知識しかない! ということである。    
対象はみる人に話しかけているのである。わからない人は、その波動がわからないのである。(:゜д゜:)ハア? 
ところで両親の残した書画骨董は、兄が全て兄が引き継いだが、ぜんぜん興味が無いのは如何いうことだろう?
美術館で世界の超一流品を見て感動していれば良いだけなのに、何で持たなければならないの?というのが実感である。
そういえば、1週間ほど前に、新潟駅前の敦井美術館の「良寛展」で、「良寛」の書画をみてきたが、すばらしい。
あの教養どうして身につけたのだろうか? あの書の力強さ!そして品格!しばし見ながら立ちすくんでしまった。
来春なったら、五合庵にでも行ってこようか!
 ・良寛の歌・
◆「焚くほどは 風がもて来る落ち葉かな」 ◆「騰々として天真に任す」
◆「霞立つ長き春日を子供らと 手毬つきつつ今日もくらしつ」 ◆「裏を見せ 表も見せて散る紅葉」
◆「淡雪の中にたちたる 三千大千世界(みちあふち)またその中に 沫雪(あわゆき)ぞ降る」
              \(^▽^*)バイ! 
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 2005年12月03日(土)
1705, 国際結婚が東京で 10パーセント!
 一昨日の読売新聞一面の『家族』−国際化時代のきずな・1ーの見出しに ー国際結婚が20組に1組ー と出ていた。
    (o ・д・)ツ⌒□  号外!!号外!!
  東京では何と10組に1組、大阪で12組に1組という。【゜Д゜】ハァ?!
  25年前では全国平均100組に1組というから、わずか20年あまりで5倍に増えてしまったことになる。マ(。Д゜; 三 ;゜Д゜)       
  外人男性を紹介する結婚情報会社もあるというから時代が変わったものだ。 その反面、外国人女性が生活の安定を求めて
  日本人男性を探しているケースが多いという。それにしても大都会で10組に1組とは、信じられない。
 (100組に1組なら、まだわかるが) へ(~Д~*へ)))) ...(((( 都会の傾向は、地方に波及するから全国平均も
  それに近づいていくだろう。 古い家族観を持った日本人男性より外国人に傾くのは解らないでもないが。
  イギリスの貴族と結婚したマークス寿子著の本を先日、図書館から借りて読んだが、しっかりした自立を主張していて
  殆どの主張は納得はしたが。それでも国際結婚は特殊としか思えなかった。 ~~■P o(´・∀・`)coffee time☆
  このまま国際結婚がすすむと、国という概念が希薄になる可能性があると考えるのは、私の頭がまだ固いのだろう。
  地方にいるためか、その辺の事情はサッパリわからない。息子が、東南アジア系とか、白人、黒人を連れてきたら
  拒否反応が出るだろう。 -∀-)ニヒ!♪ まじヵょ >(゜∈゜*)!     ゜(゜ノ∀`゜)゜。アヒャヒャ
  嫁がスペイン人で、年に一度ぐらい嫁の実家に行くのも悪くはないか? (o^v^o)v
       kamisannには嫌だけれどね?              ヾ(^-^)ゞbai
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 2004年12月03日(金)
1340, 「酒乱になる人、ならない人」   −読書日記−2
 酒乱の一現象としてのブラックアウトのエピソードの記述の部分を抜粋してしてみる。
  まさに「事実は小説より奇なり」を地にいくものである。
ー抜粋ー
狐憑き」になったアルコール性幻覚症の話があります。伊豆の旅館の番頭をしていた人ですが、もともと大酒飲みで仕事を
しながらチョコチョコ酒を飲んでいたそうです。年も押し迫った大晦日の前日のことです。突然部屋の中にキツネが見えたそうです。
それも一匹でなく数匹もいて自分のまわりを飛ぶ跳ねていて、部屋の外に出て行った。その番頭さんは何故かこのキツネに
自分を呼んでいるように感じ、雪の中に出て行った。その後について追かけていくと、天城山の中腹の神社にいたそうだ。
その灯篭の後ろから隠れて、おいでおいでをしているように見えたそうだ。二つある灯篭の一つに行くと、今度はもう一方の
灯篭からおいでおいでをしている。ふと気がつくと、キツネは道路の向こうからおいでおいでをしている。
番頭さんはどこまでもついていき、電車に乗ったらしいのですが、その一週間後に川崎で見つかり、不審人物として警察に
連れて行かれたそうだ。本人によればそのときもキツネを追かけていたそうだ。このようにアルコール性幻覚症もひどいものになると
一週間を超え期間、幻覚が続くことがある。酒乱はやはり一種の病気と考えてよい。酒や麻薬は人工的に快感を人間に与える。
何の苦労なしで快感を得るということは、必ずその代償がくる。この快感が「依存症」という恐ろしい病気と裏腹になる。
私たちは苦労した時間が長いほど目的を果たした時の快感が大きいもの。こういう快感は連続した快感を得るのは難しい一面がある。

ー以上であるが、考えてみたら、酒は一種の軽い麻薬である。それが体や脳に良くないわけがない。
 (字数制限の関係でカット09年12月3日)
・・・・・・・・・
2003年12月03日(水)
 973, 「永平寺
ー以下、字数の関係でカット(2007年12月03日)
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2002年12月03日(火)
 599, 忘年会
開業の年から毎年行われている会社の名物が忘年会である。昨夜がその忘年会であった。
社内中心の新年会もあったが6^7年前からは行われてない。 とにかく盛り上がる。
大体50人前後が出席する。若い女子社員を先頭に一次会では座敷ゲームが行われる。
そのゲームでとにかく酒を飲ませるのがミソの様だ。そこで最高潮になる。今年のように大不況でも盛り上がりは最高潮だ。 
お客さんがだいたい7割を占める、ほとんど人が営業か営業経験者の為、遊び上手でうまく盛り上げてくれる。
昨夜も最高潮に盛り上がった。毎年その日にボーナスを出すので、社員も気持ちが盛り上がっている。
とにかく若い人のエネルギーがよい。時代時代により色々な忘年会の思い出がある。急性アルコールで入院した人もいる。 
この忘年会で初めて年末の到来を実感する。過去に書いた文章をコピーしておきます。
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0905  宴会好き!
  (字数制限の関係でカット09年12月3日)
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[255] 税務捜査
 2001/12/03 07:51
二年まえの9月の初め頃突然税務署に踏み込まれた。基本として脱税はしない方針できた。
たまたまその年、広告塔の150万を看板として、20万以下にして分散し経費にして落としたのが指摘された。
200万近くもっていかれたが。皮肉なもので、たまたまその年、その一件だけ小手先を使ってしまった。
ある朝自宅に二人、事務所に二人、そして各ホテルに一人づつ合計8人が10時に踏み込んできた。
その瞬間私は刑事事件の‘被疑者’と同じ扱いである。 机の引き出しを全て開けられ、手帳もすべて押えられ
その内容を聞かれる。三日間会社に監禁状態!(夜はもちろん開放されるが)昼飯に食べに出ても何気なくつけられる。
その位しないと脱税は指摘できないだろうが、それなら「脱税をしなくては損だ」と思うくらい、疑ってかかる。
自宅も刑事と同じように、調べあげる。もし脱税をしていたら、絶対にごまかしは無理。
それより腹が立った。 そこまでやる!というまで非人間扱いである。別に悪い事をしているわけでないのに、
何故そこまでと思う。感情が許さない。その日は酒を飲んで荒れ放題であった。それがなければ広告塔の件は、
指摘されないで済んだ。たった一件のそれをフォローしていたと思うからだ。銀行の貸金庫はもちろん、取り引き銀行
全て行って調べ上げる。最後は間接的に褒められた。一つ指摘されたにかかわらず、他は全く潔癖だったからだ。
初めてついた会計士の言葉が納得のいく言葉であった。「節税はいい!但し脱税はやらないように。
結果として同じ事だ。脱税の方がむしろエネルギー使う。それならやらない方がいい」
それを信じてそのとうりの方針できたが、ここまでやるなら基本から考えてしまう。ところがその数ヶ月後に、
学生時代の九州の友人が遊びに来た。飲食店を数店経営をしていて、税金を払った事がないという。こと税務署の話になると
目の色が変わるのだ。、逃亡者のような生活をしているという。恐れかつ怯えているのだ。それなら払うものを払えばと思った。
それにしても8人の税務署員に踏み込まれるくらいに見られたのか。信じられない。何事も経験だ!私の家内の叔父さんが
国税の査察をしており、以前面白おかしくその話を聞いていたが、自分がね!というところだ。
ーーー
ある時間の断片ー1968年 12月3日
11時起床。
食事後、13時から2時間勉強をする。夕方風呂に行く。その後、同級の井上のところに電話をする。
パーティーが8日から15日に延期。清田さんに電話を約束どおりにする。「行く予定だった、15日は行けない」とか。
気持が揺れているようだ。まあいいだろう。石川と綾部嬢とのケースに似ている。色いろあるようだ。
この時期は全員が大揺れの時だ。少なくとも人の揺れに惑わされないようしないと。 自分で立候補をしてきて、
気を向けたあとに途中で気が変わるパターンになるだろう、可愛いものだ。女の世界は違う思惑があるのだろうが、
深く考えないことだ。最近はチグハグしたことが多い。色いろ過熱気味だ!あれもこれもは無理だ。
これが今の寮の流れなのだろう、人の気持ちは流れゆくものだ。