閑話小題 ~読書日記―『サル化する世界』

                 『サル化する世界』 内田樹・著
   * 時代の境目は、何事も本質化する
 思いもよらね『パンデミック禍』と、中国の台頭で、世界は激変の過程にある。
そこに出てくるのが卑しい独裁者の出現。その事例そのままが、百年前に、その
ままあった。人間は猿そのもの。世界は、自然破壊でオゾン層を起因した危機に
陥っている。時の権力者は、己の権力維持を最優先して、その問題を後送りする。
 Amazonのビュアには、この説の要約が纏められてある。
≪冒頭のサル化の話、時間意識と関連づけた批判について大きく共感するところが
 ありました。 本質的な喩えは、サルでなくても、他の動物、ブタでも良いとは
思いますが、「今さえよければ、自分さえよければ、それでいい、という人間が
多数派を占める」と、確かにそうでしょう。しかし、著者の思い込みで、単純化
したロジックで物事を展開しているように受け止められるところも多々見受け
られます。一例、P56、中国モデルを模倣による心理的な抑制の流れから、韓国に
ついて「嫌韓嫌中言説はこの二つの成功モデルに対して、競争劣位を味わっている
日本人の嫉妬から生まれたものだと私は見ている」と、それ以下に展開され、唖然!
「安倍政権は、無意識にではあるけれども」云々、無意識って!それで批判されて
もね。評者は、所謂右でも左でもなく、ストレートに言えば双方の極端な思い込み
にうんざりさせられますが、嫌韓の理由は、決して競争劣位ではありません。
評者はビジネスの最前線で韓国人や中国人とも交流があり、いわゆる切った張ったの
世界から見れば、著者の主張は個人的に矮小化された物言いに映ります(嫌韓雑誌の
思い込み主張と変わらない)。主観的な、言いっ放しが許されるアカデミックに
いる人の主張といえばそれまでですが、具体的なエビデンスは無くても良いので、
せめてもう少し他の可能性、多角的な視点を示して頂ければ、良かったのではない
かと思います(著者の他の著作は知りませんので本作ではということです)。 ≫
 ―
≪ 驚きだったのは、
◉ 1番目に、中盤の第3章「"この国のかたち"考」にある「比較敗戦論のために」。
 たとえば、フランスが実は敗戦国であることと、それを権謀術数を弄して隠蔽
 し続ける事により生じた悪弊に今現在も苦しんでいること。
敗戦国のドイツが、「戦勝国」である東ドイツとの再統一で直面した歪み、
実はいまだなされていない「国民的合意」。日本の同盟国=敗戦国であったはずの
イタリアが、実は最後の最後1945年7月になんと日本に宣戦布告した「戦勝国」で
あることなどだ。
◉ 2番目は、第4章「AI時代の英語教育について」で提案される「成績をつけない
教育」(2018年6月の講演採録)。「目標文化」が眼中になく「目標言語」のみを
奨励する英語教育。先般、文科大臣の「身の丈にあわせて頑張れ」発言(2019/10月)
により空中分解した「英語民間試験導入」は、政府の本音が図らずも露呈してしまった
ことなのだなと合点が行く。「今さえ良ければ、自分さえ良ければ」に突き進む教育。
こういった"反知性主義"がもたらす致命的な現場の荒廃への対抗策、ではなく
教育が本来あるべき姿、それが「成績をつけない教育」と丁寧に説明された上で
断言されている。賛成。難解な本ではない。じっくり読めば誰でも理解できるように
丁寧に書かれている。知らない言葉はスマホで辞書を引き引き読んだ。知らない事
が満載だった。
◉ 最後に、印象に残った言葉。
『悲観的にならない、怒らない、恨まない。そういうネガティヴな心の動きは
すべての判断力を狂わせます。危機的状況下では判断力の正確さが命です。にこに
こ機嫌よくしていないと危機は生き延びられません。眉根に皺寄せて、世を
呪ったり、人の悪口を言ったりしながら下した決断はすべて間違います。すべて。
ほんとにそうなんです。不機嫌なとき、悲しいとき、怒っているときには絶対に
重大な決断を下してはいけない。これは先賢の大切な教え』(本書p.246〜247、
初出2016年) ダークサイドに堕ちてはならない。肝に銘じます。   ≫
 ―
▼ 振りかえ見れば、20歳未満の己は小さな世界に安住し、その価値観に縛れれ、
 現在も岩陰の中でブツブツ行っているに過ぎない存在。今もである。

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7193,閑話小題 ~人生総括の時節に -6(0~9歳の頃) 
2020年11月22日(日)
    * 当時の長岡駅前の心象風景は、こんなふう!
 当時を線上にし想いだしながら書きだすと、細部が出てくる出てくる。
鬼籍に入った両親も、姉夫婦も、雲上でクシャミが聞えてきそう。
30歳の時節に、Uターンの折、可能な限り接点を最小にすると決めていた。
そうしないと、このまま長岡衆の世界に埋没しそうな…若旦那になる可能性
があると直感したこともある。 しかし新潟駅前で呆気なく撃沈!

 当時の大手通り商店街には、時代の波が大津波のように押し寄せていた。
地元の土地成金、そして時代の流れで十日町の商店「イチムラ」が、一発勝負で、
長岡に進出して大当り。三条の香具師だった『丸大』もまた、大手通りに進出し、
長岡の実家の商店と、三条、十日町との三すくみの勝負を演じていた。
 途中から地元の商店が集まり『丸専』という集合商店ビルを大手通りに進出、
金沢の『大和百貨店』と4店が集積した商店街が誕生していた。そこに母親の
実家の親戚が絡んだウチヤマビルも加わり、面白い激戦世界が展開していた。
そこに家具屋『今井』のマダムと、美容院のマダム、「浪花屋の柿の種」で
一発当てた姉御とか、テキヤ世界の何とかの面白い世界が展開。子供ながらに
その面白さに嵌っていた。
 
 猫、犬、猿、ネズミの世界の一回り拡大した世界を子供ながらに冷静に受け
止めていた。 その中で珍奇な危ない地元貉と、キツネの存在が何とも味が! 
それが結構、面白い! 一回り、20代に外の世界を拝見し、40歳過ぎた頃から
地球の外殻の秘・異郷の外づらを眺め観て、成行きで、Jターンで味合う、
この実感は何とも味わい深いもの。それもまた人生。これも短期的には整合性が
あっても、中期的には綻びが出てくる。今ではシャッター通りの下町風に… 
父親が人間関係にも潔癖症で、世間人を相容れないところがあったが、年齢を
増すにつれて、その傾向が強くなってきた。私は父親の歪な縮小版ということか!

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6826,閑話小題 ~幸福のパラドックス -2 
2019年11月22日(金)
   * 何ゆえに、何万年前と幸福感が大して変わらないか
  ~この概要をまとめると…
≪ この何万年…、特に、この二百年の間、幸せを追求し経済成長をして
きたにもかかわらず、何ゆえ大した幸福感を得ることが出来なかったのか。
それどころか、経済のグローバル化と、経済戦争で、かえって苦しんでいる。
その根底に、幸せには二種類あることを知らないためであると… それは、
「相対の幸福」と「絶対の幸福」である。この二つを意識して暮らせるか、
どうかで人生が変わってくる。

◉ まずは「相対の幸福」とは お金、財産、地位、名誉… 
 人と比べなければならない幸福である。その弱点は3つある。
・どこまで求めても、キリがない
・喜びが続かない
・死んでいく時には総崩れになる
◉ 「絶対の幸福」とは、仏教では、その目的が完成があり、死によっても
 総崩れすることがない。大安心、大満足の絶対幸福になること。カントの、
絶対言明にあたる。それに対し、仮言命法が、相対的幸せになる。
定言命法とは、カント倫理学における根本的な原理であり、無条件に
「~せよ」と命じる絶対的命法である。定言的命令とも言う。
「もし○○なら▽▽せよ」というかたち。相対的である。
 ―
 そうこう考えると、一大問題が「死」の問題と宣った。
宮本武蔵が吉岡道場と三回の決死の戦いを…
織田信長も、今川義元と、絶対的劣勢の中で、勝利を収めた。
まず最も重要な敵の親玉に狙いをさだめて、まず殺してしまった。
 これに人生を当てはめると『死の問題』が親玉になる。… ≫
 ―
▼ これは若い時分から自問自答し、少しずつ納得していくしかない。
 「死」を直視し、覚悟を決めてしまえば、死の裏側にある「生」の問題が
豊潤に浮び上ってくる。 「人生に何をすべきか」「どこまで知るべきか」
「どこまで望むべきか」のカント哲学の基底に相通じていく。 ところが、
大方の人は、「自分だけは大丈夫、まあ80歳は生けるだろう」と勝手に決め
こんでしまう。 が、そうは甘くはないのが人生。これは覚悟の問題。
時間をかけるしかない。 そこに「幸福のパラドックス」が…。 
幸福の光の背後にある漆黒の闇を考える必要があるかどうか。光は漆黒が
濃いほど光り輝く。人生は「いま ここ わたし」は …宇宙の一瞬の輝き。

 ところで沢尻エリカ様、最高のエクスタシーを味わったのだろうに。
あとで待つのが「汚れ役」の人生としても… 芋づる?で他のタレントの名がチラホラ。

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6462,閑話小題 ~ゴーン逮捕 -2 
2018年11月22日(木)
   * 日産とルノーの合併話が遠因?
 家内が昨日の朝、「昨夜のTVで、日産とルノーの合併話があって、それを阻止
するためのクーデターと報じていたよ!」と宣う。そこでネット検索をすると、
以下なるネットニュースがあった。
≪  ☆ ゴーン会長が日産・ルノーの合併を検討 FT報道 
 英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)は20日日産自動車会長と仏ルノー会長
最高経営責任者(CEO)を務めるカルロス・ゴーン容疑者が両社の経営統合
計画していたと報じた。日産側の経営陣は強く反対していたといい、ゴーン会長
の逮捕劇の背景に日産の経営を巡る内部闘争があったと示唆した。
 複数の関係者がFTに対して明らかにしたとしている統合は、ゴーン会長が強く
推進し、反対する日産経営陣は「数カ月以内」に実現する可能性があるとみて
いたという。相互に株式を持ち合う日産とルノーの統合は、日産を影響下に置き
たい仏政府がかねて望んでいたとされる。 三菱自動車を含む3社連合の形を
ゴーン会長に頼らない体制にするためだ。ゴーン会長も6月のルノー株主総会
「私の任期終了までに企業連合の持続性に疑問が出ないようにする」などと
発言していた。これに対して日産側は仏政府による経営介入などを警戒し、独立
したままの資本関係の維持を望んでおり、水面下の駆け引きが続いていた。≫

▼ ルノーの経営会議で、ゴーンの解任は延期されたが、この事情であれば当然。
 水面下ではフランスと激しい遣り取りがあって当然。世界を揺るがす御家騒動
になるが… ドロドロした内情が噴きだしてきた。ゴーンの私利私欲のスキャン
ダルも事実で、合併が差し迫った現在、自分たちの身分が危なくなる現経営者の
策謀も事実としたら、さて如何なることか?ルノーが43%の日産株を所持に対し、
日産は15%というから、資本の論理からすると、絶対的にルノーが有利になる
のは周知のはず。 その後のルノーの臨時取締役会で解任されなかった、という
ことは、フランス政府がゴーン解任に反対したため?とすると、早々、日産の
現社長の辞任? フランスから猛抗議を受けた政府の圧力で、検察が、ゴーンを
釈放。合併を推し進めるのか、映画を地にいくバトルになる?
ここにアメ車のフォード、GMの要請を受けたトランプがアメリカ第一主義から、
ルノーの力を削ぐため、日本に圧力をかけるだろうから、日仏米間の政治問題も
絡んで何とも複雑な問題。 レバノンの難民の父を持って、世界を渡り歩いた
中で、学び、働き、勝抜いてきた筋金入りのゴーン。このまま、済むわけがない。
まさに生中継のハリウッド映画のようで、見もの。フリーのライターが色いろ
ホジクリ返すのだろうが…  検察に対して、弱みを持つ?安倍首相。
何を思って夜を過ごしているのやら! 私が日産の社長で、免責条件で、
ゴーンの不正告発を突きつけられたら、連犯で逮捕より、寝返るしかない! 
 やはり、何処かで死人が出るほどの、生々しい事件とみてよいのでは!
フランスの秘密警察は、陰湿で強力という。

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5365,世間、社会、会社の意味とは ー�
2015年11月22日(日)
          ーなぜ日本人は「世間」を気にするのかー三浦朱門
   * 世間の中で、もまれて大人になる日本人
 学生時代の専攻が社会学。それに影響されてか、社会科学に興味を持って、
以来40数年、その系統の本を読み続けてきた。そこに当然、身近な『世間』
なるものの正体に興味を持つことになり、手当り次第に読んできた。
その世間、社会の色取りが面白いからこそ、続けてこられた。特に日本人は、
『世間教』たる宗教めいた神様が存在して、それに大きく左右されて、
『世間馬鹿』(いま、思いついた言葉)になってしまい、人生の黄昏頃に、
その壁に気づき、自ら涙する。その世間を、否定をしないで、真正面から
捉えたのが、この本である。ーはじめにーの、「世間」「社会」「会社」
の定義が、的を得ている。まずは、その辺りを抜粋。  
≪ 日本には昔から「世間」という言葉がありました。
 「世間知らず」
 「世間の笑い者になるぞ」
 「世間は広い」
・世間とは個々の人が作った集団ですが、それは具象的というか、私たちが
日常接する人々とつくるつきあい、そして、その延長である知人のまた知人、
というふうに範囲を広めていった未知の人をも含めた集団といえる。
あくまでも、現実の人間関係の延長がつくる人間関係です。
 人は成長するに従って次第に複雑な人間関係を持つようになり、やがて
未知の人をも含めた集まりが存在していることを知るようになります。
 それが世間であり、大人になるということは、そういう世間で生きるための
常識が備わってくること、いや、積極的に世間を知ろうとすることが成長する
ことの意味なのでしょう。世間を前にすると、個々の人間は弱い存在です。
そのルールには従わなければならないし、ルールの担い手になることさえ、
周囲の人々に期待される場面もあります。世間の掟というのは、法律のように
個人を強制するものではないにしても、世間の暗黙のルールを破ると、物事が
スムーズに運びません。
 「世間知らず」とは、そういう世間の暗黙のルールが身についていない人の
ことであり、「世間は広い」という言葉には、暗黙のルールだと信じていたもの
のほかに意外なルールがあって、それに従って生きている人々がいることを
知った驚きが込められています。
・「世間」によく似た言葉に「社会」があります。学生のころ、社会学の講義
で、明治のはじめに英語の「ソサエティ」を訳すに当たり、当初、「会社」と
した場合もあったが、やがて「社会」に落ちついたと教えられました。
しめすへん「社」という漢字の左側の部分は「示偏」で、これは神を祭る祭壇を
表すと聞いた覚えがあります。そして、右側の部分をなす土という字です。
つまり、「社」という字は土の上に神を祭る祭壇を作ることで、「会」という
字は人々が集まることです。「社会」という単語には、まず祭壇があって、
そこに集まる人々がいる。つまり、共通の神があり、それを承認する人の集団
が社会なのです。
・そして、「会社」は、「社会」の漢字の順序を変えただけ。しかし日本語の
「会社」の場合は、まずある目的があり、それを達成するために人々が作った
かなり人為的な組織ということになります。たとえば紡績会社なら、織物の
生産を目的に、金と技術と意欲を提供して集まった人たちの組織ということに
なります。それに対して「社会」は、自然発生的で人間が知的にその存在を
認めた組織ということになりましょう。そうやって考えると、「社会」と
いう言葉は、あくまでも知的な認識というか、人にとっての個々の知人関係
などがつくる人間関係とは、一応は無縁な言葉ということになるでしょう。≫
▼ ウィキペディアによると、{社会とは、人間と人間のあらゆる関係を指す。
 社会の範囲は非常に幅広く、単一の組織や結社などの部分社会から国民を包括
する全体社会までさまざまである。社会の複雑で多様な行為や構造を研究する
社会科学では人口、政治、経済、軍事、文化、技術、思想などの観点から社会を
観察する。}とある。「世間」が身近な人間関係の広がりに対して、「社会」は
その範囲が広く、社会契約を含めた、構造と、その構成要素をいう。人生を
考えるとき、「世間」たる化け物を見据えておかないと、その一員に陥る
はめになる。それを避けるには、長年かけた教養が必要のはずだが… さて?

・・・・・・
5000,閑話小題 ー今日で5000回!
2014年11月22日(土)
   * 随想日記も5千回に
 気持ちを入れた文章は足跡として残る上に、過去の同月同日に再び、
その時の自分と出会える。5千回は、以前より大きな目安としていたので、
やはり感慨が深い。とにかく続けることだが・・
 この随想日記と、50回の海外ツアー(来年達成)と、新潟駅前事業が、
この30年の大きな行蔵だが、これ、何の価値(意味)があるの?と、改めて
問いなおせば、何もない。ただ、ひたすら生きてきた中で、これがあっただけ。
面白く、厳しい場面が多くあったが、悔いは無い。いや、そう思うしかない。 
 読み返すと千回までが大変だったのが見てとれる。5分遅れでアップ
できなかったことが一回あったが、我ながら五千回もよく続いたもの!
学生時代に日記と、卒論を書いた以外は、社内報に二月に一度、書く以外は、
殆ど書くことはなかった。それまで本を読みっぱなしで、ダイアリーにメモ書
で残す以外、感想も、要約も書き残すこともなく、一番大切なことをして
なかったことに気づいていた。そこでHPの存在を知り、記憶の雑記帳として
ネット上に公開すればと、思い立った。そこに、通勤途中に開業したばかりの
パソコン教室を見つけて本格的にのめりこんで行った。当時は、まだブログの
出だしの頃で、手作りのHPだった。それが、今でも、エンピツの「随想日記」
と、「分類」として続いている。そして7年前に、二つのフォロー用に始めた、
はてな」のブログに殆どが移動していった。そのことに気づいたのが一月前。
13年の日時もあって、「ヤフー」のブログを加えると、400人の閲覧に
なっている。もっとも、最大のファンは同月・同日の自分と、未来の自分だが。
アップをした瞬間、その全てを忘れるため、読み返すと奇妙な気持ちになる。
なるほど、言葉は言霊!「その瞬間の自分は、集中すればしただけ残るんだ!」
を、読み返すと分かる。   ーまずは初回からー

・・・・・
ウオーキングについて
2001年05月04日(金) 
 7~8年前より 1日平均 15000歩、歩ている。土日曜祭日は
23000歩 は歩く。気功、屈伸、地蔵様へのおまえリ、瞑想、太陽視、
呼吸法、肯定思考訓練など全部取り入れてある。趣味をとうりすぎてライフ
ワークである。酒を多く飲みすぎた時など毒素が抜けるのがわかる。
日経新聞のコラムで1日7~8万歩も歩いている人の文章を読んだ事があるが、
上には上があるもの。 10年前に書いた文章をコピーしてみる。->
【最近、造った言葉で“夜明けのリゾート・タイム”がある。
江藤淳の“夜の紅茶”をもじった)�早朝(4時半~5時半)起床 
�近くを一時間散歩 �テレビ体操 �瞑想 �家族全員のお祈り �食事�風呂
と続く。特に散歩が非常により。山の彼方をみながら複式呼吸をして歩く。
季節ごとの草花や鳥をみながら川のせせらぎを聞き、時々に般若心経を
となえる。この散歩に全てが含まれても過言ではない。
 これを実施して4年、副産物としてアフター・ファイブに出あるく事と、
酒量が激減した事だ。健康食品を口にする事も加えて七kgも体重が減った。
時々不節制が続くと散歩していると身体がだるく重くなるのがはっきり判る。
また朝の風呂も非常によい。当初は疲れが残ったがなれると気分爽快になる。
早朝型のきっかけは松下電器の山下俊彦元社長の講演を聞き感激して自ら挑戦
してみた事だ。登山がライフ・ワークであり、その訓練も含め毎朝3時半起床。
1時間半10km歩くという。そして読書とシャワーをあびるとの事。
夜は定時がくるとすぐ帰宅。夜のつきあいは一切断っている。
これが逆に考える時間と、心の余裕をつくったのでないか。
山下跳び(飛躍的出世)の秘密もこれがポイントではないか。平成3年5月】