閑話小題 ~死についての一考察

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          <「後悔しない死の迎え方」~後閑愛実・著>
   * 中治り(仲直り)現象とは…
 「1000人の看取りに接した看護婦が教える書、その中の一言一言が芯に迫る。
死の間際と、その直後には、当人の魂のエネルギーが、様々な様相を現す。
その一つが、「中治り(仲直り)現象」がある。人生とは何事も一期一会…喜怒
哀楽、感動、愛情のエネルギーが織成すドラマ。それを味わい尽すことが必要。
最後は行蔵として本人があの世に持参していけばよい。「後悔しない死の迎える
には、常日頃から後悔しない「生き方」をするしかない。人生には挫折が付いて
まわる。それは、一度、「仲直りの機会として、行蔵を一度、見直すときを神が
与えたもうたとして、直視すべき時節。そこで、何もしないと、後悔する人生の
汚点として残る。周囲を見渡すと、何と多いこと!
 若い時分から、「後味が悪いことは可能な限りしない」を信条にしてきた。
これでもだが!これが残ると、後悔の行蔵の在庫が、何時までも残ってしまう。
 ―
≪ 死の際に一時的に元気を取り戻すことを「中治り」と言います。
 メカニズムは、よく分かっておらずあくまで通称なのですが、確かに
こういった事は度々あるようです。 「灯滅せんとして光を増す」なんて
慣用句もあるぐらいですし、昔から知られていたのかもしれません。
  ~中治りは神様がくれた最後の時間~
「中治り」は「仲直り」とも言われます。 人生の心残りを清算するために、
神様がくれた最後の時間という捉え方です。もしもあなたの身近な人、あるいは
あなた自身が死を前にして一時的に持ち直しても、それは中治りによる作用かも
しれません。そのまま治るとは考えずに、悔いが残らないようにやるべきことを
やっておきましょう。 そのまま回復したならそれはそれで良いでしょうしね。
人との別れはいつも急なもの。常日頃から一期一会を大切に生きていきたい。≫
 ―
▼「後悔しない死の迎え方」なぞ、出来ないのが人間。残ってしまった後悔の
 残証を、壊れた器を貼り合わせて棚に置換えるしかないが、これまた老後の
『まあ、しょうがない!』というには、あまりに哀しい中治り現象となる。
 己のことなれど… 無知は哀しい! 今さらですか。

・・・・・・
6270,閑話小題 ~大相撲が始まった
2018年05月14日(月)
   * 大相撲の楽しみ方
 ただ、漫然として相撲を見るのではなく、「こういう観方もある」切口の、
様々な木や、枝から鳥瞰して見ると面白い。 白鵬も左張手と右肘打ちの
横綱アドバンティジ』が使い辛くなったため勝てなくなった。で今場所、
どう判断するか?考えあぐねて、張手の多様に決めたようだ。この程度の
横綱ならばと、下位力士も平然と張り手、肘打ちを狙ってくる。とすると、
怯えるのは大関横綱になる。張手・肘打ちの多用が無ければ11~12勝が
精一杯。更に貴乃岩に持ち掛けた、暗黙の圧力の八百長?も、もう使えない。
その結果、
相撲現役の余命が長くて一年、最短で年内で… 。 それが、見どころ。
白鵬の身体つきが、全体として萎み、オーラにみえた艶も消えてしまった。
鶴竜も然り。 建設業界のような構造汚職?のような談合は難しくなった。
白鵬日馬富士鶴竜のトライアングルの+照ノ富士の圧力構造の半分が
消滅、これにアヤかって、何気ない張手で怯ませ勝ってきた稀勢の里豪栄道
も勝てなくなった。そこにチビッコ相撲上がりの、学生相撲が台頭してきた。
これを前提に、日々の対戦をみると、面白味が増す。 モンゴル、東欧系の
ハングリーな若手に、親がかりの温室育ちが勝つのは難しい。
 ところで、全身に萎みがみられる稀勢の里の回復は絶望的。引退前の力士の
黄疸現象が… 初期症状だが、白鵬も然り。格闘技の世界はシリアスである。
 隠れテーマは、<張手・肘打ちが出来ない横綱の断末魔!>でしょうか? 

 ネットニュースが何とも面白い! そうしないと早々の引退になるため。
【 大相撲夏場所>◇初日◇13日◇両国国技館
  2場所連続休場明けの横綱白鵬(33=宮城野)が立ち合い、馬力で定評の
ある東前頭筆頭玉鷲(33=片男)の出足を止めるべく、左から張って立った。
【写真】玉鷲と激しい取組をする白鵬
 立ち合いの張り手とかち上げには、横綱審議委員会から苦言を呈され、何かと
物議を醸している白鵬の動きだが、この日、審判部長として本場所初仕事と
なった阿武松親方(56=元関脇益荒雄)は容認の姿勢を示した。
  この日は幕内後半戦の審判長を務め、白鵬の一番は土俵下から目を光らせた。
その白鵬の立ち合いについて問われると「張り差しですよね?」と再確認した上で
「エルボー気味の(かち上げ)は問題ですが、張り差しは問題ない」と述べた。
再度、言葉を慎重に選ぶように「ヒジを合わせたりするのはアレですが」と、
本来のかち上げでなく、相手の顔面目がけて繰り出す“ヒジ打ち”は問題外と
しつつ「張り差し自体は大丈夫」とし、エルボー気味のかち上げにも
「自分の中で調整するでしょう」と改善に期待した。】 ですと…

▼ たかが相撲、されど大相撲としても、これじゃあ、半年前の騒乱な何だった?
閑にまかせて、如何でもいいことをグダグダと。「世間の正体とは?」かいって
いるが、最も世間馬鹿は私自身ですか。楽しむとは、「同じアフォなら踊らな
きゃ損損」というところですか。  
 熊:お笑い長屋の雑談ですよ、雑談!
寅: 御前がいうと、何しら座が和むよ。
 北の富士: 相撲そのものが、神社の御祭りの座興だったもの。
神主: 賽銭そのものは神さんへの些細な賄賂だろう、賄賂!
  八百長でも何でも、大受けすればよいだけ。
 
・・・・・・
6999,閑話小題  ~何が起きているのか? -2
2020年05月13日(水)
   * 学生時代の友人の経営現場は…?
 学生時代の友人には、まだまだ現場大好き人間がいて、可能な限り現役を
謳歌している人が半分程度か。静岡でグローバル企業の孫請け会社の現役社長に、
この新型コロナ騒ぎの影響を聞いてみた。何があっても大丈夫のグループで、
あまり影響がないのではと思いきや、それは深刻のようだ。要約すると…
リーマンショック時も酷かったが、今回は、その比ではない。
 一時期、半分まで売上は減ったが、今では三分の二まで回復しているが、
 予断は許されない。何とか乗りきれそうだが、第二、第三の波が恐ろしいと…
・静岡の経済は、ホテル・飲食業・漁業が壊滅状態。悲鳴も聞こえない程に深刻。
 親会社に泣きつく企業風土はないため、緊急の資金繰りから全てを自らの知恵
 しか頼れない。 大親会社ガ最近、実情をマスコミを通して発表したが、内容は、
 自社そのままを拡大したようだと。

巨大グループなるが故に盤石と思いきや、その現場は決して甘くない。
NHKの特集で、飲食店の急場の実情をレポートしていたが、何処も、根本からの
再構築を要するため、ただ茫然とするしかない。対策を考えるには、あまりに
困難な応用問題。3密なればこその居酒屋、小料理店は、冷凍販売か、宅配。
紹介された神楽坂『天ぷら・専門居酒屋』の苦悩は深い。うちの店は何屋?と…
お客も戸惑っている筈。 さて如何なる? あとに思いつくのは廃業だけ! 
世界は根こそぎ変ってしまった。…空即是色…  行場がないからキツイよ!

・・・・・・
6633,読書日記 ~『無知の科学』だってさ! -6
2019年05月14日(火)
     <『知ってるつもり――無知の科学』
         スティーブン スローマン,フィリップ ファーンバック(著)>
   * 身もふたもない事実
  =訳者のあとがきが簡潔で解りやすい=
≪・私たちは自分が思っているよりずっと無知である。合理的な個人という
 今日の民主政治や自由経済の土台になってきた概念自体が誤りであった。そんな
身も蓋も無い事実を本書は突きつける。それでも爽快感があるのは、本書終盤の、
本当の「賢さ」とは何かという議論と関わっている。…
これまで個人の知能指数(IQ)によって賢さを測ろうとしてきた。しかし人間の
・知的営みが集団的なものであれば、「集団にどれだけ貢献できるか」を賢さの
基準にすべきではないか。記憶容量の大きさや中央処理装置(CPU)の速度といった
情報処理能力と並んで、他者の立場や感情的反応を理解する能力、効果的に役割を
分担する能力、周囲の意見に耳を傾ける能力脳力なども重要な構成要素とみなす
べきだ。脳内CPUの性能には、生れつきの個人差があるのかもしれない。 
・<ただ私たちの知識のコミュニティが向き合る問題の複雑さに比べたら、個人の
CPUの機能の違いなど誤差の範囲である。それ以上に重要なのは、身の回りの環境、
とりわけ周囲の人たちから真摯に学び、知識のコミュ二ティの恩恵を享受しつつ、
そこに貢献しようとする姿勢。それによって生れつきのスペックにかかわらず、
知性を磨きつづけることが出来る。>と。…何とも希望の持てる話ではないか。≫

▼ 二ランク上の目線の男、颯太と、二ランク下目線の凡太の仮想対談より…
 凡太: 何だ、あんたって、思ったより無知だって?
颯太: 御前が勝手に思っていただけだが。そう思わせていた部分もあったね。
 ここでさ、…と最後に余韻につけているだろう。これも、その一つかもね。
凡太:  自分だけが、無知と思ってたけど、実は全てが無知で、石ころの大小と
 大して変わらないという、たった、この位のことが俺様には解ってなかった。
颯太: そうだよ、それを少し知っていただけ、御前よりマシということ。
 だから、人知れず、本を読んでいるのさ。誰も、読書自慢などしないよ。
 自分が無知だと認めたくないもの。知った分、その周囲の無知が見えるのさ。
凡太: あんたさ、毎日、読書をするか、映画やドラマを見るとか、自転車で
 出かけるとか、年に数回、ツアーに出かけるだろう。
颯太: 問いかけられたから答えるけど。一度、世界の果てまで、その企画に
 参加してみたら解るけど、ツアーって凄いの。
凡太: 価値を理解できない人は馬鹿にするけれどもね。説明文と写真で一端は
 解るけど、所詮は、既製品だろう。
颯太: その既製品が、洗練された価値があるなら、これほど、合理的な既製品は、
 他にはないよ。行先に近い、主要都市のホテルに泊まり食事をし、街中か、近郊
 にある遺跡をみて、美術館か博物館に行くだろう。当地料理を味わい、博物館
 と美術館で国宝級の文化を。そして遺跡で文明を垣間見れるだろう。そして、
 秘・異郷で大自然の真只中で、景観と邂逅出来るんさ。一回行く度に、生れ
 変わったような感覚を味わえるんだ。
凡太: そんな話、知らなかった。何で教えてくれないんだ。
颯太: 旅の話はね、「旅自慢」になって、後味が悪くなるんだ。明らかに優劣
 が見えてくるからね。 問題はね、汗して辿り着いた先の絶景で時どき、経験
 する至高体験さ。絶対幸せ気分というか。 そりゃ、一度経験すると、再び、
 味わいたくなるさ。
凡太: 好きな女と… と、如何だね?
颯太: 次元が違う、快感だね。 薬中が、「何でまた?」の質問に、
 「出会ってしまったからさ!」というけど、これと同じじゃないか。
 「未知の未知」に出会ったことに、理屈はいらない。これだけは味わって…
凡太: じゃあ、何と同じじゃないか。
颯太: 話にならんよ。御前じゃ。文化、文明。そして大自然との邂逅。
 そのフルコースを、短時間で味わる地球を碁盤として埋めていくゲームさ。
凡太: 俺なら、布団の中、TVで見るだけで充分さ。 
颯太: 「無知の未知」かい。いや、「未知の無知」かい。自分の知っている
 範囲しか、理解できないということですか。
凡太: 時どきね、何から不安の嵐に襲われ、茫然とするんだ。何もしないで、
 現実に溺れて、既知の世界の住人に嫌気をさしてね。だから、誰かの不幸を
 探しだして、仲間で罵倒するのが生甲斐になるの。それが積もり積もってね。
 自業自得だけど。俺の周りは、俺みたいのばかり。
颯太: 80対20の法則でさ、そういう人に8割の膿が集まるんだ。その部類かい。
 『既知の無知』ということかい。こういうのが老化するとね、愚痴の塊りに
 なるんだ。
凡太: どうしたら良いんか? 今さら遅いのは解っているけども。
颯太: 図書館の音楽コーナーに行くとね。α波の音楽集があるから、
 借りてきて、iphon に入力して、聴くことから始めたら… そうですかと、
 素直に実行できないしね。その頭じゃ。音楽って良いよ。としても無理か?
 バカは死ななきゃ治らないというから、死になさいよ。死ぬ覚悟が出来れば
 第一歩を踏み出せるからね。

追文: また偶然だが、去年の15日に… ところで精神を保てたのだろうか?
――――
4809,ある明治女性の世界一周日記
2014年05月15日(木)
   「ある明治女性の世界一周日記―日本初の海外団体旅行」野村みち(著)
 何気なく、図書館内を彷徨っていたら、この本が目につき借りてきたが、
現在の朝のNHKの連ドラの「花子とアン」の、出身校の東洋英和女学校出身と
あったことも借りる動機にもなった。そして、読んでみて、面白いこと。
ランダムに、どのページを開いても、その日その日の、本人の視線が、
そのまま直に伝わる。  ーAmazonの内容紹介よりー
「母親からの厳しい「良妻賢母」教育と共に、東洋英和女学校キリスト教
英語という新しい教育を受けた明治の女性、野村みち。豊かな感性と柔軟性で、
真摯に、率直な心情を綴った世界旅行記。」 ーレビューよりー
《 元横浜YWCA会長を務めた野村みちの「世界一周日記」。若い頃から洋行に
 憧れを持っていたことが書かれていた。その「世界一周」は、1908年3月18日
から96日間にかけて行われた。冒頭に旅のルートが掲載してあり、米太平洋郵船
会社のモンゴリア号で横浜港を出港し、ハワイを経由し、サンフランシスコ、
ソルトレークシティ、シカゴ、ボストン、ワシントン、ニューヨーク、英国
ホワイトスターライン社のセドリック号で大西洋を渡り、ロンドン、パリ、
ローマ、ナポリヴェネチア、ベルリン、サンクトペテルブルク、モスクワ、
シベリア鉄道を利用してウラジオストック敦賀に帰ってくる世界一周旅行。
一行54名、女性3人。筆者の夫は、横浜の実業家・野村洋三氏で、外国人相手の
古美術商のサムライ商会を営んでいました。本町通りにあったサムライ商会は
横浜の古い写真集を見ていると必ず登場するようなエキゾチックでユニークな
外観をしています。258ページに写真が掲載してありますので。筆者の家族の
写真や世界一周時の集合写真も掲載してあり、文章だけでなく当時のイメージ
が理解できるようになっていました。旅行中の装いも和装で通す意味合いも
書いてあり、このあたりに聡明さが伺えます。アメリカのルーズベルト大統領
との謁見や、パリで名バイオリニストのサラサーテの演奏を聞いたことも記され
ています。巻末に番外編として「野村みちとは」と題する生涯を、北川原美乃
さんが25ページにわたって紹介していました。戦後すぐマッカーサーが占領下の
日本で初めて接した民間人が野村夫妻だったことも書いてあります。
そのような生き方を貫いた女性であることが分かる書でした。》
▼ 100年前の96日間の世界一周日記、そこに女性が3人、加わっての旅行、
 それは大変だっと思われるが、幕末、明治初期の一女性の目で見た当時の、
外国への視線が面白い。長年にわたり、多くの人が様ざまな経験をして記録に
残されているのに、改めて感心する。情報端末がノートしかない時代に、その
人の記録が逆に、生々しさとして、後世の者の心に訴える。横浜で外国人相手
の古物商をしていたため、カルチャーショックは、さほど無かったようだが、
そうでなかったら、その参加自体してなかっただろう。ところで、居間の座椅子
の横に、二年以上も「世界の旅行記101」が置いてあり、毎日、数分間、読む。
2~3ページに要約した101の旅行記が、それぞれ何人かが分担して書いてある。
ところが、どれもこれも、重いため、せいぜい、一日、数分しか読めないが、
それでも門前の小僧で、少しずつ、階段を下りるように、何とか読んでいる。 
それらから比べれば、ツアーで内容が軽いが、それ故に、親近感がわいてくる。 
世界は広く、それぞれ深い!

・・・・・・
6270,閑話小題 ~大相撲が始まった
2018年05月14日(月)
   * 大相撲の楽しみ方
 ただ、漫然として相撲を見るのではなく、「こういう観方もある」切口の、
様々な木や、枝から鳥瞰して見ると面白い。 白鵬も左張手と右肘打ちの
横綱アドバンティジ』が使い辛くなったため勝てなくなった。で今場所、
どう判断するか?考えあぐねて、張手の多様に決めたようだ。この程度の
横綱ならばと、下位力士も平然と張り手、肘打ちを狙ってくる。とすると、
怯えるのは大関横綱になる。張手・肘打ちの多用が無ければ11~12勝が
精一杯。更に貴乃岩に持ち掛けた、暗黙の圧力の八百長?も、もう使えない。
その結果、
相撲現役の余命が長くて一年、最短で年内で… 。 それが、見どころ。
白鵬の身体つきが、全体として萎み、オーラにみえた艶も消えてしまった。
鶴竜も然り。 建設業界のような構造汚職?のような談合は難しくなった。
白鵬日馬富士鶴竜のトライアングルの+照ノ富士の圧力構造の半分が
消滅、これにアヤかって、何気ない張手で怯ませ勝ってきた稀勢の里豪栄道
も勝てなくなった。そこにチビッコ相撲上がりの、学生相撲が台頭してきた。
これを前提に、日々の対戦をみると、面白味が増す。 モンゴル、東欧系の
ハングリーな若手に、親がかりの温室育ちが勝つのは難しい。
 ところで、全身に萎みがみられる稀勢の里の回復は絶望的。引退前の力士の
黄疸現象が… 初期症状だが、白鵬も然り。格闘技の世界はシリアスである。
 隠れテーマは、<張手・肘打ちが出来ない横綱の断末魔!>でしょうか? 

 ネットニュースが何とも面白い! そうしないと早々の引退になるため。
【 大相撲夏場所>◇初日◇13日◇両国国技館
  2場所連続休場明けの横綱白鵬(33=宮城野)が立ち合い、馬力で定評の
ある東前頭筆頭玉鷲(33=片男)の出足を止めるべく、左から張って立った。
【写真】玉鷲と激しい取組をする白鵬
 立ち合いの張り手とかち上げには、横綱審議委員会から苦言を呈され、何かと
物議を醸している白鵬の動きだが、この日、審判部長として本場所初仕事と
なった阿武松親方(56=元関脇益荒雄)は容認の姿勢を示した。
  この日は幕内後半戦の審判長を務め、白鵬の一番は土俵下から目を光らせた。
その白鵬の立ち合いについて問われると「張り差しですよね?」と再確認した上で
「エルボー気味の(かち上げ)は問題ですが、張り差しは問題ない」と述べた。
再度、言葉を慎重に選ぶように「ヒジを合わせたりするのはアレですが」と、
本来のかち上げでなく、相手の顔面目がけて繰り出す“ヒジ打ち”は問題外と
しつつ「張り差し自体は大丈夫」とし、エルボー気味のかち上げにも
「自分の中で調整するでしょう」と改善に期待した。】 ですと…

▼ たかが相撲、されど大相撲としても、これじゃあ、半年前の騒乱な何だった?
閑にまかせて、如何でもいいことをグダグダと。「世間の正体とは?」かいって
いるが、最も世間馬鹿は私自身ですか。楽しむとは、「同じアフォなら踊らな
きゃ損損」というところですか。  
 熊:お笑い長屋の雑談ですよ、雑談!
寅: 御前がいうと、何しら座が和むよ。
 北の富士: 相撲そのものが、神社の御祭りの座興だったもの。
神主: 賽銭そのものは神さんへの些細な賄賂だろう、賄賂!
  八百長でも何でも、大受けすればよいだけ。