閑話小題 ~人生総括の時節に -7(10歳~18歳歳)

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    * 両親から受け継いだこと
 自営業は、極端な潔癖症と、苦難を逆手にとって消化して飲む込む図太さが
必要と両親の後ろ姿から学んだこと。2,3代目になるにつれて、これが希薄に
なっていく。この20,30年だけでも、
・バブルと、その崩壊から始まり、
・2001年の9・11テロ・ショックによる世界経済の落込み、
・2度にわたる、中越地震と、柏崎・刈羽地震
・2008年のリーマンショック、と、
・2011年の東北大震災が続き 

 とどめが、2020年の、コロナ禍のパンデミックである。
生れた時が、長岡空襲の廃墟の中から立ち上ろうとしていた時節。
父親の口癖が、<太平洋戦争と長岡空襲で、全てが変わってしまった。
時代の変化は、個々人の事情に関係なく、襲ってくる。万一の備えは、
常日頃から長年かけて具えておくこと。最後の最後は、万一の備え。
知識と、別立て長期的資金は積み立てておくこと。> 
家内も小さな建材屋の長女、実家の教えの基本は、同じ。
 教えというより、商家とかの自由業の基本は、皆、同じ。
それと、仕事を遊びまで高めることも然り。 10年前の事業清算が、
軟着陸できたのも、別だての家内の別口が、可能にしてくれた。

 としても、このコロナ禍のパンデミックは、そう簡単に乘り切れない事態。
全治5年とは云われているが、10年はかかる大参事。この後には、経済戦争と、
新たな?? が、控えている。群れの習性を事業に、都市造りに、最大限に
利用してきたのが、このコロナ禍で、否定されつつある。この事態にAI化と、
科学化を駆使して、ゼロから対応し生き延びる知恵こそが人類に求められている。
 創業に時代ということ! 良き時代は、パンデミック禍を区切りとして終った!

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6827,閑話小題 ~とにかく‘毎日’書く習慣
2019年11月23日(土)
   * とにかく全部、書け ―3
「とにかく全部、書け!」は、私にとって「とにかく‘毎日’書け」になる…
これが慣れると、さほど苦痛でなくなるのは継続の効果である。書き続けると、
日々、新しいい発見があるが、ほぼ同じことを書いていることに気づかなくなる。
  ~書き続けることは
・脳内の外部化の作業であり、可視化にもなる。
・18年半が経過したテーマ日記。過去の同月同日分を数年分読み返す習慣と、
 過って書いた内容を、キーワードでブログ内検索で引出せるのが便利。
・外部化することで、書いた瞬間に安心して忘却できる。
・また過去に入れたエネルギーが、検索で、そのまま湧出する感覚になる。
・書上げた達成感と充実感が蓄積していく喜びも何ものにも変え難い。
 知れば知る程、その周辺の知らないことが見えてくる。
・言い残すことが、ほぼ無い実感が何とも有難い。

これを続けることは、膨大なエネルギーと根気を要するが、慣れると充実感が
満ちてくる。で、どうした? どうもしないがシリアスな内容だけに、他人様
から恨まれ疎んじられる反面、少しは何かを与えることが出来たか。生半可な
知識・情報を在庫として書き残し、数年にわたり、読み返すうちに理解する
ことがある。 
 
 去年の秋口に書いた中で、並列して飛ぶ2機の戦闘乗組員の無線のセリフ…、
《 ・ダニー:「 何事だ?無線は緊急用だぞ 」
 ・新人:「 すみません、ちょっと質問が… 飛行日誌についてですが、
  無線連絡はすべて書き留めた方がよいのでしょうか? それとも… 」
・ダニー:「 ぜんぶ書け、何が重要かは、後からわかってくる もう切れ 」》
 ―
 この言葉を若い時分に読んでいたら、人生は大きく変わっていただろう。
書き残してない人生の空白部分があまりに多い。私にとって あれだけ面白い
経験をしてきたのに、全くといってよいほど書いてない時節があった。
あの現場の感情や場面を克明に書き残していたらと思うと実に残念である。
 それでも22歳~25歳にかけて、その時の気持ちを日記に書き留めていたし、
50歳半ばから18年半の間、このテーマ日記を書き続けてきた。それでも20代
後半から高度成長時代の濁流の中での心象風景を、そのまま書いていたらと
思うと… 後悔先に立たず。
 ソクラテスは何も書き残してなかったが、弟子プラトンが、彼の言葉を詳
しく記録し、後世に残していた。書き残こす意義は非常に大きい。
<今日、此処で、私が書いたテーマと内容>は、生半可としても、毎年、読み
返すことで改めてわかることが多々ある。それは、改めて考えることに。 
 ソクラテスの最たる言葉が、『私は何と無知か!』。その理解から第一歩が
始まる。「無知の知」の言葉が己を慰める。そして、次に娑婆のシタリ顔の
面々の人たちの言葉が湧きあがり、「深く考えない人生は生きるに値しない」
の言葉に納得する。湧きあがるのは、その時々の内なる無知蒙昧。
  ソクラテスの言葉に…
<それぞれが抱える不幸を持ち寄って皆で平等に分けたら、どうなると思うか? 
 ほぼまちがいなく全員が最初に持ってきた不幸の方がいいと言って、帰って
いくことでしょう。>がある。 時どき、冷たい視線に出会い狼狽えるが、
「カタチが違えど、御前さんと大同小異だろう。」の言葉で、一瞬で不快さが
なくなる。無知とは、それぞれに不快感を与えるものよと。
 
 ~過ってテーマにしたのを、コピペをする…
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6389,心に残った言葉 ~とにかく全部書け! ~1
2018年09月10日(月)
   * 未来とは、今である。
         ーマーガレット・ミード―
 この随想日記を含めて、ダイアリーなどに小まめにメモをする習慣があるが、
数年前からは、この二つ以外のメモをすることが少なくなっていた。何でもいい
からメモは、その時点時点の心象風景を表現している。随想日記に全身全霊を
入れているため、日々の魂の刻印になる。それを毎朝、書きしるし、過去の同月
同日分の幾つかを読返すのは、内省になる。その上、キーワードでHP内検索が
出来るのが非常に便利。 例えば『娑婆』と入力をすると、17年分、6千数百の
テーマの中から文章を検索、羅列してくれる。正しく「未来とは、今である」
として、いま現在、考え、書いていることが未来の今に、再会可能にしてくれる。
ネットサーフィンで、ある名言集のブログに「未来とは、今である」があった。
毎日、書き続けるのは、今を未来に刻印することでもある。目標、夢は必要と
明確に示した内容である。

≪ 将来の夢や目標が明確になっている方は、
 いまやらなければいけないことも、おのずと見えるもの。
一方で、まだ将来の目標が定まらず、
いま何をしたらいいのか悩んでいる方も多いとおもいます。

わたしのまわりでも、
「今後のために いま何をすべきなのかわからない」
という話を聞くことがあります。
そんなとき、映画『メンフィス・ベル』のシーンをおもいだすことがあります。

メンフィス・ベル』は、第二次世界大戦中の英国にある米軍基地を舞台と
した映画。とても危険な任務のなか、爆撃機メンフィス・ベル」は、これまで
唯一、24回の出撃を無傷でのりきっています。25回目の任務を終えて故郷に帰る
ため、最後の飛行に向かう10人の若き乗組員のストーリーです。

最後の目的地に向かう途中、メンフィス・ベルと並んで飛行するのは
初出撃となる「マザー・アンド・カントリー」。
その新人無線士がメンフィス・ベルの無線士ダニーに無線通信をおこないます。

新人「 こちら、マザー・アンド・カントリー メンフィス・ベル応答願います 」
ダニー「 何事だ? 無線は緊急用だぞ 」
新人「 すみません、ちょっと質問が飛行日誌についてですが、
   無線連絡はすべて書き留めた方がよいのでしょうか? それとも。」
ダニー「 ぜんぶ書け、何が重要かは、後からわかってくる もう切れ 」
新人「 どうも、お邪魔を 」

このシーンが今でも気になるのは、ダニーの
『 ぜんぶ書け、何が重要かは、後からわかってくる 』という言葉。
それは、人生にも当てはまるのではないかと感じます。すべてを書き留める
ように、社会のなかで大きく目をひらき、耳をかたむける。そして、経験し、
感じ、考え、学び、そこから小さなヒントを得る。 その繰り返しのなかで
いつか自分にとって、本当に必要だとおもえるものが見えてくる。
だから、いま何をすべきかわからなくても、あせってその答えをだす必要は
ないとおもうのです。わからないのであれば、自分が好きなことに本気で打ち
込めばいいとおもうのです。そこにも必ずヒントがある。

若い命をかけて、メンフィス・ベルやマザー・アンド・カントリーに乗り
こむ乗組員たち。今日死んでしまうかもしれない彼らも、目の前のことに
全力をつくし、明日のために教えを請い、明日のためにアドバイスをする。
その姿から、どんな状況であってもすべては今にかかっているということを
学び、今日の名言『 未来とは、今である。』が心にきざまれます。  ≫


▼ 「何で、こんなことに全エネルギーを注ぎ込むのか?」
 私の場合、面白いという手応えと、充実感があるため。とにかく、書き
留めておけば、来年か、10年後の自分だけでなく、誰かが読んでくれる。
「今こそ、未来そのもの!」 永遠である。

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2018/09/11
心に残った言葉 ~とにかく全部書け! ~2

「いま、ここ、わたし」は、過去、現在、未来も同じく永遠に向けて垂直に立ち
上がる。 一テーマを書き続けた後、5年、10年、15年後に読返すと、何気なく
書いた内容を読返す度に違った視点に変化する。 自ずから何もかもを書きだす
プラス、マイナス面がある。
 22歳から24歳にかけての具体的日常の細事の記録こそ、半世紀を超えた魂の宝。
人生の変り目の感情と理性そのままの心象風景の記録は、現在の自分が心底で
共鳴できる一番の話し相手。例えば「1968年10月」「青雲寮」の検索で、当時を
呼び出し可能になる。 この随想日記は、「とにかく一テーマの自分で納得する
文章を書きつづける!」のが、目標。 旅行中は、前もって書き下ろしたのを、
コピペをしてもらって凌いでいた。 「とにかく毎日書きつづけろ!」 
以下の文章は、16年前に書いた、50年前の日記の内容。具体的メンバーの名前と、
一日の記録が記されているにすぎないが、私にとって銀色に輝く青春の魂の記録。
しかし、もっともっと具体的な心象をの全てを書いておけば良かった。
その中でも、比較的に具体な一日の描写があった。当時の非日常のため記録した
のだろう。書き記してないと、忘却の彼方に消えていたはず。
――――
< 2002/10/27
 ある時間の断片ー7 
          1968年   9月21日
9時起床。11時に図書館に行く。
13時にコモンルームでゼミのフルメンバー16名が集合する。
そして八王子のセミナーハウスへ。
近年できたセミナー専用のコテージ付のセミナーハウスだ。

思っていたより敷地が広く建物が近代的なのに驚く。
メインの建物が逆三角形で、異様な感じだ。
宿泊は二人で一部屋のツウィンだ。
それぞれのコテージが違うデザインで何か異界に入ったようだ。
空には飛行機が飛び交いまるで欧州にいるようだ。

夜から早速議論をはじめる。
課題は「遊び」。
「見返りのない、何の目的のない遊びこそが遊びだ」
「創造の為に、その背景としてそれは必要でないか」
私の言ったのは「4つの1つとしての位置付けの遊び
ー「愛、創造、知性、そして遊び」であった。
何かポイントが外れているようだった。

終了後、レストランで石川とゼミの一年後輩の大島君と飲んでいると、
武澤先生がこられる。
その後夜半の12時半に寝る。
 ――
ー感想ー
日記を書き写していて、当時の日々がありありと思い出されてきた。
背景にベトナム戦争、大学紛争、そして高度成長期の真っ最中
でもあった。歌ももう二度とこういう時期は来ないというほど名曲が
生まれていた。

その背景を持って誰もが緊張と希望に揺れていた。
夏休みは卒論の流通革命論を書く為に一ヶ月、大阪のメリヤス問屋
に行ってきた。その後新潟県の六日町の「雲頓庵」という
禅寺に一ヶ月にも行っていた。そして自宅に帰った後の日記である。

学生時代の十数年間の総括の時期であり、
また新しい世界への旅たちの直前であった。
この卒業の直前一年は人生で一番良かったときかも知れない。
いろいろの人との邂逅と喧嘩と別れの時期でも合った。

寝ずに人生について話し合ったのが記録として日記に残っていた。
そういう意味で大学時代に恵まれていた、当時はその事に気が
付いてなかった。寮にゼミに教授クラブに友人に恵まれていた。
赤面する場面は当然カットして写している。

大学で学んだ事は、本を読む事、他人の話を聞きとること、議論を
する事、自分の壁を取り去る事、何事も勇敢にチャレンジする事、
戦略的思考をする事など数えればきりがない。
人生で一番良かった時期といえば、やはり大学生活であった。
馬小屋のような汚い寮であったが、いや長屋であった。
ー友人の間でもこの寮が凄いと話題になっていたー

父が5月に来て、翌月から仕送りを2倍にしてくれた、
あまりの凄さに同情したのだ。でも楽しい生活であった。
友人が吹き付けるようによってきて一人になれないのが悩みでもあった。
あの孤独の都会生活で最後には友人が吹き付けるように集まったのは
本当に良い青春の財産だ。 >


▼ 孤老化した使用後の現在と、雲泥の差があるが、当時は当時。
「未来とは、今である」 当時の、日記を読み、毎日、17年分のテーマ日記
の幾つかを再読するにつけ、とにかく、毎日、書きつづけてきて良かったと
実感する。他のノートもあり、こっそりと胸の内を書いてはいるが、やはり、
公開を前提にして書上げる内容が違ってくる。その方が、偽善の内容になって
いくところが絶妙である。公開すると、それが即、見抜かれるため、シリアス
かつ、露悪に成りざるを得ないのである。エゴまるだしの「このバカが!」
と思われてこそ、面白い筋立てになる。

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6463,読書日記 ~『孤独の発明』 -3
2018年11月23日(金)
          <『孤独の発明』または言語の政治学 三浦雅士著>
   * 孤独から飛翔する言葉
 アイフォン、タブレットPC、パソコンの進化などで、個々人主体の情報化
社会の本格的到来で、旧来の新聞、TVなどのマスコミの役割が、どのように
変わったかを知りたかった。これまでは、地元新聞、TVの地方局、地方銀行
市議会と県会議員が、地方社会の骨格をつくっていた。これが10年前から本格的
に普及したアイフォンと、タブレットなどで、個々の情報端末が、互いに直接
結びつくことによって、社会の骨格を変えてしまった。 強者弱者の境目が
情報と資金力になるが、そこに情報選択と加工する能力のインテリジェンス
(地頭)の格差が端的に現れ出てきた。TV画面が、番組のディレクターの
素質もまた映しだしてしまうため、コミック的でさえある。大衆が大衆たる
由縁、マスコミが発信する情報を妄信し、考えないで済まされた。
 ところが、情報化で大量な情報が、フェイクニュースを含めて常時、入手
可能のため、自分で考えざるを得なくなってしまった。地頭は、幼児の頃から
親がかりでしか育成は不可能? 孤独に耐えきれないから、一般大衆になる。
考えるには、孤独に晒され、そこから滲み出る言語で格闘することである。
  
  ~その辺りを、解りやすく説明してある~
≪ 言語と人間は互いに互いを育てあってきたと述べたのがC・S・バース。
AI革命がいわれインターネット革命がいわれるいま、この言語と人間の付き合い
方は新しい段階、というより、本格的段階に到達しているように見える。状況が
これまでと全く違ってきている。むろん、言語の本質が変わったわけではない。
これまで以上にいっそう顕わになってなって、いわば人は日々その本質、その
途方もない力――とりわけ嘘をつく力、騙す力、煽動する力――に直面しなければ
ならなくなってきたのである。人は自ら知らずに嘘をつき、たやすく騙されるが
――すなわちイデオロギーを持ちパラダイムに浸されているが――その事実に
46時中、直面させられるようになってきたと言っていい。言葉は人を騙し煽動
するが、同時に、人を励まし勇気づける。だが、それだけでない。
 言葉は人を傷つけ、ときには殺しさえする。
インターネットは人間ひとりひとりを新聞社に変えテレビ局に変えたとは、
よく言われることだが、重要なのは、誰もが同じ資格で自由に発信できるように
なったということではない。その結果、新聞やテレビがサブカルチャーすなわち、
下位文化に格下げされたということである。新聞やテレビの権威が失墜したわけ
ではないが、大幅に縮小されたのである。それは、国家的メディア、国際的
メディアではなくなりつつあるということだ。その結果、新聞、テレビがこれまで
以上に主義主張を鮮明に出すことになり、あるものはより右翼的に、別のものは
より左翼的になってきた。簡単にいえば熟慮することが少なくなってきた。
ということはつまり、自らサブカルチャー化に拍車をかけ始めたのである。
 失ってみてはじめて分かるが、権威の失落は重大である。これまで、いかに
新聞やテレビの権威に頼ってきたかが分かる。そして、失われていく過程で、
これまでの権威がいかに基盤の脆いものであったかが分かる。権威として登場
してきたものの多くが、若くて未熟な記者やディレクターによって恣意的に
選ばれたものにすぎないことが露呈してきたからである。インタネットの情報が
飛躍的に増えて、容易に比較することが出来るようになったのみならず、記事も、
番組をたやすく批判されるようになった結果である。
 マスコミの時代が終わった、あるいは、新たなマスコミュニケーションの時代
に入ったのである。… …情報は溢れかえっているが、それは分別も整理をなさ
れてない生の情報なのだ。いわば膨大の情報の海の渚で遊んでいるようなもの。
人類はいま、巨大な波がいつ押寄せるかもしれない波打ち際で戯れている。≫
――
▼ 学生寮でコーヒーや、酒を飲みながら、様々な大学の人たちと軽口に近い
議論をしてきた。それが突然、厳しいことで知られ、次々と脱落をしていくため、
一年コースの「途中補充」で入会したのが『人事管理』の武澤ゼミ
(ゼミ員・20数名)。 前週に一枚のレポートをわたされる。それは、
人事課に持込まれた社内のトラブルの生々しいケースの書かれたレポート。
 2~3班に分かれて議論をして、問題のありか、解決法を導き出した後に、
全体で、その結論を、互いに批判し合う厳しい現場に立つことになった。
そこには、「東レ」から、見るからに切れ者の社員が5名参加をしており、
現場叩き上げの凄みがあった。議論の結果、その解答の書式が配られ、
ゼミ全体の結論と解答の差を、教授が結論として出す。 
 とんでもないところに来てしまったと、当初は思っていたが、それが、
私には水を得たように解決法が出てきた。それは両親の終戦後の転業の中での
幼児体験。その日の売上が、生命線の命金。幼児体験そのままの知恵が、突然、
表立ってきた。それと25人のオープンハウスのような寮生活そのものが
問題解決の日々。 問題は姿変われど、本質は変わらない。それらを、知識と
知恵で、深く掘下げれば自ずと解決する。 問題は、地頭の勝負! 
20万年に一度あるかなしかの、情報革命の断層で、一人一人の個々の知恵、
『孤独』の徹底が現われてくる。