2004年01月23日(金)
1024, 22歳の日記−2

何回か書いた事があるが、ゼミについて考えてみる。この時期は、武澤ゼミと寮とクラスメイトなどの
過去4年間の友人が、ほとんど全てを占めていた。特に武澤教授の影響が大きいことが、この日記か窺い知れる。
ゼミでは、まず一週間前に事例(ケース・スタディー)の用紙を渡される。 その間に対処を考えてきて、
それを元に全員で徹底的に議論をする。 その後、その事例研究の答えの用紙を見せられる。
我々の出した結論と、誤差について更に議論をさせる。また二班に分かれて議論した結果を持ち寄って互いに議論もする。
結果的に、知識と体験をもとになっている地言葉で議論をすることになる。教授の意見は、要所要所以外はほとんど話さない。
考える為のヒントを与えるだけで、「考えること」を促すのだ。「考えることは如何いうことか」と、更に一歩踏み込んでいく。
自分の中の知識不足を、冷静に自ら気がつくように仕組んである。

いま日記を写しながら気づいたことだが、ソクラテスの「対話法」による真理の追究を、その中で体験させていた。
素朴で深い疑問を常にもって、社会や世界を見る目を持たせるのが目的であった。
その結果、卒業まじかに多くの友人が私に集中してきた。誰もが転換期にたって、迷っていたからだろう。
また社会に出て、事業の組立てに非常に役に立った。冷静な事実の組み合わせと、
仮説の積み上げと崩しの繰り返しの中で計画の練り上げをしていくのと酷似していたからだ。
ようするに地頭で考えることに役立った。 35年前の日記を読みながら、感想を書いていること自体が
自分の深耕をしていることになっている。過去の自分と今の自分が向き合って対話しているからだ。
その意味でも、この22歳の日記の写しと公開は良かったと思っている。
ー後記ー
このホームページ内検索で「武澤ゼミ」で出したら、ほぼ同じ内容が出てきた。
こんなものかと呆れてしまった。 以下である!
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2002/11/01  ケーススタデー  ー1
 字数の関係でカット(2008年01.23)

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