読書日記 ~「裏」

 

        * 裏 
  これは、面白い作家ならではの内容! 怒り、愚痴を人知れずに書きだし
(掻きだし)デドックスる。紙に一度、言葉にだして、破るのが一般的処方。
人間は己に甘く、他人には厳しい! そこに、四苦八苦が生まれ出る!
 それを活きる糧にする輩が加わるため、複雑の様相になる。
           <ベストエッセイ 2018 日本文芸家協会>…P348
【 私が私の裏垢でしたのは、悪態だった。
  当時の私はやさぐれていた。世界に対する黒い呪詛が腹の中に溜まって、
口からあふれ出る寸前だった。口を押えれば、鼻や耳や目から漏れそうだった。
だから口で言うかわりにツイッターで匿名で言うことにした。
電子板「王様の耳はロバの耳」だ。
  作った裏垢は、自分とフォローを許可した人以外は閲覧できない「鍵付き」
アカウント、しかもフォロー数ゼロ・フォロワー数ゼロとして完全密室。そこで
私は腹に溜まった真っ黒な呪詛を吐いて吐いて吐きまくった。
 特大の頑丈な臼に、思いつくかぎりのむかつく人モノ組織出来事現象その他
その他を投げ入れ、それを勇壮な掛け声とともに渾身の気合で搗く。そいや。
そいや。そいや。搗く時間は素材と私のむかつきの度合いにより適宜変化する。
  そのようにして私は夜ごと完全密室で杵をふるい、大小さまざまな血の餅
の山を築いた。
 それがいつどのように終わったか、記憶が定かではない。 体内の毒を吐き
きってデドックスが済んだからなのか。気がつくともう、その裏垢には行かなく
なっていた。 そのうち、そこに入るパスワードも忘れ、アカウントも忘れ、
とうとうアクセスの術は完全に失われてしまった。 ついこの間の飲み会で、
たまたま人に話すまでは。すると、一人が目を輝かして言った。え、それって、
まるで現代アートじゃない。
 たしかに。誰にも、それを発した本人すら見ることなく自己完結した呪ソは、
入ってみれば純粋呪ソ。観念としての呪ソだ。そして私が裏垢の存在を忘れる
ことによって、それはアートとして完結したことになる。
 時どき、ネット空間の何処かに存在している筈のあの裏垢のことを考える。
誰にも聞かれることのなく小部屋にいつまでも反響しつづける自分の言葉は、
さぞかし孤独だろうなと思う。
 もしも何百光年かかけて宇宙空間を旅した悪態が、たまたま近くに通り
かかった高度な知的生命に受信され、解読されてしまったら。そして、
地球人が凶暴で危険な種族であるとみなされ、宇宙の平和のために駆除された
方が良いとされたら。 そうなったら、本当に死んで御詫びするしかないが、
たぶん私もとっくの昔に死んでいるし、もしかしたら人類も滅亡しているかも
しれない。 】
――
▼ 個々の日記帳には、この要素が色濃くあるはず。だから、殺人も、争いも
 最小で済んでいる。過去の内部検索をかけると、以下のような文章などが、
数多出てきた。まさかパンデミックが、世界を覆うとは! これで、初っ端。
10年前に会社清算をしたと同時に、当然ながら、多くが掌を反して、それは
それは、怒り心頭の状態に。そこで、長年の知恵が、この裏垢の業! 
これを遣っておくと、精神が根底から崩れてしまう。その日の内に、
対象の首を全身全霊を持って、叩き落とす。これで、怒りの三分の二は、
消滅する。後の三分の一は、一週間以内に再フラッシュ時に、全霊を持って
落とす。対象者は、何となく変だが何が起こったのか理解不可能。上記と
同様なことを人生の際で、やっていたことになる。20年近く、毎朝、そして
午前中に、一日一文を書き続けていたのは、書き続ける秘儀があったから。
後で読返すと、何とまあ、そこには、自分であって自分でない得体のしれない
何かを見出す。 

――――
3608, 人生には3つの坂があるというが
2011年02月10日(木)
 以前にも書いたことがあるが、人生には上り坂、下り坂、そして「まさか」
の3つの坂がある。この言葉は大河ドラマ毛利元就の中でも言っていた。 
この十年を振り返ると「まさか」の連続であった。2001年の9・11テロから始まり、
 地元では大地震が二つ、世界では数万人以上の死者が出た地震が相次いだ。
  その間に携帯電話がスマートフォンに進化、ノートパソコンから板状の
タブレットパソコンに重心を移行始めた。政治ではアメリカで最初の黒人大統領
が選出された。そして現実社会とは別に、いま一つネット社会が出来てしまった。
そしてHPからブログに進化し、さらにミニブログツイッターや動画サイトの
Youtubeが出現してきた。今年に入ってネット普及の結果、一瞬にして
チュニジア、エジプト、イエメンなどの独裁政治がドミノ倒しになっている。
その飛び火が、アルジェリア、シリア、リビアに及ぼうとしている。経済面では、
2008年のリーマンショックで、世界恐慌に陥る寸前の様相。 次の「まさか」が
何かを知りえないから「まさか」になるのだが、その背景にあるのは、半導体
ムーアの法則」といわれる日進月歩の進化である。 この法則は、1965年に
インテル社のムーアが「LSIのチップ上に集積されるトランジスターの量は、
18〜24ヶ月ごとに二倍になる」という法則で、45年経過した現在でも続いている。
これは微細加工の技術よるもので、現在では一センチ角にトランジスターが
地球上の人間数を遥かに上回るほど乗る集積度というから驚きである。 
 私が中学生の時に初めてみた、あのトランジスターが一センチ角に100億以上も
乗るのである。10年に一度位に、もう限界に来たと騒がれるが、何時も、それを
乗り越える技術が出来る。それとネットが結びつき、それぞれの情報基地を結び
 つけるのだから、情報は一瞬のうちに世界中を飛び回る。10年前に、現在の姿を
誰が予測できただろうか。それ以上に、今後10年の変化は加速度的に進むとしたら、
どのような姿であろう。この十年の変化以上のことは間違いないとすると・・
 ・・・・・・・・
3243, 新・欝の時代
2010年02月10日(水)
 去年暮れの週刊朝日に、作家の五木寛之在日韓国人の政治家カン・サンジュン
 との対話‘まだ続く「鬱の時代」’が考えさせられた。「これからはすべての分野が
鬱の方向に進んでいく」と、前回の2008年の二人の対談で、そう語った。そして
リーマンショックが起こり、世界、そして日本は先の見えない不安に覆われている。 
ここで二人の対談の要旨を纏めてみると、
グリーンスパンが100年に一度の危機といったが、そんなものではない、今起きて
 いるのは300年〜500年に一度の恐慌である。現在の世界を支配しているのは
 キリスト教的文化圏。その基盤にある人間至上主義からぬけださないとー五木寛之
・我われの社会は、自由であって人は固定化されないのが大原則のはずなのに、
  現実は格差社会。この問題は、格差があることが問題ではなくて、格差が固定化
  されていることが問題である。  ー五木
・2010年を予感してみると、一瞬、小康状態の年になる。嵐の前の静けさです。 
  でも、その後、暮れから11年にかけ、二番、三番の、大恐慌がやってくる。 
  平安末期から鎌倉への変動のような大変な時代がくるだろう。
  戦後の預金封鎖や円の切り替えなどを思い出す。  ー五木
・こういう不安の時代、人間は「個人」を再発見することになる。 平安期から
 鎌倉にかけての飢饉のとき、人々は身分に関係なく、こころの闇を見つめた。 
  それが一連の現在の宗派の教祖をうんだ。
・2010年の明るい兆しといえば、いろんな関心の中心点が変わってくる。
  これまで医学の辺縁にあった精神科、免疫学、公衆衛生などが中心に
 おかれて、新しい光を浴びることになる。
・そういう時代の中、「諦める」ことからスタートしなければ。 諦めるは、
  「明らかに究める」という読み方をする。今の日本の有り様や自分自身の心や
 地位を「諦める」ことで、新しいスタートをきる。
・「人生とは荒涼たるものだ。人間が生きていることは凄惨なものだし、
  死ぬことは荒涼たるものだ」と五木は『人間の運命』で書いている。 
  ただ、そこを超えると、光が見えてくると!
  ――  以上だが、二人とも暗い性格でマイナーになるが、
  こういう鬱の時代だからこそ彼等の見方も必要になる。どうみても、
 現象面では21世紀に入ってから変であるのは周知のこと。最後の打撃だった
9・11テロと、リーマンショックで、これまでの価値観を根底から破壊した。
ソ連が破壊した時は、700年来のロシアそのものが崩壊したとの見方があった。
それに続いた欧米資本主義の崩壊は、世界にとっても日本にとっても、
 近代資本主義=欧米主義の 終焉と五木は言うのである。
  その辺のところを押さえてないと、目先の楽観論に惑わされる。

 ・・

・・・・・・
2019/02/25
閑話小題 ~宝籤を買うバカ -1

  7年前のテーマに、<生保に入るバカ、入らないバカ(2012年02月23日(木)>
があった。これを「宝籤}に入れ替え、<宝籤を買うバカ>をテーマにする。
射幸心を煽る「籤」のコマーシャルが茶の間に流れている異常さに気づかない
恐ろしさ。ジャンボ宝籤の当選確率が1000万分の一は、ぞろ目の8桁を具体的に、
例えばゾロ目の八桁77777777を想定すればよい。「誰かが当たっても、自分は
当たらない確率が99・99999999。当たる訳がない。それなら毎日、千円の積立を
続けて当選の数字に近づけばよい。 セフティネットとして、40数年間、妻名義
預金を続けてきたので、逆に貧者の夢を餌にする宝籤、籤引きに怒りを覚える。
貧しい人ほど、賭け金が多くなるという。宗教のようなナイモノネダリ。
  ~そこで、『宝籤を買うバカ』と検索すると… あるある!
≪ ☆ 宝くじを買わない理由1:そもそも当選確率が低いからお金のムダ
 ジャンボ宝くじの当選確率は1000万分の1。下記コラムでは興味深い比喩が
紹介されていて、「東京ドームの収容人数を4万5000人だとすると、東京ドーム
約222個にひしめき合う人の中から1人が選ばれるのと同じ確率」とのこと。
  ☆ その理由2 :胴元が確実に儲かるシステムになっていて割にあわない
 宝くじの配当率は47%と、他のギャンブルと比較すると、還元率が非常に低く、
買った人はなかなか儲かりにくいシステム。
  ☆ 理由3.:時間のムダ
 時間を投下するとは、人生の一部をそこに投下する行為であり、ひとつの
投資とも言えます。では、宝くじの発売をチェックする時間、買いにいく時間、
並ぶ時間、ロトやナンバーズなどで数字を選ぶ時間を考えたとき、いったい
どういう投資的意義があるでしょうか。おそらく、富裕層(引退した悠々自適の
富裕層ではなく、現役アクティブ富裕層)は、自分ではコントロールできない
ものに時間を使うのがもったいないと…。 そんなことをする時間があれば、
やればやるほどリターンが見込めるビジネスのことを考えたほうがよいと…。
  ☆ その理由4 :自分の努力や才覚に依存しない夢を見る必要がない
 宝くじを買う行為を指して「夢を買うものだから、ゲームみたいなもの。
当選確率とかはどうでもいい」と言われることもあります。しかしこれは、
そんなことでしか夢を見る方法がないという、典型的なお金を稼げない人の発想。
夢とは本来、自らの努力と才覚で叶えるものであって、棚からぼた餅を待つ行為
ではないはず。それは夢というより「夢想」や「妄想」の類いでしょう。
おそらく「普段は満たされない自尊心」「自分の力で切り開くという努力は面倒
くさい」「やり場のない不満」「儲かる方法を具体的に考えるのも面倒くさい」
という潜在的な逃げと受け身の発想が、「楽して儲けたい」「一発逆転したい」、
そんな夢を見たいという欲望を起こさせるのかもしれません。 ≫

▼「この世に生まれ、現に、いま、此処にあるだけで大当り」に気づくこと。
終戦直後に日本人として生を受け、右上がり経済の中で精神的に、経済的豊かさ
を享受してきただけで宝籤の数倍、数十倍の価値があった、そのことに気づかな
くては! そのためには、やはり、自分という‘木’に囲いの門= 『閑』の
環境を創り出さなければ! 無理することもないが! iPadで音楽を聴くだけでも、
その環境が出来る。 
 追文: 書上げて、HP内検索で「宝くじ」を入れると、あるある。
  二回に分けてコピペをするが、『何に使う?』が、あまりに貧弱。
 貧者の夢の結果が、そのまま、精神の貧しさとして現れ出ている。
誰も考えることは、『半分貯金、残りを散財をする』だが、そういかないのが
貧者の貧者たる結果に及んでいく。散財の楽しさも少しは味わうのも良いことだ。

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6405,旅行の話 ~パックツアーの構造 ー2
2018年09月26日(水)

   * パックツアーの種類と、利点と欠点 ~A
 年に2~3回のペースだと、一応、立派な海外ツアー御宅になる。
帰って2~3ヶ月は、その余韻が残っているが、それも冷めてくる頃、次のパック
探しに入る。現役時代は、もっぱら家内の役割だった。しかし、ツアーの最中に
次の行先探しを同行のツアー仲間と、添乗員から聴き出すことが多い。だから、
話す方も、聴く方も真剣になる。 その内容といえば…
・『<ユーラシア旅行社>の添乗員は全て正社員で、徹底的顧客志向。添乗員
 の質の当たり外れで何度も嫌な思いをしてきたが、あそこは外れはないの。』
・『<○○社>で北ケニアに行ったとき、添乗員がシステムエンジニアで、全く
 経験がないのに、仕切りたがり屋で、おまけにアフリカオタクの中年の二人
 連れがさ、アクが強くて…』
・『<旅のデザインルーム>で南米のパタゴニアに行ったとき、少し高かったが、
 凄いベテランで、次々と起こってくる難局を、軽く熟しているの。日本から
 遠く離れた僻地は、安全代と思って、評判の良いところにしているの… 』
・『<日本旅行>で、ケニアに最初に行ったときさ、家内と2人と、男の一人客
 が2人と、添乗員含めて5人だった。何処に行くにもジープでさ、自由気まま。
 こんな楽しいツアーは初めて。こういうことってあるんだ、と思いましたね!』
値段からすると、季節の変わり目は、天候の当たり外れがあり、人気がないため、
ディスカウントの商品が多い。 その辺りを考えながら、パック商品選びに、
2~3ヶ月かけて探す。一月前に締め切りなる直前まで、その選定を愉しむ。
ということは、年に2~3回になると、4~6時中、その世界に嵌ることになる。
   :パックの種類:  〈ウィキペディアより〉
【 ・海外旅行のパッケージで、添乗員(日本人か日本語を話せる外国人)で、
現地国に駐在して、現地のみ添乗・案内するケースが非常に多くなっている
(旅行業者が諸経費を節約するために、こうしたことがしばしば行われている)。
この場合は旅行行程表などに「添乗員は同行しませんが現地係員がお世話します」
などと記載される。 例えば、行程表に書かれている日本と海外の往復空路の
航空券の手配は旅行業者が行ってくれるが、日本から飛行機に乗り海外へ行き、
海外の指定の宿泊施設にチェックインするまで、自力で判断して辿りつかな
ければならないものも増えている。 ただし、海外旅行のフリープランでも、
参加者が犯罪にまきこまれたり、外国語でのコミュニケーションで苦しむのを
防止するため、現地空港から宿泊施設までは現地係員が専用車などで案内し、
チェックイン手続を代行してくれるプランもある。
 ・他方、価格が高めで、予算に余裕ある団塊の世代や高齢者層を主な対象
にしたパッケージツアーを(も)企画している旅行業者もある。そういったタイプ
のパッケージは添乗員が同行することが多く、高級志向のホテル・旅館や豪華客船
などを利用しているものが多い。新聞広告、あるいはクレジットカード・銀行・
証券会社の情報誌などで募集が行われている。

▼ コストに関して、額面と実際は違う。年間100~150万といえば高い?が、
 旅行中は、日常の生活、遊行費はゼロ。更に何れにしろ、国内旅行に出かける
とすると、差し引き半値。国内ツアーは高すぎ。実質海外ツアーの倍の実感!
そのプラス効果からして、決して高い買物ではない。
――――
3480, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー?
2010年10月05日(火)
 * 旅行代理店の選定は?
 旅行代理店の選定は、金に糸目をつけないなら別だが、如何に良くて安い
パッケージを探し出すかは他の商品選定と同じである。・まずは趣味の問題に
なるが、地方の代理店は避けるべきである。地方名士様ならチヤホヤしてくれる
ので、それが目的なら問題がない。同じような目的の人が来ているから、同レベル
の人なら良いが・・とにかく、添乗員の場数が少ない人が多い。地方同士の
なれあい客しか相手にしてないので全国区の質の差が歴然としている。
・初心者なら、JTBとか日本旅行辺りで良いだろう。「ビールばかり飲んで
いたが、今度から日本酒を飲んでみたいが・・」という人は、全国区の灘の酒
辺りのブランド品で、そのイメージで味わえばよい。同じ外国に行くなら同行
の人は異質の全国区がよい。
・初心者としてアフリカや、南米など異郷に行くなら、秘境・異郷専門の1ランク
上の客を狙っている「ユーラシア」とか、「旅のデザインルーム」などが良い。
JTBや日本旅行でもワンランク上のブランド名でツアー募集をしている。
アフリカ専門とか、南米専門とか、特定の地域に絞った代理店もあるが、添乗員
の質のムラが非常に大きい。これも外れると、場所が場所だけに、客にとっては
大きな問題。 名前の通った代理店は必ず御客のチェックリストがあり封書に密閉
して送られ厳しく審査されるので、外れは少ない。旅行は添乗員の質で半分近くは
決まってくる。 何度か、添乗員で旅行そのものが台無しになった経験がある。
しかし怒りを会社にぶつけるのも大人気ないので、二度と行かないという消極的
手段しかない。ブランドで高いのは外れが少ないし、安いのは外れの危険が多い。 
安いものに、シーズンの終わり間じかのものがある。これは経験からして外れの方
が多い。しかし安さの誘惑で負けて何度か失敗をした。 反対に少し高いと思った
が、他にないので仕方ないので、という大当たりというケースが何度かあった。 
行っている人達の人品が良いと心が洗われる。南アフリカ、南米のマケドニア
北スペイン、新羅ウィグル地区・カラコルムハイウェー、などは同行客の人品の
御かげで、厳しい日程でも楽しく過ごすことが出来た。行き先を決めて、それに
あった代理店のコースの選定に集中すれば自ずと見えてくる。旅行先で、良かった
旅行先の情報を聞いたら、代理店と、その時期まで聞いて、その通りに選定する
のがベスト。 何ごとも同じ。

・・・・・・
2016/03/22
閑話小題 ~51回の海外ツアーで ー②
   * 世界の絵画
 ベルギーのフランドル地方の古都ゲントの大聖堂にある
『フランドルの祭壇画』を、以前にみてきたが、立花隆が、死ぬ前にみて
おきたいと、わざわざみにいった絵画。この絵画はスペイン圏では、非常に
有名で、スペインから毎日、特急が出ているという。教会の定位置には、模写
の絵画飾られていて、特別のコーナーに本物が防弾ガラスの中に、監視の中で
飾られていた。模写のコーナーでは写真撮影はオッケーだが、本物のコーナー
では不可。少女が賛美歌を歌っている表情に、それぞれの内面が出ていてよい。
 ルーベンスの『夜景』と、エル・グレコの『オルガス伯爵の埋葬』、
ダビンチの『モナリザ』、ベラスケスの『ラス・メニーナス』、
ボッチィチェリの『春』、ゴッホの『ひまわり』、ピカソの『ゲルニカ』と、
このファン・エイクの『フランドルの祭壇画』を見れたのだから、これで良し
としなければ。 絵画といえば、スペイン、英国、オランダ、ベルギー、
イタリアである。 一枚の絵画の中に、さまざまな思惑、情報が詰込まれている。
ひとつ『夜景』を取上げると、ここに出てくる人たちは、自分の姿を後世に
残すため、この絵画を特注したという。 ~『夜景』をネット検索すると
《 レンブラントに発注した18人の名は中央右後方の盾に描かれている。
 その他、鼓手、少女、少年などが絵の中には描かれたほか、左側には絵が
切り詰められる前はあと2人ほどの傍観者が描かれていた。この時の支払いや
受注の記録は全く残っていないが、発注者たちの記録によれば各人が
100ギルダー、計1,600ギルダーレンブラントに払われた。これは当時の
肖像画の報酬としては大きな額である。
 絵画は次の三つの要素のために有名である。
・まずその巨大さ(縦3メートル63センチ、横4メートル37センチ)、
・次に光と影の効果的な使用、
・そして当時は不動の姿勢で描かれた軍隊や自警団の集団肖像画
 動きの要素を取り入れたことである。
『夜警』はオランダ黄金時代の絶頂期であった1642年に完成した。
この絵は題名となった(火縄銃手組合による)市民自警団)が出動する瞬間
を描いている。・・一斉に人々が動き始めたため、その下では犬が吠えたて、
左には少年が走り回っている。各隊員はそれぞれ異なった方向に体を向け、
多様な表情を見せて、隊員の動きが交錯して画面に興奮を生み出している。
いずれも体の一部分しか画面に映されておらず、全身が描かれているのは
3人のみ。》とある。 絵画を描かれる背景の意味などを知るか知らないかで、
捉え方が全く違ってくる。芸術とは、そういうことである。

・・・・・・
6768,閑話小題 ~何とも厳しい現実
2019年09月25日(水)
   * 中国の「996問題」
 次男が過って外資系の会社に勤務していたこともあり、中国人の同僚の優秀さ
を聞いていたこともあって、この記事を読んで、然もありなんと! こういう
環境の中国から日本にくれば、その甘さに愕然とする筈。10年先の日本は大丈夫?
 
 昨日の朝日新聞のトップ記事になった中国の「996問題」。
中国IT業界のモーレツな働き方を示す「996」問題。かつて日本でも
朝から晩まで身を粉にして働く「企業戦士」が最善と考えられていた時代も。
最近では「社畜」の言葉が示すように、これを冷ややかにみる風潮 ...

  ~まずは、ネット記事より~
《  遠ざかるチャイナドリーム~カリスマ経営者も「炎上」 
 ◉ 中国でいま「996問題」が論議を呼んでいる。「996」とは
「朝9時から夜9時まで、週に6日間働く」の意味で、つまり1日12時間労働、
休みは週1日、日曜日だけという勤務状況を指す。この表現自体は2016年に
生まれたものだが、今年3月、若いプログラマーたちがこの問題を告発する
自主サイトを立ち上げ、一気に注目が集まった。
◉ アリババグループの総帥、ジャック・マー(馬雲)や、中国のEコマース第2位
の京東(JD)の創業者、劉強東らが、みずからの成功体験をもとに「若いうちは
がむしゃらに仕事に打ち込むことも必要」といった「996擁護論」を語るや、
これらカリスマ経営者に若い世代の批判が殺到、いわゆる「炎上」状態となる
前代未聞の事態が出現した。
◉ このことは中国の若い世代から見た「成功の意味」が大きく変わったことを
意味している。ジャック・マーらに代表される中国の「IT企業家第一世代」は、
1990年代後半、事実上、白紙に近い状況だった中国IT領域で、まさに無人の野を
駆け抜けて今の地位を築いた。そこにはむろんその時代固有の困難さや競争も
あったが、市場の空白はあまりにも大きく、才覚と努力次第で成果はつかみ放題─
という面があったのは事実だ。
◉ ところが今の若い世代に、もはやそれはない。同じ戦法で戦えと言われても
 無理だ。無駄な討ち死にはしたくない──。1980年代、90年代以降生まれの
世代にはそんな思いがある。今回の「996問題」の推移を見ていると、中国の
「野蛮な成長」の時代は終わったのだと実感せざるを得ない。これからの中国は、
まさに日本の社会がたどったように、安定成長の下、緩やかに「低欲望社会」
に向かっていくだろう。今回はそんな話をしたい。》
 ―
▼ 現場たちからは「現実には996なんてものじゃない。807、あるいは716だ」
 といった声が…。「807」は午前8時から午前零時まで働き、週7日労働、土日も
休みなし」を意味し、「716」とは「午前7時出勤、深夜1時まで働いて、休みは
日曜日だけ」。時短が進む日本とは対照的。逆にいえば、日本の将来は?
 韓国のように、いや日本もだが、「悪いのはあいつら」と‘外的’をつくり、
ニュースショーで、目を向けて、集中させ、TVでは視聴率を稼ぐ。韓国だったら
日本に対して賠償金をせしめ、韓国の歴代大統領になると、それが自然発生的に… 
無理を通せば、道理が引っ込むが通じてきたが、今度は、あまりに露骨で爆発。
 中国も、IT関連では、日米に追いつけ追い越せで、経営者側の思惑が通って
いたが、どうも空気が変わってしまった。その根底が情報機器の進化。実態を
隠しようにも、情報がそのまま、現れ出てしまうから、抑えようがない。

・・・・・・

6404,旅行の話 ~パックツアーの構造 ー1
2018年09月25日(火)
    * 経験則の詰まったパックでしか行けないところに… 
 パックツアーとは、ツアー仲間と、熟練した企画のパックで世界を股に
かけて遊ぶゲーム。地球儀を碁盤目にして、埋めていくライフワークは、
遊びとしてベストで、これが面白くない訳がない。本当に面白く、ゲーム
感覚になるには7~8回の経験を要する。ネット検索で、その意味を調べると、
これが面白い! パッケージツアーと侮るなかれ、欧州では600年以上の歴史
がある。一般的には、世界各地の地元の業者のパッケージを購入、添乗員、
飛行機などのパーツをパックにしたツアー商品を売り出す。パックを愉しむ
コツは回数しかない。 日本旅行、阪急旅行社など大手から、秘・異郷先を
専門の業者する弱小や、それぞれの地区に根差した地元密着の業者などが
存在している。大都市には大空港が必ず存在、そこで乗り継ぎ、目的地に
分散していく。これが回数を重ねるうちに、文化、文明、大自然など、
各地の「光を観る」観光別の目的が分かれる。 パッケージツアーは、
観光の既製品。それも無駄を一切省いて合理的に遊ぶゲーム。 
ユーザーは如何に面白いパックを見つけ、観光ゲームを短時間で楽しむ
かにある。後あと、魂の刻印として残る点を加えると価格価値は10倍は
あると実感している。家内と子供分を加えると100回、3500万。本格的に
ライフワークとして30数年。年に平均100万のコストが高いか安いか?
私の行蔵にあるコーナーの宝物。
   ~ウキぺディアによると~
< パッケージツアーとは、旅行業者が主催して、一般の人から参加者を募り、
 運送・宿泊・観光の料金を一括して集めておこなう団体旅行のこと。>とある。
旅行業者から見れば、出発地(集合場所)から帰着地(解散場所)までの全旅程
を"管理"する形で提供する商品の一種という位置づけ。
  :歴史と業態:
ヨーロッパでは、組織化された旅行は既に1400年頃にあったといわれており、
エルサレム巡礼者向けの旅行代理人が宿泊契約や乗船契約の代行を行っていた。
このほかにも簡単なパックツアーは実施されており、1600年頃にはローマの観光
ガイドがナポリに宿泊したのちヴェスヴィオ山へ登りさらにガエタへ船で周遊
する2週間旅行などを実施していた。18世紀には宿泊・食事・観光ガイドの料金
すべて含む一定料金でパリやローマに案内する旅行代理人が存在した。
19世紀初めごろには観光産業という言葉が使われるようになったが、組織化
された旅行産業が誕生するのは鉄道や汽船の技術的な発達によって交通網が発達
してからである。近代の旅行産業の先駆けとして団体旅行と呼ばれるプランを
初めて実施したのは家具職人で巡回牧師だったイギリスのトーマス・クックと
されている。トーマス・クックは1841年7月5日に割引料金の臨時列車を仕立てて
570人が参加するレスターからラフバラまでの往復旅行を実施し、この鉄道旅行
が近代旅行業の始まりといわれている。 >

▼ 色いろの旅行代理店から週に2~3冊のパンフレットが送付されてくる。
 それを元に、家内が、行先をネットサーフィンで、ネット、ウィンドウ・
ショッピング気分で遊んでいる。それが面白いという。現在ではTVのYouTube
面白いのが見ることが出来る。とはいえ、70歳過ぎと、年金暮らしでは…
 30数年前に、80歳の母親が、姉二人と、家内と、義姉を従えた5人と
「二週間の欧州周遊のパック旅行に参加したことがあった。母のポケットマネー。
少し痴呆初期の勢いもあったが、欧州は老人に非常に優しい社会。殆ど、迷惑を
かけなかったようだ。その後も、姉二人を連れてカナダに行ったから、驚き。
その一年後に初期痴呆症、要するにマダラ呆けになって、5年半後に亡くなった。
 HP内検索でパックツアーを入れると、アルアル…  
<楽しめるうち! 直に泣く時がくるからね!> の言葉。 この歳ともなれば、
<ニコッと笑ってハンカチーフ> というよりも、<ニヤッと笑って…>ですか。

・・・・・・
2016/12/19
閑話小題  ~ファースト・クラスのラウンジ
 先日のTVで、ファースト・クラスの飛行場待合ラウンジをレポーターが
実際に入って撮影していたのを家内が録画をしていて是非、見てみたらという。
ゆったりしたラウンジに、顧客1人にサービス員1人が召使のように付きっ切り
で応対する。パックツアー専門の私はエコノミークラス。で、10回に1度?は、
エコノミー席がダブルブッキングで無料で格上げすることがある。 
 一度だけ、ツアー添乗員の計らいで、ファーストクラスにまわしてもらった
ことがあるが別に何とことはない。 ベテラン添乗員から以前に聞いた話。
<「エコノミー席」が格安にできるのは、ファーストクラスとビジネスクラス
の代金の肩代わりで料金をカバーしているが、エコノミー席で飛行機全体の
バランスをとるための「重り」の役割がある。格安エコノミーが「重り」には
驚いた。「重石でも何でも安けりゃ良い」は貧乏人の発想か。以前に書いたが、
飛行機は社会の縮図が露出する。 世の中は残念ながら格差社会

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2013/03/29
ヘリコプター勉強法
           ー超「超整理法」より
 ヘリコプター勉強法とは自分で麓から山の頂上まで勉強するのではなく、
ネットなどを駆使することで一気に山頂を極める方法。 野口悠紀雄
『超「超」整理法』にあった内容で、以前はパラシュート法といっていたもの。
本など一番のキーポイントを見つけ、そこだけ集中して学ぶ方法である。
10数年前、ある知人に、「あなたの読書方法の要は何か?」と聞かれた。
直ぐ誰から聞き知った上で質問してきたのは分かった。その時に自然に出た
答えは、「熟読する本と、目的を持って読む本を分けている。後者の場合、
読みに足りる部分を主観的に読む」であった。その答えがベストでないが、
初めから対象に従うのでなく、主観的に読むことでポイントを把握する方法。 
随日を毎日書いていると主観的でなければ続けることは不可能。
そのため、読書感想文は自ずとヘリコプター読書法になる。 この本の何処が
一番の要点かを、まず探す。小説と哲学書以外は、まともに読みやしないない。
80対20の法則で、20だけしか拾い読みをするだけ。図書館で借りて読むことが
多く、10冊は机の前に積んで置いて、時どきパラパラと流し読みをし、その後
アマゾンの内容紹介と書評を読む。そこに幾つかのピンポイントが表示され、
関連した本の紹介まである。20分も流し読みをすれば八割は把握できる。
それを纏め書き残せば、後々まで、残る。 だから面白く病みつきになって
続いている。
 ところで国内外のパックツアーも、ピンポイントを揃えてパックにしている。
ポイントだけに舞い降りると点で、「ヘリコプター旅行法」ということになる。 
旅通の人は小ばかにするが、ツアー好きな私は元もと旅行などと思っていない。
専用ヘリで富士山頂上などの観光ツアーで充分。何も麓からの登山をしたいと
思わない。富士の頂上から下界を眺めるだけで充分。旅とツアーは違うもの。
情報化の時代、熟読とヘリコプター勉強法を分けておくべきである。
検索にキーワードを入れれば、情報と他人の知識は幾らでも手に入る。
その意味で、幾ら時間があっても足らなくて、面白くて面白くて仕方がない。
幸せなことだが、何時、死を含めブラックスワンが舞い降りてくるか分からない。
楽しめ、笑え、悲しめる、今のうちである。

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5615,かわいい自分に旅させた 
2016年07月30日(土)
             <『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著>
   * かわいい自分に旅させた ~A
 40~50歳代にかけて40回、合計51回。家内と遇わせて?90回、海外旅行に
出かけたが、その殆ど格安パックツアー。 夫婦で月あたり10万の贅沢。
10万×360回。一点豪華主義?で 何とか可能にしてきた。凡そ家屋敷一軒分。
あと5回で家内と合計で、100回になるが、年、二回なら可能だが、無理? 
肉体的には、厳しいだろうが、問題は気力と、体力と、?。
 10億円の現金と、どちらを選ぶかといえば、間違いなく旅行を選ぶ。
では100億なら、どうする? さあ、どうだろう? 旅行可能が5年とみて、
半分の50億、年に10億を使ってみたいが、私には無理か。そうこう考えると、
10億の価値は充分あった実感がする。「かわいい自分に旅させよ」のフレーズ
は、さすが作家。 別腹の人生が、そこにもう一つあるような。
≪ 私は感動を求めて旅に出る。いや、あえて求めずとも旅は必ず感動を
 もたらしてくれる。感動に出会ったとき、日ごろ金や時間や手間を惜しんで
旅せぬ自分を愚かしく思う。誰のためでなく、かわいい自分のために旅する
のである。 先人たちは不便な旅をしていた。しかしその一方で、悠長で
あるがゆえ深い旅の味わいを知っていたはずである。
 今やその気になりさえすれぽ、日本中どこであろうとあらかた日帰りが
できるのだが、その手軽さ気軽さのおかげで私たちは、まるで漫然と映像でも
眺めるような旅をするようになった。
 非日常の世界を訪れ、感動する。本物に触れ、五感をふるわせる。
先人たちの不便で悠長な旅、あるいは知らぬことぱかりの子供のころに体験した
旅とは、そうしたものであった。もし今日の旅の便利さはそのままに、本来の
そうした感動を得ることのできる旅があるとしたら、どんなにすばらしいだろう。
より深い日本を求めて旅に出たい。いにしえの旅人と刻を同じくし、溜息を
分かち合えるような、深く美しい日本にめぐりあいたい。 私たちは生まれ
育ったふるさとについて、知らないことが多すぎるのだから。≫
 ――
▼ 旅は、非日常の世界であり、日常と違った世界が別次元で流れている。
 そして、自分の世界も、その一つでしかないことを教えてくれる。
それと、感動である。「ここ、いま、じぶん」を、感動は焼き付けてくれる。
「この感動を、ほぼ大部分の人は、知らないで死んでいくのだ。もしかして、
自分も、その一人だったかもしれない!」という激しい感情と、その世界との
同化である。この「かわいい自分には旅させよ」のフレーズのとおり、この
感動を、自分に与えてくれのは自分だけである。 ~つづく

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ーH0607  ケニア・サファリ紀行 
 前知識はほとんどなし、
「何がおきるのか出たとこ勝負の旅」というのが率直な気持であった。ところが
秘境の旅というイメージで行ったところ、そこは欧州の高級リゾート地であった。
三十年前まで英国領であった為、欧米のサファリを目的としたリゾート地として
区画整備されてあった。広大な動物保護区及び国立公園と一般の土地はわけられ
ており、前者は天国、後者は貧困そのものであった。
サファリ(動物ウォッチング・ドライブ・ゲーム旅行)は生まれて初めて、
一日一日、一シーン、一シーンが鮮明な感激として脳裏に焼きついている。
強烈な印象の順に列記してみると、
・夕方、五十頭の象の群れが一列になり、右手にキリマンジェロをみながら林
 の方に帰っていく、(TVでこのシーンを見た事があるが、まさか初日に
  これをみれるとは思わなかった)
・ライオン二匹がペアリングしている横で一頭がシマウマを食べているシーン、
チーターが二百m先に一匹のガゼルをねらいを定めて木影でスキをねらっている、
・ 二十頭位の象の群れに三m位近ずいたシーン、
・湖でカバの群れに近ずいたところ一頭が我々のボートを追いかけてきたシーン
(一ケ月前にその群れに漁師が殺されたとか)
・数千~数万頭のヌーの大移動、
・マサイ・マラ族の村の中での異様な雰囲気、
・気球の船上よりのアフリカの大地の景色、
・四〇~五〇頭の水牛の群れの真只中にサファリーカーでつっこんだシーン、
・キリマンジェロの遠景、等々書けばきりがない。過去十七回の海外旅行の中
 でも最も刺激的印象的なものであった。欧州では“アフリカの毒”という言葉
 があるとか。その毒(魅力)にあたり、ウワ言のようにアフリカ、アフリカと
 言うそうで、今の私はまさに毒にあたっている状態です。
                     (1994.7/10 ~18 )