* 代々木ゼミナの7割の校舎が閉鎖
「代々木ゼミは、三大予備校の1つとして浪人生を中心に多数の生徒を集め、全国に校舎を展開してきたが、
 少子化に伴う受験生の減少などで、29の校舎のうち7割以上に当たる22の校舎を閉鎖する方針を決めた」
 というニュースが数日前に一斉に流れたが、 隔世の感がする。 ーネットによるとー
《 ・ピーク時には41万人の予備校生が、今では6万人。近年は大学全入時代に入り、浪人生の数も減少している。
 不況が続いた中で家庭でかけられる教育費が非常に少なくなって、浪人をすることにブレーキがかかっている。
・大学入学者の浪人生の割合は1985年の約4割から約1割に減少。その上に、1990年の85%が予備校依率存が、
 現在では30%まで下落している。
・1980年代の半ば頃から生徒数が減少し,90年代以降,その速度がさらに高まった。1990年では14万2千人
 だったのが,2000年には4万9千人になり,2011年の2万4千人に至っている。ピークの1977年を基準とすると,
 予備校生の数はおよそ10分の1にまで減った。 
・大学進学率は1966年に16.1%だったが76年には38.6%、今では50%と大幅に上昇、受験戦争という言葉も登場する
 ほど大学進学は当り前になり、予備校は急成長を遂げた。中でも代々木ゼミナール駿台予備校・河合塾
 三大予備校と呼ばれた。◎河合塾は理系の国公立、◎駿台予備校は特に難関国公立大学、◎代々木ゼミナール
 私立文系の大学受験を中心に浪人生向けの大学受験指導をしてきたが、そこに市場の規模が大幅に縮小したことが
 大きな要因である。》
▼ 今では私立大学の45%が定員割れ、浪人をする必要が無くなった。ネット活用で自宅浪人も可能なことや、
 東進ゼミのような『衛星放送ゼミ』で、地方各地でも一流講師の授業が聞けるのも大きなマイナス要因である。
私の事業で、売上が3分1に驚いた現象より劇的である。20年前に、新潟に代ゼミが進出した直後に、
新潟予備校が倒産したが、今度は、その代ゼミが時代の潮流に直撃したことになる。 校舎は転用可能のようだが、
不動産業として生き残れるか、どうかである。 次にくるのは専門学校の類。崩壊過程が既に始まっている?・・ 
 グローバル化、情報化による「隠れた大恐慌」が引き起こしている「中産階級総崩壊」の、一象徴である。
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4547, 閑話小題 ー海外ツアー48回のフラッシュ
2013年08月28日(水)
   * 秘異境ツアーからのフラッシュ
 突然、思いもよらない過去の記憶が飛び出すことを「フラッシュ」という。アメリカのTVドラマ『LOST』で、
陸の孤島に墜落した登場人物の素性を表現するのに各人の「フラッシュ」を利用していたが、巧い技法と感心した。
秘異郷ツアーの中では、次次と思いもよらない経験をする。しかし、その都度、それを解釈をしている余裕がない。
それが長い年月を経て、フラッシュとして記憶の奥底から飛び出てくる。それはツアーだけではないが。
還暦を過ぎた頃から、バイアス(固定観念)が溶けてきたこともある。家内とは40回近くともに旅行をしてきて、
旅先の記憶が共有している。BS/TVなどで毎日のように行先の何処かが放映されていて、
それを録画で夕食時に見ているが、そこで多くの記憶が蘇ってくるため、番組が行き先の追体験になる。
出来る時に、出来ることが出来たことに感謝している。 『秘境旅行ーフラッシュバック』をテーマに書くつもり。
  * 消費税の増税の是非
 消費税を上げれば、その分、国民にとって実質所得ダウンになる。それに2%のインフレターゲットとすれば、
年金生活者など低所得者に大きな負担が被ってくる。それも生活消費財から上がるから深刻な問題である。しかし
現在の財政事情からみたら、消費税は上げざるを得ない事態。上げるも地獄、上げないも地獄なら上げるしかない。
現在の年金の収入では、月に10万円持ち出しだが、今月から家内の年金が数万円アップで持ち出しは少しは減るが。
当初の予定は、敷地内の貸家の家賃収入で収支ゼロの予定だったが、古屋は敬遠されて、2年間も空家状態。
で、この二年半で、大きな買物はiPadを買っただけ。自転車も、パソコンも、自動車も限界に近づいているが、
それでも充分に使える。家の中は要らない物のゴミの山。実際のところ、欲しいものは殆どないから不思議。
で、消費税増税の是非の話に戻すと、株式と国債の暴落を待って、一度、根本から精算するしかないのは、
誰の目にも明らか。今の日本では改革の断行は無理の中、外国へのポーズとしても、増税は99%は、やってくる!
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4172, 木を見る西洋人 森を見る東洋人
2012年08月28日(火)
   * 認知科学者は間違っていた?    「木を見る西洋人 森を見る東洋人」 ニスベッド著
 最近になり、「自分が理解していることは、言葉で説明すれば相手は理解してくれているはず!」が、
私の思い込みに気づいた。人間は知りうる範囲で理解しているだけだが、自分が理解している範囲とは違うのである。
 「自分が真実と思っていることと、真実は違う」のである。真実と思っていても、思い込みのことがあまりに多い。
今まで国や文化や肌の色や宗教によって世界観が変わっても、人間がものを考えるために用いる道具は同じと誰も
疑わなかった。「ものごとを知覚したり、推論するために用いている道具は同じである。論理的に正しい文章は、
日本語も英語も中国語であれ、正しいことに変わりはない。だが、もし、それら全てが間違っていたとしたら、
認知科学の大前提を覆ることになる。」と、いう。緑の原野で、何を見て、何を信じてきたのだろう。 
 ー以下の部分は、その部分ー
 ≪ ヨーロッパ人の思考は「対象の動きは(それが物体であれ、動物であれ、人間であれ) 単純な規則によって
理解可能である」との前提の上に成り立っている。西洋人は物事をカテゴリーに分類することに強い関心をもっている。 
なぜなら、分類することによって、今問題となっている対象にどの規則を適用すればよいかがわかるからである。
また、問題解決に当たっては形式的な論理規則を適用することが有効だと信じている。これに対して、東アジア人は
対象を広い文脈のなかで捉える。 アジア人にとって、世界は西洋人が思うよりも複雑であり、出来事を理解する
ためには常に複雑に絡み合った多くの要因に思いを馳せる必要がある。形式論理学はほとんど問題解決の役には
立たない。実際、論理にこだわりすぎる人間は未熟だとみなされることもある。
私は心理学者として、これらの主張が革命的な意味をもっていると感じた。もし彼らが正しければ認知科学者は
間違っていたことになる。つまり、「人間の認知はどこでもみな同じ、ではない」のだ。
人文・社会科学諸分野の研究者たちは、明確にそれとは言わなかったが、実は思考の本質について非常に重要な
主張を行っていた。
 第一に異なる文化の人々は、世界の本質についてそれぞれの根本的メタフィジックスな信念、
  彼らなりの「形而上学」を有している。
 第二に、それぞれの人々に特徴的な思考のプロセスには大きな違いがあること。
 第三に、そうした思考プロセスは、世界の本質についての信念に合致したものであること。言い換えれば、
  人は自らの世界観に合致した方法で世界を認知するということである。 
注目すべきことに、社会の構造や人間観というものは、それぞれの社会に生きる人々がもつ信念体系や
認知プロセスと非常によく合致しているように思われる。アジア社会は、集団や周囲の他者との協調を重んじる
傾向があると言われる。こうした特質は、アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向をもっている
ことや「出来事は極めて複雑なもので、その生起には多くの要因が関係している」と信じていることと合致。
これに対して西洋社会は、個人主義的でお互いの独立性を重んじる傾向があるとされる。こうした西洋人が
特定の事物を周囲の文脈から切擁して観察する傾向をもっている。≫
▼ 「アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向をもっていることに対して、西洋社会は、
 個人主義的でお互いの独立性を重んじる傾向があるとされ、西洋人が特定の事物を周囲の文脈から切り離して
観察する傾向をもっている。」ことより、「気を見る西洋人、森を見る東洋人」という本の題名になっている。
同じ森林を見ても、これだけ思考の仕方が違ってくる。また一神教の欧米と多神教の東洋人とは、同じ現象でも
受け止め方が違って当然である。それと、好き嫌いという感情で違ってくる。「世界についての考え方は
根本的にひとつである」大前提が違うとすると、文明の相克はあって当然。争いは永遠に続くことになる。
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3807, iPadを買った ー2
2011年08月28日(日)
 iPadを買って六日になる。これはブログ、電子書籍、ネット新聞、メールなど「閲覧用と割り切って使う」のと
「ゲーム」に適している。ゲームやアプリを取り入れ「自分の面白空間を創造する手みじかで持ち運び可能な電子基地」
になる。これまでのPCを固定電話に喩えると、これは携帯電話、それもモバイル携帯に一挙に進化したもの。
もし迷っているようだったら、買うことを勧めます。モバイル携帯のiPhoneは私には合わなった。これは、それが
大型化しただけ?と躊躇したが、実際に手にして私にも使えるシロモノ。まずよいのは画面を横にスクロールすると、
ページが次々と切り替わる。 これがアイコンの分類に非常によい。一ページ目に、元もとiPadについていたアイコン。
二ページ目には、気に入ったブログ。三ページ目には、ダウンロードしたソフト。4ページ目は、ゲーム等々に分ける
ことができる。これが使う立場からすると扱い易い。そしてゲームやアプリなどを、それぞれのページに溜め込む
ことができる。現在のパソコンのセカンドとして、閲覧とゲーム専用に割り切るとネットに繋がる時間が圧倒的に増える。
ノートと同じ薄型で、無線のため、持ち運びが手軽で、これまでと格段にネット世界が広がる。 パソコンのある机に
縛られていたのが、そこから開放されるのは大きい。先ほど述べた携帯電話が固定電話から人々を解放したと同じで、
一度開放されたものは元に戻ることはない。その意味で、これは革命的進化といえる。モバイルPCはあったが、
キーボードで操作であった。しかし、これは直感的に画面上のタッチ操作になっている。iPhoneと、どこが違うかのか?
というと、まず画面の大きさである。手帳とノートの差といえば、分かりやすいだろう。講習会や授業で手帳に
書き込む人はいない。誰もがノートである。電子ノートと思えばよい。iPhoneは携帯電話にパソコン機能をいれたもの。
これは電子ノートパソコンであり、画面の大きいわりに移動時に嵩張らない。 週刊誌や新聞も、あと数年も
しないうちに大部分が、これを通してみることになる。もうひとつ、Youtubeがワンタッチで直にみれる。
こうなると、文字情報の伝達から画像、映像に手段が移動していくことになる。ということは、情報が圧倒的に
個人間で増加していく。年内は私に最適なアプリ探しがテーマになるのだろうが、それにしても面白いものが出てきた。
これにツイッターの映像公開となり、これにネットTVときたからには、政治も、経済も、一般消費者の変化に
対応出来なって当然だろう。ネット世界が我われを覆ってきた。
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3442, 我が家に新しいTVが  −3
 2010年08月28日(土)
 新しいTVに切り替えて二週間になる。 画面の鮮明さは説明するのが難しいほど。時間が経過しても驚きは
消えない。ボクシング、プロ野球、歌謡番組、演奏会、大自然などの旅番組などの現場の臨場感がこれまでと違う。
剥き出しのエネルギーが、これらから直に伝わってくるからである。
その結果、それ以外のワイドショー、バラエティー、中途半端なドラマなどを、ほぼ見なくなった。
マシーンが逆に視聴者の選択を変えてしまう現象である。それと対象をリアルに変えてしまうのである。
米国の本格的な映画も、これまでと違った迫力が画面に出るので面白みが倍増してきた。そうこう考えると、
やはり大したしろもの。現場で人間が見える対象より、デジタル加工した方が、より鮮明になる領域に入ってしまった。
これに3Dの立体化された映像が加わったり、スーパーハイビジョンが本格的に放送されたとしたら、世界各地に
実際に行ってみるよりTVで見た方が良く見えるということになる。(現に、ある領域では達しているが)その一端を
垣間見ているのである。 実際には現地でみる360度の視界で、五感で体感するものにかなうはずはないが、視覚
・聴覚の世界で数倍鮮明に映し出される世界は違う。 まだ地デジがアンテナの関係でまだ映らないが、これが入ると
本来の多くの機能が加わる。それが凄い。(8画面を同画面で見たり、地デジ8チャンネルを26時間録画したり・・) 
高機能TVというより、未来の先取りのTVという感である。 テレビなどバカが見るもの!は間違いない事実。 
しかし自分が行った旅先の映像が、より鮮明に画面に映し出され、そこに深く浸かることが可能になった。
面白い機能のひとつが、テレビのセンサーが室内の照明や室外からの陽光を読んで、画面を修正する
「おまかせ」がある。 テレビは、それぞれの家庭の居間で毎日、顔を突き合わせるもの。そのため、メーカーは、
そのシェアが即、会社の力をあらわす。そのため、いずれも総力をあげ商品作りをしてくる。 
一歩出遅れた東芝がプライドをかけたエネルギーが伝わってくる。
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3067,私の世界からみえた衆院選の予測
 2009年08月28日(金)
 私の世界から垣間見た、この衆院選挙の直感的予測は、民主ー325 自民ー95である。飲み会、同級会、
会社、取引先などで自民党に同情的な人は皆無という事実からみても、自民党の惨敗は間違いし、80議席以下
の可能性もある。輸出産業関連の大手企業の支配下にあった自民党政権の一番の被害者の地方の中小・零細企業や
農水産関連の人たちの怨念は深い。小泉劇場での郵政民営化の争点だけに国民の目を向けて、旧守派潰しの芝居を
つくりあげて大勝をした。 そして、自分も含めた4人の元総理などの二代目、三代目に政権のタライマワシをして
自分たちの権益を守ってきた。日本国家の戦略の布石を試みたが、実力不足で出来なかった。 最後は麻生の質の
悪さの露呈である。これでは、国民は怒りを通りこし侮蔑の感を持つのは当然のこと。 小泉が薄ら笑いを浮かべて、
《私の手法のワンフレーズの「郵政民営化自民党を叩き壊す」を、今度は民主党が「政権交代・官僚支配の打破」
の切り替えに成功している》とのたまっていた。 当の本人だから、その辺のことが鮮明に見えるのである。
冷静に考えれば、民主党が270議席辺りが政治的に妥当だが、自民党の4年の醜態を見れば、壊滅的破壊を
求めるのは国民感情である。 民主党の鳩山も所詮は鳩山一郎の孫で、同じ穴の狢。
政治家業の老舗の一員でしかない。 手垢のついてない日本のオバマが出る懐の深さがないのが現在の日本の現状。 
民主大勝で、日本も遅ばせながら大きく政治が変わる。 あの元首相などの顔が消えるだけで、非常に喜ばしい。 
あれこれ考えると、やはり民主ー325でよい。 創価学会などの政治介入を断ち切るためにもである。
その隙をついて怪しげな宗教家業屋が政界進出?だと、ったく!
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2702, 閑話小題
 2008年08月28日(木)
  *首都圏の不動産の本格的倒産が始った
アメリカのサブプライムローンの影響で、外資が一斉に引きはじめた影響が出始めた。
一昨日も「旭ホームズ」が780億の負債を抱えて倒産。先日はアーバンコーポレーションが2500億円、
興和不動産が1700億、ゼファーが1000億弱、セボンが700億、スルガコーポレーション
600億と、たて続きに倒産してきた。周辺をみると長岡市内も、新潟市内も、過剰なマンション建設が
おこなわれている。誰が見ても不況の中にあって無謀に見える。 土地の仕入れから完成まで3〜5年は
最低かかるので、急な景気停滞に対処できないのが、彼らの宿命である。完成時には、時代が様変わり、
というのが現在の経済状態である。数日前のTVで、売れ残ったマンションを買い叩いて再販する業者の
特集をしていた。だいたい仕入れ値が、当初の6割。2割が経費と利益として、8割の売値が相場。
新潟市内も売り出す前から、既に値くずれが生じているという。これが今後5〜10年間つづく大変動の始まりか。 
あくまでも始まりであるところが、恐ろしい。
  *星野野球のバッシングが手厳しい
  (字数制限のためカット 2010年8月28日)
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2007年08月28日(火)
2338, ホッファー −4   (*'▽'*)/☆゜  ほっふぁー ようさん〜〜〜〜♪ (;-""-);'↑
 ー更にHPにあったホファー「波止場日記」の中から言葉を拾ってみるー 『ー 〜〜 ー は感想』
<たびたび感銘を受けるのだが、すぐれた人々、性格がやさしく内面的にも
 優雅さをもった人々が、波止場にたくさんいる。この前の仕事でアーニーとマックとしばらく一緒になったが、
 ふと気付くと、この二人はなんと立派な、寛大で、有能で、聡明な人間だろうと考えていた。 
 じっと見ていると、彼らは賢明なばかりではなく 驚くほど独創的なやり方で仕事にとりくんでいた。
 しかも、いつもまるで遊んでいるように仕事をするのである>
   (以下、字数の関係でカット 09年8月28日)       ○´・ω・]ノ ヂャァネッ !
 ・・・・・・・・・
 2006年08月28日(月)
1973, 三回目のケニヤ旅行 −1
ケニアに行ってきた。 家に着いてまだ二時間だが、現実に帰る前に書いている。
これでタンザニアに行った時に通過したことも含めて4回目になる。旅行をしていて気づいたことは、
三回で充分。タンザニアのセレンゲッテーか、南アフリカのオカバンゴにすべきであった。
といってもケニアの大地は、そこにいるだけでも精気を充電でき、バカンスとしては十分に満足できた。
 今回のハイライトを印象度から書いてみると
①まず初日のサンブルのサファリでみた、豹のペアリングである。これはプロのカメラマンでも、ほぼ見ることが
 出来ないもの。これだけでも、今回の元をとってしまったといってよい。(しかし、初日に何枚か撮った写真を
 間違えて全て消去してしまった。) 仲間内のSDカードをコピーしてもらったので、何とか・・・
②マサイ・マラの夕景も良かった。あとで写真を掲載するが、マサイの夕陽は何ともいえない哀愁がある。
 そういえば以前のヌーの河渡りのウォッチングの帰り道の夕景の小高い丘の光景を思い出した。
 一匹取り残された足の折れたヌーが怯えて、神経質に周りを見渡していた姿。 夕景は死の間近を暗示、 
 足の折れた姿は病気を、一匹取り残された姿は孤独を、人間の死期を悟った時の心象風景そのものである。
 夕陽の赤に近いオレンジ色は、朝日の色に似ている。死と生は酷似しているのだろう!今回の夕景は近く掲載予定。
③いつも感動するのが、ナイロビからマサイマラに向かう道路からみる大地講帯の広大な風景である。
 それも、どんどん変わっていく風景が素晴らしい。 これも見ているだけでも心が洗われる。
④アバーディアのサファリで見た、小さな川での二匹の象の水場での争いも印象的であった。一匹の象が水を飲んで
 いるのを後できた象が待機していた。やおら飲み終えて帰ろうとしたのを見はらかって、待機をしていた象が
 歩き出した姿を見て、帰るのを止めて後ずさりをしてその象を頭で押し返してしまった。さらにその河水飲み場
 糞をして嫌がらせをした。何か人間の浅ましい姿に似ていた。
⑤サンブルでの、変わった動物が次から次へと見れたことだ。特に印象的であったのは、網目キリンと、オリックス
 ディクディク、ゲレヌクなどが印象的であった。前回の、ヌーの河渡りの時も、そうだったがアフリカに来る人は
 癒しを求めてやってくる。あの大地は、そこにいるだけで心が洗われる思いになる。  
 今回も、充分過ぎるぐらいの精気をいただいた思いである。