つれづれに

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  今日のYoutube

 今朝のポタリング、夜半の雨上がりのためもあり、寒いぐらいであった。
暑いは暑いで大変だが、今年は梅雨明けの10日間が異常に暑かったが、
その後は、涼しい日が続いている。 20数年ぶりにクーラーを入替えたと
同時だったから、肩透かしを食らったような・・ やはりエルニーニョ現象


・・・・・・
2338, ホッファー -4
2007年08月28日(火)

ー更にHPにあったホファー「波止場日記」の中から言葉を拾ってみるー
            ー ~~ ー は感想です。
<たびたび感銘を受けるのだが、すぐれた人々、性格がやさしく内面的にも
 優雅さをもった人々が、波止場にたくさんいる。この前の仕事でアーニーとマックと
 しばらく一緒になったが、ふと気付くと、この二人はなんと立派な、寛大で、有能で、
 聡明な人間だろうと考えていた。 じっと見ていると、彼らは賢明なばかりではなく
 驚くほど独創的なやり方で仕事にとりくんでいた。
 しかも、いつもまるで遊んでいるように仕事をするのである>
  ー人間の価値とは何か?最近、解らなくなってきた。
   誠実であるということ、そして努力をし続けること、他人と比較しないこと、
   知恵を出す術を知っていること、他人ことを気遣いすること、
   他人に笑顔を浮かべること、迷惑をかけないこと。その基準で図れば解るはずだがー
 
<労働者としても、また人間としても比類ないニグロが幾人か波止場にいるのを知っている。
 この人たちは柔和で、誠実で、非常に有能である>
  ー結局は、アメリカこそヒンズー教のような差別・階級社会である。
   これだけは、仕方がないと割りきるしかない。
   おうおうにして下の人の中に、柔和で、誠実で、有能な人がいるのも解る。
   ただミス・フィットなだけだー
   
<知識人は自己の有用性と価値とに自信がもてないために、とてもプライドなしには
 立っていけないのであり、普通は国家とか教会とか党とかいった
 ‘ある緊密なグループと自己を一体化してプライドの根拠としている’のである>
  ーロータリー、青年会議所、銀行の主催した会とか、色いろあって名刺に
   ベタベタ書いている立派な方がいる。
   誰も面と向かってアフォと言わないのが日本的で良いが、それにしてもね~。

<自分自身の幸福とか、将来にとって不可欠なものとかが全く念頭にないことに気付くと、
 うれしくなる。いつも感じているのだが、自己にとらわれるのは不健全である>
  ー不健全の何処が悪い?という声が聞こえそうだが。でも、健全に越したことはないー
  
<全般的に見て、教育のある人間より大衆の方が、人類についてよい見解をもっている。
   ・・・教育はやさしい心を育みはしない>
  ーその人の性格によるが、概してそうみてもよいか?-

<人は、充実した2,3分の間に、数ケ月にわたる努力以上のことを なしとげられるものだ>
  ーそれじゃ、努力した数ヶ月はどうなるの?
   そういうこともある!というのが本当じゃないか!ー

<私は欠点や欠陥にみちた社会に生きている。
 しかし、この社会は全ての人に好きなことをさせる十分のゆとりをもった社会である。
 ・・・干渉されることなく自己の能力と才能を発揮したい人にとっては、
 この国(アメリカ)は理想的な国である>
  -そう思うから、良いんじゃないのですか? 違う?ー

<人間のつくり出した実用的な諸道具は、大部分非実用的なものの追求のなかから
 得た洞察や技術を応用したものである>
  ーインターネットを代表として、軍事産業から民間の転用に多く見られるのが
   良いのか悪いのか?それと昔の王侯貴族の贅沢品?もあるかー

<二十世紀最大の犯罪は、金銭欲にかられた資本家たちによってではなく、
 献身的な理想主義者たちによって犯された。
 レーニンスターリンヒトラーは、金銭を軽蔑した。
 十九世紀から二十世紀への移行は、金銭尊重から権力尊重への移行であった、
 金は諸悪の根源だというきまり文句のなんという単純さ>
  ー金銭って何?という、基本的な概念が問われなければ、何も解決しないだろう。-
 
<仕事に行く気がしなかった。ほとんど一日中買い物をしてすごした。
 エリックに大きなトラを、そしてリリーにはお盆。25ドルばかりかかった。
 昼、株価のひどい暴落を告げる新聞の見出しに気づいた。大変愉快になった。
 ずいぶん意地の悪い見方だが、私がほくそえむにはそれなりの理由があった。
 株価の上昇はしばしば物価一般の上昇を意味してきた。
 賃金や預金の実質価格の低下は数千人のギャンブラーたちの破産よりも
 影響が大きく、不幸な災難となるのである>
  ーこれ以上、落ちようがない立場の真骨頂であるがー
  
<自由に適さない人々、自由であってもたいしたことのできぬ人々、
 そうした人々が権力を渇望するということが重要な点である。
 ・・・ もしもヒトラーが才能と真の芸術家の気質を持っていたなら、
 もしもスターリンが一流の理論家になる能力を持っていたなら、
 もしもナポレオンが偉大な詩人あるいは哲学者の資質をもっていたなら、
 彼らは絶対的な権力にすべてを焼きつくすような欲望をいだかなかっただろう。
 ・・・自由という大気の中にあって多くを達成する能力の欠けている人々は
 権力を渇望する> -権力って最高の自由って見方は出来ないのか?-

 彼が愛読したモンテーニュの「エセー」の言葉
<ベッドで死ぬよりも馬の背で死ぬべきだと思う。
 自分の家を去り、縁者たちから遠く離れて死ぬべきだと思う。
 友人たちと愉快に生きよう。しかし、死ぬときは見知らぬ人々の中で死のう>
    ーこれに向かって生きたのがホッファーである。
    孤独を守るこそ人生の核心である。言葉では幾らでも言える。
    しかし、彼は人生を通して彼は守り通したところに彼の生き方があるー
              ○´・ω・]ノ ヂャァネッ !
 ・・・・・・・・・
 2006年08月28日(月)
1973, 三回目のケニヤ旅行 -1

ケニアに行ってきた。
家に着いてまだ二時間だが、現実に帰る前に書いている。
これでタンザニアに行った時に通過したことも含めて4回目になる。
旅行をしていて気づいたことは、三回で充分。
タンザニアのセレンゲッテーか、南アフリカのオカバンゴにすべきであった。
といってもケニアの大地は、そこにいるだけでも精気を充電でき、
バカンスとしては十分に満足できた。

今回のハイライトを印象度から書いてみると
?まず初日のサンブルのサファリでみた、豹のペアリングである。
 これは、プロのカメラマンでも、ほぼ見ることが出来ないもの。
 これだけでも、今回の元をとってしまったといってよい。
 (しかし、初日に何枚か撮った写真を間違えて全て消去してしまった。)
 仲間内のSDカードをコピーしてもらったので、何とか・・・
 
?マサイ・マラの夕景も良かった。
 あとで写真を掲載するが、マサイの夕陽は何ともいえない哀愁がある。
 そういえば以前のヌーの河渡りのウォッチングの帰り道の夕景の
 小高い丘の光景を思い出した。
 一匹取り残された足の折れたヌーが怯えて、神経質に周りを見渡していた姿。
 夕景は死の間近を暗示、 足の折れた姿は病気を、一匹取り残された姿は孤独を、
 人間の死期を悟った時の心象風景そのものである。
 夕陽の赤に近いオレンジ色は、朝日の色にも似ている。
 死と生は酷似しているのだろう! 今回の夕景は 2~3日うちに掲載予定。
 
?いつも感動するのが、ナイロビからマサイマラに向かう
 道路からみる大地講帯の広大な風景である。
 それも、どんどん変わっていく風景が素晴らしい。
 これも見ているだけでも心が洗われる。
 
?アバーディアのサファリで見た、小さな川での二匹の象の水場での争いも
 印象的であった。一匹の象が水を飲んでいるのを後できた象が待機していた。
 やおら飲み終えて帰ろうとしたのを見はらかって、
 待機をしていた象が歩き出した姿を見て、帰るのを止めて後ずさりをして
 その象を頭で押し返してしまった。さらにその河水飲み場に糞をして嫌がらせをした。 
 何か人間の浅ましい姿に似ていた。
 
 ?サンブルでの、変わった動物が次から次へと見れたことだ。
  特に印象的であったのは、網目キリンと、オリックス、ディクディク、
  ゲレヌクなどが印象的であった。
 
 前回の、ヌーの河渡りの時も、そうだったが
 アフリカに来る人は癒しを求めてやってくる。
 あの大地は、そこにいるだけで心が洗われる思いになる。
 今回も、充分過ぎるぐらいの精気をいただいた思いである。

・・・・・・・・
2005年08月28日(日)
1608, 日本人「上機嫌化」プロジェクト-1

またまた斉藤孝だが、文藝春秋・7月号
<日本人「上機嫌化」プロジェクト>が面白い。
鬱々とした空気の現在の日本で、読めばみるみる元気になる方法を書いている。
少しふざけた文章なのだが、なるほどと合点がいく。

戦後、日本はバブル崩壊までずっと右上がりの経済成長の環境を背景に、
前向きな熱気の中で生きてきた。
それが、失われた10年、いや15年とかいう右下がりの時代になって、
全員が自信を失い、前途に明かりを見出せないでいる。

著者は、この文章で、日本人の本来持っているエッセンスを抽出して、
社会全体で確認しなおす必要性をといている。
そのエッセンスとして次の6つをあげている。、
「上機嫌文化」「子供文化」「とにかく流す」「身体からはいる」
「気づかいを育てる日本語」「はかなさを愛でる」である。
その中で特に面白のは、「上機嫌文化」である。
最近は世界でも有数な欝病気質だといわれる。
不景気のせいだが、これは本来の日本の姿だろうか。

私の過去を振り返ってみても、著者のいう「上機嫌文化」が背景にあった。
高度経済成長期は特にその傾向が強かった。
彼はこの文章の中で、19世紀末に日本に来た外国人作家などの旅行記
描かれている日本人の姿を紹介している。

ーその文章を抜粋してみる
19世紀後半、日本に1ヶ月ほど滞在してフランスのボーヴォワール
こんな光景を目にしている。
<たいへんお茶のみで、煙草とおしゃべりが大好きな日本人は、
この火鉢を前に一日を過ごす。・・・我われの入ったどの店でも、
我われの国では見られないような丁重さと、人を引き付ける愛想のよさをもって応対した>
また同時期に東アジアを旅したオーストリアの軍人グスタフ・クライトナーは
こんな光景をみた。
<荷物を担いでいる人たちは、裸に近い恰好だった。
肩に竹の支柱をつけ、それにたいへん重い運搬籠を載せているので、
その重みで支柱の竹が今にも割れそうだった・・・・
しかし難儀な仕事をしているにかかわらず、この人たちは上機嫌で、
気持ちのよい挨拶をしてくれた。彼らは歩きながらも、締めつけられた
胸の奥から仕事の歌を口ずさんでいた。>
日本人はかって、このようにストレスの解消の手段が非常に多く用意されていた。
まずは、上機嫌を取り戻すことだが、この不景気という環境にとりあえず慣れることか。
              
                   ーつづく
・・・・・・・・・
2003年08月28日(木)
876, 「2003年、日本国破産<対策編> 」
  ーYEN(円)と国債が紙クズとなる日が近づいている !?

この内容も前回の本に劣らないほどショッキングである。

・まずは2003年に前兆があらわれる(4年前の文章)
 ー金利上昇、円安、デフレの終了
・2005~7年にはかなりの事があらわれる
 ーインフレのスタートなどのスタート
・2010年ー国家破綻などが私たちの前に重大な脅威として本来の姿を現す。
 国の借金が雪ダルマ式にふえていき、
 20?近いインフレで国民生活に重大な脅威が生じ始める。
・2010~2015年 日本がIMF管理下に入る可能性もある。
 (ハイパーインフレと経済の大混乱)
・2025年ー国家破産と老人大国化で政府そのものがぼろぼろに。
 インフレ以外は現在の日本は既にその状態であるといっても過言でない。
そして著者が書いている2003年になっても、大した対策を立ててない。
そうすると、この本の通り最悪を想定しなくてはならない。
最近になって、事業をこの規模にとどめていて良かったと思うようになった。
いややり過ぎだったのかもしれない。
昨日以前読書日記に書いた「財産をなくす人財産を残せる人」
の著者・清水洋のセミナーに東京まで行ってきた。
内容を明日書くが絶望的な見解であった。

・・・・・・・・
2002年08月28日(水)
502, 40才の禁酒ー隠れ酒の味

30歳になった記念で、10年間の喫煙を止めた。
大変だったが、それから体調がかなり良くなった。
そして40歳の年に禁酒に挑戦をしてみた。

約半年で頓挫をした。宣言をした翌日が義弟の結婚式だった。
結婚式場で隣の人に「何馬鹿を言っている!明日からにしなさい!」
と出鼻をくじかれ飲まされた。まずは幸先が悪かった。

自分を律する手段で周囲の人に宣言をした。
しかし一ヶ月もしないうちに、禁断症状が出た。
そして台所にある料理酒を、皆が寝静まった後に飲み始めた。
その後、水を入れて誤魔化すのだが。
だんだんその酒が薄くなり、家内が気がついたのか首をかしげていた。

そして半年たって、人に勧められて一寸一口飲んでから、
だんだんエスカレートして、最終的には元に戻ってしまった。
約束をしたメイン銀行の支店長が都合の悪いことに?
転勤でいなくなってしまった事もある。
その後その反動で、より痛飲をするようになったのだから始末が悪い。

最終的には、「一人酒をやらない、自宅で日本酒は飲まない、
自分から人を誘わない、自棄酒は飲まない」というルールをつくり
自己規制をしている。隠れ酒の酒のうまさは格別であった。

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2001年08月28日(火)
[124] 酒乱-?

酒飲みの悩みの一つに酒乱がある。私も酒乱のけがある。
酒による失敗は数あげれば限がない、命を失いかけた事も何度もある。
ある限度を越すと、スケベイになるか喧嘩だ。
最近は笑いだ。とりあえず笑いの種を探す。
5年前に毎年やっているいる高校と小学校の同級会が同じ日にあった。
5年に一回の小学校の同級会に出た。
二次会に行くと10人位の暗い集団がいた。高校の同級会の二次会に遇然鉢合わせたのだ。
その時本当に嬉しかった事を思い出す。その中の一人が
「おい堀井!こっちの会にに出てこいや、お前がいねえと葬式だいや!」
その時これだな!と思った。愉快な酒これほど楽しい事はない。
今は明るい酒乱!になっている。

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H0905 宴会好き!

 創業来16年、当社の宴会が110回以上という。
私も宴会が好きな上に支配人がさらに好きというのがこの回数になったのだろう!。
忘新年会、工事関係の祝賀会、海外旅行の出発、帰国、理由をつけてよく飲んだものだ。
もともと私の父が宴会好きであった。
酒はあまり飲めなかったが、その雰囲気が好きで年に2回ぐらい、
無礼講で家族と従業員と取引先数人を集めて50~60人の会を開いていた。

これが私の4~5歳の時からで、親の目を盗んで日本酒を飲んでいた。
今考えてみても相当の盛り上がりで、これほど楽しい思い出はない位だった。
芸者や幇間や素人芸人を呼んで“粋”な会でもあった。
丁度、父が私と同じ位の年齢で親子がカタチを変え同じ事をくり返していると思うと
“三つ子魂”何やらである。当時の貧しい時代のハレとケのハレであったのであろう。

今でも忘れられない芸の一つがある。畳の上に一本の紐をおき、
その上をあたかもサ-カスの綱渡りのマネをする芸であった。
酔っているその姿が危なく面白おかしいのだ。その人も10年位前、痴呆で亡くなった。