「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」ーダニエル・ギルバード著
   * 我われは何故、間違った未来の想像をするのか
 やりたいことが一杯あったのに、いざ定年になると楽しみにしていた暇の時間をもてあそぶだけとか、結婚も現実は夢みた
期待が妄想でしかなかったとかいう経験は多い。幸せは実現するちょっと手前の期待と妄想にあるようだ。 人間にとって
想像する能力は最も重要だが、それと妄想が混濁してしまう。 この期待と妄想の心理を熟知しないと、親のバイアスから
一歩も出ること出来ず、小さな岩場の中で一生を終えてしまう。前頭葉と鋏は使いようである。
 ー その辺りの箇所から抜粋してみる。
≪ 脳の業績はただ一つ、意識的な経験だ。大ピラミッドを見たり、ゴールデンゲートを思い出したり、宇宙ステーションを
想像したりするのは、そのどれを建設するよりはるかにすごい行為だ。 「思い出す」「見る」「想像する」、この三つの
中でもひときわすごい行為が一つある。「見る」とは世界を今の姿で経験することだし、「思い出す」とは世界を昔の姿で
経験することだが、「想像する」行為は、世界を今の姿でも昔の姿でもなく、こうだろうという姿で経験することに他ならない。
人間の脳の最大の業績は、現実の領域には存在しない物事や出来事を想像する能力であり、この能力があるからこそ、
われわれは未来について考えることができる。哲学者のことばを借りると、人聞の脳は‘先読みする装置’で、‘未来を作る’
ことがもっとも重要な仕事だ。 ところで‘未来を作る’とは具体的にどういう意味だろう。脳が未来を作ると言える場合が
少なくとも二つある。一つはほかの多くの動物にも共通し、もう一つは人間に特有だ。あらゆる脳は、人間の脳も、チンパンジー
の脳も、餌を埋めるごくふつうのリスの脳でさえ、私的で身近なさしせまった未来を予測できる。現在の出来事(「何かにおう」)
と過去の出来事(「前にこのにおいがしたときは、大きなやつに食べられかけたんだ」)の情報をもとに、つぎに起こる可能性が
もっとも高い出来事(「あ、やっぱり大きなやつに食べられる」)を予測する。しかし「予測」と呼ばれる行為に二つの要素が
あることを忘れてはならない。一つは、他の動物にも共通し、もう一つは人間だけの特有の予測。
前者は意識的思考の必要ないもの。これを次見という。それに対して人間の脳は、遠い将来の複雑な予見が可能なことである。≫
 ▼ 人間は、この能力で飛躍的進歩を遂げてきた。人間は本来、将来のことを考えるのが好き。旅行を例にすると、
  行き先を探し、決め、決まったら、その資料や旅の準備をする。そこに不安や楽しみの感情がまとわりつき、それも旅行の
 楽しみとなる。実際に行ってみると、この本と違うところがある。その数倍も面白く楽しいことと、嫌なことがあるのが実際。
 そして、嫌のことは帰りの飛行機内に置いてくる。そうなるまで10数回の経験が必要だったが、間違った予測が多いのは、
 経験の絶対量が少ないからである。女性遍歴の多いのは、相手を獲得するまでが幸せというのを知ってか知らずか。
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3936, 新年にあたり ー3
2012年01月04日(水)
   * 御先祖・四四太郎様の警告
 最近、お呼びがかからないから、久しぶりの娑婆になる。聞くところによると、経済震災や自然震災で去年の3月に倒産したとか。
御前のような用心深い男が何ていうザマだ。こういう長期の装置産業は、ピークを見極めて早々、売り抜けるのが本筋。
それを分かっていたと思っていたが実際には出来なかったということか。お前が学生時代に事業を目指すと決めたとき、何を思った?
事業を立ち上げた後、それを第三者に売却し、全く別の面白そうな事業を立ち上げをして転売をしながら、事業を学び、自分の世界を
大きくしていくことだったのではないか。 それが何じゃ、30年も続けてしまい、その結果が、これである。この様は30年も
微温湯に浸かっていた当然の報いじゃ。とはいえ、これも事業人生の一場面。 調子に乗って羽目を外して馬鹿丸出しだったが・・・
 ワシも御前によって、400年以上も前から引き戻されたが、みるみるうちに、娑婆の変化が起きているのを知り吃驚じゃ。
それにしても面白い時代じゃないか。現時点をみると、ワシの当時の戦国時代より世界と一体している分、変化は激しい。
戦国時代は、一つ間違えると一族郎党が殺される厳しさがあった。しかし変化の大きさは比較にならないほど現代は大きい。
現代文明のは、お主達に大きなメリットを与えている。で、ワシの目で見ても、これから10年は更に大きな時代の変わり目になる。
その中にあって日本は刺激的な日々になるのは、お主は分かっているが、それでも、まだまだ甘いことを忠告する。地勢的にみて、
そのメリットを受けたのが戦後の経済成長であり、世界二位まで膨らんだが、それが20年前にバブル崩壊で破裂し現在に至っている。
そして、これから10年で、最後に残った蓄積を全てアメリカによって吐き出される運命になる。もう一度、書店かネットで情報を
とってみることだ。そこには、まだまだお主の知らないことが多く書いてある。 それを知らせるために、ワシは現れ出たのじゃ。
いいか、お主自身、現状に危機感を持っていると思っているが、まだまだ、そんなものじゃない、これは。 ならどうするかを、
ここで、もっともっと考えろと言いたいのだ。 大津波は実際に押し寄せたときは、その前のイメージを遥かに超えたもんじゃ。
そのことを考えろ、と言いたいのだ。去年の今時分に、ワシが同じことを言っても、ピンとこなかったはずだ。 が、一ヶ月後に、
ワシの今の言葉が身に沁みて分かった筈じゃ。それと同じか、それ以上に、お主たちは危ないのだ。どう身を処するか、より考えろ!
お主は去年、ギアダウンをして大丈夫と思っているが、それは、周辺の鈍い連中に囲まれた中で思っているだけ。悲観とか楽観とかいう
問題ではない、これは、そこに大津波が轟音を立てて迫っている。 まず直近の大波は今年の前半と、後半に一つずつ見えている。
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3571, ダイヤモンドは 何故美しい?
2011年01月04日(火)
 ー地球上のダイヤモンドのうち、いくつかは現在の太陽系の一サイクル前の超新星爆発で出来たものとされている。
 この太陽系は、宇宙がビッグバンで出来上がってから何回のサイクルをえた世代に属するとされている。
 超新星爆発という「恒星の死」において、中心部に生成されるとてつもない高圧の中で、炭素の原子が押し詰められ、
 ダイヤモンドができるという。 だからこそ、地球上の硬い物質を切ることが可能になる。ー
 《「今、ここからすべての場所へ」ー茂木健一郎著》の中で、このことを最近知り、世界観が少し変わるほど驚いた。
 テッキリ地球上の物質は地球上で出来上がったものと思っていた。 しかし地球の生成は、太陽系に浮いていた物質が
 衝突を繰り返す中、だんだん大きくなって地球になっていったのだから、当時の物質が地球上にあって不思議ではない。
 超新星爆発という「恒星の死」の中で中心部に生成された高圧の中、炭素の原子が圧縮され出来上がった物質がダイヤモンド、
 といえば見方も変わってくる。 地球生成以前から、ダイヤモンドは宇宙を彷徨った後に、発見されたもの。これまでは装飾品や、
 他の物質を加工する道具の価値でしか見えなかった。しかし、このことから地球そのものや、物質に対する見方も変えなくては。
  この歳になって、本当に知らないことだらけ。いや、年齢を重ね、現世の欲が薄れ、「私」の枠が少しずつ取れてきたのか。
 とはいえ、そんなことは知らないでも全く生活に変わりはない。しかし知っていると知らないとでは、対象に対する見方が違ってくる。
 人間が持つ、それぞれの「私」は、せいぜい80〜100年でしかない。 それに対し、ダイヤモンドは50億以上の宇宙の旅をしてきた。
 その「私」など、それに比べると宇宙のチリのチリでしかない。それを知るかどうかである。 知ることの価値を知ることである。
 人間の趣味は最後には「石」に向かうというが。ダイヤモンドの美しさ、輝きには、もって生まれた理由がある、ということか。  
   石か〜  森に入り、岩山を登り、星空の輝きを眺める、これが人間の理想的な生活というが・・・。
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3196, 一〇〇年前の世界一周
2010年01月04日(月)
  「一〇〇年前の世界一周  ある青年の撮った日本と世界」     アベグ,ワルデマール著
   =アマゾンの紹介文より= 1905年、ひとりのドイツ人青年が世界を知る旅に出た。アメリカ、日本、朝鮮、
  中国、インドネシア、インド、スリランカなどを1年半かけて周遊、多くの写真を撮影した。(写真117点収録。)
  とくに日露戦争直後に滞在した日本では、まったく異なる文化に感銘を受け、すっかり日本に魅了される。
  まだ世界が広かった時代、豊かな地域性を残した社会を旅した貴重な記録。大戦前の世界が生きいきとよみがる。 
   *ベグ,ワルデマール= 【1873年、ドイツ、ベルリンの裕福な家庭に生まれる。大学で法律を学び、卒業後公務員となる。
                ナチズムに反感を抱いており、第二次世界大戦後、ドイツ国籍を放棄した。 1961年没】。
〜 昨日、図書館で見つけて早速、読んでみたが、これが面白い。ほぼ写真集といった内容で、文章は旅行記風に補佐されている。
2009年11月30日発刊とあるから、直ぐに見つけたことになる。特に日本の写真が身近に思えてよい。 
写真公表を前提としていないので自然体で旅行者の目線である。写真も、その記録も本書で初めて出版になった本という。
アベクの趣味が写真撮影のためかシャッターを素直にきっている。彼は日本を気に入り、船頭や芸者や街、富士山などを撮っている。
 公務員として33歳になった時に、研修旅行の名目で休暇を取る。 17世紀あたりから、英国の上流階級の若者たちから
流行した青春の締めくくりの旅は「グランドツアー」と呼ばれ、当時の欧米の若者たちにも広まっていた。
現在も欧米だけでなく、日本も卒業旅行で世界を旅するのは、数百年前からの英国の上流階級の子弟の流行からきているようだ。
 1905年4月、青春時代から親しんできた写真機2台を携え、地元を一人旅立ったアベクは、移民たちとともに大西洋を渡り、
ニューヨークに上陸。 当時の米国は経済・産業が発展を遂げ、ニューヨークには摩天楼がそびえ、自動車が行き交り、
地下鉄の高架路線が走る。 半年かけて大陸を横断したアベクは、ハワイから、日本に到着。 ニューヨークで知り合った
ガイドのナカノの案内で旅を始めた。  撮影した銀座や、おいらん道中、雪景色の富士山、江戸の風情が当時の世界を垣間見れる。 
日本滞在は4カ月に及んだが、別府では芸者を撮影をした。 その後、朝鮮からインド、エジプトを経て故郷に帰った。 
カラー写真が半分を占め、当時の写真としては、綺麗に撮れている。 特に、花魁が何とも艶がある。 
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2831, 1秒でも早く・結婚したい女たち -1
2009年01月04日(日)
  一昨日のTV「久米宏!経済SP新ニッポン人現る!ー2
“1秒でも早く・結婚したい女たち”急増中 」を興味を持ってみた。 まあ、面白い。
 ーまずはHPの番組説明からー
久米宏が経済の視点から新たな価値観で行動する人々に迫る第2弾は、女性たちの結婚観を探る。
 自由恋愛や核家族化、男女雇用機会均等法などライフスタイルの選択肢が広がった女性たちは結婚にとらわれなくなり、
 晩婚化が進んだ。一方で、結婚に走る20代女性が増えているという。 久米が結婚に向けて活動する女子大学生や、
 結婚相談所主催の見合いパーティー、20代カップルの挙式に密着し、彼女たちの理想の結婚の形に迫る。
 さらに20代女性たちが育った時代や社会環境、経済状況を検証し、現在の結婚観がいかにして形成されてきたかを
 解き明かす。さらに久米と写真家の梅佳代さんが女子高校生たちにインタビューし、彼女たちの結婚観に迫る。
  *解りやすく私の主観でマトメテみると・・・・
・今の男の3Kは「こぎれい こだわる 枯れてる」だと!前の三高(K)高収入、高学歴、高身長とは違うようだ。
   (字数制限のためカット 11年1月4日)
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2008年01月04日(金)
2466, 「今日を楽しむための100の言葉2+3」より
   「今日を楽しむための100の言葉2」+「−−100の言葉3」伊藤守著 ディスカバー21   オハ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
「今日を楽しむ以外、他に何時楽しめるというのか?」だが、今日を明日のために捨てる時期も必要である。
 その辺のことを知らないで鵜呑みにするのも問題である。要するに人のことばかり気にしないで生きること、
 そして楽しくないことを如何に面白く転換するかである。歳を重ねれば身につくことだが、経験を幾つか乗り越えたからである。
 ということは中年以降の開き直りを言っているに過ぎないと言えば、それまでだが、しかし、それを若いうちから知っておく
 必要もあるのか? 世の中、リアル世界にドップリ漬かっているのが8割?9割である。だから敢えてこういう本が
 ニーズになるのである。『みんな、敵ができることにだけ脅えていて、味方をつくることから遠ざかっている。』
『自分を愛することと他人を愛することが同質のもののように思えるまで、本当の思いやりなんてあるわけない。
 ただ、見返りを期待した思いやりがあるだけ。腐った演技は止めましょう。』『人が何を思ったっていい。
 自由に思わせればいい。介入する必要はない。思っていることは思っていることでしかないんだから。』
『喜ぶには、理由が必要だと思っているでしょ? 喜ぶと決めて喜ぶんだよ。これが新しい生き方』
 (字数制限のためカット 11年1月4日)
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2007年01月04日(木)
2102, バンジージャンプ −2
   ohayou_〆(∀`●)
(以前にも書いたことがあるが、同じテーマが二年後にはどうなるか、以前の文章と比べてみるのも面白いだろう)
昨日のNHK/HVで世界自然遺産の特集番組を幾つか放送していた。その中の一つ「ビクトリアの滝」(am10:00~11:00)で、
カメラをつけたカメラマンがバンジージャンプをする場面があった。ジンバブエからザンベジへの国境に架かっている
100Mの鉄橋の上から、飛び降りるのだ。世界で一番高いジャンプ台である。私も11年前に飛び降りたことがあるが、
今はもう無理だろう。「ジャンプをしてやろう!」と、いざ決断した瞬間から息ができないほど緊張をする。その数年前に、
ニュージーランドで43?の橋の上から飛び降りた時の恐怖心が、その時に立ち上がったからだ。そうなったら身体全体を
フイゴのように呼吸するしかない。そうしないと恐怖で息が止まりそうになる。恐らく銃殺か、斬首のため刑場に引き出される時は、
あんな感じなのだろう。飛び降り台に立ったとき周りが恐怖心のためか、銀色に輝いて見える。躊躇したら恐怖心が数倍になるのを
知っている。身体を前に向かって投げ出すしかないのである。そして投身! その瞬間、頭の奥から「おい、目を開けてみろよ!」
という声が聞こえてきた。そしてバウンドを数回したあと、腰につけたベルトを上に引き上げたのである。
引き上げられる時に更なる恐怖心が襲ってきた。自分が逆さの宙吊りのまま大きく左右に揺れている時の恐ろしさ。
そこに、10歳位の黒人がするすると紐に釣り下がって降りてきて、紐のついた鉤をかけて引き上げ始めた。
もうできないが、何ごとも経験である。南アフリカ旅行といえば、これが強烈過ぎて他が霞んでしまった。
   (以下字数の関係でカット2009年1月04日)
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2006年01月04日(水)
1737, 日本一短い「母」への手紙   ー 読書日記
   (朝´∀`){♪Good Morning♪}(´∀`朝)
人は誰もマザコンである。だから、嫁姑の問題は深くなる。 母親の子供に対する愛ほど深いものはない。
その愛の深さは人間の心の奥深く沈殿して一生の温もりになる。その温もりが人間形成の基礎構造になる。
両親の温かさが感じ取れない人は信用しない方がよい! 温みのない人は、その温みを他人にもとめる。
しかし、他人との間の温みは独りになるとスグさめる。母親の温みは、そのまま直に子供に与えることができる。 
良い母親に当たるかどうかは神の判断の領域である。 良い母親になるには、良い伴侶が必要だ。
それも、母親の責任になる! 両親への感謝が、その人間の温みの原点である。     ♪♪アリd(*´□`*)bガトー♪♪    
 ・・一筆啓上賞・・
お母さん
  雪の降る夜に私を生んで下さってありがとう。  もうすぐ雪ですね。       天根利徳(大阪府51歳)
後10分で着きます。 手紙よりさきに着くと思います。 後で読んで笑ってください。 瀬谷英佑(愛知県16歳)
「私、母親似でブス。」娘が笑って言うの。 私、同じ事泣いて言ったのに。ごめんねお母さん。田口信子(群馬県38歳)
桔梗が、ポンとおとをたてて咲きました。 日傘をさした母さんを、思い出しました。   谷本栄治(京都府65歳)
 (字数制限のためカット 10年1月4日)
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2005年01月04日(火)
1372, 日本人と笑い   あはっ♪(^∇^*)*^∇^) あはっ♪  ┌(。Д。)┐ あはは♪ (o_ _)ノ彡☆ばんばん
  昨日の朝日新聞に、「日本人と笑い」をテーマにした全国世論調査の結果が出ていた。
    その中で、印象の強い順に抜粋してみる。
   ・最近よく笑うー62%
   ・人を笑わすことが好きー61%
   ・若い人ほど良く笑い、歳を重ねるほど笑いが少なくなる。女性の方が、男性より笑いが多い。
   ・どういう状況で笑うことが多いか?に対する答えとしては20代では9割が「人と話している時」であり、
    高齢者ほど、「TVや漫画を見ているとき」が増えていき孤独な笑いがふえる
   ・ユーモアのセンスは、「かなりある」「すこしある」を合わせて、全体の6割。
   ・親父ギャグに代表される「親父ギャグ」については、76%が別にかまわないと肯定的であった。ワーイ♪\(^ω^\)
  (字数制限のためカット 10年1月4日)
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2003年01月04日(土)
 631, 文化と文明
文明と文化の言葉の意味を明確にしておきたいと思い辞書でひいてみた。
1、世の中が開け、生活が高度に進むこと
2、人類のあらゆる時代を通じ、人間が自然に働きかけることによって、みずからも自然状態から脱して作り出してきた
 物質的・精神的ないっさいの成果。フンボルト以来物質的文化を文明、精神的文化を文化と呼び分けることが多い。
これまでは 文化の積み重なりとしての遺産を文明。その現時点の花開いている集合体を文化と理解していた。
時間軸でショートスパンで捉えたものを文化。 ロングスパンのものを文明として捉えていた。
しかしインターネットでで調べてわかった事は以下の事である。
 ー 各ホームページから抜粋したものを纏めたものである ー
・文化は個々人の心(意識と無意識)であり、
・文明は人間を取り巻く環境(自然環境、建築環境、社会環境)です。
ー文明とは人間が造り出した目に見える物質的なものに対して向けられる言葉であるが、
ー文化とは人間の身につけた自らの行動を律する目に見えない精神的なものに対して向けられる言葉である。
 最近の言葉でいえば「ハード」と「ソフト」との違いと言うことになる
「文化」と「文明」という言葉のつく固有名詞を考えて見ればこの違いはより明確になる。
・「○○文明」と言われるものの多くは「インダス文明」とか「古代文明」などのように、特定の時代の、
 しかも特定の人々の社会もしくは経済的所産を指しており、その多くはすでに歴史の流れの中で過去のものとなっている。
・これに対して、「○○文化」と呼ばれるものは「イスラム文化」とか「仏教文化」というように、
 たとえその誕生した時期や地域が特定されるにせよ、その時代や地域に制約されることなく、
 その多くは今日まで何らかの形で生きている。確かに文化と文明とは人間の歴史の中で一体となっており、
 文明なしの文化、文化なしの文明などあり得ないのであるが、これらは決して同一のものではない。
 高度の文化を持ちながら、しかもずっと低度の文明しか持たない民族がいる
  ――例えば古代インド人―― 一方、大いなる文明を持ってきたが、
 比較的低い寄せ集めの借りものの文化しか持たない国民――例えばローマ人、そして現代ではアメリカ人―がいるのである。
 歴史の隠れたドラマは、人類の内的価値と外的価値の永遠の闘い、精神と物質、文化と文明との闘争であるとさえ
 言いうるであろう。アメリカとアラブの闘いは文化と文明の闘いと思っていたが、文化と文化の争いでしかない?
 ーー自分である問題を提起すると、一瞬のうちに纏めができることに驚いている。
 幾つかのホームページの要点を張り替えただけでチョッとした学者並みの小論文が出来上がる。
・・・・・・・ 
2002年01月04日(金)
290、歓喜ー2
TVであるが、元旦の小沢征爾のウイーン・フィルニューイヤ・コンサートがよかった。 
あまり興味のない分野だが、日本人初のこの指揮を生放送ということで見てみた。もちろんウイーンからの生である。
シュトラウスの「ラデッキー行進曲」やワルツ「美しく青きドナウ」などであった。それに合わせ他の?お城でダンスを
踊っているのが夢のような世界である。指揮者・演奏者・観客が一体になり音楽の世界に入りこんでいる歓喜の世界であった。
当然最後はアンコールの拍手の渦であった。 この音楽会でこの曲を聴く前と後、というくらいのインパクトを与えるのが
芸術の力である。あの場面にいたら、その位の気持ちになったのでなかろうか。 歓喜・感激はそれ位のインパクトを人間の心に
与えるものである。音楽などの芸術は、宇宙・大自然の中のあるメッセージを一瞬にとらえ、作品に仕上げたものであろう。
それを会場の全員がそのまま受け取っているのでないか。 歓喜は当然のことだ。
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1月4日 1969年
 10時に起床。
食事をして、顔を洗い、新聞を読んだりして時間を過ごす。 午後は裏に住む姉の正子さん宅の屋根の雪下ろしだ。
2時間した後に、従妹の旦那の関口さんが来る。 高専の先生をしている。彼と学生運動から教育論について話す。
気がついたら3時間も経っていた。気持が若く開放的だ。 先生とはこういうものかと思った。
20時からジャスコオカダヤの論文の構成を考えるが、上手くまとまらない。
この程度の問題がナカナカ上手くいかない。 如何したのだろう。