* 人間原理とは何か
 ベルギーのテロが、やはり起こってしまったが、イスラム教は恐ろしい。
というより、イスラム原理主義が恐ろしい。 考えてみれば、アメリカも
キリスト教原理主義国家。旧約聖書によると、この世界が現れたのが7千年前。
それを信じろというのは土台無理。イスラム教徒とキリスト教徒が、アブラハム
のX(エックス)たる神の存在を信じているというから・・ この当り前の矛盾の
指摘を、ただの無神論者の論として軽く退けられる。そこで、最近よく目に
するのが、『人間原理』たる言葉。この宇宙には、なぜ私たち人間のような
理性的な存在者がいるのか。人間は偶然この世に現れたのか。それとも現れる
べくして現れたのか。人間が存在しない世界は可能だったのかを神抜きで
論じた原理。 〜そこで検索すると〜
≪ 1. 人間の存在は奇跡である
 人間のような理性的存在者が、それどころか原始的な単細胞生物であっても、
宇宙に生まれてきたことは必然ではなかった。もしもビッグバン初期の膨張
速度が実際よりほんの少し速ければ、重元素(水素やヘリウム以外の元素)や
銀河が形成されず、低濃度の水素ガスが希薄になるだけの歴史しか展開し
なかっただろう。逆にもし膨張速度が実際よりほんの少し遅ければ、宇宙は
数分の一秒以内に崩壊しただろう。いずれの場合にも、生命の存在余地はない。
生命を育む宇宙を初期の特異点が作る確率は10の−1230乗と試算されている。
宇宙開闢の段階で、生命誕生はもう既に十分偶然的と言えるが、生命が誕生
する条件が整うためには、これ以外にも多くの偶然が重なっている。
プランク定数光速度、電子と陽子の質量比などが現在の値と異なっていても
生命は存在しなかったはずだ。またこうした基本的な条件がそろっていても、
もし太陽系の適正な惑星数、太陽と地球の間の適当な距離、地球の程よい重力、
大気の温暖効果、太陽風や紫外線のカットなど様々な偶然のうち一つでも
欠いていたら、地球上に人間は誕生していなかっただろう。
  2. 結果から原因を説明する
このように、宇宙に人間が現れたのは、奇蹟的な偶然である。
この偶然を説明するために科学者が持ち出した仮説が、人間の存在から宇宙を
説明する人間原理である。ビッグバンから人間の存在を導こうとすると、奇蹟
のオンパレードになってしまうが、人間の存在から宇宙の現状を導こうとする
と説明に必然性が出てくる。ただ科学者は原因から結果を説明する因果論的
説明に慣れているので、結果から原因を説明する目的論的説明に反発する
科学者も少なくない。 人間原理には弱い人間原理と強い人間原理がある。
・前者は、「宇宙の年齢は100億年以上である。なぜなら、主として重元素から
できている太陽系や人間が存在するためには、宇宙の開闢当時存在しなかった
重元素が星の内部で合成され、それが星の爆発によって外部に放出され、
そこから太陽系ができるまでに100億年以上かかるからだ」といったもので、
常識の範囲内である。
・強い人間原理はもっと過激である。宇宙の存在は人間のような知的生命の
認識にかかっており、もし宇宙に知的生命がなかったとすると、その宇宙の
存在は認識されないのだから、存在しないも同然であるとまで主張する。
 こうした「我思う、ゆえに宇宙は存在する」という主張は、自然科学者に
とっては奇妙に思えるかもしれないが、哲学者にとってはおなじみの超越論的
観念論である。≫
▼ キリスト教圏、いや一神教圏では、その大元がアッラーの神の名の下、
 解決してくれていたが、現代社会では、それでは納得することは出来ない。
で、現れてきたのが、人間原理である。これは、哲学者にとってはおなじみの
超越論的観念論である。だから哲学は面白い。今だに一神教が支配する世界に
アッラー絶対神をアナザーワンとして論じるのだから面白くない訳がない。
 で、ユダヤ教の現代版の生活共同体の応用の社会主義が現れ出て、壮大の
実験の結果が、以下の結果。狂信的独裁者にとって、これほど都合の良い
システムはない。 が、一般大衆にとって、それは悪魔でしかなかった。
しかし、大衆は考えない羊でしかないことも確か。だから問題は続いていく。

・・・・・・
5122, 社会主義の実現を信じた狂信者という悪魔 〜3
2015年03月24日(火)
      ―ポル・ポト―ある悪夢の歴史〜フィリップ ショート(著)ー
  * ポル・ポト ―自国民の二割を虐殺した男
 国家権力は絶大だが、空想的社会主義者が持つと、こうなるという事例。
家庭を否定し、産まれると、引き離し、数字を記印し呼んでいた。
虐殺の実行者が、その少年達が担っていたというから恐ろしい。
   〜まずはアマゾンの商品説明より
≪ カンボジアで二十世紀の歴史に汚点を残す大量虐殺がなぜ起きたのか?
 人口700万人のうち150万人が犠牲になった、クメール・ルージュ/カンボジア
共産党首領ポル・ポトの伝記。極度の秘密主義を貫いた彼の生涯は、これまで
闇に包まれていた。しかし本書は、その軌跡を追い、クメール・ルージュ組織、
粛清、権力奪取、大量虐殺、失墜、死までを、綿密な取材とインタビュー、
膨大な資料を駆使して克明に描き出した、「決定版」といえる大著。
 パリ留学から帰国したポル・ポトクメール・ルージュを組織し、「都市=
ブルジョア思想に毒された場所」「農村=革命の前衛」という図式を掲げて農村
オルグ、独自の共産主義路線を推し進める。彼は背後に隠れ、血の粛清に
基づく恐怖政治で支配を固め、プノンペン占領を果たす。都市人口の大量移動、
通貨・商業の廃止、家族制度の廃止と共同の食事、強制労働など、極端な空想
社会主義は多大な犠牲者を生むことになる。まさに「悪夢の歴史」だ。
大量虐殺はなぜ起きたのか? 蛮行と悲劇の全貌を暴いた本書は
我々に問いかけるが、それは重く、根深い。≫
▼ ポルポトは空想社会主義を信じ、通貨・商業の廃止、強制労働、家族制度
 の廃止を貫き、反抗する者はすべて拷問・虐殺。国民の4分の1を抹殺した。
両親から引離された子供が、その拷問の執行者。1970年頃から2000年までの
30年の間、カンボジアで起きた権力闘争や虐殺の詳細の多くが書籍で語られ
ているが、その内容たるや、想像を絶している。出世のため、地方の役人が
しでかし、それを見て見ぬふりの毛沢東とは違い、ポルポトは、その具体的
指示を出した確信犯。 ヒトラー毛沢東スターリンに匹敵する虐殺が、
10数年前までアジアであった事実は痛ましい。国力の向上には優勝劣敗の弱肉
強食のシステムが必要だが、大多数を占める弱者を如何に守るかが問題になる。
それも文化人を狙いうちにしたのだから、国家として絶望的な所業である。
他にも、中国による、チベット民族120万人の虐殺があるが、何故か世界の
マスコミは誰も語ろうとしない。最後の最後、守ってくれるのは国家だが、
ひとつ権力者の選定を間違うと、こういう事態も有りえるということ!
 で、日本では、世界恐慌へまっしぐらの中、東京オリンピックに向け、
アフォノミクスと、お金を無制限に漆黒の闇に、ばら撒いているのだから!
・・・・・・
4757,閑話小題 ー今場所は、面白かった!
2014年03月24日(月)
  * 今場所は面白かったが
大相撲が再び人気が戻ってきつつあるが、今場所が思わぬ展開で面白い場所。
不調で負け越しの瀬戸際だった琴奨菊が、二人の横綱に勝ったことで、俄然
面白くなった。結果は鶴竜の優勝と、横綱昇進が決まったが、大相撲の醍醐味が
楽しめた。 まだ入門一年の、遠藤が三役力士と互角で闘うのだから、古参力士
のプライドに火がついたこともある。後半まで全勝だった二人の横綱が、
二人の大関に負ける展開は近年、珍しい展開。更に若手に突然、超大物?
二人が現れ出てきた。今場所は、白鵬時代の終わりの始まりの場所。
鶴竜は、その性格の大人しさのため、実力があるにかかわらず、いま一つ
だったが、先々場所の前半に負けこんで、大人しい性格に火がついてしまった。 
これで、モンゴル三横綱の時代が2〜3年は続き、遠藤、豪栄道と、
二人の超大物?の時代に移っていくのだろう。
  * 高校野球も田中の御陰で、面白くなってきた
 田中投手のヤンキースへの破格の契約金で、高校球児に大きな夢を与えた。
アメリカンドリームを、自分も?」である。まさか田中が、イチロウ以上の
評価の選手になろうとは、驚き! 情報化で誰でも情報が入手可能の時代。
親子鷹で、科学的にノウハウを積み上げれば、異能の投手術を持つ選手に
育成可能である。逆に天才的スポーツ選手は親子鷹でないと難しいのだろう。
そこには当然、科学的な管理がある。冬期オリンピックで活躍した選手は
全て、そうである。あるところまで行くと、国がコーチをつけるのだろうが。
  * 一昨夜半見た夢
 一昨夜半見た夢が、驚き。 あるコンサルタント事務所の一室で、
マネジメント・ゲームの進化した研修を数人がしている。誰かに紹介されて
特別見学をしている自分が、疎外感に陥る。そこで、そのゲームに参加したい
と申し出ると、「ある私立小学校の創業の計画書」と、進化したタブレットPC
を渡される。計画書には、創業参加希望者の名が数名あって、まず、タブレット
で希望者の履歴を調べ、面接をするように、更に、資金計画書の作成も
タブレットでするように申し渡される。それを遂行するには膨大なエネルギー
を要する。しかし、その気力が私には全くないことに気づき、その場で参加を
取りやめる。その隣の部屋には、どこかの新興の社長が、ある事業計画の報告を
自慢げにしている。 ところで、そのタブレットが、面白いのである。
ある居酒屋チェーンの店頭に、タブレット(付属しているカメラ)を向けると、
その情報が自動的に出てくる。(誰が社長で、役員の経歴、財務内容、
コンセプト、店内の様子)が、である。このマシーンを使った事業の創業
ゲームで、ほぼ現実と変わりのないリアルなもの。 何か私の潜在意識の
一部を垣間見た思いである。その担当者の冷たい視線と、あの部屋は、
資本主義社会と私の脳内? あの部屋の中に過っていたのである。
・・・・・・
4390, ブラック・スワン ー3
2013年03月24日(日)
ブラック・スワン―不確実性とリスクの本質」ナシーム・ニコラス・タレブ
  * 2023年までに予測されるブラック・スワンは?
 これから10年後の2023年までに予測されるブラック・スワンは、何だろう。
大雑把でいえば世界恐慌と大戦である。今世紀に入って13年だがが、9・11テロ、
リーマンショック、3・11に代表される多くの黒鳥が、舞い降りてきた。 
さらに、その黒鳥の仲間が近くに来ているが、いつ舞い降りるのか分からない。 
地震などの天変地異、経済動乱、戦争が何かのキッカケで突然起ことになる。
しかし、恐れていては何も出来はしなし、あとは備えをするしかない。
ブラック・スワンは、歴史的大事件だけでなく、身辺の出来事にも起こっている。 
人生はマサカという形で、ある日、突然に、我われに襲いかかる。特に断絶の
境目には起きやすい。情報機器の進化は、とどまることなく進化し、情報や知識
は大量に私たちに押し寄せ、それがブラック・スワンを呼び寄せる(天変地異を
除くが)。これだけは、来てみて初めて分かること。1〜2年スパンでは、
イランの核施設へのイスラエル攻撃。それと欧州危機と破綻か、分裂か、朝鮮
戦争の勃発あたりか。地震か富士山噴火も考えられる。「まさか」だから、
こう書いていること以上のことが起こるはず。10年前に、現在まで舞い降りて
きた黒鳥を想像できようはずがない。昨日、シネマで「相棒」劇場版をみてきた。
《殺人事件の背後に、官僚と政治家による銀行閉鎖の「X−day」のネット上
での暴露が隠されていた・・・》というリアルな脚本。数日前にキプロス
銀行閉鎖があったこともあり、現実味がある切実な問題。明日にでも、ここで
書くが、アベノミクスの批判とも受け取れる内容。意図的にハイパーインフレ
起こし、銀行閉鎖を? ウソでないから、恐ろしい。ある日を境に、黒鳥が
一定の間隔を保ちながら、次々と舞い降りてくる。今世紀に入って現在に
至るまで、舞い降りてきた黒鳥ように。
・・・・・・
4016, 事業生活39年の、独り語り ー4
2012年03月24日(土)
 昭和30年後半辺りから、駅前百貨店と既存商店街が主な流通経路だったが、
新たにスーパーが現れてきた。既存の流通経路では大量生産、大量消費の物流が
対処できなくなったためである。そして書店には「流通革命論」などが、並ぶ
ようになっていた。実家が衣料量販店だったこともあり、それに注目するのは
自然の流れ。 渥美俊一著のシリーズの「チェーンストアへの道」下地にした
流通革命」を武澤ゼミの卒論のテーマにした。それもあり、就職先が
ジャスコ」。その一期生と言えば聞こえはいいが、三社合併の先兵として、
合併先の矛盾の先頭に立つのが役割。そして一年で辞職、産能大編入し、
その一年後に金沢を中心に衣料店チェーンを展開していた「いとはん」
(後にジャスコに吸収合併された)に一年半、勤務した。フィールドでの、
ジャスコ、いとはんは俗にいう修行。 その産能大時代に、三番目の姉の家の
二階に居候させてもらった。 絵に描いたような話だが、その姉が貸家として
千葉市郊外の5万人ほどの新興住宅地の千城台に、貸家を持った直後だった。 
姉、曰く、「ここは、数年で土地の値段が数倍になる。もうじき団地の真ん中の
四つ角が格安で売りに出される。あれは絶対買い得。」 そして、暫くすると
新聞広告に売り出し広告が出ていた。 千葉県土地供給公社が、「大規模団地
を造成し、購入希望者の抽選会を公開で行い、当選者に売却」とあった。 
外れて元々と、申し込みをして、公開抽選会に行ってみた。 そころが5倍と
10倍の競合だった二箇所のうち、5倍だったところが当選したのである。
 そこで実家に帰って父に告げると、にべもなく、ノー。「明らかに数年で二倍
になる権利を捨てることはない。私に買ってくれと いうのでなく、会社名義で
買うべきだ」と三日間、朝から晩まで父に張り付き、イエスの返事をもらった。
もちろん会社名義である。その売却条件が二年半以内の建物の着工。現場での
一年だけの現場経験では、まだ精神的体力が足りないのは自他とも認めるところ。
あと二年の経験が必要と当時、厳しさで知れ渡っていた金沢の「いとはん」
に二年の条件で入ることになった。その後、そこで私が何か事業を立ち上げる
前提があった。 成る程、「いとはん」は聞きしに勝る厳しさ。西友の資本傘下
に入った直後で、社内全体は動揺の渦の中。 金沢は加賀百万石の気風があり、
気位の高さと、どんよりした暗さと、人間味の深さがある独特の空気。 
 男は武士顔、女は京都顔。何ともいえない味がある。外づらは良いが、
内づらはウワサ社会の城下町である。社内は、被占領会社の惨めな空気が
ドップリと浸かっていた。 そして色いろあった一年半後に、実家の姉から
「父が末期ガンで、あと一年!」という知らせが入った。20歳の時に創業
人生を決めてから、この瞬間までが、「創業の準備期間」になった。 
振り返ってみると、激しく厳しい経験だったが、全てが合理的。特に、
産能大の一年は勉学と、千城台の土地購入は人生を大きく変えることになる。
・・・・・・
3650, 精神科医師の幸福論 ー2
2011年03月24日(木)
 * 精神科医師の恋愛論とは?
 ーなるほど、面白い恋愛論である。まずは、その箇所からー
≪ 昔ならば片思い程度で済んでいたものが、スターの追っかけやストーカー
 と派手になってしまうのは、今の「自分」への不満がそれだけ強く、相手を
脱自の手段とすることに躊躇がないからだ。 ・・ 恋愛とは、本来、相手の
幸福を願うことであるから〈お互いが、人生を満足できるように親切をすること
〉と定義すると、ここでも、�−1お互いの人生が満足のゆくようなもので
あるように望み、手助けすることと、�ー2 お互いが人生に満足できる人間に
なることを望み、手助けすることのふたつの領域があることになる。しかし、
恋愛では、先に述べたように、新しい自分になって、見るもをの聞くものが
新鮮になるという脱自が起きなくては、それこそ恋愛という感じにはならない。
つまり�こそが、恋愛の本質的な領域だということになる。それはどういうこと
かというと、�の、プレゼントを贈り合い、おいしい食事を共にし、一緒に
旅行・映画に行き、楽しい会話をする… といったモノ・コト(経験)の数々は、
それだけでは恋愛にならないということで、実際、以前の時代は、相手がこの種
のサービスを提供しようとすると、賢い女性たちは、「あんまり甘やかさないで
下さい」と断ったものだった。次に�の領域はというと、これまたふたつあって、
�ー1 は、一緒にいると、(自分ひとりでいるよりも)のびのびとでき、
リラックスできるというようなこと。ここでは、のんびりと二人で町を歩いて
回ったりすることに象徴されるように、かなりはっきりとした幸福感のような
ものが意識されていて、それは結婚を決意するときの理由に「一緒にいても気を
つかわないですむから」とか「彼といると、寛げるんです」というのが多く
挙げられることからも分かる。それに対して、�−2の領域の、二人が互いに
高めあうというのは、今は、全く人気がない。というのも、人生の課題を
達成して自分を高めるというのが、たとえ恋愛していようが、相手から干渉
されてはならない個人の最も重要な領分だからである。≫
▼ 愛・恋は自我の変容でしかないが、�、�−1、�−2の間で揺れ動く
 ところが恋愛心理なのだろう。年齢によっても変化をする。この視点で、
色々な恋愛をみるにつけ、それぞれの歪みが見えてくる。
その歪みこそ、恋愛の恋愛の所以になる。
・・・・・・・
3285, 人みな骨になるならば ー4
2010年03月24日(水)
  *文化・文明は「裸のサル」を守るカプセル
 ーまずは「文化:文明はサルを守るカプセル」説の部分を抜粋するー
 文明の総体は全て物質的な鎧にすぎない。だいたいにおいて物質的な侵害
からは防いでくれるが、それでも疫病や事故といった不運を増やすことも
減らすことも在る。 ・・サバンナの頃の不運は減ったが、大都会に住むこと
による不運がとって変わっただけである。幸いなことに文明には文化といった
非物質的な相棒が付き物だった。つまり我われは文明という即物的なカプセル
とともに、文化という精神的なカプセルにも守られている。・・
「疑似環境」こそが文化に他ならない。ヒトと宇宙の間には文明や文化という
疑似環境が作られるのだ。文明も文化も、第三惑星に棲息する弱々しい
「裸のサル」を守るために、そのサルによって分泌された粘液性のカプセル。
しかもカプセルの一部がこのサルの自我なのである。人間集団は自ら分泌した
文明と文化というカプセルにより自らを防御する。なによりもまず寒暑、飢餓、
外敵などからわれわれを守る。いわば人類の生命線を守っている。
また人間の心理が物理的宇宙から浸蝕されていくのも防ぐ。いわば宇宙と人間
インターフェイスであり、人類の守護神である。それほどの守護神が宇宙の
冷淡さや不条理から、われわれの心理を守らないはずがない。われわれ人間集団
の内部に、それなりの合意が得られそうなルールが誕生する。掟、タブー、
戒律、法その他である。これらによって、われわれの集団内部に限って理不尽は
最小限に磁められることが期待される。だれもがゆえなく害せられてはならず、
また一定の手続きによってのみ加害者は処罰されるようになる。かくして法治
国家のもとで暮らすかぎり、社会生活の上で勧善懲悪や信賞必罰といった道理
がおおむね通用するようになった。
▼「文明も文化も、第三惑星に棲息する弱々しい『裸のサル』を守るために、
 そのサルによって分泌された粘液性のカプセル。・・ いわば宇宙と人間の
インターフェイスであり、人類の守護神である。」というのは言いえて妙。
そんなものに一々汲々とするな、というのも肯ける。 所詮そんなものは、
人間世界の中の通貨のようなもの。神も、文化・文明も、人間が共同幻想
つくり上げた分泌物でしかないのは、身近な故人の脳をイメージとして透して
みれば明らかのこと。映画の「猿の惑星」の文化・文明と、人間のそれは
ドコが違うというのか。
 ・・・・・・・・・
2910, 閑話小題 
2009年03月24日(火)
 * ジュンク堂大日本印刷に買収だと
 数年前に新潟駅南〈裏)に大型書店チェーンのジュンク堂が出店した。
御蔭で、隔週は必ず行くようになったが、それでは買うかというと買わない。
面白そうな本をメモを取りアマゾンで買う。持ち帰るより、年間送料契約
2千円を払えば後は幾ら注文しても送料はかからない。それと一度冷静に
なれるので、衝動買いを避けることもできる。
   (字数制限の関係でカット2,012年3月)
 * パーク24が「マツダレンタカー」を買収
(字数制限のため、カット2010年3月24日)
・・・・・・・・
2546, パリ高級娼婦館女主人の告白 −4
 2008年03月24日(月)
やくざや娼婦の世界にも階級がある。差別だけは人間の性なのである。
弱肉強食の世界では、ついて回ることと割り切るしかないのか。
  *やくざと娼婦の階級
やくざ社会の人間たちは、自分たちの行動をさして自覚もせず、
大きな子どものようにふるまっていました。彼らはグループに属し、
その中で権利と義務を持ち、名誉の掟`というルールと階級を重じていた。
 ・階級の一番上には詐欺師、
 ・次に力自慢の暴力分子(カツアゲ・・・)
 ・そして一番下に売春婦のヒモがいました。 ヒモたちは、さらに
  自分たちの女が勤める場所別で、それぞれの階級に分かれていた。
  ドレーヌ寺院の界隈、オペラ座界隈、ブロデル通り界隈といった具合に。
 ・犯罪者の最下級は強姦犯でした。
(字数制限のため、カット2011年3月24日)