つれづれに
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今日のYoutube
「トゥームレイダー」ファーストミッション>を見てきた。
事前にみた評価は低かったので、期待をしなかった分、面白かった。
評価:85点。 奇想天外な内容で… 日本の卑弥呼が厄病にかかり、
自ら南海の孤島に引籠った。そこに… まあ、日本人をバカにしたような内容だが…
≪ 解説
世界的人気を誇るアクションアドベンチャーゲームで、アンジェリーナ・ジョリー主演により
映画化もされた「トゥームレイダー」を、「リリーのすべて」「エクス・マキナ」の人気オスカー女優
アリシア・ビカンダー主演で新たに映画化。資産家で冒険家の父リチャードが行方知れずになって7年。
ひとり娘のララ・クロフトは、父の残した秘密の暗号を解き、父が日本の古代の女王ヒミコが葬られた
という、絶海の孤島に向かったことを知る。ヒミコの呪いが解かれれば世界は存亡の危機に陥るといい、
父はその力の悪用を企む者たちから秘密を守ろうとしていたのだった。その事実を知ったララは、
トレジャーハンターとして父の残したミッションを遂行しようと、香港の船乗りルー・レンの協力を
得て島を目指すが…。 監督は「THE WAVE ザ・ウェイブ」で注目されたノルウェー出身のローアル・
ユートハウグが務め、ハリウッドのメジャー映画で初メガホンをとった。≫
・・・・・・
・・・・・・
3650, 精神科医師の幸福論 ー2
2011年03月24日(木)
* 精神科医師の恋愛論とは?
ーなるほど、面白い恋愛論である。まずは、その箇所からー
≪ 昔ならば片思い程度で済んでいたものが、スターの追っかけやストーカーと派手になって
しまうのは、今の「自分」への不満がそれだけ強く、相手を脱自の手段とすることに躊躇がない
からだ。 ・・・・ 恋愛とは、本来、相手の幸福を願うことであるから、〈お互いが、人生を
満足できるように親切をすること〉と定義すると、ここでも、②-1お互いの人生が満足のゆく
ようなものであるように望み、手助けすることと、②ー2 お互いが人生に満足できる人間に
なることを望み、手助けすることのふたつの領域があることになる。しかし、恋愛では、先に
述べたように、新しい自分になって、見るもをの聞くものが新鮮になるという脱自が起きなく
ては、それこそ恋愛という感じにはならない。つまり②こそが、恋愛の本質的な領域だという
ことになる。それはどういうことかというと、①の、プレゼントを贈り合い、おいしい食事を
共にし、一緒に旅行・映画に行き、楽しい会話をする…といったモノ・コト(経験)の数々は、
それだけでは恋愛にならないということで、実際、以前の時代は、相手がこの種のサービスを
提供しようとすると、賢い女性たちは「あんまり甘やかさないで下さい」と断ったものだった。
次に②の領域はというと、これまたふたつあって、②ー1 は、一緒にいると、(自分ひとり
でいるよりも)のびのびとでき、リラックスできるというようなこと。ここでは、のんびりと
二人で町を歩いて回ったりすることに象徴されるように、かなりはっきりとした幸福感の
ようなものが意識されていて、それは結婚を決意するときの理由に「一緒にいても気を
つかわないですむから」とか「彼といると、寛げるんです」というのが多く挙げられること
からも分かる。それに対して、②-2の領域の、二人が互いに高めあうというのは、今は、
全く人気がない。 というのも、人生の課題を達成して自分を高めるというのが、たとえ
恋愛していようが、相手から干渉されてはならない個人の最も重要な領分だからである。≫
ーー
愛・恋は自我の変容でしかないが、①、②-1、②-2の間で揺れ動くところが恋愛
心理なのだろう。年齢によっても変化をする。この視点で、色々な恋愛をみるにつけ、
それぞれの歪みが見えてくる。その歪みこそ、恋愛の恋愛の所以になる。
・・・・・・・
3285, 人みな骨になるならば ー4
2010年03月24日(水)
*文化・文明は「裸のサル」を守るカプセル
ー まずは「文化:文明はサルを守るカプセル」説の部分を抜粋してみる ー
文明の総体は全て物質的な鎧にすぎない。だいたいにおいて物質的な侵害からは防いで
くれるが、それでも疫病や事故といった不運を増やすことも減らすことも在る。
・・サバンナの頃の不運は減ったが、大都会に住むことによる不運がとって変わっただけ。
幸いなことに文明には文化といった非物質的な相棒が付き物だった。つまり、我われは
文明という即物的なカプセルとともに、文化という精神的なカプセルにも守られている。
… 「疑似環境」こそが文化に他ならない。ヒトと宇宙の間には文明や文化という疑似
環境が作られるのだ。文明も文化も、第三惑星に棲息する弱々しい「裸のサル」を守る
ために、そのサルによって分泌された粘液性のカプセルであった。
しかもカプセルの一部がこのサルの自我なのである。人間集団は自ら分泌した文明と文化
というカプセルにより自らを防御する。なによりもまず寒暑、飢餓、外敵などからわれ
われを守る。いわば人類の生命線を守っている。また人間の心理が物理的宇宙から浸蝕
されていくのも防ぐ。 いわば宇宙と人間のインターフェイスであり、人類の守護神である。
それほどの守護神が宇宙の冷淡さや不条理から、われわれの心理を守らないはずがない。
われわれ人間集団の内部に、それなりの合意が得られそうなルールが誕生する。
掟、タブー、戒律、法その他である。
これらによって、われわれの集団内部に限って理不尽は最小限に磁められることが期待
される。だれもがゆえなく害せられてはならず、また一定の手続きによってのみ加害者は
処罰されるようになる。かくして法治国家のもとで暮らすかぎり、社会生活の上で勧善
懲悪や信賞必罰といった道理がおおむね通用するようになった。
~~
「文明も文化も、第三惑星に棲息する弱々しい『裸のサル』を守るために、そのサルに
よって分泌された粘液性のカプセル。・・・ いわば宇宙と人間のインターフェイスで
あり、人類の守護神である。」というのは言いえて妙である。そんなものに一々汲々と
するな、というのも肯ける。 所詮そんなものは、人間世界の中の通貨のようなもの。
神も、文化・文明も、人間が共同幻想でつくり上げた分泌物でしかないのは、身近な故人
の脳をイメージとして透してみれば明らかのこと。映画の「猿の惑星」の文化・文明と、
人間のそれはドコが違うというのか。
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2910, 閑話小題
2009年03月24日(火)
* ジュンク堂が大日本印刷に買収だと
数年前に新潟駅南〈裏)に大型書店チェーンのジュンク堂が出店した。御蔭で、
隔週は必ず行くようになったが、それでは買うかというと買わない。面白そうな本をメモ
を取りアマゾンで買う。持ち帰るより、年間送料契約2千円を払えば後は幾ら注文しても
送料はかからない。それと一度冷静になれるので、衝動買いを避けることもできる。
新聞などに扱われて破竹の勢いだったが、先週末の記事に大日本印刷に買収とあった。
好調なら、会社を売却することもないのだろうから、何処かで躓いたということになる。
ージュンク堂が大日本印刷の傘下にー asahi.com net
大日本印刷は18日、ジュンク堂書店(神戸市、工藤恭孝社長)の株式の51%を買い取り、
連結子会社にしたと発表した。同社はこれまでに丸善や図書館流通センターを買収しており、
書店事業を強化する狙い。大日本は、ジュンク堂が保有する自社株を取得した。
ジュンク堂にとっては資本増強とともに、大日本の持つウェブサービスを生かしてネット
通販などが強化できるメリットがある。ジュンク堂は、専門書に強みがある大型書店
33店舗を全国展開している。08年1月期の売上高は405億円。大日本傘下に入っても、
店舗名はそのまま変えない
。
ーーー
* パーク24が「マツダレンタカー」を買収
(字数制限のため、カット2010年3月24日)
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2546, パリ高級娼婦館女主人の告白 -4
2008年03月24日(月)
やくざや娼婦の世界にも階級がある。差別だけは人間の性なのである。
弱肉強食の世界では、ついて回ることと割り切るしかないのか。
ーー
*やくざと娼婦の階級
やくざ社会の人間たちは、自分たちの行動をさして自覚もせず、大きな子どものように
ふるまっていました。 彼らはグループに属し、その中で権利と義務を持ち、名誉の掟`
というルールと階級を重んじていました。
・階級の一番上には詐欺師、
・次に力自慢の暴力分子(カツアゲ・・・)
・そして一番下に売春婦のヒモがいました。 ヒモたちは、さらに自分たちの女が勤める
場所別で、それぞれの階級に分かれていました。ドレーヌ寺院の界隈、オペラ座界隈、
ブロデル通り界隈といった具合に。
・犯罪者の最下級は強姦犯でした。
(字数制限のため、カット2011年3月24日)
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2007年03月24日(土)
2181, 「ライオン 空前の王交代劇」
オッ(*^○^*)ハ~ヨウサン!
NHKハイビジョン特集「ライオン 空前の王交代劇」(2007年3月21日午後8:00~午後9:32)
これが非常に面白い内容で、アッという間に90分が経ってしまった。
ケニア・タンザニア・南アフリカのサファリに5回行き、ライオンの群を多く見ていた。
(翌日は同じ時間帯で、像の群れの物語を放映していた。 場所はタンザニアのセレン
ゲッティー国立公園の「マコマ・ヒル」という名の、小高い丘の一帯である。
総勢40頭を誇ったライオンの群れの「王」ショーンとパトリックが、突然に行方不明
になった。在位7年というから長期政権だった。群れは新しい王が必要となる。
そこでオスを呼び寄せ誘惑、新たな王として相応しい雄の値踏みをする。
この番組は、その王交代劇を克明に伝える内容である。メスは子供をつくり最後まで育て
上げるため強いボスを必要とする。ライオンの群れは血縁関係を持つメスと子供から成り
たっていて、普通は2頭の兄弟雄が「王」として君臨している。群を組んだ放浪ライオン
の対抗上、二匹のボスでなくてはならない。 これが他の動物と違うところである。
グループの大きさによっては一匹もあるが。2006年、二匹の「王」の行方不明で群れは
大混乱に陥り、群は3つのグループに分かれていた。
・まず幼い子供たちを持つ母親たちは、侵入して来るオスを避けて群れを離れた。
新しいボス候補が前の王の子供を殺すからだ。最終的に、このグループの子供は殺されたり
餓死で一匹もいなくなっていた。
・次は子供を持たない若いメスのグループで、においと声で積極的に新しいオスを呼ぶ。
そして思わせぶりな態度で誘惑し、オス同士を闘わせて値踏みを始める。
・最後は、年増の子供がいないグループで、最後まで様子をみている。
グループの周辺にも、幾つかの群の放浪雄がボスの座を狙い徘徊している。
メスは新しい王を選ぶ時は、非常に冷静な判断をする。強くなければ産んだ子供が
新しいボスの子殺しにあうからだ。この番組の圧巻は、最後に決めるギリギリのところで、
隣のグループの王を誘って、決めかねている雄と決闘させる場面である。二頭は数時間も
かけて闘うが、最後はその雄が勝利する。メスは、新しい候補の雄の年齢や、健康、
たて髪の大きさなどを冷静に見極める。候補が何匹も現れるが、適任でないとグループに
拒否されスゴスゴと引き上げる。このあたりは人間と同じである。女性の場合は相手に
大きく左右されるからだ。男より数段も冷静に相手を見定めるのは女性の本能として仕方
がない。 これは男とて同じだが、家庭は男の稼ぎが大きな要素をしめるから、やはり
女の方が相手次第による要素は大きい。 但し何ごとも例外があるが・・・
そういえば10年以上前になるが、やはりNHKの特番でライオンとリカオンの群れと、
群れとの争いを克明に放映していた。 あの内容も、迫力のある殺気立った内容だった。
(○´・д・)ノ バイバイ!
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2006年03月24日(金)
1816, 靴修理の面白さ
(○´・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)
最近自宅にある、捨てるに捨てられない靴を5足を修理してしまった。殆どの靴の踵部分
が消耗して擦り切れてしまう。靴ヘラを使っているが、先ずそこがボロボロになってしまう。
特に廉い靴は直に傷む。ウォーキングと通勤で、普通の人の倍は歩くため消耗度が大きい。
最近まで履いていた靴の右足の小指の部分が割けてしまった。靴屋に持っていけば最低
5千円以上はとられる。そのウォーキング・シューズは私にすれば高めの1万2千円である。
直すに直せないし、他は頑丈に作ってあり、3年以上も通勤、ウォーキングに海外旅行に
と履き続けてきたので馴染んでいる。
ジッと見つめて知恵が出てくるのをまった。 内側から踵の修理用の部品を貼り付け、
外側から傍にあった金物修理用ボンドを埋め込めば何とかなる!と。こうなると、遊び
の領域になる。
そして無事完成してウォーキングで履いてみたが完璧に直っている。
その上を黒の靴墨で塗りこんであるので外見からも分らない。そうすると俄然面白く
なって、踵の磨耗部分などは簡単に直してしまった。新しい靴の踵部分に初めから修理用
の部品をボンドで貼り付けておけば、靴ヅレの心配も無くなり、靴の事前メンテにもなる。
何ごとも楽しむことだ! (。・・)_且~~ お茶
そういう訳で、我が家の玄関にはウォーキング・シューズが9足も並んでいる。
玄関のドアがガラス張りなので泥棒よけにもなっている。判ったことは、高めの靴は
履きやすいことと、長持ちをする。それと履けば履くほど使いやすくなる。けち臭い話
だが、殆んどはウォーキング以外は履かない靴だから修理の部分も気にならない。
自分で治すという発想が今まで無かった。しかし自分で治せると判れば良いものを
買って、メンテをして長く使ったほうがよい。 ヾ(●・з)ノ" バイバイ
・・・・・・・
2005年03月24日(木)
1451、「仏教の根底からの否定」の文章-1
ー山根二郎かく語りきー
ある雑誌で山根二郎という人の文章を読んで、ただただ驚いた。仏教を根こそぎ否定・批判
しているのである。ここまで仏教を根底から批判している文章も初めてお目にかかる。宗教業界
の坊主の質が悪いと思っていたが、仏教を根底から否定している日本人に初めて出会った。
それが正しいとか、間違っているかが問題ではない。日本のような仏教国?で、あからさまに
否定できる知識に驚いている。また、その豪胆さにも。反面、マイナスから照らした仏教の教え
の真髄も見えてくる。江戸時代に、幕府がキリスト教を封じ込めるため寺請制度に問題があった。
市役所の戸籍の役をお寺に丸投げをしたのだ。もし人別帳から外されたら大変な事態になるからだ。
そこを利用した坊主の利益享受システムが、長年にわたってつくられた。その流れをそのまま
受けついでいるのが現在の仏教業界である。不幸につけこんだ搾取を、立場と信心を利用して
行なっているのだ。それに対して、誰も声高く批難できないのが島国の環境のためでもあった。
それと似たことが、中世キリスト教会も行なわれていたが。まあ創価学会にしても、その類で
しかない。自分達だけは無税と手前勝手な屁理屈で大手を振っている。
一年ほど前、寺から京都の本堂の改築のため、一万の寄付の要求をしてきた。
「この不景気に何をいっている」と言いたいが黙っていた。全く坊主丸儲けである。
山根は、その根底から否定しているから痛快である。ー以下は彼の文章のポイントを
抜粋したものである。
--
仏教が入ってきて日本を悪くした。日本人は、なぜこんな空・無の思想に取りつかれまま
なのか。それは、もともと「私」という観念が希薄な列島の部族的存在としての日本人の
意識の上に「自分というものはどこにもない」という仏教思想が張り付いてしまったから。
(字数制限の関係でカット2,009年3月)
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2004年03月24日(水)
1086, 疑惑
台湾で陳総統が0・2?の差で再選されたニュースを報じていたが、胡散臭い銃撃事件と
思いざるをえない事件。この事件が無ければ対立候補が絶対有利であったからだ。自作自演
事件?と考えるのが、穿ったみかただろうか。政治家なら、平気でその位のことをするものだ。
腹を丁度よく横にかすめたものである。おまけに、隣にいた副総統の足にも当たり負傷をした
という。弾丸まで車の中で発見されたとか。対立候補は早速疑わしい状況があったとして
『この選挙は無効』と宣言している。台湾では抗議行動が進んでいるが、後進国の一つの
現象と割り切ってみると漫画的でもある。何処かの国の密室政治も外部から見たら、この
レベルの世界だとも言えるだろう。ある月刊誌に『逮捕されたイラクのフセインは替え玉で、
本物はアメリカの手で実際は匿われている』と書いてあった。
まさかと思いつつ読んでいると、なるほど有得ると思ってしまう内容であった。
情報化社会は、実際に表面化している情報が本当かどうか一度疑ってみる必要がある。
情報操作が簡単になったからである。哲学者が、こういう情報化社会の現象をイチハヤク
解剖ー分析ーをしている。真実と現象の構造を、精密に説明してみせている。
事実と思い込んできたことが、実は虚構でしかなかったというのは人生を振り返ってみる
とよく解ることである。ソ連邦や東ドイツが崩壊した時に、その共産主義を信じて疑わな
かった多くのエリート官僚が、その虚の崩壊に呆然として精神の異常をきたしたという。
テーマと少し話しは外れたが、今度の台湾の総統の茶番はアマリにお粗末である。他山の
石として見ている分には面白いが。
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2003年03月24日(月)
719, 「私の無名人名語録」
永六輔の「無名人名語録」があるなら、「私の無名人名語録」もあってよいだろうと
考えてみた。
・「会社を良くしようと思ったら、よい人間をどんどん入れることだな!ゴミがすぐ
浮いてきて、出て行くんだ」
ーあるセミナーの隣席の社長が言っていた。
・「事業で大失敗をするほど、どういうわけかその都度大きくなるんだよな~」これ
事業を立ちあげた社長から聞いた。
・「地方って3流の人物が親の財産をバックにしてさ、一流と思い込んでいる奴が
多いだろう。おれは田舎のプレスリーって奴」。
・本当にあった話だそうだが、もう亡くなった往年の二枚目俳優の田宮二郎がある
地方の温泉街を歩いていると、「田宮二郎一座」という劇場があった。面白がって
入ったが途中で腹が立ってきて座長の所に終わってから行った。文句を言うと、
戸籍を出して、田宮二郎が実名ということが解った。 ところがその座長曰く
「いいですよ、私の名前をそのままつかっても!」と逆に言われたそうだ。これこそ
無名人?語録である。変な逸話をおもいだした。
(字数制限の関係でカット2,009年3月)
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2002年03月24日(日)
355、西アフリカ旅行記-2
今回の旅行は西アフリカのコートジボアールとガーナとトーゴとベナンの4カ国を
突き抜けるバスツアーであった。人間の頭に例えると、インド洋が顔、大西洋を後頭部
とする。その後頭部にあたります。 バスツアーそのものを楽しむものだった。
ほとんど景色は変わらず、淡々とした旅行でもあった。やはり異質性はあった。
東洋人を全く見たことがないようで、彼らの好奇の目に驚かされた。何処でもそうだが、
こういうところは市場が面白い。各地の市場にいったが現地の特性があり生活の匂いが
していい。彼らは写真を撮られることに、異常に拒否反応を示した。4カ国を短時間で
見て、それぞれの政治情勢が手に取るように解った。当然のことだが、政治の重要性を
感じとることが出来た。奴隷についても、日本でもありえたのでないか。
隣国が海で囲まれていない場合、戦争捕虜を皆殺しをしないで、隣国に売り払った
可能性があった。戦国時代は負けたほうは、条件をつけない場合は皆殺しであった。
何処がどうという事でなく、トータルで異国情緒を愉しむという旅行であった。
同行者もアフリカのみならず、世界中を行きつくしたツワモノぞろいであった。
私にとって行きたい処の情報の宝庫であった。もう一つの楽しみの同行者がよかった。
何かを背負い、また降ろしてきた人生のツワモノ達でもあった。
こういうところに来る人は、変わった人というより旅行をしているうちにここに行き
着いたという人が多い。その中で感性が磨かれたものと思われる。それと初めから
何かのきっかけで来ているか、どちらかである。
これから数人具体的に見てきた人を紹介してみる。